らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉



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この一年ありがとうございました 投稿者:らくりん  投稿日:12月31日(月)21時57分12秒

みなさんこの一年ありがとうございました。

激しいやり取りもあったりしましたが、
何はともあれ、いろいろな書き手、いろいろな読み手に参加していただき
なんとかやってきました。
年末の1並ヶ月、忙しさにかまけたこともありますが、
ネット生活にもちょっと息切れしたか静かな日々が続きました。

その代わりというわけではありませんが、
このところ「みね」さんの「YY-Y's」
が少しにぎやかになってきました。

大晦日の準備をして、一段落後、夜明かしに備えて一眠りしようと思いましたが、
夕食後にコーヒーを飲んだせいか、目が冴えて眠れそうにありません。

もう少ししたら年越しそばを作って、それから除夜の鐘、修正会とお参りの人が
みえますので賑やかになります。
「紅白」にも気乗りがしませんし、その前のつかの間の空白の時間です。

この一年
世の中に、何だかとても「おかしな気配」が蔓延してきています。
どうも、心晴れやかという気持ちにはなれませんね。

では。

http://8055.teacup.com/ymine/bbs


ごめんね 投稿者:ろむお  投稿日:12月31日(月)21時43分58秒

じゃ削除してよ。


注意!! 投稿者:らくりん  投稿日:12月31日(月)21時34分53秒

「ろむお」さん、初めまして。

こちらの掲示板には初めての登場で、
この掲示板の投稿(者)に対して、いきなりこのような対応の仕方は
あまり感心しません。

よその掲示板でどのような言動をされている方でも、
この掲示板では、この掲示板上の書き込みによって判断されるべきだと思います。
 ・自己紹介の有無
 ・ハンドルネームの呼び捨て
 ・よその掲示板の評価の持ち込み
 ・根拠を明らかにしない個人攻撃、非難
 ・この掲示板の他の訪問者に対する配慮
などなど……
少なくとも、この度のこの掲示板でのマナーとしては、
渡海 難さんよりも「ろむお」さんの方が問題があると言わざるをえません。
注意してください。


あっちゃー 投稿者:ろむお  投稿日:12月31日(月)18時59分25秒

 まさかの渡海 難が来たよー!くわばら、くわばら。


おや、まぁ 投稿者:らくりん  投稿日:12月30日(日)23時20分00秒

これはこれはめずらしいお方が。
私は、とてもあのテンションの高さにはついていけませんので、
2チャンネルにはとんとご無沙汰しておりますが、相変わらずご活躍ですか?
風の噂では、閉鎖になる(なった)とかならないとか。
私は、渡海 難さんの「芸風」はともかくとして、
そんなにはちゃめちゃなことは言っておられないと感じる時もあったりもしました。

ここのところ、ホームグランドの書き込みさえ思うに任せず、
ROMしている掲示板も片手で足りるくらいの状況です。
一応ブックマークはしておきますので、気が向いたら読ませていただきます。



お知らせ 投稿者:渡海 難  投稿日:12月30日(日)17時54分21秒

 仏教界特に浄土真宗界では最近、格別に評判が悪い渡海 難です。 (^^ゞ
 こちらのような静かな穏やかな掲示板に乱入すべき者ではなく、こちらは心苦しく、直ちに退散します。
 2チャンネルhttp://life.2ch.net/psy/
 で悪口雑言、悪態の限りを言い合っていたら、未知のどなたからかお誘いがあり、誠に僭越ながら真宗チャンネルでは大経論を始めました。
 2チャンネル在住の悪僧共が真宗チャンネルにも乱入し、今後、ハチャメチャにならないとは限りませんが、今はまだ静かです。
 2チャンネルの煽り、罵詈雑言、悪態の応酬にはついていけないという方も、いましばらくは静かな間、落ち着いて大経を考えようと思われる方が議論に御参加くださると幸いです。
 お知らせまで。失礼しました。m(_ _)m

  真宗チャンネル http://freebbs.fargaia.com/html/shinshu.html

http://freebbs.fargaia.com/html/shinshu.html


う〜ん 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月27日(木)15時34分22秒

 昨日寺報を公民館まで印刷しに行って、折り機で二つ折りにはしたけど
それから間に1枚いれて6ページにして、それを三つ折りにして封筒に
入れて、年賀として送る準備が出来ました。
 毎回送るのは一部の人で、今回は年賀の代りということで、別にA4に手書き
の文を印刷して、さらに一言入れて封をしました。ただ、送るだけでは
勿体無い。何か近況報告としての便りです。
年に一度の音信、確かに普段会う人ならいざ知らず、これまでの人生の
歴史で出遭ってきた方ばかり、大事な人たちです。
一昨年まではほとんど手書きで書いてました。しかし、物理的にムリになってきて
イロイロ悩んだけど、去年から寺報を送ることに。しかし、なんか手を抜いた積りは
ないけど、折角の年1回の音信を大事にしたいということで、苦闘してます。
これがベストとは思わないし、イロイロ検討していく余地はあると思います。


RE:年賀状 投稿者:らくりん  投稿日:12月27日(木)01時05分35秒

いらないと言えば、なくてもあまり困らないけど、
やっぱりもらうのはうれしいもんです。
めんどうくさいけど、個人的な付き合いのある人、特に昔のある一時期を共有した
人には出したくもなるし、もらいたくもなる。
そんな人に、年に一度の「音信」ですか。

私は、裏も表もパソコンで打ち出したものです。
ただ内容は毎年「書き下ろし」です。
それにできるかぎり、
たとえ紋切り型の言葉であっても、一筆書き加えるようにしています。

愛のメッセンジャーさんのカキコを見て、急いでとりかかり25日に出してきました。

単なる「儀礼」にしてしまうか否かは、
誰にどういうものを出すかによるんじゃないですか?


続・年賀状 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月26日(水)10時13分50秒

教えてもらってどうかするというより、このことに
みなさんがどう考えているのか?を素直に聞きたかっただけです。
当たり前の習慣を、何の疑問もなく受け入れ、それがあたかも
ずっと昔からなされてきたかのように錯覚していることが
多いのじゃないか?そんな疑問から、ちょっと聞いたのです。


失念 投稿者:らくりん  投稿日:12月23日(日)16時10分22秒

>(年賀状という)単なる儀礼でしかない習慣が本当に必要なのか?
>悩みます。教えて下さい
そんなこと教えてもらって、どうするの。だれかが「必要ない」って
言ったらやめるんですか?

私は以前、3年間ほど年賀状を出すのを止めたことがあります。しかし、
いただいた方には一人ひとりに手書きで返事のハガキを出しました。
それがとんでもなく手間暇かかることで、年末にまとめて出す習慣に戻しました。
私はいつも、年頭の挨拶として、近況・所感報告のようなものを出しています。
字ばっかりの見た目は「あいそもない」ものですが、
その文章を考えるのがこの時期の一仕事です。
そういえば今年はまだ書いていない、すっかり忘れていた。
どうしよう…(∞;)


年賀状って.... 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月23日(日)15時46分43秒

 年賀状の代わりに、去年から寺報を送るようにしてます。大学を卒業してから
3箇所、引越しを6回している小生にとっては、近況報告も兼ねているから
年賀状よりもナイスと思ってます。
 最近年賀状ってホント必要なのかと考えてしまいます。ウラも宛名書きもパソコンで
ナンか味気ない感じがして一年に1回の、単なる儀礼でしかない習慣が本当に必要なのか?
悩みます。教えて下さい


キーボード共有 投稿者:らくりん  投稿日:12月23日(日)10時26分58秒

複数(たしか三台まで)のパソコンを一つのキーボードで操作できる
アダプタというのがあります。ちょっと値が張りますけれど……、URLは下記。
私はこれで98機用のキーボードをAT互換機でつかうという変換器を
入手して使っています。
やっぱり一番頻繁に触れるのはキーボードですからね。

http://www.object.co.jp/


キーボード 投稿者:ダラブチ  投稿日:12月23日(日)08時44分20秒

1台のモニターに2台のパソコンを繋げて使っていて、デスクの上がごちゃごちゃになったの
で、1台のキーボードをコンパクトなワイヤレスのものに替えたのです。ところが、これまで
使っていた奴とキーの配列が違うので、その度に「ありゃ、どこだっけ」と探すことに。

特に Back space と Del キーに慣れてない。今までの奴の感覚で何気なしに見ないで叩くと
「アリ? 言うこと聞かねえ」てなことに。

キータッチとキー配列、この両方が満足できるキーボードって、なかなかないですね。


二種。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月22日(土)20時46分30秒

 >愛のメッセンジャーさんへ

 ごあいさつ、申し遅れました。どうも、はじめまして。
ああ、思い出しました。「同伴」って仏典(往生要集の
奈落のとこ)にありましたね。ご指摘、有難うございました。

 遠藤周作が、使ってたようですけど、
だいたいぐっちんは「同伴喫茶」がパッと思い浮かぶ。。。
Qちゃんみたいに「伴走者」と打ち込もうかと思ったのですが。

 >らくりんさん

 お疲れ様です。相変わらず、好き放題書かせていただいてます。

 >星野新監督へ

 絶望の淵に沈む中で、差し込んだ
まばゆいばかりの一条の光。
信じていいのですか?それとも、ここより
更に深く落ちなければいけないの?


我今無所帰 孤独無同伴 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月22日(土)14時15分10秒

源信僧都のお言葉に「我今帰るところがなく、
孤独にして無同伴なり」という言葉がある。
どんな自分でも受け止めてくれる、黙って
そばに居てくれる、そんな人の存在が生きる勇気を
与えてくれる。どんなに苦しくても、そういうまなざしが
あれば、人間どんな環境でも踏ん張って生きていけると
思う。
 ぐっちんさんの「同伴者」、イイ響きです。


「ホッ」 投稿者:らくりん  投稿日:12月20日(木)17時21分04秒

京都から帰ってきました。
これで年内の遠出はおしまい。あとは近場だけです。
自分自身に「ごくろうさまでした」と言ってやろう。


ライフタイムリスペクト 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月20日(木)11時05分24秒

 という歌が夏ごろ流行ってた。♪一生一緒に
いてくれや。。。というアレであります。ゆんべの
歌番組を見てたらそれを一番支持している層が30代
男性ということだった。

 平成の『関白宣言』と呼ばれているらしい。検索して
この歌の評判をみたらキライな(女の)人は徹底的にキライみたい。

 。。。このオトコ結婚したら3ヶ月も経たないうちに、
腹巻きしてビール飲みながら、野球中継見てそう。。。とか

 まあ、しかし失って初めてわかるものがありますねえ。
時代が、私らが求めてるのは「同伴者」じゃないのかなあ。。。
お遍路さんが「同行二人」って書いた白装束に身を包むように。
同伴者弘法大師、同伴者イエス、同伴者親鸞ってとこでしょうかね。。。 


言葉の大事さ 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月18日(火)14時36分47秒

メッセンジャーである坊さんは語り続けなけりゃいかんのとちゃうだろうか。

ぐっちんさんの言葉、重くのしかかります。
いつも大事にいているのは、僧侶というのは職業ではなく
自分の生きていく行き様、というかスタンスだと思う。
職業だとつまらないもの。行き方として自分は親鸞の
行き様に惚れました、そう言い切りたい。
言葉で語るとき、また無言で仕草や雰囲気で
語る、いろんな表現があるだろうけど、キチンと
丁寧に言葉を使って表現していけたらと願う。
間違うことを恐れずに。


補足 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月17日(月)15時08分41秒

 わたしたちに注がれている「まなざし」の位置は限りない
低みにあると同時に限りなく高い場所にあります。

 物干し台から竹やりでつつけるような、あるいは迎撃
ミサイルで打ち落とせるような高度にある「まなざし」
には気をつけたほうがヨイ。


数珠と経 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月17日(月)14時45分41秒

 故藤元正樹師の法話で思い出深いものがあります。
それは、あるお座で一番前に坐ってられた門徒さんに
「数珠をお持ち?ああ、持ってなさる。数珠で一番
大事なのは何かな?」と語り掛けられた。すると門徒さん
すかさず「珠(たま)です」と応えられた。

 「たま?うーん、ひもが切れたらどうするの?」と藤元師。
門徒さん、「ありゃりゃ」。「ひとつひとつの珠がどれだけ
立派で高価でもひもがなかったら数珠の役目をなさんでしょ」と。

 ここからは、ぐっちんの改作です。「お経に聞く」とか「お経に
学ぶ」とは一体どういうことでしょうか。スートラ、経(きょう)とは
たて糸のこと(よこ糸という人もあるが、経線は南北に走り、緯線は
東西に走る)。

 横糸が綾や模様を織り成す要素なら、たて糸は布を貫いて、
布たらしめる働きをするもの。つまり、日々の暮らしがどのようなもので
あっても、一枚の完成したもの、一貫したものにするものがたて糸の役割でしょう。

 熟年夫婦の熱い気持ちを込めた165通のラブレターを集めた
「夫から妻へ、妻から夫へ 60歳のラブレター」(NHK出版)という
本が売れているといいます。住友信託銀行が昨年11月から今年1月まで
実施した「60歳のラブレター」キャンペーンに寄せられた作品から編集した
そう。

 このキャンペーンは、同行が力を入れているコンサルタント(相談)業務の
主要なターゲットである50、60歳代の人々との接点を増やすために行われた
もので、ラブレターには、退職する夫の最後の勤務日に、妻が長年の苦労を
ねぎらう光景や、孫ができた喜びを妻に伝える夫の思いなど、様々な思いなどが
表現されています。

 昨今は熟年離婚も多い。若いカップルは、ロンブーなどの「やらせ気味番組」
を見てるとすぐに「お持ち帰り」されて、長い間連れ添う二人も少ない。
昔は、「おてんとさん」や「ご先祖さま」が「わたし」を見守っていました。
けど、今やそんな意識で生きてる人はごく少数。

 つまり、個人主義、ミーイズム、自己中を貫いた結果、わたしたちは
「人生全体」を見守る(かつ見透かす)俯瞰的な視点を失ってしまったのでは
ないでしょうか。
それは、ひいてはひとつの物語として「わたし」の生き方がまとまったものとは
ならない悲しさがあります。

 具体的な人間であるつれあいも、かかりつけのお医者さんも檀那寺の和尚さんも
「わたし」をずっーとは看ててくれない。なんか寂しいな。だから、そんな寂しく
悲しく頼りない「わたし」を見捨てず見守り続けている「まなざし」について
メッセンジャーである坊さんは語り続けなけりゃいかんのとちゃうだろうか。


逆立ちしてもできん相談 投稿者:らくりん  投稿日:12月17日(月)12時04分06秒

>ココでの話しは1度だけ
ということを思うと、私の場合はついつい「真剣に」なってしまうんですが……。

もうこの人に向かって話すことは二度とないかもしれないと思うとどうしても
気負ってしまいます。

「真剣に」なってもならなくても、
「伝わるか伝わらんか」においては、
「どうにか」あるいは「どうにも」できることではないにもかかわらず。

できん話は、逆立ちしてもできん。


危なさ 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月17日(月)11時00分08秒

「法話に餓えとんやな」ということである方のお通夜の席で
ご院さんは故人の子供の頃のエピソードを語られた。すると
門徒さんはご院さんが目をかけていていて下さったというので
涙をこぼしながら「これからもお世話になります」といわれてた。

確かに亡くなった方のエピソードを語るのは大事なことだと思います。
しかし、それだけでは単なる懐かしさや癒し、慰めではないか、と
自分自身最近思います。お寺に入寺して、本格的に寺での生活が一年過ぎようと
しています。両親は亡くなった家の家族構成などきめこまかに知っていて
ビックリします。それだけこの地で根をおろして生活しているからだと
思います。その点では凄いの一言です。お寺とは関係なく大阪で生まれ
たまたまの御縁で入寺したところが、土徳のあるところ。色んな場でその
土徳のことを話していて聞いている人もウンウンうなずいていたのですが、
それは気持ちイイから、なるほどと納得できるからであって、決して自己が
問われるということはナイのではないか。話している自分自身の歩みを
自己表現していくのが大事じゃないかと思ってます。聞いていて、自分の
在り方、姿勢が問われない話しは単なる慰めだろうと思います。
これまでは、極端に言えばココでの話しは1度だけというので無責任なことを
ガンガン言っていました。それは真実だと思って。しかし、お寺で生活するということは
そこで一生過ごし、そこで死んで行くということ。つまり、周りの方とも一生
お付き合いしなければならない。だから、これまで言ってきたことに臆病に
なっているのも事実です。しかし、どこまでもこの場合宗祖ならどうされただろうかと
宗祖に訪ねていくことが大事だと思い、イロイロ試しています。

決して役僧と「かかりつけ僧」とが違うとは思いません。
どこまでも、死ぬ気があるかどうか?そのことを言って嫌われるかも
しれない、殺されるかもしれない。しかし、この一点だけは譲れないものが
あるか。これが無ければ単なる無責任だと思う。役僧だからこそ見える世界を
どう表現するのか、考えて生きていきたいものです。


「あきないをもし」 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:12月17日(月)08時50分57秒

富山県出身の財界人はけっこう多いそうだ。大阪商人、近江商人は有名だし、まあ、なにがなんでも手前味噌、真宗門徒は商売が上手い?
経済はようわからんが、貨幣自体には価値がない。しかし、交換価値があると仮設して成り立っているらしい。なんだか、「念仏」とか「浄土」と同じような仕組みになっているような。まあ、昔の貨幣には希少金属が使われていたとか、いまはリアルマネーじゃなくてデジタルになっているとかはあるけどね。
富山県人はがめつくて、強欲。それでいて妙に醒めているところがある。金は大切だがそれに呑まれてはいけないと直感しているような気もする。物忌をしないということで、その世界ではありがちなタブーを乗り越える力も備えていたような。そのへんが聞法の成果というのは、やっぱり手前味噌。
東京や大阪で旗を揚げたご門徒さんとのご縁は徐々に薄くなっていく。彼らに経済の才能は伝わっていっても、真宗との接点は薄れていく。経済、効率、とにかく優先社会は悲しい。


伝統と現代 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月16日(日)22時13分43秒

 どこにも出掛けられないのでお寺の書庫から
「真宗」という内部情報誌のバックナンバーを
取り出して読んでいます。

 科学史家の村上陽一郎さんとらくりんさんとこの
今年の報恩講さんの御講師であったお医者さんの
梶原敬一さんの対談を読んでて興味深かった。
○○イストと○○イアンとの違いについてのお話。

 デンティストというと歯科医。ピアニストと
いうとピアノ弾き。それに対してフィジシャン
というと医者。ミュージシャンというと音楽家。

 つまり○○イストは専門化というか何かに特化
した人。○○イアンはもっと総合的なかんじ。

 梶原さんはイアンになりたいと思うといわれる。
医者というと専門医の方が評価が高いのだが。
たとえばK大病院の○○せんせいは心臓外科の
世界的権威とか。。。
 でも「医者は病人(患者、クライアント)を見ず
病気を見る」とは良く言われることであるけど。

 人の人生全体をみることを医者ができなくなっている。
それはかつて、ホームドクターとか、かかりつけの
お医者さんといわれていたひとが行っていたものだろう。

 昔、ぐっちんが瀬戸内海の島で役僧をしていた時のこと。
逮夜まいりで門徒さんとおしゃべりをして好評だった。
それで65歳の住職さんは「何のはなしをしてるんじゃ」と尋ねられた
ので「別に他愛のないはなしです」と答えた。

 「法話に餓えとんやな」ということである方のお通夜の席で
ご院さんは故人の子供の頃のエピソードを語られた。すると
門徒さんはご院さんが目をかけていていて下さったというので
涙をこぼしながら「これからもお世話になります」といわれてた。

 これは「負けた」と思いました。
ぐっちんのような役僧がにわか齧りの教えなど説いても
人生の全体をみている「かかりつけ僧」にはかなわん。
ここは「世襲制」の強みだと思いました。

 ブッディストとブッディアンの違いか。 


ありがとうございます 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:12月16日(日)08時19分17秒

お忙しそうですね。
「人間はただ電光朝露のゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし」
1月18日まで、なにがどうなっているのやら、と妙に心細くなっております。
みなさま、よいお年を。


感謝 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月15日(土)20時55分35秒

こちらは今日初雪、しかもドカ雪、昨日のうちに
タイヤを替えておいたので助かりました。

いつもそうなんですが、自分が聞きたい人を呼ばずに
人に受ける人を呼ぶのは、サーカスの興行師じゃあるまいし
オカシイと思ってます。自分が聞かずに、御門徒の方に
聞いて欲しいと言うのは、傲慢だと思います。
その意味で四国に関しては、小生が是非是非聞きたい
と思ってましたので御無理を言いました。一年更新といわれて
心配しておりましたが、何とか継続して言っていただけるということ
とても嬉しいです。
機が熟するというのは、ホント実感します。京都にいるとき
何人かの知人から京都教務所でやっている学習会に何回も
誘われていたのですが、結局1回も行けませんでした。
しかし、その講義録である「読み解く」を一気に読ませて
もらい、行っとけば良かったと後悔。そして、四国で靖国で
来ていただき、そしてまたお願いを。
本当に時機をいうものを実感します。
岐阜近辺に来られるときは教えてください。
よろしくお願いします。


夜半に嵐の…… 投稿者:らくりん  投稿日:12月14日(金)20時37分23秒

ちょっとまた出かけておりまして、今帰ってきました。
来週一杯ぐらい、まだこんな調子が続きます。

愛のメッセンジャーさん、ようこそ。
こういうところでもろに「本名」で呼ばれると、一瞬「えっ、誰のこと?」
ととぼけてみたくなっちゃいます。
四国の方は、今後も、しばらく寄せていただくことになりそうです。

狂信さん
次の美川は1月19日です。


御無沙汰しております 投稿者:愛のメッセンジャー  投稿日:12月13日(木)15時48分29秒

御無沙汰してます。四国に来ていただくように
お願いしていながら仕事を辞めてしまい、御迷惑を
おかけしました。すみません。
8月の岐阜別院の暁天は何とか朝5時起きでしたが、車で
一時間以上かかるため少し遅れて聞きました。
北陸では俊基さんの定期的な学習会があって、イイですね。
一度伺いたいのですが、これから道が凍みる季節は危ないし
ちょっとダメですね。暖かくなったらと思っているのですが。
これからも、たまに参加します。


らくりんさん、おげんきですか 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:12月13日(木)14時40分42秒

とりあえず、それだけ。なんちって。

えっと、次の美川の会、いつですか。


ただいま帰りました。 投稿者:らくりん  投稿日:12月 8日(土)23時22分44秒

とりあえず、それだけ。です。


もうひとつ、補足 投稿者:ダラブチ  投稿日:12月 8日(土)09時20分07秒

>Zazie。さん

法話を依頼するということについていえば、あなたの仰るとおりですよね。
どこかであなたの法話を聞いたことがあって・・・とか、あなたの法話を聞いたことがある人
から強く推薦されて・・・とか、あなたの書かれた文章にどこかで触れて・・・とか。
お断りになられたことには充分理由が立つと思います。

Sさんもお寺の法話会に人を寄せるいろいろな工夫をしておられて、教区内の若手を次々とデ
ビューさせたりしています(私なんぞはもう飽きられちゃってます)。然るべきご縁が整った
ら、次の機会には是非彼のいるお寺にお出かけ下さい。


いいんじゃないスか 投稿者:ダラブチ  投稿日:12月 8日(土)08時51分07秒

>Zazie。さん

私は全く気にしておりません。先日Sさんが家に来て「彼の下の名前を教えて」と言われたので
お答えしただけです。あと、金沢の学習会でたまに顔を合わせることがある、と答えたくらいで
す。べつに私が彼のいるお寺の法話会にあなたを強く推薦したとか、そういういきさつがあるわ
けでもありませんので、私にはお気遣い無用です。彼も、一度あなたのお話を聞かせてもらいた
かったということなんじゃないかと思います。(以上、半分は私信です)

・・・ところで、七光り。

ダラブチの場合、親の七光りなんてほとんど気にならなかったけれど、「お寺の子」というの
がうっとおしかったです。なんか悪さすると「お寺の子がそんなことして!」とまっさきにお
こられる標的になりましたんでね。「お寺に生まれたらみんな仏さんみたいな人間にならない
いかんのか!」とは、後になって感じた憤慨。

野球の世界の話でいえば、カズシゲにしても、カツノリにしても、やりにくいことでしょうな
あ。特にカズシゲ君の方は別の方向を早めに見つけだして正解でした(とは私の連れ合いの言
葉。「あの人、野球やめてよかったよ」)。でも妹のミナさんの方は自分があの人物の娘であ
ることを上手く使ってますよね。

そういえば若き日の王貞治をコーチした荒川さんが「弟子の七光りってのもあるナ」と言って
いた。「あの人を育てたコーチなら、言うことを聞いた方がいいか」というふうに。

利用できるものは利用する。それでなにかが始めやすくなるなら、それでいいじゃ〜ん、と最
近は思う。


あぁ。 投稿者:Zazie。  投稿日:12月 8日(土)01時29分11秒

ダラブチさんに責任は全く無いんです。すみません。


ただ、あまりにも一方的なお話でどうしたら良いのか解らなかったのです。


ダラブチさんへ。 投稿者:Zazie。  投稿日:12月 8日(土)01時25分42秒

今日、Sさんから依頼のあったお話をお断りしました。
もともと、不勉強を理由に、そういった話は辞退しています。

ただ、分らないのは、Sさんとお会いした事も無いのに、私のような者に、お声が
掛かったのか。普通、私という者に直接会って興味があったという事ならまだ解る
のですが、正直、父親の七光りか、私どものお寺の後継ぎという七光りとしか思え
ません。そんな理由で、私などがご門徒の皆さんにお話するなど失礼です。

そこらへんの事実関係をハッキリした上で、Sさんとお話ができて初めて、そうい
った具体的な話になるのではないでしょうか。


ラララむじんくん。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 7日(金)14時18分03秒

 イスラームにザカート(喜捨)と無利子銀行あり。
仏教に布施と頼母子講(無尽講)あり。いや、あった。
 
 調べていたら狂信さんのページに行き着いた。 
 
http://member.nifty.ne.jp/vita/r/okou/okou.html

 この講とエコマネー(地域通貨)の比較がありました。

http://krd.roshy.human.nagoya-u.ac.jp/~rep2000/akiyama/akiyama1.html


留守します 投稿者:らくりん  投稿日:12月 5日(水)22時44分48秒

明日から、またしばらく留守しますので、どうぞよろしく。


寺域通貨 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 5日(水)13時52分40秒

 昨晩、NHKのクローズアップ現代で
地域通貨の特集をやってた。皆さんの地域では
やってました?

 これ使いようではオモロイと思う。各お寺で
たとえば、100モント、500モント、
1000モントを発行する。(親鸞聖人熊皮の
御影などを肖像に)

 で、仏具のおみがき、本堂の清掃、寺報もしくは
同朋新聞の発送等を手伝ってもらった方に時間制
(30分のお手伝いで100モントとか)でこの
モントを報酬として手渡す。

 お寺の行事、たとえば一人芝居・落語会・コンサート・
講演会・盆踊りの夜店・バスツアーなどの費用の一部に
この寺域通貨モントを使えるようにする。(院号法名の積立金?)

 これだけでは拡がりが無いので、ゆくゆくは介護保険で
カヴァーできないご門徒さんのホームヘルプサービスとか
学童保育とかのレスパイトにひろげていく。

 するとお寺に足を運んでいただけるご門徒の数が増える。
もしくは自分がお寺の運営に責任をもって携わっているという
意識が芽生える。

 地縁・血縁でつながっているひとびとがそれを止揚して
「問題縁」によって再編成される。このような作業の中から
「お聖教」を読む会にも参加者を募る。具体的な生活の中から
「聖典」を読むのである。

 で、ここから浄土三部経などの現代語訳、つまりお寺独自の
「真宗同朋法要式」を作り上げるのであります。

 とまあこんな面倒くさいことやる人いてまへんやろな〜。
ぐっちん自身は教師資格(住職資格)さえももってへんから
こんな計画は絵に描いたモチでしたっ! 


ごぶさたです 投稿者:らくりん  投稿日:12月 5日(水)00時16分05秒

師走ということでもないんでしょうが、12月になって出たり入ったり
なんやかやバタバタしています。
にもかかわらず、いやそういう時に限って
あわててせんでもいいことをやってみたくなります。

というわけで、ネット用のマシンのOSを代えてみました。
XPではなく、2Kにしました。
98機ではもうなれっこになっていますが、
DOS/V機のインストールは初体験なので、
HDDのフォーマットからちょっと戸惑ってしまいました。
もっともその原因は98機のHDDをDOS/V機に転用したためで
そのときにはちょっと細工をしてやる必要があったみたいです。
(元の環境をオーバーライトしてしまうほど勇気がなかったからです)

今なぜ2Kなのか、その理由は、
1,XPと同等のシステム安定性が期待できる(XPは90%以上2K)
2,悪名高い悪ティベーションがない
3,Windows95からのバージョンアップが保証されている
4,XPより要求されるスペックが低い(ハードが安上がりですむ)
5,XPがリリースされた今、早晩2Kは店頭から消えて、入手が難しくなる
というところですか。
デメリットは、これまで使っていたハードやソフトのいくつかが使えなくなる。
ダメだったのは、ハードでは内蔵モデムとサウンドボード(私はなくても困らない)
ソフトでは、一番肝心な日本語変換ソフトが2Kに対応していない。
これはちょっと、いやかなり痛い。
これを機会に、別のIMEに挑戦してみようか、一応候補の目星はある。
乗り換えてみようかという気になった理由の一つは、
有望な試してみたいIMEが見つかったからということもあります。

インストール後の、第一印象は、思ったほど重くない。
いや、メモリの使い方が上手なせいかWindows98よりも体感的にはきびきびした
使用感がある。


補足 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 2日(日)20時37分56秒

 イスラームでは金曜の集団礼拝のとき、
アラビア語で「クルアーン(コーラン)」と
ムハンマド(マホメット)の言行録である
「ハディース」が読まれ母国語でお説教がある。

 誰でもムスリム・ムスリマなら参加する。
一生通じて聞くのだからそれは相当なもんだ。

 日本では寺子屋で教えられてたのは、
「読み・書き・そろばん」。その教科書は
往来物とよばれる農産物名とか地名とか
実用的なものに偏っている。あっても
石田梅岩の心学みたいな通俗道徳で仏教の
教えなんか漢文では教えていない。

 民には依らしむべし、知らしむべしってとこか。
空海の「綜芸種智院 」では実際何教えたんだろうか?

 中国はインドからの経典を翻訳した後、原典は
ほっぽり出したという。さすが、自国の文化に誇りを持つ
国です。中国を崇めた日本では、やさしい「仮名法語」は
江戸時代になってようやく禅の盤珪みたいな人が書いてる
だけ。(蓮如の書簡は別として)

 だから和訳による儀式なんか普及しないんだろな。


核分裂 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 2日(日)20時24分29秒

 らくりんさんは『読み解くX』で七カ条制誡をひいて、
「教え」の伝わり方に「核分裂型」と「ねずみ講型」がある
と提唱しておられます。

 核分裂の方は自主分権型、ねずみ講は中央集権型です。
で、その自主分権型のひろまりに一役買ったのが「家」と
「講」だといわれています。

 個人がどんどん勝手に教えをひろめる。それは、ちょうど
不幸の手紙がひろまったり、迷惑メールがひろまるのと似ていますね?

 お経の中にも、「この経典を書写したり、内容を伝えたりすれば
すっごい功徳がある」といっておんなじ作戦に訴えてるのがあります。

 イスラームではイマームという子供達に読み書きを教えたり、
お祈りの後にお説教を無料でする人がいます。イスラームは、
牧師や神父、僧侶にあたる聖職者はいなくてもこういう人たちが
どんどん教えを伝えているのであります。
 だから世界でどんどん信者が増えてるんだな。
 
 東京に「親鸞仏教センター」っていうのができてるみたいだけど、
なんか各界の識者と情報交換するみたいなことが謳われている。

 でも真宗ってお西は五木寛之、お東は高史明。以前は
真継伸彦とか野間宏。石牟礼道子みたいな作家を中心とした
教団内スターというか広告塔みたいな有名人に依存した
布教戦略をたてている。

 これってとても不健康だと思う。共産党は「赤旗」、
創価学会は「聖教新聞」という機関紙活動を通じて
その組織をひろめ、やっぱ選挙には民主党や社民党
より手堅い票を集める。「同朋新聞」なんて上から(寺から)
降りてくるだけだもんね。

 その点、HPは画期的でありましたね。この業界では
有名な東京の(埼玉在住)のU氏みたいなご門徒さんが
どんどんバンバン、僧侶とは関係ないところで多いに
「情宣活動」されるのに望みをつなぎたいところです。


ウイルスメール 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月 2日(日)14時38分23秒

またもやトロイの木馬らしいメールがきました
即削除しましたけど
みなさんに迷惑を掛けてないでしょうか


ウイルス対策 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月 1日(土)09時56分59秒

ウイルス犯は愉快犯ですから、
Windows、Internet Explorer、Outlook
を標的にします。
ですから、マックやネットスケープは狙われないようです。
↓ウイルスバスター2002の30日間体験版
 下の方で、許諾してからインストールしてみてください。
 今現在のチェックができて安心できます。
 最新の対策は有料となります。

http://www.trendmicro.co.jp/product/vb2002/lis.asp


ウイルス前線接近中 投稿者:らくりん  投稿日:12月 1日(土)09時38分53秒

えらいあちこちの掲示板でウイルスメールが届いた報告が書いてありますね
(心なしか「ついに自分のところにも来た」とちょっと嬉しげに見えたりも
します)

私のところにも届きました。発信元はわかっていますし、その方から警告メールも
対処方法とお詫びメールをいただきました。

今回、指示された対処方法とは、不審メールが届いていたら、プレビューする前に
ネットを切断して、スタンドアローン状態で削除するようにとのことでした。
お留守居役様さんもどこかで書いていましたが、添付書類を開かずに
メール本体をプレビューするだけで、アドレスブックのリスト宛てにチェーン
メールが発信されるおそれがあるからだそうです。

私の場合はネットスケープ党なのでマイクロソフト系のブラウザやメールソフトを
使っていませんので今回も被害はなかったようです。

今朝、スイッチを入れたら起動段階でフリーズ(不安がよぎる)、
セーフモードで再起動してからもう一度再起動したら立ち上がりました。

たかをくくって、まだウイルスチェックソフトは入れてありませんが……、
こうウイルス情報が飛び交うとMそろそろ用意しなければ、と。(∞;)


人はみな、平等 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:12月 1日(土)06時54分39秒

この掲示板で知りまして、昨夜は、美川の会を欠席し、
「釈迦内柩唄」の婦中での公演を観て参りました。
一緒に行った母も、感動していました。ありがとうございました。


エヴァ・ブラウンの、愛 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:12月 1日(土)00時10分18秒

fuu,,,,
しょうがないので、ETVを見てみたら、エヴァ・ブラウンの特集。
知らなかったのだが、エヴァは自ら、ベルリンに赴き、
それで結婚して、心中したという。

コメンテイターの心理学者は、後世に名を残すための行動と笑っていたけれども
こういうとき、「愛ゆえに」ということを幻想してしまうのは、
やっぱり、オレが、バカだからだろうかなぁ。

>ぐっちんさん

本、届きました。ありがとうございました。


生活破綻者 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月30日(金)14時27分11秒

 どこへ行ってもクリスマスソングと
イルミネーションの渦に取り囲まれる
季節になってきました。

 例年になく鬱陶しい感じがします。
この商戦の中にちょっぴり参戦して
みようかと思って、銀行でお金を
引き出してみたけど利子なんかついてない。
こちらは、いわゆるイスラーム教徒的ライフ。

 真宗門徒のくらしや生活はどこへ行ったのだろう?


意外なことに気づいた 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)11時54分16秒

WinXPのことをいろいろ書きながら、あれこれ考えていたら

私の場合、
インターネット以外に日常的に使っているのは、
ワープロとデータベースソフトだけ
そして、その二つはMSーDOSソフトを頑ななまでに使い続けている
そういうことなら、
もしかしたらWindowsなんか起動させずにMSーDOS起動して
ワープロとデータベースを使えば一番手軽で堅牢なんじゃないかという
気がしてきました。

だいたい、メールまでMSーDOSでやってきていて、
MSーDOSを離れてWindowsに手を染めたのは、
インターネットをできないというところからだったんですから。
そのインターネットについては、
最近はウイルス対策のために、それ専用のPCを使っているわけですから、
普段の仕事はMSーDOS起動でもさほど困らない、
ということに気づきました。

複雑な処理が必要なWinソフトを使う時だけしかWindowsは要らないんだ。
その線で、PC環境を再考してみよう。

問題は、MSーDOSデータのバックアップをどうするかだ。
それは、なんとかなるだろう。


PCの同一性 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)09時38分23秒

PCのアイデンティティを決定づけているのは何か
候補として考えられるのは
 ・マザーボード
 ・CPU
 ・ハードディスクの中味(データ&ソフト)
 ・OS(基本ソフト)
 ・アプリケーションソフト(応用・実用ソフト)

マイクロソフト社はそれをOSにしようとしている
ハードメーカーはMS社の戦略に降参した
しかし、一人のユーザーとしての私にとって、
PCの何者にも代え難い核心部分とは、
ハードディスクの中味とそれを利用するためのアプリケーションソフトに
他ならない。
もう10数年以上HDの中味と使い勝手を守ることが
PCライフの最重要課題になっている。
だから、
私はそれを守るために時間もコストも様々な不便も我慢しているのだと思う。

結局、アイデンティティの中核は、
あらゆる犠牲をはらってでもどうしても守りたいものは
何かということになるんだろうと思う。
それがなければ、PCなんて何でもいいんでしょう。
次々ととっかえひっかえ、独占企業にご奉仕することになる。


おおかたの評判では 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)09時18分05秒

現在すでにWin2Kを使っている人は、
対応ソフト、対応機器、超高速回線が普及するまでは、
当面XPに乗り換えるメリットはほとんどないというのが大半のようです。

Meの人はそうでもないみたいですが。


そうくると思って 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)09時11分03秒


敵もさるもの、CPU、HDD,メモリ、SCSIボード、ネットワークボード
……など10種類ぐらいの指定周辺機の4〜6(条件によって違う)ぐらいまで
は交換してもそのたびに認証は必要ないみたいです。マザーボードを入れ替えても
大丈夫という情報もあったような気がします。
また、120日経つと同一機(この判定が問題になっているわけだが)の
再インストールはかなり変更があってもフリーパスみたいです。
詳しいことは下記で、
そんな質問もあろうかと思って、チェックしておきました。

結局、どこまで入れ替えたら、そのPCは元のPCと別物になってしまうか、
すなわち人間でいうところのアイデンティティ(自己同一性)の問題です。

人間でも、機械でも行き着くところは「私はどこまで私か」という
似たりよったりの課題になるみたいですね。

Zazieさん、お大事に。

http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20011030/mobile124.htm


Zazie。 sann 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月29日(木)09時00分25秒

お大事に。


ホンマ門 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月29日(木)08時57分05秒

私のマシンはCPU1GHz、メモリー512MB、OSはWin2k。
静音ファンを使用して、安定性、性能とも申し分ない。
しかし、気にくわないのが、自作機の悲しさ。スタンバイモードから復帰すると、大きなアプリが落ち始めることだ。
別に、その度にシャットダウンすればいい。立ち上がりも早いんだし。
でも、一つあらが見つかると、もう、全体がイヤになってくる。

サーバー用静音節電ベアボーンの記事を見つけた。ファンを使わずに機体で放熱。
これを使えば、電源を切ることなく、いつでもPCを使うことができる。無音。
しかし、使えるCPUが限られていて、今のマシンの半分ぐらいのスペックに落ちることになる。

WinCE機も最近はかなり性能がよくなったようだ。
でも外部モニターは使えるようになったのかな。

本当に完璧なものって、みつからない仕組みになっているそうな。
「読み解く」に書いてあったネ。
でも、分かっちゃいるけど、やめられない。

サブマシンWin98ノートのメモリーが256MB、7000円ちょっとで
手に入るようになった。これ、けっこうスタンバイモードいける。
これ買って、お茶を、にごしてみるか。


アクティベイション 投稿者:ダラブチ  投稿日:11月29日(木)07時33分50秒

・・・の件ですが、自作のパソコンをパーツの交換によってアップグレードしていくのはどう判断
されるんでしょうね。例えばCPUをペン3からペン4に上げるとか。まあその場合は必然的にマ
ザーボードも交換するわけですが。何をもって「同じパソコン」「違うパソコン」と判断するんで
しょうか。・・・マイクロソフトめ。

昨日、今流行のウィルスに感染したメールを2通いただきました。感染はしていないはずなのです
が、パソコンが時折挙動不審になります。疑心暗鬼です。

金糸雀・・・・カナリヤのことなんですね。


唄を忘れた金糸雀は...。 投稿者:Zazie。  投稿日:11月29日(木)01時15分23秒

風邪をひいたまま、報恩講参りに出ていたら、声が出なくなりました。
ようやく医者に行くと、「声帯ポリープ」寸前だそうです。治療法が、
「とにかく声を出したらダメ」という事で、周りの人たちの協力で4日
ほど報恩講参りを休んで様子をみる事になりました。

風邪自体はほとんど治っているので、他は元気なまま、本を読んだり、
ボーっとしたり、なんかダメダメな感じです。

−経の読めぬ坊さんは、後の山に棄てましょか。
−いえ、いえ、それはなりませぬ。

−象牙の船に、銀の櫂、月夜の海に浮べれば、
という訳にもいかなくて

−好意に甘えて休んでいれば、

読めない経も読めるようになるかな。


修正 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)01時10分09秒

不評なXPの「アクティベーション」というのは、インストールしたあと
その一定日数以上使い続ける場合には、MS社にコンタクトをとって、
認証番号をもらわないと使えないというシステム。
これは1台のパソコンに1本のOSという「原則」をユーザーに徹底させ
ようというもの。
私のように、中古のPCを買って何台かにインストールしようという
不届きなユーザーの息の根を止めようとする戦略。
「囲いこみに手を染め始めた」と書いたが、
それは間違いで
「囲いこみがほぼ完了したから」MS戦略の中で、寸分も不正を許さない
という「金縛り戦略に着手し始めた」という方が正確。


思い起こせば 投稿者:らくりん  投稿日:11月29日(木)00時54分01秒

Mac、BTron、Linux、いろいろなOSを試してき
ている。新しい物見たさの好奇心はけっこう旺盛
でも、結局Windows95+MSーDOSという古典的なOSに落ち着いて
しまっている。
それもこれもすべて、愛用のワープロソフトが最大のネック。

XP情報を読んでいて、マイクロソフト社もついにユーザーの囲いこみに
手を染め始めたか、という感じです。
PC界では、IBM、Mac、NEC……と一時隆盛をきわめたかに見える
企業がその優越的地位を傘に着て秘密主義、囲いこみ戦略をとると、
その優越的地位を失っていく。
私としては、あのワープロさえなければ、そしてLinuxを修得する
時間さえあれば、MS社に絶縁状をたたき付けたいところだが……

それもゴマメの歯ぎしり、
当分MSどころかNECとさえ手を切れそうにない。


WinXP続報 投稿者:らくりん  投稿日:11月28日(水)23時06分42秒

つれづれなるままに、某掲示板のWinXPの評判を読んでいます。
どうも「アクティベーション」という不正コピー対策がかなり不評を
買っているようです。
つまり、製品版パッケージを買っても1台にしかインストールできない
という、今まではあってもなきがごとき実状であった使用許諾条件を
ユーザーに守らせるために一々ネット上か電話でソフトを使用可能に
するための暗証番号をもらわなければならないようですね。

大きな声では言えないけれど、これってちょっとちょっと……ですね。

時々のフリーズを我慢すれば、
やっぱ、当分様子見ということにしておいた方がいいかな。
なんせ、Windows95で5年ぐらい特に致命的な支障なく
なんとかやってきているんですから。
Windows95の仕組みにもようやく慣れてきたことだし。


RE後遺症 投稿者:しん  投稿日:11月28日(水)17時50分40秒

こんにちは、先日はお疲れさまでした。
おかげで充実した聞法ができました。そういう意味では
田舎も好いでしょ。
今回は観経の講義でしたが、このぶんでいくと「浄土三部経を読み解く」
もそのうち出そうですね。落鱗記でもでるかな。
郷愁をさそう山陰路でしたか。




後遺症 投稿者:らくりん  投稿日:11月28日(水)09時08分36秒

文明社会と隔絶したところに数日いたせいか、
生活のリズム・ペースがちょっとずれた感じが残っている。

心はちょっとあせっているんだけれど、
頭や身体がそれについていこうとしない。

なんとかなるだろう。

独り言:私が小学生の頃はあんな感じだったんだよね。


w(゜o゜)w オオー!着払い 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月27日(火)20時01分22秒

>ぐっちんさん

謹んで、リサイクルさせていただきます。
宛先が不明でしたら、恐縮ですが、メールをいただけると幸いです。


恥ずかしがりやの。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(火)15時41分38秒

 死生さんにかわって 宣伝。

 来年、花祭りの夜に東京・新小岩のライブハウスで
バンドのライブと法話のコラボレーションの会、死生
さんの主催で開催されます。(1ドリンクつき)

 故藤元師いわく、「儀式と法話がバラバラだ。。。」

 ならそこで、こんなコンセプトでやります。

伽陀(イントロ・プロローグ)にかえて絵本の朗読、
       (紙芝居あるいは影絵風にスライドをつかう)

表白文にかえて、死生さんご挨拶(講師、バンド紹介)

経文(漢文音読誦)にかえて法話(絵本の発題をうけて)

念仏にかえて休憩(ジャズバンドさんのCDをBGMとして)

和讃(やわらげほめ)にかえてバンドさんと講師の方とのフリートーク、
       (会場からの野次・罵声・質問・笑い・受け念仏歓迎?)

回向(表現法)にかえて、バンドさんによるライブ

御文等拝読文(エピローグ・エンディング)にかえて死生さんご挨拶。
             (アトラクションによるプレゼントつき)

 詳細が固まり次第、バンドさんのHPでも宣伝を打ってくださるそう。
 
 >狂信さん

 古くは平楽寺書店の『仏教における行』(’69)じゃないですか。
ぐっちんにとってもうこんな本いらんし、古本屋に売っても二束三文だから
送料のみで送りましょうか?


ただいま帰りました。 投稿者:らくりん  投稿日:11月26日(月)23時53分00秒

清流のほとりの山寺。
今はもうダム湖の底に沈んでしまった
私の生まれ故郷を彷彿とさせる山々と人々……
長かった
けど、ゆっくりした心地好い時間が流れる4日間でした。
とりあえず、それだけです。

ネコさんのお友達も5人ほど見えていました。
来年の5月が楽しみです(ということにしておこう――本音は○○ ヒ・ミ・ツ)


>三吉さん みなさん 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月26日(月)21時29分19秒

突然ですが、法華経を大切にする宗派はたくさんありますけど、
「行」って、どういうふうになっているんでしょうか。
参考書とか教えてほしい。なるべく、すぐ読めるヤツ。。。

他の宗教のことを、全然知らない。
教団のなかでぬくぬくと育ってきたなと思う、今日この頃。

実は、三吉さんの掲示板、検索して見つけたんだけど、ノリについていけない。。。


宗教って? 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月26日(月)16時10分12秒

 イエスには私生児説がある。
ムハンマドは実際孤児だった。
お釈迦様は生母を、法然上人は父を幼少期に失い、
蓮如上人は母と生き別れ。

 喪失体験というか、限界状況というか。。。

 しかし、
イエスはユダヤ民族主義のいきづまりの
ムハンマドはアラブ部族社会の混乱の
お釈迦さまはインドのカースト制度の差別の
法然や親鸞は顕密制度の諸矛盾という
「時代的」な課題にぶち当たっている。

 ひとりひとりに課せられた宿題(ぐっちん用語では不共業)
と同時にその社会がはらんだ宿題(ぐっちん用語では共業)をも
「啓示」によって引き受けていってる。

 自分の「悲しみ」だけじゃなく
他者の「痛み」に敏感。そんでもって拡がりがある。


釈迦弥陀二尊教 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月25日(日)17時01分45秒

 というのが他に『読み解く』から刺激を
受けたポイントです。

 加治伸行の説によれば、東アジアは
シャーマニズム文化だという。
 
 儒教(東アジア文化圏)では人が死ぬと
精神は「魂」となって「この世」の「天」に、
肉体は「魄」となって「この世」の「地」に
あるという。(読み解くXでも触れられている)

 そして墓という依り代において祖先祭祀を
シャーマンの力によりおこなうと再び魂と魄が
出会って子孫たちと出会えるのだという。

 預言者は「神のことば」を預かる者。
シャーマンは「亡魂」のメッセージを伝える者。

 形而上のものと形而下のもの。
沙漠文化とモンスーン文化の違い?

 阿弥陀の「本願」を
釈迦が「教言」として伝える。
これは一体どういう意味をもっているのかいな?


沙漠のような東京で 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月25日(日)16時46分34秒

 ♪ あなたひとりの しもべとなって
   夜も寝ないで 女のまごころ
   私は 私は つくすのよ

 と昔 いしだあゆみは歌ってた。
奥村チヨも奴隷になるのは、恋に対して
であって神に対してではありません。
(今ならさしづめ田嶋陽子にどつかれそうな男の
作詩家の身勝手な妄想だらけの歌謡曲。。。)

 黒い呪術師、アブドラ・ザ・ブッチャー。。。
ブッチャーの意味はご存知でしょう。
 
 それよりアブド・ル・ラーは
アッラーのしもべの意味。

 汁粉のような日本人は会社や恋人という
ような「この世的」なものにしか帰依しない。
 ぜんざいのようなムスリム(男性)
ムスリマ(女性)が帰依する対象とはどうも違う。 


ごみレス 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月23日(金)01時14分02秒

ヘーゲルの命題に
>合理的なものは、現実的であり、
>現実的なものは、合理的である。
という名文句があります。
また、古代ギリシャ哲学以来
>あらゆるものは、根拠(理由)なしには存在しない。
といわれています。
これを「根拠律」というそうです。
ゴミが存在するのも合理的な理由があり、
そのゴミを増やすにしろ、減らすにしろ、
合理的な方法によるべきではないでしょうか。
「合理的」と言われたところを
「功利的」と言い替えられたらと思いました。


WindowsXP雑感 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月23日(金)00時53分49秒

起動、終了が早くなった印象があります。
アイコンなどのトーンがパステル調で、
やさしい感じがします。
操作は、むしろ3.1的で、
デスクトップには、ゴミ箱のアイコンしかありません。
けれども、2000と同じにすることもできるので、
なんだかなあ、と言う感じです。
画像処理に強いと言われていますが、
まだ確かめていません。
新機能については、
製品版発売後の雑誌の記事で勉強しようと思っています。
細かい点ですが、
カーソルがツリー表示をたどるとき、
ツリーが消えずに待っていてくれるので、
カーソルの移動が容易になりました。
また、終了時に「電源を切る」ボタンを押し続けている、
または、触れ続けていると、
背景が白黒画面にゆっくりと変化していきます。
いかにも終わるっていう感じがします。
ただし、完全にクリックすると、
カラーに戻ってから終了するので、
チョット不満かなっていうかあ。
ともかく、趣味の世界を楽しむためになら購入をお勧めしますが、
企業などでのネットワーク管理以外の目的、
一太郎やワードとエクセルを使う程度なら必要ないと思います。
フリーズ対応も2000の方が良かったように感じます。
でもXPは、リセットしても何事もなかったかのように
普通に立ち上がるところは、偉いなあと思いました。


釈迦内柩唄。 投稿者:Zazie。  投稿日:11月23日(金)00時43分49秒

散々チケット売っておきながら、本人が行けなくて申し訳ない気持ちです。

21日というのは、私どもの寺の、在所の報恩講まいりが一番多い日なのです。
全52軒、朝6時半から夕方6時半まで、開演時間までお参りが続きます。ま、
両親が見に行きましたが。

その在所は、昨日(21日)早足で回る分、今日は懇ろに1日中お講です。拙い
お勤めと法話をして、お酒をいただいて今帰ってきました。

行きたかったな、釈迦内柩唄。


留守します 投稿者:らくりん  投稿日:11月23日(金)00時09分25秒

明日から4日ほど遠出します。
思ううに、私がお邪魔するところで、
金沢からもっとも「遠い」日本のひとつかも知れない。
日本海側同士というのは北も西も「遠い」んですよね。

みなさんだいたい勝手はのみこんでいただいていると思いますので、
特に留守番はお願いしません。それなりにどうぞ。

>しんさん
私の呼びかけに応じて(か、「ついで」か、どうか知りませんが)
その遠い地から、金沢まで『釈迦内柩唄』と「水俣・金沢展」にお越しいただき
ありがとうございました。
今度は私がそちら方面にお邪魔するわけですね。

>ネコさん
もしネコさんが私が推測している御仁ならば、
「yosshy」さんがその出先までお見えになるそうです。
(この意味が通じないならば、私が想像している御仁ではないということ
になますので、失礼をお許し下さい)
ちょっとまて、メルアドを見ると同一人物のようですね。


ごみ 投稿者:ネコ  投稿日:11月22日(木)22時39分49秒

>効率とか「役にたつ」とかいうような基準で考えるならば、
無用な存在かも知れませんが、効率・有用性だけを追求していく果てに
何が待ち構えているか、そんなことを考えたら、ぞっとする。

人間は自然から素材を切り出し加工することで,家やビルを建てます。
ですが,そもそも自然は合理的なものではないので,合理的に利用しようとすると,
どうしても「ゴミ」がでます。ですが,ゴミをゴミ扱いする社会は空虚です。

なぜなら,そんな社会では合理性だけが意味を持ち,その合理性とは
数量や単位で表現できるものに他ならないからです。(つまり質がない)

私の好きなベルという作家は,こんなことを云っています。
フモール(ユーモア)とは「社会からゴミのように扱われているものを
その高貴さにおいて描くこと」であり,「わずかなフモール(…)それだけが
この地上で生き続けることを可能にする」と。
ずっと考えて続けている言葉の一つです。
この作家は大都会やラジオ局を舞台として,「沈黙」という空白の意味を
逆転させるような,おもしろい短編を書いています。

どれほど問題があろうとも,人間社会から合理性を追放することなどは
考えられません。しかし,合理性が必然的に生み出すゴミ(自然の残骸)との
関係を変えられるなら,そのぶんだけ社会のあり方も変わるだろうと思います。

ゴミに痛みをおぼえ,ゴミに合掌し,ゴミに真理の残骸を見る。
(道路に転がるネコの死体,あれはゴミでしょうか!?)
そんな社会では,生産活動をしない僧侶や老人や障害者は,もっと別な遇され方を
するだろうと思います。

ひとごとではありません。私は役に立たない言葉を教えて生業にしていますので,
サケの肴代わりに友人たちにゴミ扱いされています!
ま,私はゴミでも構いません。
むしろゴミとしてでも,生きていける何かが欲しいです。


補遺 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(木)20時24分33秒

 〈わたし〉の理性が優れているから、それによって
わたしが数ある宗教の中からこの宗教を選ぶというんじゃない。

 こら、お前。ちゃんとわしの言うこと聞かんかいっ!
お前みたいな難儀なやつはよそ行っとたらあかんのじゃ
とアミダさんの方がわたしを選んでカツを入れて下さる。

 法然上人の『選択本願念仏集』も、この「神が選び
たもうた民」という「選び」に非常に近いのではないか。


方向転換 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(木)20時11分58秒

 カール・マルクスに影響を与えたひとりにフォイエルバッハが
いる。そして彼は『キリスト教の本質』というめっちゃ頭の痛く
なる本を書いている。

 有名なフレーズが「神が人間をつくったのではなく、
人間が神をつくったのである」というやつ。でも、これは
単なるそんじょそこらのちゃちな宗教批判じゃない。

 人間が理性や愛や意志を対象化して、神さんというものに
祭り上げている。そして逆にこしらえた神さんに縛られてしもうてる。
というようなことを主張している。これは、神さんゆうとこを
「親子の情」や「郷土愛」に置き換えてもなるほどと頷ける。

 とかく人間ってやつは、何につけ縛られるのが好きだ。
けど、宗教をもういちどはじめから考え直してみるとどうも
このような「神」理解ではその本質に永遠にたどり着けない
のではないだろうか。

 中国には中華思想というのがあって、自分たちが宇宙の
真中におってその外に南蛮人とか未開な奴らがいるという
認識があった。それと「選民思想」というのは同じもんかと
ずっと思ってた。

 ところがユダヤ人の選民思想というのは世に喧伝されている
ような唯一神ヤハウェはユダヤ人が優れているから「お前らに
律法さずけたる」といったんじゃないのだ。

 で、ぐっちんは今以前から雑然と集めていたイスラーム教の
資料を眺めなおしてるんですけど、唯一神アッラーにしても
アラビア語が自分の言葉を語るに相応しく美しいから、そして
アラブ社会なら自分の語る信仰を受け入れることが可能だから
ムハンマドに啓示を与えたと考える方向で考えるほかないんだ
と思う。

 すなわち、「人間が神をつくったのではなく、神が人間を
つくった」のだ。

 ぐっちんのような日本人は、この一神教がよく理解できないの
である。そして、親鸞のいう「一心教」の「如来回向」や「本願
招喚の勅命」という絶対命令がどうもうなずけないのである。

 そらそうや、方向が違うんやもん。なんか、らくりんさんの本を
読んでると自分の「真宗」がいかに日本化されたものかに気づかされる。 


やっかみ半分 投稿者:らくりん  投稿日:11月22日(木)11時31分51秒

>私は95(OEM)→98(UPGRADE)→98SE(UPGRADE)と来て
>いるのですが、この場合XPのアップグレードパスを持っていると判断されるのでしょうか。そ
>れとも95のライセンスしかないと判断されるのでしょうか。
その辺はよくしりませんが、98/も98SEのアップグレード版も
それぞれにプロダクトキーがついているんですからそれでいけるんじゃないですか。

私の場合、所有しているマシンはいずれもCPUが500MHz以下で、
使うソフトにもよるのでしょうが、ちょっと力不足かなと思ってます。
それに、Meや2000はMSーDOSを完全に見限っていますし、
98機での動作にも不安がありますので、
XPはやっかみ半分で関心があるだけで、話半分に聞いておいて下さい。
しばらくはやっぱ様子見(ずっとかも)です。
ただ、98SEでは、スタンバイを繰り返した後になんか挙動不審になるので
気に入らないのですが。
その点、やめる時にはあっさり終了しなければならないWindows95のほうが
きっぱりしている、かな。


釈迦内…、続報 投稿者:らくりん  投稿日:11月22日(木)11時10分47秒

年内の講演予定
11月28日 秋田県大館市
11月30日 富山県婦中市
12月8日  滋賀県秦荘町
だそうです。

芝居の内容は下記鎌倉講演HPでどうぞ
(金沢講演の主演女優は成田ひとみさんではなく、有馬理恵さんでした)

http://www.pp.iij4u.or.jp/~h-saito/syaka.html


「Win2kユーザー、特別バージョンアップ」。。。 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月22日(木)08時13分51秒

だれもが使いやすく、安定してて、ユーザーも多い。。。
となると、乗り換えて行って当たり前なのでしょうけれど。
人が作ったものに、そんなにウマイ話はないのでしょうねぇ。

わたしも、それ関連の掲示板に書き込まれている、
悩める方々のご様子を眺めつつ、とりあえず、我慢をしております。


見たかったんだヨオ〜 投稿者:ダラブチ  投稿日:11月22日(木)07時57分19秒

・・・『釈迦内柩唄』。でもやっぱり行けなかったんだヨオ〜
非常勤を勤める高校のボランティアコースの先生にチケット譲りました。
でもでも、来年3月に小松でも上演するので、それまであの劇団がつぶれないことを祈ります。

Win−XP、安定性のためだけでも入れる価値ありと雑誌で言われてますが、提灯記事かも。
もう少し待ってみよう。ところで、私は95(OEM)→98(UPGRADE)→98SE(UPGRADE)と来て
いるのですが、この場合XPのアップグレードパスを持っていると判断されるのでしょうか。そ
れとも95のライセンスしかないと判断されるのでしょうか。
それから、XPのホームエディションにはアカデミーパックがない。セコいことすんな!


釈迦内柩唄、観劇報告 投稿者:らくりん  投稿日:11月22日(木)02時42分25秒

「うまい」ものを「うまかった」と書き、
「感動」を「感動した」と書いて、
「ありがたさ」を「ありがたい」と書いても、
そして、
「信ずる」ことを「信じている」と書いても、
何にも伝わらないんですよね。

もちろん
「言葉で言えないほど」と書いても、同じです。

「釈迦内柩唄」の舞台、
一人舞台ではない。
だのに、パンチの効いた東北弁のモノローグ(独白)が耳に飛び込み続ける。
けっこう重いテーマ。だのに、身構えることもダレることもなく、
最後にしみじみ、でした。
見損なった人は、もったいなかったですね。
ほんとに、あれだけの人で独占するにはもったいない舞台でした、よ。
またの機会をお楽しみに。


でも 投稿者:らくりん  投稿日:11月21日(水)23時17分58秒

XP、ちょっと試してみたい気がします。
娘同伴でアカデミーパックを買って、古いマシンに入れてみようかな。


使い込んだ道具 投稿者:らくりん  投稿日:11月21日(水)23時10分56秒

11月6日、新潟の友人のパソコン購入につきあいました。
店にいく前に話していたことは「XPが出たばかりだから、きっと
Me搭載機がきっと安くなっているはず。それがねらい目」とか
「XPは新バージョンだからバグがどんどん出てくるかもしれないし、
まあ、Meで充分」などとゴタクを並べていました。
ところが、いざ店にいってみると、もうMe機なんてほとんど並んでいない。
たまにあっても、ほとんど安くなっていない。
むしろCPU速度とか搭載メモリなんかを見比べるとXP機の方が
割安感がある。で、結局XPを選択しました。

時間がなかったのであまり使い勝手を確認することはできませんでしたが、
初期の諸設定とプリンタのドライバ導入と動作確認程度のことだけやって
帰りました。
ハードのスペックも高いので、キビキビ動き、これで動作が安定している
というので、ちょっとうらやましくなりました。
しかしこの友人のニーズならばWIN95で充分なのですが……
初心者なので、中古機では不安がるし
そんな低スペックの新品はあるはずがない。第一WIN95自体が
販売中止になってしまっている。

帰り道、高速を運転しながら、いろいろ考えてしまいました。
あの友人にXPの機能のどれほどが必要なのだろう、
あるいは使いこなせるのだろう。

私の場合、一番大切な仕事はMSーDOSのワープロでやっています。
MSーDOS起動でもいいのですが、他のソフトも使いますので
一応、メイン機はWIN95で起動し、DOS窓を開いて使っています。
ネット専用機の方はDOS/V機でWIN98SE。
この環境で充分間に合っています。WIN95や98SEはときどきフリーズしたり
挙動不審な動きをする不安定さがありますが、
まあなんとかつきあっています。
WIN2000とかXPでうらやましい点があるとすれば安定性があると
言われていることぐらいです。

誰も食い付いてこないPC−98ネタですが、そんなこんなを書きながら
思うことは、ハードもソフトもどこまで高機能化していくんだろうか。
どこかで「もうこれで充分」ということはあるんだろうか。

使い慣れた道具を手入れし、修理しながら使い込んでいくという
職人気質みたいなことはもう「古臭い」んでしょうかね。
私は、どうも今のDOSワープロや、98機にそんな感じの愛着を
覚えてしまっているようです。
この道具、よう仕事してくれてきてます。
それに比すれば「念仏」の方はそんな年季が入っていないかな。

いずれにせよ、鶴田浩二じゃないけれど、
なんでんかんでん、新しけりゃいいってもんじゃないと思うんだけどねぇ〜。


今日の法語 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月21日(水)14時06分17秒

 あらゆる思想に引導を渡すのが
(ボーズのお仕事)である。ね、ありさちゃん!

 辱野山有摩院総成寺第十九世
 
            羽生楓箕上人
 
 (にくやさん・うまいん・そうせいじ
  だいじゅくせい・はーぶふうみ・しょうにん)


。。。唯佛論へ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月21日(水)13時47分11秒

 東本願寺首都圏広報紙サンガ2001年3月号にいわく

「仲代達矢さんは役者は〈虚業)だという。実利を追う実業に
対して、人間の心という定かでない世界を手探りして感動という
名の〈虚〉を追求する、それが芝居の世界であると考えている。

。。。昔、寄席で紙切りの名人がいまして、紙切りで蝶々を
切るんですね。それをふっと扇であおぐと、まるで蝶々みたいに
舞うんです。しかしその一瞬が過ぎればただの紙切れになる。
ぼくはそれを見たときに、役者の芸もこれだなと思いました。
ある瞬間、まるで蝶々のように見えるけれども、幕が降りたら
単なる紙切れになってしまう。虚業です。しかし、一瞬きらめ
くんです。それが役者としての喜びです。幻を追っているんです」

 で、芝居を愛するファンを生み出すという歴史は確かに続いている
わけである。


唯幻論から。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月21日(水)13時37分23秒

 『ものぐさ精神分析』で岸田秀がデヴューした
のが確か1977年。
 「一切は幻想だ」が彼のテーゼであった。

 『仏教と精神分析』で「空思想」の大家、三枝充悳
大先生はやたら岸田氏を持ち上げていた。「お坊さんも
あんたさんみたいな語り口で現代人に法を説かんとネ。。。」

 しかし。。。「すべての日本人はうそつきである」
と日本語で日本人が語ったとする。するとたちまち話は
ややこしくなる。日本人=うそつきとすると、この
説を唱えたやつの言葉は「ほんとう」になってしまう。

 「いっさいは幻想だ」と言うてるアンタの説は
幻想から免れているのか。。。

 らくりんさんの『読み解くX』にいわく

「圧倒的な力を持つ様々な虚構に支配されている
今日の私たちの状況に対して、浄土に往生すると
いう古臭い虚構を共有することによって、近代の
虚構をもう一度ひっくり返していくことができないか。。。」

 『読み解くU』にいわく

「真実心の表現の形が名号であるというのは悪く言えば
確かにフィクションです。しかしそれは〈意味)を生み
出すフィクションです。そこから生み出される〈意味)は
フィクションではありません」


もう一つ捨て難い機能 投稿者:らくりん  投稿日:11月21日(水)13時28分43秒

確定した平仮名の再変換は、ワンタッチでできます。
これはしょっちゅう使います。


漢文 投稿者:らくりん  投稿日:11月21日(水)13時26分28秒

>マウス操作が無く
>自分のキータッチにストレス無くついてきてくれる
そうですね。
今のワープロソフトはもう10年以上使っていますので、
操作に気を取られることがほとんどありません。
イメージ通りの文書を作成までに、思考が中断することがない。
だから、新しいワープロソフトは、「今までのと違う」というだけで
もうほとんど駄目なんですよね。
だから、どこまで今のに近いか、
あるいはどこまでそれに近いところまでカスタマイズできるか、
というのがポイントになってしまいます。
結局、慣れが最重要ポイントというところですか。

>漢文、送り仮名、返り点、左仮名などの入力
は、めんどくさいのでめったにしません。
やる場合には
白文を一字ごとにスペースを一つづつ入れていき
送り仮名はルビで、
返り点は上付き1/4角文字(漢字もOK)+行改行(0改行、1/2改行、1/3改行、
ミリ単位指定ができます)で処理しています
ですから普通は二行でなんとかなります。
左訓はまで入れる場合は、
1/4角文字と0改行を組み合わせればいけると思います。
(そこまでやったことありません)

私が作る文書は、ほとんどは自分で見るためのものですから、
そんなんするより、「漢文+訓み下し」でたいていの用は足ります。
返り点が必要な時は、あとから手で書き入れるとか

大悲さんは、そんなにしょっちゅう面倒なことやってるんですか?

ワードや一太郎は、添付書類を送ってくる人がいるので、
それを開くのに使う程度とてもそれで文書を作成する気にはなれません。

アドビソフトは確かにいいですよね。私もチラシや表紙を作ったりする時に
時々使いますが、
最近は、そういう凝ったレイアウトをすることはほとんどありませんので
高機能ソフトの出番は少ないです。

ただ、坂東本の翻刻版をパソコンで作ろうと思ったことがありますので
(今でも思いだけはありますが)、その時にアドビのイラストレーターが
最有力候補でした。ただ、WINDOWSやマックは漢字が弱いので、
一ころ騒いでいたBトロンに目が向いていたのです。
漢字の数はともかくとして、その頃のBトロンはレイアウト機能が
私の目的には貧弱すぎました。(最新バージョンはできるようですが、
その頃は縦書きさえできなかった。簡易ルビ機能もなかったし。
漢字が売り物のソフトなのに縦書き不能とはなんたることか、でした)


漢文 投稿者:大悲  投稿日:11月21日(水)11時42分23秒

らくりんさんは、マウス操作が無くて、自分のキータッチにストレス無くついてきてくれるエディタがポイント高いんですね。
ところで、漢文、送り仮名、返り点、左仮名などの入力はどうされてますか。

私は、WORD2000が使い勝手が悪くて、今は、illustrator9.0の文字設定でやってます。だから、1行に見えても、実は3行なんです。アドビソフトは重いのが難点だけど、これで慣れると、レイアウトが思いのままなので、気に入ってます。


「釈迦内柩唄」詳報 投稿者:らくりん  投稿日:11月21日(水)10時03分48秒

「釈迦内柩唄」詳報
日時 11月21日(水)本日 開場18時 開演18時30分
場所 金沢市文教会館ホール(尾山町)
当日券 一般3200円 中高生2000円

SIDさん、
一瞬何のことか「?!」でしたが、
以前書いたワープロ/エディタ ネタに対するレスポンスですね。
書いた本人が忘れてしまって、どうも……(∞;)

情報ありがとうございます。いずれ試してみることにします。
あんなゴミネタを、心にかけていてくださってありがとうございます。
ちょっと感激、です。

ベタ打ちするだけだったら、
今のところWZエディタ + 松茸4(日本語変換)で事足りている状態です。

講義のノートやレジメを作る際に日常的に頻繁に使う
機能を考えてみると、

  コピー(カット)&ペースト
  左側のインデント(レジメの箇条書きの段揃え)
  カーソルの行頭・行末/文頭・文末移動
  印刷書式設定(1行文字数/1頁行数指定)
  中央揃え/右端揃え
  文字検索/文字置換
  罫線機能(既存線の拡大・縮小)
  文字の拡大(4倍、縦・横倍)

ぐらいなんですよね。
このぐらいはどのワープロやエディタでもできるんですが、
問題はその操作性です。
私の使っている松というワープロソフトでは、いずれの操作も
2〜3回のキータッチできてしまいます。
マウスはまったく使わない設定にしています。
私には、その辺の使い勝手がたまらなくいいんです。

VJEーPenも試してみましたが、もう一つ入り切れません。
今のところ生じている不都合は、WINソフトとのデータのやり取りが不便
ということぐらいです。いちいちテキストファイルを経由してやり取りして
います。
もう一つ、心配なのは、
いつまでMSーDOSを動かす環境を維持できるかということです。
PC、ハードディスク、ディスプレイ、キーボード、マウス……
一頃は、そこらじゅうにあふれていた物でしたが、今ではどれもけっこう
特殊な存在になりつつあります。
希少品にはプレミアがつき始めています。
XPなんかが出てきて、
今後PCー98ユーザーはどこまで追い詰められることやら。


化石レスですが 投稿者:SID  投稿日:11月21日(水)09時08分22秒


 Windows用のテキストエディタに『QXエディタ』があります。
 シェアウェアで3000円です。以下からダウンロードできます。

 http://www2k.biglobe.ne.jp/~araken/index.htm

 軽快に動作し、キー定義変更も簡単で、マクロもたくさんあります。
 縦書きが実用に耐えるので、物書きにも愛用されています。
 一度、お試しになってみてはいかがでしょうか?

 メモ用には、『紙2001』が便利です。こちらはフリーウェア(要登録)
 紙にペンで書く感覚が活かされています。

 http://www.biwa.ne.jp/~nag/index.html

 おまけ。多漢字多言語対応エディタ、『aprotool TM Editor』
 シェアウェアで2000円。

 http://hp.vector.co.jp/authors/VA002891/

 ちなみに、VJE-Pen for Linux/FreeBSD はオープンソースだったりします。

 http://www.vacs.co.jp/news/openpen.htm


もう一つおまけに 投稿者:らくりん  投稿日:11月20日(火)17時15分08秒

今夜は、金沢で、
知る人ぞしる、知らない人は知らない、昔なじみの山内○夜子さん
の講義があります。
聞きにいこうかな。どうしようかな。

それから、もう一つ宣伝、
明日(11月21日)午後6時半、
場所はあれっ、チラシもパンフも手元にない、たしか金沢の文教会館
希望舞台の「釈迦内柩唄」のお芝居(水上勉原作)
観た人の話によるととてもよかったみたいですが、
チケット売りしている人たちから聞こえてくる話ではこっちも
売れ行きがもう一つみたいで、ピンチだとか。
聞こえてくるのはなんかこんな話ばっかり。
もっと景気のいい話が聞こえてこないかなぁ。


レス>(無題) 投稿者:らくりん  投稿日:11月20日(火)16時57分15秒

ヒロヘロさん
サ○ン○ップ、双子のマラソンランナー○兄弟と「なるほどざWーるど」のスポンサー
で有名なの旭化成、積水化学(ちょっとすぐに「売り」が出てこない)、
どうもそのようですね。

チッソは、水俣病の賠償金支払いのために、特許などを他者に売り払い、
赤字会社に転落し、いわゆる「公的資金」が投入されて、保護された。
この時のやり方が、住専や銀行破綻の時の「先例」となったみたいです。
国や企業相手の裁判闘争などでも、いろいろな「先例」を生み出した
ようです。


(無題) 投稿者:ヒロヘロ  投稿日:11月20日(火)14時13分13秒

チッソは積水や旭を産んだ母体です。日本株式会社の一つです。


水俣病 再認識 投稿者:らくりん  投稿日:11月20日(火)10時22分28秒

水俣病の原因となったメチル水銀をたれ流したチッソは、
私は、なんとなく化学肥料を作っている会社だという程度の
とんでもなく浅薄な認識しかありませんでした。

創業当初はそうであったようですが、1950年代に
高純度のシリコンを生成する技術をいち早く開発して、大もうけした
そうです。
高純度シリコンというのは、化学工業の「鉄」と言ってもいいような製品だ
そうで、私たちの身の回りにあるあらゆる化学生成品に使われています。
パソコンのチップの基盤などにはなくてはならないのだそうです。
ですから、当時のチッソは、近代化を急ぐ時代の最先端をいく国策企業として
重要視されていた。
いわゆる「文明生活」を営む私たちの身辺はもう「チッソ」的なるもの
どっぷり浸りきっているわけで、
一日関わっただけですが、あらためてこの問題の深刻さ根の深さを
思い知らされました。

ヒマだったものですから、書籍コーナーで見つけた
緒方正人さんの『チッソは私であった』葦書房
を読了してしまいました。
 帯書  
  今や社会のすべてが「チッソ化」している――加害者責任を問う水俣病から
  自らの責任が問われるどんでん返しが起きた水俣病の怨念から解き放たれた
  瞬間でもあった。  
お薦めです。


金沢周辺の人へ 投稿者:らくりん  投稿日:11月19日(月)21時28分07秒

今日(11月19日)は、「水俣・金沢展」の助っ人スタッフとして、朝から晩まで
詰めていました。
会場が寒かったこともありますが、来場者がパラパラでそちらの方が一層「お寒い」
状態でした。
ちょっとあれではあんまりでぇ〜す。
ROMしている金沢近郊の人(能登半島、富山県、小松、大聖寺、福井あたりまで)、
是非とも時間を作って、会場におしかけてください。

場所=勤労者プラザ(金沢駅西徒歩5分:駅から行く場合平安閣の交差点を左折
   して50メートルぐらい)
期間=11月23日まで 午前10時〜午後8時まで(23日は5時まで)
入場料大人1200円

23日午前10時からは、隣の労済会館で原田正純さんの講演会があります。


語注 投稿者:らくりん  投稿日:11月19日(月)21時17分01秒

「悋気」=男女間の事で(主に女が)焼くやきもち。(岩波 国語辞典)


日本釈明的恐妻中年同盟 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月19日(月)15時03分44秒

 
 機関紙 『悋気(RINKI)』

 全国の泥酔者いいわけせよ!


新客来板 投稿者:らくりん  投稿日:11月18日(日)16時40分13秒

ヒロヘロさん初めまして。
おかまいしたり、おかまいしなかったりの気まぐれな管理人です。
管理人不在でも、
いろいろと口を挟む人もいたりしますので、
それなりにお楽しみ下さい。

最近、来訪して下さっている皆さんへ、
下のホームページからたぐっていきますと、過去ログにもたどりつくように
なっておりますので、気が向いたらどうぞ。


通りすがりのご挨拶 投稿者:ヒロヘロ  投稿日:11月18日(日)11時38分26秒

皆様はじめまして。

ニフ者のヒロヘロと申します。大悲さんとかFBAUDでは馴染みの方々もおられますね。
FBAUDで、フォーラムマネージャーが心療内科通院中の方に行法をアドバイスしておりました。私がそれを咎めたところ、退会処分になりました。(笑)

浄土教は日本の風土に馴染みやすい風体を呈してるケルケゴールなどの実存主義を伴って、人間存在を見つめようとする新たな思想的傾向を生み出しましたね。人は「実存主義的宗教学」とか申しますが、無批判に受け入れてしまってその反動ゆえ外部に対して批判、非難する傾向が生まれ、実存主義が警鐘を鳴らしていた思想的高慢に陥っている人がいます。浄土教者たるもの、常に反省していきたいものですね。

以後お見知りおきを。
また徒然に立ち寄らせていただきたく存じます。


世過ぎ 投稿者:らくりん  投稿日:11月18日(日)08時52分40秒

>流行廃れに敏感なのに、なぜとっくの昔に廃れた浄土真宗の坊さんになるのか
廃れたかどうかは別として、

単なる「なりわい」として考えた場合、
真宗の坊さんというのは、人々欲望を掻き立てるようなことをしなくても
すみますし、
環境汚染を促進するような生産活動もしませんから、環境破壊に積極的に
加担しなくてもすみますから
そういう、毒にも薬にもならんようなことが「なりわい」として成り立つ
ということは、今日的な意味ではそう悪くない生きかたといえる面がある。
少なくとも私は勤めていた頃よりは、そういう意味での気楽さはあります、がね。
こんな存在が、許されるということは、ある意味ではすごいことだと思います。

効率とか「役にたつ」とかいうような基準で考えるならば、無用な存在かも
知れませんが、効率・有用性だけを追求していく果てに何が待ち構えているか、
そんなことを考えたら、ぞっとする。
「役立たず」をかかえておけない世の中なんて、キュークツきわまりない。

三吉さん、さぞかしごりっぱな身過ぎ・世過ぎをされておられるんでしょうね。


ROCKさんへ 投稿者:三吉  投稿日:11月18日(日)02時18分27秒

代々木といわれるのを日共は、嫌っているのだ。
で、ゼミナール?Z会というのは、決まった古いパターンを
踏襲しているだけね。

ステレオタイプだ。金太郎飴


代々木っつーのは 投稿者:ROCK@立正佼成会  投稿日:11月18日(日)01時43分59秒

代々木レッズ=日本共産党っつーことじゃろ?

代ゼミ(代々木ゼミナール)はよかったなぁ。
大学時代も行ってたっけ(笑)

http://green.jbbs.net/study/339/hyuman.html


だから。。 投稿者:三吉  投稿日:11月17日(土)17時44分03秒

君はいつまでたっても。。。(以下略)


>三吉さん 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月17日(土)16時30分36秒

 代々木って予備校のハナシ?
 
 三吉さんはZ会あたりに入会されてて
いまだに<赤>ペン入った添削でも受けてんのかぁ?


(笑) 投稿者:三吉  投稿日:11月16日(金)19時40分53秒

>ぐっちんはもはやマルクス主義的左翼ではありません。
>国家にただいちゃもんつけていると反体制でカッコいいという
>時代は過ぎ去りました。

かつては、<カッコ>でサヨクしていたの?(爆)
いつの時代や?(笑)

だいたい、カッコでサヨクしているやつに、マルクス主義がわかるのだろうか。
わかってないから、出遭ってないから、時代は去ったと言える。

<カッコでマルクス主義に飛びつく奴らの時代は去った>の方が正確であろう。(笑)

つーか、ぐっちんさんは元代々木系じゃないの?(なんとなくそんな感じ)
あれはサヨクじゃいなだろう。。。マルクスでもないし。。。

流行廃れに敏感なのに、なぜとっくの昔に廃れた浄土真宗の坊さんになるのか。(笑)
<カッコ>で坊さんに?(笑)
さすが。。。<名字だけの比丘>。 世の宝(笑)


何を頼みに。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月16日(金)13時03分41秒

 >仏教が、さらに妥協を重ねて、宗教の過激さを希釈して、
 >世界宗教となることを希望しています。
 >なぜなら、あらゆる共同幻想は、消滅すべきだからです。
 >宗教の自由が、自由な思想となればと思っています

 お留守居役様のご意見ですが。。。

 吉本氏の「共同幻想論」はスターリニズムと天皇制への
解毒作用を果たしたと聞き習っております。

 行き過ぎた「クルァーン」解釈を押し付けたタリバーンの
支配から脱したカブールの人々の表情は明るかった。
ひげを剃った青年も、ブルカから顔を覗かせた女性アナも。。。

 そして10年前。スターリンならぬレーニン像をクレーンで
倒したロシアの民衆にも同じ表情が見られました。
 けどその民衆がなぜロシア正教の教会建設にお金を出したのだ
ろうか。。。

 日本では「雅子さま」のご出産が11月末に控えているらしく。。。
ぐっちんはひたすら女の子でありますようにと皇祖皇宗にお祈り
しています。

 「聖域なき構造改革」をいうんであれば、東京の一等地に
居を構えている皇室への「思いやり予算」も削るべき。そして、
皇室は神社本庁の予算で生活してもらい一神道の教祖の地位に
つけばよいとぐっちんは思います。

 昔々、週間プレイボーイで野坂昭如が回答者であった時代、
(らくりんさんやお留守居役様の時代は今東光?)こんな
ことをいう青年がいました。

 「ぼくが神様だったら、この地上からセックスと金と
宗教をなくしてやる」と。

 おいおい、そんなことしたら人類絶滅してしまうや
おまへんか。。。 


無政府資本主義 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月15日(木)14時51分48秒

 東京都の石原知事が原宿に留置場をつくろうと
計画してます。それもPFIの手法でやるのではないか
ということらしい。

 このPFIとは民間資金を活用した公共施設整備のことで
イギリスで90年代に入ってから導入され日本でも二年前から
法制化されてます。

 ぐっちんは第三セクター方式とPFIと公設民営式との
その細かい違いがよくわからないのだけど、これはこれ衝撃的です。

 なぜなら、構造改革が叫ばれて久しく、純ちゃんの特殊法人見直し、
廃止が話題になっているけどこの流れは一体どこへ行き着くのだろう
かということです。

 ぐっちんはもはやマルクス主義的左翼ではありません。
国家にただいちゃもんつけていると反体制でカッコいいという
時代は過ぎ去りました。

 旧ソ連や東欧の社会主義国家の官僚の腐敗ぶりと同様に
この日本というケインズ主義的大きな政府がもはや限界に
来ていることは田中真紀子でなくても見えているでしょう。

 福祉学校ならビデオで見せられるスウェーデンみたいな高負担
高福祉の社会はユートピアではありません。個人主義が
徹底して宗教の力も弱いので自殺も多く社会には活力がない。

 従来、人格的自由を尊重し、経済的自由に介入するのが
社会民主主義的・リベラリズム(ケインズ的福祉国家)、
経済的自由を尊重し、人格的自由を制限するのを
保守主義的(夜警国家)と呼ばれて来ました。

 ところがリバタリアンという人格的自由も経済的自由も
認めようではないかという思潮がぼちぼち生まれてきました。
その中でもとくにアナーキーなのがアナルコ・キャピタリズム、
その名も無政府資本主義です。

 ロバート・ノージックが74年に『アナーキー・国家・
ユートピア』を書きましたが日本では95年に笠井潔が
『国家民営化論』を書いて国防や警察組織・裁判所までも
民営化しようと主張しました。

 その流れが来てるのかなあと思います。自由を保証する
ことを謳い文句に市場の力にすべてを委ねようという
主張です。ぐっちんは、私/市場、公/政府の対立以外に
共同体の充実、つまりNPOや宗教のようなものが
十分働かないとこの路線では、社会がムチャクチャになると
思います。


名告りの背理・補遺 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月15日(木)13時09分17秒

 名前からカーストがわかるというのはどういうことか
というと、この掲示板を見てる人にインド語をやった人がいれば
アドヴァイスしてほしいのだけど。。。

 たとえばバラモン階級は宗教者だから聖子とか、信子だとか。
クシャトリア階級は王族・武士だから貴子だとか公子だとか。
ヴァイシャ階級は商工業者だから裕子とか富子だとかつけてあるわけです。
で、名前からだいたいカーストがわかってしまうのです。

 それが、シク教徒ではどの名前の最後にも宮がついてるようなもの
なんです。○○の宮みたいな。

 浄土真宗の法名は、はじめ(苗字みたいなもの)に釈がつく。
(お東では女性は釈尼)
いわばお釈迦様一門に弟子入りしましたということでしょう。

 名前を授かるというのは、その世界(社会)デヴューした
ということでしょう。芸名を持ったということは、芸能界に
デヴューしたということ。

 法名を持つというのは聞法生活を営む同朋社会にデヴュー
したということでしょう。名を持つことは、名を呼ぶものが
必ずいる世界に生まれることではないでしょうか。

 なんだかお寺のお説教をやってるような口調になってきた。。。


法然聖人とわたし 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月14日(水)23時08分26秒

法然聖人の手紙を読んでいましたら、
神祇不拝について私が以前申したことと同意見の
手紙を発見して驚いています。

この世のための祈りとして、
仏にも神にもお祈りすることは、
決して悪いことではありません。
後の世の往生については、
念仏のほかの行をすることは、
念仏を妨げることになるので、
いけないことになります。
この世のためにすることは、
往生のためにではないので、
仏神への祈りは、全く悪いことではありません。
(私訳:9月18日付・津戸の三郎へつかわす御返事)

法然聖人は、
現世利益のための祈りは、可。
後世往生のための念仏以外の行は、不可。
と言われているのかと思われます。
言外の意として、
現世利益のために念仏してはならない
と言えるかと思います。
きわめて穏当な意見かと思われますが、
他の手紙での同志以外の者への口外無用の教えとしては、
徹底的な旧仏教否定があるようではあります。


四国靖国訴訟HP 投稿者:らくりん  投稿日:11月14日(水)19時26分43秒

「小泉首相靖国参拝違憲確認四国訴訟団訴状」が下記HPで公開されました。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yasukunisojyou.htm


風呂と仏教 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月14日(水)18時34分28秒

 あ、思い出したのでついでに書いときます。

 日本にお風呂を普及させたのは重源の力が大きい。
歌舞伎の勧進帳にも出て来たっけ。法然さんともつれでしたね。

 平重衡だったかが焼き討ちした東大寺を再建するために
各地にカンパを集めにいった。山口県周防の国にいい木材があると
いうのでそこの人夫さんの福利厚生施設として蒸し風呂(サウナ)を
提供した。

 穴をほって熱したシダの成分が傷やなんかに効いたそう。
柳田国男によるとふろの語源はムロ(室)つまり密室の蒸気浴
サウナだそうです。

 風呂はまた皮膚を清潔にするもの。叡尊、忍性など
ハンセン病患者のケアに当たった僧たちも風呂を利用したはず。
覚如の生涯を綴った絵巻物、『慕記絵詞(ぼきえことば)』には
当時の取り湯式(つまり浴槽を使う)のお風呂の様子がうかがえます。


エコ寺 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月14日(水)17時49分25秒

 コンクリート打ちっぱなしってカンジの
モダンなお寺はみたこと多々あるけど
ほんとに地域のコミュニティの役割を寺院は
失ってしまった。

 四つの入り口どころか、門がしまっとる!
ぐっちんがご幼少のみぎり、お寺は子供の遊び場かつ
お年寄りが囲碁やら将棋やらまたダベりに来る場所やった。

 東京の台東区やったか、建築環境デザインコンペを
受賞したお風呂屋さんがある。
 近頃はやりのスパリゾートっぽいやつじゃない方向を
目指したやつ。

 確か、屋根に降った雨水が再利用されてお湯や用水桶に
使われるしくみになっていて、二階が善男善女の社交場と
して使われるようなものだった。。。

 床屋政談といわれるように、昔は散髪屋さんもコミュニティ
だったよなー。ぐっちんは今や10分1000円の慌しい
デフレ散髪屋さんしかいかんけど。。。
 女の人にとっては、パーマ屋さんはいまだにコミュニティやろな。。。

 瓦屋さんには悪いけど、瓦葺き替えるぐらいやったら
屋根に太陽発電機と風力発電機をそなえ、檀家に電気を供給し
雨水は風呂や洗濯に利用できるようにし、下水は合併浄化槽で処理してしまう。
地下にはバーがあってわこうどが集える、そんな
エココミュニティ寺をつくるとかお金を使う人はおらんのかな。。。


名告りの背理 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月14日(水)17時14分31秒

 シーク教はおもろい宗教です。
歴代のグルがいたにもかかわらず
「グラント・サーヒブ」という聖典そのものが
11代グルに任命されてずっと続いている。

 イスラームからも影響されているので
ゴールデンテンプルなんかでは、寺の中でずっと
聖典が一人の人によって朗読され続けている。

 たぐい稀なる平等宗教で、ヒンズー寺院が一箇所
イスラムのモスクが三箇所の出入り口なら
シーク教寺院は四方から出入り口がある。
これは四つのどのカーストにも開かれている
からだという。

 で、男性の名前の終わりは「シン(獅子)」
女性の名前の終わりには「コール(女王)」がつく。

 これはインドでは所属カーストが、名前から判断できて
しまうからだ。
仏弟子になった暁には法名をもらう。実はこれもカーストから
離脱する宣言だったのだ。

 ああそれなのに、それなのに。東京地方では、浄土真宗でさえもが
法名のあとに信士だの信女だの霊位などと刻んだ墓だらけが並ぶ。

 人々は、この世の差別の中で平等を求めるのではなく
死後もなお同化の中からの差別化を求めているのだ。
なんぎやなあ。。。


おはよ 投稿者:三吉  投稿日:11月14日(水)06時23分40秒

流れ星狂信さんへ

どうもサンクスです。


>三吉さん 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月13日(火)08時06分35秒

悟空さんはニフティで長く活動されていて、空の立場から真宗批判をされている方です。
でも、真宗にメチャこだわりがある方で、私、ファンでした。
過去ログは、大悲さんがもってるかしら。ライブラリーをDLして検索するしかないかも。


仏教儀式論 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月13日(火)02時37分49秒

 そら『天使にラブソングを』みたいに、お説教が熱を帯びてきて
会衆の合いの手が入り、いつのまにやらゴスペル(歌)に移行するような
黒人教会スタイルが仏教でも出来りゃあ最高ですけど。。。

 話すが如く、歌うが如く。。。というのは昔の節談説教時代の
ことですねー。でも今あれをあの形のまま聴くとなんかわざと
らしさが鼻につきますねえ。

 『教行信証』の現代語訳は何種類か読んだけど、なんかさっぱり
わかりませんでしたなあ。らくりんさんみたいな「読み」が加わらんと
なんか手がかりに欠けますわ。

 ぐっちんは御伝抄、好っきやなあ。まっ暗いお堂で、ぶっとい和蝋燭の
ほむらが揺らめいて。。。低い声で朗々と読まれる音の響き。

 親鸞「思想」はこれからもインテリさんを魅了することでしょう。
けど、「世間」というテキストを読み解いた人の中には、直感的に
親鸞の「法蔵魂」に迫っておられるなあという人が生まれてきた事も
確かです。


ダーザインおさまちゃんでーす 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月13日(火)01時59分56秒

 慈鎮和尚『愚管抄』にいわく

 偏ニ仮名ニ書ツクル事ハ、是モ道理ヲ思ヒテ書ル也。
先是ヲカクカヽント思ヨル事ハ、物シレル事ナキ人ノ料也。
此末代ザマノ事ヲミルニ、文簿ニタヅサワレル人ハ、高キモ
卑キモ、アリガタク学問ハサスガスル由ニテ、僅ニ真名ノ
文字ヲバ読メドモ、又其義理ヲサトリ知レル人ハ少ナシ。(巻二)

 今カナニテ書事タカキヤウナレド、世ノウツリユク次第トヲ
心ウベキヤウヲ、カキツケ侍意趣ハ、惣ジテ僧モ俗モ今ノ世ヲ
ミルニ、智解ノムゲニウセテ学問ト云コトヲセヌナリ。…コレダニモ
コトバコソ仮名ナルウヘニ、ムゲニヲカシク耳チカク侍レドモ、
猶心ハウヘニフカクコモリタルコトヲ侍ランカシ。…ハタト・
ムズト・キト・シヤクト・キヨトナド云事ノモヲホクカキテ侍ル事ハ、
和語ノ本体ニテハコレガ侍ベキトヲボユルナリ。(巻七)

 まあ要するに歌詠みでもあった慈円さんは、漢文で文章書いたら
みな解らんからこの本は和文で書きますということやと思います。
藤元せんせいは、日本語は思索するのに不向きな言葉やなァと
おっしゃってたなァ。

 原文をきっちり引用する。こりゃ三吉さんの芸風が身についてもた!


大工の神様=聖徳太子 投稿者:らくりん  投稿日:11月13日(火)00時57分44秒

これは、美川の会の主宰者である大工さんが、話題が聖徳太子ネタになると、
いつも口癖のように言うことの一つです。

>ネコさん
いらっしゃい。それなりにお楽しみ下さい。


宗教や信仰に限らず、
「それを自分にとって必要であると感じる」人がいなくなったら廃れて
いくのは必定。
問題は「誰の何の為、の必要か」という点にあるように思います。

日本で漢訳経典がさらに和訳されなかったというのは、
和語ではそれを翻訳できるだけの概念装置が整っていなかったからではないか。
だから、私たちの先達は翻訳にエネルギーをそそぐよりも、漢文の修得に
それを向けた。その方がてっとりばやかったのでしょう。
漢訳で事足りた人たちがいる間は、翻訳する必要がない。

読誦は、筆記という習慣がない社会において、本来暗記のために生じたもので
あろうと思います。
文字のない民族においては、古老・語り部による口称・口伝が非常に発達した。
口称・口伝のというのは、それ自体に解釈が入り込む余地は少ない。

つづく(かどうか?)

また、飛行機が墜落しました、どうなるのか……

おやすみなさい


お願い 投稿者:三吉  投稿日:11月13日(火)00時55分49秒

どなたか、ニフを見られている人の中で、
<ニフティFSHISO14番会議室>の悟空さん(雪仙童子さん)という方の真宗批判を見られ
ている人はおられるでしょうか。
おられたら、その議論の過去ログをメールにて頂ければ嬉しいです。


ぐっちんさん、おみごと 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月13日(火)00時36分17秒

>明治以降の日本仏教界は全教団の
>@総真言密教的儀礼化と
>A総浄土真宗的世俗化が 問題よね。

目からウロコの鋭いご指摘だと感心しました。
真言密教と浄土真宗の
悪く言えば、都合のいいとこ取り、
良く言えば、現代仏教への発展。
もちろん、私は、ヘーゲル=マルクスの弁証法の徒ですから、
進歩、発展した仏教の姿と考えます。
原理主義は、反動だと思います。
仏教が、さらに妥協を重ねて、宗教の過激さを希釈して、
世界宗教となることを希望しています。
なぜなら、あらゆる共同幻想は、消滅すべきだからです。
宗教の自由が、自由な思想となればと思っています。


経典の現代語訳 投稿者:ネコ  投稿日:11月12日(月)20時34分31秒

はじめまして。愛媛のネコといいます。ときどき,このページをのぞいています。書き込みが多いのでナナメヨミが多いのですが…。ここしばらく関心のある話題がありましたので,投稿します。それは経典の現代語訳のことです。

私の考えでは,仏教が現代社会で有意味であるためには,その言葉が日常語として生きていることが不可欠です。たとえば「なぜ,いま,ここにいるのですか」と問われたら,私はさんざん考えたあげく,結局は一言で「ご縁がありまして」と答えるしかありません。そこから初めて,自分の身に即して「それでは縁とは何だろう」という思索が始まります。

学生時代に哲学の授業で,理性という言葉の取り付きにくさに苦労したことがあります。ところがドイツの家庭では,母親が子供に「ばか言うんじゃないよ」(Sei vernuenftig!=理性的であれ)というわけです。その子が大きくなって,母さんはvernuenftigであれといってたけど,それじゃVernunft(理性)ってそもそも何なんだと考えるなら,その子にとってドイツ観念論の難解さは,日本人がカントに取り組む難しさとは意味の異なるものになるでしょう。

どなたかルターの話をしておられましたが,現代ドイツで一般的に使用される聖書はルター訳聖書に現代語訳をほどこし続けてきた結果のものです。(奥書に「ルターによるnach Luther」と記されています) 近代ドイツ語を確立した立役者はルターだというのがドイツ語史の常識です。そして聖書の有名な文句は,現在でも政治家から庶民にいたるまで多くの人々の共通の知識財となっているようです。深刻な教会ばなれも喧伝されるドイツですが,日本と比べると,はるかに宗教の言葉が社会の中で生きているようです。それは,ある意味で救済への契機がより濃密だということではないでしょうか。

親鸞は明治以来の日本で,もっとも人気のある宗教者だといわれます。しかし,私は自問します。人気のある親鸞とは『歎異抄』の親鸞なのか,それとも『教行信証』の親鸞なのかと。もちろん前者でしょう。口伝の『歎異抄』なら素人でも近づけます。私が真宗のABCを教わった方は,『歎異抄』は必ず『教行信証』を背景として読まねばならないと言っておられました。しかし『歎異抄』の親鸞がなければ,私は仏教を聞くことはなかったでしょうし,『歎異抄』に惹かれた作家や哲学者という特殊な素人たちによって,教団の専門家たちも一定の刺激を受けてきたのではないでしょうか。

日本仏教にとって「原典」に値する漢訳経典が意味を失うことはないでしょう。しかし,清沢満之でさえ現代語訳される時代です。おそらく三部経などは大学の教員でも理解できないでしょう。現代語訳された聖典にもとづいて思索と議論が重ねられ,その言葉が社会に根付いていく。そうした努力が希薄だったことが,結果として日本の宗教性を弱め,あるいは日本人の思索力を弱める遠因になったのではないかと想像します。

経典の現代語訳。私の考えでは,これほど素人が必要としているものはなく,これほど専門家にとって高度な原典理解が求められる場所は他にありません。つまり経典の現代語訳は,専門家と素人が出会う場所なのです。

ですが日本の祖師方は,経典を翻訳しようとはしませんでした。親鸞や法然は,専門家向けの論文と,素人向けの和語とにわけて執筆しています。なぜなのか。私の手におえる問題ではありませんが,少なくとも当時は,専門家と「一文不知」の人々との溝が大きかったのだと思います。ですが現代の日本では「一文不知」の人々などは見当たりません。その代わりに専門家が素人くさく,素人が俄か評論家になりました。つまり,一方的に教えを説かれるだけでは納得できない,だけど漢文には手がでないという人々がほとんどです。

私が考えているのは,原典を読み解く個々人の能力に還元できる問題ではありません。私は聖典を眺めます。そして,これでは社会の血肉にならないと思います。さらに社会に根付かない宗教は,しだいに先細りし,すぐれた個人も生み出せなくなるのではないかと危惧します。その意味で,これは宗教的かつ政治的な問題だと考えています。


おそれながら 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月12日(月)14時23分43秒

 らくりんさん、べらべら書き込んですみません。

 >大悲さん

 大昔、仏教の典籍が伝わった時、坊さんや役人といった
知識人たちはこれを外国語(中国語)として押し頂いてたわけです。
 
 だから、聖徳太子の十七条憲法も「和を以って貴しとなす。。。」
とか豪族たちの前で日本語で発布したんじゃなくて「以和為貴。。。
(イーウァーイークイー?)」とか中国語で発布したんじゃないかと
金田一先生が何かの本で書いておられました。

 で、法然さんも阿弥陀経を書き下しと音読と二種類の方法で
読じゅしてたとあります。(出典忘れた)

 で、漢文音読ではない仏教の声明儀式も考えられました。それが、講式です。
もちろん覚如の報恩講式もそのひとつ。明恵の四座講式も名文で有名です。

 けれど『霊幻童子』だの『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』なんかの
中国映画を見てると、呪力を持っているものとしてサンスクリットやパーリ語の
経典が妖怪に向かって投げつけられているシーンが見られます。

 つまり言葉や文字(または音声)がわからなければわからないだけ、不思議な
力を持つのはマハリク・マハリタ・ヤンバラヤンヤンヤンやラミパス・ラミパス・
ルルルルルやテクマクマヤコンといった例と同じく洋の東西を問わない感じがします。

 ちなみに旧約聖書は羊皮紙にヘブライ語で書かれていてロール状に巻き、
シナゴーグ(ユダヤ会堂)に保管されていました。教えが伝わるのは口伝が基本ですから、
自由に書物を読める律法学者が権威を帯びるのは容易です。

 新約聖書はコイネーという地中海世界の共通ギリシア語で書かれています。
これもルターが翻訳するまでは信者といえども自由に読めたものではありませんでした。

 カトリックでは、ヨーロッパの知識人共通語、ラテン語でミサを行って
いましたが1960年代の第二バチカン公会議で各国語に訳した聖句で儀式を
行ってよいとのお達しが出ました。

 しかし、私の知り合いのクリスチャンは「聖書はやっぱり文語がいい。
新共同訳なんてのは重みがない」といいます。

 コーランはムハンマド(マホメット)にアッラーがアラビア語で説いたもの。
だから翻訳ものは紛い物(理解を助ける補助手段)としか扱われません。
 日本語訳でこれを読んでても退屈です。これはやっぱり、モスクで「聴く」ものです。


お勤めをしながら 投稿者:大悲  投稿日:11月12日(月)12時12分55秒

なんで、現代語訳の勤行が普及しないのか、と気になりだしました。
経も聖書も、基本的には近いものがありますね。あるとき、何処そこで、これこれこう云うできごとがあった。その時仏は(神は)こう述べられた。こうされた云々。
聖書は、はじめすべてラテン語であったのを、かのルターがドイツ語に訳し、のち自国語に訳されるようになったそうです。
お祈りの時に流れるコーランは、全部アラビア語と聞いてるが、翻訳したコーランももちろんある

ユダヤ教ではどうなんでしょうか。
仏教経典は、それぞれの言語に翻訳されていたのだが、日本語には翻訳されないまま、現代になっていろいろな取り組みも見られるようになりました。
多分、日本では、ルターが出る前の状況に近いのかな。

もう一つ。特に日本人の大部分は、お経をホトケサマに聞かせてると感じていますね。
だから、内容がわからないことに違和感が無い。むしろ、荘厳さの方を大事に感じてるんじゃないかと思うのです。
御文の拝読は、こちらを向いて、自分たちにわかる言葉で聞かせてもらうので、自分に語りかけられていると感じることができたのではないでしょうか。
これって、かなり重要じゃないでしょうか。もちろん御文にも現代語のものがあるけれど「自分に語りかけられている」という感じがあると、言葉も違ってくるでしょうね。


大工の神様 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月12日(月)12時08分55秒

 じゃなかったっけ。聖徳太子。

 こないだNHKのドラマでモッくんが演じてた。
モッくんっていくつになってもかっーこいいんだわぁ。

 どこぞの時代のどアホお大君と違って、国のトップに
立つ人間が、仏教にちゃんとした理解をしめしてた、英明
君主だったからあこがれたのじゃないかしら、親鸞さん。
 もちろん、家庭生活を営んでた酸いも甘いも噛み分けた人だし。

 ブータンは85%の人が農業に従事する国。国王は、我が国の
経済指標はGNPでもGDPでもなくGNHだといってる。グロス・
ナショナル・ハッピネス。国民総幸福量だと。

 そのブータンにはゴムチェンという半僧半俗の坊さんがいるわ。
普段は農作業をしてていざとなったらお手頃な価格でお経を上げて
くれる人。50万の人口に1万人いるんですって。

 でもそのブータンでも少しづつ少しづつ近代化の波が押し寄せて
きて、ゴムチェンのようなマージナルな人につらあてが始まって
いるそう。

 明治以降の日本仏教界は全教団の
@総真言密教的儀礼化と
A総浄土真宗的世俗化が 問題よね。

 自浄能力を期待するほうがムリかしら。


親鸞と聖徳太子 投稿者:らくりん  投稿日:11月12日(月)09時30分40秒

私は、聖徳太子のことはまだようわからんです。
なんで親鸞があれほどこだわったのか。

それにしても、古代から現代まで、聖徳太子人気というのはすごいですね。


必要と欲望 投稿者:三吉  投稿日:11月12日(月)06時52分47秒

かつて、インドの比丘というか。。。釈尊時代の比丘は。。。

基本的に必要としたのは、己が肉体を維持する食料だけでありましよう。

各々が托鉢に行き、地方サンガの成員全員で平等に分けた。
住職も坊守りも役僧の差もなかった。

(僧園の寄付とか特殊な例は、サンガに対する寄付)

所謂。。根本分裂の原因の一つは<金銭浄>−つまり御布施として貨幣を認めるかどうか−
であったという。保守派はあかんといい、革新的多数派は、そんな堅いこというなと。。。

某田舎に行くと。。。月参りの御布施は、畑でできた野菜だったりするそーだ。
仏教的だと思ったりする私は、時代遅れだろうか。。。

まぁ、すべては自覚の問題だから、その人の生き様次第だろうと思うが。。
親鸞は、現代の真宗を名告るお坊さん達ほど、多くのモノを<必要>としなかっただろう。
いや。。。在家の者自体が<必要>がどんどん膨らんで。。。
今更、<必要>と<欲望>は区別できないのかもしれない。

大体、富が偏在し、一方で<飢え>がある世界システムがいいわけがない。
<飢え>たら。。。誰しも、なんでもするものだ。


連日の報恩講参り、自分の調子で対応が変わってしまう。 投稿者:Zazie  投稿日:11月12日(月)00時04分17秒

>Zazieさんとこのやつもちゃんと出てましたよ。

うえーす、出してます。聖徳太子展。ちょっと見に行けません。

不勉強なのが恥ずかしいのですが、以前お山に勤めていた時は、聖徳太子という人に
反感がありました。最近ウチの本堂に行く廊下にある「以和為貴」という言葉に”す
みません、ありがとうございます”と思います。宮城先生のおかげです。


バーチャルのまやかし 投稿者:らくりん  投稿日:11月11日(日)22時04分18秒

ちょっとヤボ用で東京に行ってきました。

帰りがけに、電車の中の広告で見かけた上野の東京都美術館で開催中の
聖徳太子展を見てきました。

Zazieさんとこのやつもちゃんと出てましたよ。

真宗がからんでくる展示もかなりあり、前々から、ちょっと気にはなっているん
ですが、あらためて親鸞の聖徳太子に対するこだわりが気になってきました。
いずれは、取り組んでみたいテーマの一つです。

噂の、お台場あたりで場違いなおじさんをしてきちゃいました。
ひょんなことから、フジテレビの報道センターとかニュースを撮っているスタジオ
なんかも見学してきました。
以外と狭くてせこいスタジオやセットで、「へぇ〜、こんなもんか」って感じでした。
それでもテレビに映ればそれなりに見えてしまう。
バーチャルのまやかしというところでしょうか。


経済眩論 投稿者:らくりん  投稿日:11月11日(日)21時48分55秒

▼理想的な経済というのは、
「必要」な人が「必要」な財やサービスを「必要」なだけ手に入れることが
保証されている状態ではないかと思います。
あまり大きなことは言えるほどの知識も素養もないのですが、資本主義社会
のなかで人間が犯している過ちの一つは「必要」と「欲望」を取り違えて
しまっていることではないかと思います。
「欲しい」人が「欲しい」財やサービスを「欲しい」だけ手に入れる。

▼「必要」な事業に対して、それに賛同(その必要性を認めて出資)する人を募る
やり方は、理に適っていると思います。
「必要性」を認めてもらえれば、その認知度に見合う資金は集まる。

▼「必要」がある場合にお金を集めようとすることは悪いことだとは
思いません。問題はいかに使うかという点にある。お金を出す人が納得いく
ような使い方になっているかどうかです。
私たちの教団は「集める」ことに関してはシステムもノウハウも相当蓄積
してきていると思いますが、いかんせん集まった財をいかに使うか
ということについてはあんまり考えているとは言えないと思います。
「本山に任せれば、わしらが使うよりも何倍も有意義な使い方をしてくれる」と
というようなればいいんですが……。
いったいどこに消えてしまうんだろうか……。

▼通貨供給というのは、財やサービスの移動を円滑に行なうための媒介手段
ですから、財やサービスの提供という実質・実態を反映したものになっていれば
その媒介手段がどのような形で提供されても一応の機能を果たすことはできます。
ただ、通貨供給にどうしても不可欠なのは、信用の確保です。つまり、
その通貨(もどき)を財やサービスの対価として誰もが安心してあるいは
よろこんで受け取るという共通認識が形成されるかということです。
そういう共通認識が共有されている共同体の中にでの日常生活に必要な
財やサービスの媒介ということだけならある程度の成功は可能でしょう。

▼ただ、経済の問題を考える上では、結局一番問題になってくるのは、余剰の
蓄積をどうするか不足の補填をどうするかという問題になるだろうと思います。
今の経済システムでは足りないところはどんどん足りなくなり、
余っているところに、ますますたまっていくという形になっています。
こういう地球規模で直面している富の偏在という問題には、地域通貨では
いかんともせんかんたなし、です。
完全にそこだけで完結するような自給自足共同体でもあれば別ですが……。


>らくりんさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(日)17時28分59秒

 もひとつ質問しておきます。

 ハイエクという人が1976年『貨幣発行自由化論』という
本を書いています。そこでは政府から貨幣発行の独占権を奪い取り
民間の銀行が競争して自由に通貨を供給できるという制度を
提唱しました。

 これによってインフレやデフレが起こらないようにできると
思われますか?
 
 柄谷行人らのNAM(南無の会とはまったくの別物)という
運動や鳥山敏子の「賢治の学校」では、地域通貨の実験を
やっているようですが。。。

 仏教徒通貨を「縁」にしたらどうやろ?


お知らせ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(日)16時27分50秒

 同朋新聞より

 11月28日水曜日 京都の高倉会館で
 「親鸞聖人讃仰講演会」に
ぐっちんのキリスト教学のお師匠様、高尾利数先生と
らくりんさんのお師匠様、廣瀬たかし先生がジョイントされる模様。


同朋新聞11月号より 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(日)16時20分53秒

 ここ数年、特に〈宗教における経済)ということが
気になっている。。。。最近ある人から、「恩徳讃ってなんだ。
お寺にもっと報謝せよ、布施をあげよということなのか」という
疑問を投げかけられた。。。。

 すなわち、そこには「本山や寺に納めた金が、果たして血の
通い合うものとして私たちのところにまで還元され、本当に活か
されているのかどうか」
「お坊さんは経済をはじめ、さまざまな恐れや不安を抱えて生き
ている人々の苦悩に共感する生活感覚や臭いを全く欠落させたまま、
大上段に仏法を振りかざしているに過ぎないのではないか」という、
まことに手厳しい問いかけ、声なき声がある。。。。

 わが身〈肉体)をはずさない、そこに浄土真宗がある。私たちの
生身はきれいごとではすまないドロドロとした欲望と暴力性に満ち
あふれている。。。。そうした「あさましきわれら」の身に、真に
自由にして平等なる世界がどこで成り立つのか。。。。

 その人間復興のための具体的な経済のあり方、すなわち経済至上
主義を包みうる共同体を、真剣に模索することの大切さを思う。。。
その実践的課題を確かめ合う、新たな出発点となるべき時と場所、
それがまさしく報恩講である。

  三重の酒井正夫さん(大阪で選択集の連続講義を受けた日が懐かしい) 


戯れ言 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月11日(日)09時21分21秒

大谷派という教団が、構成員として住職を中心に見てきた事は、確かです。
それが、坊守制度への注目と共に、遅いのですが、「教師資格取得者」へと
少しずつ、拡がっていく、動きにはなって、そこからさらに先はさらにあるのかもしれない。
「御同朋御同行」という言葉を軸に。

しかしながら、
こうして、ネットの海を漂って、真宗に関わろうとする
尊重すべき意向をおもちの教団外の方々とお話し、
「忙しいから」と聴聞の機会を無くしていく
近隣の同業者たちと共同教化について話し合っていると、
寺院、教団というものの、僧伽としての存在意義が、
もう、いったいなんなんだぃと感じることがあります。正直。
そこには「おれはやってる」みたいな意識もありますけれど。もち。

尊敬する先輩もいます。ですから、ここでやっていこうとは思っています、
が、なんだか、もう、自分の大谷派教団に対する考え方も、が、間違っているんじゃないか。
わけわかんねぇ。


雑談 投稿者:三吉  投稿日:11月11日(日)01時23分26秒

>「もうお寺やっていく気がないから廃寺にします」

私が不思議なのは。。。。(私はそもそも80年代左翼学生であった。反資本主義でありながら、アンチということは、それなりに資本主義原理が肉体に深く刻印されていることである。資本主義原理と無関係に生きていれば<アンチ>という関心はそもそも私に生まれなかったであろう。)

私に不思議なのは、檀家というか、門徒件数8軒の寺の息子である先輩が寺を継ぐ意識があったことだ。あるいは、門徒軒数50軒とか。。。寺だけの収入では明らかに食っていけないのに、役場職員とか、教師をしながら、寺を継ぐという。。。
<なぜ、統廃合しないんだ!!!!!>という不思議な感覚。。。
一体全体。。。はっきりいって寺の存立は。。。不思議だ。伝統だけに依拠して合理的ではない。
経済的感覚がないようなキガスル。。。
本山の権限より、かく末寺の権限が。。。各門徒の意向が大きいのかもしれんが。。。

ぐっちんさんが役僧をしているというが、役僧の方が実入りが多いのではないのだろうか。。
よくしらんが。。。住職不在、あるいは兼務の寺は多くあるのでは。。。
宮崎は一人の住職が6か寺兼務しているときいたことがあるし。。。
探せば。。。割と簡単に住職になれるのでは。。。
身同によれば。。30年間住職を希望したが、なり手のなかった寺もあるということだ。。
(推進本部の職員がなったらしい)

さて、ある時NHK見て。。私はショックを受けたことがある。。
いかにも風体あやしそーな坊さんが。。。坊さんになるということは、食うことは<弥陀まかせ>
のたれ死んでも後悔しないと。。。これは原始仏教の感覚だ。。。連綿と継いでいるのであろうか。。
私は。。そこまで<覚悟>できんだろうと思う。自分で稼いだ方が楽だ。
とやかくいわれんですむし。。


>らくりんさん 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月10日(土)19時12分36秒

 やんぐ・えぐぜくてぃぶを目指しておられたのかどうか
知り得ませんが。。。     経済のらくりんさんへ。

 各国のイスラーム原理主義穏健派のひとびとは、
平等や正義を実現するため、議会制民主主義を通じ
政治運動を活発化させ、さかんに診療所や学校を建設しています。

 で、イスラームの無利子銀行についてどう思われますか?

 真宗はさておき。中世、仏教が社会資本(インフラ)を
勧進によって整備したことをどう評価されますか?


真宗学の未来 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月10日(土)18時37分20秒

 あっちこっちのお坊さんの話題になるのが
ポチ袋の表書きにご門徒が「お経料」と書かれたとき。

 十中八九の坊さんは怒る。「お布施」と書かんかい!と。
 で、某掲示板などを読んでると、たいがいの人がお坊さん=法施
するひと、門徒さん=財施するひとという図式で真宗経済論を考えておられる。
だったら「法話料」ならええんかいな?

 けど、そもそも真宗では六波羅蜜の行を積むのだろうか。
で、布施行の時だけ、例の三輪清浄論をもちだして
坊さん(施しを受ける側)が清浄になるのだろうか?
そりゃ二種深信に抵触するのでは?
財(英語ではGOODSだけど)はこの際おいといて。

 真宗学とやらの学問が社会や経済に絡めてのアプローチがなく
時代遅れのルービックキューブよろしく、「ここをこういじれば
三面クリアー!」みたいなことになっているのはなんでやろ?

 やれ中村某がどうゆうてる、三枝なんたらがこう、玉城どうじゃらが
どう、曽我せんせが、安田せんせが、大乗起信論と華厳経なんとか品に
こーだのあーだの。。。
 
 お坊さん以外に誰か興味を持つ学問に真宗学は脱皮できるだろうか。
やっぱりお坊さんの権威を高めるためだけにあるのだろうか。
「あのご院さんの話、わかれへんけどよう勉強してはるみたい」。。。

 ああ、今晩もぐっちんのゆううつな夜は続く。。。

 >Zazieさんへ
 
 知ってることは知ってますが、知らないことはまったく無知無知。
知ってることだけ書いてるからスゴイように見えるだけです。(いやホンマ)
でも、知識量がスゴイと言われるより「お主、なかなかできるなあ」などと
ほめられたい名聞・勝多の髻をそっていないぐっちんです。。。

(会えばがっくりくる、単なるスケベで呑み助でパーのおやじです。
死生さんやおじきさんには実証ずみ)


書き残し 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月10日(土)08時34分00秒

開かれた教えに、私はどう応じたらよいのか。
人間の側、信とか機には「こうあるべき」ということはあるんじゃないか。
そういうことを、ここで書かせてもらってきた。
どうも、それは間違っていたようだネ。信巻を読みかえします。


私物化 投稿者:ダラブチ  投稿日:11月10日(土)07時52分42秒

お寺の会計チョロまかすなんちゅうような、せこい私物化してるからつつかれるんで、お寺全体
を自分の趣味で造り替えるような「住職ワールド」を作れる人物はそれなりにスゴイ。

小松のどでかい某寺はお寺の塀取っ払って境内の一部を解放し公園にした。非難する檀家もいた
らしいが、いまや街の名所になりつつある。
ダラブチの連れ合いの父親は、家族もあきれる民芸大好き住職。お寺全体が展示館みたいで土蔵
も展示室兼収蔵庫に改造されている。もう私物化の極致。でもみんなこのお寺の雰囲気は大好き。

「もうお寺やっていく気がないから廃寺にします」・・・こんな私物化の方が問題なんだと思う
ダラブチであります。


ハミレスって、なんじゃい 投稿者:流れ星狂信 ☆彡  投稿日:11月10日(土)07時28分04秒

ぐっちんさん
> お念仏は「何時でも何処でも誰にでも当てはまる」というよりは
>「何時でも何処でも誰にでも開かれている」というようなカンジと
>ちゃうやろか。。。

うまいこと、おっしゃいますね。ここは。

あみださんという、他者に手を合わせる浄土教であるからこそ言える事で、
「当てはまる」と言い始めたら、もう、お念仏を自我の道具に貶めている。いじょ


あっ、 投稿者:Zazie  投稿日:11月10日(土)00時57分35秒

書き忘れましたが、使途不明金のようなものは、存在すると思います。

しかも、それを問題視しているかいないか、というレベルで。


今夜はこんなところで。 投稿者:Zazie  投稿日:11月10日(土)00時47分50秒

 僧分だとか門徒だとか、決めているのは誰なのでしょうか。

> 大谷派の宗議会でも、坊守という女性の地位向上に
>ついては話合われるが、ぐっちんのような「役僧」と
>いうアルバイト・パートタイム身分の僧が省みられる
>ことがないのは一体どうゆうことだろうか。

 大谷派の宗議会に、省みられる事をぐっちんさんは求めていらっしゃるのでしょうか?
自分が自分の立場にいる事を、認めてもらう誰か、何処かの第三者を待っていらっしゃる
のでしょうか?

 以前、某この掲示板に出現される人と直接会った時、ぐっちんさんの読書量、というか
知識量がすごい、という話になりました。同時に「普段何してはんねやろ(呆れるニュア
ンス)?」という話にもなりました。あんまり怖い人でないなら、直接お会いする機会が
あると良いなと、思ったり思わなかったり(どっちや!)。


こんばんわ、ぐっちんさん。 投稿者:Zazie  投稿日:11月10日(土)00時20分00秒

> Zazieさんが以前、寺を私物化してはいけないと
>いっておられたが、自治労の使途不明金のようなものは
>お寺には皆無だと言い切れるのだろうか。

えーっと、私物化してはいけない、というそんな偉そうなつもりではなくて。何時の間にか気が
付かないうちに私物化しているんだな、私は。と言う事を書いたつもりだったんですが、言葉が
足りなくてすみません。

以前、住職が和田先生に”自坊”という言葉をたしなめられたというのは、父(住職)や私がま
づ第一に”門徒”であるのだから、そこに気付きなさい、という風に仰られたのだと受け取って
います。


ぐちろう 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 9日(金)14時09分34秒

 ぐっちんは以前からお坊さん=組合専従員説を唱えている。
専従員(僧分)といっても元は、組合員(門徒)と同じ
労働者(凡夫)だ。

 組合員の組合費から専従員の生活費は賄われる。
これは僧祇物(サンガの共同財産)だ。

 Zazieさんが以前、寺を私物化してはいけないと
いっておられたが、自治労の使途不明金のようなものは
お寺には皆無だと言い切れるのだろうか。

 宗教法人のお金としてプールされたものから、
住職や坊守の給料が手当てとして出るのだが、
さてさて。

 大谷派の宗議会でも、坊守という女性の地位向上に
ついては話合われるが、ぐっちんのような「役僧」と
いうアルバイト・パートタイム身分の僧が省みられる
ことがないのは一体どうゆうことだろうか。


普遍と個別 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 9日(金)13時07分02秒

 >狂信さんへ ハミレス
 
 お念仏は「何時でも何処でも誰にでも当てはまる」というよりは
「何時でも何処でも誰にでも開かれている」というようなカンジと
ちゃうやろか。。。

 ぐっちんは仏教用語をねじまげてこう考えます。

「共業(ぐうごう)」・・・時代社会を共にするものが背負う
             普遍的課題。

「不共業(ふぐうごう)」・他人には代わってもらえぬ、
             個人的な課題。

 これをぐっちんは、社会お神輿説として考えてます。
時代・社会の課題をみんなでかつぐ。けど、自分のかついでる部分を
ほったらかしにして余所いったら神輿がぐらつく。

 そやから、自分の身の丈にあった、この場所でやらなあかん
ことを(わたし)は尽くすだけ。で、その道でみつかった大切なものは
その人にとってはかけがえのない「絶対」として顕れる。

 けどこれは社会有機体説とは違います。
「イージス艦にのってアフガン難民に向けて鉄砲打つのは
打つでまた結構」とかいう、清沢満之ふうの無責任的、
相対的絶対論ではありません。  


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