〈 落 鱗 板 々 〉
美しいものってなんだろう。
いろんな作品を見てもなかなかピンとくるものがありません。
作者は自分の思いを形にすると思うのですが。
大きなものを見ると違和感を感じるときがあります。
それは、形や力や存在を誇示しているように感じるのです。
人はバベルの塔を指向しやすいと思うのですが、
形が大きくても小さいものや、小さくても大きいと感じるものがあります。
大きいっていうのは見ための大きさではいちがいに考えられないんですね。
>ぐっちんさん
東京坊主バーは、営業しているんですか?
坊主学生時代、先生たちからよく
「間に合わない」という言葉を聞いた。
他者からの問いかけ、現実からの問いかけに
自分の答え(常識、信念、既成概念、理論等々)が
間に合わない。
にもかかわらず、坊さんの説教を聴いてると、
いつも正統的な教学体系で、「間に合わせている」
ような整ったお話が多い。
台本どおりのセリフじゃなくて
出たとこ勝負のアドリブないんですか?
とつい思ってしまう。
東京四谷ボーズバー裏の肉屋さんの地上
ビヤガーデンでやってた芝居を見にいきました。
四谷怪談異聞という演題で、四谷怪談なのに
陰陽師の話が混ざってた。やっぱりブームだなあ。
まこさんは元高校社会科教員であられたそうなので
ぐっちんの書く社会ネタに関して?と思われないのかな。
あと法務以外の仕事をしておられる方は、坊さんの
書くことに「世間はそんなに甘くねーよ」と思われない
のかな。
『カルト資本主義』という文春文庫を読んだ。京セラの
稲盛さんやソニーの井深さんらが出てくる。オカルトというか
ニューエイジというか精神世界を経営および事業に活かそうと
する人々のお話。
国立大学や国の機関にも、この手のオカルトビジネスは食い
込んでいるようです。オウムを用意した土壌がちゃんとある。
著者の斎藤さんによると、この手の教えの特徴は@人は生きて
いるのではなく生かされているA人生で不必要な出来事はない
B思ったことは現実になるCこの世の終わりがくる という。
BやCは真宗の教えじゃないけど、@やAなどを説く法話も
ある。やっぱり、カルトってこういう船井幸雄系の経営コンサル
タントを通じて、あるいは自己啓発セミナーを通じて、会社員の
人々の心の隙間に忍び寄っているのですねえ。ニッチ産業。
この手の教えは、社会や家庭でほんとうに苦しみ、その問題と
格闘している専門家(ソーシャル・ワーカー、看護婦、保健婦、
児童相談員、弁護士、カウンセラー、介護職員、精神科医、教師、
等々)の現場なんかとまったくクロスすることがないという事が
問題ですねー。
でも真宗も「自分が救われたことのよろこび。それについての
ご法義談義。あるいは宗門内だけで通じる知的パズルの解明だけ」に
終始しているなら、目くそ鼻くそを笑うって感じがします。
なんかぐっちんは、社会派に逆戻りして来た。。。
ありがとうございました。私も共同運営しているサイトの同人のHNは登録したのですが、
そいつら勝手に自分でニックネームをいろいろ変えやがるもんで、なんだったかなあと思
っております。でもまあ、あくまで本名は大陀羅弗”痴、ダラブチはニックネームです。
昨日今日と、六○会の顔ぶれで、行く夏を惜しんで子供達と山の方へ行って一泊で遊んで
きました。子供の数より大人の数の方がよっぽど多かったですけど。そしてOさんの指導
のもとで「光る泥ダンゴ」作りを体験しました。泥いじりって、どうしてあんなに楽しい
んでしょうか。来年のウチのお泊まり会は、あれだな。
昨夜は早々と眠ってしまった私ですが、ふと右足太股を何かがはいずり回る気配で目が覚
めて起きてみると、5センチくらいのゲジゲジ虫がしがみついていました。やっぱ、山だ。
▼Zazieさん、2ヶ月間の長丁場ご苦労様でした。
今年は一度も行け(「き」かな)ませんでした。
うちは筒抜けというほど、なんでもかんでも話すわけではないのですが、
今度の場合は、遠回しに知らせたいのかな、と彼女は判断したみたいですよ。
絶対に無断で他人のメールをのぞいたりはしません。
▼HNは、私も最初「落鱗」でしたが、何度か「なんて読むの」と尋ねられて
平仮名にしました。こちらの方が柔らかいですし。三吉さんのところで
紹介されていた、「HN占い」では、「落鱗」は凶、「らくりん」は末吉でした。
ちなみに私は登場したときすぐに「だらぶち→大陀羅弗”痴」と辞書に登録しました。
かえってきました。じっくりと、ぐだぐだしゃべった、有意義な3日間でした。
こういう贅沢な時間の使い方ができる場が本当に少なくなりました。
みんな、ありがとうございました。
最近一瞬、姿を見せられたまこさん。お元気でしょうか。
で、しんさんもお見えでないですね。ぐっちんがここで
大きな顔してるからですかー。私はホントお二人に刺激を受けて
感謝しているんですが、教科書問題。
電字中毒者ぐっちんは、最近TVで放送大学に凝って
いるのだー。大学経営も最近は色々むずかしいでしょうが
古臭い授業が多くて退屈。その点この放送大学はなかなか
活きのいい授業をやってます。
例えばこないだマレーシアとインドネシアの教育事情をやってました。
イスラム圏であるこれらの国では、宗教教育が国家の手で行われます。
クラスに五人以上いたらイスラムの授業をやるというのがマレーシアの
法律だそうな。
あと図書館で借りてきたのが『革命イランの教科書メディア―イスラ
ームとナショナリズムの相剋 』桜井啓子・岩波書店。
タイトルからしてそそりません?イランのもともとの言語はペルシャ語で
ペルシャ民族の文化と(むかーしはゾロアスター教とか)いわば外来
新興宗教のイスラムとの相克があるのですね。
民族問題と宗教がからむと紛争というのがおきまりのパターン
ですが。あと、アフリカも面白い。アフリカというと「野生の王国」
か、紛争・援助・飢餓・虐殺等々あまりイメージがよくありません。
でもアフリカって無頭制という王制でも君主制でもない、絶対者
のいない不思議な社会のようだったんですね、人類学的には。政治的
には誰、宗教的には誰と責任者が並存していたようなのですね。
いわば、分権主義。
で、何かと部族対立しているようですが、部族と言ういい方も
注意。何か、民族=文明で、部族=未開みたいなイメージがある
ようですが、さっきの無頭制のようにヨーロッパ近代とは別の
ユニークな文化があるんですよね、アフリカには。
例えばルワンダの問題。民族はとても混じりやすくファジーな
者らしい。ツチ族とフツ族というこの二つの民族は、同じ村に
共存していることは珍しくなかったのですが、植民地支配を推し
進めようとする欧米諸国が彼らを支配しやすいようにするために、
彼らにIDカードを持たせて差別化し、また政府の重要なポスト
にはツチ族のみをつけ、教育もツチ族のものにだけ行なうなどして、
部族間の対立をあおったという歴史があるわけです。
国家が人工的に作り出す民族的対立。国家が人工的に
作り出した宗教、ヤスクニを思い出します。もちろん、
日本の中の民族問題も、真宗がもっともっと意識しなければ
ならない問題だと思います。
ルワンダにいたフツ族とツチ族はすでに混ざり合っていて、同じ村にこの2つの民族が共存していることは珍しくなかったのですが、植民地支配を推し進めようとする欧米諸国が彼らを支配しやすいようにするために、彼らにIDカードを持たせて差別化し、また政府の重要なポストにはツチ族のみをつけ、教育もツチ族のものにだけ行なうなどして、部族間の対立をあおったのです
>ぐっちんさん。
>>おやまネットの更新をたのしみにしています。
>からJun。さん=Zazieさんの情報を集めようと
>「おやまネット」見ましたが、なんだか成果ありませんでした。
許して下さい。私、「おやまネット」の買い物係です。「クロスケーブル買って来い」とか、
そういう下っ端の仕事をしてるだけなので見逃して下さい。
>ダラブチさん。
うっ、優しい事言いながら
>おやまネットの更新をたのしみにしています。
とかチクッて言うし(笑)。
>らくりんさん。
>本人に直接当たるとか言いながら、別方向から変化球で伝わってきましたね。
あぁ、夫婦に秘密無し...「仲良きことは善き事...」って、信じてたのに
ー。酷いよ、Y子さん(笑)。周りの人には誰にも言えないから、ついこぼして
しまった。
今日直接彼女に会いましたが、何も言えませんでした。つくづく良いカッコしぃ
の私です(内輪ネタ、って名前出してないから、誰か分らないはず。でも、バレ
バレか...)。でも、やっぱ、辛いよ。
狂信さん8月25日分の
>キリスト教の洗礼って、真宗の帰敬式・得度と同じ内容なの?
で、カトリック、プロテスタント、東方正教会について
それぞれ原罪の考え方の違いを書いたのだけれど。
東方正教会は、イイスス・ハリストス(イエス・キリストの
ロシア語読みらしい)の復活によって人類の罪は克服されたと
考えるから、洗礼やら集会は報恩謝徳に近い感じになるみたいです。
(というか十劫安心っぽい。というと失礼にあたるか。)
でカトリックは、一回の洗礼では一回の罪しか滅罪できない
から次々とミサに出席してイエズスの肉と血の象徴である、
パンとぶどう酒を飲み続けなければいけないみたいな風になっている。
(これもカトリックからいわせれば、イエズスさまに日曜ごとに
再開しにいくのだと反論されそうですが)
これはなんだか、多念義に近い考えのような気が。。。
とまあ、ぐっちんのプロテスタントびいきによる解釈でした。
>(ダラブチさんは狂信さん=旧Vitaさんのリクエストでしたか?)
それがいちばん大きな理由ですね。それに「大陀羅弗”痴」では、なかなか呼び掛けてもらえ
そうになかったですから。誰もが固有名詞でATOKに登録してくれるとも限りませんしね。
>なんだか成果ありませんでした。
ふむう、なんで私はZazieさんがおやまねっとに関わっていることを知っていたのかなあ。
以前スタッフ紹介があったように思うのですが・・・なくなってますね。
おやまねっとを気にしてる場合じゃなくて、自分とこもそろそろ原稿作らなくっちゃ。
郡中舎へのカキコで精力使い果たしてる場合じゃないな。
>ダラブチさん
毎度お世話になっております。私も漢字を使うのがおっくうに
なってきました。(ダラブチさんは狂信さん=旧Vitaさんの
リクエストでしたか?)
ダラブチさんの
>おやまネットの更新をたのしみにしています。
からJun。さん=Zazieさんの情報を集めようと
「おやまネット」見ましたが、なんだか成果ありませんでした。
◎勝手に続くインド話
しかし、宗教の国といったって施すほうはすでに当然という
意識はなくなってる。デリーから空港行きのバスに乗ったら
ムスリムの商人ばかりずらり乗ってた。
そこへ、お世辞にも身なりのあまりきれいではない少女が
乗り込んできて、いきなり歌を歌いだした。しかし、誰も関心を
向けないので少女は眉間にシワを寄せてプイっと出て行ってしまった。
サドゥーの方はちゃんとバックにヒンドゥーのパトロンさんがいる
ようだけど、こういう歌うたいの少女たちや靴磨きの少年たちは身を
張って生きている。インドって大変なんです。
食品リサイクル法なるものが出来て、コンビニ弁当の残りの処理は
サンクスは堆肥に、ファミマは伊藤忠と組んで化学処理するときに
出る熱電気に変えるとか。結構なことだが、ホームレスのおっちゃんの
貴重な食料源であるのに。なんだか、よう分からん国である。
▼そんなこともありますわな、Jun(Zazie)さん、ダラブチさん。
自分が思っているほど、他人は自分のことを見てくれているわけじゃない。
自分が思ってもみないところで、他人は自分のことを見ている(おぉ〜こわっ)
――去年、久留米市の商店街を歩いていて「らくりん先生」とか呼びかけられ
た時にはほんとにビックリしました。見覚えは全然なかったのですが、
教務所での話を聞いて下さった方でした。
……ヒゲやめようかな。目立ちすぎる。
▼最近は、ホントあちこち掲示板が元気でおもしろい、見るだけでもそうと
ー時間を食ってしまう、ちょっと控えめにしよう。
ダラブチさんなんかも、けっこうあっちこっちでご活躍で
▼Junさん、本人に直接当たるとか言いながら、
別方向から変化球で伝わってきましたね。
――内輪ネタで御免
▼しばらくでかけますので、鬼の居ぬ間のなんとかで、ご自由にどうぞ。
鬼が居ても邪が居ても、自由にやってるか
からかったなんてとんでもない。私はあなたが「ダラブチ」のオフ面(づら)をご存じとばかり
思っていたから、そういったモードでお話ししていたのです。知らなかったとは知らなかった。
う〜ん、ダラブチはZazieさんが誰なのかこの掲示板だけで分かったけれど、Zazieさんにはダラ
ブチが誰かは見えなかったということですね。まあ、らくりんさんの双方に対するレスを見ると、
たしかにZazieさんに対する方が正体が分かりやすいですね(あくまで、ダラブチには)。
でもまあ、イジメラレタと感じておられたら、御免なさい。おやまネットの更新をたのしみに
しています。
Junさん、お留守居役様さん、それになんとMANUさんまでお出まし
いただいて、いろいろと教えていただきましてありがとうございます。
私は、ハードが新しくなっても、実用するOSやソフトは一回りか二まわり
古めにしておく傾向があります。)
理由は、
使い慣れたものの方が、自由に使えてストレスが少ない
ハードへの負担が軽くてサクサク動く
(最新のマシンに最新のOSやアプリケーションでは負担が重い)
結局、パソコンって「何ができるか」よりも
「何がやりたいか」「何をやる必要があるか」ということではないかと思います。
私は、現在身辺に3台置いていますが、メイン機は5年前に処分品で買った98機
(Pen75)をパワーアップして、Windows95aで、主にDOSソフト(ワープロと
データべース)を使っています。Windowsのソフトもたくさん入っていますが、
実用上はあまり使いません。
もう1台は、件のAptiva(AMD400)で、Windows98SEが入っていて、
インターネット専用、HPはこちらで作りました。HP転送してしまえば
バックアップは要らないかなと思って。ただ、狂信さんがHPビルダーがメモリを
食うとおっしゃってたので先日メモリを増やしました。
もう1台は、98NX(?200)ノートです。これはWindows95cが付属していますが、
Windowsを動かすにはちょっと力不足かな(ネットスケープが立ち上がるのがメチャ
遅い)固まってしまうので何度も起動させてしまう。
本来は常時携帯して、端末や、ノート代わり書庫代わりに使おうと思ったのですが、
結局、習慣にはなりませんでした。旅先に持ち歩くには、やっぱりちょっと重たい。
(常に、聖典、ノート、間衣がありますのでそれにPCをプラスするのはけっこう
しんどい)
それで、トロちゃんやリナちゃんを入れたりして、おもちゃ代わりに使っています。
ファイルをそのままCD−Rに焼くとリードオンリーになります。
圧縮ファイルにすると、その圧縮ファイル自体はリードオンリーになりますが、
解凍されたものは属性も含めて元に戻りますので、問題ありません。
CD−Rのファイルを、読み書きOKにするには、一つのフォルダに必要な物
を全部コピーして、フォルダの中身を全部選択した上で右クリックのプロパティ
から「読取専用」のチェックを外すと一気に属性が変えられます。
しかし、これからはバッチファイルは使えなくなってきますね・・・
>最近ちょっと話題になっていますが、閲覧するとPC本体まで破壊してしまうと
>いうHPがあるそうですね。
いわゆるブラクラ(ブラウザクラッシャー)ですか。2ちゃんとかで怪しげなリンクに直接飛んだりすると張ってあったりしますね。いきなりメールソフトが起動して勝手にメールを送るもの(消しても消しても立ちあがります)や、ウィンドーが次々に立ちあがってハングアップするものに遭遇しました。実際OSをぶっ壊したりするようなブラクラもあるようです。怪しげな直リンには安易につながないのが吉ですね。
>愚っ朕さん
Jun。とZazieは同一人物です。ややこしくてすみません。今後ともよろしくお願いいたしします。以後Zazieで統一します。
パソコン起動時に負荷になるのでハズしてしまいました。
先日、平野先生の七回忌法要の懇親会でダラブチ(あっ、かたかなになってる)さんに、いじめられました(笑)。もう一方的にダラブチさんはこっちの正体を知ってて、からかうんだもん。
>らくりんさん。
ICQはイスラエル(だったと思います)製のリアルタイムチャットプログラムです。フリーウェアで、日本語化パッチもあります。チャット中に裏で内緒の話をしたり、ネットゲームで通信する時などに非常に便利です。最近はあまり使っていませんが、ユーザーは多いのではないでしょうか?
インドに旅した思い出です。
ミゼットみたいなオートリキシャーという
タクシーに乗ってて交通渋滞にあいました。
と、いきなりバケツを引っ掛けた腕が目の前に
突き出されびっくりしたことがあります。
ハンセン病にかかった弟を抱いた少女が
道の真中であちこちの車に喜捨(バクシーシ)を
求めているのです。
またサールナートの日本寺が落慶法要(?)を
やってて便乗してごちそうにありつこうとした時、
門前にスケートボードに乗った下半身の無い少年が
屈託無く笑いながら同じように喜捨を求めていました。
インドはこれだから前近代社会といわれるのか。
それともノーマライゼーションという言葉が必要ない
宗教社会なのか。
インドには貧しいものは金持ちから施してもらって
当然というような意識がまだまだ残ってます。
神は金持ちに富を預けているだけだと。
インドのサドゥー(行者)は、けったいなガマン
大会(爪を伸ばし続けるとか何年も立ったままとか)
をやってる乞食(こつじき)だなあという印象を受けましたが、
日本では乞食(こじき)でありホームレスであって
決して彼らは宗教的な意味は纏ってはいません。
これは喜ぶべきことなのか嘆くべきことなのか。
「痛みのともなった改革」と純ちゃんはいい続けて
失業者が増えることは確実です。で、政府は盛んに
セーフティーネットとかいってますけど。
自己責任という言葉もしょっちゅう飛び交います。
やる気のある人、がんばった人が報われる社会という
ことで規制緩和が行われ、構造改革が行われ、福祉予算が
削られていきます。
アメリカには大量のホームレスがいます。しかし、
同時にアメリカにはキリスト教精神に基づいたボランティア
団体がたくさんあります。(知人もやってました)
けど日本の、例えば神道精神に基づいたボランティア団体
なんてあるのだろうか?
経済活動の領域を見てみると@市場経済(プライ
ヴェート)の他に政府が関与する分野であるA公共
経済(パブリック)があります。
で、脱税・ピンハネなどの非合法分野、シャドウ
ワークといわれた家事などの自助分野、冠婚葬祭
や清掃などの近隣扶助分野などのB非公式経済(
コモンズ)があります。宗教とはこの非公式の
経済の中心にありました。
市場を至上の価値として進む一本化した社会は、
なんだか薄ら寒い。
その世界ってなんだろう。
快感、扇動、慰め、やすらぎを与え、現状を満足させてくれる。
自己への問いをオブラートで包み、自身を眠らせているなら「魔」ではないか。
詩のメッセージや、音楽が癒してくれたり、生きる希望を与えてくれることを
否定するものではありません。
バックアップは別のHDやMOでしてます。
PCネタはもっと詳しい方や専門家がいますので、
らくりんさんに掲示板でも期待するのは、教えなのでしょうねえ。
そうするとらくりんさんは、やすまる暇がないか。
皆さんありがとうございます。
私も清沢満之』吉田久一/吉川弘文館は、やっと読み終えました。
今村さんの現代語訳は買っては見たものの、読みあぐねてます。
ご紹介頂いた本を頑張って?ぼちぼち?読もうと思います。
『清沢満之』吉田久一/吉川弘文館は、ちゃんと読みました。分かり易い内容でした。
今村さんの現代語訳(?)も読み始めましたが、とん挫w
「日本の古本屋」を紹介していただき、ありがとうございました。
手に入れたいのが2冊あって、それぞれ札幌と神奈川のお店に注文できました。便利っす。
北陸聞法道場は30日・31日と参加の予定。ヨロシクですー。
メールを頂戴し、
最近PCネタばかりとおしかり(でもないか?)、苦情(でもないか?)
ご指摘(ぐらいにしておくか)をいただき、
そう言えばそうだなぁ〜。
と言われても、
反省するわけでもなく、
性懲りもなく続けるわけでもなく、
その時の風向き次第でどうなることやら……
あちこちで、いろんな掲示板が賑やかですから、
てきとーに楽しみましょう。
CDーRWの読み書きできる焼き方だと属性がリードオンリーになることはない
みたいですが、
旧98機のCDーROMドライブだと読み取れませんので、シンプルなCD−Rで
焼いています。
そうすると、私の機械ではCDーRだとリードオンリーになってしまいます。
私は、CDーRだと、後から書き換えすることができないわけですから
読み取り専用になるのは何か当然のような気がして、「なるほどね」と妙に
納得しておりました。
何か設定が違うんかな。
WINDOWS95のバックアップツールは、昔試したことがありますが、
バックアップ先として「テープドライブ」などという大時代の陳腐なメディアが
要求されたので、そのままほっておきました。
当時は、MOなどは存在しなかったか超高価だったかで、
選択肢としては考えつきもしませんでした。
ちょっと待てよ
今、WINDOWS95でMOにバックアップツールを試してみました。
うまくいきましたが、作られたファイルは簡単に読み書きできないんですね。
単純コピーの場合はシステム全体のバックアップというわけにはいきませんが、
そのままのファイルでコピーされているので、いつでも必要なものだけを
取り出して使えます。
あっ、そうか
CD−Rに焼きつけたのも、バックアップツールで作られたファイルではなくて
単純な生のデータだったので、読み取り専用のファイル属性になったのかもしれません。
システムはなんとか再構築できます。大事なのはなんといっても自前のデータ。
バッチファイル処理にショートカットを付けておく、か。やってみよ。
その前に各アプリケーションのデータ群を一つのファイルフォルダにまとめるという作業も
やっておいた方がいいですね。
私はウィンドウズ98に付いている「マイクロソフト・バックアップ」というシステムツー
ルで2台目の内蔵HDDにバックアップファイルを作っているのですが、これをCD−Rに
焼き付けています。いまCD−RからHDDに書き戻してみましたが、属性が読みとり専用
に変えられてはいませんでした。ラッキー!と言うべきでしょうか。
まあ、仰るとおり、HDDをクラッシュさせたことはあってもデータを失ったことはありま
せん。私はきっと、パソコンの神さまに守られているのです。ワハハハハ・・・
>難点はファイルモードがすべて「リードオンリー」になってしまうので、
>いざ書き戻した時に、読み書きできるようにするには
[読み書きできるようにするには]→[書き込みできるようにするには]
/m オプションスイッチ
は、変更があったファイルだけしかコピーしませんんので、
一番最初の時だけは、エクスプローラーで、ドラッグ&ドロップですべて
コピーしておきます。2回目以降は、更新ファイルだけの選択コピーで。
それから、コピー先(バックアップ先)は、同一HD内でも構いませんが、
HDがハード的にクラッシュした時には、バックアップの意味がなくなるので、
できれば内蔵2台目HDとか外付けHDとかMOとか別メディアの方がいい。
xcopyコマンドはMOへはOKですが、
言うまでもなくCDーRにはだめです。
▼たぶんBIOSを壊すんだろうと思います。
▼CDーRはたしかに耐久性が高いメディアで、私もそれで保存してある
データはあります。
難点はファイルモードがすべて「リードオンリー」になってしまうので、
いざ書き戻した時に、読み書きできるようにするには一々ファイルのプロパティを
開いてモードの設定を変更してやらないといけないことです。一度、BTronで
遊んでいた時に、CDーRでバックアップしてあるから大丈夫と
ノートPCのHDの初期化をしてしまって、元の状態に戻すのにえらい目に
あいました。
ダラブチさんは、バックアップが役に立つという「不幸」にでくわしたことが
ないのかも知れませんが、バックアップのメディアは用途に応じて使い分ける
必要があります。
これまでそういう目にあわなかったとすればそれはそれで、ラッキーなことです。
▼変更したファイルだけを自動的にバックアップするには
「バッチファイル」処理をします。
やり方を説明すると、テキストスタイルで例えば[bak.bat]という新規ファイルを
用意して、(半角8文字以内で、拡張子が[bat]であればファイル名は何でもいい)
[.bat]という拡張子は単なるテキストファイルを実行ファイルに変身させる
すぐれ物です。
そのファイルに以下のコマンドラインを記入します。
xcopy c:\aaa\*.* d:\ddd\ /e/m/s
exit
このバッチファイルを、
C:¥WINDOWS のフォルダに移動してやります。
それで[スタート]→[プログラム]→[MSーDOSプロンプト]を起動して
[bak]と入力して、エンタキーを押してやると上のコマンドラインが実行されます。
ちなみに、私はこの[bak.bat]にショートカットキーを設定して、
デスクトップからマウスクリックで実行させています。
各コマンドの意味は
・xcopy オプション指定をして複数のファイルをコピーするコマンドです。
・c:\aaa\ バックアップの対象となるフォルダの指定です。
(私は自分で作ったデータはすべてこのフォルダ内に格納するよう
にしています。aaaにしてあるのは、フォルダ一覧で先頭にくるから)
データフォルダがあちこちに分散している場合は、\aaa\の部分だけを
当該フォルダ名に書き換えて、行を改めて同じことを書けばいくらでも
指定できます。
・*.* 指定フォルダ内のすべてのファイルという意味
・d:\ddd\ コピー先のフォルダの指定(使用状況に応じて適宜)
・/e/m/s オプションスイッチ
/e コピー先にフォルダが無ければフォルダの自動作成
/s 下層のサブフォルダの中味もすべてコピーする
/m アーカイブチェック(新旧比較して変更ファイルのみをコピー)
・exit バッチ処理を終了してDOS窓を閉じる
ただし、これは98機のMSーDOSでやっている操作で、
DOS/V機では使ったことがありません。(たぶん大丈夫でしょう)
(インターネット専用でバックアップをとっていないので)
もう一つただし、MSーDOSのコマンド機能が用意されているのは
WINDOWS98まででだそうで、
Meでは切り捨てられたとか言われていますので、
こうしたバッチファイルが動くかどうか保証の限りではありません。
すべて自己責任で試みて下さい。
ハードまで破壊するのですか? BIOSに入り込んで電圧設定をぶちこわしてしまうとかする
のでしょうか。
ダラブチは誰かが「HDDクラッシュした〜」とかいう話を聞いたときに、思い出したようにバ
ックアップソフトを起動して全データを非圧縮バックアップし、それをCD−Rに焼き付けてい
ます。CD−Rの耐久性とかはあまり気にしてません。次のバックアップまでに消えてしまうほ
ど記録の消失が早いメディアでもないと思ってますので。でもさすがに、内容更新毎のバックア
ップまでは取りません。ウィンドウズでそういう自動設定はできるのでしょうか?
最近ちょっと話題になっていますが、閲覧するとPC本体まで破壊してしまうと
いうHPがあるそうですね。
知り合いがその被害にあったという話を、この5月に聞きました。
アフリカの環境問題のHPを見ていたら、突然画面が端の方から崩れ落ち
本体ハードまでだめになったそうです。
PCに詳しい人ではないので、メーカーサポートに持ち込んだのですが、
まったくダメだと言われ、買い換えたそうです。
こわいですね〜。
私は、この話を聞いてから、インターネット用と「お仕事・お勉強」用を
使い分けるようにしました。ここで、件のおまけAptivaが役に立ってます。
「お仕事・お勉強」用には、PC使い始めてから十数年来の蓄積がすべて
入っていますので、これがパーになったら泣くにも泣けない。
絶対にこれだけは守るぞ。
バックアップも別HD(内容更新毎)とMO(数ヵ月ごと)と二重にしています。
Lanを組んだのも、この二台の間のデータのやりとりを簡単にできるように
するという目的もありました。
みなさんは、大切なデータ防衛にどのような対策をとっていますか。
歌う時と歌わない時とあります。
近ごろは、
根が、恥ずかしがりやなもんですから、
だいぷんアルコールがまわってからでないとマイクを持ちません。
やっぱ、歌詞を見なくても歌えるような、学生時代の頃までの歌がいいですね。
よろずお尋ねコーナーになっちゃってますね。
えー、絶版など入手困難なよろず探求本については、下記「日本の古本屋」さんで
探してみたらどうです、お尋ねの赤坂さんの本はありました。私はときどき
このシステム
を使います。
次、清沢満之については、私はちょっと不幸な出会い方をしたので、どうしてもあまり
関心が向いて行きません。
書棚にある本で、比較的コンパクトなのを並べておきますので、
適当にみつくろってください。読んでいないのでどれも中味はわかりません。
『清沢満之の哲学と信仰』生誕百年記念/福田正治編/黎明書房・S38年
『清沢満之』吉田久一/吉川弘文館 人物草書
『評伝 清沢満之』脇本平也(つねや)/法蔵館
『検証 清沢満之批判』久木幸男/法蔵館
『信念の人 清沢満之』山崎正広(清沢満之に学ぶ会)/H6年再発行
最近歌わなくなった。
最後にカラオケで歌ったのは3年5ヶ月前だ。
私は歌っているときもほとんど考えない。
音程を外さないように、情感を込めて歌い、歌詞の世界の中で恍惚間に浸っている。
失恋した悲しさ、失恋する前の夢みたいな世界、希望がほしい、勇気がほしい、
喜びをあげたい・・・・。
現実を忘れ、ひとときの快楽の世界に浸っている。
しかし
(つづく)
ネットで絶版本、手に入れる方法ないかな。
象徴天皇という物語(ちくまライブラリ− )
赤坂憲雄 /筑摩書房 1990/09出版 226p 19cmX14cm NDC:312.1 \1,097
> 入門書として良い本がありましたらお教えください。
亀井ひろし『父と娘の清沢満之』大法輪閣がお薦めです。
のことは、全然知りませんけど、
中央公論の日本の名著は、古本で500円くらいです。
見つかると良いですね。
買った買った(笑)につられてお尋ねします。
来年が100回忌ということもあって、清沢満之について勉強しようと思ってます。
入門書として良い本がありましたらお教えください。
渋谷の東急デパートの古本市に行って来ました。
6冊買っても3,500円になりませんでした。
圧倒的な安さでした。
デパートの古本市は、欠かさず行くようにしています。
神保町より安いのと、本を眺めているだけで、
至福の時を過ごせるからです。
神保町の老舗の古本屋は値段が高いので、
むしろ、新刊を三省堂や書泉、東京堂で探して買うことが多くなりました。
JRお茶の水駅と小川町の間に地下鉄の新御茶ノ水駅ができましたし、
神保町駅には、地下鉄が3路線通っています。
ニコライ堂の前には、中央大学駿河台記念館が建ちましたし、
反対側の明治大学は、建て替えて10階建て以上のビルになりました。
本とスキーの街でしたが、スポーツ全般に拡張されつつあります。
夏は、サーフィンとダイビング用品が目に付きます。
1ヶ月ほど前に久しぶりにある本を取り出して読み始めた。
今ならもしかしたら少しは歯が立つかもしれないと思いつつ、
全部で109頁の小冊子。今まで何度かトライして、いつも最後まで読み進め
ずに途中で投げ出してきた。
読んでいるうちに、やがて目が字を追っているだけになっていることに気づいて
しまうんです。
いつかこの本が読めるようになりたいと思いつつ。
今回も、74頁目に挟まれたしおりがなかなか進んで行かない。
やっぱり挫折かな。
その本の名は『如来表現の範疇としての三心観』曽我量深
曽我量深が、異安心として僧籍を剥奪されるきっかけとなった本です。
排斥した人たちは、この本を読んで理解した上で処罰したのだろうか。
とてもそうは思えない。
この本を読める日はいつのことか。浄土で直説をうけたまわらないとダメかな。
人間は、自分に理解できるようにしか理解しない。
自分に理解できるように理解したら、そういう結論になった。
そう考えたら、得心がいった、腑にストンと落ちた。
そして、
それが有り難かった。
四半世紀も前、未来に何の希望もない生活の中で夢中でかじりついた
仏教書はとても歯が立ちませんでした。
お釈迦様が最初に師事したというアーラーラ・カーラーマは無所有処と
いう「なにもないという境地」を説き、次に師事したウッダカ・ラーマ
プッタは悲想非非想処という「表象する意識作用があるのでもなく、ない
のでもない境地」を説いたと書かれていたのですが。
空、縁起やらというお釈迦さまのさとりの内容も「いったいこんなことが
わかったとして、果たして今のオレに何か関係があるのだろうか」と思って
ました。仏教よりは、イスラムやユダヤの教え、偶像という「わけのわから
ないものを、ありがたがって拝むな」やキリスト教の「あなたの罪を代わって
神のひとり子イエスは十字架について下さった」の方がまだピンと来ました。
らくりんさんの本によると、なむあみだぶつというただひとつの例外を
採用することによって偶像崇拝に陥ることを防ぎ、如性や空性を救った
あるいは、ただひとつのものを選び取るということによって、かえって
すべてのものを捨ておかないということを実現するのだといわれます。
ことばやかたちにあらわせないもの、そうすればくずれてしまうものが、
泣く泣くかたちをとって顕われている。この背理とは、この世が矛盾し
その矛盾の中で苦しむものを捨てて置けない精神が表現されたものなのだ
といわれる。(取意)
とても力づけられました。皆さんはとっくにお読みになられたんでしょうね。
あれは、ニコライ堂。
ネット検索したら、ロシア正教じゃなくて、日本ハリストス正教会だそうだ。
中味までは読まなかった。
私の最初の勤務は三和銀行/神田支店(小川町:御茶ノ水から、明大側ではなく
ロシア正教会の方の通りをまっすぐに下って行ったところの突き当たり)。
神保町界隈の本屋さん、出版社の取引先が多かった。
三省堂とか書泉グランデ(だったかな?)はよく行きました。あの頃は八重洲の
ブックセンターはまだできていなかった。
ミズノとか、スキーのビクトリア(まだあるのかなぁ)がオープンしたてで、
よくブラブラしました。
ローカルネタで、どうも。
ICQって何ですか?
何かおいしいもん? んなわきゃないね。
今日は、平野修さんの七年回法要ですね。今村仁司さんがお話する。
この人最近清沢満之に凝っているみたいで、本を出したりあちこちで
清沢ネタを話していますが、
この人に清沢満之を引き合わせたのは平野さんでした。
早6年か。
これから渋谷の東急デパートの古本市に出かけます。
月1のペースで秋葉原(CDとPC)から神保町(本)を歩いています。
本は毎週金曜日に↓のURLで探して、欲しい新刊本があると、
八重洲ブックセンターか神保町の三省堂へ買いに行きます。
題名の「出没あのマチック」は、東京12チャンネルの
街の情報番組「出没アドマチック天国」のもじりですが、
東京ローカルでした。∠(^。^)ノ
ootuboさん、
ダメでも2000円以下ですから、あきらめがつくと
だめもとで、汎用品で試してみようかという気持ちは充分にあったですが、
私が「アプティバなんだけど」と言った時、奥でパソコンいじっていた、
お兄さんが、私の言葉を聞いて露骨に「あちゃ〜、アプティバか」
と口にしたですよね。このお兄さんの反応が最終的な決め手になったんですが、
その前に、
私の中にはいろいろな判断材料がすでにあったのです。
まず、それを買ったJ&Pでも、アプティバは拡張性はほとんどないと
思っておいた方がよいと言われていました。
その言葉通り、筐を開けてみて、HDが一回り小さいのを見て、
「こりゃ、あんまりお手軽にアップさせたくないんだな。要注意」という意識が
できあがっており、
メルコやIOデータのカタログを見ても、アプティバの対応表は型番によってやたら
分類が細かくなっていたりして、どうも「一歩間違ったら、どうにもならない
んじゃないか」という警戒感も充分に醸成されておりまして、
アプティバ要注意という、それやこれやの不安材料がたっぷりありましたので、
安全策をとりました。
これが、ソーテックとかデルとかコンパックなどのように、家元意識が希薄な
メーカーだったら、汎用品でやってみたんですけれども。
あのあと、
クーラーファンまわりから、ときどき異音が出るようになった。
何かに当たっているみたい。タイトに配線してあった線を緩めても止まらない。
固く締めた固定ネジをちょっと緩めてみたら、
とりあえず今のところは音は止まっている。
>お留守居役様へ
だぁれも知らない在東京のお留守居役様の出没する
スポット(お寿司屋さんとか本屋さんとか)をいくつか
ご紹介下さい。この人がそうかな?なんて想像しながら
ネタをつまむ楽しみが。。。
>らくりんさんへ
油断はくれぐれもございませんようお願いしておきます。
>三吉さんへ
RESどうも。ぐっちんは「エロス派」の名告りを掲げておりますので
その名に恥じないよう精進していく所存でございます。
>流れ星狂信☆彡さんって
Vitaさんのことだったのですか?ふぁー!
バプテスト派というプロテスタントの一派は教会に
タイル貼りのお風呂みたいなのがしつらえてあって
ミソギのとき着る白装束みたいなのでザンブと後ろ向きに
漬けられていた。で、新教はクリスチャン・ネームは
もらわずキリスト者としての自覚をもって歩んでいくのだと
思います。
カトリックの場合は、ベールをかぶっておいて
(女性)容器に入れた聖水を脱脂綿みたいなもので
ちょっぴり頭をおしめりさせるだけです。
クリスチャン・ネームは、過去の実在の聖人にあやかって
二つほど重ねてつける。マリア・テレジアとか。
「原罪」はカトリックでは、聖アウグスティヌスの影響で
「情欲」という風になってますが、最近の神父さんに尋ねても
きちんと答えてもらえずぼかされます。
プロテスタントはマルティン・ルターの影響で「自己追及」
つまりエゴかな?という風になってます。
東方正教会、つまりロシア正教やギリシア正教では、「原罪」は
考えないそうですが。
>Jun。さんへ
どうもはじめまして。私、失業の憂き目(喪失体験)
にあってにっちもさっちもいかなかったんですが、
ここの掲示板で心療内科のカウンセリング並に
吐き出させてもらって、少しはラク(および就職斡旋
していただいた)になりました。Jun。さんも
管理人さんに甘えたらいかが?
>ootuboさんへ
いずれが夢かうつつか幻かよくわかんない生活です。
お気遣いなく。しかし、『サッドカフェ』というより
『失恋レストラン』だな、こりゃ。
テレビでも音楽を聴かなくなった。
テレビでは聴くというよりも、見ることが主体となってしまう。
画面の下に外国語の歌詞を訳したフロップが流れてもあまり見ない。
私はテレビで音楽を聴いても思索ができないと思っている。
ところで、らくりんさん残念なことをしましたねえ。
汎用品のメモリーをさして、動いたときの喜びが一番の楽しみなのに。
お留守居役様さんのメモリ・HD、安くなったのカキコに触発されて、リナちゃん
研究のついでに、DOS/V機のグレードアップを企んだ。
と言っても、
展示処分品になっていたチューナー付きの液晶ディスプレイが欲しくて
買ったセットにおまけとして付いていた安物のAptivaです。
このマシンほとんどグレードアップの余地がなかった。
HDは一回り小さくて汎用品はセットできない見たい。
CPUソケットは7で、今時ここらの店ではどこを見てもそんなアクセラレータはない。
DIMMソケットがひとつあいていたので128Mメモリを入れることに。
しかし、これも2000円を切っている汎用品はAptivaでは動作保証できない
と言われ、カタログで確認が取れた、IOデータの品にした。それでも5000円
を下回っているんだから、IT不況も当たり前だね。
ちなみにIOデータは石川県の超優良企業で、地元紙にはしょっちゅう会社の
動向記事が載っている。
市外局番なしでサポートが受けられる嬉しい会社。
メルコと並んでPC98機のフォローも続けているし、
サポートの対応もとってもいいので、私的には高感度抜群。
こういう時はICQが便利ですね。らくりんさん、使ってます?
すみませーん。
直接当たります、らくりんさん。
そう言えば六○会に出れないのは、なかなか連絡がうまく行かないからです。次を楽しみにしております。
しばらくたって考え直しました。
言いたいことは本人に直接言います。
ごめんなさい。お手数かけました。
愚痴でもなんでも、どうぞ。
この掲示板の趣旨というのは特に決めているわけではありませんで、
見てりゃわかるでしょう。みんな好き勝手なこと書いて。
誰でも書きたいことを存分にかけばいいわけでして、
乗っ取りたければ、乗っ取って実質、〈Junバンバン〉にしてももいいよ。
バンバンどうぞ、ご遠慮なく。
たまに誰にでもなく、ここで愚痴こぼして良いですか?
50000バイトほどの愚痴(笑)。ハンドルも固定しての愚痴。
許可申請お願いします(もちろん個人名は出しません)。
今、ちょっと辛いのです。
板の主旨と違うのは承知です。誰も知らない、ある男の愚痴をたまに書き込んだら
ダメですかね?どこかでガス抜きしたいのです。皆様には流していただいて。
「復活のビィータ 投稿者:Vita 投稿日: 8月24日(金)23時19分14秒」
の質問は、グッチンさんが門徒以外の方を意識しておっしゃっていたのかと思ったのですが、
はずしたようです。
念仏者から他者への「教誡」について、「読書会」で話し合ってみたいな。
そんなこと考えてます。
呑んでます。
酔っての書き込みは御法度ですが、乗り遅れるのがイヤで、勘弁してね、皆の衆。
バーテンってイイナア。フィリップ・マーロウとかのハードボイルドに出てくる、開店して間もない、塵一つなくグラスやピカピカに光っているカクテルバー、村上春樹の初期作品に出てくる落花生の皮が床に敷き詰められているバーで、アイスピックを使いつつ、お客さんの注文に渋く応える無口なバーテン業。憧れちゃいます。日記もちらっと読みました。いい味出してるなァ。
でも、私のプライベートな掲示板「おきらく」は、いろいろ試行錯誤してきましたけど、「DJ」という感じになってます。ボクがいま語りたいことを、とにかく心おきなくご披露していく空間。だから、わざわざ書き込みしてくださる方々に、こんなに冷たく接する掲示板も、珍しいことでしょうネ。この場を借りて、お詫び申し上げますw。
グッチンさんが、おっしゃるような素敵な掲示板を運営くださるなら、是非とも遊びに行きたいな。ホント。
さて、話は変わって、ウチのこどもたちは、親鸞聖人とおんなじ、9歳で得度を受けました。いつかはこのバカ親父の、絶対、念仏者になってほしいという、身勝手な願いを訪ねていってほしいナ。最終的に自分の名告りは、自分でヤルしかないもん。だから、ボクはそれまで、「念仏申すものになれ」と、親であることを利用して、一生付きまとってやる所存です。ハイ。
キリスト教の洗礼って、真宗の帰敬式・得度と同じ内容なの?
修練で、長浜教区の伊吹さんという方が印象的でした。
生きるものを食することでしか生きていけない、他者を傷つけずには生きていけない、そういう人間の罪とてもいうことに、ものすごく敏感で、そしてまた、そこに止まることが偽善者であるという内省もまた、とっても深い、そういう「慚愧」ということがらに念仏を見いだしている方でした。
以前、修練生でそういう「人間の罪」とでもいうものが肥大し、心身を傷つけるまでになっている方がいらっしゃいました。この伊吹さんもそうなのかと、人間の矛盾や罪までも見通したまでの念仏の救い(19願、20願)なのだということを、ずっと話していたのですが、そのうち、どうやらは違うように感じてきました。
この方はキリスト教のなかで育たれ、真宗の寺へ嫁がれたのだそうです。それが、この方の信仰に独特の色合いを付けているのかなあと。
それにしても、キリスト者の方と、深く話したことはないのですが、「原罪」ってもんのすごい強烈なものじゃないのかな。そういう心が、どういう仕組みで成り立って、維持されているのかなと、素敵な念仏者、伊吹ネエさんと話していていて、感じたことでした。 Bood night...
>下の文字化け3書き込みを削除してください
せっかくの「迷作」ですから
「ご愛嬌」ということで、晒しものにしておきます。
ちょーお安くなっています。
秋葉原へ行くのが怖いです。
自分がどんなに高い買い物をしたのか分かるので。
フロッピーディスクも使わなくなりました。
ハードディスクに保存して、
増設した予備のハードディスクにバックアップしています。
ファイルの移動、持ち運びは、メールでできますし。
ハードディスクの容量が増えたので、
辞書CDを丸ごとコピーして使っています。
読み込みには、
DDwinというフリーソフトを使っています。
失礼しました。
下の文字化け3書き込みを削除してください。
こんなこともあるのですねえ。
書店での立ち読みやメモ取りですけど、
最近では、デジカメで撮影してしまう人がいるとか。
注意しても「???っん」という感じで、平然としているそうで、
書店員さんがあきれていました。
かくいう私も立ち読みで得た知識で、
パソコンを組み立てました。
昔、ドラクエの解決のヒントを雑誌で読んで、
忘れないように反芻しながらいそいで家に帰ったものです。
ナイーブだったあのころ。。。。(遠くを見る眼)
リナちゃんの話ばかりになりましたが、
これとHP作成はあくまで余暇でありまして、
本業の方では、
お盆前後のゆとりを利用しまして、『観経序分義』を読み返しております。
今月末の北陸聞法道場での発題に備えての下準備です。
善導さんというのも、読めば読むほどおもろいお方でんなぁ〜
ハードディスクなんてまだ高嶺の花。
OSもアプリケーションソフトも、フロッピー1枚か2枚で動いてくれた。
初代のエプソンLS286機での仕事はワープロがほとんど。
でも、当時のPCソフトではない、いわゆるワープロ専用機は、
B5で4枚か5枚分ごとに別ファイルを作らなければならなかったので、
1文書の長さが、フロッピーの容量が許す限りというその一点だけで
PCに乗り換えて良かったと思えました。
しかし、日本語変換するたびに、フロッピーの中の辞書を探しに行くので
カタカタとFDドライブが音を立てる。
その間コンマ何秒から1、2秒とかの世界。悠長な時代だったもんです。
初めて40MバイトのHDを導入した時には、その機敏さに目を見張りました。
メモリは増設なしで、本体が持っている640Kバイトのみ。
そういえば本体メモリ384Kというのもまだあったな。
その頃は640Kを要求するソフトが主流になってきていたので、
増設用の256K(メガじゃありません。3桁違う)のメモリを
買った人がいたる値段は忘れたけど、
なんかメッチャ高いなあと思った記憶があります。
その後初代機は2Mのメモリを増設するところまで進化。
ラップトップ機のはしりで、ラップトップでハンドルは付いていたものの
12キロぐらいはあって、研究室と家の間を運ぶのは一仕事でした。
それにしても、初代はよく働いてくれました。
久々になんか、いろんな人が出そろっちゃって、にぎやかモードですね。
それなりに、それぞれのキャラ出てますし。
過去ログをダウンロードしました。このところ
誰かさんのおかげで、カキコペースが超早いのでちょっと油断するとすぐに、
保存限度の150を越えてしまいそうになるので、用心用心。
リナちゃんには、相変わらず手こずっております。
オンラインマニュアルの場所と読み方はわかったけれど、これがまた難物。
1,恒河沙の砂ほど数が多い、必要な情報にたどりつけるのは、ほぼ奇跡
2,W○nと違い、かなり実用的で親切。それだけに、長くて読むのが大変
3,それに何よりも、記述はほとんど英語。読めないわけじゃないけど、
そりゃ、やっぱしんどいわ
と言うわけで、結局、本に書いてないことをやろうとするとお手上げ。
手持ちの本から見つからないと、ネットで探すか、本を探しにショップへ。
簡単な問題なら、立ち読みで。
1〜2行のコマンドで済むんならなんとかそれを記憶して、
カウンターでペンを借りて、レシートの裏にメモ。(今度からメモと鉛筆持参しよっと)
「マイフェアレディー」の世界に近いもんがあって、
こういう手間がかかるところが、またいとおしいもんなんです。
MSーDOS2.11で、ディスクコピーで初めてシステムディスクを作って
立ち上がったときのような感動を思い出して懐かしくなっています。
そして、MSーDOSのシステムディスクが立ち上がった時、
「さて、これでボクは何をすればいいんだろう」
とハタと立ち止まってしまった途惑い感も似ています。
あれは院生の最後のころだからもう13年ぐらい前になるのかなぁ〜、と
ちょっぴりノスタルジーを味わっています。
リナちゃんにはもう少し遊んでもらえそうですが、
のんびりモードもそろそろ終わりますので、気長に構えます。
そのうち飽きるか、物になるか、それは誰も知らない。
お留守居役様さんの文字化けカキコを見て、
ふと、最近発売になった、
縦書きとルビが可能になった「超漢字」(BTronの商品名)のVer.3
のことが頭をよぎる。
あ〜ぁ、トロちゃんの人当たりの良さや馴染みやすさが懐かしい。
やっぱ、浮気はやめとこ、ここしばらくはとっつきにくいけどリナちゃん
を口説くことに精をだそーっと……。
レスを戴きありがとうございました。
「この六文字は、一字たりともゆるがせにしてはならない」と善導が言ってらっしゃると思っているので、「誰じゃ、かってに自分で文字をすり替える輩は!」と思ったのですが・・・異体字かあ・・・・ナルホド。確かに漢和辞典にもそんな字が載っていました。
いま中陰にお参りしているお西の門徒さんの法名にも件の字が書いてあったので、お聞きしたのです。今度じっくり偏と旁を見直してみることにします。
最近音楽を聴かなくなった。
いつからだろう。
私は音楽を感覚的に聞いている。
歌詩の意味はあまり考えていない。
特に外国語の歌詞は意味が分からない。
さびしいとか、がんばれとか、愛とかの言葉が頭の中を漂っているだけで、
メッセージを深く考えようとはしない。
そもそも音楽を聞いて思索ができるのだろうかと思っている。
音楽は思考を停止させ、現状を安らかにしたり、扇動させたりするものではないのか。
つづく(表現がおかしい場合は申し訳ありません。)
ところで、愚っ朕さんはいつ寝てるんですか。
その質問はイジワルでもなんでもなく、私の従兄弟は、御布施貰ったらソープにいってるよ。
めずらしくも何ともない。
再分配・互酬装置←あなたは坊主だから阿弥陀さんとの間に入っているだけかもしんない。
功徳というものがあるならば、それは阿弥陀さんの仕事であなたの仕事ではないかもしんない。
とはいえ気分はよくわかる。
健闘を祈る。なまんだぶ
すいません、現おおさかボウズバーの
バーテンさん(女性)の方が日記書いて
はります。彼女の感性もまたよろしおま。
下記のカキコはイーグルスの原詩の訳では
ありません。念のため。
で、何でサッドカフェなのでしょうか?
イーグルスというグループのヒット曲にサッドカフェという
のがあった。
熱い涙を流してる 淋しげなバレリーナ
そんなにくさるなよ チャンスは一度じゃないさ
肩を落として歩いてる オーディションの帰り道
ため息ひとつ落として その扉を開いた
どれだけ歩いても 夢はすり抜けて行くけど
あきらめという言葉を 口にするにはまだ早すぎる
誰もが今ここで憎しみをかみしめてる
疲れたその心癒してくれるカクテル
誰もが今ここで痛みをやわらげてる
ここはまるでサッドカフェ 哀しみ癒すカクテル
好きな女に裏切られ ふさぎ込んでるバブルボーイ
そんなに嘆くなよ 女はひとりじゃないさ
拳をふるわせて バーボンをあおっても
彼女は帰らない すがりつける愛もない
やがて夜も明けていき 新しい明日が来る
降り止まない雨などない 悪いことばかりでもないさ
仲間達にだまされて 全てなくしたシティギャング
そんなに怒鳴るなよ 所詮みんなひとりぼっち
押さえ切れぬ怒りを ぶつけるところ探して
夜の闇に紛れて 声もあげず泣いている
安らぎを求めてる 淋しい心抱えて
孤独であふれてる 店の名前をつぶやきながら
愛とか自由といった言葉で この世界を変えることができると
僕らは本気で信じていた サッドカフェに集まる孤独な群集
僕らもその中の一部だった
初代ボウズバーマスター Yクンというのは本当にいいやつでした。
今はもう僧籍取っちゃったけど。並み居る日替わりボウズホストなんか
ぶっとぶくらいの相手の話を引き出す「聞き上手」だった。仏陀を
背負いて紅燈街へてなかんじ。
愚っ朕はHPつくるとしたら、このサッドカフェみたいなのつくりたい。
毎晩21時開店とかでチャットを。抹茶やラッシーやチャイを
使ったオリジナルカクテルやサモサやモモ(チベット餃子)などの
フードレシピをメニューとして書いておく。
スタンダードジャズやボサノバ、民族音楽などをMIDIで鳴らす。
聖なる山カイラスや、聖なる河ガンジスのフォトギャラリーを置く。
週替わりのお香の写真と説明。
BBSは雑記帖、らくがき帖として設置。リンクは伝言板、
メッセージボードみたいな感じで。ついでにトイレもせっちん。
みなさんどうでしょう?
>三吉さん
どうも有難うございます。お父様の例まことに
興味深く読ませていただきました。
で、思い出しました。バーでの一場面。
ある若いおにーさんが、「私は我が家にお参りに
こられるお坊さまに対して出来る限りのお礼を
させていただいてます」と殊勝な発言をされるので
「その住職がその晩、その布施でソープへ行ったとしたら
どう思われますか?」と意地悪くつっこんだ。でそのお方
「それはそちらの方のご都合。私には関係ありません」と。
またまた理解の補助線にキリスト教神学を使います。
カトリックが行う救済の儀式として重要なのが七つの
秘蹟とよばれるものです。もちろんその中で洗礼が有名です。
どうしょうもない神父(プロテスタントなら牧師)が
授けた洗礼は効力があるかないか。行い立派な聖職者が
授けたものが有効なのだというのが「人効説」。
いや、人によらず行為そのものが有効なのだと考えるのが
「事効説」。で、カトリックは人によらず事によるのを
正統の教義とします。
まあ、これは上座部のお坊さんが積んだ徳(福田)に
お布施をすると効果があるとするのか、お布施すること
その事に功徳があるのかというような話であるけれど。
真宗的には三吉さんが、おっしゃるような理解でいい
と思われますが。私はもっと俗っぽい人間でいやらしい。
「宗教とは再分配・互酬装置」だ。もらったお金をどういう
風にどこに向けて還元するか?をこれからは考えて行きたいと思う。
>Vitaさん
お疲れ様でした。十分ご休養を。
キリスト教の宗教改革の中でおもしろいなと思うのが
再洗礼派というラジカルな動きをした一派です。彼らはカトリックの
行う幼児洗礼という、生まれた時に赤ん坊にさづける洗礼は無効だという
主張をします。私は、九歳になったらお父さんが「京都に旅行に連れたったる」
といって息子を(だまくらかして?)得度させるお寺のやりかたは、
この幼児洗礼に該当すると思っています。
神奈川県警でもKSDでも何でもいいんですが、
いったん不祥事をおこせば世間に対して信頼を回復する
のが組織構成員のつとめ。「再洗礼」とはこの「負債
からの出発」であるのだと思います。
で、その信頼回復とは具体的に何をさすか?それは、
宗門の中で十分話し合われていないのでしょうか?
文字化け修正しました。
重ね重ね失礼いたしました。
「陀」の異体字を一太郎で検索してコピーしたのですけど、
全体的に文字化けてしまいました。
失礼しました。
黏
●匯湊隻でないとメ鰍黷ネいかも岑れませんが
ペース、取り戻すのも、ホレ、アレ、なんだ、、、、御免ネ。
> で、門徒という生き方を選んだことによって
>生じる宗教的責任の中で「誤てる教え」に対して
>「慚愧」がどのように果たされるかが問題なのかなと思う。
(朕の目にも涙 投稿者:愚っちん 投稿日: 8月20日(月)22時28分06秒)
ここ、もうちょっとだけでいいのよ、美味しいとこ、みつくろって、おくんなまし。お願い。
おそらく「施」ではなく、
「陀」の異体字に、旁が「施」と同じで、偏が「方」ではなく陀と同じ「こざと偏」
というのがあります。おそらくその字ではないかと思います。
もし六字名号に「施」が使ってあるとすれば、間違いだと思います。
という六字名号の書き方を時々見るのですが、「陀」を「施」に変えることに何か特別な意味づけがあるのでしょうか?
実際のところ、私はお坊さんと仲がよいのではないかな。。。(笑)
お坊さん説教する人、私聞く人とは思ってないが。。。
さりとて私説教する人とはもっと思ってない。
お坊さんあるいはそれ以外の人とのやりとりを媒介にして思索したいだけなのではと思う。
心の奥底では偉いなぁぁ。俺はよう坊主なんてしきらんとは思っているかもしれない。
逆に現実では在家の念仏者はほとんどしらん。
御門徒さんはしっているけどね。。。
まあいずれにせよ、リアルでは歳上の方には反論することはまずない。
その点、ネットは私には貴重だ。
らくりんさんにばんばん突っ込めるからね。。。(笑)
リアルではいつもたじたじだ。。。(笑)
余談。実のところ私は「僧とはなにか」はわかっていない。
比丘とは元々、供養されるべき人であろう。
親鸞によると無戒の僧も今や<真の宝>。
私は僧になったことはないが、なろうかなと揺れた時はある。
結論としては「私には信仰がない。なったら詐欺だ」という感覚。
だが、あるお坊さんは「信仰なんてなくても関係ない」と。。。反論はできない。
私のオヤジが御遍路さんを先日終えたが、道々御布施とかをいただいたそーだ。
信仰心もなく、ただ老後の健康の為に歩いているだけのええかげんな偽遍路のオヤジに。
<同行二人>という言葉があるそーだが、御遍路さんには空海さんが背後についているらしい。
お金の御布施は次の寺に届け、ジュースとか菓子とかは頂戴したそーだ。
それはオヤジの人徳からの功徳に供養しているのではなくて、オヤジをして歩かしめている
空海さんに向けて供養しているのだから、おやじに拒否する権利はないそーだ。
真宗の僧侶もそういうものなのかもしれない。
内実は私とさほどかわらぬ凡夫なのであるが、形だけでも僧侶にならしめている<何か>が
世の中の宝なのかもしれない。
いずれにせよ、その<何か>は私にはあまりに重く躊躇、立ち尽くすものである。
オヤジはモノヲ頂いて最初は戸惑ったといっていたが、その感じはよくわかる。
東本願寺でアルバイトしてた頃、アルバイトの過ぎない私に、80歳のくらいの婆様が
深深とお辞儀をなさる。
私はそのお辞儀に消え入りたくなるほどの戸惑いを感じた。
「おいおい。おれはニセモノだ。アルバイトだ。ぼうさんじゃない。。。」と。
なにはともあれ、復活おめでとう>愚っ朕さん
『唯識思想論考』が書店に出ましたけど、
以前の唯識研究論文集なので、唯識批判の前段階らしいので、
購入を見合わせました。
当方も、唯識と密教は仏教ではない、ということを論証する意欲も薄れてますし。
ちなみにお値段は、16,000円です。
東京人でも金を出さないこともあるのです。
は人出す。東京は金出す。大阪は口出す。という処世訓(?)
があるらしい。(人って角さんや量深せんせのことかナ)
大阪ボウズバーをやってた頃、お客さんの話がごっつう
おもろかった。(笑えてしかも深いはなし)でも、先方さん
は当たり前ながら酔っ払ってはるので次に来た時には、その
話題はなんだったかよく分からない。しかし、こっちはそれ
以上に酔っ払ってたので話がつながらない。実にオシイこと
をした。あのハナシだけでも、説教師として一生食うに困ら
へんかったかも知れません。
梁石日という人が『タクシードライバー日誌』という本を
書いてるが、あんなもんやない!もっとえげつない。もっと
切ない。けど、覚えてへんかったらなんにもならん。。。
HPをつくって、お客を匿名に『ボウズバー日誌』公開しと
いたらよかった。う〜ん。
linuxというのは、
コマンド(命令)一つで、PCを自由自在に操るって話のようですが
今のところ、コマンドの一つひとつに大汗かかされているというのが実情です。
WINDOWSが、ボ○カレーとか○ップヌード○とかいうような、
お湯を入れたり、レンジで朕したりして、あと3分だけ手間を書ければすぐに口に
入るようなもんだとすると、
linuxは、市場へ素材の買い出しにいって、魚をおろして、野菜を洗って、
肉切って、献立を考えて食べるというような感じで考えたらいいみたい。
最近では、商業ベースで半加工品が出回っているようですが、基本は素材を
ネットから手に入れるところからのようです。それならソフト代は無料。
ハードも使い古しの、一昔か二昔前のマシンで充分に実用になるみたいです。
しかしながら、どうもここまで5日遊んでみた感じでは、素材は無料でも、
使いこなすには参考書が不可欠で、こっちにはけっこう投資が必要みたい。
包丁とまな板の使い方から本を読んでかからないかんみたいで、
次は魚のおろし方、野菜の洗い方、肉の捌き方……、
一つひとつ、すべてが本がないとわからない。
オンラインマニュアルも入っている見たいですけど、どこに入っているか
どうやって読むかもわからない。
美味しいものを食べようとすると、手間ひまかかる。
ごちそうにありつけるのはいつのことやら。
その前に、あたり一面ちらかして、ギブアップするのか。
もの珍しいものへの好奇心だけかも。
>らくりんさん
ご苦労様でした。えー好きですこういうの。アイコラに飽きて
バカコラにはまった時期がありましたから。
LINUXって免許皆伝、家元制度の打破って感じのハナシですか。
即席ラーメン業界が、消費者からこんなラーメン食べたいって
アイデア募集して商品化するかんじなのかな。それとも、自分で
焼けるもんじゃ焼きなのかな?適当なたとえじゃないな。
スタンダード大学だか、オーソドックス大学だかで開発したやつ?
ぐっちんの職場ではソフト、使いこなすので精一杯だったからなー。
Linuxネタにはからんでこないなあ〜。
林遊さんでもいれば、ちっとはからかってくれるかもしれないんだけど。
98機でlanボードを装着したら、Linuxが起動しなくなった。
外したら立ち上がる。きっとドライバの設定をするか何かをしなければならないん
だろうけど、わからない。
やっぱ98機では、いろいろと制約がありそう。
そこで、BTronを試したときに使った、NXノートも
Linuxをインストールしてもう少しLinuxについての理解を深めてみよう。
もう少しわかってきてから98機に再挑戦することに、方針変更。
インストールはもう何回もやったので、NX機では何なくクリア。
初心者の最初の難関らしい、XーWindowの設定も、
あれよという間に一発でクリア。(98機ではわからなかった)
(へぇ〜やるもんじゃん、と独り言)
一昨日までよくわからなかった、付録のパッケージソフトのインストールも
とりあえずネットスケープで成功してしまった。
(大事な操作はルート権限で、です)
しかし、まだlanにつながっていないので、ネットスケープがあっても
使い物にならない。
でも、ようやく少しばかり光が見えてきた、って感じ。
新たなる問題が。いろいろやってもキーボードの配列が日本語対応になってくれない。
デフォルトとその他2、3の英語モードの設定しか受け付けない、
まっ、大したことないだろうと使い始めるが、おいおいちょっと待て
「*」「@」「^」「|」「&」「”」「ー」「_」などの記号が出て来ない。
あれこれキーを押してみると、とんでもないところで出て来る
というか数字の2とか6、7、8、9というけっこう便利な位置に
それらのキーが割り当てられている。きっとかなり頻繁に使うからだろう。
仕方がないので、シールを貼って、そのキーアサインを使うことに。
依然として、使い方がよくわからない。ソフトを立ち上げることはできても、
使い方がよくわからないし、終了の仕方がわからないものもある。
ネットスケープが入ったからには、次の目標はインターネットへの接続かな。
林遊さん、
そろそろ復帰の頃じゃないかな。
>でもそれがなんでいっつも「反僧侶社会」みたいな話にスライドするんだろ
けっこう坊さんに対して厳しいことを言っていますが、私が知る限り、
必ずしもいわゆる「アンチ」というわけではない気がしています。
どちらかというと、心の奥底では好きなんじゃないかな、というか気になる人たち
と言った方がいいかな。だから、何か言わずにおれない、尻をたたかずにはおれない。
現実社会の「におい」を漂わせずにお付き合いできるから
けっこう「気楽」なんじゃないですか。自分の実像は出さなくても済むもんね。
みなさん「はたして、その正体は」というところで、いいんじゃないですか。
かと言って、2チャンネルやヤフー掲示板みたいに、ほんとに互いに無関係
(誰が誰だかわからないよう)な人ばかりのBBSというのとも、
ちょっと違いますから、どこかで抑制がはたらいているのも事実です。
らくりんの場合、バーチャルとアクチャルな付き合いがBBSでクロスしているから
ちょっとややこしいことになってはいますが、それもまた楽し、です。
HPは作ってみたものの。ありふれたもんじゃ面白くないし、
かと言って面白いアイデアや才能があるわけじゃなし。
リンクを入れた(無断で)高校時代の友人のページは写真ギャラリーがちょっと面白いですよ。
現在、事後承諾ですが許可を求めているところです。
今は年賀状だけの付き合いですが、いつも昼飯をいっしょに食っていたヤツです。
たぶん大丈夫だと思いますが、
事と次第によっては「不許可」になって、リンクを切らなきゃならないかもしれません。
お早めにどうぞ。
最初の頃しばしば話題にのぼっていた
いわゆる「YASUさんのところ」というのが揃えば、
一年半の出遅れは完全に取り戻せるんですが、
あそこは、
ちょっとひどい感じになって、運営者に見放されてしまい、
残ってはいますが開店休業中です。
過去ログも読めません。
現在は会員制の掲示板で仲間内の学習会をやっておられるようですが……
テキストファイルに張りつけてBBS読んでいた昔の習慣で、
YASUさんのところも記録だけは残っているんですが、よそ様のところですから
勝手に公表するわけにもいきませんでしょう。
個人的に読みたい人に送るぐらいなら許されるかな、とは思います。
欲しい人は私にメール下さい。
ただし、これまで〈『親鸞の教行信証を読み解く』読書会〉か、
〈らくりんバンバン〉か〈御本典研鑽集記〉のBBSに書き込みしたことがある人
(ネット上での面識、イヤ電識がある人)に限らせていただきたいと思います。
もう全部読んだって。す、すごい。すごすぎる。
あれはプレーンのテキストでも1メガバイト以上はあるはずです。
1メガバイトとは百万の半分で50万字、400時詰め原稿用紙で
電卓出してっと、1250枚。
『親鸞の教行信証を読み解く』が1冊平均20万字強ですから
2.5冊分か。それに某サイトの「○○か、○○○らんけ」なんかも
読んじゃってるみたいですし。
いやはや、よくもまぁ〜。相当な、活字、イヤ、電字中毒(失礼)ですね。
そんな方が一人でもいて下さると、お盆の暇な時間をHP作成にちょっとだけ
振り向けた甲斐があったというものでございます。
ぐっちんさんのために作ったみたいなもんですか。
「見てまわリンク」に少し入れておきました。
過去ログ全部読ませていただきました。ウ〜ム、ぐっちんの
乗ったマイ・ブーマーは十馬身ほど離されてからそれっ出走だー。
まさに地方競馬が全世界に衛星生中継されているような。。。
といった話題がありました。ふゥっ。
「よごれ」
さて私、坊さんに正式復帰です。またまた、教えと現実の乖離した
世界に舞い戻らねばならぬ。でも、どの業界でも似たような話はざら
に転がってるんじゃないでしょうか。
私、前職は医療マーケティングというよくわからない業界人でした。
製薬会社や厚生労働省の外郭団体、いうところの天下り法人やお役所
からお仕事をいただくんです。病院の患者さんや、お医者さんや、
看護婦(士)さんなどにアンケート配って報告書をつくる仕事。いろんな
矛盾が見えてくるじゃないですか。
長屋@爺さん、お留守居役様さん、三吉さん、大願さん、林遊さん
松田幸造さんなどは確実にお坊さん以外のお仕事をされています。
そんな「一般社会」の中におられる方々がどのようにこの教えに出会
っておられるかがまことに興味があるんですけど、あまりそのような
「におい」がこちらには漂ってきません。
プライベートの話になるからかなー。なんか「趣味」にうるさいひと
の話という趣がするんですよね、ぐっちんには。少しは見えますよそりゃ。
三吉さんの「差別ビラ事件」とか。でもそれがなんでいっつも「反僧侶
社会」みたいな話にスライドするんだろ。わからん。
ぐっちんがHPつくるとしたら、芸能・社会風俗の話題でしかできないな。
Zazieさん
ここんとこ、六○会でも顔見なかったですが、具合悪かったんですか。
お大事に。
レスがいただけてすごい嬉しいです>愚っ朕さん。
ちょっと体調不良で、PC立ち上げるのも久しぶりです。
皆様、御自愛下さい。
そうですか。
三吉さんは「あとがき」で、「不覚にも」と言ってましたっけ。
私も、泣けるところあるんですよ、実は。(ナ・イ・ショ)
誰も興味ないかもしれないけど、独り言です。
・ユーザーの設定ができた。
・スーパーユーザーのログイン方法もわかった。
・ディレクトリ(フォルダ)間の移動と、その中味を見る方法がわかった。
・ちゃんとシステムを終了する方法がわかった。
そして、
・わからないことがまだまだいっぱいあることがわかった。
死生さんから借りた『読み解くT』を読んでて不覚にも
泣いてしまった。。。(どこの箇所かはヒ・ミ・ツ)
借り物に傷が。。。ああ、弁償責任が。。。
らくりんさんを儲けさせてしまうではないか!
責任論つづき。
電力会社がでたらめ危機管理で周辺住民に
被爆させてしまったら、社長は政治的責任
道徳的責任を負うのは免れ得ないでしょう。
かつ社員を被爆させて死亡させたとして。
「彼の崇高な死によって我々は今日も涼しく
明るい夜を過ごしております」なんてお祈り
したら遺族は何というのだろうか。
(このパターンでみなさまどうぞ雪印乳業とか
山一証券とかのケースで考えてみてください)
純ちゃんはアジアのひとびとに謝らなくては
いけないし、それなりの外交を展開しなきゃ
なんない。で、ヤスクニや千鳥が淵や武道館に
「お参り」するんじゃなくて大日本帝国の継承国
にっぽんのドンとして全戦没者におわび談話でも
毎年、年頭所感で発表するとか。。。
さて。あるひとの父親が殺人者だとして子供が
世間で肩身の狭い思いで生きなくてもよいと思う。
戦後の日本人は現在の現実的な政治的責任を
問われるのであって、先祖の行為への道徳的
観念的な「負い目」というものなんかで身悶え
する必要なんかないと思う。(現在の戦争責任
たとえば経済侵略や環境破壊に対してフェア
トレードのようなものを推進するとか。。。)
で、門徒という生き方を選んだことによって
生じる宗教的責任の中で「誤てる教え」に対して
「慚愧」がどのように果たされるかが問題なのかなと思う。
よその国も民族主義やんけとか国教をもってるやんけ
について。
スピード違反でポリさんにつかまったとしましょう。
「ほら、あのバイクかって飛ばしとるやんけ。何で
オレばっかりゆわれんなアカンねん」という光景を
よく見ます。でも、責任(ルール違反・侵犯)とは
いちにんの問題です。
〈らくりんバンバン〉の過去ログだけは読めるようになりました。
この掲示板の一番下の[ホームページ]の設定もこちらに変更しておきましたので
そちらから入れます。
こちらからもどうぞ ↓
いわゆる「手の内」を完全にバラすってことですね。
それでもって、自分好みに味付け料理して、またみんなに味わっていただく。
そして感想や改良点を教えてもらってよりよくしていく
わいわいガヤガヤ、悪くないなあ。
どうもコマンドの使い方を覚えなければ何もしてくれないことがはっきりして
きましたので、あせらないでじっくり構えることにしました。
で、なんでそんな面倒なことをやるのか?
とまた問われそうですが、
やっぱ、なんか惹かれるものがあるんですよね。
読みかじり講釈(ほとんど丸写しですが)を垂れてみようかな
オープンソースの魅力
――だそうです段階で、まだ実感しているわけではない。
でも、コンセプトは、それっていいなぁ〜、と思える――
【『Linux怒涛のQ&L』】
ソフトウェアの開発は、主に4つの段階から成り立っています。
(1)仕様段階:アイデアや企画を具体化することが目的。設計図や仕様書を作成する
(2)実装段階:仕様書を元にプログラマがプログラムを記述する。
(3)検証段階:実際に動作するソフトウェアを作成し、バグ(不具合)がないか確かめる
(4)運用段階:実際に公開して顧客(利用者)の元へ届ける
WINDOWSやMacOSは製品になってから、
つまり(4)の運用段階からの公開がほとんど。
0と1の羅列されたファイル(バイナリファイル)の配付。=見てもなんのことだか
わからない。
それに対して、ソースコード(バイナリにする前のコマンドが記述された設計図)ならば
コマンドが理解できる人なら、読める。
フリーソフトウェア開発者には、「設計図」に当たるソースコードを(2)の実装段階
から公開することで、後は利用者の手に委ねる、という配付方法が一般化したのです。
ソースコード配付は、誰でも内部を覗き見ることができ、その技術を学び、そして
好きなように改造することが可能という点において、バイナリ配付の対極にあります。
―※―バイナリ配付は、そのソフトから生じる利益を開発者が独占するための仕組み
ソースコード配付(オープンソース)は、一定の知識さえ修得すれば誰でも
同じようにその果実を自由に利用・展開できる。
Linuxの普及と時期を同じくして、オープンソースといよばれる一大ムーブメントが
発生しました。オープンソースとは、ソフトウェアのソースコードを公開して、外部の
開発者や利用者の意見を積極的に採り入れていく、より良い開発過程を目指す方向性です。
Linuxが生まれる以前からフリーソフト/オープンソースの文化はあったわけですが、
Linuxが一種の広告塔として多大な貢献を果たしたことに疑いはありません。
Linuxは、社内で給料払っている社員に作らせたものよりも、ソースコードを公開し
て多数の開発者に委ねたものの方が品質面で勝ることもある、ということを証明して
しまったからです。
オープンソースは、ソフトウェア開発企業の「完璧な万人向けの製品を作ることは
できない」というジレンマに対して、一つの道を開きました。完璧なものができないの
なら、利用者に開発する余地を残して、製品を一緒に育てていけばよい。その代わり、
精華を自分たちだけで独占できないけれど、それでも利益をあげる方法はある、
ということに先進的な企業は気づき始めたのです。
この発想って、
無数の人に同じ情報が同じ条件で提供されて、しかも誰がどのように改造しても
構わない、そうでありながら、Linuxとしての統一性が保持されているという
なんとも、すごい仕組みだと思いませんか。
大事なものを「専門家」の専有物にしないということですから、
私は「けっこういいんじゃない」と思えるんです。
とは言っても、敷居がかなり高いことは間違いなさそうです。
だから、自分がどこまで入っていけるかはまったく未知数なんですけれど、
それは、なりゆきに任せるとして、
こういう考え方をしてきた/いる人たちが、たどった/これからたどる道筋に
ちょっと関心を持ってみるのも悪くないかな、と思い始めている次第です。
今日、海法龍さんという横須賀のお寺さんの法話を聞きました。
とってもよかった。やさぐれ者のぐっちんが久しぶり法悦に浸っとりました。
さて戦後世代の戦争責任について暑いうちに書き込ませて下さい。
お寺さんに限ったことではないのですが、○○であることで○○全体の
批判を受けることがよくあります。「お前坊主か!坊主丸儲けー!ええなー」
とかワタシ言われるたび「いやそうかも知れんけど、あんたに対して
ワシがぼったくったんか?」と言いたくなります。これを元に戦争責任を
考えるとどうなるか。
戦争で父祖を亡くしたアジアの方々が直接手を下した者でない者に
「日本人として責任を感じろ!」というとします。
今の段階でしたら「いやです」と答えます。わたし民族の業報なんか
受けたくない。
丸山真男によると戦争責任には、@道徳的責任とA政治的責任があると
いいます。@はある個人や集団が他者に対して何かを為した時その結果に
ついてどのような構えをとるかという精神のあり方を問題にするものです。
恥じたり詫びたりすることです。私これはその事件が起こった時に居合わ
せた者、集団を構成していたものが引き受けるものだと思います。
ではA.これはある集団の意思決定を保持しているものが具体的に
負う責務のことです。つまり権力や地位の剥奪や謝罪表明、賠償、その
結果を引き起こした法の廃棄や改正などのことです。こちらは、集団を
構成しているものは役割の軽重に応じて負担するものと思います。
先代の社長が起こした経営の失敗(不祥事もろもろ)は次の社長も
引き継ぐ。社員も信頼の回復に全力を尽くすという形で道徳的・政治
的責任をおう。
オウムでいえば、サリン事件の実行犯は刑事的責任と政治的責任と
道徳的責任を負う。一般信者は道徳的責任と政治的責任を負う。
さて日本人に生まれたということは個人には選択の余地が無い。
本人の責任は無い。戦後生まれのひとびとに私は、道徳的責任は
生じないと思います。
で、純ちゃんは一国の首相。もちろん政治的責任があります。
戦後生まれの日本国民という構成員はこの政治的責任を応分に
背負うのだと思います。たとえば政治的責任を果たそうとしない
代議員を選挙という手段に訴えるなど。
(自民党国会議員高市早苗などは自分にこの政治的責任もないと
考えているようです)
で、自分で選んだ(家が寺だったもしくは檀家だった方は選び直した
ということ)宗教教団を構成する構成員には、政治的責任が更に生じると
思います。戦前の真宗教団がおこした戦争責任は、これを負わなければ
ならないでしょう。
今日、叔父夫婦の年回法事を勤めました。叔父さんは二十五回叔母さんは十二回。
二人とも若くして亡くなりました。
叔父さんが亡くなった時に長男は高校一年次に娘、
下が双子の男の子で当時小学5年。私も大学を出てすぐくらいのころで
お葬式の時これからこの子たちはどうなって行くんだろうと心を痛めた思い出があります。
叔母さんも急死したり、兄弟姉妹たちもそれぞれ波風はありましたが
それぞれに成長して久しぶりに全員が揃った顔を見ました。
長男は独身ですが、あとの三人はそれぞれ子ども
を二人ずつ連れて集まって賑やかなことでした。
あれから24年か……。
これから24年は……
Linuxはあいかわらず、苦戦中
インストールの設定でいい加減にログイン名とかなんとかを入れちゃってたら
そのあと何て書いたか忘れちゃって、PCの扉が開けられなくなった。
で、もう一度インストールを最初からやり直した。今度はプロセスを
一々メモしながら。
それで、やっと全権を持つルート権限でログインだけはできるようになりました。
WINDOWSでは似た概念がありますが、果たしている役割がぜんぜん違う。
しかし、それではまだ足りないみたいで、
「ログイン名、ユーザー登録、ユーザーID、パスワード……」
などという、聞き慣れた言葉でありながら、それをどう処理したらいいのか
わけわかんない。
えらいこっちゃ。
らくりんさん、みなさんただ今です。そうですねー日本の夏、
緊張の夏です。舌先三寸あきないで懐ようやく暖まってきました。
10月にパソコン買って、来春HPつくる予定です。構想も暖めてます。
パソコン談義にもついてかなくちゃ。何のこっちゃわからんさかい。
さて北九州のある町で法務のお手伝いをしたのですが、そこは穀倉地帯かつ
家具の町です。けど最近は輸入家具に押されて倒産したとこが多い。農業も
ふるわない。自殺した方の初盆なんかがあったりして。。。
ドイツの社会学者M・シューラーは知に支配の知、技術の知、救済の知(愚っ朕的
には救済の信知といっておこう)の三つをあげました。それぞれ政治・科学(経済)
・宗教でしょう。ぐっちんは、政治と科学(経済)が宗教と密接な関係を持っている
学説をたくさん学びました。21世紀の真宗は閉じた「信心」だけを語っていても
しゃあないと思ってます。(何か発信するゆうことは「考えあう希望」を語ってん
だから答えはなんまんだぶつでしょうっていってたってはじまんない。当たり前やんか!)
生老病死の四苦にしたって、むかしっから経済苦や社会苦とからみあってんだから。
(某掲示板を読んでてあまりにむかっぱらが立ってしまいました。すいません)
PlamoLinuxのシステムのインストールはできたみたいです。
で、これで一体何ができるんだろう?
で、これで一体何をすればいいんだろう?
明朝の化身土巻の講義のことを気にしながらも、
やり始めた、WINDOWS95の再度インストールだけは、
最後までやってしまわなねば。
あとはなりゆき次第です。
Linuxというのは、ワープロとかデータベースをやるOSじゃないみたい
ですよ。
インターネット環境をいかに安全に確実に確立するかという話であるようです。
だから、いわゆる、アプリケーションソフトを使おう
という人にはまだまだだろうと思います。
で、「なんでそんなものをやるのか?」って質問が出て来るだろうと思いますが、
今のところ単なるお遊びと、
遊んでいるお払い箱寸前の98機でどこまでやれるもんなんだろうかという好奇心です。
完全に趣味の領域です。
ハードで遊ぶよりは、安上がりでしょうから
それと、ちょっと故あって、あるところでHPを立ち上げる話が持ち上がって
いるんですが、WEBサーバーから再構築する線でほぼ本決まりです。
その仕事をボランティアでやってくれる人の話では、WEBサーバーは
Linuxにするということなので、
私も乗り掛けた船ということもありましてこの際、
話に付いていける程度に齧ってみてもいいかなという程度です。
聞響の会、今日は、いや例のごとくと言うべきでしょうが、けっこう盛り上がりました。
皆さんに見ていただこうと思って用意していったビデオ(約30分)を見る
時間がなくなって、それは次回ということになりました。
マジメに悩んでいる青年を見ると、まだ捨てたもんじゃないかな、と思えます。
で、Linuxに話が戻りますが、案の定というか、なんというか
心配した通りに、元あったWINDOWS95の領域、
完全に消え去っておりました。それを再インストールしてから再挑戦です。
今ちょうどそれをやらせている最中に書いています。
らくりんさん、さすがですねえ、Linuxに挑戦中とは。ところでLinuxで使える便利なソフトってそんなに数そろっているんですか? 特にワープロとか。 プリンタは使えるんですか?
それと聞響の会・・・すいません、しっかり憶えてはいたのですが、お通夜とその流れで遅くなったのでフケてしまいました。今回のおニイちゃんの発題はいかがでしたでしょうか。
「他人の挫折」
この言葉ほど「淫靡な快感」をもたらす言葉はないだろう。
やってきましたLinux、さっそくあっちこっちに頭をぶつけまくっています。
雑誌に書いてある説明とかコマンドの意味が皆目見当が付かない。
いや見当はつくんだけど、正確な使い方がわからない。
インストールするためのパーテーションの作成さえできない。
下手するとWINDOWSの方を消してしまいそう(予備機だから消えても構わないん
だけど、やっぱり再インストールするとなるとめんどうだし)
そうなんですよねCUI(コマンドラインから命令する)ということは
入力した言葉でPCを思う通りにはたらかせようとするわけですから、
ほとんど新しい外国語を覚えるということと同じことなんですよね。
コマンドの意味とその正確な使い方を知らなければ、
単語と文法を知らずに外国人と話すようなもんです。
その点WINDOWSのGUIは、身振り手振りでだいたいの見当さえ付ければ
OSの方がこっちの知識不足をカバーしてくれるので、それなりに意思疎通ができて
しまうというすぐれものだということが身に染みます。ときどき駄々をこねるの
ぐらいは大目に見てやらなければ。
ともかく辞書もなしに外国語の勉強はできないわけなので、コマンドリファレンスを
探しにJ&Pの書籍コーナーへ。ごっついやつ(3800円)と
入門用(1800円)の2冊。厚さで2倍、中味の濃さで4倍ぐらいの違いが
ありそう。ちょっと迷ったけど、末長いお付き合いを期して
『Linuxコマンドバーフェクトリファフェンス」(ピアソンエデュケーション)
を選ぶ。
末長くということなら、どうせそのうち参考書も必要になるだろうから、
ついでに『Linux怒涛のQ&A』(エーアイ出版 2800円)も
締めて6600円+消費税
さて、どうなることやら、「あわてず・あせらず・あきらめず」
おっと、そういえば今日はダラブチさん、聞響の会でしたね。
今度は忘れていないでしょうね。
愚っ朕さん、
いきなり、エンジン全開ですね。
よっぽどネットが恋しかったのかフラストレーションが溜まったのか。
もっとも、Vitaさんのところは全面閉鎖状態ですから
中古PC買うぐらいには懐が暖まってきましたか?
お西の池田行信さんが、かつて「在日真宗人」という表現を
使っておられたことがある。愚っ朕は「真宗系日本人」とでも
申せましょうか。コスモポリタンにはなれないけれど、郷土愛を
なぜ「国家」で止めなければいかんのでしょうか。愛大阪、
愛近畿、愛西日本、愛日本、愛亜細亜、愛東洋、愛地球、愛宇宙
・・・
純ちゃんの行動を考えるに、アーリントン墓地みたいな
国立墓地をつくるという案があるようですが、さあどうでしょう。
それに関しては同志社の神学博士森孝一の『宗教から読むアメリカ』
講談社選書メチエが面白かった。
アメリカは民族国家ではない。民族性とは「共通の過去」と結び
ついた生存感覚のことである。アメリカの大義とは「共通の未来」
(社会主義国家の理念もこちらだった)に基づいている。
その大義とは、「見えざる国教」ユダヤ・キリスト教の理念である
という。(愚っ朕は「市場資本主義」もユダヤ・キリスト教の
観念に基づいた一つのマネー・ゲームだと思うが)
アメリカの「政教分離」は、国家から「宗教性」を取り除くのではなく
特定の宗派(教派)に肩入れしないということであるという。
キリスト教の場合、異端尋問や宗教戦争といった負の歴史を背負い
「聖戦思想」も持っているが「予言者的性格」(批判的自浄能力)も
持っている。ある時期のリンカーンやキング牧師に見られたように。
でも国家神道・ヤスクニ思想におのれを厳しく問い直すという
思想性は希薄やと思います。愚っ朕のテーマは「いかに自分を引き受け
いかに世界を引き受けるか」ですが、引きうけるにはちょっぴり
この自分が好きであること、この世界がいとおしいと思う事が
前提になるかと思います。
日本(の歴史)を引きうけるには、日本がいとおしいからこそ
「なんでそーなるの?」と逆説的に問う事から始まるのかと
「真宗系日本人」である愚っ朕はこの頃思うようになりました。
>大悲さん
米朝師匠を思う存分堪能したいです。うー耳が疼く。
>Zazieさん
志ん生や談志の『黄金餅』が好きです。人間のあさましさを
さらりと描くとこなんぞは、スゴイの一言。上方落語は故枝雀の
二番弟子雀三郎の新作群は群を抜いて面白かったなあ。
4日ほど前に注文した、PlamoLinuxの特集とCDが付いている
『ソフトウェアデザイン』(技術評論社)誌の2000年11月号が届いた。
どこも夏休みだから週明けかと思っていたが、いがいと早く届いた。
出版社は19日まで夏休みということはないみたいですね。
Plamoは、現在98機で走る唯一のディストリビューションだそうです。
代金1180円也(切手を同封)
まずは、雑誌の記事を読んでみることにします。
それから、どうするかじっくり考えてみよう。
車中w
雷鳥っす。機車?
機上もとい、車上。
今のところは、まだ大したものにはなっていませんので、ダメージは小さい。
けれど、バックアップはこまめにするようにします。
ところで「機上より」とありますが、
もしかして飛行機の上から?
機内では、携帯とか無線のような電波を飛ばす電子機器を使ったらいけないのでは、
もっとも、
みんなを道づれにして「自爆」しようとするなら別ですけど。
搭乗する際にはかなりうるさく言われますが、
実際にけっこうやばいみたいですよ。
HPビルダーはメモリーを食うソフトです。同時に繋いでいるとフリーズする可能性大。修正プログラムあんどバックアップ(^_-)
そんなに急かさないでください。
ちょっと遊んでみているだけですから。
それに、HPビルダーを使い始めたら、急にWINDOWSが不安定になってきた
感じがします。
何度も強制終了する事態に陥りました。
HPビルダーから、オンラインの掲示板にリンクを張って試した後なんかに
駄々をこねるみたいなんですが。あまり気持ちがいいもんじゃないです。
内容については、バンバンの過去ログ以外は何も具体的なことは考えていません。
日記はどうでしょうか。
私の思いをすべて暴露、衝撃の告白。
「バンバンHP」の開設ですか。楽しみだなあ。
>「他に、いったい何を載せればいいんだろう(∞;)」
って、そりゃあもう、「愛妻のページ」「愛娘達のページ」「愛機(PC)のページ」でしょう。ウヒャヒャ。
一応「バンバン」の過去ログが読めるようにだけでもしておこうかな、
などという気持ちが以前から少しばかりあったので、
まだ、お盆の半ヒマモードなので、午後からHPもどきを作って遊んでみました。
昨日、プロバイダーにHP開設申請をしたのですが、あちらさんも夏休みモード
のようで、来週にならないと返事は来そうもありません。
『1週間でマスターするホームページビルダー』という本の二日目まで進みまして、
リンクの張り方とか、だいたいの仕組みはわかったので、
これで文字だけのHPならば開けそうです。
そこまで練習してみて、「ハタ」と立ち止まってしまったのですが、
「他に、いったい何を載せればいいんだろう(∞;)」
過去ログだけじゃちょっとさびしいかなぁ〜
だれも、気にしていないかも知れませんが、
以前、少しお騒がせしたBTRONについては、
ここのところとんとご無沙汰しております。
しかし、PC天国も今日までで、
あす16日から、またちょっと忙しくなるかも……(∞;)です。
時間があるというのはありがたいことで、
いろいろと好奇心をそそられる経験をすることができました。
2チャンネルを堪能したほかに、昨日(14日)今日(15日)の2日間で、
98機でlinuxが使えるという情報をキャッチして、その関係のHPをあさって、
ちょっと調べてみました。
それと、写真学科に進学した娘に買ってやった中古iMacが頻繁にフリーズする
というので(自分では原因を追及したり、勉強したりする気がまったくない本人に
なり代わって)
苦手なマックではあるけれど、
iMacのトラブルシューティング関係のHPでしかるべき対処法かな
と思われるサイトをいくつか探検しました。
なんと言ってもマックは、不安定、いい加減、フニャフニャしている感じで
どうも、好きになれない、けれども
中古を買ったので、正規サポートが受けられないという負い目もあってったりして
なんとかトライしてみよう。
linuxは、DOS/V機だけのものだと思っていましたので、まったく関心が
なかったのですが、それが98機で使えるとなると、ムムッです。
しかも、CPU100〜200Mhzで充分実用に耐えるということなので、
98機の予備をいくつか保持しているらくりんとしては、
ここは一つ、時間の空いている時を見計らってちょっと深入りしてみようかな
という気分になりつつあります。
GUIと違ってCUI(コマンドラインからPCに命令を伝えるやり方)は
MSーDOSの初期(V2.11)の頃に、コマンドラインから命令する確実さを経験
した」身としてはけっこうそそられるものがあります。
それに、何と言ってもlinuxは某MS社とかリンゴマークの会社なんかと違って
基本コンセプトが商業主義とはほとんど無縁であるようですから、
ある日突然基本OSがまったく陳腐なものになって、それまでのハード/ソフト資産
がまったく使い物にならなくなるというような仕打ちを受けることは、
たぶんないだろう、と思える。
末長いおつきあいが期待できる。
OSとしての抜群の安定性(があるらしい)も魅力。
某「窓」のOSは、ときどき、いやしばしば、駄々をこねるのでたまりません。
リンゴマークは「窓」以上に不安定。
ワープロまで変える気になるかどうかはわからないけれど、
もし、linuxがちょっとでも物になるようだったらインターネット関係ぐらいは
切り換えることがあるかも、です。
今のところの感触としては、間違いなく前途多難、挫折必死ですが、
まあ、あせらずに
ちょっと、新しい趣味にでもなればと、いうぐらいの気でやってみようかな。
とりあえず、サーバーの構築あたりを当面の目標にしてみよう。
ここにご迷惑はかけられませんね。2chへ行こ〜っと。
(イエイエ、求められない限り、ここに何を書くつもりもありませんでしたけどね。)
ここは、管理人の素性がほとんどガラス張り状態ですから。
やっぱ、2チャンネルあたりで、匿名でやるしかないんじゃないんですか。
人前で話をしたときに「M会」と連発したら、しばらくしてずいぶんと形式張った形の抗議書面
をいただきましたよ。「正式名称はM寺である」ってね。録音取った人がおられたようで。下手
すりゃ告訴されてたかも。
例えばここでM会のことあれこれと書いたら、投稿した人間と、掲示板の管理者のらくりんさん
が目を付けられたりするのかしらん?
正式名称で呼んでほしいのでしょう。
お盆で暇だから(ちょっと変かな? でもうちは忙しいのは16日だけです、
それもちょっとだけ。この時期は法話や講義の依頼もないし)、
というわけで、半年ぶりぐらいに2チャンネルのいくつかのスレッドを堪能しました。
いつもはイライラしてくるんだけど、今日はけっこう冷静に読めました。
でも、とても毎日読む気にはなれないなぁ〜。
金沢駅の近くに何らかの施設(支部? 道場?)の建設計画が持ち上がって、反対運動
もあったらしいですけれど、法的には建てられる条件がそろったようですね。
ただ、私の周りにも勧誘されて、研修会のようなものを受けて、少なからぬ金額を納め
てらっしゃる方がおられるのですが、泣き寝入りというか、グチを言う以上のことを起
こそうとはなさらない。
それからこの団体は「M会」と呼ばれると怒るんです。「M寺と呼べ」と。なんでかな?
2チャンネルで、M会のスレッドが立てられて、最初は大したことなかったけど、
ここ1〜2ヶ月の間にかなりなことになっている。
最初から読むと、一応マル秘とされている入会儀式の体験レポートや、
元信者の告白とか現役信者からの反論などけっこう貴重な情報もあります。
……今回は、教団が教化事業として全教区で実施している「推進員養成講座」のテキ
スト『現代の聖典 第3版』について学びたいと思います。
テキストは初版が出版されてから40年近くなりますが、この養成講座のテキスト
に採用されるについては様々な意見がありました。
しかし、今まで内容についてある種のわだかまりやひっかかりを感じながら、それ
を整理し学びなおすこともせぬまま放置してきたのが実状ではないでしょうか。
現代という時代社会に生きるものにとって「現代の聖典」とは何か。諸兄の熱意あ
る参加を期待し夏期のごとく聞法道場を開催致します。
【記】
日時 8月29日(水)〜31日(金)
会場 城端別院 研修道場(富山県)
テーマ 『現代の聖典』に学ぶ
参加費 15,000円
日程(抄)
29日 14:30〜 発題1 比後 孝
班別攻究
19:00〜 班別座談
30日 9:00〜 発題2 藤場 俊基
班別攻究
13:00〜 班別座談
15:00〜 パネルディスカッション
21:00〜 懇親会
31日 9:00〜 全体座談
11:00〜 協議会
申し込みは8月25日まで
(連絡先を知りたい方は、私までメールを下さい)
※今回このテーマになった発端は、最初の発題者の比後さんが教学研究所所長の西田
真因さんに対して『現代の聖典』に関する問題点を指摘し、二人の間で往復書簡による
やりとりが何度かありました。それをもとにして比後さんの発題がなされるはずです。
その両者のやり取りのいずれに対しても疑問を感じている藤場が発題2を担当すること
になりました。
結局、『現代の聖典』の主たる内容である、『観経』序分をどう読むか、ひいては『観経』
という経典をどう読むか。そして、同朋会運動の推進という教団的課題のみにとどま
らず、それを「現代」における仏教の学びとしてどのように受け止めるのかという
展開になればおもしろいかな、と思っています。
>中国・韓国などの批判ではA級戦犯の合祀ということが、一つの大きな焦点となって
>いますが、この問題は外交問題として他国が取り上げる場合には、内政干渉の問題が
>出てきますので、こうした論点以外からは批判しにくいという問題があるからで、
>日本国内問題として私たちがこの問題を取り上げる場合には、A級戦犯合祀の問題以
>外にもたくさんの視点があります。
この批判については、日本側の見解の狭さということを、考えさせられています。
「1972年秋、日中国交回復に際しての中国側の最大の課題は、15年戦争に蒙った中国人民の損害に対する賠償請求の放棄をどう説明するかであった。
周恩来首相(当時)は、「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり、一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、一握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。すべからく日中両国人民に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」という論法で中国人民を納得させたという。
いうまでもなく、「一握りの軍国主義者」とは、極東国際軍事裁判所(いわゆる「東京裁判」)でA級戦犯という烙印を押された人たちである。
そのA級戦犯を祭る靖国神社に日本の首相が参拝するのである。中国側の反発は当然であり、賠償放棄を納得した中国人民の感情を逆なでするものであるといわねばならない
(参考資料;中江要介元駐中国大使「中国はなぜ靖国神社にこだわるのか」−2001年6月27日付『東京新聞』夕刊))」
周恩来首相の論法についての論義は、できます。
しかし、では、日中戦争を、第二次世界大戦を、私たちは、
どういう戦争だったと位置づけているのか。
歴史観を問われているな。今、故人のお仕事を踏みにじったのですから、
改めて、私も考えていかなければならなくなったと、思っています。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogokaisetyu.html
夏の疲れか、晩酌のあとバタリと寝たら、こんな時間に目が覚めてしまいました。
私は、日本国総理大臣が内外に示すべきなのは、憲法第九条に示されている「非戦の誓い」
だと思っています。昨日発表された首相談話にはそれを示す文言があるように聞こえました。
しかしその上で、「宗教的軍事施設」への参拝にこだわっておられる。そこがおかしい。
それと、「憲法違反」というひとつの拠り所があるから今のところはそこへ結びつけること
ができますけど、もしも憲法改悪ということになった時になにも言えなくなるのではしょう
がないですよね。私達が守るべき国の姿をよくよく考えておきたいです。
小泉さんのことだ、どうせまた来年も同じ騒ぎが起こるだろうし、その時また同じ議論を繰
り返していても、しょ〜むないですよね。
小泉首相が8月13日に靖国神社に参拝しました。
賛否両方どちらも納得・満足しないという、なんとも中途半端な「熟慮の結果」です。
中国・韓国などの批判ではA級戦犯の合祀ということが、一つの大きな焦点となって
いますが、この問題は外交問題として他国が取り上げる場合には、内政干渉の問題が
出てきますので、こうした論点以外からは批判しにくいという問題があるからで、
日本国内問題として私たちがこの問題を取り上げる場合には、A級戦犯合祀の問題以
外にもたくさんの視点があります。
それらの問題は次のような4点に整理できるかと思います。
(1)お国のために死んだ者を〈国のせいで死なされた者を〉
(2)国が 〈政治的に利用するために〉
(3)英霊として 〈(強制的に)すぐれたたましいと認定して〉
(4)祀る 〈宗教的に崇敬する〉
第1点は、この神社は国家事業としての戦争と切っても切り離せない密接な関係を
持つ神社であるということです。そのことは敗戦以前は靖国神社を所管していたのが
陸軍省と海軍省であったことからも明白です。ですから靖国神社は単なる一宗教法人
ではなく、これは宗教的軍事施設あるいは軍事的宗教施設と言わなければならないよ
うな存在であったのです。反対する立場からすれば、この問題点は主に戦争に反対す
るという視点からの立論になっていきます。国家は、国民に国家のために死ぬことを
強要できるか。(死刑制度の問題ともつながっていく)
このことは第2点とも関連してくるのですが、戦争が国家事業である以上、その尻ぬ
ぐい(戦争犠牲者に対する崇敬行事)も国家を代表する人間(首相、もしくは天皇)
の公式な行事としてやられなければならないというこだわりにつながっていくわけで
す。事は、決して小泉さんの個人的な心情の問題などではないのです。
第3点は、特定の死に方をした場合にその死に特別な価値付けをすることの問題です。
国家がそれを判断・認定する制度として行なわれる場合には、政治による死の意味付
けとその利用という問題になります。国家にとって価値ある死ぬと価値のない死とい
う選別がなされるわけです。しかも、それが「霊」が存在するかのような前提に立っ
てなされているわけで、これは国家が特定宗教の教義(考え方)を採用しているとい
うことになりますので、国教を容認することになります。
そして当然のことながら第4点の「祀る行為」につながっていきます。
首相が、「英霊」に「敬意を払うのは当然」などと発言するだけで、ほとんど憲法違
反だと言わなければならないほどの問題があります。
第4点は、国家と特別な関係を持つ死に方をした「死者の霊」に対して、特別な崇敬
行事がなされることの問題で、これは政教分離の問題になります。
何も靖国神社の公式参拝に限られる問題ではなく、「戦没者之霊」などと書いた巨大
な柱を立てて、天皇や三権の長が出席して、税金を費やして8月15日に行なわれる
追悼・慰霊式典なども、「霊魂」が存在するかのような形式を持って行なわれるので
すから、極めて宗教性を帯びた儀式、いや宗教儀式そものものであると言わなければ
なりません。(こちらの方は、ほとんど誰も宗教性がある儀式だとは看做していない
のが現状ですが)
と言われて、考えるのはやっぱ落語です。
新作はどうしても好きになれず、古典モノのテープを探して買い漁ったあげく、「三笑亭可楽」
にひかれました。この人の『らくだ』がすごく良いです。『寝床』『反魂香』『二番煎じ』も良
いです。
でも今ウチにはテープを再生できる環境が無いのです。CDとMDしか再生できないのです。近
代文明社会の合理主義の弊害と言うには八つ当たりですね(笑)。早めにMDに録音して、車の
中で聞きたいです。でも車中一人で大笑いしてるのを見られるのはちょっと恥ずかしいですが。
愚っ朕さんは、好きな咄家さんはいますか?あと、お薦めとか(上方落語も好きですよ)?
どの掲示板にアップされた話題だったか、わかんなくなってしまいましたので、此処で失礼。8月9日に、山東町で薬草サミットなるイベントがあり、ゲストが米朝一門です。ご当地で『亀佐』を演じます、というパンフレットが、実家から送られてきました。
当代の亀佐さんとの「ごたいめーーん」もあったことでせう
欠席届。明日より九州のお寺のお盆のお手伝い。
一週間、おめにかかれません。その間に純ちゃんの
決断がありますね。
昔、和田しげし師がいわれてたように国には
「おくに」という側面と「国家」の側面があると思います。
それは最近では、@「共同体としての国家」「情念としての
国家」とA「統治機構としての政府」「機能としての国家」と
いう風に言われなおされてます。
つまり、@ことばや宗教観やたべもの、皮膚や目や髪の色
などが極めて近いという意味で「私たち」感を感じさせるもの。
Aは法律がおよぶ範囲、お金が流通する範囲などとしての
まとまり。
保守の方の意見は一番目の共同体としてのまとまりがなくなった
こと。それを生きる目的やモラルが失われ、犯罪が多発し、親や教師の
いうことを子供がきかない等々の原因と考えておられるのであります。
で、愚っ朕は海外留学や海外赴任や海外旅行を通じて、あるいは
このようなインターネットを通じて、海外の知人や友人をもつ機会の
多くなった現代人が「排他的」なナショナリズムをアイデンティティに
することはもうムリだと思うのです。(日本の中にも多くの「外国人」
が住んでいるのだから。ただ私は日本の古典芸能が大好きだというナショ
ナリティは思いっきり持ってますが。)
そして社会や地域や家庭での「役割貢献」を「生き甲斐」として生きていく
というスタイルより、「じぶん」「わたし」「個人」が楽しいことをやる
という時代の流れはもとに戻せない。
わたし的にはやはり、Aの機能としての国家の側面を再構成し個人にとって
抑圧的でなく社会の平安が保たれ、戦争に危機を回避するシステムを維持する
ことに知恵を傾ける方向に向かうしかないのではないかと思います。
「自由主義」とは「人民の権利を国家権力から守ること」であり、「民主
主義」とは「人民が国家権力に参加すること」だと保守派の小室直樹が定義
してます。憲法二十条の信教の自由と政教分離の原則は、戦前大本教やひとの
みちやほんみちの幹部が投獄されたような宗教弾圧が二度とないようにという
大切なものであると思います。
純ちゃんはじめ総理大臣が一宗教団体でしかないヤスクニに肩入れする
のは、自由主義と民主主義の原則を踏みにじり、@の側面を強化すること
によってAの機能を働かせようとする姑息なやり方だと思います。
説明書通り最初から順を追ってきちんとやっていかないとだめなもんですね。
なんとか無線LANもつながりました。
これで夏休みの楽しみが一つ終わってしまいました。
そっかぁ〜、これでもISDNの約十倍なのか、ムフッ。
データサイズ = 1 M バイト
受信時間 = 111.841 秒
平均速度(バイト/秒) = 8.9 k バイト/秒
平均速度(ビット/秒) = 72 k bps
ブロードバンドの、、、バカアッ
このようになりました。
データサイズ = 1 M バイト
受信時間 = 11.7 秒
平均速度(バイト/秒) = 85 k バイト/秒
平均速度(ビット/秒) = 684 k bps
3倍弱ぐらいかかってますね。
今は、無線LANカードの設定に取り組んでいますが、なかなかうまくいかない。
ちなみに我が家のは、ケーブルテレビで、
公称2Mbpsですが、だいたいこんなものです。
データサイズ = 1 M バイト
受信時間 = 4.506 秒
平均速度(バイト/秒) = 222 k バイト/秒
平均速度(ビット/秒) = 1.775 M bps
↓データ受信速度測定
ちょっとばかり苦労して、結局ルーターのメーカーサポートの助けを借りて
なんとか2時間ほどでプロバイダとの接続と有線LANの接続を完了しました。
たしかに表示速度は早くなりましたけれども、期待していたほど
でもないかな、という感じです。
もっとキビキビというか、パッパッという感じになるかと思っていました。
でも、これでダイヤルアップの作業からは解放されることになりました。
私がいる。
私は国税を払っている。健康保険に加入している。
選挙権を持ち、それなりの恩恵を受ける。
私は日本国民である。
私は真宗門徒である。
私が日本国民であって同時に真宗門徒である
ことは可能である。私が日本国民であることを
あえて否定する必要はない。
私がアイデンティティ(帰依処)を日本国民で
あることにおくことは可能である。
だが私は真宗門徒であることにアイデンティティを
おく。その時、日本人一般の宗教観といわれるものを
アイデンティティに繰り入れなければならないという
必要はない。
私は日本国民であることまたは日本人一般の宗教観と
よばれるものにアイデンティティをおく他者を認める。
しかし、真宗門徒であること表明しながら同時に
日本人一般の宗教観といわれるものをもつ他者に疑問を
呈することは許容されうるものと考える。
私は日本国に暮らしていて、平和を享受していると
感じる。しかしそれは、積極的に戦争を遂行した兵士
達の死の上だけに築かれたとは考えない。
例えば、私の先祖を取り上げた非戦闘員である産婆
さんのような存在がなければ、そもそも私の存在はな
かったと考えられる。
外国における非戦闘員のことも同様に考えることが
できる。医薬品を発明したり食料を生産したりした人等。
つまり様々な縁によって私が存在するのは疑えない。
故に私が日本人一般の宗教観といわれるものをもた
なければならないということもないし、日本の戦闘員
の死だけに対して負い目を負う必要もないと考える。
え〜と長々書かせていただいたのは、ヤスクニに
反対するのは真宗門徒として当然ではないかという
前提から始めるよりは、相手に何とかことばが
届かないかということで一歩一歩コトバを尽くすか
様々な人の御恩(縁)というのに気づいていただけ
ないかなあと思ったこと。あるいは一部の強硬な
社会派の方のようにことさら反日を強調しなくても
いいんじゃないかなあと思ったからです。
さてみなさんはどうお考えになりますか?
『靖国神社をどう考えるか?』
加地伸行・新田 均・三浦永光・尾畑文正 共著
小学館文庫 /224頁
定価: 476円+税 です。
しかし、このおっちゃんはこの頃この手の本ばっかり
出してますなあ。宗教関係者にとっては、教科書問題に
顔出すおっちゃんらより、たち悪いおっちゃんでは?
まあ、下記に一部主張がのってますが、この手の発言を
門徒さんのみならずお坊さんまでがいわれたりするんだから
いやはやなんともファジーな教団だわい、おいらの教団は。
「バラバラで♪マイベビーバラバラ あ、バラバラ」
「どこの靖国神社に敵も味方も祀ってあるんじゃい」
靖国は、敵と味方、戦闘要員と非戦闘要員をきっちり選別して、
選ばれた者には「神として祀られることを強制」(拒否できない)し、
選別外の者は捨て置かれる(排除)。
選別と排除と強制が靖国信仰の核になっている。
それから、日本の伝統から言えば、
実際に存在した人を死後に神として祀るというのは、菅原道真の天満宮のように
恨みを残して死んだ(無念・非業の死)人が怨霊となって
悪さをするのを沈めるためにする鎮魂や慰霊のために行なわれるのであって、
味方を祀るということは基本的にはなかった。
特に闘いでなくなった味方を神として祀るということはありえなかった。
なぜなら味方は、怨霊となって祟ることはないから。
だから、味方を慰霊するために存在する靖国神社というのは
日本の神道の伝統からはみればかなり異例。
各個人の欲望・身体性をひとまず肯定した上で
そこを足掛かりとして何とか公共性(連帯性)を
導けないかと構想する愚っ朕一人の異安心エロス派・真宗立川流
(政治会派、グループ・ゴージャス!?)でありますが。
「生きる」こと「死ぬ」ことに
「意味」を与えたい、「物語」を与えたいという
のは人間に普遍的にみられる意識であるかも
知れませんが、それは「国家」が独占するものではないと思います。
で、どこぞの方たちがよくいわれるのですが、
「日本人としては○○するのは当然」とか
「人間として○○するのは常識」とかの
もの言い。これは一考に値する。ほんまにそうかいな。
ヤスクニ問題について、いろんな立場のひとの
共著として7月に本が出た。そこに同朋大学の
尾畑さんが書かれている。同時に儒教思想研究家の
加地伸行も書いている。
フジ・サンケイグループの扶桑社の『正論』で
この加地が「日本は敵味方なく、弔うのだ。宗教者は
犯罪者でも暖かく迎えるものだ。それなのに日本で
靖国参拝に反対しているのはキリスト教や真宗大谷派だ。
彼らは親鸞の言葉・善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや
ということを理解していない」といっている。
ニュースステーションで夕べ自民党の野中が出てたが、
ここの調査だったか20代の若者は、ヤスクニには
空襲で死んだ民間人も祭られていると認識している
割合が多い。やっぱり、情報化社会といいながら
正確なとこ(解釈ではなく)はなかなか伝わらないと
いうイライラが愚っ朕は常にもってますです。
小箱さん、ようこそ、です。
>一番有効なメディアってなんなんでしょうね。
>ヤッパお寺の法座かな
口コミというのはいちばん有効だけど
すでに出会っている人にしか効き目がない。街で行きずりの人に
話しかけても警戒されるだけ
ですから
法座に来て下さる人だけを意識していたら、先細りは見えている。
法座に来て下さる人の一人ひとりが、口コミの発信源となって
それが伝言ゲームの網の目のように広がっていくというのが、一番いいんじゃないかと
思いますが、言うは易しです……(∞;)
メディアというのは、それを知らない人のところにまで情報が
届いて行く可能性がある点に最大の魅力があるのではないかと思います。
「感染力」の強い情報というのはとにかく「単純明快」さが要求されます。
「単純明快」さというのは、小泉首相の「今こそ構造改革だ」というような
包含性のある言葉になるわけですから、どうにでも解釈され得るということです。
したがって、それは常に「誤解・変質」と背中合わせになっています。
当地の門徒会には「ご本山は靖国問題やらなんやらに、首をつっこまんといてくれ」ということ
をはっきり言われる役員の方が少なからずおられます。ご本山への募財がやりにくくなる、とい
うことが元にあるからです。小泉首相が遺族会への人気取りに靖国へ参拝することと同じ土壌か
と思いますが。
だから、メディアの使い方が下手くそ、ということもあるでしょうが、もう一つ、あまり大声を
出したくないという部分もあるような気がしてしょうがないのです。「宗門はどこまで本気なの
か?」と。
だから結局、これまでのレスにあるように、宗門としての取り組みにのっかるよりは、問題意識
を感じた個人がまず取り組み始める、という形でしか始まらないと思うのです。
でもやっぱり ootubo さんのいわれるごとく、
>これって、エネルギー使うんですよね。
そういうエネルギーは、どうすれば湧いてくるの?
らくりん様、拙ページへのカキコありがとうございます。
メディアの使い方の話が出ておりますが。
大派だけでは無く、真宗十派は全て同様じゃないかと思うのですが。
とはいえ、電通を巻き込んでの広報もどうかなって思ったりもします。
私たちが持っているね一番有効なメディアってなんなんでしょうね。
ヤッパお寺の法座かな?
なんか良いメディアミックス無いかな・・・・・
掲示板がこんがらがっていますが、らくりんさま法要お疲れ様です。
さて、
>最近大谷派の教学研究所の所長が「大谷派の教学のスタンダードが必要」など
>ということ言いはじめていますが、私はそういう発想には大いに???、です。
ということですが、悩める子羊には、手引きがあってもいいのかと私は思っています。
しかし、これが絶対(若しくはスタンダードである)という強制はごめんですが。
私のように宗門の大学や大学院を出ていない者は教学とは何かがまず理解できません。
聞法会に参加しても、A先生とB先生がおっしゃられることが違う場合どういただけば
いいのかわからない。(たとえば、浄土とは、往生とは等々)
また、七祖の聖教をほとんど学んでないのに、近代思想や社会運動等について意見が述べれません。
(仏に帰依した立場でどう思うかということで、自分で勝手に思った意見なら言えるのですが)
稚拙な書き込みでしたが、ご親切な御指南有難うございます。
>なまぐささん、人がやってくれるのを当てにして待っていないで、
自分でできることをさがして、まず1歩を踏み出してみてはいかがですか。
大事なことを思い出させていだだきました。自分の足が動いていないことを忘れていました。
>各お寺にご縁のある「ご門徒」へ伝えられれば、あっという間に「社会認知」はされるんじゃないですかね
ご縁のある人だからこそ、実は自分が曖昧にしか伝えていないなぁ。(反省)
皆さまお久しぶりです。
>たしかにあまりメディアの使い方が上手な教団だとは言えないと思います。
全くそのとおりだと思います。
適切な言葉が思い浮かびませんが、社会への広報とでも言うべき仕組みがほとんどないと思います。
しかし、視点を変えてみると、大谷派の一般寺院(末寺という表現は現在なされていません)は9,000ヶ寺を越えるわけで、その一ヶ寺づつへは『真宗』(大谷派の官報)で報告なされてるんですよね。
各お寺にご縁のある「ご門徒」へ伝えられれば、あっという間に「社会認知」はされるんじゃないですかね。
でも、これって、エネルギー使うんですよね。
ハズカシながら、私も一歩踏み出そうとして、その足もどしたりして。
ところで、大谷派のファジーなところって、いあゆる「宗門問題」以降、強くなったんじゃないんですかね。
あまりに二転三転する宗務方針に徹底するのが馬鹿馬鹿しくなった?そんなことないか?
いろんな意味で地方委譲がすすんだっていう話しは聞いたことあるんですけど。
なまぐささん、はじめまして。
「発信」というのはどういう意味でおっしゃっているのかわかりませんが、
しかし、「決議」や「声明」がすでに出されているわけですから、
私は最低限の「発信」はすでになされているのだと思います。
問題は、それが「社会的に認知されるための努力」が、効果的かつ継続的に
なされているかということですが、こちらの方はたしかにまったく不十分ですよね。
そういう意味ではたしかにあまりメディアの使い方が上手な教団だとは
言えないと思います。
大谷派の教団というのは、どうも決定されたことが、構成員の隅々にまで行き渡る
ということがあまりきちんと行なわれないのが組織の気風になっている面があります。
普通そういうルーズさは、組織としてはまったくダメなんですが、
私はそれはそんなに悪いことじゃないような気がしております。
こういう組織では、誰かがやってくれることを待っていても、
いつまでたっても何も始りません。
どうも、私のいままでの大谷派という教団との付き合いの経験から考えるに、
気づいた人、思い立った人がそれぞれの場でそれぞれのやり方でやり始める以外に
ないというのが、今のところの結論です。
なまぐささん、人がやってくれるのを当てにして待っていないで、
自分でできることをさがして、まず1歩を踏み出してみてはいかがですか。
|