らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉



投稿者
メール
題名 
[ ヘルプ ]
内容

URL

[iモード / J-スカイ 対応]

今晩から 投稿者:らくりん  投稿日: 7月10日(火)10時24分18秒

ちょっと旅烏です。

しばらく放ったらかしになりますが、
適当にやっていて下さい。


まったくもう 投稿者:らくりん  投稿日: 7月10日(火)10時07分17秒

三吉さんが登場して、また話をややこしくしていますね。

私の〈わだかまり〉の一番元にあるのは、
オフラインの問題を、オンラインにぶちまけておいて、
何人もの当事者・関係者を困惑させたことにあります。
だから、事はすべてオンラインで進行しているんです。
それを、オフラインで「差し」で話して仲直りをするという収束の仕方は
私の好みではありません。
オンラインに持ち出された時から大願さんと私個人との間の問題では
すまなくなってしまっているのです。

今回私が一番問題に感じているのは、3月の話の蒸し返しではなく、
>同じ教区内で、前回の岡崎と対応がこんなにも違う事に驚きを感じています。
>教区内にはootuboさんや職員のOさんのようなひらめ僧侶ばかりではない事が
>判って嬉しくなっています。
の部分です。私は、岡崎と豊橋の人たちはそこまで言われなければならないほど
違っていないと思っています。
研修会自体の性格もかなり違いますし、今回、対応が違ったのは「大願さんに
対するそれ」が変わっただけではないか。
その変化の理由について思いもめぐらさず、あまりにも無邪気すぎると。
返す刀で、人物を特定できる形で侮辱する。
Oさんやootuboさんの言動は、そんなに不誠実なものではなかった
という私の「思い」を逆なでされた不快感です。
非常に個人的な感情です。
しかし、それはオフではなくオンラインで生じたものです。

それから三吉さんのカキコで、また同じことを繰り返さなければならなく
なってしまいましたが、
>だが、この問題に関して、お留守居役様さんが的確にフォローしたと
>私は全く思えない。
きちんと読んで下さい。
私が「お留守居役様さんのフォローを的確だ」と言ったのは「この問題
に関して」全体についてのフォローではなく
「私自身が自分の分限をわきまえたつもりでとった行動に対して」の
それに限定された言葉です。
つまり「決定権限に対して分権的」とおっしゃったことを差しています。
講師の立場で、参加者を「入れたり」「排除したり」があったら
おかしいでしょう。

私もそういう裏から手をまわすようなことをしないわけではありません、
積極的にそういう工策を使うこともあります。
しかし、それは私にとっては、おおっぴらにご披露できるではなく、
多くの場合、ある種の羞恥心を伴うことであります。

大願さんが、最初私に許可を求めようとした意識は、今回の書き込みでは
組長さんや信楽先生のお口添えを、自慢気に披露する意識と同じであろうと
思います。
そして、オンラインになってしまった問題を私との個人的な話し合いで
「徹夜で話して」でも収束を図ろうとすることも、ほぼ同じ意識ではないか。

そういうオフラインの手打ちは、掲示板に出したことで、むりやりに
オンラインの騒動にまで巻きこんでしまった当事者・関係者、
そしてそれを読まされてしまったROMの人たちに対しても不誠実だ、
と私は思うのだが。
私と大願さんがオフラインで仲直りして、それをここに報告すれば済む
問題だと思いますか?
私はそうは思わない。


失礼します 投稿者:ootubo  投稿日: 7月10日(火)06時53分53秒

>ootuboさんは自身の「客観的立場」から「現場で大願さんを感情的であった」と感想
>を述べられ、「(ネットに出したことに対して)怒りにまかせては相手を傷つけること」
>だと批判されていた様に思うが、これも感情を拗らせた原因の一つではないだろうか。
掲示板では自由に発言できるのではないでしょうか。
ある人の発言に、こういう事実もあった、私はこう思うと発言すると、その人の感情を害す
から言わない方がいいなら、掲示板の価値がないのでは。

>大願さんのキャラクターを読み切れなかった責任はいかがなのだろうか。。。
そこまで責任を追及されるのですか。


禅と戦争 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月10日(火)01時14分43秒

 という最近出た本を読んだ。著者はブライアン・ヴィクトリアという
曹洞宗の僧籍をもつアメリカ人である。
 宣教師であった彼は、良心的兵役拒否で来日していた。キリスト教の
「聖戦」思想にいやけがさしていた彼は、「平和を愛する」仏教に興味を
持ち禅寺で修行する。

 しかし、だんだん勉強するうちわかってきた日本仏教界の戦争協力の
実態を老師たちに問いただしたが「禅は師匠を批判できない」という
そっけない返事が返ってくるばかりだった。。。

 「代々木」の運動で消耗していた私は、自分を救ってくれる可能性を
探していた。京都の出町柳の近くの古本屋でみつけた本は『仏陀を背負いて街頭へ』
という本だった。

 共産党以外に仏教者が反戦活動をしてたなんて話は「はじめて」聞いた。
うちの宗旨が浄土宗だったし、すぐ存命の新興佛青委員長だった浄土宗のある人物に
弟子入り依頼の手紙を書いた。そうして私の坊主ライフが始まるはずだった。。。


ならば。。。 投稿者:三吉  投稿日: 7月10日(火)01時03分58秒

>言葉の偉大さにもっと「畏敬の念」をもっていただきたいし、
>言葉の怖さに、少しだけでいいですから「懲りて」いただいきたいと思います。

一連の過去ログを取ってませんが、大願さんだけが<侮辱的な発言><自己中心的な「解釈」
や「断定」「レッテル貼り」>だったのだろうかと思う。
ボタンの掛け違い、あるいは、売り言葉に買い言葉などなど。。。あったのでは?

<関係者の当惑・苦衷>があったならば、<大願さんにも当惑・苦衷>あったろうし、
掲示板で黙っている関係者の苦痛だけが大きいということなのか。解せぬ。

らくさんの<わだかまり>は、らくりんさん自身の<わだかまり>なのか、
<人間関係を有する当事者に対する配慮>なのか、それとも<現実の仕事の場
に対する影響>なのか。。。そのすべてなのか。。。

確かに現実の仕事の場の出来事を無配慮に大願さんがこの掲示板で一方的に持ち出したという
ことはある。メールとかの非公開の場でも可能であつたろうし、他にもやり方はあっただろう。
これはootuboさんが当初指摘されていた。
だが、この問題に関して、お留守居役様さんが的確にフォローしたと私は全く思えない。
私はその点について、かなりらくりんさんと断絶があると思う。
世間道理の観点から論じたものについて、私はこの掲示板で完璧に批判したと思い込んでいる。
それについての反論は一切無かったように思う。
らくりんさんは議論を終息させようとされた。
しかし、その「わだかまり」の火種は、消えていず、愚っ朕さんの乱入にかこつけて、
糾弾の暴力の視座から蒸し返し論じようとされたので、私は極めて乱暴に反発したはずだ。
私はぎりぎりところで、ひいたはずだが。。。。
それを再び蒸し返されるとは(勿論、大願さんのふたたびの書き込みの故だが)

ootuboさんは自身の「客観的立場」から「現場で大願さんを感情的であった」と感想を述べられ、「(ネットに出したことに対して)怒りにまかせては相手を傷つけること」だと批判されていた様に思うが、これも感情を拗らせた原因の一つではないだろうか。
私を除いて、大願さんをこの掲示板で擁護するものはいなかったと思う。

<言葉の怖さに、少しだけでいいですから「懲りて」いただいきたい>

のは、私を含めて大願さんにも、他の人(掲示板登場人物・教務所当事者)すべてに当てはまる
のではと思う。それは一人、大願さんを指弾する言葉なのだろうか。。。
事の発端は。。。溯れば、<夜の会合で>という言をらくりんさんが言わなければ、直接
起こらなかったのかもしれない。(起こったかもしれない)
らくりんさんが、日頃の主催者尊重の原則から教務所員の自主性に判断を委ねたのは、
間違ってないが、さりとて、その判断はらくりんさん自身のものとは差異があったはずです。
大願さんのキャラクターを読み切れなかった責任はいかがなのだろうか。。。

実際のところ私なら主催者が「ごめん」といえば「いえいえ無理を言いましてこちらこそ
申し訳ない」とこちらが恐縮する。
参加者に知り合いがいれば、後からレジメくらいは内緒で手に入れるかもしれないが。。。
それは状況次第だ。

ところが、わたしと違い、大願さんは「聞きたかった」のだ。私やらくりんさんや他の人達が
思う以上に純粋に。。。その怒りをここで無配慮にぶちまけたのは、確かに「非」といえば、
「非」だし、それに「わだかまり」を感じ、謝罪せねば許せないと突き詰められたら、
立つ瀬が無いであろう。。。
大願さんは、逆にケチをつけられているとだけ感じ、らくりんさんの「言いたいことが相手に伝わる」というポリシーは宙に浮くのではないか?

あるいは。。私が大願さんを弁護されるのを予想されているのだろうか。。。(笑)
ならば、大願さんの代わりに私が議論する。

「伝えたい」のは<大願さんにもあるであろう、互いの「わだかまり」>で、それを解きたいのではないでしようか?ならば、らくりんさんから大願さんにもう一度謝罪され、大願さんもらくりんさんに謝罪され、教務所のメンバーとも互いに謝罪しあい、「わだかまり」を解かれたらと思います。

つーか。。。はよ、仲良くしてください(祈)


どこまで続くぬかるみぞ。。。 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月10日(火)00時56分53秒

 ニュースを見てて様々な思いが胸をよぎる。
うちのオヤジも戦争へ行った。しかし、小さい時夜中に起きておしっこに
行くとき見たオヤジはいつも夢の中でうなされていた。
 
 マリナーズではイチローが大活躍だが、うちのオヤジも野球小僧であった。
ある夏、浪商に大阪代表を奪われていたオヤジの学校が地方大会で優勝した!
が、それは学校の数が多い地方だけが、始めたついでに仕方なく最後まで続けて
いた戦いだった。
 その年の甲子園本大会は戦局の悪化のためすでに中止が決まっていたのだった。

 アメリカ旅行へ行ったのはオヤジの妹、すなわち私のおばが日系アメリカ人
だからだった。おばは、若き頃、進駐軍の通訳として働いていた。その時
知り合い結婚した相手が、広島からアメリカに渡った日系移民だった。

 『パール・ハーバー』なる映画が上映されるが。。。
おじは日本と戦争になったことを米軍兵士としてどう思ってただろう。
そして、故郷ヒロシマに原爆が投下され焦土と化した事をどんな
思いで聞いただろうか。そのおじの宗旨がお東ということで、おばは
大変喜んで私にそのおじのための読経を頼んだ。。。

 そのオヤジとおばの父、つまり私のじいさんは小学校の教師だった。
私が生まれた頃は習字の先生をやっていた。と同時に生長の家という
道場が習字教室だった。「敗戦後」もというか、じいさんは近所に
住んでる私の家にやれ神棚を祭れだの、自民党の靖国懇所属の議員に
投票せよだのやいやい言っていた記憶がある。 


ちょっとしつこいけど 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)21時56分17秒

言葉で仕事をしている者として、
大願さんには、
言葉の偉大さにもっと「畏敬の念」をもっていただきたいし、
言葉の怖さに、少しだけでいいですから「懲りて」いただいきたいと思います。


補足 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)21時29分52秒

私は、この掲示板での出来事が、私自身のアクチャルシーンに関わってくる
こと自体も含めて〈楽しんで〉おります。

だから私にとっては、この掲示板での出来事に関する限り、
バーチャルとアクチャルの境界線は限りなくゼロに等しいかも、です。
皆様、そのつもりでお付き合いのほどを。


いや、その 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)21時18分19秒

やっぱり私は、そのー、まだ、尾を引いているんです。
だから、アクチャルでの大願さんの「何事もなかったかのような」
無邪気さに、私としては当惑してしまいます。

岡崎別院での件は、当日の出来事についても、この掲示板でその件が指弾された
ことも、そしてそれ以外の場で大願さんがなさったことも、
そのごアクチャルな部分で、当事者にかなり大きな波紋を投げかけたんです。
関係者の当惑にも苦衷にも、私も一部だけですけどつきあっています。
確かに不手際と言わなければならないことがあったことは間違いありません。
しかし、その後大願さんがとった行動は、
この掲示板で公開されている経緯だけに限ってみても、
私の目からはかなり行き過ぎているという感が否めません。
どれほど、関係者が困惑したか、それを思いやる「素振り」さえ見えません。

私にとっては、あの事件は掲示板の書き込みだけにはとどまらない、
アクチャルな人間関係に大きく関わった問題になっています。

だから、掲示板という公開の場に持ち出して、
一方的な言い分を投げつけるような無神経なやり方は、
見過ごすことができないんです。

この掲示板で起こっていることは、私にとっては、
私の仕事の場に反映されて関わってくることが少なくありません。

私にとっては、この掲示板での発言は、
必ずと言っていいほどアクチャルなシーンにも尾を引いてくるんです。
だから、この掲示板は息抜きの場ではあっても、
単なるバーチャルな遊びでは済まない部分があります。

少なくともこの件に関しては、
私は「何事もなかったか」のような振る舞いはできません。

大願さんだけではなく、Oさんも、ootuboさんも、
おそらくはROMはしていても登場はしてこない当事者たちも
私にとっては、おそらくこれから何度もお目にかかることになる人たちなんです。

だから、ここでのわだかまりは、やっぱここではっきりさせておきたい。


ヒラメを見損なわないで 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 9日(月)21時15分10秒

普通の人はご覧にならないと思いますけど、
偶然見かけた『全国市町村要覧』と言う本に、
ヒラメは茨城県の魚とありました。

僭越ですが、ここ<らくりんバンバン>を代表いたしまして、
先般からのヒラメに関する数々の暴言を
茨城県民の皆様並びに関係者の方々に深くお詫び申し上げますとともに、
茨城県の公式ホームページをご紹介させていただきます。

http://www.pref.ibaraki.jp/profile/symbol/index.htm


やんなるくらい、健全だ。。。 投稿者:Vita  投稿日: 7月 9日(月)20時30分35秒

掲示板という公開の場所ではじまった論義は、その場所で最後まで話し合われべき、か。。。
ホント、腹立つくらい正しいですよ。


死者を利用する政事 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)20時29分32秒

2000年8月4日 金沢の護国神社の目の前に、
「大東亜聖戦大碑」と刻まれた、12メートルもある、
どでかい石碑が除幕された。
碑を建てた人たちはその碑の前で「聖戦祭」と銘打って、
軍服を着た人たち(軍装隊というそうだ)が見守る中、神主さんを呼んで
儀式をやった。1000人ちかい人が集まったらしい。

その石碑が建った場所は、石川県が護国神社から借り受けて、都市公園として
管理している区域だった。県都市公園課は、その建立を「許可」していた。

県は、原則として、どういう物が建てられるかその「内容」は「審査しない」
ことになっているの一点張りで、その問題性を認めようとしない。
この4月、その撤去を求める運動が起こった。
知事は逃げまくっているが、
副知事は、かなり県としての責任を認める、かなりふみこんだ発言をし始めた。
しかし、県当局は「姑息」にも、この7月6日に、
貸借契約を打ち切り借り受けていた土地を護国神社に返却した。

今年の8月4にもその碑の前で「聖戦祭」が行なわれる。
それに抗議する集会も開かれる。(午後2時:石川県文教会館)

石碑の台座には

  大東亜おほみいくさは
  万世の
  歴史を照らす
  かがみなりけり
    [天皇が始めた大東亜戦争は、永遠に続く日本の歴史の手本である]

  津々浦々の赤誠集ひ
   聖なるたたかひの碑
    国護る宮に建ちたり
  歪められし愛しき祖国
   救はんための浄き希ひ
    正気ここに蘇らん
  おほくは語らず
   聖戦の詩高らかに
    遺し文納めたり
  讃へ伝へん
   永久に燦たり
    大東亜戦争

という文言が刻印されている。

金沢の新しい「隠れた名所」になりつつある。
2000年に、こんな物が家から数十分のところに建ったことは、
やっぱ相当恥ずかしい。

大谷派の教学研究所の所長だった蓬茨祖運(ほうし そうん)は、
「政治で神をつくるな」と言った

政治とは、古来より神を作りそれを利用する祭祀権限の継承と争奪の争い
だったのではないか。
日本の近代政治は、その祭祀権の相続としての政治の権威の根拠を完全に
否定することができなかった。
それは今も、象徴天皇制として残っている。


死者の政治祭 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 9日(月)16時53分52秒

 赤川次郎原作で、フカキョンの主演映画『死者の学園祭』と
いうのを去年の夏公開しててこっそり見に行ったが。。。

>現在の国民国家の時代は、死の意味を国家が管理しようとする。
>被害を受けたアジアも、戦死者を出した日本も同様に、死者の意味を
>国家が国民の歴史の中に位置づけようと〈死者を意味づけるゲ−ム〉への
>参加を競い、国民的統合に利用しようとしているからだ。この状況への参加を
>拒否すること、そこから死者を意味づけることは始まらねばならないのではないか。

 ヤスクニ問題は自分の中で解けないな〜。上の発言は加藤典洋批判関係のHPからの
引用ですが。。。
 かつて、うちの師匠が大阪拘置所の前で処刑されたばかりの方の追悼法要を即やってたが
(もちろん遺族に許可済み)何かパフォーマーやなあと思って、師を見限った思い出が
あります。
 「運動派」のやってはることは、「行政」とか「国」とか「当局」とかの責任を追及する
のんばっかりって気がするんやけど違うかな。まあ、「死語」の世界に「内なるヤスクニ」
だの「内なる天皇制」だとかいう亡霊もさまよってはいるが。。。

 まあそれで、「エロス派」なんやけど。。。

♪誰も知ら〜な〜い〜 「南」の国〜から〜
  イルカに乗〜った〜中年がやってき〜た〜


遅れて来た青年 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)15時55分34秒

愚っ朕さんが〈真宗BOARD〉を振り返って反芻している。

そういえばそういう話題で盛り上がっていたこともあったっけねー。

なんだか遠い昔の思い出のよう。
「♪夏がくーれば思い出す♪」ってか。

愚っ朕さんは、登場が一年ばかり遅かったかな


そうは問屋が? 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)15時48分45秒

掲示板の上でのことは、掲示板の上できちんと総括してほしい。

私は、Oさんやootuboさんに対する大願さんの侮辱的な発言は、
この掲示板の上できちんと謝っていただきたいと思っています。

また、私自身が自分の分限をわきまえたつもりでとった行動に対しても、
ずいぶんなことを一方的に、しかも一度ならず繰り返しておられます。
この無神経さにも、少なからずバーチャルではなく心証を害しております。
私がとった行動についての私の言い分は、私も説明しましたし、
お留守居役様さんにも的確にフォローしていただいています。

大願さんがおっしゃりたいことを皆さんに、伝えるためには
それなりの気の使い方が必要でしょう。
あのような自己中心的な「解釈」や「断定」「レッテル貼り」を
連ねたような書き方で、言いたいことが相手に伝わると思っているのですか。

他の人の理解や共感を得たいと思ったら、それなりの節度と表現が必要でしょう。
大願さんの書き込みからは、そういう姿勢がまったく伺えません。
私に感じられたのは「悪意」と「皮肉」ばかりです。
「ケンカ」を売っているとしか思えません。

私は、大願さんの一連の書き込みは「冗談」では済まされない域に達していと
考えております。

私は、大願さんがこの掲示板の上で行なった、失敬な行為について、
この掲示板できちんと「落とし前」をつけてくださらなければ、
アクチャルにお目にかかっても気持ちよく「お話し」などする気には
なりません。

私は、そういう「落とし前」にこだわる了見の狭い人間ですので、
悪しからず。


私なんぞが言うまでもなく、そうなることでしょうが 投稿者:Vita  投稿日: 7月 9日(月)14時21分11秒

昨夜は大願さんと酒を酌み交わしました。

この掲示板を賑わせている話題を私の方からふりました。
過去ログももっていませんから確認できませんが、
おそらく、同じようなことは話し合われたと思います。

今更とお思いになるでしょうが、当日、らくりんさんが講義のなかで、
「この先の話は夜で」ということを、何回かおっしゃっていた。
大願さんはそのことが気になって、夜の講義を申し込まれた。
そのことが発端になったということですね。

大願さんがそういうお気持ちになられたということに共感します。
そして、それができなかった事情を、やむを得ないことであったとは言えないと
、ご本人と話をして感じました。

是非とも、らくりんさんには直接会って、
大願さんのお気持ちをお聞きしていただきたいと思います。
もうすぐ、その機会があるそうですし。

http://www.sq.nu/bbs/u1/kokoro.cgi


連続講座でごめん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 9日(月)14時10分04秒

  援交はなぜいけないか?論争はなやかなりし頃、河合隼雄が
「援交は魂がけがれる」と発言して、いまどきの子から失笑を買ってた。
 仏教関係者では、唯一正木晃が大法輪になんか書いてたように
思うが、話にならんので覚えていません。
 宮台真司は「からだはレイプされても、こころはレイプされない」
という女の子の証言をたくさん集めてたっけ。
 『親指Pの修行時代』を書いた松浦理英子も、「レイプぐらいで
心はけがされないぞ、強姦魔たち!」というような話を書いてたような。。。

 う〜ん自分で書いてて、「自分を引き受け、世界をどう引き受けるのか」
という主題でウン十年悩み続けているのだが、真宗BORD過去ログに
「浄土教と自殺」という話があった。
 「世界を引き受ける」というのと「世界を引き受けない」というのと
「厭離穢土」と「欣求浄土」というのとどうつながるのだろう。

 宮台真司の『世紀末の作法』にこんな図式が載ってたのを
思い出す。
 まず 汚れ/無垢という軸と、世界を受容/世界を不受容という軸を取る。
で、
 @無垢で世界を不受容・・・・・幼児・・・オウム系
 A無垢で世界を受容・・・・・・子供・・・ロリコン系
 B汚れで世界を受容・・・・・・大人
 C汚れで世界を不受容・・・・・援交少女・ストリート系

 と例によってチャート化する。(自称と他称とラベル貼りと
いう問題が例によってあるが。。。)

 こんな話をゴールデン街の飲み屋でしゃべってたら、となりのおやじが
「俺は、谷 啓だ!」と叫んで、その場にまずい沈黙が流れた。。。
どうしよう、ここはガチョーンと一発かまして合わせてやるか、
それとも♪し〜らけ鳥飛んでい〜く 南のそ〜ら〜へ ミジメ ミジメと
歌おうかとも悩んだが、そこでぐっと踏ん張った。自分が紛れも無く
そのオヤジ側に属していると思われるのは、久しぶりのおねーちゃんを前にしてマズイ。。。


ひっぱれーひっぱれーみーんなで 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 9日(月)12時55分15秒

 加藤さんは、自国の戦死者を「犬死」としか呼べないことに
異をとなえている。その点、靖国のことを長く考えてきたみなさんにも
面白い視点を提供していると思うが。

 さてこの本には、中島梓=栗本薫の『コミュニケーション不全症候群』
の話題も載ってる。いわゆる、オタクたちがどうして外に出なきゃいけないのかを
めぐる話。昨今はパラサイト・シングルということばもあって社会全体に
親と同居している豊かなにいちゃん、ねえちゃんが広がっていて私のような
「こんな家、出てってやる!」派はマイノリティなのかな?

 自足している若者たちが、「出る」理由はあるのか?真宗に引き寄せれば
二乗に堕した菩薩は何を根拠に居心地のいい場所から「出る」のか?

 また見田宗介の『 現代社会の理論―― 情報化・消費化社会の現在と未来 』
(岩波新書)を論じる。「北」の豊かなひとびとは、その豊かさを捨てて
「南」にひとびとに総懺悔しなければいけないのか?
 「北」の依拠する資本主義の「闇」を撃つばかりでなく「光」を評価した上で
「南」を意識することはできないのか?
 
 「北」の光に幻惑されるひとびとは、「南」を考えることもなく、「南」に足場を
持つ人たちは「北」の「闇」を撃つ言葉しか持たない。

 東京から大阪に転勤になった新入社員は、こうあいさつした。「西も東もわからない、
未熟者なんでよろしくご指導賜りますようお願いします」と。
 すると、部長がこう言った。「アホ、大阪はキタとミナミがわかったらそんでええんや!」 


知事放談 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 9日(月)12時34分18秒

 ワイドショーを見てたら、康夫ちゃんがいぢめられてる。
加藤典洋の『可能性としての戦後以後』(岩波)という本に
「失言・放言・暴言」の違いについて考察し、歴代自民党議員の
謝罪撤回の背景になにがあるのかを考えてる章があり興味深く読んだが
康夫ちゃんも物書き慎太郎とおなじスタンスをとってるなあと思った。
物書きは自分の発言に責任を負うから謝罪も撤回もしない!と

 それにしても加藤さんを評するひとたち、「なんでわかって
くれないんかなー」とイライラする。(一例をHPでみてください)
 自由主義史観を批判するひとは、まず加藤さんも批判する。
右対左という二元対立思考がそこに感じられる。
 加藤さんや竹田さんに感じたのは「自分に寄せる心が社会に寄せる
心とどうつながるか」という問題意識だ。
 どこまでもエゴイスト(自利)でしかない自分が、「そう簡単に
麗しい隣人愛(利他)の実践者になれない」というのが私の
正直な気持ちだ。そこを、なぜいとも簡単に乗り越えられるのか
不思議だ。
 カトリックの社会福祉学校でまなんだ私は、そこに強烈な違和感を
感じた。まあ、カトリックはヒエラルキーの総元締めみたいなとこが
あって、「余裕のある私たちは、弱くて貧しい人々に奉仕しましょう」
といったスタンスみたいだが、私自身が「名もなく貧しく美しくもなく」
生きてる人間だからそうそう、愛を惜しみなく与えるわけにはいかないのだ。

 仏教の慈悲は違う。(けど、解説するのはやめときます。)うめきではないか。
エマニエル・レヴィナスの「他人の顔」という話に近い理解かな。(この項つづく) 

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4254/shibun/shohyo/90-higuchi.html


おはよ 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)08時41分03秒

じゃりん子チエのヒラメちゃんは、ちょっとどんくさいキャラでしたから、
その線もありか。


暑さでバテてます 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 9日(月)07時01分17秒

愚っ朕さん、おめでとう、と言っていいのかなあ。

三吉さん、何かいいことがあるのですか。
誰かに会えるのかなあ。


うーーーん 投稿者:三吉  投稿日: 7月 9日(月)01時37分11秒


もうすぐ11日だ。。

あいかわらず、お忙しそうだな。。。

さて寝よう。


それから 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)01時05分07秒

山内小夜子さんもいましたのでに例の件、お勧めしたんですが、
「イヤ、とんでもない」と、謙遜していました。

それにしても、大願さんはちっともこたえていない感じ。
私もあまり深い付き合いではないのでよくわからないのですが、
よほどの大物なのか、それともよっぽど……?!

風呂入って寝よ。


京都帰り 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 9日(月)00時56分25秒

今、京都の「東西本願寺非戦平和共同行動」から帰って来ました。
新井英一さん「清河への道 48番」ライブ、えがったぁ〜。
やっぱ、秋刀魚は目黒、歌は生がええなぁ〜。

Vitaさん、しんさん、大願さん、まこさん、なんかの顔も見えました。
あとここの常連さんではだれがいたかな?

えらい、ヒラメねたを引っ張ってますね。

愚っ朕さん、初仕事ですか。なにはともあれでんな。

オウム真理教の信者さんにはまだお目にかかったことがない、
これまで会ったのは、主なところでは、エホバの証人、親鸞会、幸福の科学、
ヤマギシ会、統一協会……
みんな、ほぼ例外なくマジメな好人物と言ってもいい人ばかりでした。
それだけに、見送ってからせつなくなったりします。

『読み解く』は、私のところに送り先、必要な巻をメールしていただければ、
私の方から直送します。オール込みで、本屋さんで買うよりも若干割安になります。


三球・照代の気持ち 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 8日(日)19時49分00秒

 ヒラメのことも気になる。じゃりん子チエのヒラメちゃんとは関係ないんだろうか?

 「人間だけが空を見上げることができる」って何のことでしょう?肯定的な
メッセージなのかな?
 シモーユ・ヴェーヌという人(?)だったかが『根を持つことと 翼をもつこと』
とかいってなかったかな?

 「根」はわかる。根無し草のことは、デラシネという。(でらしねぇ〜奴)←座布団取れ!
対の「翼」は、自由を求めること? それとも、人間だけがこの上も無いものをめざす
ということかな?

 過去ログを読んでもいろんなことが、頭に涌いてきます。
 らくりんさんは、新潟監禁男とか酒鬼薔薇聖斗とかよくわからないといってましたが、
(三吉さんは興味なしといってた)私あのへんの子の気持ちわかるつもりです。で、何が
彼らと私を分けているかというとやっぱ「マジメ/フマジメ」かなあ。
 みうらじゅん的「アホぢから」を持ってるか否かくらいの差。悩み方がわかってないと
いうか。。。まあ、人間関係が景色とおなじようになってる。。。電車の中で化粧してる
ねえちゃんとか、えげつないことしてるカップルとか、「公共」という意識がない人が
多くなったですねー。

 オウムや統一教会の女の子としゃべった時はポジティブなマジメさを感じた。とにかく
「ええこ」ですよ。オウムの子はさわやか。サッカー部のマネージャー(って実物は知らん
けど)タイプ。メイクも薄いし。家が創価学会で(ってうちもおかんもそうやん!)ホンネと
たてまえが違うからイヤになったとかいう共通項がある。(新宗教二世、三世が多い)
 統一教会の子は「性に対してうしろめたさ」をもっていることかな。汚れたくない、泥を
かぶりたくない。。。

 あと、夢があったのだけど「もうかなっちゃった」というのも特徴的やったなあ。
私がアメリカへ旅行に行ったときグランド・キャニオンの横のレストランでバイトしてた
黒人の女の子(?)に「夢はなんですか?」って聞いたら「デズニー・ランドに行くこと」
っていうてた。昨日行ったわ!こんな貧乏な日本のニイちゃんでも行けるのにって思った。

 狭い人間関係の中では、浮かないように「他人の顔色をうかがい、まわりにあわせる」
とこがありますね。
 相手に踏み込まないというか、傷つかないように・傷つけないように振舞う「やさしい」
人たち。

 と、まあ書いてたらこの掲示板に登場する人とはやっぱキャラ違うってかんじ〜。
 

 


 

 


>大陀羅弗”痴さん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 8日(日)16時31分35秒

 いや〜ご機嫌さんっすね〜。ところで宮崎アニメがまた公開されますね。
宮崎さんのストーリーは、いつも白黒つけず、迷いの源に救いが同居しているという
メッセージのように受け取れますが、大陀羅弗”痴さんはどういうとこが
お気に入りなんでしょう。

 >お留守居役様さん

 そうだったんですかー。固い印象の方だなあと思ってたんですが。。。
私のよりダンゼン面白い!(自分の発想はわかってしまってますから)

 >らくりんさん

 真宗BORDの過去ログもぼちぼち、読んでます。あ、三吉さんに向かっていわれてんの
オレのことやんけ!見透かされてるなァと思いつつ。。。
 今日、ほぼ一年振りに仏事を執行させてもらう機会がありましたので、そのお布施で
T巻を求めようと思ってます。(小出しに読も)
 何かホンマすっごく真宗に、渇いてきた。。。


法事から酔っぱらって帰ってきました。 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 7月 8日(日)15時20分45秒

>愚っ朕さん、
フロムG、とらば〜や、ナイスです。

ずいぶん昔、「おばあちゃんの知恵袋」という本があったように覚えてます。(多分カッパブックス)。例えば「赤ん坊がセキをしたらおむつを干せ」。部屋の湿度の関係なんでしょうね。「なにをわけのわからん事を」思われるようなことでも、よくよく考えれば因果関係が成り立っている。そういう部分でも昔ながらの知恵というのは、英知だなあ。好きだなあ。酔ってるなあ。


ひと 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 8日(日)09時01分23秒

 人と動物の違い。う〜ん、@子どもが育つのに長い時間がかかる。
(魂の成長に関して)A子作りが終わった後の期間が長い。

 子育て支援と老後の生きがいを積極的に考えていくことが大事だと
思う。そもそも人口の14%を高齢者が占めると「高齢化社会」では
なくもう「高齢社会」だ。でも元気な高齢者もいる。その人たちは働き口を探している。

 65歳からの就職情報誌が必要だ。「フロムG」とか「とらばーや」とか。。。
おばあちゃんの智恵とかは、捨てるに惜しい財産だな。。。


採点終わった! 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 7月 8日(日)08時40分34秒

昨晩遅く、期末試験の採点が終わりました。まだ成績をつける作業が残ってます。今朝は早朝から町内一斉用水清掃でした。ヤゴとザリガニとヒルがいっぱいいました。運動用コルセットを付けていたにもかかわらず、腰痛が再発しました。

生徒達の解答を見るのは、楽しみでもあります。
「人間とそれ以外の動物との違いを考えよ」・・・・「人間は言葉を話すが動物はできない」(これは動物にもコミニュケーションがあるという点で不十分)、「人間は自分と周りとを比べて劣等感を持ったりする(動物に劣等感コンプレックスとかはないのかな?)」「人間は将来のことを心配するが動物は今を生きている(冬に向けてエサを貯蔵するのは本能に過ぎなくて、未来の配慮とは違う、ということだろうか?)」「動物は自殺しない(これは確かにそのようだ)」 etc
いちおう宗教科の解答としては、「人間だけが自己自身についての意識を持つ」なのですが、自分の頭でものを考えて解答した生徒には片っ端から点をあげちゃうのです。

>人間は反省をする・・・・・そうか、空(真上)を見上げるというのはその姿勢か・・


本を積んでおくこと 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 8日(日)08時23分54秒

を一般には「積読」とかなんとか言ったりしますが、

そうしておくと、本の功徳が毛穴から浸み込んでくる(ホント?)
それを「身読」あるいは「見ん読(とく)」と言ったりなんかしたりして。

オソマツ

おあとがよろしいいようで……


人間と動物との違いを考えると 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 8日(日)07時58分29秒

 人間以外でも、会話はするし、母性愛もある、ルールは持っているし、
死に対して悲しみもある、弱者は守る、わけもなく殺さない。
 子供と生き物地球紀行をよく見ていると、動物はすごいなあと思っています。
 違いは、人間は動物と違うと思っているというか、人間が一番偉いと思っている。
 しかし上山研修でのなら、人間は反省をするでしょうか。


死とエロスと救い 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 8日(日)05時36分06秒

 見田宗介に『自我の起源』という本があります。(真木悠介名義で発表)
理系以外の人の間にも話題になったリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』
などを下敷きとしています。「自我」を生物学(動物社会学)から解明しています。

 見田のまとめは、だいたいこうです。@生物としての個体はさまざまな遺伝子の
乗物であるAしかし個体は人間において独自の主体化を遂げ自我を形成しているBだが
更に人間の主体は、個体を超える範囲で共生のネットワークを形成している

 個は他に開かれてあることを、見田はエクスタシーとは何かを語ることによって
更に考察を深めます。日本語ではこの語は「脱自」と訳されていますが。悦び・歓びと
いった漢字をあてるのが適当でしょう。
 これは「他者から作用されていることの歓び、なにほどか主体でなくなり、
自己でないことの気持ちよさ」とでもいうことです。

 末永直海の小説によるとセックスは、「他者」の不気味さにふれることという
定義でした。普通、社会生活を送る上で他人の髪の毛や肌や唾液やその他さまざまな
液(私、奥手なんであんまり知らないんですけどおー)をからめあう機会はありません。
 
 ジュリア・クリステヴァによると、幼児が一人前の大人になるに当たってはこのような
魅惑的かつおぞましい「アブジェクション」(母性棄却と訳される)を閉め出すことが
必要だとされていました。(こどもは生理的なことは大好きです。「トイレット博士」
とか「まことちゃん」のびちぐそ!とか)

 さらにクリステヴァは、この母性棄却は個人のみならず、社会的にも行われると言い
ます。すなわち、多神教における宗教儀礼です。「汚れ」は「穢れ」として祓われるのが
通常です。私は、差別があるのはこの「個」や「共同体」を維持するのに(同一性を保つ)
のに定期的に「穢れ」を閉め出さないといけないからなのだと思います。

 オーガズムとは「小さな死」という意味だと栗本慎一郎の本で読んだことがあります。
「死」もまた救いになるのは、「私」の体が異臭をはなち腐敗するからです。すなわち、
「自我」という緊張がこの一個の肉体を離れて自由になるからです。

 でも「死」の前にあるのは、「他者」に開かれてある「個」というのが大事なポイント
です。これをお間違え無く。正統派仏教が「女性性」を忌み嫌い、独身出家主義を貫いた
のは「無我」とかなんとかいいながら、「他者性」に開かれることを恐れたのでは
なかったのでしょうか。(「非我」を私は、「アホなプライドを自分だと錯覚して
生きていることの指摘と捉えます)

 私からすれば、「大乗」こそ仏教です。そして「肉食・妻帯」に踏み出した親鸞こそ
生きとし生けるものの救いを説いた画期的な人であります。 


ダジャレの町美川 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 8日(日)02時34分45秒

美川出たサビ


試験を受けたつもりで。 投稿者:Zazie  投稿日: 7月 8日(日)01時25分56秒

>大陀羅弗”痴さん。

「自然に喧嘩を売る」
良い意味でも、悪い意味でも。


ところで、北陸道美川インター上がってすぐの『美川県一の町』という看板。他所から
来た友人などに聞かれて恥ずかしいのですが、美川はダジャレの町なんでしょうか? 


なにをかくそう 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 8日(日)00時57分50秒

σ(^^)は、こう見えてもサラリーマンなので、
ボーナスがもらえました。
それで春秋社から復刊された
法然全集全3巻を購入しました。
ですから、「親鸞の教行信証を読み解く5」の上に
さらに3冊の本が乗ったことになります。
ちらっと見た第1巻の巻頭の「往生要集釈」に
「菩提心および念仏」と併記されている箇所があります。
明恵の批判から法然聖人は菩提心を知らないと思い込んでいましたので、
ちょっと驚いています。
智恵第一と言われ、全経典を読破している法然聖人が、
菩提心を知らないはずはありませんでした。(^_^;
念仏と並べられている菩提心は、
明恵が言う意味とは異なっているように思われ、
また、人に内在する種のような仏性とも違うように思いました。


しょうこりもなく 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 7日(土)14時33分10秒

まだやっている。

>こうみえても
どう見えるんだか???


七夕 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 7日(土)11時36分26秒

今夜はよいことがありそうな。。。

だって、タナボタの日でしょ。。。

σ(^^)、こうみえても昔はダジャラーと呼ばれてました。
言語学的には、喩論研究家とも名乗ってました。


えっ何? 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 7日(土)11時31分48秒

 美川?そーよ、みんなオネー言葉つかってさー「美川門徒」って
呼ばれましょうよ。


マイペースでっと。。。 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 7日(土)11時22分48秒

 藤原紀香が、「結婚するならできちゃった婚かな?」などと発言してた。
そういえば、芸能人のできちゃったカップルは多い。思いつくとこでもアムロとサムとか、
石橋と保奈美とかキムタクと静香とか。。。
 昔は、オトコがハメるといったのだけど、今時はオンナにハメられでもしない限り
結婚する理由が見つからないのかもしれん。

 首都圏での調査では、意図しない妊娠率(早すぎた妊娠プラス望まない妊娠)が25%
である。四人に一人は、「予定外」のいのちである。(1997年厚生省しらべ)あと、
興味深いのは1972年の時点では、どちらの子が欲しいかという調査で52%だった
男の子(女の子は19.2%)は1992年では24.3%に低下(女の子は75.7%)
している事実である。

 家庭内暴力で殺される子供のパターンは、父によって長男が犠牲になるというものである。
どんな子に育てたいかという調査でも女の子が(素直な子、思いやりのある子)などに対して
男の子は(人に頼らず自分でやる、たくましい生活力をもつ、自分の責任を果たす)などが
あいかわらず目立つ。

 いじめで自殺するのも圧倒的に、男の子である。学校内の出来事を男の子は家庭に持ち込め
ない。そういえば、組織に殉じて黙々と自殺する中間管理職もよく見られる。男のテリトリーは
確実に縮小している。(まあ、起きて半畳、寝て一畳か。。。)

 「男らしく」なくみっともなく、ネチネチ・うじうじ・グチグチするのバンザーイ!!!!


そう言えば 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 7日(土)11時05分37秒

今日は七夕。
みんな、何やってんの、こんなとこで油売って、ちゃんと仕事しなさい。
そういうらくりんもだけど。

今日は夜は美川の会。Vitaさんは欠席届けが来たけど、
ちょっと珍客が見えるかも知れない。

先日、拙寺の永代経に初めてお参りに来られた方。
お話が終わってからも、残って下さったのですが、
らくりんは、もう一人お客さんがおられて、あまりじっくりお相手できず
たいへん申し訳ないことをしてしまいました。

翌日、非礼をわびるため電話したところ、
「次は美川へもぜひ」とのたもうておられた。
こんどはじっくりお話しができそうです。

小松あたりではまだちらほらお目にかかることがありますが、
金沢あたりでは、ほんとうにお目にかかることが少なくなった
なかなか手強そうな年季の入った念仏者の風格が、ドキドキ & ワクワク。
(土地勘のない人には小松と金沢の真宗風土の違いは、わっかんねぇ〜だろうなぁ)

Vitaさん、せっかくのチャンスなのに、残念ですね。

信巻、本願成就文から『論註』の問いへの展開のあたり。
こんなこと書いてないで、ちゃんと準備しなくちゃ。


ひらめ人間 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 7日(土)10時42分43秒

ヒラメって、変化に乏しく平板なことと辞書にありました。
転じて、おもしろみのない、融通の利かない人という意味になるのかなあ
と思ったりしています。
でもって、カレイは、ヒラメの家に仕える人のことでしょう。
家令というくらいですから。
↑落語の「ヤカン」に出てくるネタでした。
愚っ朕さんには、遠く及ばないなあ。


試験の解答なんですが 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 7月 7日(土)10時28分21秒

「人間とそれ以外の動物との、いちばん大きな違いを考えよ」という問題を出したのですが、「人間だけが空(真上)を見上げることが出来る。」という回答が複数ありました。真宗本廟へ上山研修に行った時、講師(どなたかはわかりませんが)が言われた言葉のようなんです。
そのココロは?


チョウテンガン 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 7月 7日(土)09時07分22秒

頂天眼、という金魚の種類がありまして、そいつの目は出目金のように出っ張ったうえ、天井向きに付いているのです。どんな深さを泳いでいても、上を伺うしかできない、そんな金魚です。
・・・って、サカナの視野の話じゃなかったですね。そうか、ヒラメは3次元的問題か。やっぱり耳が痛い。(コラ、採点に専念しないと、いつまでたっても終わらんぞ!・・・ハイ)






ヒラメ 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 7日(土)08時40分38秒

は平社員からの転化か。

ヒラメは下から、上ばかりを見上げている魚。
そこから、上の者の顔色ばかりを伺っている、
度胸がない人のことでしょう。たぶん。


ヒラメというのは 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 7月 7日(土)07時44分11秒

カレイでもいいんだと思います。片一方にしか目が付いていない、ということなんでしょう?
最近、「裁判所の調停員になってくれないか」と依頼されて、「どういう仕事なんですか」と聞いたら、「とにかく両者の言い分をよおく聞いて、双方の納得できる妥協点を探す仕事です」ということでした。ヒラメになりがちな私には、荷が重いかな。
期末試験の採点は、やっとこさ半分終わったとこです。今日が胸突き八丁。


一人の情報だけで判断するのは 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 7日(土)07時25分01秒

>信楽先生は、人前で講演する偉い先生であったとしても、
>裏口入学を斡旋する先生のようで、軽蔑します。
>会を私物化しているとか、主催者と講演者の分をわきまえていない
>とかいうことよりも、
>相手が断れないような依頼をすべきではない。
>やむを得ずそのような依頼をする場合には、
>充分な配慮をすべきである、と考えるからです。
一人の情報だけで判断するのは非常に危険ではないでしょうか。
信楽先生がどのように話されたかを確認されてから判断されたほうが
よろしいのではないでしょうか。

以前、らくりんさんの講演会についての発言で、私は違うなあと思って、
第三者という立場で書いたことがあります。
ある出来事を、人は様々に解釈します、時には正反対にも。
そして、その出来事を情報としては、ほんの少ししか伝えられません。



口直しに 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 7日(土)02時01分45秒

阿満利麿先生の「信に生きる−親鸞」を読んでいます。
阿満先生は、おだやかな語り口で、
法然聖人は、顕密仏教を否定した革命家である、
とか、過激なことを平然と主張される方です。

平雅行先生と同じことを言われても印象が違います。
平先生は、念仏だけが弥陀の本願である、
と言う法然聖人は諸行往生を否定していると述べています。
同様のことを阿満先生は、
法華経を読むことは、本願ではない余行であるから
念仏と較べてはならない
という法然聖人の手紙をサラッと引いています。

このようなことを申し上げるのも、
畑龍英「親鸞」下がおおハズレだったので、
お口直しに阿満先生を読んでいるというところです。
なお、読みたい本が数冊積んであるのですが、
「親鸞の教行信証を読み解く5」は一番下になっています。
体調を整えて、心して読みたいと思っています。


ジコチュウで見苦しいです。 投稿者:お留守居役様  投稿日: 7月 7日(土)01時58分12秒

楽しかったとだけ言えばよいのにと思いました。
大願さんは、ジコチュウで、人の意見は聞かず、
反省もせず、うかれてあっけらかんと特権的待遇を吹聴する。
自分を客観視することができず、他人に対する配慮を欠いている。
と申しても何のことだか分からないでしょう。
なぜなら、ジコチュウで、人の意見は聞かず、反省をしないからです。

信楽先生は、人前で講演する偉い先生であったとしても、
裏口入学を斡旋する先生のようで、軽蔑します。
会を私物化しているとか、主催者と講演者の分をわきまえていない
とかいうことよりも、
相手が断れないような依頼をすべきではない。
やむを得ずそのような依頼をする場合には、
充分な配慮をすべきである、と考えるからです。

S先生とでもすればよかったのに、
このように信楽先生が名指しで批判されてしまうのは、
うかれてあっけらかんと特権的待遇を吹聴する、
他人に対する配慮を欠いている人のせいです。

以上、書いていてとてもいやな気分です。
でも、一度はあからさまに言われた方が本人のためである
と考えました。
おまえは何様のつもりかと言われるかと思いますが、
何様でもない者から見ても、ジコチュウで見苦しいと申し上げたかったのです。
また、この程度のことは言われ馴れているのでしたら、
余計なお世話でしたと、謝罪いたします。

ところで、
>ひらめ僧侶
って、どんな僧侶なのでしょうか。


三人目のママは 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 6日(金)12時50分58秒

特定の人だけではないですか。
私が住む山奥には、ママのいるような飲み屋はありません。
日本の男達は三人目を何に求めているのだろうか。



残念ながら 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 6日(金)07時11分05秒

山内小夜子さんは、
職場の仕事がら、真宗大谷派の海外開教の研究では活躍していますが、
フェミニズム関係の論文はあまり発表していません。この方面でもいい仕事が
できるはずなんですが、忙しすぎるのか「うながし」があまりないのか、
今度会ったら、水を向けておきます。

愚っ朕さん、今日(6日)はだいたい家にいると思います。

「難癖」と言えば難癖には違いないんですけどねぇ〜。
あとは、掲示板読者の判断に委ねます。


女の受難、男の受難U 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 6日(金)04時07分22秒

 一方、男の子に比べて母親と緊密な関係を保つ女の子は、他者との連続性や共感能力を
身につけやすい。(「話の聞けない」男と比べて言語脳が発達していることもおしゃべり
好きな女性を特徴づける)

 しかし、母親への依存から、成人後は男達への依存傾向が生まれやすい。どちらかというと
関係嗜癖が多いのが特徴である。(ちなみに私、愚っ朕は腰が低く頭の高い人間であるが)
良い意味での自尊心の低い人は「共依存(コ・ディペンデンス)」になりやすい。
 共依存とは、例えば『浪花恋しぐれ』で描かれた桂春團治の女房みたいな人である。

 「あなたがいないと私は生きられない」といわれることで自分の存在が初めて承認された
ように感じる人である。これは、福祉や医療あるいは宗教家など他人に奉仕する職業人に
多い人種だともいえる。仕事で燃え尽きる「バーンアウト症候群」もこれらの人に多く見受け
られる。

 さて、男性優位社会では女性に対して「聖なる母」と「淫蕩な女」の分裂した役割を押し
付けて来た。78年には黒沢年男の『時には娼婦のように』なんて歌があり82年には、岩崎
宏美の『マドンナたちのララバイ』という男に都合のよい歌が流行っていた。
 ヨーロッパ・キリスト教社会でいえば、「誘惑するイブ(エヴァ)」と「聖母なるマリア」
である。

 ヨーロッパではフェミニズム神学がけっこう成果をあげている。ここでまたまた煩瑣な
キリスト教学を披瀝しても、読み飛ばされるのでやめときます。まあ、仏教では先にあげた
大越愛子さんや源淳子さんの研究があるが。大谷派でも山内小夜子さんあたりが、良い仕事を
されているのだろうか?誰がご存知でしたらご教示ください。

 あ、らくりんさん。今日中にお電話差し上げますのでよろしくお願いいたします。


女の受難、男の受難 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 6日(金)03時36分11秒

 信心還元主義VS運動収斂主義。。。ブルジョア寺族VSプロレタリアート在家。。。
ラベリング癖もそろそろやめなあかんけど。。。

 むかし、思想としてのフェミニズムにはうんざりさせられたのだけど、アメリカを中心に
したソーシャルワーカーや臨床心理士、精神科医ら現場からの告発はフェミニストならずとも
宗教者は大いに学ぶところありと思うのですが。

 レノア・ウォーカーによると妻に暴力を振るう男性の53%は、子供にも暴力を振るって
いたという。この手の男は特異に肥大したプライド(男らしさへの執着)がみられ、それ故の
独特の傷つきやすさがあるという。
 彼らを最も傷つけるのは、彼らが癒しを期待する人である。男が女に「癒す母」を期待する
とき男は女を恨むようになる。息子は「自分の気持ちを理解してくれない母」を殴り、夫は
「母のように自分をいたわってくれない」妻に復讐する。

 山下悦子によれば、日本の男達は生涯、三人のママを必要とするという。すなわち、
産み育てた「ママ」、女房という「ママ」、そして行き付けの飲み屋の「ママ」である。
「無限に惜しみなく愛を与える性」という女性という神話など歴史的に造られたものである。
裏返せば、女性も男性に「安らぎや癒し」を期待しているにもかかわらずなのにである。

 承認される欲望こそが、人間の基本的な欲望である。ラカンは「母の欲望」といった。
この欲望がほぼ満たされている人は、「おねだり」が恨みに変わる事が少ない。
チョドロウによれば、男の子は最初、最も身近な存在、母親と自分を同一視しようとするが
「お前は男だ」という母親からの精神的な分離が強く要求されやすい。

 その為、男には他者との共感能力や親密さの感情を抑制させるように育つことが多い。
その不安を彼は、自分の周りの人やモノをなんとかコントロールし、支配しようとする
傾向が強い。男性の嗜癖で特徴的なのは「物質への嗜癖」が主であることである。



らくりんさんへ2 投稿者:大願  投稿日: 7月 6日(金)03時14分04秒

言い忘れましたが、ひとつ二つだけ弁解です。
私は、僧侶対象の研修会開催がけしからんと言っているのでなく
そこに来た門徒も聴聞の申し出があれば、拒まないで貰いたいと言う
意味のことを言った記憶している。
しかも、一旦受理しておきながら、40分後に取り消すと言う対応を
問題にしてきたのです。問題をすりかえないで頂きたい。
前回の経緯を知らない人には、誤解される恐れが有りますので…。

>スタッフの人たちは、なんとか「大過なく」終わることを祈るような気持ちで
>過ごしておられたのではないか。

それは、「寺を開かない」でおこうとする、らくりんさんはじめ
一部の(大方のかもしれないが)僧侶の勘繰りでしかないように思います。
公に募集はしないけれど、来た者は拒まないのは、今までの経験上どこでも
普通でした。らくりんさんと遭遇した事件だけこそが、むしろ異常だったと
私は受け止めています。
だから、普通の対応をして下さっただけと受け取るのを、
>いい気なもんですねぇ〜。
>のんきなもんですねぇ〜。
とお叱りを受けるのなら、
それこそ、人倫の嘲りを恥じずと居直ってもみたい。

それと、話は変わるけれど、

>小泉首相の靖国神社公式参拝に抗議の声を!

については、全面的にらくりんさんに賛同し、早速今日にも、FAXを打ちます。


らくりんさんへ 投稿者:大願  投稿日: 7月 6日(金)02時41分14秒

ご忠告ありがとうございます。
私は、あくまで三吉さんの助言の手を考えていたのに、それが実現できなくて
残念と思っています。結果がどんなに非難されても、その「来るものを拒まない」
豊橋別院の対応に感謝しているだけです。
「わしは知らんから、事務局に聞いてくれ」と逃げるだけの対応とは違った今回の
豊橋の対応を評しているのが気に食わなくて、あれこれ難癖をつけてくださって
いるようにも受け取れますが…。語るに落ちていませんか?
昨年の夏期講習会と今年のそれの雰囲気が同じであったと推測されるのは
ご自由ですが、そうした一人よがりな推測はいかがなものかと…。
「開かれた寺」にしていこうと言う大きな動きの中で、私怨にとらわれて
「開かれた寺」への胎動の足を引っ張るだけの書き込みは、らくりんらしくないなと…。
「らしい」「らしくない」という表現はまた、揚げ足を取られそうですが、
>こんな調子では、大願さんの批判というのも、底が知れたもんですね。
大願のところを、らくりんさんと置き換えてお返ししたく。

いずれにしても、今月は何回かオフミできますので、じっくりお話を聞かせて
頂きます。楽しみです。徹夜でも構いませんよ。 (¨;)


愚っ朕さん 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)18時50分40秒

メールを出したけど、返送されてきました。

心当たりがあったもんでさっそく、連絡をしてみたところ、
先方さんも大変乗り気なようです。

なんとか、私の電話番号を調べて(どっかそのへんの大谷派の坊さん
つかまえればなんとかなるでしょう)私の方までコンタクトして下さい。


>ところで、  投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 5日(木)17時32分19秒

 「ポツダム坊主」という話をしてくれた人がいます。(実話?)
戦争に負け、焦土と化した祖国で、する仕事がなくなったおっさんたちが
とりあえず食っていくため坊主になったという話。なかなかいい話です。

 どなたかお世話していただけるなら、ほんとにありがたいですが。

 さて、お題は変わりまして。昨今話題の「PTSD」。
@フラッシュバック・・・繰り返しそのことを思い出したり感じたりして苦しむ。
A過覚醒・・・・・・・・寝つきが悪くなったり、ちょっとのことで吃驚して苦しむ。
B回避・・・・・・・・・まともに覚えていると気が触れるので、記憶が飛んでしまうこと。

 等の特徴があります。この概念は、アメリカのソーシャル・ワーカーたちが、レイプ被害に
あった女性、ベトナム帰還兵が同様の症状をみせることから命名したといわれます。
 つまり、「男らしく、強く」あらねばならないという「病」がもたらした新たな「病」で
あります。

 E.H.エリックは、耳がよく動くばかりでなく、すぐ手が動くオヤジだったようです。
虐待によって与えられた、他者の暴力と自己卑下は、その後の子供の「生理」となってしまう。
 犯罪者や、売春婦、あるいはさまざまな依存症(嗜癖)はこの児童虐待をはじめとする
PTSDと強い相関関係をもつといわれてます。

 「嫌われ者で罪深く、卑しい存在」としての自分から「絶えがたい逆境を生き抜いてきた
誇るべき存在」である自分という、セルフイメージの転換が、彼(彼女)らの回復に必要だ
と指摘されている。
 文化人類学者、上田紀行が、「サンガ」(真宗会館広報誌)にこう書いていた。

 「癒しは単に自然や他者と一体化することではありません。本当の自分を回復することです。
優越感や自己肯定ではなく、文字通り自分に信を置くという自信です。その信において、初めて
いのちは共鳴しあい、いのちのつながりを実感できるのです」 


リンク訂正 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)16時54分29秒

またまた、リンクがつながっていない。

小泉内閣メールマガジン[ご意見募集]は下記が正しい。

再度、転載される方は訂正願います。

http://www.iijnet.or.jp/cao/kantei/jp/comment_m.html


まだ言い尽くせない 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)16時40分53秒

大願さんの日頃の主張では、
今回の岡崎別院のような、僧侶だけに限定された研修会が存在すること
自体を問題にされていたように思います。

私流に言い換えさせてもらえば、大願さんがおっしゃりたかったことは
「門徒から金集めて、その金を使って自分らだけが研修会をやって、
けしからん。やるんなら全部公開制にすべきだ」
ということになるのではないかと思います。

それからいけば、大願さんは敬愛される信楽先生に対しても、
「そんな坊さんばっかりの研修会の講師をお引き受けになってなんですか、
そんな閉鎖的な趣旨の講師はご辞退なさってください」
と諌言なさってもおかしくはない。

それならば日頃のご発言と首尾が一貫して、
「さすが大願さん」ということにもなろうかと思います。

しかし、なんですか今回の研修会報告のざまは、
ご自分とお連れの方が歓迎されたということで、手放しの喜びよう。
しかも、あろうことか、行き掛けの駄賃のようにOさんやootuboさんに対
するあの悪しざまな言葉は、なんですかあれは。
一方で、豊橋のスタッフに対する誉め言葉の数々、
あれではまるで、
ご自分さえ受け入れられればそれでいいってことにはなりはしませんか。

信楽先生のお口添えをいただけない人、組長さんから主催者に直々に談判して
もらえないご門徒はどうでもいいってことになってしまいませんか。
あの研修会に参加したくてもできない人、信楽先生が出講されるという
情報さえ伝わっていないご門徒の存在なんかまったく大願さんの眼中には
入っていないじゃないですか。
それがなんですか「門徒を排除している」「門徒のことを考えていない」と
まるで、ご自分は「門徒の代表」であるかのようなことおっしゃっていたのに、
自分に対する対応の違いだけで、
誉めたり貶したり、こうも手のひらを返したように変わってしまうんですか。
それこそ親鸞聖人の「ご門徒」に対する裏切り行為です。

こんな調子では、大願さんの批判というのも、底が知れたもんですね。
行き当たりばったりの、個人的なうっ憤を投げつけているだけじゃないですか。


リンクが切れていました 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)13時15分59秒

先の【転載】に記しました毎日新聞へのリンクは下記に変更になっています。

http://www.mainichi.co.jp/


【転載】 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)13時13分28秒

小泉首相の靖国神社公式参拝に抗議の声を!

小泉首相の靖国神社公式参拝に対する抗議の声を集中させましょう。

・住所  〒100−0014 東京都千代田区2−3−1
・TEL.  03−3581−0101
・FAX.  03−3581−3883
  (ごくごく短い文章、言葉―例、「靖国神社公式参拝は憲法違反」とか
  「侵略戦争賛美の靖国神社公式参拝は戦死者への冒涜である」等―でも
  いいと思いますが、下記のサンプルを使うこともできます。その場合、
  できれば、あなたのメッセージ署名もかいてください。)
・e-mail http://www.iijnet.or.jp/cao/kantei.jp/comment.html
  (小泉内閣メールマガジン[ご意見募集])
   *長いアドレスが面倒な方はwww.kantei.go.jp(首相官邸ホーム
    ページの中にもあります。)
・新聞投書要領
  いずれも、郵便番号、住所、使命、年齢、職業、電話番号(昼間の連絡先も)
  を明記。二重投稿不可。原則として匿名不可。字数制限:朝日は500字、
  毎日、読売は400字、以下、東京、大阪の場合の投稿先
    (注:呼びかけチラシには住所・宛先名が記載されていますが、
     ネット利用者には不要と思われますので、省略します)

朝日東京 FAX.03−3248−5588  tokyo-koe@d.asahi.com
  大阪 FAX.06−6223−0737  dai-koe@ed.asahi.com

毎日東京 FAX.03-3212-0825  http://www.mainichi.co.jp/annuncio/hirop/

読売東京 FAX.03−3217−8229  yoron@yomiuri.co.jp
  大阪 FAX.06−6881−7230  o-tousyo@yominet.ne.jp

               呼びかけ:反天皇制市民1700ネットワーク

【抗議文例】
靖国神社公式参拝に抗議します。
 あなたは、8月15日に靖国神社に首相の立場で参拝することを公言されています。しかし、戦前、靖国神社は「英霊」の美名の下、政府が国民をだまし侵略戦争に動員
する精神的支柱となった「国家神道」の中心的役割を果たしてきました。その結果、
三百万人もの日本国民と二千万人ものアジアの人々の戦争による大きな犠牲を出して
きました。その反省から、戦後、日本国憲法では政治と宗教の分離が定められました。
 大阪では、1985年の中曽根首相による公式参拝に抗議して六人の遺族による訴
訟が提訴され、国に違憲の疑いありと警告を発する判断(大阪高裁)、岩手での裁判
では明確に違憲という判断が示され(仙台高裁)を確定しています。
 歴史の反省のないところに日本の将来はありません。肉身を国に奪われ、もう二度
と戦争はいやだという遺族の心情、そして21世紀こそ平和な日本・アジアにしたい
と願う人々の世論の声を大切にして、首相が靖国神社への参拝を中止することを要求
します。
                       2001年  月  日
                       内閣総理大臣  小泉純一郎 殿


なんかまだスッキリしない 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)11時35分13秒

どう言ったらいいのかな、大願さんの先の書き込みを見て、
らくりんは、素直に「よかったですね」と喜ぶ気になれないんです。
それが、「なんで」なのか気になって、仕事が手につかない。

らくりんには、大願さんの書き込みは「自分が特別扱いされたこと」の
自慢のように見えてしまうんですね。
勝ち誇った感じを見せびらかしているように思えてならない。

それは、大願さんが常々批判して止まない、
僧侶がその上にあぐらをかいている「特権意識」とか「おごり」と
大差ないのではないですか。

大願さんの書き込みは僧侶の「特権意識」を取り払わせた成果ではなく、
自分がその仲間に交ぜてもらえたことを自慢しているだけじゃないですか。
しかも、それは各方面からの口添えや、気遣いの結果であるにすぎないのに。

たとえそれが大願さんが直接依頼したわけではないにしても、
そういう「手回し」をしていただいたことを、ここに自慢気に披露する感性は、
「ボス交」や「裏交渉」で話がまとまっていく自民党なんかのやり口を
是認する意識とほとんどちがわないように思います。
代議士に交通事故のもみ消しを頼んで、「うまくいった」と言いふらしている
のと変わらない。自分は代議士を動かせるほどの「大物だ」とでも言いた気に。

それは、大願さんが、特別扱いを受けたくても受けられない「ただの門徒」
からは遠く掛け離れた存在になってしまうことを意味するのではないか。

だから、
なんかもう一つ「すがすがしさ」を感じられない
というか、素直に喜べない。

このように感じてしまうのは、らくりんが、
ひねくれているせいでありましょうか。

私自身も含めて、僧侶の「特権意識」なんてものは、批判されるべき
ものであって、その意味では大願さんの常々の指摘や批判には耳を
傾けなければならない点は多々あると思っています。
しかし、今回のこの書き込みは、せっかくの大願さんの日頃の批判が、
ご自分自身のことにおいては、まったく逆方向に現われてしまっている
としか思えない。
まったくなっていません。見苦しいとしか言いようがない。

因みに、豊橋別院のその研修会は、昨年は私が寄せていただいたもの
であろうと思いますので、その雰囲気はだいたい想像がついた上で
書いているつもりです。


やっぱり書こう 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)10時23分59秒

大願さん、いい気分でご聴聞されてきたようですね。
せっかくのご聴聞に水を差すようで迷ったんですが、

岡崎別院(西三河)と豊橋別院(東三河)は同じ岡崎教区でして、
西三河にも東三河にもこの掲示板の読者はいらっしゃいます。
それに、岡崎別院の件の研修会には豊橋からの参加者もいらっしゃいま
したし、両方に参加している人も何人か存じております。
しかも、どちらにもスタッフの中心的なメンバーとして。
当然のことながら、大願さんのこの掲示板をはじめとした
「大活躍」は、豊橋の方でも詳細に把握されていたはずです。

ここから先は、想像に過ぎませんが、
豊橋の人は、今回大願さんがいらっしゃるということで、
さぞかし「気を遣った」だろうと思います。

信楽先生直々のお口添えということもありましょうし、
それよりも何よりも、もしまた何か「そそう」があれば、
また「武勇伝」を、掲示板にご報告なさることは目に見えていますからね。
それこそ、腫れ物に触るような感じで、ご講師に対する以上に気を遣っていた
ことでしょう。
スタッフの人たちは、なんとか「大過なく」終わることを祈るような気持ちで
過ごしておられたのではないか。
そんなことを思うと、人事ながら、汗が出てきそうです。

そういうことを知ってか知らずか、
いい気なもんですねぇ〜。
のんきなもんですねぇ〜。

最後の一言が余計なんですねぇ〜。
これを言わなきゃこのらくりんも「人格者」で通るのかもしれないのに。
(∞;)汗、あせ……


どうでもいいことですが、 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)09時47分27秒

神通寺さんのBBSを保存してあるのは、別に特別な意味が
あったわけじゃなくて
フレッツを導入する以前の、接続時間を気にしながらネット散歩をしていた
頃の習慣で、ちょっと長い書き込みとか、ややこしい話、興味深くて
じっくり読みたいものなんかは、コピー&ペーストするのが習性になっています。

それで、いくつかのBBSについてはそれぞれにテキストスタイルのファイルが
ありまして、エディターを大きな文字(老眼が始まってきたみたい)で、
行間を空けて表示する設定にしてゆっくりと読んでいます。

そんなことをしていると、思いがけない効用があることもありまして、
三吉さんの危機を救ったこともあったり、そんなこともありましたね。


築くは難く、失うは易し 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 5日(木)09時00分48秒

人と人との〈関係〉というのは、築くのはとても大変です。
伝えたくても伝わらず、伝えようとして誤解され、
言わんでもいいことを口走り、そんなことを繰り返しながら、
少しずつお互いの理解が深まっていけばなんとかなることもある。
そうやっても、
一生かかっても築き上げられないかもしれないけれど、
それほど〈関係〉を築くのは難しい。

でも、壊すのはとっても簡単です。

たった一つの行為、たった一つの不作為、
たった一つの言葉、たった一度の沈黙……
仲良し気分なんかすぐに吹っ飛んでしまいます。


夏期講習会 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 5日(木)06時28分28秒

大願さん
夏期講習会に参加できてよかったですねえ。

他の掲示板の件は、
大願さんが、悪口雑言・告げ口・嘲笑・卑怯と思われるのはご自由です。
私が、悪口・嘲笑でない、ここで話題になったことだから告げ口でないと
言っても、たぶん大願さんは私のいうことには納得されないと思いますので、
レスはいたしません。
ps大願さんの言われることは、自身に該当するかいつも考えさせていただいています。


大願さん。 投稿者:Zazie  投稿日: 7月 5日(木)01時40分10秒

自分の問題ではなく、相手の問題。
自分の対応ではなく、相手の対応。

第三者であっても、嫌な感じです。

これまでの経緯や、他の方とのトラブルを知っているわけではありませんが、ただ一つの書き込み
だけでも、悪意が感じられて、辛いです。


お約束の報告です。 投稿者:大願  投稿日: 7月 5日(木)00時22分35秒

>三吉さん、らくりんさん、ootuboさん
お待たせしました。(誰も待っていないか。 (¨;))
僧侶&寺族限定の夏期講習会(大谷派豊橋別院)へ行ってきました。
三吉さんのアドバイスにしたがって、「親鸞が夢枕に立って聴きの来いとおっしゃった」と
言おうか「弥陀の召喚が聞こえたので」といおうかと思っていたら、
毎月教行信証の勉強会を開いてくださっている寺の住職(大谷派)が
直接主催者の組長へ即座に電話で申し込んでくださって、その場で僧侶でない私と
もう一人の僧侶でない友人も出席する事を快諾されました。
組長同士の交渉というか、世俗の論理でというか、そんな訳で手の込んだ作戦を遂行せずに
すんなり部外者の私たちを受け入れてくださいました。
交渉して下さった僧侶も参加されました。
あとで判った事ですが、信楽先生からも、「西の門徒が来るかも知れないが、
その時はよろしく」という内容の電話を、主催者側に電話してくださったそうで、
様々な根回しのお蔭で、なんの問題もなく、懇親会まで招待して頂きました。
この懇親会がまた盛り上がって、僧俗が共に膝を交えて話しあえることを
僧侶も別院職員の方々も皆さん歓迎してくださいました。
お言葉に甘えて2次会までも。 (¨;)
そうそう、富山別院の報恩講でVITAさん達にお世話になったあの時の雰囲気でしたよ。
比べるものではないけれど、同じ教区内で、前回の岡崎と対応がこんなにも違う事に驚きを感じています。
肩に力を入れて構えていたのですが、教区内にはootuboさんや職員のOさんのような
ひらめ僧侶ばかりではない事が判って嬉しくなっています。
豊橋別院の僧侶の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。

ootuboさん。MANUさん。
それにしても他の掲示板経過への悪口雑言はみっともないから止めたほうがいいのでは?。
ROMしていて告げ口のようにここにだけ書き込むootuboさんの人格を疑います。
当該掲示板にでなく、別の所で嘲笑するのって卑怯では?
以前、高山祭り見物云々で、あちこちの掲示板で物議をで醸して、
一貫性がないとらくりんさんからお叱りを頂いた私が言うのもおかしいのですが…。

>しかしあそこの掲示板はすごい様相になっていますねえ。
>自分は絶対正しい。
>相手は間違っている。

このご指摘、私にも耳が痛いのですが、ootuboさんにだけは言われたくない言葉です。
「排除」をどこまでも正当化していつまでも譲らないootuboさんにだけはです。
目くそ鼻くそを笑うようなものですが。ははは。
折角、豊橋別院の楽しい講座から帰ってきて、心無い書き込みに気分を害してしまいました。
ootuboさんの上記の書き込みこそ即座に削除したほうがいいのでは?。管理人さん。


ところで、 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 4日(水)22時50分19秒

愚っ朕さんは、空き寺を探してそこにおさまるとか、

東京方面で、
生業として、業界のお仕事をされるというようなことに興味は
あるんでしょうか。
それとも、そっち方面の仕事は見限っちゃったんですか?


どういう時でしょうね 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 4日(水)22時33分16秒

たとえば、え〜

あまり考えられない事態ですが、
本願寺派の「基幹運動」についてコメントしなければならないような
状況に置かれるような時とか……、

あそこの管理人さんから、過去ログを保存したいという依頼があるとか……
(ご自分で保存されていることでしょうが)

誰かから「どうしても読みたい」とこそっと頼み込まれるとか……

議論の展開を分析して研究してみるとか……(今のところそんな暇はありませんが、
いつなんどき、暇をもてあます身になるかわかりませんので)


愚行におよんだ一人です(笑) 投稿者:MANU.  投稿日: 7月 4日(水)21時00分20秒

興味もたれていた方々にはすいません。
でも、「書き込み削除」という事態に対しても、応対が変わらないようなので、
また新たなログが築かれるかもしれません。面子は変わるでしょうけどね。

>とりあえず、しばらくは、貴重な資料として、
>このまま秘蔵しておくことにしよう。
どういう時のための資料にされるのかという興味があります。

じっさい、傍からはどういうものに映ってたんでしょうね。
「ootubo」さんは書かれてますけど。そういう感じですか?
     MANU.(from KYOTO)


その神通寺さんBBSですが 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 4日(水)18時01分46秒

どうも議論に参加していた、お一人がご自分の発言のすべてを削除された
ようです。
発言の一部だけを消された方もいらっしゃるようです。

したがって、残念ながら今後そちらへ飛んでも、議論の流れは何が何だか
さっぱりわからないことになってしまいました。悪しからず。

RLを紹介した手前、一応ご報告しておきます。
こういうこともあるんですね。

私は、そのやり取りのログをほとんどダウンしてあるのですが……、
どうしたものか。
こうなってしまった以上、ご当人の了解なしに公開するわけにはいかないし、
引用もできないなぁ。
消してしまって、水に流すか、
とりあえず、しばらくは、貴重な資料として、
このまま秘蔵しておくことにしよう。
もう一度読みなおすことはないだろうけど。


愚っ朕激情 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 4日(水)12時22分25秒

 >ootuboさん

 どうもです。そうです、神通寺さんとこのBBS。ootuboさんと同じく控えめで上品で
繊細で口下手な私もコワクて近寄れません。あ、そうそうバウネット。自分でもHPに飛ば
ないの気付きました。もう一度のっけときます。

 でも、このバウ・ネットも正直いってコワい。なんか自分が男であって性欲などを
もっているだけで強姦犯予備軍だと糾弾されているようでおじけづいてしまいます。

 刑法に関しては、教科書的な本を読んだこともあるんですがなーんにも覚えてません。
私の頭には正統派の理論は残らず非主流派的な考えばっかりつまってます。で、ヘーゲルの
『キリスト教の精神とその運命』という本に似たような話があるのを思い出しました。

 犯罪者は掟を破ったのだけどもいったいどうすればいいのか。ヘーゲルは「犯罪者は
自分の生きる基盤、すなわちいのちを傷つけたのだ」といってます。「自分と人間関係
および自然との関係を断ち切ったのだ。だから、いのちに対して済まないと思うこと、
それが運命と和解することになるのだ」と概ねこんなことをいってたと思います。

 つまり、ヘーゲルはヨーロッパ思想の背後にあるキリスト教を考え直し、そのまた
背後にあるユダヤ教の神がもってる「裁く」思想を問題にしてこんなことをいってるん
です。ちなみにハンナ・アーレントもドイツから亡命したユダヤ人政治思想家です。

 ま、この辺得意な人がいっぱいいるでしょうから、その手のHPでも見て下さい。
私の頭はいたってシンプルです。昔、「かたつむり通信」という死刑廃止運動の機関紙を
とっていましたがその中で、既述の木村さん以外で感動した文章がありました。

 宮崎知子といって今は獄中結婚(?)して確か、藤波知子さんだと思うのですが。。。
とにかく、自分が罪を(誘拐殺人)起したのは何故かと考え抜いてこういう結論に
達します。私は自分で自分を取るに足らない人間だと思っていた。そして、他人のいのちや
人生もどうでもいいものと考えていた。そして、そのしょうもない自分を唯一相手に
してくれた男(最初共犯者として起訴されていたが、後無罪となる)のため罪をおかしたと。

 藤波さんはいわば天にツバをはいていたようなもの。けれど、この内省文。ヘーゲルの
いうような運命との和解が始まっているのではないでしょうか。そして、この「運命との和解」
はすぐれて宗教的なテーマではないかと私は思っているのですが。。。

http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/ja/1994declaration.html


re:re:愚っ朕バンバン 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 4日(水)06時44分00秒

http://が一つ多いのでは。
こんな事しか書けなくて申し訳ありません。

しかしあそこの掲示板はすごい様相になっていますねえ。
自分は絶対正しい。
相手は間違っている。
そして間違いを認め今後の取り組みを明言しなければ、過去の発言を削除せよ。
うーん。

>「処罰は報復(リベンジ)ではない。処罰は赦しであるのだ」
>刑罰というのは、「報復」ではなく共同体の調和の回復のためあるのだ
 恥ずかしながら、初めて聞きました。
 日本の法律上で刑罰の考え方は報復であり、犯罪抑止であるとおもいます。
 被害者の家族は犯罪者の刑が軽い場合、多くの場合納得できないと聞いてます。
 赦しと報復を業も併せて、よく考えさせていただきます。


re:愚っ朕バンバン 投稿者:MANU.  投稿日: 7月 4日(水)03時10分29秒

「愚っ朕」さん、どーもです。
確かにワールドが違う・・・(笑)
でも喫茶店の話はいいですね。

私自身、宗教を生業にしておらず、仏法を学校で勉強していないので、
仏語は余り使いこなせません。だから、議論が上手くないんですけど
ね。でも、伝わるときは伝わってくるんで、面白いです。

また、いろいろ絡んでください。
(私としてはこの板も絡みにくいけど・・・笑)

私のHPも紹介しときます。

http://homepage1.nifty.com/MANU/


>MANUさん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 3日(火)19時00分02秒

 ちょっと話題がずれて、自分の課題に引き寄せ過ぎました。ご免なさい。


愚っ朕バンバン 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 3日(火)18時11分36秒

 >MANUさんへ

 愚っ朕と申します。お騒がせしております。BBS読ませていただきましたが
私、長い間、真宗語を使っておりませんので議論に参加できそうにありません。
で、その代りといってはなんですが、自分のオタクワールド語でお話させていただきます。

 加藤典洋が岩波ブックレットから『戦後を戦後以降かんがえる』というのを400円で
出してます。朝日カルチャーセンターでの講義なので簡単に読めます。
 この中で、「喫茶店の例え」が面白い。加藤さんの学生が、「従軍慰安婦・南京大虐殺・
石井部隊」のいわゆる三大話を考えるシンポを持とうとしました。

 そこで、加藤さん「待てよ。喫茶店はまず客を一階から入れる。君たちのは、いきなり
二階に上がることと同じじゃないか」と考えます。この発言はたとえば『解体する仏教』
などでおなじみの大越愛子さんからは「懺悔のねうちもない」(従軍慰安婦の気持ちを
逆なでする)と切り捨てられてましたが。

 自分が直接行った行為なら、その責任を問われることはわかりやすい。が、今の学生は
というか若いもんは、というか私でさえも、「社会」との接点というか関係がうまく解けて
ないのに、いきなり「差別者としての自覚」とか「戦争の加害者の自覚」を持てといわれ
続けてるのではないでしょうか。それは正直言って「つらい」のではないでしょうか。

 ブックレットではこの後、芹沢俊介の「イノセント論」の簡単な説明があって、「私たちが
自分自身をまた世界を引き受けるには、どういうプロセスをたどるのか」ということが語られ
ます。「信心」か「運動」かの問題とも絡んでくるものと思います。

 さて、しかし下記のURL関係の本で、高橋哲哉の対話のかたちで書かれた文章を読んだ。
高橋さんは、加藤さんに真っ向から対決しているが。そこで、ハンナ・アーレントの考えが
はじめて腑に落ちた。「処罰は報復(リベンジ)ではない。処罰は赦しであるのだ」という。

 なるほど。私はこの極東軍事裁判をええ加減もうええやないかと思っていたし、何回謝って
ねんと思っていたが、ドイツではドイツ自身の手で「戦犯」が裁かれているのだそうだ。
日本が日本自身を裁くことをやってない!という指摘は驚きだった。

 私のキリスト教学のお師匠さま高尾先生の授業を思い出した。「神」はまずユダヤ民族を
エジプトから無条件に解放した後、「十戒」を与えた。「十戒」を守ったから、「解放」した
のではない。そして、「十戒」を守って「神」と共にある状態を維持しなさいと勧められたのだ
と。
 だから、刑罰というのは、「報復」ではなく共同体の調和の回復のためあるのだ云々という
話を思い出しました。

http://http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/ja/1994declaration.html


十七歳の地図 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 3日(火)13時16分39秒

 あの悪名高き本願寺維持財団がつくった蓮如賞を受賞した末永直海の
『煩悩配達人』を読む。女性セブンに連載された、女性が描くエロ小説。
いつもながらに面白い。

 河出文庫から出てる受賞作『薔薇の鬼ごっこ』は梅原猛、五木寛之、藤原進也を
向うに中沢新一が猛プッシュした作品らしい。東京・赤羽の場末のキャバレーで働いてた
経験をもとにした可笑しくも切ない小説。

 「壊したい、抜け出したい、どうだっていいこの退屈な日常。清潔過ぎるこの肌に、
みだらな泥を塗りつけたい、誰かの愛に汚されたい」
 こっちの小説はブスでダサくて色気のない30女のOL、遠藤憩(縁遠い恋)が主人公。

 ラスト近くで憩さんのこんなセリフがある。「それは、生まれて初めて他人と深く
関わった、というセックスの実感だった。。。赤の他人の『肉』が肌に、心に食い込んで
くる感触を覚えていた。他人って不気味だ。この不気味な感触がもしかしたら『恋』とか
『愛』とか『セックス』なのかも知れない。。。」

 う〜ん。師匠の中沢新一は昔、ジュリアクリステヴァなんかを持ち上げてたなー。
『恐怖の権力』でクリステヴァはアブジェクションなんて用語を使ってた。
 人は、「自己」を確立する途上で母なるものをかなぐり捨てる。おぞましくも
魅惑的な、例えば腐敗物や汚染物、死体、便、経血。。。

 『煩悩配達人』はモテない女性が主人公だが、モテない男の子たちが起こす事件。
西山明の『少年サバイバル・ノート』他で指摘されていたが、バスジャック犯や
新潟監禁男あるいはオウム出家信者などが持つ、生真面目な性格。同年代の異性に
向けられるはずの「エロス的衝動」をうまく処理できず「汚れたくない」という
意識を持ちつづけ、挙句の果て「暴走」してしまうこと。
 
 うちの師匠、戸次公正はかつて「エロスと救い」を書きたいといってたが、
その約束はどっかで果たしてるのかな?


なーるほど 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 3日(火)12時41分16秒

 諸先輩方をさしおいて毎度です。 
 らくりんさん、さすがは元銀行員。最終的には二択で考えんとしゃあないですからね。
「薄っすら飢えろ。芋植えろ」やなあ。
 
 ティック・ナット・ハンはいいですねー。私も今からかいほつ僧でもめざすか。
それともタイのエイズホスピスで雇てもらうか。
 いづれにせよ、人のことなんか考えてる余裕ないからなー。日本で何も背負って
ないしなあ。宗教色(思想)のない福祉や医療機関で働く気はおこらんしなー。

(日本で賛同者を募っている暇はナシ。自分が納得できるかどうかなのだから。
そうです、落語『阿弥陀ヶ池』のオチで、「誰が行けいうたんや」「へえ、阿弥陀が
行けと申しました」ちゅうのがありまっから)

  >Vitaさん

 いいですね、ドストエフスキー。オウムを思わすような『悪霊』もよかったですね。
山折哲雄なんかしきりに関係つけて論じてましたが。
 


そんな大層な 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 3日(火)09時19分12秒

15年前うんぬんというのは、
やっぱり、自分の立場の正当性を主張しあって、激しく議論して、
互いに傷つけあうようなことを繰り返して、
しかもネット上ではなく顔が見える関係でやってきて、
ようやく、こういうことなんじゃないかなと思えるようになってきただけです。
こういうことって、
前に引用したティク・ナット・ハンの
1、いかなる教義、理論、イデオロギーに対しても盲目的心酔を避け、
  また束縛されない。 いかなる思想も一手段であって、絶対的真実ではない。
2、現在の知識が絶対不変の真実だと考えない。狭量を避け、現在のものの見方
  に縛られない。こころをひらいて他人の考えを受け入れるために、無執着を
  学び修する。真実は概念化された知識のなかではなく、生活のなかに見いだ
  される。つねに自己および世界の現実を生活全体をとおして観察し学ぶ。
というような条項に通じるようなものを感じます。
ただ、熱い議論をしている最中には、自分は「妄信的心酔」とか「狭量」なんか
ではないし「概念化された知識」を語っているわけではないと思っているわけで、
残念だけど、往々にして、かなり深く傷つき、傷つけるとこまで行ってしまうこと
があるような気がします。
そして、私は、言葉でそれがなされている限りにおいては、
そういうことも大切なことであるとも思っています。


Re:MANUさん 投稿者:MANU.  投稿日: 7月 3日(火)01時37分53秒

コメントありがとうございます。
ぜひあちらに・・・とも思ったのですが、言葉どおりにすら受け止めて
もらえるかどうか怪しいですね。今は。

おっしゃる事は、伝わってまいります。うらやましいくらい自然体です
ね。無理がない。私なんぞ、ついつい下心があふれてきます。

「自然体になりなさい」ってな具合に押し付けちゃいます。あとで落ち
込みますけどね。それすら、ポーズだったりもしますが・・・。

>因みに、某掲示板のような議論は、私自身は15年ほど前までは、身辺で非常に
>よく耳にしたやり取りで、
>双方に似たようなことを言っていた人がいまして、その顔なんかが浮かんできて、
>「懐かしい」思いで読んでしまいました。
ということは、きれいに言えば「永遠の課題」、言い換えれば「泥沼の課題」と言
う事ですか。まあ、社会自体の流れも変わってるかもしれませんし、似て非なるも
のもありますから・・・(って、自分の行為に価値つけるんですよね。)

えーい、ごちゃごちゃ言うのはやめます。
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
     MANU.(from KYOTO)


カラマーゾフの兄弟たち 投稿者:Vita  投稿日: 7月 2日(月)20時03分17秒

展開前に、かいときます。
長男ドミートリイと、あとの二人、イワンとアリョーシャは母が違う。
ちなみに幼児虐待を神の存在否定に使って、大審問官伝説を語ったのがイワン。
そいで、もう一人、はっきりしないけど、父が同じらしいというのが、スメルジャコフ。
だから、3兄弟というか4兄弟というか。以上。


MANUさん 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 2日(月)16時53分47秒

お久しぶりです。
前にもほとんど同じ様なことが2、3度ありましたねあの掲示板では。
あのすさまじい展開には、ちょっと横入りはできません。

おそらく(私の想像にすぎませんが)議論に参加されている方お一人お一人に
お目にかかって話をしたら、きっと真摯で紳士であろう、そして上に「○○」が
つくくらい「マジメ」な方々だろうとも思います。また、皆さんお念仏の教えを
喜んでおられるであろうことも間違いないと思います。

私は、大谷派の中ではどちらかと言えば「社会派」に属するというレッテルを
貼られている方の人間であろうと思います。
(自分で自分は社会派だと思っているという意味ではなく、人からそう見られ
ているのではないかという意味です)
そして、僧侶の中では、そういう活動や運動に参加する機会は多い方だろうと
思います。自分が関心を寄せている問題について、いろいろな人にはたらきかけ
ることもけっこうやったりもしています。

私は、「真宗の教え」や「信心」に関係があろうとなかろうと、
それが「差別問題」であろうとその他の社会問題であろうと、
「やるのは当然だ」「やらなければならない」と人から強制されて何かを
「やらされ」たり「やらなければならない」ようになることは大反対です。
「真宗門徒なら当然」と言われようが「非人間的」と言われようが「非国民」
と言われようがそれは「イヤ」です。
ですから、逆に人にそのような強要になるような態度は極力避けたいと
心掛けています。

私の場合、「やるべき」「やらねば」というような強固な使命感でそういう
運動に関わっているのではなく、いわば「煩悩のもよおし、煩悩にうながされて」
やっているというような感じです。
だから、熱くなることもありますし、どんなに誘われても心も身も動かんときも
あります。そうかと思えば途中でさめてしまうこともありまし、
頓挫することもあります。
こういういいかげんな「心がまえ」で関わることは、人様に迷惑になることも
あるでしょうし、そんなんでも喜んでもらえることもあります。

運動や活動ばかりではなく、勉強もせんなんし、気のおけない友人と一杯やりたい
こともあります。やらないかんこと、やりたいことは山ほどありますが、
そのすべてに全力で関わることは不可能です。
結局、その時々の「なりゆき」「腐れ縁」「めぐりあわせ」「うながし」「事情」
……その他のいろいろな条件の組み合わせで、決まっていくという感じです。

いずれにしても「信心の社会性」を錦の御旗に立てられたり「正しいことだから」
「やるべき」「やらなあかん」と言われたら、
私なんかはそれだけでも「引いてしまう」質(たち)なんで、しょうがないですね。
そんな私でも、その気にさせられたら「歌も歌えば舞いもする」というところです。
かえってそんなんの方が、気楽で長続きしたりして。

因みに、某掲示板のような議論は、私自身は15年ほど前までは、身辺で非常に
よく耳にしたやり取りで、
双方に似たようなことを言っていた人がいまして、その顔なんかが浮かんできて、
「懐かしい」思いで読んでしまいました。


re:紹介 投稿者:MANU.  投稿日: 7月 2日(月)12時15分24秒

>姑息にも、コメントは控えさせてもらいますが、
そうおっしゃらずに、コメントしてください。
本人達は俯瞰できなくなってますから。

でも、もう流れかたが変わっちゃいましたけどね。
<当事者のひとりより>
     MANU.(from KYOTO)


紹介 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 2日(月)10時23分00秒

某掲示板で、「真宗の信心」と「差別問題に取り組むこと」をめぐって
膨大かつ激しいやり取りが展開しています。
非常に興味深く読ませていただきました。

らくりんは、姑息にも、コメントは控えさせてもらいますが、関心のある方は
読んでみてもいいのではないかと思いまして、URLを紹介いたします。

http://www.hidatakayama.net/asato/bbs/minibbs.cgi


最悪の二者択一 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 2日(月)09時16分34秒

いよいよ【愚っ朕バンバン】の様相が色濃くなってきました。
留守がちな管理人としては、大助かりです。掲示板を開く楽しみが増えました。

で、標題の「最悪の二者択一」というのは、
1、カルロス・ゴーンにひざまずいて、日産のCOから日本の首相になって
  もらって、政治家・公務員・官僚(税金で給料をもらっている人間)を
  半分に減らして、借入金を減らしコストを切り詰めてと収支のバランス
  を立て直してもらう。彼にはそれだけやってもらえれば充分

2、消費税20%を甘受し、銀行倒産で預貯金の半分は帰ってこないとあきらめる。
  それプラス桁外れ(2ケタ3ケタは当たり前という感じ)のインフレにひたす
  ら堪えて、荒れ果てた休耕田を復活させたりやゴルフ場を畑にして、耐乏自給
  生活体勢を確立する。

私の、直感的な予感としては、このどちらかしかないような気がします。
現実的には2番目の選択肢が1つだけしか用意されていないという感じ、かな。

この自体に対応できる個人的な自己防衛策はほとんど皆無。
(預貯金を失わないのは銀行の選択眼とあとは運次第、しかし運よく倒産を
免れても多少の預貯金はインフレに吸収されて紙切れ同然になるかも)。
外貨預金を持っていれば、円貨のインフレ対策ぐらいにはなるかもしれない。
預貯金を全部外貨に投入できるほどの度胸がある人はそんなにいないだろうし、
第一、ドルやユーロにしたってそんなに盤石というわけではないからね。
どちらが先にポシャルかという我慢比べみたいなところがある。

その中でも、日本はちょっと不利かな。
なんてったって、あまりにも東南アジアの近隣経済圏の中で友達がいなさす
ぎる。そういうヤツはちょっと落ち目になったら徹底的に仕返しされるのが
オチです。


時局演説 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 2日(月)02時38分44秒

 日の丸・君が代とか、天皇制とかも確かに問題ですが。。。失業者があふれると確実に
おやじさんの自殺が増えるでしょうね。
 東京では中央線というのはしょっちゅう飛び込みで電車がとまるんですよ。。。

 右翼お笑い芸人に鳥肌実というのがいるのをご存知ですか?黒の背広に白抜きで
「欲しがりません勝つまでは」とか「皇居に向かって敬礼」とか刺繍して。
結構若者に人気が有ります。公式HPは30万件以上のアクセスがあります。
でも、やっぱりギャグです。
 
 ミニスカ右翼、雨宮処凛(かりん)という人も話題になりました。『新しい神様』
という映画(99年制作)がありました。いじめを受け自殺未遂を繰り返し、ビジュアル系
バンドの追っかけから右翼活動にアイデンティティを求めた女の子(もう26歳だけど)
の話。
 
 でも去年の暮れに出た著書『いき地獄天国』では「なにかにすがって、居場所を探すのは
おかしい云々」と書いて、「大日本テロル」というおどろおどろしい名前のバンド活動は
続けるようですが、街宣活動は卒業したようです。

 「国民国家主義」を標榜するのも時代錯誤かもしれませんが、「戦後民主主義」という
正義の中身を問わないまま、後生大事にありがたがっているのもどうですかね。。。


痛みを伴った改革とは? 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 2日(月)02時06分41秒

 純ちゃんのいう「痛み」は誰が受けるのだろうか。イエス・キリストが代わって
受けてくれるわけでもなければ、伊丹十三でもないことは確かだ。
 聖域無き構造改革とかいうてるのだが、ゆくゆくは社会保障の話になるのでしょう?
その分野で私がずっと注目してきたのは広井良典という人なのですが。

『医療の経済学』、日本経済新聞社、1995年.
『医療保険改革の構想』、日本経済新聞社、1997年.
『医療改革とマネジドケア』、東洋経済新報社、1999年.などを発表してきた人です。

 が、手っ取り早いのは『日本の社会保障』という本です。(岩波新書) 

 著者がこの本の中で提案している、日本の社会保障の改革案は

1.年金の基礎部分(国民年金の部分)や、老人医療・福祉については、公的な保障が
もっとも強く求められる領域であり、「税」を財源として、しっかりとした保障を確保する
べきである。

2.若年者の医療については「社会保険」の仕組みとすべきであり、従って公的医療保険に
ついては安易な給付削減を行うべきではない。

3.年金の報酬比例部分(いわゆる公的年金の2階部分)については、強制加入の社会保険に
する必要性はなく、「民間保険」に移行する方向で論議すべきだ。

 だということです。私はここの掲示板デヴューしたとき「大文字」の話はキライだと
叫んでいたのですが、しんさんやまこさんのお陰(?)でなんだか社会派の血が騒いで
来てしまいました。でも、総論の「政治」ではなくて、各論「政治」にしか私は
興味ありません。介護福祉士の勉強の最中にどんどん「社会保障全体はどうなってんねん?」
と疑問を持って、この私と同い年の学者さんにたどり着いたのですが。

 どなたか私に、わかりやすい「政治」や「経済」の情報を教えて下さい!!
いったいこの国は、宗教も政治もなくどこへ行くねん!!
 


「世界」はどこへ消えた? 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 2日(月)00時40分30秒

 チーズとバターが喧しい。教科書問題特集で「世界」も読んで見た。
匿名の教師の座談会があるが、万年学級委員から教師になってウン10年みたいな人たちの
アナクロ発言が目立つ。大陀羅弗”痴さんも書いてたけど教科書なんてイマドキ生徒は
ちゃんと読むのか?朝日紙の投稿欄には「神話など受験に必要無いからこんな教科書ダメだ」
という意見があったが。
 
 西谷修という人の文章も重箱の隅をほじくるような悪口だけでお世辞にも本質をついた
議論とも思えない。ご丁寧に右派人脈図までついていて「おい、おい。これは「噂の真相」
か?」というカンジ。
 オウム事件のときに若手の社会学者、大澤真幸が指摘していたけど「オウムを批判すれば
するほどオウムと似てくる」というのは、こと教科書問題でも通用するみたい。

 ついでに「創」とか立ち読みしてきましたが、こっちの方が俄然ためになる。
タレント経済学者、竹中平蔵の経済政策たちの悪さ。アメリカ仕込みの「金持ち優遇政策」
ですね。消費税は最低14%ですよ。イタイ。こんな大臣イタイ。多分この国はガタガタに
なるんでは?ついでに愚っ朕は暴発するぞ!
 自民党の族議員のミシュランがありましたのでご覧ください。純ちゃんのいう「抵抗勢力」
がどさくさにまぎれて当選してもらっては困るっ困るっ困る〜ぅ。
 週間ポストは早めに選挙区と族議員の抵抗度をのっけとけー!

 しかも非拘束名簿方式ってこりゃなんじゃ。タレント人気で他の無名戦士までもが当選
する仕組みじゃないですか。こらっ!舛添要一!お前〜さんざん、ヨーロッパは社会民主政党
が政権についているって書いてたクセにやっぱり自民党か!おフクロの介護でお涙頂戴作戦に
出やがって!田嶋陽子ちゃんとタックルしろ!プロレスラーはなんで、徳田虎雄ばっかりやねん!
あ、佐山聡はもとタイガーマスクやからか(って他で使たネタです、あしからず)

http://www.federalism.org/ranking.htm


うちの方でも 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 1日(日)21時15分36秒

小さい子用の特別ルールは、いろんな形でありましたが、
特にそれようの呼称はなかったような気がします。


「おみそ」 投稿者:Vita  投稿日: 7月 1日(日)21時13分15秒

といって、野球なんかで、見てるだけの小さい子を
ノーカウントで打席に立たせてあげる。
そういうのは全国的にあるようだけどね。


永代経終了 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 1日(日)21時12分20秒

なんせ人がわいわい集まると、「人に酔う」とでもいうのか、
それだけで気疲れしてしまう。

今回は、その間に珍しいお客さんが見えたり、
中日の夜には「聞響の集い」に阿満さんがいらっしゃったりで、
自分でもしゃべらんならんわ、聴聞にでかけんならんわ、
お客さんのお相手をせんならんわ、
なんだか かんだか気ぜわしいながらも、密度の濃い3日間でした。

あい方殿は、昨日の夜の阿満さんの懇親会の帰りがけに
知り合いから「じゃあ、また明日ね」と言われて
「エッ、明日なにかありましたっけ」と大ボケをかまして
「明日は、あんたのとこの永代経の最終日でしょう。行くからね」
とツッこまれておりました。

来週は、また三吉さんとこの近くで三日間の暁天講座と連続講義、
三吉さんとデートできるかな。
昼間の講義だけならまだいいんですが、
暁天講座の三連ちゃんが、それに重なるとちときつい。
今年で3年目になりますが、毎年寝過ごしてはいかんという緊張感からか
モーニングコールと目覚ましがなるまで寝ていたことはないような気がする。

廣瀬先生の安居、やっぱだめかなぁ〜。


>らくりんさん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 7月 1日(日)17時51分36秒

 いつもしょうもないボケにつっこみいれていただきありがとうございます。
 
 >ootubo さん
 えー、遠山さんのエピソードは、名前がどうこうという意味で書いたのじゃ
なくって。。。
 
 遠山さんは、たくさんのこどもたちが「算数」のできる・できないで頭の良し
悪し(その子の人格?)をはかられる世の中に怒ってました。「頭の悪い私は、
できそこないだ。親の期待に答えられないどうしょうもない人間だ」と嘆き、いわれ
ない罪悪感をもつ子供達に「君たちが悪いわけじゃない。こんなどうしょうもない
教科書をつくり、どうしょうもない授業をしている教師が悪いんだ!」と立ち上がった
のでした。

 で、「精神障害」者ともからめて、「知的障害」児の話題に移ったのでして。
 こんな子どもらに教えたってどうせわかりっこないという常識に遠山さんはチャレンジ
したのです。そして、「一ケタの足し算」というような、それがわかったところでどうなる?
という常識とも闘ったのです。そこで、遠山さんは「自分の名前」というような思いもかけ
なかったことに「知的障害」児から問い掛けられて、ハッとしたということですので。。。

 >大悲さん

 鬼ごっこに適用されるのですね。私は、昔将棋を教えられて、最初は飛車・角・桂馬・香車
落ちでやってたおっちゃんたちと、駒を落とさずに「負ける」ところまで腕があがって嬉し
かったことを思い出しました。

 


>愚っ朕さん 投稿者:大悲  投稿日: 7月 1日(日)12時25分09秒

津軽の子供たちのルールに「ちゃなべっこ」というのがあります。
まだ、小さい人を仲間に入れるときに、その子はつかまっても鬼にならない、というルール。
年齢差のある子供たちが一緒に遊んでいた頃の、今はあまり見られないルール。
でも、覚えがある人は、嫌だったといいます。自分だけ特別扱いされている居心地の悪さは、幼い子供にも感じているものだったなあ、と振り返ります。

この「ちゃなべっこ」を聞いた時「責任能力」を思わず連想してしまいました。


ティク・ナット・ハン 投稿者:らくりん  投稿日: 7月 1日(日)08時33分26秒

7月1日、今年も早くも半分終わってしまいました。
昨夜は、「聞響の集い」で、阿満利麿さんのお話と懇親会でした。その中に出てきた
14の約束事をご紹介します。
ティク・ナット・ハン『ビーイング・ピース』壮神社

「ティエプ・ヒエン教団」(インタービーイング・相互共存教団)の14の戒律
1、いかなる教義、理論、イデオロギーに対しても盲目的心酔を避け、また束縛され
ない。 いかなる思想も一手段であって、絶対的真実ではない。
2、現在の知識が絶対不変の真実だと考えない。狭量を避け、現在のものの見方に縛
られない。こころをひらいて他人の考えを受け入れるために、無執着を学び修する。
真実は概念化された知識のなかではなく、生活のなかに見いだされる。つねに自己お
よび世界の現実を生活全体をとおして観察し学ぶ。
3、権威、恐喝、金銭、宣伝、教育等のいかなる手段を用いても、自己の考えを他人
(子どもを含めて)に強要しない。ただし、他人の盲信、狭量をいさめるときには、ま
ごころを尽くして対話する。
4、この世の悲惨に直面するのを拒んだり、そこから目をそらしたりしない。この世
界に現存する苦しみに気づき、苦しむ人とともにあるために、面接、訪問、映像や録
音などのあらゆる手段を駆使して、苦しみを分かち合う努力をする。このような手段
によって、世界の苦しみの現実に自他ともに目ざめる。
5、何百万の人が飢えているのに、私的な富を蓄積しない。名誉、利潤、富、肉体的
快楽を人生の目的にしない。簡素な暮らしをし、時間、労力、物資を、助けを必要と
する人々と分かち合う。
6、怒りや憎しみをいだきつづけない。怒りや憎しみの種が意識の深層に根づく前に
気づいて、すばやく変容させる。怒りや憎しみに気づいたら、すぐに呼吸に戻り、自
分の怒りや憎しみの性質や、それを引き起こした人の心境を見きわめ、理解しようと
努める。
7、散漫になったり周囲に流されて自分を見失わない。気づきの呼吸を行ない、いま、
ここに戻る。自己の内外の不思議、生気をよみがえらせてくれるもの、癒しの力に触
れる。こころに喜びと平和と理解の種を播いて、意識の深層の変容作用を容易ならし
める。
8、不和を生じて共同体の分裂を引き起こす言葉を慎む。どんなに小さないさかいや
対立も調停解決する努力を惜しまない。
9、個人的利益や自己顕示欲のためにに真実でない発言をすることを慎む。不確かな
ニュースをひろめたり、確信の持てない事柄を非難、批判しない。常に建設的に真実
を語る。自分の身の安全が脅かされても、不正には堂々と勇気を持って立ちむかう。
10、宗教団体を個人的利益のために利用したり、政治集団に変えたりしない。しかし
宗教団体は抑圧や不正には断固として立ちむかい、党派間の抗争に関わることなく、
状況の改善に努力する。
11、人間や自然に害をもたらす職業で生計を立てない。人の生存権を脅かす会社組織
に投資しない。慈愛を理想とする社会の現実を可能にする職業を選ぶ。
12、みずから殺さず、また人に殺させない。いのちを守り、戦争を避けるための可能
な手段はすべて試みる。
13、他人のものを一切所有しない。他人の所有物を尊重するが、人が他者を苦しめた
り、他の生き物を犠牲にして財を築かないように助言する。
14、自分の体を苦しめないで大切に扱う。自分の体を単なる道具と見なさず、自らの
生命エネルギーを真理実現のために使う。愛と責任のない性愛を慎み、性交渉におい
ては、それによって将来引き起こされるかもしれない苦しみに気づき自覚する。他人
の幸福を守るために、他人の権利や約束を尊重する。
 この世に新しい生命を送り出す責任を十分に認識し、その子らの住む世界の現実を
 暝想する。


二者択一2 投稿者:ootubo  投稿日: 7月 1日(日)07時17分37秒

「後悔することによって懺悔が生じる、
 納得するということは何も考えないことだ。」
 このようなことをどこかで聞いた覚えがあるので、
 最初は、悔いの残る正しい人生を選んだ次第です。

 愚っ朕さん、
 名前は自分では選べません。
 いい名前と見いだせた人は幸せなんでしょうか。
 私は感覚が鈍いので、自分の名字がいいとも、悪いともわかりません。
 名前は、親の願いがすぐわかりました。
 名字を選んだ(選ばされた、与えられた?)先祖の思いはなんだったのかなあ。
 


どうもすいません 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月30日(土)18時22分25秒

 おもちも入ってべーたべーた。
 
 二審も宮崎勤は死刑求刑だった。赤坂憲雄の『排除の現象学』の「通り魔事件を読む」と
いうところを読み返して見た。
10年以上前の本なのに、その問題提起はあかさかも古びていない。

 赤坂は「精神障害者」を免責するのは、おかしいという。現在おおかたの意見は
「責任能力」があるからそいつに「死刑」を科せ!というものだ。赤坂は「責任能力」を
問わないことが逆に、彼を「精神障害」者として社会から抹殺しようとしているのだという。
赤坂は彼が、彼なりの罪を生きて償うことを要求するのである。

 遠山が私に教えてくれたのは「まちがったっていいじゃないか」という言葉だった。
早く正しい答えを出さなくてもいいんだということだ。朝日選書に『思い違いの科学史』と
いう本がある。その中で著者の青木国夫は科学の授業中「う〜ん、この子はケプラーが
○○年に考えていたのと、同じ間違いをしている、すごい!」とヘンな感心の仕方をしていた。

 宅間容疑者に殺された木曽ゆかちゃんだったかが、こういっていた。
「わたしは、しょうらいいろんな国のことばをおぼえて、いろんな国のひととおしゃべり
したいな」と。
 私という、いささかくたびれた大人は、てんごくのゆかちゃんにこう約束しなくちゃと思う。
「おっちゃんは、いろんな国のひとたち、そしてこの国のいろんなひとたちといっしょに
くらせるようなしくみを、いっしょうけんめいみんなで考えてつくっていかな、あかんね」

 


即レス 投稿者:Vita  投稿日: 6月30日(土)16時57分55秒

SEASONSを誤読しておりました。忘れてください。御免。


ピッピッ、イエローカード1枚半 投稿者:らくりん  投稿日: 6月30日(土)15時57分30秒

「ピタゴラス」―→「アルキメデス」
「歩き目で酸の原理」と言う名前がついている。

「やりいか」は刺身が旨い。
私読んだ本では「ユリイカ」だったっちゃ。
(こっちはどうでもいいようなもんだけど)


えんどれす・れすぽんす奉行U  投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月30日(土)13時41分45秒

 >しんさん
 なんか、教科書の事がえらい気になってきました。結構あるもんですね。『世界の教科書は
日本をどう教えているか』、『世界の教科書にみる戦争の教え方』 別技 篤彦, 朝日文庫
 
 昔、算数・数学教育界に遠山啓(ひらく)という先生がいました。いまではすっかり、
くもんに駆逐されてしまいましたが。「水道方式」という教え方は30年くらい前に毎日
新聞でも連載されていたはずです。数学史も取り入れて「天才」たちが、どのように試行
錯誤して「法則」や「定理」を発見したか。ゲームや実験を取り入れてその過程がわかる
ようになってました。

 「数」の概念をつかむ前に、子供達は 「量」の概念に触れているはずだ。遠山先生は
自分の子供さんが持っている教科書に疑問を抱き、数学研究から数学教育に転じます。
そして、文部省の「かぞえ主義」の影響が残る教科書に敢然と立ち向かいます。
 
 晩年、遠山は知的障害児教育にフィールドを移します。一ケタの足し算が、わかった
時の子供達は、踊りながらその喜びを表現しました。まるで、ピタゴラスが浮力の法則を
思いついたとき「ヤリイカ、ヤリイカ」と叫んだ時のように!

 ある日、遠山が廊下を歩いていた時、一人の少女が遠山にたずねました。「おじちゃんの
名前は、何ていうの?」「と・お・や・まだよ」「そう。と・お・や・ま。いい名前ね」
彼はこう記しています。「私は今までに、自分の名前のことなんか考えたこともなかった。
そして、いい名前だとも。少女に教えられて、つくづく私はこの名前が気に入ったのである」
 


えんどれす・れすぽんす奉行 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月30日(土)13時12分44秒

 >Vitaさん

 あ、ドストエフスキー情報ありがとう御座います。あの大作は、筋が交錯していて
細かいこと一切忘れました。四人目の息子は別のお母さんの子だったかな?大審問官の
エピソードは何回も読んだんですが。
 時にフィクションはノンフィクションより、心的現実を反映してることもあります。
あゆの詩は、どの曲のことでしょう?
 
 >ootuboさん

 こんにちは。すいません。男のしゃべりはみっともないと言われ続けて○十年。どうぞ、
なわとびの輪に入って下さい。

http://setsuka.tripod.co.jp/album3.htm


背景というほどのものは…… 投稿者:らくりん  投稿日: 6月30日(土)09時42分32秒

ootuboさんお久しぶり。
ootuboさんらしい生まじめなレスに、一人で微笑んでおります。

別に、背景というほどのものはないんですが、地方紙のコラムに

「悔いの残る正しい人生よりも、納得できる間違った人生を送りたい」

という言葉が出ておりましてね、はじめ私はこの言い回しになんとなく
納得していて、切り抜いたりしてあったんですが、たまたまそれがまた目について
もう一度、考え直してみようかと思って、設問風にしたんです。

ootuboさんのおっしゃる、
▼「正しい」なら「納得」できる
というのは、ごく当たり前のこと(理屈)なんですが、
そこは、せめて「もう一捻り」、例えば
  ・同じことでも人によって判断が違う。
  ・同じ人でも、時が経つと判断が変わる。
ぐらいのことは、思いをめぐらしていただいてもいいのでは?
つまり「正しさの無根拠性」、歎異抄でいえば「善悪の二つ総じてもって
存知せざるなり」。これは、前提的共通項としてもいいのではないかと
思っていました。

その上で、
  ・「正しさ」の根拠として機能しているのは何か
  ・多くの人が承認、賛同してくれるということだけを根拠に
   「正しい」と主張するとか(みんなそうしている)
  ・「正しさ」への固執がもたらす影響
というようなことにも一歩踏込んで考えることもまた楽し、です。

「正しさ」の「うっとうしさ」、「うさんくささ」というようなことがあるでしょう。
特に、愚っ朕さんがずっと言い続けている親から子に強要されるような「正しさ」
なんてものは「幻影」にすぎないことがある。「幻影」にすぎない「正しさへの固執」
にいかにして気づくことができるか/あるいは気づいてもらうことができるか。

それはそれとして、
一方で、私自身は、自分の娘のことになると些細なことで「分別臭い父親風」を
吹かせることがありますんで。そんな「分別臭い正しさ」に抵抗する娘に
対して、父親として「それと気どられぬように」いかに言いくるめようか、
というちょっと具体的な状況を重ねあわせて考えております。

背景はないと言っておきながら、
やっぱ、けっこういろんな「魂胆」があるみたいですね。


訂正・補足 投稿者:Vita  投稿日: 6月30日(土)09時08分56秒

カラマーゾフの兄弟は4人。
父は放蕩の限りを尽くして、子供たちを「厄介払い」。
演説をしたアリョーシャの母は、彼が4歳の時に亡くなっている。
しかし、母が一心に聖母に祈る姿を夢の中のように記憶しているという。
もちろん、見たと信じているだけで、記憶は後に捏造されたのかもしれない。
そういう人物が、「美しい思い出」の話をしている。
こういう事(物語、記憶)を信じると、よくわからなかった事が、
こういうことなんだなと思えるようになる。
誰かの歌詞(あゆ?)にそういうのがあったようにおもいますが
ま、そういうことはあるのでしょうネ。以上、意味不明です。ハイ。


二者択一 投稿者:ootubo  投稿日: 6月30日(土)07時57分08秒

背景はなんなんでしょうかねえ。

正しい人生なら納得ができるのでは。
間違った人生なら悔いが残るのでは。
私は鈍いので全然見えてこないのですが、
納得を選ばせようとしているのですかねえ?

いろいろな正しさがあるのなら、正しいとはいえないのでは。

愚っ朕さん、遊んでほしいとは思っているのですが、ボリュームの
すごさについていけません。


懐古趣味 投稿者:らくりん  投稿日: 6月29日(金)18時43分43秒

『兵戈無用』(件の機関紙の名前)の表紙とは、
えらい懐かしいもんを引っ張り出してきましたね、愚っ朕さん。
(正晴―は→政晴)


リアル・ラブ 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月29日(金)14時30分26秒

 というジョン・レノンの曲があります。死後発表されたもの。この曲のデモ・テープ
版の歌詞では、いつも通りヨーコへの普通のラブソングだったのですが、完成品は「子供
達への普遍的な愛」といった内容に変わってました。
 
 「ハウ?」という「イマジン」に入っている曲もまたいいです。

 どっちに向かって歩いてるのかも判らないのに
 どうやって前に進めるだろう?
 愛された経験も無いというのに
 どうやって愛すればいいのだろう?

 とこんな感じ。昔、反靖国全国連絡会という機関紙で菱木正晴という
ジョンレノンフリークが、この歌詞を一面に載っけてたっけ。先生、太ったねお互い!

 ま、でも自傷行為を繰り返す少女たちが、例えば浜崎あゆみの歌などで癒されてるのかも
わからない。AERAなどに寄稿している速水由紀子が、そういった「アダルト・チルドレン」
たちに向けて概ねこういうことを書いていた。

 立派なお父さん、優しいお母さんというのはTVなどでつくられた幻想。
そういった「偶発性」によりかからないで、試行錯誤した自分の歩みだけが
自分を支えられるんじゃないの?と。

 これは、「強い」人向けの発言かも知れないなあ。遠藤周作は「深い河」
五木寛之は「大河の一滴」で奇しくも、河という浄化装置の中で
「生かされているいのち」を感じましょうとたそがれたオヤジの宗教観を
述べ伝えていたが、若い途上にある少年・少女にとってはどんな声が救いなのでしょう。


二者択一 投稿者:らくりん  投稿日: 6月29日(金)09時12分51秒

もし、次の二つのどちらかを選べと言われたら

  (1) 悔いの残る正しい人生
  (2) 納得できる間違った人生

こういう設問の仕方はそれ自体がどちらを選ばせようとしていることが
見え見えなんですが。

「正しさ」と「納得」、なかなかむずいんですよねこれが。


そろそろ学期末 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月29日(金)06時25分44秒

>大陀羅弗”痴さんの勘と理解力にしてそういうことがあるのですから・・・
 トホホ・・・その節は色々と・・・。ただ、全く新しい思惟の枠組みというのは、従来の枠組みを取り払った上でないと形作れないもので、そのために2〜3回は聞く必要があるのです、私の場合。最近は脳細胞も鈍亀状態だし。

>愚っ朕さん
 究極の拠り所、という意味で普遍的父性母性(そう言ってよければ)にたどり着くということなのだと思います。

 父性母性といえば、最近の児童虐待のニュースを見ていて、幼少期に親の愛情を注がれた体験のない人がああなり易いのでは、という説には説得力を感じます。具体的父性母性に触れたことのない者も、普遍的父性母性を求めるようになれないものかと思うのですが、具体性の体験なしに普遍性(抽象)にはたどり着けないものでしょうか?
 
 幼少期に誰かから愛された体験のないものは、人を愛することが出来ないんじゃないか、と友人が言っていました。上のコメントと内容的には同じなのですが。カラマーゾフの兄弟の中のセリフもまた、同様のことを言っていると思うのです。ひょっとして社会は既に「子供の愛し方講座」なるものを必要としているのかもしれません。でもそうなると、「中味はなくてもその態度を子供は愛と感じてくれる」などというテクニックばかりが氾濫するかな。いや、それも立派な愛かな。

 教員のはしくれなもので、しばらく期末試験モードに入ります。しっかし、「宗教」の科目評価なんて、何をすればいいのかいまだに解りません。「10点満点の5点」なんて、何を基準に決めればいいのでしょう? 正信偈のお勤めの上手下手なら歴然とするのですが。以前、「君ら、今学期の評価は自分でつけなさい」とやってみたら、生徒に受けた受けた。ただしこういう洒落は「ガキ」には通じません。


ご相伴させていただきます。今夜だけは。 投稿者:Vita  投稿日: 6月29日(金)01時05分46秒

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」なんぞは、早くに母と死別し、父親はその財産を使って子供の存在を忘れて遊び呆ける、という環境で育ってきた3兄弟の物語。その中で、ドストエフスキーが新聞を切り抜いて収集したという幼児虐待という事柄は、神の存在に対するアンチテーゼとして説かれる。早い話が、そんな悲劇をゆるすようじゃ、神も仏もありゃしねえってこと。
この小説のラストは、父が暴力を受けて許しを請うている場面を目の当たりにして、病気と貧困のなかで死んでいった少年の死を悼んで集まった、10数名のこどもたちに対する、3兄弟の末弟アリョーシャの演説で結ばれる。「ぽくのかわいい子供たち、ことによると、ぽくがこれから言うことは、きみたちにはわからないかもしれません、なぜって、ぽくの話しぶりはどうかするととてもむずかしくなるからです。でも、それでもぽくの言葉をしっかりと覚え込んで、将来いつかその言葉に同意してください。いいですか、これからの人生にとっては、何かの美しい思い出、なかでも子供のころ、両親の家で過しているころに胸に刻まれた思い出こそが、何よりも尊い、力強い、健康な、有益なものになるのです、それ以上のものはありません。きみたちは教育についていろいろ聞かされるでしょう、けれど、子供のころから持ちつづけられる、何かすばらしく美しい、神聖な思い出、それこそが、おそらく、何よりもすばらしい教育なのです。もしそのような思い出をたくさん身につけて人生に踏み出せるなら、その人は一生を通じて救われるでしょう。そして、そういう美しい思い出がぽくたちの心にはたった一つしか残らなくなるとしても、それでもいつかはそれがぽくたちの救いに役立つのです。」

「自尊感情」という事が、人権教育の場でも用いられているそうだ。日本においては、人権思想は未発達と言われている。天皇家を象徴、イデアとし、自分はその派生モデルにすぎないと考える日本人? たしかに、自分が尊いということを、私は考えたことがあるだろうか。私が私のままで尊い。そうだろうか。なんの価値もない、なんの誇れるものもない。そういう自虐人生観を育ててきたように思う。というか、誇り方がわからないのか。

アリョーシャの言う、「美しい思い出」。それは、自分の歴史。美しいものばかりではないが、それなりに自分が今ここにいることを証明してくれる。そういうものが「たった一つ」でもあれば、自分が自分であるという実感がもてるのか。

ここで、法蔵菩薩の物語、弥陀がそんな煩悩成就の我をこそ救ってくださると誓ってくださった。それが「その人のために死ぬほど悲しんで」くれるような「他人」と言いたいところだ。自分で自分を尊敬できなくても、救うと誓われた仏がいる。が、トンでもなくはずいことに、わたしはこの物語に馴染めない。なにか、遠いところにある話であるようにしか思えない。それでも、大乗の教えの精神がこの物語に込められていると。手がかりなのだと佐々木正さんが書いている。缶ビール二本で酔った。Good night.


映画『バトルロイヤル』 投稿者:お留守居役様  投稿日: 6月29日(金)00時42分13秒

ビデオで見ました。
なかなか良くできた作品だと思いました。
中学生が無人島で殺し合うという原作を映画化したものです。
前半には、無意識の欲求を解消するシーンが多くありました。
こんなやつぶん殴ってやりたいとか、
ぶっ殺したいとか思うことを直に実現しているからです。
後半は、暴力はコミュニケーションであり、
その究極は死である、
というメッセージが読みとれました。
敵対する究極のコミュニケーションは殺人であり、
その逆は、共に死ぬ心中である。
現在の我が国では、本当のコミュニケーションが失われている
という批判のメッセージかと思いました。


どもども 投稿者:らくりん  投稿日: 6月29日(金)00時08分34秒

TOROさん、初めまして
久々の業界外からの新人登場で、大歓迎です。
最近は愚っ朕さんが、管理人を引き継いで下さっているので、
楽している一応管理人もどきのらくりんです。
それなりに、ROMだろうがカキコだろうが、楽しんで下さい。
(思い起こせば、3月前に、愚っ朕さんにも最初にこう書いたなあ、それが
今じゃもうなくてはならない看板さんです)
とにかく、このところは生きがよくて回転が早いことと話題の「高尚さ?」
とレベルの高さが売りの掲示板になっている感じです。
留守がちな管理人もどきはついていけないレベルに達しつつある。

あのー、別にここは「仏教系掲示板」を標榜しているわけではなく、
単なる私のプライベート掲示板に過ぎませんので、あまり気がねしないで下さい。
ただ、私自身が業界人ということが大きな理由なのでしょうが、そっち系の人が
のさばっているだけなのです。
しかし、常連さんとして続いている人は、業界の中でもあまり「それらしくない」
ことにあこがれるようなタイプの人が残っているようなんで、
業界系以外の人が読んでもけっこう楽しめる部分もあるかなと思っていたりも
します。
結局、気にいった人が残っていくのが、この世界ですから、
来る者は拒もうにも拒めない(その気になれば方法はないわけではないが)
去る者を追っていこうにも追跡できない(その気になってもちょっと無理)

そんなとこです。


どうも 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月28日(木)22時08分38秒

 TOROさん、こんばんは。あ、ネタ思い出した。「♪おおさかで〜生まれた〜引越しの
サカイ〜 大阪の街〜よ〜捨てん〜」 失礼をばいたしました。これからもヨロシクです。
ほんまあ〜りがたいじゃあ〜りませんか、ねえらくりんさん。

 ところで相変わらずドンドン暴発する私です。日経紙で四、五ヶ月前「半歩遅れの読書術」
に鷲田清一が村上龍の『ラブ&ポップ』(1996年)の書評を書いてました。援交少女が
出てくる話。
 「何かが欲しいという欲望ですらもが、自分からもれでてゆく」という少女。「いろん
な可能性の行く先が全部みえちゃって、いま欲しいと思っているものも明日になったら
欲しくなくなってるかもしれない」
 
 鷲田さんは、これは時間小説だという。で、フッサールの『内的時間意識の現象学』など
と比べていたが、そちらの方はどうもよくわかりません。でも、この「豊かで退屈な時代を
生きている人々」に仏教者はことばを届けているんでしょうかね?と皮肉とも反省ともつか
ないこと書くけど。

 宮台真治が『自由な新世紀・不自由なあなた』にこんな話を書いてました。以前取材で
知り合った援交少女C子があの「エヴァンゲリオン」の庵野秀明が撮った『ラブ&ポップ』
の感想を送ってきたそうです。
 映画の中の援交少女が浅野忠信演じるところの男からホテルでスタンガンをつきつけられ
「きみがこういうことをしてるって知ったら死ぬほど悲しむやつがいるんだ。わかってんの
かよ」と恫喝される場面で彼女は不覚にも涙がこぼれたそうです。
 
 自分の父母は自分が売春をやっているのを知れば、怒り嘆きそして泣くだろう。けれど、
それは子供が自分達の思惑通りには育たなかった、期待ハズレで嘆くのだろう。
 C子のことをあるがままに受け入れてくれないから、たぶん父母は悲しんでくれることも
ないんだろう。その意味で悲しみとは、相手を全面的に受け入れようとしたときに越えられ
ない溝に行き当たって生じる「あきらめ」のような感情ではないのかと。
 
 でも自分だって「その人のために死ぬほど悲しめるような他人」がいるかどうかを考えると
父母をせめられないという。これ、親鸞の慈悲という考えにすんごく近くないですか?
私、はっきりいって歎異抄のあれこれの解説をお歴々より聞いた時より感動しました。
ハッキリゆうて。
 

 


公民教科書は 投稿者:しん  投稿日: 6月28日(木)21時36分24秒

日の丸以外に、やたら自衛隊の写真が掲載されているんですよね。
俵さんは公民教科書の方が問題が多いと指摘していました。
教科書問題だけでなく採用された学校では、教師用の指導用教科書と
いうものが使われるんですよね。


はじめまして。 投稿者:TORO  投稿日: 6月28日(木)21時03分58秒

こんにちは、初めて投稿いたします。愚っ朕さんのおっしゃるとおり、現象学関係で検索に引っかかり、しばらくROMしていた者です。ここは仏教関係の掲示板なので門外漢の私はカキコできないと思っていましたが、これまでの皆さんの真摯なお話ぶりに感銘をうけ、ちょこっとだったらいいかな・・・と思ってしまいました。皆さん仏教関係者の方々ばかりですよね。らくりんさんをはじめ皆さん大人で博識だなぁ・・・。特に愚っ朕さんの問題意識は宗教に関わらない人間も惹かれるものがあります。これからも楽しみにしてますのでがんばってくださいね。


時機相応の教えとは? 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月28日(木)20時56分48秒

 ブータンにあこがれる。ブータン人に名字はない。家制度が希薄。ケサン、ティンレイ
など多くの名前は男女共通だ。夜這いというか、妻問い婚という母系社会でもある。だから、
夫婦仲が悪くなったら亭主の方が追い出される。で、再婚。土地・家屋・家畜は女が相続
するから、子供の親権・養育権も女がもつ。マチャアキ・岡田美里のようなややこしいこと
にはならない。
 
 後夫との子供と前夫の子供の区別無く育てられる。「ててなしご」なんて観念は無い。
(「やまとなでしこ」という観念もない)大学は国にひとつしかないから、受験戦争は
ない。治安は桂三枝の「花の駐在さん」(関西ローカルネタでしょうか?)状態。
 国民のほとんどは農業に従事。原発はない。山がちの土地を利用した水力発電だ。
長い輪廻の輪の中で、この世という仮の世界にたまたま乗り合わせた乗客同士。それまでは
仲良く、楽しく、あくせくせずにやっていこうという人生観。
 前にも触れたけど、いつの頃から日本は父系制社会なのだろう。記紀に記された
天つ罪・国つ罪という王権のイデオロギーをイエに取りこんだ始めは。


おーるすたーきゃすと 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月28日(木)20時32分32秒

 で、次から次へといろんな人を登場させれば、検索で引っ掛かって真宗プロパーじゃない
方ともケーハクなおしゃべりできるかなあなんて夢見るんやけど。(←自分のHPでやれっ!)
 だって真宗BORD見たんやけど私にはやっぱむつかしすぎ。

 それにしてもらくりんさんには軽くいなされてしまったな。ナショナリズムの問題は
これまたむずかしい。政経出身のらくりんさんはそっちの方が得意じゃないんでしょうか。
真宗教学にことよせて、探りを入れようとしたんやけど。。。タダでは、おせーないんか。

 あ、陰陽師。思い出した。彼らふだんは占いとか祈祷とかやってたけど、お正月は宮中に
出かけて千秋万歳を披露してたんですよ。「オ・メ・デ・ト・ウございます」なんていいな
がら。その末裔は尾張と三河に拠って、特に尾張万歳師は真宗門徒用に「六条万歳」なんて
芸をみせてたんです。後日談も書け!夢枕獏。

 少し前、たけしと志村けんがやってた『たけしむけん』という番組で全国イタコ選手権と
いうコーナーがあったが、あれはやっぱ障害者が出てこなかった。イタコはやはり障害者で
なければいけない。きびしい環境の中に居たからこそ、磨かれた芸としての口寄せだったのに。
 障害はかつては決してハンデではなかった。それは一種の才能なのだ。 乙武くんみたいな
お行儀のよい勉強の出来るような才能じゃなくて、異界と通じる能力。
 差別によってこの世から遠ざけられた哀しみだけが見る事の出来た世界が、あの世だろう。
小沢昭一のビデオでしか、見てないが死者をおろしてもらってるのに何ゆうてるかさっぱり
わからん。でも、大切な人を亡くした哀しみをともにしてくれているだけでいいんだろう。
 


教科書展示会 投稿者:らくりん  投稿日: 6月28日(木)18時11分45秒

気乗りしていなかったんですけれで、あい方の「見に行かなくちゃダメ」という
キツイ一言に引き摺られて行って来ました。

最近の教科書というのは、ほとんど雑誌のようなレイアウトスタイルを採ってい
るんですね。(こんなことを書くと娘の教科書を覗いたこともないということが
バレてしまいますね)

その中で扶桑社の公民と歴史の教科書だけが、昔懐かしい、
私らの年代にとっての、いわゆる教科書らしい体裁でした。
問題点などについては、すでにいろんな情報が流れているので、ああやっぱり
そうなんだなあと、すでに知っているようなことを現物で確認しただけでした。

公民の教科書では、「さりげなく」と言うべきか「露骨に」と言うべきか
あちこちに「日の丸」が写った写真がちりばめられていました。
それから、ラモス・るいのナショナリズム礼賛の言葉が引用されていることは
知っていましたが、その他にも「日の丸」にたような感じで、サッカーの
ワールド割賦(月賦にしてどうするんだ)ワールドカップの風景が写った
写真が目につきました。やっぱこれはかなりナショナリズムを標榜する人が
作った教科書なんだなぁ、と思った次第です。


なんやかや 投稿者:らくりん  投稿日: 6月28日(木)12時16分29秒

>私がいちばん気になるのは「ただ念仏」というのと他宗教および他思想、あるいは
>そんなたいそうなもんではなく、自分とフィーリングが違う人とどう向き合えるの
>かもうちょっと説明して欲しいのですが、Xを読めばわかるのかな。
そんなんが、ちょこちょこっと本を読んだぐらいでわかったら、世話ありません。
まして『読み解く』の五だろうが一だろうが、そんなたいそうなもんじゃありません。
それはそれとして、『読み解く』四、愚っ朕さんに楽しんでいただけて、
お世辞・冗談抜きに、たいへんうれしく思います。

「やなヤツ」は真宗門徒だろうがなんだろうがやっぱ「やなヤツ」で、
「話がわかるヤツ」は、クリスチャンだろうが何だろうが、無宗教だろうが
「話がわかる」んじゃないんですか。
無理して、話を合わせようなんてことはあまりしない。
(愚っ朕さんが言いたいのはそんなことじゃないんでしょうが)

らくりんは、「摂取不捨」のおはたらきの方は一切合切阿弥陀さんにお任せして、
日常の人間関係については、ほとんど「成り行き」にお任せてしまっております。
ですから、掲示板の上だけではなく、言葉が過ぎて二度と口を聞いてもらえなくなる
ようなこともたまには(いやちょくちょくかな?)あります。


ホームグランド 投稿者:らくりん  投稿日: 6月28日(木)09時52分24秒

明日から、拙寺の永代経。
らくりんは、明日の法話が当たっています。
いつも見慣れた人たちと、めったにお寺に見えない人が一緒に聞いて下さる
こういう機会は、非常に難しい。

いずれにしても、ホームグランドは、やりにくい。
油断をすれば、いつもの場だという「なれ」が「だれ」になっていくし、
何度も何度も同じ話を聞いて下さっている人に、
「またあの話か」と「思われる」のも、ちょっと「しゃく」ですしね。
さりとて、次から次へと、オリジナルの新ネタが
沸いて出てくるわけでもありませんしね。
結局、いつもの「十八願」ならぬ「十八番(おはこ)」のアレンジのような
お話になってしまう。
ただ、
人って、聞いているようで、あんがい聞いていないことがあるんですよね。
だから、大事な話は何度でもしなければならないということもあります。
聴いているけど聞いていない。聞いているけど意味が通じていない。
「聞く者には誤解する自由がある」とでも
言いふらしていなければやってらんないよ。

そう言えば、大陀羅弗”痴さんも、3度ぐらい同じことを言って、
やっと話が通じたってこともありましたね。
大陀羅弗”痴さんの勘と理解力にしてそういうことがあるのですから、
やっぱ、倦まず弛まず同じことを話し続けるということも大事なんでしょうね。

それにしても、古典落語の世界というのは、同じネタを何度も何度も「聞かせる」
わけですから、やっぱりそれは話芸だけにはとどまらない
すごい「芸」なのだろうと思います。


ただいま。 投稿者:らくりん  投稿日: 6月28日(木)01時02分24秒

らくりん不在の間に、なんかいろいろと盛り上がっちゃってますね。
なにはともあれにぎやかで「けっこうけだらけねこはいだらけ」ってなもんです。

お休み


種あかし 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月27日(水)19時42分17秒

 一宗を開いたお祖師さんクラスのお坊さんは、幼少期、お父さんやお母さんを
何らかの意味で喪失した人が多いんではないでしょうか。その喪失感が彼に
「本当のお父さん、お母さん」を求めさせ、そこで見つかったのが「仏さん」だった
のじゃないかという、愚っ朕の「瞼の母」理論でした。ああ、ホンマ俗っぽい。


エンドレス・ソローU 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月27日(水)19時32分04秒

 でもまあ、安田せんせは「不安にたつ」とかいうてるしなあ。。。

 >Vitaさん
 から元気です。罪と罰。むかし、国広富之と松崎しげるの「トミーとマツ」というあほらしい
刑事ドラマがありましたが、あれは「ツミとバツ」のもじりだったと二年前気が付いた。
 と、どうでもええことばっかり考えるクセがあるんですが。それがきっかけで、読みたくなったんですが、新潮文庫は字が小さい。で、汐見朝子というマンガで読みました。手塚も大島弓子も
書いてるけど、この人のは特に原作に忠実。
 マルメラードフ。うん。どうしようもない、おとっつぁんですね。まあ、倉木麻衣のおとっ
つぁんは『AV伝説・倉「本」麻衣』というのを撮ったそうで、まったくおとっつぁんという
のはどこまで情けないんだ。。。
 ドストエフスキーは児童虐待にも強い関心を示してましたよね。まあ、愚っ朕の人間理解は、
この親子関係がキーポイントでありまして、「家族」というのは外部から簡単に覗けないとこが
あって、ために「家庭」が「牢獄」や「生き地獄」であった子供たちにとっては、「自分が大事」という「自尊心」を育んでいませんので、彼(彼女)にとって世界は基本的に信頼するに値しない
場所なんです。で、その拠り所、居場所のない人が、しらふではやっていけないのでいろんな
「酔い」をもたらしてくれるアルコールやシンナーやセックスなどに耽るのだと思います。

 大陀羅弗”痴さんからも御指摘があったように安易に仏教や真宗を、西洋の思想、特に
心理学やフロイト流の精神分析からのみ読み解くのはおかしいと私も思いますが。お釈迦さんも
親鸞さんも人の子。人間形成期があったはずで、十住心論や、十地経や十牛図が天から
降ってきたとも思えませんから、エリクソンのいう発達論と比較してみるもの面白いかな
と思います。
 またイギリスのボウルビィの「愛着理論」はヒントを与えてくれます。愛する対象を喪失した
場合の心の動きを以下の4段階[大人の悲哀の過程/1980]に分けました。その4段階を大人の死別
体験という例で紹介して行きましょう。

愛する人を失った人なら誰もが経験した事と思いますが、その人の死を受け入れることができず、その直後はただ呆然としてしまいます。[無感覚の段階]

しかし、次第にその死を事実として受け止め始めると、号泣したり、思慕に悩まされることが多くなります。その一方で、この事態を受け入れたくないがために、逆に、亡くなった人をどこかで捜し求め、死が事実であるという事に疑いを持つようになります。[思慕と探求の段階]

”愛する人という対象喪失が不可逆的なものだ”と認める事ができるようになると、もう亡くなった人を取り戻そうという希望が消えて行き、そのため気持ちが落ち込み、引きこもりがちになるようになってしまいます。[混沌と絶望の段階]

そして、失った人の大切さや重要さをヒシヒシと感じながらも、以前故人が担っていた家庭内の役割などを自らが取得し、それが達成されるたび、自分に自信が持て、以前よりもっと自立したような感覚が訪れ[再建の段階]、悲哀体験を克服して行くのです


エンドレス・ソロー 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月27日(水)18時47分43秒

 >大陀羅弗”痴さん 
 ええ、ええ。平井富雄さんの本とかで、読んでました。禅と脳波の関係について。禅の修行も
したことないのに橋本健といううさんくさいおっさんが開発した、アルファ波誘導装置「アルファコイル」の一番安いやつ買って試してみましたが、悟りには程遠い凡人のエロ・カッパ波が検出
されたので以降、禅には興味を失いました。
 アイデンティティですか。本家本元のエリク・エリクソンの本は歯が立ちません。だいたい、
何歳でこういう発達課題があるとかなんとかいってますが、人それぞれ発達なんか違ててええや
ないかと思ってます。だから、私の使ってるアイデンティティは、巷間に流布されている俗流
アイデンティティで西洋概念というより、「僕って、誰?」ぐらいなもんです。
 「自信を建立する」なんて言葉ありましたか?そんな感じやと思いますが。お西に「樹心の
会」というのがありますね。まあ、アイデンティティは他人に承認される必要があります。宗教は、超越存在との関係が第一義的なものなんでしょうか。逆にお尋ねしたいところですが。


訂正 投稿者:Vita  投稿日: 6月27日(水)15時09分41秒

淫蕩→嗜癖
マルメドラードフ→マルメラードフ
小此木慶吾→小此木啓吾、おまけです。ハイ。


愚っ朕さんは元気だにゃー 投稿者:Vita  投稿日: 6月27日(水)14時51分31秒

「淫蕩」ということに関心を持ったのは、ドストエフスキー「罪と罰」冒頭、マルメドラードフの台詞から。酒で身を持ち崩し、娘に体を売らせてまで飲み続ける。彼は「快楽に渇して」ではなく、「悲しみと涙を求めて」磔にされるために飲み続けると言う。しかし、神は天国へ行く値がないと自覚する者をこそ、救ってくれるという大演説を酒場で繰り広げる。。。
ロシアには「地獄めぐりの聖母」という民話があるそうですが、それをドストエフスキーはここに、挿入したのではないかという説があります。ドストエフスキー自身、賭博好きで有名なのですが、こういうカタスロフへと堕ちていく人物描写にはスゴイものがあります。(内村剛介「ドストエフスキー」)
ゲームも酒も賭博も、大まかに言うところのストレス解消が目的であるのに、自己を破壊する事になってしまうことがある。それを「自分を大切に思えず、自己尊重できない者」と定義付けることはできるのでしょうが、その辺り、どう自己分析しても、されても、どうもよく分からないと思っています。
まあ、「抱擁される欲求」という言い方には、そっかなーと、それらしい感じがするナ。
チョット、うなずきたくなるヨということだったんですよw

 以上、現在進行形。オチも結論もなし。


アイデンティティ 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月27日(水)07時01分59秒

 という言葉は、一応学生時代に発達心理学と精神分析学の中で聞いたことがあるのですが、社会の中で一個人として独立して行くにあたって、自分が何者であるかということに関する自分自身の納得をどう形成するか、ということじゃなかったかと思います。
 で、これができないまま年齢だけ大人に近付いているものを「モラトリアム人間」というとかいうのが小此木慶吾さんじゃなかったでしょうか。
 愚っ朕さんのコメントについてですが、アイデンティティ、あるいはアイデンティティ不安という西洋の概念を仏教の用語体系の中に位置づけるとするとどのような用語がそれに近いと思われますでしょうか。わたしのように発想が短絡しやすい者はすぐに「そうか! アイデンティティの確立=信心獲得」などと言い出しかねないのです。どちらかといえば私は信心獲得ということはアイデンティティの確立を一つの要素として含みつつ、さらに広く深く人間が自分自身を認識するあり方だろうと感じているのですが。
 余談になりますが、よく仏教を心理学や精神分析の立場から説明しようとする試みがあります。例えば禅僧の脳波を測定してアルファ波がどうとかこうとか、つまり悟りとは脳がカクカクシカジカの状態なのだ・・・とか。わたしはあれ、なんだかなあと思うのです。


>らくりんさん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月27日(水)04時16分04秒

 らくりんさんのご本はとても面白かった。あと四冊もぼちぼち買って読もうと思います。
で、Wの中で、第20講ですか、回入と転入の違いを図をもって説明されてました。
 
 私がいちばん気になるのは「ただ念仏」というのと他宗教および他思想、あるいはそんな
たいそうなもんではなく、自分とフィーリングが違う人とどう向き合えるのかもうちょっと
説明して欲しいのですが、Xを読めばわかるのかな。あるいは、お勉強用掲示板の方かな?
 他宗教に対して@排他主義A包括主義B多元主義などがあると思いますが。Aはカトリック
でいえばカール・ラナーのいう「匿名のキリスト者」という考えです。みんなキリストという
名前をしらんけど、あれはキリスト教に来る段階にある人たちだというような考え方。
Bはジョン・ヒック等がいうようなもんです。ヒックはカントを下敷きにしているそうなので
簡単にいうと、神さんや仏さんそのものはわからんが、人間やから同じような「めがね」を
通して体験できるから、どんな宗教も同じようなもんやというようなという風な考え方。。。
 
 らくりんさんが書いておられるのは、阿弥陀さんと自分の関係がぶれないということですが。
私なんかは、「う〜ん、あんたのいうてんのは私が浄土真宗から受け取ったもんとおんなじ
でんがな。。。」とか「う〜ん、あんた言葉は真宗用語を連発してますけど、な〜んにも
わかってはれへんのとちゃうか?」という風です。後の発言は、自分がいいせんいってると
思ってる証拠でしょうけど。
 
 


>大陀羅弗”痴さん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月26日(火)15時15分08秒

 で、勝手に続けます。今回は西研からちょっと離れて。
前世・死後の問題について『かいまみた死後の世界』レイモンド・ムーディーJr著と
『前世を記憶する子供達』イアンスティーブンソン著が、この手の本の走りだと思うのですが。
かつて、オカルト少年だった10代の私はこういう手合いの本に夢中でした。
 いま、冷静に読んでみるとあまりにも「死後の世界」は「現世」を反映し過ぎているという
ことです。あの十王経に出てくるエンマさんも、裁判のない社会では恐ろしくもなんとも
ありません。生まれ変りを信じる人たちも、インドの低カーストの子供は、前世はバラモン
階級だったとかいうのが多い。欧米社会では、フランス革命だとか、アメリカ南北戦争だとか
イエスの磔刑とか、なんでそんなドラマティックな時代ばっかりに居合わせてんねん!という
のが多い。現在の満たされない願望が、「前世」を呼び覚ますすのだと思いますが。。。
 
 昔、たけし軍団がマーヤ・ラジャとかいう若い霊能力者に前世を見てもらってたのが記憶に
残ってるんですけど。たけしは確か、「殿」らしく織田信長かなんかだったのですが、その
まんま東が、「足軽」といわれがっかりし、井手らっきょうが「犬」といわれ更にショックを
うけ、ダンカンが「白菜」といわれ「動物以下だ」といって嘆くと言うオチがついてました。。。
 でもまあ、この問題はどこに自分のルーツがあるのか知りたいという人間のアイデンティティ
不安の問題ですよね。だから、「想像の共同体」を必要とする人々もいるのでしょうけど。
 
 春秋社の体系仏教と日本人でしたか、第一巻が『神と仏』で桜井好朗がおもしろい論文を書いて
いました。母系制社会では、血のつながりが自明的であまり「神話」を必要としないが、父系制
社会は国家の権力構造をイエに持ち込んで女性を「穢れ」たものとしてみなすと。そんな内容だったような気がしましたが。。。
 
 


>Vitaさん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月26日(火)14時38分43秒

 遅くなりましたが、20日のレスです。ネットゲームに熱くなるのに「抱擁される欲求」
なんかもちろん関係ないです。嗜癖は「わかっちゃいるけど、やめられない」から「やめ
られないとまらない」へ、そして「もうどうにもとまらない」までいっちゃった人です。
 (私なんか、らくりんバンバン依存症になってきたような。。。)
 Vitaさんは健康的な(?)ゲーマーです。前述の『薬物依存』(大海社)の著者、近藤
恒夫は、薬物依存になる家族パターンは次のものがあるといってます。
 @ダメな息子と世話焼きな母親A潔癖な娘と仕事一本の父親
で、また薬物依存がやめられないのは
 @友達が少なく、その友達の誘いを断りきれずに、ずるずる薬を使うパターン
 A自分を大切に思えず、自己尊重できない者
があるといいます。
 で、非行少年・援交少女にも関心がある私は、教科書問題もいいけども「学校教育」
「家庭教育」全体を問題意識に繰り込みたいなと思っている次第です。
 らくりんさんの本が出ている明石書店から、「世界の教科書シリーズ」というのが出版
されていて興味深い。あと、今朝産経新聞の一面の「教科書で教えてる歴史・韓国編」の
連載が終わりました。要するに各国は、自民族中心主義の歴史教科書をつくっているんだから、
日本が自民族中心主義の教科書をつくってなにが悪い!と開き直っているんですねえ。
 ほったらかしにしておいたベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』でも読んで
考えてみます。


昨日は一休み 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月26日(火)10時01分17秒

 一昨日の疲れで昨日はあまり体が動きませんでした。では頭は動いたかと言えばそれも「?」。昨日はファントムが機関砲を射爆場以外で撃ったとか。「なんでそんな、タマ積んでる必要があるワケ?」とはうちの女房殿のお言葉。

 「でかい寺」・・・・・再びメッカとなるか、恐竜になりはてるか、真宗本廟の先行きを占うパイロットケースですね(まるで人ごと)。そう言えば御遠忌当日の法要で、楽席の前にマイクを立ててくれたんだけどこれが全然音を拾わないスカマイクだった。

 『歴史教科書』問題。明石書店からも「いらない!『神の国』歴史・公民教科書」(上杉聰・君島和彦・越田稜・高島伸欣 共著)というのが出てます。そのうち「『歴史教科書』を読ませてはいけない」が出て次に「『歴史教科書を読ませてはいけない』を読んではいけない」が出る。でも、今の中学生って、社会科の教科書なんか読むのかなあ。(教員のはしくれがそんなこと言ってはいけない?)まあ、教育委員会の顔ぶれがあの『教科書』を全会一致で選ぶようなことになったら、それが怖いですね。

 結局わが子の歴史観は私が責任を持つしかないんじゃないかと思うのですが。


こんな本が出ました。 投稿者:お留守居役様  投稿日: 6月25日(月)23時47分49秒

谷沢永一著
「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する

ますます教科書を読む気がしなくなりました。

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01029282


よく見たら 投稿者:らくりん  投稿日: 6月25日(月)12時00分22秒

先のらくりんの書き込みの前に愚っ朕さんの「……応援か」があった。
「裏・表」を書いている6分の間に割り込んだようですね。

500人の帰敬式というのは、お参りに行った人が、「参詣席に貼ってあった
番号札が4百いくつまであった」という話を聞いてのことです。
ご門首だか連枝だか鍵役だかが来られたとのことで、たくさん集まったみたい
ですね。

しかし、その人は、
帰敬式が終わって、某大谷大学の某小川一乗学長のご法話の時間には
波が引いたように帰ってしまったとかなんとかとも言って「何しにお寺に
来たんや」と憤慨しておられました。

前宗務総長のお寺の隣で、
まあ二つ並んで、でかいといえばでかい寺には違いない。


そうだにゃーレス 投稿者:Vita  投稿日: 6月25日(月)09時19分30秒

草むしりで日焼けした田舎坊主の法話ってのは、独りが寂しい、でも二人が煩わしいみたいなところでぐるぐる回っている自分の姿を聞かせてもらって、もっかい、毎日なにやってるんだろーなーって、つまりは、縁という視座によって、有無の見を破すみたいな。。。んで、そういう何回同じことを聞いても直らないから何回でも聞けるお話が、どこでも聞けるのが田舎寺の法座のイイところ。あばたもえくぼ。


裏・表 投稿者:らくりん  投稿日: 6月25日(月)09時03分45秒

>「意味の呪縛」というのは例の「死ぬ理由もないけれど生きている理由もない」と
>いって飛び降り自殺した女子高生の遺書に関係しますか?
関係あるとは思います。
私が言おうとしている意味の「意味の呪縛」というのは「自分の存在や行為には
意味がある」という自負を強固に持つこと、あるいはそれを「持ちたい」「ある
はずだ」という願望のようなことを考えています。

ですから、
「死ぬ理由も生きる理由もない」というのは、「意味への渇き」が裏返しになって
表現されたのではないかと思います。

「〜への渇き」だと、私は「渇望」という語を連想してしまい、「求める」方に
傾斜した意味が強くなるように感じられ、
「自負」も「渇望」も含めて「呪縛」と言えるのではないかと考えているわけです。


純ちゃんの応援歌 投稿者:愚っ珍  投稿日: 6月25日(月)08時57分29秒

 で、当選したやつばっかだなあ。ったく、集団離党するはずと違うかったんかいな。
と例によって愚っ朕のイライラがつのってきました。

 >しんさん
 ウ〜ン、もうちょっとバトルになると期待したんですが。。。公民の執筆者のひとり
若手の八木秀次はちくま新書で『反人権宣言』なる本を書いてます。人権を錦の御旗に
することに意義を称えています。本の後半部分には納得がいきませんが。(少年の人権を
制限する云々等)
 「人権」の歴史については過去「同炎の会」というお東の反部落差別問題研究会で、
「差別の現象面のみ扱わないで、三月にいっぺんくらいは原理について学びましょうよ」
という提案をして見事却下されました。あれ以来「エセ左翼・ボーズのポーズ」は大嫌い!
 公民教科書はコラムが保守反動的。教師があれを材料に「自分の頭でものを考える」方法を
生徒に伝授すればあの教科書がたとえ採用されても対抗すればよいと思う。

 >お留守居役さま
 私も、先生をやってるわけでもなく、子供がいるわけでもないので教科書問題にそんなに
熱心な方ではありません。でもしらけた時代を生きてるこどもたちが、マンガや映画や
ドラマや小説などで、過去の人物にいきいきするものを感じてもらえるチャンスがあれば
いいなとずっと思ってます。(その点、『陰陽師』は評価できる)

 >大陀羅弗”痴さん
 メチャメチャでかいお寺でんがな!で、横笛吹かれるんですか〜、いいな〜。東儀さんみたい
にCD出しましょうよ。
 いやあ、らくりんさんの本を読んで、自分が真宗仏教以外で学んでいたことと親鸞学とが
クロスする予感がしてきました。
 正定・邪定・不定ですか。「不退転の決意で望む」と口先だけの政治家が多いんですが
あんなのは不定聚・住退転ですね〜。風の吹くまま、気の向くまま。。。
 それはさておき、西さんは、「自分の生を引き受けていく」のに人はてっとりばやい
「意味」を探す傾向にある。だけど、大事なのはそこで踏みとどまって、「意味」を考えてる
自分に目を転じる必要があるんじゃないか。自分が「何に苦しみ」「何を求めているか」を
ていねいに見つめる、自分の声に耳をすますのが大事じゃないだろうかといいます。
 友達がいなくて孤独に苦しんでいるのか。その孤独な自分に声を掛けて欲しいのか。
自分の能力のなさを嘆いているのか。エラクなって自分を馬鹿にしたやつを見返して
やりたいのか。また、自分の罪を許せないのか。その罪を許してもらえる人を求めているのか。

 
 


大陀羅弗”痴さん 投稿者:らくりん  投稿日: 6月24日(日)19時37分23秒

500人近い帰敬式の受式者があったという、別院なみの大法要だったそうですね。
ご苦労様でした。


やれやれ、疲れた 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月24日(日)17時54分30秒

 今日のは特に長い法要でした。付き合わされたご参詣の方々もさぞ大変だったと思います。私は楽人(らくじゃなくてがくです)として出仕していたのですが、笛の演奏は体力を使うので、ぐったり疲れました。

>らくりんさん

 「意味の呪縛」というのは例の「死ぬ理由もないけれど生きている理由もない」といって飛び降り自殺した女子高生の遺書に関係しますか? この「定」の件はもう少し自分の中で言葉を整理してから発言し直します。愚っ朕さんのレスも含めて、人の言葉に乗りやすい質なもんで。

>愚っ朕さん

 先回の「西研さん」のご説明の続きをお願いします。


あれこれ 投稿者:らくりん  投稿日: 6月24日(日)08時42分32秒

お留守居役様さん
私も、教科書だけが子どもに与える影響力については、かなり楽観的な見方を
していますが、あれを作り出すエネルギーと思想性の浸透力・影響力は
あなどれないのではないかと思います。
ただ、声高に反対を叫ぶばかりではなく、学校教育の見直しも含めたトータル
な教育のあり方を再構築(あまりいい表現ではないかな)、再構想、
考え直す必要があると思います。

大陀羅弗”痴さん
が言っている意味の「定」というのを、竹内芳郎は「意味への渇き」(筑摩書房)
と言っています。私はそれは「意味の呪縛」という方が内実に相応しいのではない
かと思っています。

Zasieさん
私のところは地名に「市」がつきますが、まだ「市制」は引かれておりませんので
町役場です。あと4〜5年で、周囲を取り囲んでいる田んぼがほとんどなくなって
しまうかもしれません。農業政策の失敗です。でも今からあれだけの田んぼを
住宅用に売り出しても、買う人がいるんだろうか。この辺は、金沢に近いから
けっこう高いんですよね。

東西共同行動
そういうわけですので、よろしく。


とりあえず 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月24日(日)07時47分40秒

昨晩最後に見てからまたいくつもの書き込みで、驚きました。ホント、自分の興味関心だけではなく、色々目を配らなければならないことがたくさんあります。

>愚っ朕さんへ

「大陀羅弗”痴」の漢字が出ませんか? おかしいな、私のATOKは出してくれるのですが、(って、当たり前か、登録してあるんだから)。冗談はさておき・・・

 〜「人はどうやって自分の生を肯定し引き受けていくことができるのか」〜。確かにこの「自分の生を肯定し引き受けていく」という部分がわたしが言う「自分に納得する」という事にあてはまりそうです。私が最初から公理の如く立てているのは、「人間は自分に納得することを根元的欲求として求めている存在である」ということなわけです。この欲求に対して、様々な応じ方が歴史の中で為されてきたかと思うのです。

 まあ、なにも「人間は」と人類すべてを巻き込まなくても、「私は」でいいんですけど。

 「定」ということがこの「自分に納得する」ということを表すんじゃないかと、ついこの前思いつきました。(「陰陽師」のおかげです)。定は定・散の定ではなく、正定・邪定・不定の定です。人間は定を求めており、色々試みて、自分なりにこれが定だと思うものを手にするわけです。仏教もその営みの例外ではないのですが、親鸞はそこに正定・邪定・不定の区別立てをしたわけですね。そのあたりが化身土巻の本巻の部分なんじゃないでしょうか。

 一方、仏教以外の宗教(外教邪偽)も定を提供するのですが、それがトンデモない定なもんだから親鸞はこてんぱんにやっつけねばおれなかった、それが化身土の末巻の中味じゃないかと踏んでおります。正定という形の定において初めて私達はこの社会、歴史を自身とのつながりの中で捉えられるようになるんじゃないか、とも思います。

 まあ、あらかじめ自分で勝手にレールを敷いて、化身土巻の文言を(あらかじめそこにあったかの如く)途中の駅のように配置しようというイケナイやりかたなんですけど、今まで「必要なお勉強」の域を出なかった化身土巻が少し自分に近付いたかなと、喜んでいるのです。

 勝手に論じていれば、そのうちらくりんさんが「コラコラ」と出てきて下さるだろうと思っておりますので、それもよろしくお願いいたします。

 今日は父の実家のお寺で蓮如さんの五百回御遠忌がつとまります。これからそれに出かけるところです。昨日は本山から御門首が来られて数百名の方に「おかみそり」が行われました。お浄土行きの切符をもらって、「これでもう安心、やれやれ」と思ってるんでしょうねえ。これから、なんだよ〜


東西本願寺非戦平和共同行動 投稿者:まこ  投稿日: 6月24日(日)05時45分31秒

 メールの転載です。よろしくお願いします。

>  前略 
>
> 始めましての方もいらっしゃるかもしれません。
> 突然のメール失礼いたします。
>
> 備後教区の小武正教さんから東西本願寺共同行動について
> メールを頂きました。
>
> もし、お時間の都合のつく方は、コンサートなりとも
> ご参加願えないでしょうか。
>
> 7・8日の東西本願寺共同行動の新井英一コンサート。
> 券が目標(ギリギリライン)600枚の半数しか出ていませんので
> お願いいたします。
>
>
> 東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動
>  2001年7月8日(日)
>   14:00 西本願寺前集合
>   14:30 ミニ集会
>   15:00 平和行進
>   18:00 新井英一コンサート
>       新井英一 「清河への道〜48番コンサート」
>        ・場所 大谷婦人ホール(東本願寺北側)
>        ・時間 開場17:30  開演18:00
>        ・料金  一般 前売り 3000円 当日3500円
>             学生  前売り 2000円 当日2500円
>        
>        問い合わせ 弥光庵tel/fax 075-751-5045
>
> このメール参加お願いできそうな方へ転送していただければ幸いです。
>
>
> 卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍
>  坊さんの小箱   棚原 正智
>  HomePage: http://www3.justnet.ne.jp/~tanahara/
>  E-mail: tanahara@ma3.justnet.ne.jp
> 卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍+卍

転載責任:三浦 真智(私も前売りチケット11枚がさばけないでいます)


なぜ教科書問題に興味がないのか。 投稿者:お留守居役様  投稿日: 6月24日(日)00時47分56秒

1 教科書を読む必要もなければ、読む気もない。
2 教科書で思想を学んだ覚えがない。
  歴史は「暗記物」だった。
但し、数学と物理で科学的思考法を学びました。
3 教科書如きで人格や思想が形成されると考えるのは、
  人間をなめている。
  同じ教科書で教育された同世代に
右から左まで一通り揃っているのが何よりの証拠である。

興味がなければ、黙っていろと言われれば、
沈黙する用意があります。


残念です。 投稿者:Zazie  投稿日: 6月24日(日)00時07分50秒

明日は寺役で大聖寺へ。
そう言えば先日の「六道会」も出席出来ませんでした。はぁーーー。

P.S.らくりんさんとこのお隣、えらい事になってますね。
    市役所ですか。静かなとこなのに。


一日で 投稿者:しん  投稿日: 6月23日(土)20時52分20秒

hたくさんの書き込みがありまして、すごいなと感じています。

大陀羅弗”痴さん
平野先生の言葉は、先生が九州大谷短期大学に在職中に
自らの研究室の前にかかれていた月々の言葉から引用したものですので
文脈というものはありません。
ただ、そこには私自身に響いてくる言葉がちりばめられているので
紹介をしたまでなんです。

愚っ朕さんのご意見ももっともとおもいます。
私は実は学生時代は西部さんの本を読みあさっていたなんて過去がありますので
今回の教科書問題について、今はさもありなんと感じがしております。
西部さんは 北海道の浄土真宗の僧侶の子供として生まれられているのですが
学生時代の左翼運動を経て、現在の保守主義というものにたどり着かれた
ようです。かれが信奉するイギリスのチェスタトンというかたの「正統とは何か」
などもよんだのでいたのですが、保守主義をこえるものに出会うということを
とおして、いまの私があると思います。
国民国家の統合というものが歴史教育のはじまった源泉なのですが、
現在、問題となることはまっとうな歴史認識を生み出す、それは過去に
学ぶと言うことですが、そこにこそ意義があると思います。


雑感 投稿者:らくりん  投稿日: 6月23日(土)17時44分09秒

今週は久しぶりにずっと家で寝た。

今夜はお座。
明日は自坊の「化身土巻の会」講義。先週は浜田に行っていたので
1週間ずれてしまいました。Zasieさんは来れるかな。

来週初めに仙台に行ってきてから、
29日〜7月1日まで自坊の永代祠堂経。

6月の頭ごろには7月は、あまり予定が入っていないからちょっとゆっくり
できるかなあ、なんて思っていたけど、
近ずいてみると、結局なんやかやとうまってしまっています。

7月16日から30日までの広瀬先生の安居、何日かでもいいから聴講に行きたいと
思っていたんですが、行けるかどうやら。


大陀羅弗”痴は 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月23日(土)15時41分27秒

当地の言葉「ダラブチ(=愚か者)」と私の好きな宮崎駿の「もののけ姫」に出てくるデエダラ
ボッチをかけて漢字を当てはめたものです。自分達のサイトを立ち上げるときにあれやこれや考
えてたどり着いたハンドル名で、今は気に入ってるんです。「ダイダラブッチ」と読んで下さい。

で、そのサイトを御紹介下さりありがとうございます。立ち上げたばかりでまだ身内しか住んで
いないのですが、いろんな発想を持った人がガヤガヤと寄り合う場所を願っています。ところど
ころで大阪・池田の小学生殺傷事件のことや、「歴史教科書」について発言している者もいます。
らくりんさんの言われるように、まずはひやかしで石を投げていって下さい。

確かにトップページとセカンドページ(どういうわけかこの2つともインデックスページです)
がjavajavaしてまして、重いんです。でもサイト作成者(私ではない、共同主宰者の1人)がそ
ういうのを大好きなんです。複数の掲示板で作られたサイトなので、一度ホームヘもおっくうが
らずにお立ち寄りいただければ幸いです。私達の放言集のページもありますので。

愚っ朕さんのレスについては今晩ゆっくり考えて明朝書き込みします。


大陀羅弗”痴さんは 投稿者:らくりん  投稿日: 6月23日(土)14時12分34秒

宣伝下手みたいなんで、もう一度私の方から
大陀羅弗”痴さんのホームグランドのBBS直行の裏口URLを紹介します。

表玄関から入ると私の嫌いなJAVA大魔人を呼び出し始めるので、
ちょっと反則ですが、直行が具合がよろしいかと。(どうもスイマセン)

どうもそこの住人たちは、恥ずかしがりやが多いみたいだから、
そっちの方もひやかしに行ってやってみて下さい。

http://www.jcss.net/~gokuraku/yybbs/yybbs.cgi


どうでもいいけど 投稿者:らくりん  投稿日: 6月23日(土)14時00分11秒

「弗”痴」はきっと「ボッチ」じゃねぇーか。
舎利弗”で「シャリボツ」か。


>ダイダラブッチさん 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月23日(土)13時39分19秒

 すいません。漢字が出ません。

 >今の自分がこのような者として在る理由を説明して欲しい
ですよね。渡辺恒夫と言う人が講談社現代新書『輪廻転生を考える』で書いてましたが、
大学生の52%が輪廻転生があると答えているらしい。私のいきつけの飲み屋のママ(という
には若い30のおねーさん)も「アガスティアの葉」がどうしたこうしたとか、「童話占い」
がよく当たるとか「も〜たいがいにしてえなあ」というお話が好き。
 渡辺さんは「死後の問いより、真の自己とは何かという問いの方を優先させるべき」と
いいこといいながら、本の最後の方では「穴だらけ偏在転生観」とかわけのわからん仮説の
オンパレードになっててアイタタたこれもトンデモ本かという感じですが。。。

 で、我が良き友・西研の出番とあいなるわけですが。あらゆる問いに答えがあるわけでは
ない。答えられる問いにうまくかたちを変えてみる必要があるという。
 もし質問者が自分が存在している事そのものに対して端的な理由を求めているとしたら
誰もこの問いには答えを出す事ができない。あえて強行すれば、(渡辺さんのように)
経験の外側に何かを想定して「神様があなたに命を与えた」とか「前世のおこないによって
こうして存在している」とか誰も確かめ様が無いことが同じ権利をもって乱立するだろう。
 ある墓相鑑定家に相談して墓をたてたら悪い事続き。で、別の鑑定家に頼んだらまったく
反対の事をいうのでその通りにしたが、またまた悪い事続き。墓建ててから何千万とお金を
使ったけど、「ご院さんにいわんとってや。カッコ悪いから」というご門徒さんがいてはり
ました。
 もとにもどすと、問いはどういう気持ちから発信されたのかと考える。「自分は生まれる
前にはいなかったらしい。今生きているということはちょっとすごいことだ」というんなら
「そうだね、生きてるって不思議なことだよね。君とぼくがこうして出会ったことも不思議
なご縁だね」といえばいい。これは、存在の不思議さ、新鮮な感受と言う場から発せられた
言葉だ。
 「なぜ自分だけ、こんな不幸続きなのか、まだ生きていかなければならないのか」という
のは存在の不条理さから発せられている。さっき書き込んだ藤倉さんも「なぜ、こんなに
苦しまなければいけないのか」とハンセン病に苦しまれた。それは、病気の苦しみというより
人々の関係がまた苦しみをいっそうひどいものにしたのだけれど。
 人間はかなり辛い状況でも、それに耐えうる理由がはっきりすればがんばれる。藤倉さんは
幸いカトリックの信仰をもたれ「みんなが私を必要としていなくても、イエズスさまは必要と
してくれる。シスターたちもよく世話してくれる」という気持ちになったそうだが。
 だからこの問いは「人はどうやって自分の生を肯定し引き受けていけることができるのか」
いう問いに変換していくものなのだと西研はいう。まあ、一気に結論ださずここで、ひとまず
終わり。


フライデー 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月23日(土)13時08分44秒

 に元ハンセン病患者で原告にならなかった方のお話がのっている。静岡の御殿場にある
カトリックの療養施設、神山復生病院におられる方、藤倉さんだったかな。長島で実際に
私も見たんですが、納骨堂はふるさとに帰れないお骨がさみしそうだったけど、ここでは
カトリックの信者さんだから、職員さんと入院されている方が「くえいっしょ」に葬られて
いる。まさに「魂の家族」といえる。うらやましい。


おっとっとっと夏だぜ 投稿者:愚っ朕  投稿日: 6月23日(土)12時51分05秒

 >しんさん

 いやあ、よその国の教科書は読んだ方がいいと思うな。80年代に私は、一光社(文京区
本郷1−3−18)から出ていた「教科書の中の日本人」というシリーズを買いました。
中国・韓国・外国(シンガポール)の三冊です。最新号の「文芸春秋」で民主党の小泉俊明
というひとが「歴史教科書を読み比べた」というものを書いていて、マレーシアやシンガポール
の教科書は小林よしのりなどが言うように「東南アジアの国々に日本占領が独立の気運を高めた」
などという記述があるとしてます。
 しかし、私の資料には日本を良く書いてない。まあ、マレーシアはマハティールが親日家だから
そういう教育に変わって来てるのかもしれないが。

 ああ、公民の教科書も読みましたよ。ここは、西部さんが書いてるなとか、佐伯さんが書いて
るなと思いながら読んだ。えーと、私は中学を不登校で過ごし大検をとったので、公教育としての歴史は学んでいないんですよ。少女マンガと時代小説が私の先生。実際のところ、学校で勉強して
どの程度、みなさんに「民主的」な感性が涵養されたのかな?
 私は、坂本多加雄がいうように「外交」と「歴史研究」と「歴史教育」はいちおう別ものとして
考えるべきだと思う。
 なお誤解なきように言い添えますが、私は「つくる会」の擁護をしてるんじゃありませんよ。
反対する人はヒステリックになりすぎ。では、自分達の戦略は?とお聞きしたい。検定制の中で
「公民」や「歴史」を教えるなら、例えば阿部謹也がいうように通史という形でなく、テーマ史
にするとかね。EU加盟国で、「ヨーロッパの歴史」という本ができましたが(東京書籍)、
国民国家の神話づくりはもう古い。地域(アメリカ、アフリカ、イスラム圏、東南アジア、等等)
における個人と社会をめぐる歴史・公民教科書とかね。外国旅行がこれだけ盛んなのに、全然
世界のことなんか分からんからね。しんさんのいうような「国民国家の統合を
前提としている」というのはちょっと事実とは違うあなたの思い込みだなあ。

 


マンガの「陰陽師」は 投稿者:大陀羅弗”痴  投稿日: 6月23日(土)10時02分20秒

全部で12巻刊行予定です。それは本来式神とよばれる十二神将になぞらえてのことのようです。
現在9巻まで出ています。はまっているので集めてしまいました。ただし、陰陽道に毒されている
んじゃありません。

>だからといって
 ハイ。簡単に敵味方、白黒をつけようとするところが納得を焦るしるし、ですね。


以上は、新着順121番目から150番目までの記事です。これ以下の記事はありません。

lycos homepage
ウェブを検索:

[ TeaCup Free BBS ] [ Level1 BBS ] [ BBS Ranking ] [ 24h Chat! ] [ 前ページへ ]


パスワード


管理者:fujiba@yu.incl.ne.jp

TeaCup AUTO BBS Level 1