らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉



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ナンセンスとは、 投稿者:お留守居役様  投稿日: 3月16日(金)19時53分01秒

ナンセンスというのは、
60年代後半の全共闘運動でしきりに使われた言葉です。
聞くも愚か、語るもバカバカしいというときに使いました。
反論したり、否定したりすることも
バカバカしいといういうときに使いました。
既成党派の主張を口移しで語る人に対しても
ナンセンスだと言いました。
非主体的で他人の言葉で語られたことだけでなく、
共同性の名の下に主体性を奪うような議論に対しても
ナンセンスと言いました。
共同幻想から自立した強い意志の言葉ではなくて、
感性的で繊細な弱者の言葉でもありました。
アタマの良い人がまくし立てる主張に
うまく反論できないけど、おかしいと思ったときに
ナンセンスだと言って反抗しました。

ナンセンスの反対は、
意義なーし!
でした。


一発太郎には登録しました。 投稿者:悲心  投稿日: 3月16日(金)17時27分01秒

悲心です。確かに私は一発太郎には登録しましたので、それがひっかかってきたようです。
らくりんさん、長いおつきあい、よろしくお願いします。


Re:みなさんようこそ 投稿者:林遊  投稿日: 3月16日(金)15時41分55秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。


浄土教って、けっこういいかげんにしか生きられない人間のことを真正面に見すえて
成り立っている教えではないかと思います。


賛成票一票(笑)。
どうもここいらへんを誤解して浄土真宗というご法義(法のいわれ)を把握する
人も多いのでしょうね。如来は、何故こちら側からの回向(行信)を無価値と見
なすのかが判らなくなっているのだと思います。
親鸞聖人が、あらゆる行為・言葉が「そらごとたはこと、まことあることなき」
と仰るのにもかかわらず「そらごとたはこと」の自らの中に意味を見つけようと
するんでしょうかね。

私が見つけた道でもなければ、皆で相談して決めた道でもない、すでに阿弥陀仏
が選択して下さってあった道が浄土門という仏教だと、林遊は思いますですね。
釈尊の説かれた全仏教体系を「よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべ
き道」として、「往生極楽のみち」として示して下さるのでありましょう。

そして、このご法義の先達は、自らがいいかげんにしか生きられない存在である
、聖道門という仏道を歩むに値しない者である、と暫愧するからこそ、五兆(五劫
兆載永劫)の願行に己を託し、おかげさまとか、おはたらきさまと仏徳を讃嘆して
浄土を目指したのでありましょうね。これが浄土門の大菩提心でありましょう。

    浄土の大菩提心は
     願作仏心をすすめしむ
    すなはち願作仏心を
     度衆生心となづけたり

いやはや、往生浄土門とは、あらゆる階梯を飛び超えて往生即成仏のとんでもない
ご法義ではありましたです。もったいないことです。

ps
う〜ん、いかん。つい自分語りのありがた屋になりそうだ。こまったもんだ(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://access-jp.net/amida3/


キーワード検索 投稿者:らくりん  投稿日: 3月16日(金)15時24分28秒

たしかに「歎異会」で、ヤフーの検索をかけると、この掲示板の2月19日の私の書き込みが
ひっかかって出てきます。
念の為申し上げておきますが、これは私が登録したわけではありませんので
誤解なきよう。
それにしても、どこで誰の目に触れるかわからない、
LANの件も含めて、なんか、そら恐ろしい感じがします。


みなさんようこそ 投稿者:らくりん  投稿日: 3月16日(金)12時43分39秒

留守がちで、すみません。

悲心さん、
あらためてようこそ。
せめてネットの上でぐらい、肩の力を抜いて気楽にやりましょう。

林遊さん、
ご心配ありがとうございます。

珍入者対策については、私も気懸かりになっております。
いったいLANと、インターネットとの関わりがどうなっているのかまだよくのみ込
めていませんし、何をどこまで気を付けたらいいのか、まだ暗中模索の状態です。

定額接続できるようになったとはいえ、我が家は私が回線を独占するわけにはいか
ない使用状況になっておりますので、常時接続はしておりません。
それに、まだ実験中で、LAN接続のテストをしている間は、ネットには繋ぎません
し、ネットにつなぐ時は、共有ファイルの設定を外すか、リードオンリーにして空っ
ぽにしてあります。
共有ファイルのアクセスのパスワードを設定するぐらいでは、
簡単に破られちゃうんでしょうね。
LANと言っても、
当面は、自分のパソコン同士のファイルをやり取りしたりして遊ぶ程度です。
どうも私には、LANというものはあまり差し迫った必要はない感じです。

同時に複数の接続を可能にするためにルーターの件は検討課題の一つです。
Windows98SE以降でも、パソコンにルーターの役割を持たせることはできるようで
す。
例しに、その設定をしてみたら、スタンバイやスタートメニューからの終了など、
ソフト的な電源管理を一切受け付けなくなり、バソコンの電源が簡単に切れなく
なってしまいました。
結局、パワースイッチを押し続けて、強制切断する以外に手はありませんでした。
ただ、セキュリティの面がどれほどのものかはわかりませんので、それも今は外して
います。

お留守居役様さん
人間ってナンセンスな幻想に縛られてばっかりじゃないですか。
「自分は、ナンセンスな共同幻想に縛られていない」という幻想を持つことも
ありますし。
ナンセンスの反対語って何なのかな?ミーニングフルでいいのかどうかわかりませんが、
意味に満ちたことにしか動かされない人間だけの世界なんてつまらない。
「他人がどれほどナンセンスな共同幻想に呪縛されていようが知ったこっちゃない」
と言ってしまえるなら、私は浄土教なんて必要ないと思います。
私は、一切の共同幻想を排除して生きると言い切れるほど、強くもありませんし、
そんな面倒な生き方はあまり魅力も感じません。
どうせなんらかのナンセンスな共同幻想に巻き込まれざるをえないなら、
少しでも「マシ」なヤツがいいかなと、私なんかは思っちゃうんですが。
浄土教って、けっこういいかげんにしか生きられない人間のことを真正面に見すえて
成り立っている教えではないかと思います。


Re:Yahooで検索したら 投稿者:林遊  投稿日: 3月16日(金)01時56分51秒

林遊@なんまんだぶつです。

インターネット上をロボットが徘徊?して検索キーワードを収集していますから
勝手に登録されたように感じるのかもしれませんね。

ネットは情報テクノロジーとしては便利な道具ですが、ワケのわからないと思え
る(本当はそうではない)ような事が起こったように思えるのかもですね。

ある意味では、匿名性というベールに覆われた何でもありの無規範な世界ですか
ら、困ったものですね。あまり脅かすのもよくないんですが、情報の一人歩きと
いう世界はややこしいものですね(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


Re:2台直結LANに挑戦  投稿者:林遊  投稿日: 3月16日(金)01時37分09秒

林遊@なんまんだぶつです。

えっと、常時接続がらみで、公開された場所にこういうこと書いちゃ
うとヤバイですよ下手するとらくりんさんチの共有フォルダが、全世
界へ公開されてしまいますです。

松田 幸造さんの仰っていたようにせめてルータでポートを塞いでお
かないとまずいですね。性善説を前提にして構築されたインタの世界
は、何があってもアメリカ風自己責任の世界ですからでら、用心して
おくにこした事はないと思っていたりしますですね。

パソコンにお詳しいのなら、中古パソコンにLinuxなどを積んで
ルータの役割をさせる手もありますけど、かなり面倒です。しかし自
前でHTMLサーバーやこの掲示板のようなものを立てられるという
面白さもありますから悩ましいですね(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

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共同幻想の解体 投稿者:お留守居役様  投稿日: 3月15日(木)23時44分13秒

宝島社文庫『「カルト」の正体。』
(原題『「救い」の正体。』)

空理空論を好む者としては、現実の宗派には興味がないのですが、
ふとしたきっかけで読んでみました。
「共同幻想は、個人の幻想に逆立する」
という有名な吉本隆明のテーゼがぴったりの世界だと思いました。
頭の中を教理でいっぱいにして、逆立ちしているように思われました。
このカルト宗教での「逆立」は「死」を契機としているようです。
「死」とか「死後」とか「地獄」とかで
脅かしているようですが、個人が恐怖を感じるのは
生きているからで、共同幻想として「死後の世界」は、
ナンセンスであることは言うまでもありません。
お釈迦様も自分の死後が分からないから
「無記」としただけでなく、共同幻想としての「死」もまた
「無記」とされたのでしょう。
同様に親鸞聖人も現世往生を主張して、
臨終往生や死後往生(成仏?)を否定されたのは、
共同幻想としての「死」を解体して、
この「逆立」を解消されようとしたのだと思います。
ついでに言えば、
念仏して得られるのは、往生だけですから、
逆に言えば、
往生のために念仏以外のことをするのは無駄と言うべきでしょう。
たかが往生なのですから。


Yahooで検索したら 投稿者:悲心  投稿日: 3月15日(木)20時44分35秒

瀧改め悲心としました。よろしくお願いします。
ところで、Yahooで歎異会で検索したら、らくりんバンバンも一緒に出てきて、
聞光学舎会計と私の名前が実名で出てました。会計といっても、十七年前のことで
何故そこまで登録されたのかわかりません。恥ずかしい思いをしました。
これも何かのご縁と、よろしくお願いいたします。


2台直結LANに挑戦 投稿者:らくりん  投稿日: 3月13日(火)17時22分41秒

フレッツ騒動の時購入したLANアダプターが遊んでいたので、
来るべきLAN構築の練習にでもなればと思い、
クロスケーブルを1本買って来て、98SE機とノートPCをつないでみました。
ルーターなし、WinMeのウィザードなしですので、
『すぐにできる快適LAN入門』なる本を片手に、すべてマニュアル設定です。
最初勝手がわからず、OSの設定をあちこちさわっていましたが、
なかなか相手のマシンを認識してくれませんでした。
それでも2時間ほどでなんとか開通。久々のPC問題解決の快感。
MSーDOS時代にMAXLINKを使ったことがありますが、
速度は比べ物になりません。
相手の機会のファイルを操作している感覚は、何だか別世界に入ったような感覚でし
た。
今回のテスト接続で、いよいよ本格的LAN構築も視界に入ってきました。

HUBとケーブルを入手して、ダイヤルアップの接続共有を設定すれば、
ルーターなしでも複数のPCから同時にネットにログインできるようにできる
わけですが、それには屋根裏を這い回ってケーブルを張らなければならないしなあ。
ちょっとおっくうですね。


よければどうぞ 投稿者:MANU.  投稿日: 3月10日(土)21時52分04秒

ご無沙汰しております。
以前お知らせさせていただいた、増井悟朗師の「こころの時代」
放映が明日(11日)朝と迫りました。再度紹介させて頂きます。
詳細は
http://homepage1.nifty.com/MANU/

また、増井師の講習会が3月17・18日に京都であります。申
し込みは11日締め切りです。TVで見て、京都で直接お話を聞
く。おすすめいたします。
http://homepage1.nifty.com/MANU/keko/keko_ivent.htm

     MANU.(from KYOTO)


Lanの規制 投稿者:松田 幸造  投稿日: 3月10日(土)12時16分49秒

 ルターで規制かけます。学校のパソコンは。


フレッツその後 投稿者:らくりん  投稿日: 3月10日(土)10時03分26秒

フレッツが開通してから、まだ数日しか経っておらず、しかもかなり留守がちだった
からまだほとんど使っていないにもかかわらず、私のネット行動に早くも変化が出始
めました。
トータルのネット使用時間が極端に長くなったということはまだありません。
つなぎっぱなしでメールを打ったり、レスを書くということは、以前はほとんどあり
ませんでした。
それから、不要不急のサイトをだらだらと見る傾向が少し出てきたかな。
「時間に追われない」というのは、気分が楽ですが、やっぱり何らかの形で
「制約」とか「抑制」がかかる要素があるということも大切かな。


帰って来ました 投稿者:らくりん  投稿日: 3月10日(土)09時55分53秒

BBBさん、
お世話になりました。四国の次、もう1ヵ所寄せていただいて、9日の夕方帰って来
ました。
私は、自分が話したことは、基本的にあまり細かく覚えていないのですが、今回、私、
そんなきついこと言いましたかね。それは、私の言い方の問題よりも、そのように聞
いて下さったということなのでしょうが。
(もちろんいいかげんに話しているというわけではありませんが、聞いた人からのフ
ィードバックがあるときちんと思い出します。それがなければ、忘却の流れに乗って
いってしまいます)

「ニュートラル」ですか?
それでは、なんかちょっとニュアンスが今一つぴったりきませんね、私には。

>あんまり聖典視されると迷惑でしょうが
本は、このように読めというわけにはいきません。
どのような読み方をされる方もまれて、一旦出てしまった以上、著者が口出しする
わけにはいきません。私が、自分の本について、「良い読み方」と「悪い読み方」
を決めるわけにはいかないでしょう。
だから、もしBBBさんが「変な読み方」をしたとすれば、著者である私が迷惑
するのではなくて、BBBさんの周りの人が「迷惑」するのでしょうから、
その迷惑した人からなんらかのリアクションが跳ね返ってくると思います。



四国から 投稿者:BBB  投稿日: 3月 9日(金)08時03分30秒

四国のBBBです。一昨日はありがとうございました。
無事帰られましたでしょうか?昨日も四国にしては天気悪かったですしね。
一部、二部と講義のお話は、ものの考え方みたいな風で聴いていればよかったでずか、
三部になって、”さてお前はどうすんねん”ということをつきつけられ、”うわーっ、キツイなぁ”
です。とりあえず有見、無見をニュートラルにして、立場を決めるということでしょうか。やはり
ちゃんと教えに出会えてないということかなと思います。それと仮設(立)ということがありま
したが、それに対して本設(立)、というのかどうか、「読み解く」最終巻のお楽しみかな?
最終巻の発刊が近いようですので、また第一巻から読み返してみようと思っています。
あんまり聖典視されると迷惑でしょうが、私にとっては、結構その位置にあります。
また四国に来られる機会、待つか、つくるかわからんですが、その時はよろしくお願いいたし
ます。


それはそれは 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 6日(火)15時33分02秒

Vita殿、ご苦労様ですぅ、ほんとに。

ところでフレッツ、アナログはだめだと自分で騒いでおきながら、思わぬポカ。
いざ始まってみて、あちゃー、ノートパソコンがつながらない。

あちらが通ればこちらが塞がる。とかくこの世はままならぬ。

また、選択を迫られる。
1,ダイヤルアップ追加契約するか(次の契約更新まで受け付けてもらえない)
2,USB――シリアル変換アダプタを購入(8000円なり)
3,この際、思い切ってLANを組んでしまうか(ルーター、LANボード/カード)
   ――LANは将来的には必要になるかもしれないが、ルーターはどうかなぁ?
4,このまま知らん顔して、ノートはおでかけの供だけにする。

とりあえず、4番で様子を見るしかないかな。


いやあ 投稿者:Vita  投稿日: 3月 6日(火)13時25分58秒

同朋会館へ出張なのですよん。気が重い。。。

ただ、最後の二日ほどは、初めてのデズニランドで(「いってないのボクだけ」は効いたぜ)、
今度は親子で、途方にくれていることでしょう。
うう、気が重い。。。。


なんじゃと〜 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 6日(火)12時26分13秒

Vita殿は、これから3月29日あたりまで、旅行じゃと。いったいこの狭い地球上のどこに
そんなに長く旅ができるところがあるというのか。なんともうらやましい限りです。

さっそく、つれあいから「つながらない」と苦情が、ではしばらく切ります。


フレッツ開通 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 6日(火)12時21分54秒

風邪は、少し鼻声が残っていますが、ほぼ直りました。
明日からの、旅回りまでになんとか間に合いました。

本日、フレッツが開通しました。でもまだ接続時間を気にする意識はしばらく
尾を引きそうです。
TAでの接続でLANも組んでいないので、私以外の3人のネット利用者は、
(まだ)ヘビーユーザーではないものの、時間帯が鉢合わせすることは必至。
私の次に利用時間が多いのは小六の娘。彼女にはこれまで、電話代がもったいないから
やたらにネットで遊ぶなと口うるさく言ってきましたが、これでヘビーユーザーへの
道をまっしぐらに進かもしれない。
フレッツに変更することとその意味を教えてしまったのはまずかったかなと思っても
後悔先に立たずです。
ええいままよ、そうなったらそうなったで、ルーターでも何でも買ってやらあ〜。


らくりん さんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日: 3月 6日(火)05時37分50秒

 らくりんさんが大好きです。蛍さんの時を思い出して下さい。
らくりんさんありがとう。貴方の教えは一生忘れません。

 どうか、気長に見守って下さい。お体をご自愛下さい。
                            愚禿 さちお。


風邪 投稿者:大悲  投稿日: 3月 5日(月)23時14分30秒

長男は、調子が悪くて早退してきました。次女もまたこの子特有の深いセキをしだしました。
次女には、今学校でそんなセキしてたら、皆に悪いから、県立の入試までは休んだほうがいいかも、と言ったら、卒業式までやすんでていい?って、それまでには治ってくれよ!


快方に 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 5日(月)09時19分33秒

大悲さん
ご心配ありがとうございます。だいぶんよくなりました。節々の痛みは引きましたが、
頭痛と眼球の痛みがちょっと残っています。


お大事に 投稿者:大悲  投稿日: 3月 4日(日)22時44分55秒

らくりんさん、風邪とか、まだまだ寒い日が続きます。どうぞお大事に。


風邪 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 4日(日)08時55分17秒

風邪で寝込んでます。昨夜の美川の会だけはなんとかつとめましたが……。
今日はすこし良くなった


 バッテング センターへ 投稿者:松田 幸造  投稿日: 3月 4日(日)04時12分38秒

 バッテング センターへ行く途中 軽四の車に 女の子が後ろ向きで乗っていて
手を振ると、手を振った、なんとなく いいね。かわいいね。


お久し振りです。小生もバカ坊主です。 投稿者:毛坊主  投稿日: 3月 2日(金)21時12分25秒

若い方々のお葬儀は、胸が痛みます。率直に『安らかにお眠り下さい。』死者供養と鎮魂の念仏を
小生などは、心から、称えます。

先般、事故で若いお母さんが、亡くなりました。そのお葬儀の折、納骨の時、小さな遺児の女の
子が、『お母さんの、お骨は、ここにあるのだが・・、お肉は、どこへ行ったの????』
そう尋ねられて、返答に困りました。やっと『大きくなったら解るヨ!!』
お経のテープと本を今度、持って行くから。それでお経を覚えて。『○○ちゃんのお経の声、
きっとお母さんも、天国で聞いて、喜んでいると思うヨ・・・』そう答えるのが精一杯でした。
忌明け法用では、その子は『正信偈』をすらすら読誦できる様になりました。・・・・・
きっとこの子は、立派な成人になると思います。・・・・・思い出すと涙が出ます。・・・・

ところで、小生は、余りTVを観ないのだが、某局の今年の大河ドラマと来年の大河ドラマ。
深読みし過ぎかも知れませんが、どっかで、大きな陰の力(権力)が衣の袖から覗いている様な
気がしてなりませんが・・・・考え過ぎかな???。

http://www.jiin.or.jp/


…… 投稿者:らくりん  投稿日: 3月 2日(金)20時20分24秒


つらいお葬式をしてきました……。


真宗バカ坊主 投稿者:死生  投稿日: 3月 2日(金)20時00分05秒

今日、お葬式を勤めました。小学校5年生の男の子が逝きました。
友だちの一人が代表で「送ることば」を述べました。
中に、入院中の彼らの会話がありました。
「おれ、もしかすると死ぬかもしれん」
「そしたら葬式に来てな」・・・・・
引き続き、クラスメートによる「贈る言葉」(海援隊)の合唱。
知ってる歌であり、唄ったこともあるこの歌が、子どもたちの声によって
初めて聞いたように、やけに染み入ってきました。
あぁこの歌は泣きながら唄うんやなぁ・・・
真宗バカ坊主、畏れ入りました。

後生願いと後生知り顔野郎(後世者)とは違う。
後生知り顔野郎は、わかったような顔でべらべら曰う。
もしくは、人の間違いを見つけて、ニヤッとほくそ笑んでいる。
自分たちだけに通じる暗号を駆使して、
「こんな暗号が使えるオレってすんばらしい」と自分に酔う。
バカが入って来られない壁を造る。
真宗バカ坊主は、そんなブリッ子。
後生願いは、自分の愚かさを聞く。恩知らずに気づく。恥じることを知る。
後生願いになるよりも、後世者ブリッ子を目指す真宗バカ坊主。
あ〜あ聞いたらあかんわ林遊@さん。まさかの暇つぶし者に。
それにしても「地獄に仏」とはまさに、あぁまさにやなぁ。

 なんまんだぶなんまんだぶ・・・・・・憶念彌陀仏本願


ネチケット無いよ〜ん。 投稿者:愚っ朕  投稿日: 3月 2日(金)12時47分02秒

 如来蔵をめぐっての議論。部外者の私がお訪ねしたいのは
その議論のもとになっているとこがわからないという話しです。
先のカキコでは,@(仏教)認識論こんな言葉があるとしてA歴史認識(仏教史
認識)Bテキストを読むという行為(経典解釈学?)がごっちゃになっていますが。
 もひとつ,「如来蔵は実体概念である」とかなんとか批判の的になるようですが,
なぜ実体だったらあかんのでしょう。仏教は「無我」だからですか?それとも
如来蔵思想では現実肯定になるからですか。
どうぞわれこそは一天四海のうち第一の学僧なりと思わない方でもかんたんに
お答えください。それにしても,松田さんはええ味だしてはりますなあ。


お留守居役様 さんへ 投稿者:林遊  投稿日: 3月 2日(金)09時35分49秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

丁度いま読んでいる本に、松本氏の著作についての引用がありました。


第一は客観的な学問論、つまり学問は客観的なものだという考え、またその帰結としての最終的な判断の保留という思想に対抗するためであり、云々。(縁起と空)


どうやら小生は松本氏をすこし誤解していたようです。客観的に自己を抜きにして仏教を論じている方だと思いこんでおりました。というわけで、先日書き込みした学者バカ云々の所はなかったことにしてください。すまんこってす。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


お久しぶりです。 投稿者:松田 幸造  投稿日: 3月 2日(金)05時39分10秒

 今年は2001年です。まこさんに言わすと、地球誕生150億年かな?。
水橋漁港で、真宗信者の方と交流しています。

 若い頃桜木町を飲み歩いたとのこと、23歳ぐらいの時は、天下を取ったこ゛とく
自慢げにする者です。

 我こそは、この世で一番とそらぶくものです。事実私がそうでした。
その頭の上がることしかない自分に気付かして頂くのです。

 なんとなく 77歳でまだ魚業現役です。ドラム缶の火のついた所に手を入れ暖める。
まさに地獄に仏とはまさにです。


Re:主観 客観 酒の澗 投稿者:林遊  投稿日: 3月 2日(金)00時05分56秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

ヘーゲルとか唯識をお出しになって、さて客観とは?と問われると一寸困ってしまいますね。小生はこういう論理はサッパリわからんし(悔)。

質問のお答えになるかどうか判りませんが、家の家内は、お浄土は「ある」とか「ない」とかじゃなくて、私がいるからお浄土はなくてはならないのにねぇ、等と言っています。男は「立場」に固執し、女は「事情」で生きている、などと聴いたことがありましたが、男はどうしても客観的立場に自らを置きたがるのかもしれませんね。で、ややこらしい理屈を構築して、その理屈によって自らや他者を納得させようとするのかもしれません。対外的、客観的に説明可能な手だてをあれこれ画策するのでありましょう。
しかし、そのような誰がみても正しいと思う客観的理屈や論理的推論は、駄目なものダメっ、の一言で家内に却下されちゃうんですから、不条理の極みだったりします(とほほ)。

で、人が生きるということは、実はこのような不条理なるものかもしれませんね。客観的妥当性と主体的必然性に人が生きるということを分けるならば、愚っ朕さんの仰るように、主体的必然性において浄土真宗というご法義を受容していくべきでありましょう。
しこうして、この「主体的必然」なるモノはいったい何であるのか、という考察をお聖教の中に見いだしていくのも、娑婆で生きている楽しみごとであると小生は思ってたりするんですが、ここらへんはストイックな方たちから見れば非難の対象でありましょうね。

何ちゅうんですかねぇ。真面目とか真剣とか命懸けというものは、ひょっとしたら煩悩が燃え盛っていることであるもかもしれませんね。愚っ朕 さんにおかれましては、もう少し余裕を持ってこのご法義を楽しまれたら如何と林遊は思っていたりしますですね。

ps
だいたい真宗のバカ坊主に難しい事を聴いたらあかんですよん。真面目に答えきる坊主は一天四海にいないんですから、困ってしまうじゃないですか(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


非同盟単立非寺院出身者 投稿者:愚っ朕  投稿日: 3月 1日(木)02時24分05秒

 らくりんさん、かたじけのうございます。数々の暴言
お許し下さいませ。林遊さん、また胸をおかりします。
どうぞ、お手柔らかに。お留守居役様、あなたの教養のひろさには
参りました。「不幸な意識」ドイツ語では何というのでしょう。
私は本当に小学校しか卒業しておりませんので有学者です。
 それでは、どなたでもよろしいので質問させていただきます。
(大乗)仏教はインドから中国、朝鮮半島を経て日本に
伝わってきたのですが、堕落・変質・日和ったのか、
発展・進歩を遂げたのか。私には良くわかりません。
 昔、よく坊さん学校の先生に
「お前は道理にたっとらん」「お前は事実にたっとらん」
と良く怒られました。真宗では事実と私の思いが屹立しているので
しょうか。ただ、ひとつの正解,真理,答え,事実,道理があって、
各自の主観,妄想,解釈があるのでしょうか。
私は、複数の各自の主観があって、共通部分が客観とよばれるのだと
思っています。そして、理論的には複数の主観があるものの
私から見た主観が一番、確かめやすいのではないかと思っています。
ですから、仏教が真理か真宗が真理かよくわかりませんが、
自分の胸に一番響いてきたのが親鸞様、法然様の教えだったのですけど。
唯識などは複数の主観を前提にしているのですか。客観はどうやって
確かめるのでしょうか。


愚っ朕、がんばれ〜 投稿者:らくりん  投稿日: 2月28日(水)14時22分27秒

愚っ朕さん、
あまりかまってもらえないみたいですね。
いじけないで、なんとか振り向いてもらって下さい。


似て非なるもの 投稿者:林遊  投稿日: 2月28日(水)07時17分14秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。


 「真実を宗とする」のが真宗ですというお言葉を
聞いたことがあるのですが,似ているようで似ていないのが 
 「真宗を宗とする」というものだと思うんですが…


するどいですねぇ。林遊は、多分愚っ朕さんとは違う意味で、「真宗を宗とする」似非坊主に嫌がられながらも(笑)いちゃもん付けてたりしますです。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


Re:聖道門は仏教か  投稿者:林遊  投稿日: 2月28日(水)07時07分45秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。
 
聖道というのは仏道の異名でしたね。で、浄土門というご法義から見て聖道門と呼称したのでしょう。ただ、大乗仏教運動家が自らを大乗と呼び、保守派を小乗と貶称したのとは意味が全く違うのでありましょう。聖道門という仏教体系は素晴らしい教えだと林遊は思います。しかし、時々このご法義の中のバカが聖道門を貶めたりしますが、何ちゅうこっちゃろと思ってたりしますですね。

で、小生は松本先生の著作を読んだことがないのですが仰りたい事は分かるつもりです。ここいらへんは、無我とか非我とかで「読み解く」でやりあったような気がしてますが、もっと強烈に「浄土真宗は仏教ではない」くらいにやってもらえれば有り難いのにと思っています。別に田舎の一門徒が心配する事じゃないのでしょうが、世俗化と邪宗への道をころげ落ちているのが、最近の浄土真宗かもしれないですね。どこまで落ちたら気がすむんじゃろ(悲)。

ところで他力・自力に関して「阿弥陀さまがご一緒」のbbsに期間限定講義録がupしてありますので暇があったら読んでみてくださいまし。多分参考になる?と思います。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


真宗とはなにか 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月27日(火)23時19分26秒

「浄土の真宗」とは、聞いたことがありますが、
>「真実を宗とする」のが真宗です

>「真宗を宗とする」
も聞いたことがありません。
いずれにしても、人がどう言え、
まずは、親鸞の言葉を聞くべきと考えます。

ついでに言えば、ヘーゲルの
>不幸の意識

「不幸な意識」の誤記かと思われます。


聖道門は仏教か 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月27日(火)21時35分06秒

自力聖道門という言い方もされるので、
聖道門は自力であると思われていますが、
法然聖人は、『選択集』で自力・他力で聖道門を区別していないようです。
林遊さんにすっかり嫌われてしまった松本先生の指摘によれば、
善導と法然聖人は、他力ということを言わなかった。
他力をいう親鸞聖人は、
曇鸞・道綽の系列に属するといえるのではないか。


>お留守居役様 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月27日(火)21時12分36秒

 こんにちは。かまほって,もとい,かまってほしい
グッチンです。
 「真実を宗とする」のが真宗ですというお言葉を
聞いたことがあるのですが,似ているようで似ていないのが 
 「真宗を宗とする」というものだと思うんですが…


Re:親鸞思想は仏教か 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月27日(火)20時42分58秒

林遊さん、大悲さん、おそれいりました。

親鸞思想が仏教かどうかなどという
ブランドにこだわることはないということですね。
実存主義者を名乗る私として恥ずかしいです。
小林秀雄先生の有名な啖呵
「美しい花がある。花の美しさなんてものはない」
になぞらえて言えば、
仏教一般を信じているのではなく、
親鸞聖人の教えを信じているのだ、と。
あるいは、
仏教は、親鸞思想となった
とでも言うべきであると思っています。


Re:親鸞思想は仏教か 投稿者:大悲  投稿日: 2月27日(火)12時21分34秒

やーー、むかしむかし、某フォーラムで「聖道門は仏教ではない」ていう発言をして、らくりんさんからご助言いただいて、そのままほったらかしにしている大悲です。

子供友達のお母さんとしゃべっていて「門徒って仏教じゃないんだよね」っていわれてびっくりした事がありました。住所地での主流派は曹洞宗です。しかも三十三ヶ寺の曹洞宗寺院街が観光名所になっておりまして、彼女の云いたかったのは「そこの有名寺院ではない」ということでありました。こちらでは真宗のことを単に門徒あるいは門徒宗といいます。お隣の秋田県では一向宗と呼ばれています。

たんなるいい間違いであり、勘違いだったのですが、自分の中にはしっかりと着床(^.^)してしまいました。彼女は、もう覚えていないでしょう。ま、そんなもんですわ。

生死の苦海に沈みっぱなしの私の口からお念仏が出てくるのはなんでやろ。


一応、管理人です。 投稿者:らくりん  投稿日: 2月27日(火)09時51分41秒


>ここの掲示板はその理屈編ってわけか〜。
それ「も」ありです。
理屈こきは、けっこうどこでも嫌われますからね。

バトルフィールド(戦場)オンリーのような掲示板もありますけどね。
そればっかりでも疲れますが……。


ReReReのレ〜 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月27日(火)09時31分45秒

 お出かーけでーすか〜 ちゅーだぱんたかは
ものおぼえがわるいんですよ〜
ほうきかたてにクリーンクリーンクリーン。
きゃくじんぼんのうってなんですか〜。


Re:純粋まっすぐ君 投稿者:林遊  投稿日: 2月27日(火)09時15分48秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

あそんで欲しいなら遊んで欲しい、って素直に言えばいいのにねぇ。
でも、その一言がなかなか言えない子って多いんでしょうね、最近。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


純粋まっすぐ君 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月27日(火)07時20分01秒

 もうすぐ書き込みも出来なくなるっちゃ。ヘーゲルという外道の
学者さんが面白いこといってるちゃ。人間はおれはおれだということを
主張したがるんだって。で、青年期にそれを求めて厄介な回り道するんだって。
自分が何かものをいうとごちゃごちゃいわれるからだんまりを決め込み自分を
守るのがまずひとつ。
そして、今度はも少し手が込んでて人の意見にあれこれいちゃもんをつけて
揚げ足を取るのが二番目。
で、そのあと一番たちがわるいのが、絶対とか完璧とか思える理屈を身につける。
ヘーゲルのおっさんの時代はキリスト教ですけど、そんでそれに
一致しようとするやり方をとるんだって。
真宗の人の中にはクリスマスなんかやらないとか
神祇腐敗だとか、おふだおみくじ絶対反対みたいな
純粋まっすぐ君がいますなあ。
でもへー先生。それを不幸の意識っていってます。
つまり上には上がいて、すべてをその理論やら教えやらに
魂ささげるやつがいて限りなくエスカレートすると殉教するやつも
でる。ふえ〜。仏教って真宗って解放とか解脱とか救われるとか
自由になることと思ってたけど随分不自由なもんだ。
そんな仏教もどきならいち抜けた。
ここの掲示板はその理屈編ってわけか〜。


Re:後世者ぶりっ子  投稿者:林遊  投稿日: 2月27日(火)01時37分46秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

ふ〜ん、でぇ、あなた様におかれましては「後世者」というのはどのような文脈で語られる人間、または世界観でありましょうや。

家のじいさんとばあぁちゃんは、世間から後生願いと後ろ指をさされながら「お聴聞」に励んでおりましたが、あなたさまはいかほどのお聴聞をなされたのですか?。まさか林遊みたいに、生きてる暇つぶしにお聴聞をしたのではありますまい。

さぁさぁさぁ、「後世者ぶりっ子」なる語の説明をして林遊を納得させてごらんなさいましませ。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


Re:親鸞思想は、仏教か?  投稿者:林遊  投稿日: 2月27日(火)01時27分55秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

おおっ、挑発的なタイトルですね。我が意を得たりみたいな所があってワクワクしますです。ひょっとしてお留守居役様 さんは他心通(他者の考えている事を知る力)をお持ちじゃないのかと思ってしまいます。これは冗談ではなくほんまの事です。為念。

これは前にも書いたことがあったかも知れませんが、林遊は浄土真宗のご法義が仏教だなんて全く知らずに、このご法義に遇わせて頂いたバカタレだったりします。何と言いますか生まれながらの門徒であったせいか、オブッタンの前でなんまんだぶつを称えるじじばばに育てられたせいか、このご法義が仏教であるなんて少しも考えませんでしたね。
で、まあ、なんまんだぶつを口にするようになってなってから、このご法義の仕組みはどうなっているんじゃろ、と御開山のお書き物を拝読するにしたがって、このご法義を仏教というのだと知ったわけで、ここいらへんはまるでバカですね。何と言いますか、弥陀の本願が小生にとってのスタートでありアルファでありオメガであったんでしょうね。

で、「中国思想の影響をどう評価するか」云々でありますが、中国思想(ホントはシナ(チャイナ)と書きたいんですが、素朴な言葉狩りを楽しむ方々に遠慮してます(笑))を全面否定しているところが、お留守居役様 さんの理解、把握している意味での松本史朗『法然親鸞思想論』であるならば、松本のおっさんはアホじゃと言わざるをえないと思いますです。松本先生はドグマに陥った「中観」論者かもしれませんね。

なにはともあれ、親鸞思想は、仏教か?という問いにまともに答えられる、やからはらからはこのご法義内には皆無かもしれませんです。まあ歎異抄中毒の経験至上主義者の中は、経験のみを真実とする救済論者が少しくはいたりしますですがねぇ。

ちゅう前置きですが、はたして「如来蔵思想」なるものがA・B・Cなるもので分類できる思想、いやまた自己把握の思想なんでありましょうや。AはBでありCでありまたAでもないBでもないBでもないというのが御開山の思想であると思いますですね。自らの内に何らかの思想を惹起したとき、それを虚仮と御開山は仰るのだと林遊は思いますですね。それが義なきを義とすという思想?でありましょう。この義なきことを山ほどの「言葉」で論述しなければならないのが、「教行証文類」という書物ではなかろうかというのは林遊の妄想であったりします(笑)。

PS
それにしても、林遊は酔っぱらってぐちゃぐちゃ書いていますので、マジに読んだらいかんですよ。浄土思想ははたして仏教なりや否やということを真面目に追求せなあかんぞい、そこのくそ坊主と思ってますです(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


後世者ぶりっ子 投稿者:死生  投稿日: 2月27日(火)00時35分08秒

いかなる悪を、本願ぼこりという、
いかなる悪か、ほこらぬにてそうろうべきぞや。
かえりて、こころおさなきことか。


追記:親鸞思想は、仏教か?  投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月26日(月)22時52分27秒

↓出だしがコピーもれでした。すいません。m(__)m

>インド文明に端を発しギリシャ文明と交流しつつ、
>中国文明の奥の深さに涵養され、

>全仏教思想史
それ
>をひっくり返す思想

>我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗


親鸞思想は、仏教か? 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月26日(月)22時48分03秒

>我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗
だといたしますと、語感的にひっかかるのは、
>奥の深さに涵養され
です。
これは良い意味で言われていることかと思います。
素晴らしく美味しいとは言っても、
素晴らしく不味いとは言わないものです。
で、これ
>をひっくり返す思想
は、
底の浅いわざとらしい表面的な見た目だけの思想
であることになり、これが浄土真宗であることになります。
冗談はさておき、
インド仏教に対する中国思想の影響をどう評価するかに
問題の所在があるかと思います。
松本先生や私などは、中国思想を全面否定していますが、
林遊さんは、「ひっくりかえす」とは言われても、
高く評価されているのではと思われます。
ということは、「ひっくりかえす」のではなくて、
斜めにしたというところではないでしょうか。

松本先生は、中観派から出られた方で、
当初から瑜伽行派、唯識派とは対立していましたが、
これらやバラモン教、密教、禅宗、本覚思想などに共通する構造として、
ダ・ツー・ベーダ説(基底説)と評していましたが、
それをさらに普遍化して「如来蔵思想」と言うようになり、
「如来蔵思想は、仏教ではない」との主張となりました。
私は、「蔵」が「種(たね)」とか「本性」という意味だとすれば、
仏教の無我説に反すると思っています。
さて、図式化すると、
A 親鸞思想は、如来蔵思想であるから仏教である。(林遊さん)
B 親鸞思想は、如来蔵思想であるから仏教でない。
 (親鸞思想は、一部分如来蔵思想である。)(松本先生)
C 親鸞思想は、如来蔵思想でないから仏教である。(お留守居役様)
となるのかと思います。


質問 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月26日(月)15時05分31秒

 いつ頃から,法義用語をこねくりまわさなければ
阿弥陀さんの救いにあずかれないことになったんですか。
法然上人の「選択集」にありますか。
聞法歴20年以上とか大学院レベル以外のものは,
道場に入るべからずとらくりんバンバンの掲示板に
但し書きしといてください。恥じかきます。


ルサンチ慢 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月26日(月)14時38分48秒

難しい話をわかりやすく語るのは難しいや。
簡単な話をもってまわって大層な話にするのはやさしいや。
竹刀ないから,空手や合気道でもいいんだにゃ〜。
現場無き法義談義は机上のクーロンだなあ。


おわっちゃったか 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月26日(月)12時07分50秒

 浄土宗のアミ打算はすわっておられるけど,
真宗の編み出さんはたっておられるにゃ〜。
よろず悩み事相談が蓮如さんのお香だったようだったような
気がするぴょん。終わっちゃった人がすわったままの
真宗にはお客さんこないぴょん。誰も相続しなくなるぞぴょん。


Re:お山の対象  投稿者:林遊  投稿日: 2月26日(月)12時02分54秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

よろず心配事相談所と浄土真宗というご法義を、ごっちゃにしちゃうとワケが判らなくなるんじゃないかなあ。言葉の問題なら、竹刀なしで剣道が出来ないように、ある程度のテクニカルタームを使わなきゃご法義談義は出来ないと思いますよ。

ただ、ここいらへんの言葉の難しさについては、地方によって温度差(把握度)があるのかも知れません。昔はお聴聞によって鍛えられ、あたりまえであったご法義用語が今はもう専門用語になってしまったのかもですね。小生もこの様なお聴聞に鍛えられた千馬万馬のじじばばにいじめられたものです(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


Re:如来蔵2  投稿者:林遊  投稿日: 2月26日(月)11時42分36秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

ootubo さんお示しの、如来蔵に関する両説はともに正しいのだと思います。
たしか、如来蔵に関しては三つの意味があったと思うのですが、忘れました
です。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


Re:かたわらに問う 投稿者:林遊  投稿日: 2月26日(月)11時32分32秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

後段の意です。

で、仏教が、インド世界だけに通用する仏教のままだったら、とっくに滅びてしまっていたのではないかと思います。(あ、もう本国では滅びているか(笑))
たしかに仏教流通の過程で異なる文明との接触により、受容する側には、誤解、錯覚、思いこみ等?などがあったのでしょうね。もちろん今日のように経典成立史などの学問はあまりされませんでしたから、一見矛盾する膨大な経典を、理解/受容する側は非常な苦労を要したのでありましょう。
「読み解く」で話題になっていた「是報非化」なる論義も、出来上がった体系の中で考えれば、善導大師は何でこんなにムキになるのだろうと思ったりしますね。ある意味では凡夫が救われねばならんのだ!という善導大師の筆勢でありましょう。
そのような意味で言えば、小生にとっては、如来蔵非仏教説などの論義は何を仰りたいのかチンプンカンプンだったりしますね。
もちろん親鸞聖人は如来蔵・思想の影響をたっぷり受けておられますが、如来の説明の論理として使用されているのか、その発想そのものを受容されているのかは聖人のお聖教から読みとるしかないのでありましょうね。

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如来蔵2 投稿者:ootubo  投稿日: 2月26日(月)07時48分59秒

三吉さん、レスありがとうございます。
如来蔵は辞書に、「すべての衆生の煩悩の中におおわれ蔵されている、
本来清らかな如来法身」と書かれていますが、なにか気にかかっていました。
古田教授は如来蔵を実体的と指摘してくれました。


ootuboさん 投稿者:三吉  投稿日: 2月26日(月)06時31分18秒

古田和弘大谷大学教授の請売ならば、氏は「あほ」だと私は思う。
証巻冒頭御自釈は「如来蔵思想」そのものではないかと私は思う。
「大乗起信論」からの影響あるんじゃないかな。。。
「如来蔵」という語はないが「真如」という語があるではないか。
「真如はすなわちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、
報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。」とは如来蔵思想以外ならば、
いかなる思想を根拠にしていると古田氏はいわれるのであろうか。

「我々の身体の中に如来が宿っているという考え方です。」
親鸞は煩悩を我等の主体と見ていると思うが、その下の仏性を如来と見ているではないか。
上記古田氏の発言を如来蔵と抑えるならば、
まさしく、信巻の涅槃経の引用は如来蔵を語っているのではないだろうか。

古田さんはだ、学内政治ばかりに奔走せずだ、少しは勉強してくれ。
お願いしておく。


かたわらに問う 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月26日(月)01時06分11秒

>インド文明に端を発しギリシャ文明と交流しつつ、
>中国文明の奥の深さに涵養され、
>東アジアの末端に位置する、
>我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗という、
>全仏教思想史をひっくり返す思想

このお言葉の意味ですが、
>インド文明に端を発しギリシャ文明と交流しつつ、
>中国文明の奥の深さに涵養され、
たのが
>我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗
なのでしょうか。
それとも、
>インド文明に端を発しギリシャ文明と交流しつつ、
>中国文明の奥の深さに涵養され、

>全仏教思想史
それ
>をひっくり返す思想

>我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗
なのでしょうか。


如来蔵 投稿者:ootubo  投稿日: 2月26日(月)00時19分27秒

お母さんのお腹の中に子供が宿っているように、
我々の身体の中に如来が宿っているという考え方です。
これは極めて実体的な、霊魂みたいな要素が加わった発想です。
密教では胎蔵という事は非常に大きな問題ですが、その根っこが
如来蔵という思想にあるわけです。
親鸞聖人は全然注目しておられません。
以上、古田和弘大谷大学教授の請売ですが。

うーん難しですねえ。林遊さんみたいに、すぱっといえません。
実体的な意味は全然なくて、あり方そのものをいう仏性とは
全然違うわけですが、何か実体的なものにとらわれてしまいがちです。


お山の対象 投稿者:具ッチン  投稿日: 2月26日(月)00時10分47秒

 まあ、みなさまの議論は本当にわかんないです。
なんか具体的に生活の必要上お話されとるんですか。
まあ、暇つぶしか。私も同じ穴のうなじか。
10日ほど前,会社の人の知人が、お父さんをなくされ
臨済宗のお坊さんが「居士」をつけてやるから
400万出せといわれて困ったという話をききました。
さらに、3日前別のアルバイトの女性が
実家の浄土宗のお寺がお布施を5万円要求してきて
負けてくれといったらあかんといわれたそうです。
実家は昔羽振りがいい服やさんだったけど、最近さっぱりだそうです。
こんな庶民いじめの坊主はガラガラポンです。
さて、そんな坊主の権威を高めているのが
普通の人にはわからない言葉で語られている
信仰でもあると思います。もっと一般の人がこの
掲示板をたまたま読んでもわかるような
お話してくださいね、具ッチンからのお願いだぴょ〜ん。
みにもみでした〜。


超高齢女性心 投稿者:林遊  投稿日: 2月25日(日)23時43分25秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

書き込んでからふと思ったのですが、「信仰」という語(ことば)が誤解されるかも知れないということで、善男子、善女人におかれましては、「信」ということが何を意味するのかということは下記で論じている林遊の戯言をご覧下さいましませ。

ps
ちなみに、超高齢女性心というのは老婆心のことです。禅門で弟子を育てるために懇切丁寧に婆ちゃんが孫を可愛がるように教えたという故事から引用していますです。あるところで超高齢女性心という語を使ったところ、林遊はばぁちゃんかと思われたので為念。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://access-jp.net/cgi-bin/login


かたわらに人なきがごとし 投稿者:林遊  投稿日: 2月25日(日)23時19分25秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

う〜ん、小生は松本史朗先生なる御仁を存じ上げないのですが、もしお留守居役様さんが仰るような事どもを真面目に仰っているの「ならば」、イカレポンチでありましょう。

如来蔵思想なるものは私の存在理解を説明する論理ではなく、私以外の他者の存在をどのように見てさしあげるかという文脈で理解すべきだと小生は思っていますですね。もっとも、『法然親鸞思想論』なる書物を読んだことはないので、〜ならばという仮定法ですがアートマン否定に躍起のあまり、インド文明に端を発しギリシャ文明と交流しつつ、中国文明の奥の深さに涵養され、東アジアの末端に位置する、我が親鸞聖人によって開顕された浄土真宗という、全仏教思想史をひっくり返す思想を、全く無視するか知らないで書かれた書物かもですね。どうでもいいことではありますけんど、余宗の信仰なき学者先生が、このご法義を見る目はそんなもんでありましょうや。あほらし(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


>「他人は他人」 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月25日(日)15時03分24秒

わたしは、わたしということで、
何からくりんさんに誘われた気がしましたので、
松本史朗『法然親鸞思想論』の読書途中ですが、ご報告いたします。
その218頁以下で、松本先生は、
『浄土論註』冒頭の「易行道とは」以下の文を引用して、
同文を『選択集』に引用した法然聖人も認めたと思われるが、
浄土教の一般的な立場は、
念仏→往生・不退→成仏
という立場であろう。
これに対して、
>「不退」を「往生」以前に、
>つまり、「現生」の「信心」獲得の時点に設定したことは、
>やはり親鸞独自の説と言うべきであろう。
と述べられて、
信心=不退→往生=成仏
が親鸞聖人の説であると示されています。
かつては到達不可能と思われていた「不退」を
「現生正定聚」説として一段階ずらしたので、
>親鸞においても、「往生」と「成仏」の時点が完全に同一であるとは
>明確には主張されていないが、(中略)
>「成仏」も「往生」後すぐに得られるというように
>主張せざるを得なかったのである。
かくして「往生即成仏」という説が成立することになった。
『教行信証』に「生死即涅槃」という語が見られるので、
「凡夫」が「信心」によってすぐに
「正定」「不退」になることを可能にならしめる
「同一性」の原理を説いているように思われ、
「同一性」の原理とは、如来蔵思想の根本的立場
そのものにに他ならないのである。
と述べられています。

私の立場は、
信心=不退→往生
であることに変わりはございません。


勝手に注目 投稿者:しん  投稿日: 2月25日(日)11時27分52秒

しましたが、じつは「教行信証を読み解く」の読書会のカウントと並んだんですね。
後発の掲示板が並ぶということは、こっちのほうが注目されてたりして。


おお〜、並んだ 投稿者:らくりん  投稿日: 2月25日(日)11時10分45秒

上の題名のことは、なんのことだか分からなくても気にしないで下さい。
私が個人的に密かに注目してきただけのことですから。


瀧さん、ようこそ
皆さんからの、いきなりの大歓迎でちょっと面食らっちゃいましたか。
ここに登場して下さる口の悪い人たちは、
なんだかんだ言っても、もうけっこう長い付き合いになっているので、
まあ、私としてはそれなりに安心して見ていられます。

どこの掲示板でもそうですが、肌が合わない人はやっぱりすぐに疎遠になっちゃいま
すね。
だから、いろんな掲示板があっておもしろいのではないですか。
瀧さんのところにも、あいさつしようかと思って、ちょっと書いたんですが、あっと
いう間に閉店予告が出てしまって、なんだか出鼻を挫かれてしまって、アップしよう
とした文章を消してしまいました。

今後ともよろしく。

「理解」と「誤解」は紙一重どころか、実のところはどこまでも区別はつかないんじ
ゃないかと思います。

来るものは拒まず、去る者は追わず。

顔を見なくてもすむというのは、なんだかんだ言ってやっぱ気楽ですよ。

私の場合、ほうぼうで「掲示板読んでますよ」と言われることが多くなって、
なんか、がらにもなく謹み深くなってきたかな、
と苦笑いしております。

ここのように、傍若無人な人たちが跋扈する掲示板の管理人というのは疲れるます。
「もう、このクソ忙しいのにみんな勝手なことをほざいてるんだ」と言いたくなるよ
うなこともありましたが、そんなことも含めて、私にとってはけっこう楽しみになっ
ています。ですから、みなさんどうぞご遠慮なくご活用下さい。

ただ、ここは、どうも、かなり気合いを入れて覚悟しないと書き込みできない雰囲気
になっているかなという感じはしております。
初めての人はともかく、
ここで気楽に書けるのは相当肝がすわった人か、ちょっと「おきらく」な人か、
「他人は他人」と割り切れる人ような気がします。

どの掲示板も、成り行きとか行き掛かりはありますからね、それが掲示板の歴史にな
っていくのだと思います。私は、この掲示板の過去ログをhtmlとテキストファイルで
保存していますが、テキストファイルの方は700キロバイトを越しました。単行本
にして2冊分ぐらいの分量になります。けっこうな財産です。


私もご迷惑おかけしました。 投稿者:瀧   投稿日: 2月25日(日)07時00分37秒

死生さんには、ご無礼なこと申しまして、心より反省しています。
死生さんは名古屋まで来るとまで言って下さり、ただただ恐縮しています。
私もあつくなりすぎておりました。深く深くただお詫び申しあげます。
らくりんさん、今度の本楽しみにしてますよ。2月には出ると書店で聞いて
おりましたので、楽しみにしていたので残念でした。でも、楽しみは後に
とっておいた方がよいですね。お体にはくれぐれもご自愛ください。

                     お恥ずかし坊主より


つかの間の解放感 投稿者:らくりん  投稿日: 2月23日(金)17時28分12秒

一応、この掲示板でのヒートアップもひと段落したみたいですね。
もう少し、楽しめるかと思ってましたが、ちょっとあっけなかったかな。

いきつけの掲示板にちょこちょこあいさつしてまわっています。

それだけでも、いかに解放感を味わっているか、
逆に言えば、これまでいかにストレスが鬱積(こんな字は手では絶対に書かない)
していたことか。


高尾先生おすすめです 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月22日(木)18時14分28秒

 ちょっとあの世に戻る時間ができたのでもうひとことふたこと。
高尾先生,御本の中で禅宗のお葬式に出た際,鳩とばしたりする
演出に会うてかなわんと歎いてはりました。もうちょっと何とか
ならんのか仏教の葬式と。
 仏教とキリスト教ゆうたら,八木誠一さんと秋月龍ミンさんの
対話が有名ですが,まあ高尾先生も滝沢克巳さんに影響を受けて
おられますね。でもほんま,一般のクリスチャンと仏教徒が
対話できんのかなあ。私,新宿歌舞伎町にあるエポペという
神父さんのバーへ東京坊主バーに遊びに来ませんかとお誘い
してみたんですが誰も来はりませんな。わたしゃエポペに
ボトル置いてるけど。エポペには,また某仏教新聞の記者さんとか
よく行かれてるようですが。う〜ん,タコ壷の中でタコ壷教義問答
やっててもしゃあないように思うんですが。
 まあ,よそさんのことは,よそさんでほっとくのがいいのかな。
あ,そうそうお葬式や中陰に関して。うちの会社のひとは山形の
人です。お葬式はやっぱり坊さんいりますって。普段死になれてない
もんがうろたえるかも分らん席で坊さんは式進行に必要ですって。
ほんで,七日七日ごとにお花かえたり坊さん迎えたりして慌しく
してるうちに動揺もおさまり,やがて身近な人の死の意味を考える
ということが始まってええやないかといってはります。そういうて
くれはってホンマこっちもありがたい。


朕は葦原将軍なるぞよ 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月21日(水)18時05分19秒

>林遊は有り難いこっちゃと思うかもしれません。
 
 どうも,私ごときのカキコにお相手してくださって感謝感激,多謝あられ。
報謝の気持ちは抑え難く,やみ難いものがありますれどもここにずらずら
書き連ねますれば私までもが,煙もうもうたなびくレギュラー陣になりかねまする。
ひとまずここは,おすすめ本をもって早々に立ち去ることにいたしませう。
 法政大学(今春で辞められるそうでおじゃる)の先生で春秋社から『ブッダとは誰か』
の著書もおありになられる高尾利数先生の御本がよろしいかと存じます。
 『聖書を知る辞典』東京堂出版あたりが,入門的でございます。私故人は,
「ウラミねたみそねみやっかみひがみ」いっぱいの,今はこの世をうらめしゅう
さまよう凡夫なれども,キリスト教の神さまの御心は,仏教徒の一方的なる思議に
よって果たして計れますやいなや。


ふむふむ 投稿者:らくりん  投稿日: 2月21日(水)11時05分45秒

林遊さんの泣き所はここか。
「メモ」しとこ。


Re:聖書のおことばより  投稿者:林遊  投稿日: 2月21日(水)03時42分31秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

で、釈尊の見いだした縁起の法と、愚っ朕さんの仰る「災いの神」としての、妬みの
神の思想とはどのようなものであるか、もし、お示し頂ければ、林遊は有り難いこっ
ちゃと思うかもしれません。ぜひぜひお示しを。  

   なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


聖書のおことばより 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月21日(水)01時13分07秒

 わざわいなるかな,わざわいなるかな○○人よ。
人のために仏法があるのであって,仏法のために人があるのではないぞよ。


念のため 投稿者:大悲  投稿日: 2月20日(火)23時40分58秒

↓の「ここ」は住所地のことです


お寺への愛着 投稿者:大悲  投稿日: 2月20日(火)23時02分54秒

ここへ来て、一番驚いたのは、ご門徒の方がおいでになった事を、寺に住む人々が「お客さんが来た」と表現していることでした。ご門徒もすっかりお客さん。報恩講のときは、日当を払って近所の方にお手伝いを頼みます。
お寺であれ、地域の行事であれ、自分たちが手をかけて維持していく習慣の土地から来ると、大変に不安でした。その不安は的中しました。

昨日は、小学校の参観日でした。その後の話の中で、昔は校庭の草むしりやらプール掃除やらに子供たちが関わっていたが、今は業者を入れたりしてしまっている。仕上がりは二の次にしても、汗を流して、自分たちの環境を整えると校内の様子も変わってくると思う。という意見に皆うなづく。


Re:拙寺のお御堂  投稿者:林遊  投稿日: 2月20日(火)22時43分24秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

小生、何かこういうフレーズにはめちゃくちゃ弱いので、思わず目頭が
熱くなってしまいました。少しくらくりんさんへの認識が変わったよう
な気がしています。何はともあれよいお話を聴かせて頂き、ありがとう
ございました。

   なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


校正、つまんない 投稿者:らくりん  投稿日: 2月20日(火)16時41分07秒


あと一息で、第五巻の二度目の校正が終るというのに、机に向かうとすぐに
息抜きしたくなります。そればっかりです。

死生さん、
「迷惑」だなんてとんでもありません。

メールをいただいた方に、ちょっと勘違いして「死生」さん宛てのつもりで返事を書
いてしまいました。それを少々書き直して、転載しておきます。


ここは、昨年の四月にオープンして以来、
それこそ「罵倒」に近い非常に強烈なやりとりがしばしばありました。

この数日の展開は、ここでは軽いジャブ程度のようなものです。
みなさん、ああいう挑発的な書き込みで、お客様を歓迎すると共に、
顔が見えない新顔さんの、器量とか度量をはかっているようなところがあ
るみたいです。
相手の顔が見えないネット掲示板では、相手の器量を推し量るには、
ケンカをしてみるのが一番てっとりばやいのかも知れません。

そんな雰囲気が嫌で、ここから去っていった人もたくさんいますし、
それが面白くてROMして下さっている人もいるみたいです。
ここのところはは、ずっとおとなしい感じが続いていました。

いつ「林遊」さんが飛び出してくるかわからないので、
常連さんたちはちょっと「警戒」しているような感じがあります。

久しぶりのヒートアップです。
私も最初の頃は、掲示板の名に恥じないほど「バンバン」言いたい放題の
ところもありましたが、
管理人があまりヒートアップすると、収拾がつかなくなることもありますし、
本名が割れているので
あまり「品位」を落とすような振舞いもしたくないので、
すこし抑えるようになりました。
というわけで、
「らくりんボチボチ」に看板を付け替えなければならないかななど
と思案しているところです。

これに懲りずに、たまには、熱い人たちをひやかしてやって下さい。

聞法道場、ぜひ開いて下さい。
そう意欲のある人をバックアップする体制がないのが、この宗門の情けないところで
す。

あせらず、あわてず、あきらめず。

自分では、なかなかそうはいかないのですが、
人に向かってはこんな言葉は気楽に言えるもんです。


拙寺のお御堂 投稿者:らくりん  投稿日: 2月20日(火)10時46分12秒

は、明治時代に建てられたものです。
何の変哲もない、建物ですが、お誉めいただくと非常に嬉しく思います。
少々、自慢させて下さい。

かと言って、大挙して見物に来ていただいても困るので、ご勘弁を。

山奥の小さな村で、30件そこそこの同行衆が、あり余る才能と人力と、
なけなしのサイフをはたいて建てられたものです。
山村ですから、山と木のプロがたくさんいらっしゃいました。
それで、自分たちで山で木を探し、切り出して、手で木挽(こびき)し、柱を削り、
そうしてまさに手作りで作り上げられたものです。
私の父親の世代は、まだそのころの人を知っていますので、法事やお通夜の席などで
「あんたのとこのじいちゃんは木挽の名人だった」という話が時々出てきます。
切妻屋根ですから、外観はいわゆるお寺らしくはありませんで、鐘楼がなければ大き
な倉庫のような感じです。
大雪地帯ですから、とにかく、それはもう頑丈な作りです。と思います。
お内陣は、金箔を貼ることなんかできませんから、柱や床板にまで欅がふんだんに使
われています(金箔を貼ってあるお内陣は、木肌が見えなくなりますから、あまり
上等な資材は使わないのが普通だそうです)。
手で削り出した丸柱は、よく見ると削った跡がわかります。
年に1度の人夫(にんぶ:総出のお磨き・大掃除)で、その欅を胡桃の実で磨き、
欅の風合いがとてもよく出ています。
できるだけお金を使わずに、自分たちの手と頭を総動員して作った建物は、
今となっては一番ぜいたくなものになっています。
素材の良さ、同行衆の手間のかけ方、そして外陣の広さ、これらはどこに出しても
恥かしくありません。
見苦しい「自慢」と思われる方もいるかも知れませんが、
このお御堂に関しては、私は「謙遜」などするつもりは微塵もありません。
貧しい山村の人たちが、これだけの人数で、よくもまあこんなものを作って下さった
ものだと……、
これを書いているだけでも、涙が出そうです。

とは言うものの、
その歴史に見合うだけの、お給仕ができているかとなると、
住職夫妻、私とその連れ合い、全員、ずぼらなもんですから、
失格です。
私たちのような怠慢人には、もったいなすぎるお御堂かも知れません。
こんなことを書きながら、つくづく、人間ちゅうのはどこまでも横着になるもんだと、
反省の真似事のような気分にひたっております。
まあ、そんなもんです。
これでは「真面目なお坊さん」の仲間には入れてもらえないかも……。

お参り、ご聴聞は大歓迎ですが、くれぐれもお御堂の見物にというのはご勘弁を。


瀧 義範さんへ 投稿者:三吉  投稿日: 2月20日(火)07時25分13秒

貴HPを見ましたら、「ナイーブすぎた」と反省されてました。
そのとおりです。あなたはセンガホソスギル。
いらぬ心配をしてしまいまする。
私は、大谷大学卒なんでその意味であなたの後輩です。85年入学です。
さて私は、今のところ宗教を必要としてないのですが、あなたのHPでの発言
「宗教を必要としない人は、ある意味で自分自身をごまかすことが上手いからこそ、
必要ないと言えるのかもしれません。」
というのはどこぞで聞いたことのあるような言葉ですが、
あなたがなぜそー想われるのか、展開して下さい。
私が「何を誤魔化しているから」宗教は必要ないのか、ご教示ください。
私のことは私の掲示板を参照していただければ、少しはわかるはずです。

私の本名が知りたければ、久留米教区の九州教学研究所の主任研究員の方も幡谷ゼミ
だったヨウナキガシマス。その線でお調べになればわかるとおもいます。


思い上がり 投稿者:死生  投稿日: 2月20日(火)03時08分29秒

 何度も何度も、らくりんさんからのお話しを
読み返しました。最初のお話しで、全部
お応えいただいているのにもかかわらず、
自分がまた発言していることは、
もうしゃべる必要もないことでした。
せっかく聞いたのに同じことをくり返しました。
ここの投稿者のみなさんの話し合いに、
応えられています。
思い上がったまんまに、愚痴っています。
これからも、掲示板を楽しみにしています。

あっ東京vowzbarの坊主くずれ(くずれ坊主かな)の方です。
「死生」という‘HN’は、大阪の友人からいただいたもので
とても気に入ってるので使っております。悪しからず。


ご迷惑かけます 投稿者:死生  投稿日: 2月20日(火)00時57分23秒

 えー、瀧先生さん、あなたのHPにカキコミした「死生」と
この<落鱗板々>の「死生」は同一人物です。
 「もし同一人物なら真宗がダメかもしれない」
なんてクチを、どっからたたいているのか理解に苦しみます。
私が本当にダメ坊主であれ、何をそんなに嘆くのですか?(あぁ嘆くかぁ…それはそうや)
まぁ私がダメであっても、真宗までダメになるわけがないのです。
こんなことを瀧先生に決められても困るばかりです。絶望することはない。
 ただ、この掲示板に登場されている方々とネット上でも
お話しをしたいと思っているわけです。瀧先生のところの
掲示板のカキコミって、そんなひどいものでしたか?
あれでも真面目にお話ししたんですよ。
 あんまりにも、葬式坊主や法事坊主を小馬鹿にした発言が
目について、ご自身は法話(教学)でくっていくんだ!とおっしゃって
おられ、まるでそれが「真宗僧侶のあるべき姿」と決めつけている方に、
法話をする能力もない僧侶もいますよ、儀式を一生懸命に勤める僧侶も
いますよ、暮らしていくためにも葬式法事をくりかえす僧侶もおりますよ、
と言ったわけです。カッコのいい(?)ことばかり言えない人もいるんです。
そして、私自身がそういうものとしてあるのです。
 だから、ご立派な瀧先生さんにご意見を請うたのですが、はっきり言って
何を言われとるのかチンプンカンプンでした。(教養のないため)
ただ、とてもナイーブなお方を傷つけていたことをお詫びいたします。
そして、<落鱗板々>の皆様にはご迷惑をおかけいたしました。
この掲示板をおかりしてお詫び申し上げます。ごめんなさい。
                        不二門 至浄(死生)   


亀レス失礼 投稿者:大悲  投稿日: 2月19日(月)22時30分01秒

>道場(寺)で門徒が生まれるのではなく、門徒が道場を生みだしてきたのでしょう。
>念仏者は寺の外で生まれ続けてきた。その念仏者が道場を作り、守ってきた

との発言に、あちこちで愚痴こぼしている自分を恥ずかしく存じました。
昨年、らくりんさんの御自坊の報恩講においでになったA先生が、貴坊の趣(建物・坊守様・お連れ合いのお姿)に感動してメールをくださいました。
>住職夫妻と夫妻のエネルギーに感動しました。とくに住職夫人と若坊守には脱帽です。
きっとすばらしい「サンガ」が花開くことでしょう。
私はお寺の美しさに驚きました。釘一つ使わず、よけいな装飾は一切廃してしかも力強さがあふれていて、真宗が生んだ美を目の当たりにしました。柳宗悦も、このお堂をみていたら「美の法門」もずいぶんと変わったことと思いました。
>(大悲 趣意)
A先生の言葉と、らくりんさんの発言がリンクして、心に響きます。


まあ、まあ、…… 投稿者:らくりん  投稿日: 2月19日(月)09時45分12秒

瀧 義範さん、
聞光学舎の会計をなさっていたのなら、必ず顔を合せているはずですが、
やっぱり思いだせません。

いきなり、当掲示板の常連さんに、大歓迎を受けていますね。

ハンドルネームのことは、
私の場合は完全な匿名ではなく、実質的にはオープンになっているようなものです。
メールアドレスは公開していますし。
この掲示板の下部の「ホームページ」からリンクしている表紙は、Vitaさんが管理し
ている〈『親鸞の教行信証を読み解く』読書会〉です。そこには著者名もでています。
そして、第四巻から著者略歴欄では住所も明らかにしております。
私の場合は、ハンドルネームは匿名という意味をほとんど持っておらず、ネット上の
呼び名としての意味しかありません。
〈読書会〉の掲示板では「著者」として書き込んでいますし、「著者」と「らくりん
(落鱗)」が同一人物であることも公開していますし、Vitaさんの表紙のリンクには
ここが『親鸞の教行信証を読み解く』の著者のプライベート掲示板であることも明記
されています。
ですから、私は「らくりん」のハンドルネームは匿名であるとは思っておりません。

私は、実はもう一つ完全なる匿名のハンドルネームを持ちたいと思いながら
いまだにいい名前が思いつかなくて、どこでもたいていは「らくりん」で出没して
います。それで何か支障がありますでしょうか。
少なくとも、この一年間は何の問題も感じませんでした。

ネットの上に実名を公開しているからと言ってそれがどうしたというのでしょうか。
お目にかかったこともない人の名前を知っても、あまり意味はないですし、
不用意にネット上に実名を公開することの弊害の方を危惧します。

「死生」さんの問題については、
ハンドルネームだろうが実名だろうが、それが同じだからといって同一人物かどうか
なんかは判断できないのではないでしょうか。
また、二つの掲示板で違う「顔」を見せたからといって、ネットの交流は最初から
そんなもんでしょう。
そんな中でどうつきあうか。
どうやってお互いに相手の胸に着床するようなやり取りを紡ぎだしていけるか。
時に激しく、時にやさしく、時に強く、時にはにかみながら、
ディスプレイの上に現われた文字だけがたよりの世界、
その中でどれだけ相手が見えたお付き合いができるか、

掲示板は出入り自由、
フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが、
画面に映し出された言葉がつまらなければ相手にされなくなるだけです。
結局、誰も自分が一番居心地がいい場所を見つけて、そこに落ち着くんじゃないん
ですか。


傷つくね。。。 投稿者:三吉  投稿日: 2月19日(月)06時53分04秒

人間そう簡単に傷つくのであろうか。。。
傷ついたとしてもそれは致命傷なのか。かすり傷じゃないかな。。。
HNはHNで意味があるのではと思います。
実名でいかれるというのもよし。HNでいくのもよし。
ただ「真宗僧侶なら実名である」「べき」の「べき」はおかしい。

http://www.aaacafe.ne.jp/free/sankichi/main.bbs


群萌は打たれ強い!! 投稿者:林遊  投稿日: 2月19日(月)03時11分03秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

なんですかねぇ。癒しとか傷つくなんて世迷い事を言ってるんだったらイ
ンタの世界へ出て来ちゃ駄目なんじゃないかなぁ。おうちで羊のような従
順な御門徒さんに囲まれ、おむつしてミルク飲んでたほうがいいと思う(笑)。

HP(こういう言い方すると突っ込みが来る(笑))や掲示板をオープンに
開設するんなら、それなりの覚語はしなきゃ、と林遊は思いますです。
発信したい情報があるなら、それくらいの根性がなけりゃインタの世界へ
出てきたらアカンですね。世間知らずの女子中学生じゃないんだから、と
思ってたりもしますですねぇ。何かHiになってらっしゃるようで脳内麻
薬の分泌過剰かもしれませんね。いけね、こんなこと言うと真面目なお方
に真宗者にあるまじき罵詈雑言と言われてしまうかもですね。和顔愛語、
和顔愛語、愛語よく回天の力ありだったなぁ(省)。

でまぁ、糾弾があれば。「畢竟呵責」とお許し下さい、なんて自己正当化
の都合のいい文言もあることだし、自らが落ち込んだ時には、神に向かっ
て福を「祝」(ねがう)のでありましょうね。一体全体何様のツモリじゃ
ろ(笑)。

らくりんさん>
林遊さんには「もったいないことを、けしからん」
とおこられちゃいそうです……(∞;)


んなこたぁないですよ、バッカスの神に失礼じゃないですか(笑)。で、ふ
と、十八願は設我得仏十方衆生から順観すれば「願」であり、若不生者不
取正覚から逆観すれば「誓」です、と仰った曽我量深師を思い出しました
です。「誓願」、これさえありゃあ娑婆の煩悩ごとのゴタゴタはとるに足
らない事でありましたですね。わしら群萌こそ阿弥陀さまは正機と仰って
下さるんですね。もったなくもありがたいこってす。

ps
酔っぱらってて、ほとんど何を言っているのか当人も分からない(笑)。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


まこさん、有難うございます。 投稿者:瀧 義範  投稿日: 2月19日(月)00時45分39秒

私は、今すごく傷ついています。それは、死生さんという人が歎異会のHPに入ってきて、大阪弁でいろいろ突っ込んできました。私は真宗僧侶ぽいと思ってましたが、この掲示板で偶然死生さんという名で、しかも真宗僧侶と名のってました。私のHPと同じ死生さんなのか、同名なのか、それから私のHPにはアクセスはないのです。このHPには、来ておられるみたいですが。
また、そのやりとりを私の掲示板でご覧下さい。その怒りがこのコメントなのです。
純粋にやりとりしていたゆえに、真宗僧侶がもし同一人物なら真宗はもうダメかもしれないという絶望感さえ味わっています。だって、遊びでやっていることになりますから。
でも、ここの死生さんは真摯にやられてますから、もし違っていたらご無礼にあたりますので、お許し下さい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8416/


ハンドルネームでいいと思う 投稿者:まこ  投稿日: 2月19日(月)00時07分03秒

 瀧さん、はじめまして。岐阜に住んでいますので、名古屋別院ですれ違っているかもしれませんね。
 この掲示板で「真宗の僧侶たるもの、オープンに実名を明かすべき」であるとは思いません。
 実名であろうとなかろうと議論や交流はできますし、現にこの掲示板は見事に成立しています。
 私自身が何者か疑問がおありなら掲載のホームページをご確認ください。

http://www.mirai.ne.jp/~makotom/


(無題) 投稿者:瀧 義範  投稿日: 2月18日(日)20時24分38秒

私は純粋な幡谷ゼミです。
真宗の僧侶たるもの、オープンに実名を明かすべきです。
私は、実名で殺されてもいいですよ。真剣ですし、インターネットは方便化身土です。
どうか、らくりんさん、明らかにして下さい。
絶対これから仮想新興教団がオウムのような事件、おこしますよ。インターネットで。


残念 投稿者:大悲  投稿日: 2月18日(日)19時55分44秒

弘前で30年続いている公開講座「親鸞に聞く」30年間欠かさずご出講いただいた廣瀬先生から、今年は安居があるので、弘前に行けないとご連絡いただいたそうです。残念だなあ


瀧さん 投稿者:大悲  投稿日: 2月18日(日)19時53分22秒

私の覚えてる瀧さんは、同学年で、3回生が本多ゼミ、四回生は幡谷ゼミ、同じサークルだった哲学好きの青年でした。さて、↓の書き込みの瀧さんがその方なのか、ちょっとわかりません。瀧さんの書き込み見ると、彼は学生時代のらくりんさんを知ってるそうな。私は、ウワサは聞いたが、直にあった記憶がない。私は未だに、ご門徒の方々の顔を覚えられない(T_T)。

大阪のvowz-barは、難波別院の500回御遠忌のときに、戸次さんに連れてってもらいました。
ネットで知り合った日蓮宗の尼さんと、曹洞宗の尼さんと、駒沢大に留学してる台湾の学生さんと一緒に、音楽法要にお参りし、その後3時まで飲みました。

私は、すっごく平易に教えてくれたアイカタのおかげで、真宗学に難しいという先入観を持たずに入ってしまいました。だから、時々、ここでのお話がちんぷんかんぷんだったりします。
とってもレスつけられないときもあります。でも、ここでのお話し合いは、すっごくたのしいです。これからもよろしくお願いいたします。


真宗学 投稿者:瀧 義範  投稿日: 2月18日(日)17時33分58秒

それでは、少し私の考えを述べさせていただきます。
確かに化身土巻から読むのは、すばらしいですが、富士山にヘリコプターで行って上まで下ってくるようなもので、宗祖に申し訳ない気がします。ですから、教行信証巻は、まだまだこれからだなあという気がします。だって、行巻の「方便の行信」と出てくるので、自然に化身土に行かなくてはなりません。それと、宗祖は信巻を最後にしたかったのではないか、浄土文類に信巻が最後です
古田氏の信巻の最初の文は宗祖晩年のものであるからです。そして、あらゆる人間が救われていくことを願われたのではないでしょうか。ただ氏の読み方は、広瀬師の学生時代の問題提起であり、それに応えた氏の姿勢は、尊いと思います。すばらしい結果を出しましたので。


レス有難うございます。 投稿者:瀧 義範  投稿日: 2月18日(日)17時10分37秒

私も学生名簿で見て、びっくりしました。ただ会計をしていたので、お金をいただいていたと思います。教行巻の「天皇陛下もおっさん」というのは、河田光夫氏「親鸞の手紙を読み解く」にもありました。化身土巻の回心の解釈で、訓覇信雄氏の「回心なくして真宗なし」はまちがっていたと気づかせていただきました。「されど回心も必要なし」と付け加えなかったことが同朋会運動の失敗につながっていったようです。どうか大谷大学のために大学に戻って、真宗を立て直して下さい。ぜひ名古屋にきたらお立ち寄り下さい。私も必ず人生講座に聞法しにいきます。
ところで、広瀬師に名古屋聞光に行き、あなたの話しをしたら頑張っておられること喜んでおられました。私はあなたを尊敬していますので、時には真宗学のため批判することもあるかもしれませんが、向上のための批判であり、足をひっぱるつもりはありませんので、そのときはどうぞお許しください。今後ともよろしくお願いいたします。
真宗にはあなたしかいないです。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8416/


一段落 投稿者:らくりん  投稿日: 2月18日(日)16時41分20秒

瀧 義範さんも初めましてですね、

なんか、大悲さんところから大挙して移動してきた感じですね。

〈読書会〉の書き込みを見ますと、瀧 義範さんは、どうも大谷大学でお目にかかっ
ているようですが、申し訳ありませんけれど、ちょっと思いだせません。写真でも見
れば「ああ、あの人か」ということになるのでしょうが。
ここは、いろいろな意味で、ちょっと手ごわい人もちょくちょく出入りしていますの
で、お楽しみ下さい。

死生さん、
東京vowz-bar「関係者」なんですか。
それから、大悲さんとこの書き込みを見ますと愚っ朕さんも東京vowz-barに出入り
しているようですね。
だとすると、共通の知り合いもいるかもしれませんね。
年に1、2度は東京に行きますので、一度は訪ねてみたいと思っています。
vowz-barの2号店とも言うべき京都の「彌光庵」には時々寄りますが、
1号店の大阪は行ったことがありません。

東京vowz-barは、
 新宿区荒木町6 AGビル2F
 案内図によれば、地下鉄四ツ谷三丁目から徒歩3分
(四ツ谷三丁目駅から新宿通りを四ツ谷方面へいくと富士銀行がありその角を左折、
その通りの右側にあるようです。PM7:00オープン。電話番号を書くのは控えま
す。知りたい人はメールをいただければお知らせします。)

一度も行ったことがない、私が宣伝するのもなんですが、
東京近辺で、坊主/坊主くずれ?とお喋りしながらお酒を飲みたいと思う人は
お立ち寄り下さい。
[VOW」は願いとか誓。「本願」は「ORIGINAL VOW」と訳されます。
それを「坊主」にかけている名前だそうです。
林遊さんには「もったいないことを、けしからん」
とおこられちゃいそうです……(∞;)


開けてみて、あっと驚く賑やかさ。 投稿者:らくりん  投稿日: 2月18日(日)08時33分22秒

愚っ朕さん、初めまして。
10時から化身土巻の講義があったりしますので、
ちょっと考えを整理したり、いろいろしたいので
またいずれ落ち着いてから、じっくり読ませていただきます。


話題 投稿者:ootubo  投稿日: 2月18日(日)06時48分16秒

 らくりんさん、おこしいただいたお礼が遅れてごめんなさい。

 座談会で、お寺で学習会を開催しているが、聴きにくる人がだんだん少なってきて
悩んでいるいる、という方がみえました。
 私はもっぱら聞法させていただくばかりで偉そうなことは言えないのですが、住職
はたった一人でも念仏者を育てればいい、と誰かに聞いたことが思いうかびました。
 また、ある聞法会を開催するにあたって、自分が聞くための会ならいいが人を集め
るための会なら来ない、と安田理深師から聞かれた方のお話が思いうかびました。
 座談会では、時間がなかったことと他の話題で話せませんでした。
 


思い上がってます。 投稿者:死生  投稿日: 2月18日(日)04時07分41秒

 らくりん様、お話ありがとうございます。
言われて「ハッ」させられました。ほんまに「寺は…」云々、と
そんなことばかり考えてしまいます。1真宗門徒(これまで怪しいな)と
言いながら、実は「オレは寺のモン(寺族)」という思いの中でしか
なかったのです。しかも「オレはそうじゃない(全くその通りやのに)」
なんて思ってました。
‘自分は坊主として何をするんだ’‘いまお寺で何ができるのか’と
いうことが、実はいまも頭の中を駆け巡ります。
 私は現在、寺に住んでおりません。千葉県のいわゆる新興住宅地の
一軒家を借りて暮らしています。そこを出発点に、浄土真宗にまなぶ
寺を開いてゆきたいと思っております。そして知り合いに紹介され、
近所の人に紹介され、葬儀社の人に紹介されながら、いろんな人と
初めて出会い、その人たちと「寺づくり」をしたいとまで思っているのです。
ただ、簡単にはいきません。私の‘欲い’も空回りすることが多いです。
その時「何で伝わらんのやろ」という思い上がりが、勘違いが、
出てきます。‘自分がやらなければ’ぐらいに思っております。
 だから手紙を出しても、法座の案内をしても、応答のないことには
ガックリ落ち込みますし、逆に、協力してくれる人や応援してくださる
声を聞くと、涙がでるくらいうれしくなります。
そう自分の思う通りにいくかいかんかというところです。
 言われるように、自分の存在を意義づけるように理屈をこねてこねて
おります。ですが、それよりも人と関わり合う中で、やっぱり
寺のような人の集える場所が求められていると思うのです。
いまはいろんな会場をお借りして、法座等を開いております。
昨日は喫茶店をお借りして、雑談会をいたしました。
ここへも今まであったことのない人が来てくれます。
ちなみに、東京の方でもBARを開いております。
やっぱり‘坊主として’と思っております。
 話が中途半端ですが、寺からでも門徒は生まれると思います。
お説教を聞き、はじめて驚くこともあります。(またくり返しますけど)
結局、また理屈をこねました。思い上がりもあります。
開き直らないように、浄土真宗を聞いてきます。
 だらだら書いてごめんなさい。
  
 
 


Re:この先食っていけるかな  投稿者:林遊  投稿日: 2月18日(日)01時02分30秒

愚っ朕 さん、林遊@なんまんだぶつです。

食えなかったら死んで往けばいいじゃないですか。曲がりなりにも御開山の前で三宝に帰依すると仰ったんでしょうや。
はたしてあなた様の仰る現実なる物が、どこにあるんですかい。あなた様の脳細胞が描き出した虚妄にすぎないんじゃありませんですかぁ。

元在家であるならば、寺の坊主に七百年間分の借金を返してもらおうと開き直って、食わせてもらえばいいじゃないですか。真宗寺院が何ヶ寺あるのかしりませんが、一日一ヶ寺で食わせてもらえれば、すくなくともあなたの命の数よりは多いのとちゃうかなぁ。人の世話もしましょう、そして人の世話にもなりましょうというのが他力真宗のご法義だと林遊は思いますです。

林遊ははやくこのような旅に出て、ITの世界で逐次食わせて頂いた食い物や、世話になった寺院の一宿一飯も扱い情報を門徒宗に発信出来たら等と思ってたりしますので、その節はよろしくです(笑)。

   なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


この先食っていけるかな 投稿者:愚っ朕  投稿日: 2月18日(日)00時21分42秒

>あれこれ…… 
 
 はじめまして。私、以前はお坊さんをやっていたのですが・・・ 

>問題は、近年、そういうつながりがない人をお見送りしなければならないお葬式に関
>わることが多くなり(ほとんどがそういうお葬式かな)、お葬式が「死体処理」の
>段取りにしか過ぎなくなってきて、坊主はその中の道具立ての一つ程度の役割しか
>果たしていない/それしか期待されていない存在に過ぎなくなってきた。

という現実にぶつかって、嫌になった一人です。もともと在家(やな表現ですが)ですので
逃げ出してもええかという感じ。ですから、死生さんのように「寺のあり方」を
まじめに考えている人には好意をもちます。でも私も世間でははぐれてしまって
坊主になったのであまり世渡りはうまくないんです。不安だなあ・・・


死生さん、こんなところでお会いしましたね。 投稿者:瀧 義範  投稿日: 2月17日(土)20時43分55秒

私も真宗僧侶です。
HP作成しましたので、どうぞ遊びに来て下さい。
死生さんという人は、同名かもしれませんけど、私の掲示板の常連さんです。
よろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8416/


あれこれ…… 投稿者:らくりん  投稿日: 2月17日(土)10時06分34秒

「死生」さんはじめまして、
どこの掲示板だったかすぐには思いだせませんが、お名前は拝見したことがあります。
(どうも、ディスプレイを通してネットの上の文字を読むのは、網膜の上を文字が通
り過ぎてしまうだけのような読み方になってしまい、言葉や内容が記憶の中にきちん
と着床していかないようで、昨日見たことでも、どこに書いてあったか思いだせませ
ん)
  ―「着床」の語は今朝の毎日新聞からのパクリです。ちょっといい語感だと思いま
   せんか―

いろいろなところに寄せていただく機会がありまして、
お寺に住まいしている「門徒」のはず/つもりの人(私自身も含めて、いわゆる「寺
族」という人のことですが)と話していると、しばしば感じることがあります。
この人たちはどうしてそんなに「寺」のことしか言わないんだろうって。「寺はどう
あるべきか」「寺をどうしたらいい」「寺の人間がだらしない」……、てな具合です。

「仏法を広める」とか「教化活動をする」とか言いますが、
私は、あちこちで、話をさせていただいておりますが、お寺でお説教を聞いて目覚め
たという話をあまり(ほとんど)聞いたことがありません。
話は全く逆なんで、
道場(寺)で門徒が生まれるのではなく、門徒が道場を生みだしてきたのでしょう。
念仏者は寺の外で生まれ続けてきた。その念仏者が道場を作り、守ってきた。
私たち寺に住まいする人間は、第一義的には仏法に縁をいただいた人たちが集う場で
お世話をするのが役目なのではないか。ですから、当然聴聞の場に接する機会も多く
なるし、皆さんが忙しい時には私たちは暇になりますから、読み書きを勉強したり、
本の一冊も読んだりすることができる。そして耳の底に言葉の一つ二つも残って、そ
れをご披露したり、話したりすることもできる、こともあるかも知れない。
もしかしたら、突然変異の一種かも知れない。
坊主や「寺族」が「教化・伝道の使命を担う」というような大それた意識がもしある
とすれば、とんでもない思い違い(思い上がり)ではないか。

お葬式ですか、
仏法でつながった(はずの)人たちの臨終に立ち会ったり、娑婆での縁の最後の始末
をつけるのは、同行としては当然のことだったのでしょう。その中で「道場守り」も
専従的な役割の一つを担っていた。
問題は、近年、そういうつながりがない人をお見送りしなければならないお葬式に関
わることが多くなり(ほとんどがそういうお葬式かな)、
お葬式が「死体処理」の段取りにしか過ぎなくなってきて、
坊主はその中の道具立ての一つ程度の役割しか果たしていない/それしか期待されて
いない存在に過ぎなくなってきた。
でも、人間って、自分のやっていることに対して何らかの「意義」を見い出さなけれ
ばむなしくてやってられませんから、いろいろ理屈をつけてみたくなる。

20年前に山奥の村が水没して金沢市近郊の現在地に寺ごと移転してきて、
故人とは一面識もなく、遺族の中にも知り合いが一人もいない、
そういう縁もゆかりもなかった人のお葬式を依頼されることがあります。
本当に、お通夜とお葬式だけ(お手次が遠方だから、葬式だけにしか来ないという理
由で、お通夜だけを依頼されたこともありました)
手順を間違えようが、簡略化しようが誰も何も言わない、気楽と言えばこれほど気楽
なお葬式はありません。正直に言いますが、その気楽さに流されてしまうこともあり
ます。その半面、一期一会とはよく言ったもので、時に、私はそういうお葬式に無性
に「ねんごろ」に関わりたくなってしまうことがあります。と言っても、それは数時
間の関わりに過ぎないのですが。そしてそれはたいていは私の思いは空回りするだけ
なのですが……。
田舎にいる頃は想像もできなかった、そういうその場限りのお葬式を、自分自身が何
度か経験してから、ちょっといろいろ考えさせれれています。


はじめまして 投稿者:死生  投稿日: 2月17日(土)08時19分30秒

 はじめまして。みなさんのご意見等を拝見させてもらいました。
それぞれに、ご自身の現場(?)報告と課題(一部)が語られているように思いました。
小生も真宗の坊主でありますが、「(真宗の)お寺という場所で何ができるのか」ということを模索しております。とにかく寺はあっても、葬儀や法事の時にしか関わることはない、とまで言われている中、もちろん「聞法道場である」に違いないのですが、どうして人々にアプローチできるのか。皆さんが話し合われているような事柄も含めて、いろんな人と課題(話題)が共有できるのかと思います。儀式等に関わる誤解も、話し合えるようになりたいと思います。
インターネットの上でこうした場がつくられてるのも1つですけど、みなさんもそれぞれどんな寺作りをされ、人とどんな接点をもっているのでしょう。またまわりの人から「お寺に対して」どんな声が聞こえているのか教えていただければと思います。
今度は自分の活動もご報告したいと思います。よろしくお願いします。


なかなか、難しいもんだ 投稿者:林遊  投稿日: 2月16日(金)23時16分02秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

どうもねぇ。阿弥陀経には命濁などいう文言がありますが、最近の僧侶の意識の低さには愕然とするのものがありますねぇ。まるで小学生か幼稚園児のような死生観しかないのが現実なのかもしれませんね。新世代坊主の人寿は5歳ぐらいかも(笑)

昔は小生の在所では葬儀というものは同じご法義を頂く門徒の手で運営されておりました。門徒が祭壇をしつらえ本寺から七条袈裟を借りてきて、棺桶の覆いとしたものです。また湯潅は近親者が盥で沐浴させて阿弥陀さまのお浄土へ往くのだからと男女問わず剃髪したものでした。大経に説かれる剃除鬚髪をまねての事でありましょう。また釈尊の入滅に模して、紙で作った一対の紙華花(しかばな)を、沙羅双樹になぞらえていたものです。
夜伽(通夜)には赤飯をふるまい(もっとも近親者への配慮からか祝儀に使用するものより色は薄い)、往生の素懐を遂げためでたき事とする風習がありましたです。それが昭和の35〜6年代からですか、地域共同体の崩壊やマスコミの影響からか葬儀屋さん中心の葬儀になってしまいましたです。まず一番最初に、葬儀から祭儀執行者としての坊主がはずされ、いまや遺族までお客様になってしまい、亡き人の「いのち」に思いを致すことすら希薄になってしまったのが、現今の葬祭事情であるのでしょうね。

ここいらへんこそ、非僧非俗であるべき真宗僧侶というサンガ組織が、あるべき葬儀を今少しく考えてもよかろうと思っていたりします。

参考↓

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://access-jp.net/amida3/houwa/wakabayasi/osousiki.html


千載一遇の出遇い 投稿者:らくりん  投稿日: 2月16日(金)21時59分35秒

ootuboさん、
失礼いたしました。あのあと11時近くまで、スタッフの反省会がありました。
その後は懇親会で、1時半ぐらいまでつきあいました。
若い皆さんが一生懸命に考え、企画・運営されているようで、
いい会になっていくかも知れませんね。

林遊さん、
お久しぶりです。〈真宗会議室〉(URL下記)のシビアで挑発的な発言を、
いつも「こわいもの見たさ半分」「エリを正す気持ち半分」という感じで拝見
しております。
>自らを騙し、門徒をも騙して
その「騙している意識」があればまだいいのかも知れません。
その意識があれば少なくとも何がしかの「痛み/傷み」はあるはずですから。
最近の将来の住職候補のような青年たちと話していると、時に「寺の仕事はビジネス
として割り切っている」とか「何でみんなが坊主になることでそんなに悩んでいるの
かわからない」というようなことを、しれっと言ってしまう人たちが少なからずいま
す。
私自身は、自分が寺で生まれたという境遇からなんとかして逃げ出そうとしていた人
間ですし、また寺に生まれた男の子はそう思うのが当たり前ではないかというような
感覚を持っている人間ですので、そういう若者に出会うと、カルチャーショックを受
け、なかなか対話の回路がつながらなくて困ってしまいます。

千載一遇、万載一遇の出遇いを待つ。

http://access-jp.net/cgi-bin/login


詐欺師3 投稿者:ootubo  投稿日: 2月16日(金)19時45分14秒

林遊さん、ありがとうございます。
母上様さのことでお忙しいのに。

>僧侶の方が、よく葬儀や法事などで、亡くなった方をご縁として・・・等といわれますがこのよ>うな言葉を本気で言っているのでしょうか。
 本気で言っている人もいますし、格好をつけて言っている人もいるかもしれません。
 そういうことを全然言わない人もいます。
 私は、葬儀や法事などをご縁としてお話させていただいています。


>はたして葬儀の儀式や年忌法要が浄土真宗というご法義に関連性があるのでしょうか。
 少なくとも、寺院(僧侶)としてその場にいれば、関連性があると思います。
 そして、供養ということが、誰のためにあるのか、私にとって何なのか、そのことをご縁としてお話させていただいております。
 関連性がなければ、真宗の寺院は必要がないし、葬儀等も真宗の葬儀でなくても、
ましてや、仏式でなくても、何でもいいことになるのではないでしょうか。

>自らの心中では、これは真宗の教えではではないと疑念を抱きながら、自己を正当化するための>苦し紛れの言葉なのではないでしょうか。自らを騙し、門徒をも騙しているのかもしれません ね。
 僧侶のあり方や、寺院のあり方については、現在考えさせていただいている最中です。
 私の場合、主観的には、騙しているつもりなんかまったくないのに、結果的には詐欺になっているかもしれません。

>死人に経を読んでもどうなるものでもありません。ましてや読誦している本人すら解らない偈文>を誦して何になるんでしょうか。真宗の教えは先祖供養ではない、と言いながら実体はまるで追>善供養ですね。多分御開山親鸞聖人は泣いていらっしゃるかも知れませんね。
 真宗の葬儀式は、先祖供養ではないとお話しています。
 自らの死をとうして、生きている私たちに命の尊さを伝えてくださっている。
 毎日何万人の人が亡くなっても何も感じない私ですが、身近な人が亡くなると、悲しいと思います。そういう大事件を通してしか、命の尊さを感じれない私です。

 なお、これはあくまでも私の考えですので、誤解のないようにお願いします。


詐欺師  投稿者:林遊  投稿日: 2月16日(金)12時23分32秒

ども、ootubo さん。林遊@なんまんだぶつです。

僧侶の方が、よく葬儀や法事などで、亡くなった方をご縁として・・・等といわれますがこのような言葉を本気で言っているのでしょうか。はたして葬儀の儀式や年忌法要が浄土真宗というご法義に関連性があるのでしょうか。自らの心中では、これは真宗の教えではではないと疑念を抱きながら、自己を正当化するための苦し紛れの言葉なのではないでしょうか。自らを騙し、門徒をも騙しているのかもしれませんね。

死人に経を読んでもどうなるものでもありません。ましてや読誦している本人すら解らない偈文を誦して何になるんでしょうか。真宗の教えは先祖供養ではない、と言いながら実体はまるで追善供養ですね。多分御開山親鸞聖人は泣いていらっしゃるかも知れませんね。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


詐欺師 投稿者:ootubo  投稿日: 2月16日(金)08時02分32秒

 昨日、岡崎で有教師対象の研修会に参加しました。
 講師の、「あなたは親鸞の前で真宗の僧侶と言えますか」じゃあ
「親鸞の前で将来、真宗門徒になりたいと言えますか」との言葉に、
自信をもって僧侶とはいえないなあ。
言えないのに、僧侶となっているのは、詐欺かなあ。
しかし、もちろん、真宗門徒になりたい。
真宗の僧侶てなんだろう。
本当の僧侶と、偽の僧侶がいるのか。
偽の僧侶がいるなら、誰をだましているのだろう。
偽の僧侶と思ってもいない人と、偽の僧侶と思っている人と、
どちらが罪が深いのだろう。
いろいろ考えさせられました。
ありがとうございました。


心配無用 投稿者:らくりん  投稿日: 2月13日(火)09時16分36秒

特に何かがあったからこういうことを書いたわけではありません。
「詐欺師」というのは、事件報道されるようないわゆる「詐欺師」の
ことばかりではなく、けっこう身近な存在のところまで含めて考えています。
(他人事ではなく、Junさんやootuboさん、もちろん私自身もその中に含まれてい
るような問題としてです)

この問題は、『読み解く』第五巻の主要なテーマの一つでして、
私は、けっこういつもこんなことを考えたり、話したりしているんです。


それぞれの状況によって違うのでは 投稿者:ootubo  投稿日: 2月13日(火)07時58分13秒

Junさんの発言に大体同意しますが、
大きなダメージ、罪の重さは受ける人の状況によって微妙に違うのでは。
被害額や、知人なのか、その時の体調、感情、相手の態度、被害に対する自分の思い入れ等。


何かあったんですか? 投稿者:Jun  投稿日: 2月13日(火)03時03分53秒

浅はかですが、私なりの考えを...。後者の場合「良かれと思って」というのが入るんです
よね。違います?

>どちらが上手の詐欺師だろうか。
前者だと思います。前者はただの詐欺師ですが、基本的に後者は詐欺師ではないはずですから。

>どちらが相手に大きなダメージを与えるだろうか。
後者だと思います。騙される側の、騙す側に対する信頼の大きさを考えると。

>どちらが罪が重いだろうか。
罪と言うのが、一般的な刑法での罪なら、もちろん前者だと思います。感情的なレベルの罪な
ら、後者でしょうか。

前者と後者の違いを考えるに、一番重要な事は、後者は関係の修復が(望むなら)可能である
という事だと思います。

なんか弱気な感じの書き込みにちょっと驚きました。こんな時間に書き込むのも、なんか”ら
くりん”さんらしくないスタイルだなって(もちろん、こちらが勝手に”らくりん”さんのイ
メージを想定してるだけですが)思いました。


詐欺師 投稿者:らくりん  投稿日: 2月13日(火)01時05分47秒


自分が詐欺をはたらいていると自覚しながら詐欺をしている詐欺師と
少なくとも主観的には、騙しているつもりなんかまったくないのに、
結果的には詐欺になっているという詐欺師とでは、

どちらが上手の詐欺師だろうか。
どちらが相手に大きなダメージを与えるだろうか。
どちらが罪が重いだろうか。


大台ゲット 投稿者:らくりん  投稿日: 2月10日(土)20時02分35秒

カウンター「14000」の大台ゲット。
どうってことないようなことなんだけど、
こういうピッタリの数字にあたると、なんだかちょっと嬉しい気分。
それにしても、ずいぶん訪問者があったもんですね。
きっと、リピーターが多いのでしょうが。

まだ、掲示板デビューをなさっていない訪問者のみなさん、
ここらで一度自己紹介がてらの、書き込みをしてみてはいかがですか。
今後ともよろしく。

どうでもいいことですが、
日中、校正でずっと字を見ていたら、「字に酔った」とでも言ったらいいのでしょうか
気分が悪くなりました。軽い乗物酔いのような感じです。
老眼が始まっているので、おそらく焦点のあい方がおかしくなったせいではないかと
思います。


時間距離 投稿者:らくりん  投稿日: 2月10日(土)10時42分03秒

>しんさん
小松――出雲便なくなっちゃったんですか
ほんのこのあいだまで、TVの空席情報で「出雲」という言葉を耳にしていたような
気がするのですが……。
となると、石川県から行くとなると、島根・鳥取は、日本中で一番時間がかかる
ところになるかも知れません。
北海道、沖縄、鹿児島あたりは、飛行機便で行くことしか考えませんし、
仙台は、飛行機もありますが、新幹線を乗り継いで行っても6時間はかかりません
から、朝発つと、午後の講義に間に合います。
秋田・青森は、まだ行ったことがありませんが、夜行とかの直行列車で行くとなる
といい勝負ですが、急ぐ時は羽田経由で飛行機が使えますから、時間的には近い
のではないかと思います。

最近は、交通が便利になったせいで、とんぼ返りとか、早朝発って、午後と夜と日程
が続いたり、1泊2日の研修会が終って深夜帰宅というような、けっこうハードな日
程になることがあります。これは良し悪しですね。
その点、島根へお邪魔する時は、前泊・後泊せざるをえませんから、
そのつもりで日程を立ててしまえばゆっくりできるので、身体は楽です。

>Junさん
その大先輩の女性からは私のところにも、〈『読み解く』読書会〉のHPについて問
い合せの電話がかかってきましたよ。これまでもワープロはお使いのようでしたけれ
ども、ほんとすごいですね。


新たな始まり。 投稿者:Jun  投稿日: 2月10日(土)01時12分54秒

 久しぶりの学習会で会った、大先輩にして友人の83歳の女性は、一昨日パソコンを購入
し、インターネットに意欲を燃やし、これまた大先輩の50代の男性は「能」に夢中になっ
ており、かく言う私もすっかりスキーにはまって、週一ペースでゲレンデ通い。

 それぞれが、それぞれ夢中になるものを見つけていて、「転がる石のように」新たな動
きを見せているのが、嬉しくてしかたありません。


山陰路 投稿者:しん  投稿日: 2月 9日(金)16時25分47秒

こんにちは、しんです。
さて、山陰路へのアクセスですが、残念ながら小松−出雲便は
廃線となってしまいました。
広島空港経由か、前回と同じ道となりそうです。
石川−島根って、ほんとに遠くですよね。



三寒四温 投稿者:らくりん  投稿日: 2月 9日(金)09時22分07秒

昨日は少しだけ春めいた感じもありましたが、今日は朝から雪がちらついています。

しんさん、お久しぶりです。
そういうことになりました。また、お邪魔します。
広島経由はけっこう遠かったです。
そこで、今度は出雲まで飛行機にしてみようかと思ってます。

一度お邪魔して、それっきりのご縁ということもありますし、二度三度とお声がかか
ることもあります。もちろん後者の方が私としては嬉しいです。が、全部が全部ご要
望通りにというわけにもいかない状況になってきています。

第五巻の予定ですか、
一応昨年の11月の発刊予定ということになってはいたのですが、
まだできあがっていません。
第四巻の時に掲示板で刊行予告をして、その後いろいろと予定が狂ったり、
表紙の誤植で回収訂正というようなトラブルまで重なって、
予告から大幅に遅れてしまいましたので、今回はあまりはっきりと
予告をしないようにしているのですが、
現在、二回目の校正(主に最初の訂正指示部分がきちんと直っているかのチェッ
ク)をしています。2月20日すぎまでにはその作業を終える予定です。
普通の場合は、著者がタッチするのはここまでのようですが、
再校正での訂正指示が多くなると、もう一度私のところに帰ってきます。
少なければ、ファックスかメールで確認するだけですみます。
(第三巻の時からだったと思いますが、私自身が三回校正をしています)
このままアクシデントがなく、順調にいけば桜の頃までにはなんとかお届けできるの
ではないかと思っています。
と言っても北海道と沖縄では3ヵ月ぐらいは違いますが……。

MANUさん、お久しぶりです。
ご紹介ありがとうございます。


ちょっとお知らせさせていただきます 投稿者:MANU.  投稿日: 2月 9日(金)00時27分02秒

お久しぶりでございます。
私がご縁のあるいろんなところにお知らせさせていただきたく書き込みます。
お世話になっている増井悟朗先生がTVに出られます。
この書き込みを目にされるのもご縁でしょうから、よろしければ見てください。

NHK教育TV 「こころの時代」
3月11日(日)  5:00〜 6:00
3月18日(日) 14:00〜15:00(再放送 変更の場合あり)
タイトル 「主人は自分 〜後生の一大事〜」
浄土真宗 華光会 増井悟朗師

また、その紹介もかねて私のホームページを更新しました。
よければお立ち寄りください。

南無阿弥陀仏

      MANU.(from KYOTO)

http://homepage1.nifty.com/MANU/index.htm


山陰も待ってます。 投稿者:しん  投稿日: 2月 8日(木)23時56分53秒

お久しぶりです。しんです。
らくりんさん、今年も山陰のほうに来られるようですね。
忙しいなか、遠くまでありがとうございます。
なんとか時間を作って聞きに行こうと思っています。
5巻の発売時期はそろそろ決まったのでしょうか?
山陰でも結構読者が多いんですよ。


Junさん 投稿者:らくりん  投稿日: 2月 3日(土)00時14分47秒

お疲れ様。5日はお待ちしてます。お通夜とかなければね。
去年は一度も行きませんでした。今年もちょっと腰の具合が良くなくて、行かないかな。
小6の娘は、行きたい素振りをちょっと見せるんですが……、どうも


スキー帰り。 投稿者:Jun  投稿日: 2月 2日(金)23時40分49秒

昨日今日と、実に11年ぶり2度目のスキーに行ってきました。弧野くんも一緒でした。
新潟の方だったので、ゲレンデが広く、雪質も良く(私は良く分かっていないんです
が)、とても楽しく、この年になってスキーにハマリそうです。

5日の「六道会」参加させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。


雪、降り始めた 投稿者:らくりん  投稿日: 2月 2日(金)09時28分07秒

このまま、続けば、Vitaさん今回もちょっと無理かな?
まったくの、○○タイミングですね。


よむー 投稿者:Vita  投稿日: 2月 2日(金)07時28分18秒

他にも、予習するものあったら、教えてー。
三日、美川の会、いくぞー。雪降るなー、


re:『定家明月記私抄』 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月 1日(木)22時40分30秒

>紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ

でした。
↓書籍案内

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=93036726


re:『定家明月記私抄』 投稿者:お留守居役様  投稿日: 2月 1日(木)22時35分09秒

紅旗せいじゅう我がことにあらず

当時、マルクス主義や毛沢東主義の
政治至上主義に反感を持っていたので、
芸術至上主義を標榜する言葉として興味がありましたが、
この一言だけみたいでしたので読まないですましてしまいました。


『定家明月記私抄』 投稿者:らくりん  投稿日: 2月 1日(木)21時02分49秒

昨日、堀田善衛『定家明月記私抄』を読了、定家については歌人として名前を知って
いる程度で、人物像についてはまったく知りませんでしたが、「へ〜、こんな人だっ
たんだ」という感じです。
もっとも私の関心は、定家本人よりも、彼と親交が深かった後鳥羽院でした。
国文学にも日本史にも縁が遠かった私としては、最初あまりおもしろいと思えなかっ
たのですが、読み進むうちに、堀田善衛の絵解きのおもしろさに惹かれて一気に読ん
でしまいました。さっそく続編の注文をしました。ちくま学芸文庫に入っています。
これまで『教行信証』の化身土巻を読みながらなんとなく想像するだけでしたが、この本を読んで、なんとなく後鳥羽像が少しはっきりしてきました。

『読み解く』第5巻では、歴史的な裏付けの確認が不充分なまま、かなり大胆な推測
をしたのですが、その「読み」はそれほど的外れではないのではないかという意を強
くしました。
と言ってもまだ読んで下さっていない人にはなんのことだかわからないでしょうが…
…。
第5巻を手にする前に、本書のご一読を薦めます。


一段落 投稿者:らくりん  投稿日: 1月30日(火)15時58分55秒

校正も、遠出の仕事も一段落です。
『読み解く』第五巻の原稿の仕上げとか、見直しをしていて、日本の古典とか中国思
想史の素養・知識のなさにほとほといやんなります。
なんでそんなことが気になるのかは、
第五巻を読んでいただければその理由はわかると思いますが、
ちょっと後鳥羽上皇とか陰陽道のことが気になりまして、
古本屋さんを回ってみたり、ネットをブラついてみたりしています。

堀田善衛の『定家明月記私抄』におもしろいことが書いてあるよという情報
をくれた人がいまして、たまたまのぞいた古書店にあったので、読み始めました。
しかし、
私は、文学青年とはほど遠い青春時代を過ごしてきたので、どうも勝手が違います。
この方面は、伊勢物語の大家のお留守居役様さんの得意分野なのかもしれませんが……。

ネットで「後鳥羽上皇」を検索してみたら、やっぱりあるもんですね。
多くは後鳥羽院が流された隠岐の観光案内だったり、関連史跡の紹介ですが、
そんな中に、『とはずがたり』と『増鏡』にかなりこだわってるHPがありまして、
ちょっと面白そうなので、サイト丸ごとダウンロード(約12MBありました)して、
おもしろそうなところを拾い読みしています。


天才法然 投稿者:らくりん  投稿日: 1月29日(月)09時21分40秒

法然はまぎれもなく天才です、だから核心をずばりとおさえてしまえば、
あとは表現の細かいところにはあまりあまりこだわっていない。
そのあまりの簡潔さ故に、凡人がそれを読むと、様々な解釈が生まれてしまう。
核心を外さずに、厳密かつ精緻に再構成・再構築して表現しえたのは親鸞しかいなかった。
というところではないかと、愚考しております。

ここでは、お久しぶりです。


天才法然聖人 投稿者:林遊  投稿日: 1月28日(日)20時57分58秒

ども、お久しぶりです。林遊@なんまんだぶつです。


そして、これはあくまでも単なる想像ですが、法然は、それに気付いても、一々細か
く言わなかった。鷹揚と言うか大らかと言うか、そんな人だったのではないかという
気がします。あいまいな部分をあいまいなままにしておいてもけっこう平気な人、悪
く言えば「詰めが甘い」「抜けている」ということになるのですが。
その辺は親鸞なんかとは、正反対みたいです。


う〜ん、多分違うと思いますよ。独創的な思想家や宗教者は啓蒙家(ヤバイ!(笑))にはなれないと聴いたことがありましたが、法然聖人や親鸞聖人はそのようなタイプだったのでしょうね。

で、小生のような凡人は、天才の跡をかぎ回り重箱の隅をつつくような、どうでもよいことに血道をあげているのでしょね(笑)。出来上がってしまった体系の中で考えてしまうと、あたりまえのように思いがちですが、法然聖人当時の顕密体制の仏教界で、釈尊以来の全仏教体系をひっくり返すような思想が「選択本願念仏」である、と林遊は思います。

そういえば、明恵上人も解脱上人もやがて登場する日蓮上人も、釈迦・弥勒信仰を持っていたそうですね。こりゃあ弾圧されるのもむべなるかなではありますね、うん。

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://access-jp.net/amida3/


法然という人 投稿者:らくりん  投稿日: 1月27日(土)09時41分28秒

法然の後継者たちの間に「一念・多念」という議論が起こってきたり、諸行往生を積
極的に取入れる流れや、逆に完全にそれらを否定する者たちが現われたことから考え
るに、おそらく法然は、著作や言行録レベルでも、記録に残らなかった日常的な話と
しても、「かくすべし」という形で、明確に言語化していなかったのではないか。
だから、聞いた人たちが銘々が自分の器や好みに合せた聞き方をしたのだろうと思い
ます。
そして、これはあくまでも単なる想像ですが、法然は、それに気付いても、一々細か
く言わなかった。鷹揚と言うか大らかと言うか、そんな人だったのではないかという
気がします。あいまいな部分をあいまいなままにしておいてもけっこう平気な人、悪
く言えば「詰めが甘い」「抜けている」ということになるのですが。
その辺は親鸞なんかとは、正反対みたいです。

松本史朗さんの「法然親鸞思想論」、すぐにとはいかないかもしれませんが、
目を通しておかなければならないと思っています。
ご紹介ありがとうございます。


松本史朗「法然親鸞思想論」 投稿者:お留守居役様  投稿日: 1月26日(金)23時51分35秒

昨日出版され、本日購入しました。
「まえがき」によれば、
本書は、法然・親鸞の批判的研究であり、
平雅行先生や袴谷憲昭先生を批判する書でもあるようなので、
ちょっと心配しました。
でも、第1章の「選択本願念仏説と悪人正因説」の
平雅行先生批判は、大したことないと思いました。
平先生の「法然は、諸行往生を否定した」と言う主張を
松本先生は批判されています。
まず、念仏を選択したのは、阿弥陀仏であり、
念仏だけが阿弥陀仏の本願であり、
諸行は非本願であることが確かめられます。
つぎに、「諸行でも往生できるか」が問題とされます。
松本先生は、
「諸行は本願の行ではないが、諸行によって往生することも可能である」
というのが法然の主張であると述べられます。
念仏往生は確定だが、諸行往生は不定である、
との違いがあるだけと言われます。
ですが、念仏往生と諸行往生の「往生」が同一なのか
別なのかが明確にされません。
ですから、
>『選択集』は、”余行による往生の可能性”を認めているが、
>その主張は、”余行を修すべし”でもなければ
>”余行も修すべし”でもなく、
>さらに言えば、”余行を修してもよい”ということでもないであろう。
(19頁)
とトーンダウンしてしまいます。
平先生ファンの私としては、ホッと一安心というところです。
そもそも、諸行を修するかどうかや諸行によって往生できるか
なんて問題にもならない。なぜなら、
諸行なんてナンセンスだというのが、
法然聖人のホンネだと思うからです。


本をそろえる 投稿者:松田 幸造  投稿日: 1月26日(金)07時23分30秒

 定年になったら らくりん さんの本そろえたいと思います。
大和通信の亡き社長に貰った 朝日新聞の本大蛇済度の本本棚
にあります、まだ見たことありません。

 高村社長 天国 で 読んでいるのかな。


私まではとても 投稿者:らくりん  投稿日: 1月25日(木)08時53分49秒

分け前なんて。
ただ、『親鸞の教行信証を読み解く』の売れ行きは、
担当者の弁では「明石書店の本としては上々」とのことです。

第1巻、第2巻が3刷り、第3巻が2刷りまでいきました。


第16回梓会出版文化賞 投稿者:お留守居役様  投稿日: 1月25日(木)00時49分31秒

>明石書店に賞状と記念品および副賞50万円が、
>また同特別賞として法蔵館に記念品が贈られた。

とあります。らくりんさんは、
副賞50万円の分け前をもらえないのでしょうか。


ROMモードです。 投稿者:らくりん  投稿日: 1月24日(水)09時13分14秒

お留守居役様さん、身に余るお言葉
お世辞言っても、何も出ませんよ

明石書店の出版ラインからすれば、私の本はあくまでも傍流ですから。

このところ、出たり入ったり留守がちで、落ちつきません。


新聞によりますと 投稿者:お留守居役様  投稿日: 1月24日(水)01時04分25秒

「親鸞の教行信証を読み解く」の版元である
明石書店が、第16回梓会出版文化賞を受賞したそうです。
らくりんさんの功績や大かと思います。


tosi 投稿者:Vita  投稿日: 1月22日(月)08時37分31秒

私の子供の頃は、雪がたくさん降り積もり、日中、日が射すと、少しとける。
そして、夜に固く凍結して、上を歩くことができるようになりました。
そうすると、田圃の上を自由に歩き回ることが出来る。
それはそれは、不思議な体験でした。
毎日の生活の束縛が、ぱっと消えてしまったようなそんな感覚でした。
あの頃は、アニメも少なかったし、TVゲームもパソコンもなかった。スキーをする人もいなかった。オゾンホールもなかった。
晴れた休日に、友だちと一緒に、ワイワイがやがや、雪合戦をしたり、喧嘩したり、肥溜めに落ちそうになったりしながら、遠くの町まで冒険にでかけたナア。

真っ白い広大な氷原の上に、吸い込まれそうに真っ青な空。

ただただ、懐かしく、美しい、思い出です。


雪が凍る 投稿者:松田 幸造  投稿日: 1月21日(日)06時00分59秒

 白銀の世界を自由に歩きたい、、、。


やたらと息抜きばかりして 投稿者:らくりん  投稿日: 1月16日(火)10時06分41秒

今日は、引用部分だけに限って、再度校正をやり始めました。私自身も含めこれまで
何人かの人の目を通っているはずなんですが、やっぱり見落されてきた間違いはある
もんです。
老眼が始まってきたようで、ルビを見るには拡大鏡が必需品です。(校正のためにと
奮発していいのを買いました。直径6センチの円筒の上に半球が乗った形で、高さが
約5センチ全体が均質の透明なアクリルか何かの素材でできており、手に持たずに紙
面に置いて使います。倍率4倍で、周辺の歪が少なく拡大部分が均一に見えます。ま
た光をレンズ内に集めるようになっています。とても重宝しています)

昨日から断続的に、雪が降り続け、今朝も雪かき。腰に力が入らないので、横着をし
て、取り敢えず車が出入りできる程度に混ぜ返しただけです。
三方が田んぼに囲まれ、一方が県道という立地で、隣接した隣近所がないのと、人通
りも少ないので、そのような横着でも、あまり人様にご迷惑をかけることがないのが
せめてものすくい。

自分のまわりに雪が積もり、白と黒だけの世界の中にいると、日本中が白銀に包まれ
ているような錯覚に陥ります。直接経験というのは強烈なだけに、人を縛りつける力
もあります。自分が見聞きしたごく一部の限られた経験で、全体を判断して決めつけ
てしまう愚。


剣のふもと 生まれ 投稿者:松田 幸造  投稿日: 1月15日(月)18時25分36秒

 子供の頃 よく そりに乗せられた登山者を見送りました。みんなで手を合わせて。
山の怖さ、熊の怖さ一番知っています。熊にまたがって写真取りまして、新聞に出ました。

 積雪は、うーん 3階から家に出入りしましたよ。


本当に「比べものにならない」 投稿者:らくりん  投稿日: 1月15日(月)13時45分36秒

私の生まれ故郷の白峰村の積雪量が新聞に出ていました。
昨夜から今朝にかけて、231センチ(2m31センチ)だそうです。
そうとう降っただろうとは思いましたが、これほどまでとは。
ちょっとたまげてしまいました。
雪不足に頭を抱えていたスキー場関係者は一安心でしょうが、
雪には慣れている人たちとはいえ、
一気にこれだけ降ると大変です。
年寄り住まいの家のことが心配になります。


雪が 投稿者:らくりん  投稿日: 1月15日(月)09時08分25秒

昨夜から降り続いた雪が約50センチ積もりました。北陸とは言っても金沢は比較的
雪が少ない。私が生まれ育った白山の麓の山奥に比べるのもばかげていますが、富
山・福井なんかと比べても半分ぐらいのことが多い。
しかし、昨日今日は久しぶりに「よう降ったなー」。
玄関前の歩行と、車庫から県道までの車の出入りを確保するために、除雪と圧雪。
細かいところは除雪ですが、年末から、腰を痛めていてけっこう辛いものがあります。
それで、県道までの20メートルほどの農道は、四駆の軽自動車、行ったり来たりし
て、踏み固めてしまいました。これで、一応交通は確保。
あとは篭って、校正をやろう。しかし、座りっぱなしも腰には辛い。

まだ、明日まで、降り続くそうです。


NTT」 投稿者:松田 幸造  投稿日: 1月14日(日)07時52分49秒

 通信業界は、今景気刺激対策として 1兆2000億を投資して マイライン
獲得にしのぎを削っています。

 いずれにしろ 携帯分野では、一人がちしてしまいました。
同じ土俵に上っても 母胎は 電電公社です。市内料金を安くしても、公社に接続料を支払えば
赤字です。県内市内は公社に、維持監理は、どこの会社も手留守です。

 やはり専属会社と友に歩むのが一番得策でしょう。 念仏販売会社 通信部担当 松田電建


 投稿者:松田 幸造  投稿日: 1月11日(木)07時26分02秒

 偽善、争わず、逆らわず、わが嘆異ショウ
本大好き人間です。

 しかし、最近の森林状態を嘆く一人でもあります。山育ちのせいもあり、山に行くと
山の精気に吸い込まれます。


ありがとうございます 投稿者:まこ  投稿日: 1月11日(木)00時08分11秒

 そうですか、両親からすると今更新しいものが出るはずはないということですが、直接に
安田理深さんを知らない私としては購入したいと思います。
 ところで、お気に入りから「こころおきらく」を削除してあったのを復活しないといけな
いみたいですね。これまた、ありがたいことです。


「こころおきらく」再出発 投稿者:Vita  投稿日: 1月 9日(火)15時18分10秒

いたしました。ヨロシクです。


安田理深講義集 投稿者:らくりん  投稿日: 1月 9日(火)08時55分38秒

第2巻が出ましたか。これで6巻出そろったわけですね。
この講義集は、既に発表されているものもありますが、未発表のものや、入手困難なもの
もたくさんあります。それから、年代順とか、テキストごとではなく、「共同体(僧伽論」
「仏弟子」「名号」「浄土」というようなテーマごとに、編集されていますので、私の印
象としては、密度が濃い感じがします。
語注も親切ですし、お薦めの本です。
私は、電車に乗る時、よくカバンに入れておきます。


安田理深講義集 投稿者:まこ  投稿日: 1月 9日(火)05時14分33秒

 校正の方、大変ですね。でも締め括りの五巻なので、頑張っていただきたいです。
 一昨日、名古屋のJR高島屋の大きな三省堂に寄って見たら、信楽俊麿「真宗の大意」
法蔵館と安田理深講義集第2巻が新刊で出ていましたが、安田理深講義集は過去の相応
学舎発行の講義集の再編集版なのか、それとも全く新たに講義禄を起こした全6巻なの
でしょうか? 事情をご存知でしたら教えてください。>らくりんさん
 1月18日午後3時〜7時に和敬精舎で東西本願寺非戦平和行動実行委員会があるの
で、その前に法蔵館に立ち寄って購入する予定でいます。実行委員会は公開されていま
すので、ぜひ皆さんの参加をお願いします。>ALL


校正の「ケリ」つけ 投稿者:らくりん  投稿日: 1月 4日(木)10時06分42秒

『読み解く』のような、文献の引用が多い書物の場合、「校正」は、そんな簡単に
「ケリ」がつく作業ではありません。これまでも初校の校正・校閲には、約1ヶ月
かかっています。

言ってみれば間違い探しなのですが、大きく二種類の領域があって、
原稿と刷り上がたゲラとの間の違い(印刷段階のミス)を探すのが校正で、
事実関係の間違い、文章の間違い、文字の使い方の誤りや不統一などのように、
主に執筆者に責任がある原稿段階で発生しているの間違いや不備を見つけるのを
「校閲」と言います。

印刷所で活字を組んでいた時代は、組み版職人さんの間違いが多く、
校正というと、原稿とゲラとを見比べるか二人で読み合せをするのが基本的なやり方
でしたが、私の場合原稿の本文はテキストスタイルのファイルで入稿しているので、
印刷所の入力作業に起因するミスは、「ルビ」や図表など、テキストスタイルでは
入稿できないようなごく限られた部分しかありません。

ですから、私の「入力ミス」のチェックか、内容的な間違いあるいは不備を探し出す
どちらかというと「校閲」に属する作業です。
自分のミスを自分で探し出すというのは非常に難しい作業で、特に本人が「正しいと
思い込んでいるミス」を見つけ出すことは原理的にほとんど不可能です。
私自身が校正・校閲をやると、間違い探しもしますが、どうしても内容の変更を伴う
「推敲」になってしまいがちです。校正段階で「推敲」をするのはいわば「反則」な
んですが、初校では少しは許してもらえます。
そういうこともあって、私に限ったことではないのと思いますが、著者というのは
基本的に「校正・校閲」者としてはあまり適任ではないわけです。

『読み解く』場合は、入稿前の段階でIさんEさんの二人の人に読んでもらい、引用
文献のみの間違い探しをHさんにお願いしています。そして、現在進行中の初校の校
正(校閲)は、原稿も読んでもらったEさんとMさんにもやってもらっています。そ
の他に出版社側が依頼した外部校閲者と編集者が目を通します。
それらを、私がチェックして、修正箇所を最終的に決めて初校が終わります。
けっこうめんどうなことをやっているんです。

編集段階でのミスが多い書物は、それだけで信用してもらえなくなりますから、
念には念を入れてやってきたつもりです。
おそらく、『読み解く』は、誤字・脱字のたぐいは少ないのではないかと思います。
もし、発見された場合はお知らせ下さい。増刷の際に訂正できると思います。

因みに、第一巻はすでに3刷りが出ていますし、第二巻と第三巻は現在それぞれ
3刷りと2刷りの増刷作業中です。第三巻の188頁の間違いも訂正になります。

というような次第ですから、初校の校正は1月下旬までかかる予定です。
中旬以降は、講義や法話の予定が入っていますので、それと並行してやっていく
ことになります。

それに、今日は住職が風邪気味で、11時からのお葬式は私が行くことになりました。


仕事始め 投稿者:ootubo  投稿日: 1月 4日(木)07時21分45秒

 今日から出勤です。
 1日と2日は来客者対応、3日は地区の新年会でした。
 2月末までの土日は、お仏事等で埋まっています。
 来月にはらくりんさんとお会いできそうなので楽しみにしています。
 今年もよろしくお願いします。


年明けは 投稿者:まこ  投稿日: 1月 4日(木)03時18分39秒

 らくりんさんも、似たような過ごし方ですね。校正にケリがついたのでしょうか?
 国際暦2001年は21世紀のはじまりです。新しい世紀には戦争をなくし平和な世界を
実現したいものですネ! この願いを込めて、カウントダウンして平和の鐘をつきました。
 20名余でお勤めを唱和した後は、住職の法話で映画「郡上一揆」を薦めていました。片
づけをしてテレビを見てお風呂から上がってメールを読んでようやく一息ついたのは午前2
時過ぎでした。
 1日は酒を朝3合、昼2合、夜2合と寝正月気味となりました。2日は昼1合、夜2合で
早めに休んでしまい、ヘイジュードーは寝ながらになってしまったので、ビデオで見直しま
す。3日は昼1合、夜1合でだんだんと量を減らして、4日からは缶ビール党に戻ります。
 積読の本や雑誌を消化していくのが当面の課題です。


今本堂から帰ってきました 投稿者:らくりん  投稿日: 1月 1日(月)04時06分56秒

11時30分ごろから、ぼちぼちお寺に来始めて、三々五々除夜の鐘をつきはじめ、
12時10分から修正会のおつとめ。住職の挨拶が20分ぐらいで、そのあと
一杯呑み始めます。老若男女取り混ぜて、今年は5〜60人ぐらい集まりました。
でも、皆さんいつもより早目に帰っていかれました。
寝過ごして遅刻したと、2時ごろかけつけた人が一人だけまだ残っていますが、
私は、失礼して寝ることにします。
これが終わると、元旦は寝正月。私は駅伝三昧ですが。
お休みなさい。


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