らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉



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月刊諸君! 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 9日(火)16時08分11秒

 誌上で最近、とみに右旋回している橋爪大三郎と、お懐かしや島田裕己
先生の「宗教とテロリズム」についての話が掲載されてます。

 いろいろ面白い問題が提出されていますが、「聖書」はいろんな解釈が
可能なテキストであり、俗なる共同体生活に染まりながら、日曜日だけを
聖なる日として礼拝に行くことができるキリスト教徒と、
 解釈ができにくい生活規範である「コーラン(クルアーン)」では、共同体
生活全体が聖なるものに捧げられているムスリムとの違いの指摘がなされています。

 ひいては、日本には読むべき「テキスト」がないというのが
二人の一致点のように読めました。

 連休中、墓前で法事をやったのですが、その折りちょうど隣で
キリスト教式の「法事」とぶつかってしもうたんです。
 楽譜を渡して賛美歌を斉唱するわ、聖書の朗読はあるわで、
こっちとら、ぐっちんのワンマンショウですから、めっちゃやりにくかった。

 しげじいの本で、昔は真宗門徒はお勤めをして、ちゃんと毎日
和讃とお文に触れていたと読んだことがあります。
 また藤元せんせの『願心を師となす』では、生活習慣によって
人間を変革し、仏にさせるのが仏教だとありました。

 生活。習慣。声に出す。身につく。足が地に付く。。。
といった「からだ」の問題に最近関心があります。「思想としての
真宗」じゃ無くして。


習慣火曜日 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 9日(火)15時42分12秒

 >おじきさん(10月4日分)

 >自分がどう行動していくかによって「仏教徒」である事を
 >誇りうる時が来るのだと思います。

 う〜ん。「行動」で誇り、持てたりするかなあ。。。
わて、何やっても自信ありませんわ。こんなことでホンマ
ええんかいな?っていっつも思います。
 
 まあ、このボードでも人様に偉そうに「お前らいったい何
やっとんじゃ」とか憎まれ口たたいてますけど、「何か、
ほんまにどないかしてよ、みんな」という哀願なんやけどなあ。。。

 仏教徒であることを誇るちゅうのは、なんか「水平社宣言」の
もじりみたいなですが、虐げられしものの誇りと、「どや、わしこんな
エエことやってます」ではだいぶ意味合いが違うんやおまへんか?


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日:10月 9日(火)15時22分22秒

今年9月2日までの【らくりんバンバン】過去ログをアップしました。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/ban_log/ban_past.htm


勇気ある「一」 投稿者:らくりん  投稿日:10月 9日(火)10時03分29秒

9月14日、アメリカ連邦議会はブッシュ大統領に報復戦争の「必要で適切なあら
ゆる軍事力」を行使する権限を与える決議を採択しました。上院は全会一致でした
が、下院は420対1でした。唯一の反対票を投じたのがバーバラ・リー議員です。

Eメールのリレーで、
米下院議会で行なわれた彼女の反対演説の原文と訳文が届きましたので
下記にアップしておきます。ごらん下さい。

【らくりん交差点】の「メッセージボックス」からも入れます。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/messenger/barbara.htm


バッヂも悪くない 投稿者:らくりん  投稿日:10月 9日(火)09時36分04秒

問題は、バッヂを着けるか着けないかではなくて、
そのことに「誇らしげ」さ
がただよってしまうことにあるような気がします。
「さりげなく」っていうなら、ありなんじゃないですか。それが難しいか。

ただ、そんなふうにバッヂを着けていったら、あれもこれもで
なんとか将軍の胸に並ぶ勲章どころか、
身体中がバッヂだらけになりそう。
とても「さりげなく」とはいかないかも。


「War is not The Answer.」 投稿者:Zazie  投稿日:10月 9日(火)02時13分35秒

というバッヂを、私は誇らしげに胸に着けそうで、恐ろしいです。


空爆。 投稿者:Zazie  投稿日:10月 9日(火)02時07分40秒

始まりましたね。

私はもちろん報復攻撃反対なのです...が、自分の身内が被害者だったら許せなくなるの
かもしれないと正直思います。そんな中、自分の親族がテロの犠牲になっていても「私達の
家族の為に誰かを殺す事はしないで下さい」とニューヨークで言ってる人達は、すごいなと
思います。私が同じ立場で同じ事を言えるのか。自信がありません。


酔ったいきおいで 投稿者:Maro  投稿日:10月 9日(火)00時24分37秒

酔払いでゴメンナサイ。

>ぐっちさん
 私も、同じことを時々思います。
なんや、理由付けせな、大義名分がないと私は動かれへんのかなって。
 気軽に動いたら良いんですよね。
っていうか、そんなに自分を正当化せんで良いんでないかなって。
 訳わかんなくてゴメンナサイ。

 問題は全く動いてという事実やな・・・・
 


「狭さ」は悪くない 投稿者:らくりん  投稿日:10月 8日(月)21時15分43秒

>三吉さんが信じていると確信しているその「願い」
がもし「阿弥陀如来のそれ」であるならば、あなたもおっしゃっているように
「念仏衆生摂取不捨」と切り離しては成立しないはずです。
私が知る限り、三吉さんはその部分についてはかなり懐疑的であったように
思います。
そして、その懐疑が解消したとということを、私が見聞きしている範囲では
知りません。
ですから、三吉さんの確信は確信であるとしても、
〈阿弥陀の願い〉ではないと言ってもいいのではないかと思います。

>くだらん。あなたにとって阿弥陀の願いは我等が念仏すること、<ただ念仏>なの
>でしょうけど、それはあなたの本願であって私の本願ではない。その断定はあなた
>の狭さを展開したものにスギナイト私は感じます。
であるとするならば、「阿弥陀の願い」こだわる必要はどこにあるのですか。
あまりこだわってないのかも知れませんが……。
みんなを浄土に迎え入れ、そして仏にならしめる。その為の方法は
念仏以外にどこに用意されているのでしょうか。ご存知なら、教えて下さい。

私はそれしか知らない。それを私の「狭さを展開したものにスギナイ」と言うのなら、
その「断定」を否定するつもりはありません。私はその点に関しては偏狭である
つもりです。私なりに、ようやくたどりついた「偏狭さ」なんですから、そう簡単に
手放したくない。大事にしますよ。
「寛大さ」を演ずるよりはるかに生きやすい。

>愚者なんで一字一字に厳密に区別して意味付けてしゃべったりはしません。
>もっとファジーでする。
ご謙遜を、そこここの掲示板で、けっこう「一字一句」に蘊蓄をか傾けている
のを拝見してますよ。
うっかり「信心は有無か?」とレスしてしまうと、
「私が言っているのは〈信仰心〉であって、真宗教学で取りざたされるところの
〈狭い意味〉での〈信心〉のつもりで言っているのではない」
などと反撃を喰らう可能性がなきにしもあらずなので、
ちょっと「警戒」してみたまでです。
これは、三吉さんに対する敬意の現われだと思っていただければと思います。

最近ROMし始めた方へ、過去ログを読んでいただければわかると思いますが、
三吉さんとのこのような応酬は、お互いに相手をよく知っている間での
挨拶代わりの軽いジャブのようなものでして、決して喧嘩を売り合っている
険悪な関係であるわけではありませんから、心配しないで下さい。。


インソムニアさん
「阿弥陀の願い」というのは、上の三吉さんへのレスで書いた「念仏衆生摂取不捨」
(念仏の衆生をおさめとってすてない。もしそれが実現しなかったら、自分のその他
のすべての願いは成就することはない)という願いです。
浄土真宗は終始この願いの上に成り立っています。


やせるヨガ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 7日(日)14時50分28秒

 というのが昔、はやったことがあるけど。
最近太って太ってたまりません。

 老人ホームでラジオ体操はきついなあ。
太極拳か気功でも指導すればええのにと思う。

 別に悟るとかなんとかやなしに、リラクゼーションで
瞑想とかやるのは、真宗的にみてOKかなあ。
 宗教やありませんとかなんとかいいわけなんかしたりして。
 
 環相回向とかなんとかややこしい意味付けせんと、運動しても
ええやんなあ。ただし運動ゆうても市民運動のことやけど、
別に関係なしにやったらええんやなあ。

 気楽に考えよと思いました。らくりんさんの本読んでて。


納得 投稿者:三吉  投稿日:10月 7日(日)01時56分06秒

<安易に答えられない。答えてはいけない問もある>

なるほど、そーかもしんないが。。。もどかしいですね(笑)


久々にちと、ケンカモード 投稿者:三吉  投稿日:10月 7日(日)01時54分53秒

あいかわらず。。。傲慢なお応え。。。<つもりでしょうね><納得とか信用できるんですか?><三吉さんが信じていると確信しているその「願い」は、少なくとも〈阿弥陀の願い〉ではない。>というあなたの断定。

<つもりでしょうね>
私は。。。親鸞でも廣瀬杲でもらくりんさんとも違う人格です。愚者なんで一字一字に厳密に区別して意味付けてしゃべったりはしません。
もっとファジーでする。

<納得とか信用できるんですか?>
どーでしょう。それはわかんないが、らくりんさんの答えは先を歩くものとして意識はするでしょうね。他の人のは正直わかない。このレベルか、ふふふかもしんない。
そもそもこういう問いが私に生じ聞いてみたくなっているのは、第一に私が煮詰まっているからであり。。。刺激を受けたい。第二に、他者に対してそもそも疑惑心を持っているからでしょうね。
「お前達、自分を誤魔化しているだけじゃないのか?」と。

<阿弥陀の願いではない。というあなたの断定>

くだらん。あなたにとって阿弥陀の願いは我等が念仏すること、<ただ念仏>なのでしょうけど、それはあなたの本願であって私の本願ではない。その断定はあなたの狭さを展開したものにスギナイト私は感じます。

ともあれお応えサンクスです。

インソムニアさん

はじめまして。信心は<前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり>だと私は思ってます。あなたのいうように、閉じたものではないと。。。少なくとも私はそう思ってます


新井英一ウェブサイト 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)23時21分49秒

「見てまわリンクに」に入っていたはずですが、消えていますね。
下記です。「お気に入り」に入れておいて下さい。

http://www.e-arai.com/index2.html


信(仰)心と願い 投稿者:インソムニア  投稿日:10月 6日(土)18時03分21秒

三吉さんのところで、信心と願いについて書かれていましたが、信心は人それぞれだと思うのですが・・・。
>らくりんさん、阿弥陀の願いとは何ですか?
それから、以前らくりんさんのHPに新井英一(字、合ってる?)さんのことが出ていましたが、どこに出ていたか思い出せません。今はもう出ていないのでしょうか?私も、ニュース23で見て(ずっと前)感動したことを覚えています。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)10時43分39秒

下記の【転載】メッセージ
「生きているアメリカの抵抗運動」を下記にアップしておきました。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/messenger/messenger.htm


信(仰)心は有・無か? 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)10時13分01秒

三吉さん、お久しぶり
「信仰心」と書いてありますが、あなたのことだから
これは「信心」と区別して書いているつもりなんでしょうね。

仮に、三吉さんがそれらを区別していたとしても、
そういう問い掛けをして、三吉さん
私が「ある」とか「ない」とか答えたら、納得とか信用できるんですか?

問い掛けには、前提が必ず含まれます。
問のに前提されていること自体がすでに問題がある場合は、
国会答弁じゃありませんが、安易に答えられない。答えてはいけない問もある。
なぜなら、答えることは質問者が、意識的または無意識的に持っている前提を
認めることになるからです。

今の場合は、
「信(仰)心は、ある・ないという答え方が可能で、
そしてそれは当人の意識とか自覚によって決定できる事柄である」ということに
なるのではないでしょうか。


また以前の話の蒸し返しになるし、三吉さん自身も理解はしている
はずだと思うんだけど、
>私は願いは信じてるな。確かだと身体の奥から湧き起こるね。。。
>阿弥陀とか念仏とか、その他諸々はわかんないけどね。。。
これでは三吉さんは、「願い」を信じていることにはならない。
三吉さんが信じていると確信しているその「願い」は、
少なくとも〈阿弥陀の願い〉ではない。

>つまり。。。「念仏」できんということ自力増上慢なんだろうな。。。
>だけど。。できんもんはできん
ということなんで、この感覚は、とっても大事なんで、
そこのところは最後までごまかさんように大事にして下さい。


つづき、【転載】メッセージ3 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)09時08分33秒

◆胸につける反戦平和のマーク

今、私の胸にはWAR IS NOT THE ANSWERと書かれた半径2センチほどのバッジが付い
ている。9月29日の行進に参加した日本山妙法寺の市川尼僧の厨多袋に付いていたそ
のバッジの由来を尋ねたら、「どうぞ」と言われてそのまま私の胸へとやって来た
バッジだ。

これから外へ出る時にはいつもこのバッジを胸にして出ようと思う。きっと顔を横に
向ける人に出会うだろう。そして、きっと同じようなメッセージを身に付けた人にも
出会うと思う。そんな時はどちらも笑顔で胸を張りたい。行進が終わり、そんな勇気
と希望がむくむくと湧き出して来た。

◆参考サイト:
・International Action Center  http://www.iacenter.org
・International A.N.S.W.E.R.  http://www.internationalanswer.org
・Washington Peace Centerhttp://www.washingtonpeacecenter.org

International A.N.S.W.E.R.は、10月12日〜13日を「戦争と人種差別に反対する国際
行動の日」として世界各地での参加を呼びかけています。

**********************************
US-Japan Environmental Action Center
P.O. BOX 305
Washington, DC 20044-305 USA
Phone/Fax: (301)887-1390
ujeac@igc.org
**********************************

--- End of Forwarded Message ---


つづき、【転載】メッセージ2 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)09時07分51秒

◆ 新しい戦争に対抗して立ち上がった反戦・反人種差別連合体
「International A.N.S.W.E.R.」

ブッシュ政権がアフガニスタンへの軍事作戦に突き進むなかで、危機感を感じた市民
達は各地の平和活動団体を中心に集まり、さらにそれが全米的な連合体組織として誕
生した。「戦争と人種差別がその答えではない」(War & Racism Are Not the
Answer!)という明解なメッセージを掲げて誕生したこの団体の緊急プレス・リリー
スは、デモの五日前の9月24日に行われている。正式名称は「戦争を止め、人種差別
を無くすため、いま行動を」(Act Now to Stop War & End Racism)というもので、英
語の頭文字をとって「ANSWER(アンサー)」と呼んでいる。なかなか洒落た名前と感
心していたら、急遽つくられた連合体であったにも拘らず、名前が発表された時には
既にマス・デモンストレーションが予定されていたので驚いてしまった。

この連合体の母体となっているのは、ニューョークに本部のある「インターナショナ
ル・アクション・センター」(以下、IAC)である。この団体は数ヶ月前から、9月29
日と30日に予定されていた世界銀行とIMFの総会に抗議する目的で「ホワイト・ハウ
ス包囲集会」を計画していたという。9月11日後にその総会が中止となり、反IMF・世
界銀行のデモへ参加を予定していた各団体がワシントン行きを取り止める中で、IAC
はデモの目的を反戦と反人種差別に変えて29日のデモの準備を進めてきたということ
である。

最近、イタリアのジェノバにおけるG8サミットへの抗議デモで死亡者を出した後だけ
に、厳重な警備の中で実施された反戦デモの群集を平和的な行動へと導き、終了させ
ることが出来たのは、やはりマス・デモンストレーションの組織化に慣れた彼らの経
験と努力の結果と称賛したい。

◆ もう一つの行進「コミュニティー・マーチ」

ここで9月30日に実施されたもう一つのコミュニティー・マーチについても報告しな
ければならないだろう。こちらの行進は反戦平和のメッセージを地元の人々に届ける
ために企画されおり、行進はワシントンDCの商業地区と住宅地区を三時間近く練り歩
くものであった。主催団体はワシントンDC地区で社会正義のための教育活動をおこ
なっている「ワシントン・ピース・センター」と平和活動を活発におこなっているク
エーカー教徒の人達による「アメリカン・フレンズ奉仕委員会」。

29日の行進より参加人数は少なかったが、集会場となったマルコム・X・パークには
一人一人の参加者の顔がよく見える親しみのある雰囲気が漂っていた。実際、私は近
所の顔見知り三人と出会って言葉を交わすことが出来た。これは29日の行進にはな
かったことだ。そして、公園にはTシャツやバッジや絵などを売ったり、情報交換の
ためのテーブルも並べられていて、行進がこの公園から出発した後も人が絶えること
なく集まって来ていた。このマルコム・X・パークはラテンアメリカ出身の労働者が
多く住んでいる地区にあり、公園の半分ではサッカーを楽しむ人などもいて、共に自
然に反戦平和のメッセージを耳にするといったリラックスした環境は、あの悲劇を共
有した私たちにとって大切なことと感じられた。

りっぱなステージの上では、平和へのメッセージが語られ、歌があり、詩が朗読され
た。活動家の友人の薦めで私もステージに上がり、1991年の湾岸戦争の時に書いた詩
『世界で一番大きくて 醜い人間とは?』を朗読した。10年前は日本語で、そして今
回は英語での朗読だったが、やはりこのような時に10年前と同じ頁を開けてを朗読す
るのは悲しいことだった。


【転載】メッセージ 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(土)09時06分24秒

以下のようなメールが届きましたので、紹介します。

--- Forwarded Message ---

報告:「生きているアメリカの抵抗運動」(10月1日)

米国市民による抵抗運動が、インターネットの中から街頭へと大きく動き出し始め
た。9月11日からしばらく大手メディアによる戦争プロパガンダの陰で鳴りを潜めて
いた戦争反対派の人々は、それぞれの声と姿をもって外に現われ出て来たのである。

9月29日と30日、あの事件後では最大規模のデモがワシントンDCで実施された。29日
のナショナル・マーチには、全米各地から貸し切りバスやバンに乗って来た人々を含
めて1万人以上、30日のコミュニティー・マーチには地元の人々を中心に約5000人が
参加した。

29日のナショナル・マーチの集会場となったホワイト・ハウスに近いフリーダム・プ
ラザ(220m×65m)には、メッセージを書いたプラカードを持った人々で溢れ、国
会議事堂へ向かう行進は7車線ある車道を大群衆で埋め尽くして進んだ。

ドラムを叩き、鐘を鳴らし、抵抗の音を響かせる人達。伝統的なイスラムの装いで
堂々と歩く人達。メイキャップや仮装をしたり、足に括り付けた竹馬にのって自由を
闊歩する人達。韓国の伝統音楽で行進を激励する人達。ガスマスクに黒ずくめの衣服
で拳を上げる人達。団扇太鼓に平和を祈り歩く人達。子どもの手を取りゆっくり歩く
人達。車椅子や乳母車を押して進み行く人達。恋人と肩を抱き合って歩く人達。踊り
ながら歩く人達。大掛かりなストリート・シアターの人形を掲げて歩く人達。メッ
セージを書いた紙を持ち、プラカードを高く掲げて歩く人達。チョークで車道にメッ
セージを書き付けながら歩く人達。カメラやビデオを手に行進の記録を取りながら歩
く人達。

「よかった。やはりアメリカの抵抗運動は生きている」。赤ちゃんから老人まで、肌
の色さまざま、出身国さまざまな、宗教さまざまな人々が参加したその行進の中に私
は身を置いて、今までにない誇らしげな気分と喜びを感じていた。1998年の米軍によ
るバグダット空爆反対のデモにも私は参加したが、あの時とは比べものにならないほ
ど、今回の行進には「今、反対の声を上げる時」という人々の強い意志が感じられた
のだ。

9月11日以降、さまざまなメッセージがe-メールで送られて来るが、9月23日にはフロ
リダの平和活動家からマーチン・ルーサー・キング牧師による1967年のリバーサイド
・チャーチ(ニューヨーク市)での演説文の一部が届いた。「沈黙が裏切りである時
が来た」で始るパワフルなメッセージは、おそらく転送を重ねて数えきれない人達を
励まし勇気づけたことだろう。

「本来あるべきアメリカの民主主義は、米国民が民主主義に則って正直に話す勇気を
見出した時に実現する」と、作家ウィリアム・グライダーは著書『誰が人々に知らせ
るのか』(Who Will Tell The People)の中で書いているが、戦争を宣言したアメリ
カ大統領に大幅な権力が与えられている今こそ、米国民は沈黙せずに大声をあげ、疑
問を投げかけ、討論を要求していかなければならないのだと思う。それが力を合わせ
て行動する草の根市民の真の力であるにちがいない。


自力 投稿者:三吉  投稿日:10月 6日(土)04時24分05秒

つまり。。。絶望できんということ自力増上慢なんだろうな。。。

だけど。。できんもんはできん


つまり。。あなたがたにとって 投稿者:三吉  投稿日:10月 6日(土)04時20分17秒

信仰心ってなに?

みんなあるの?ないの?

私は願いは信じてるな。確かだと身体の奥から湧き起こるね。。。

阿弥陀とか念仏とか、その他諸々はわかんないけどね。。。

みんなを仏にならなきゃいかんという願いは確かなものだね。
だけど、そらぁ、おれという地平から実現不能だ。無理だ。

絶望まで行く、覚めた目は持ちきれないが、暗澹たる思いはある。

泉さんは絶望だと語ってたが、そして彼はそこに立ってあゆでいるのだろうけど。。
私はまずそこにたちきれんなぁ。。。
まだまだ甘い。ふぅ。。。


(無題) 投稿者:おじき  投稿日:10月 4日(木)18時51分11秒

「仏教徒が平和主義者」だなんて言えないことは、戦前・戦中の宗派を問わず「高僧・名僧」といわれていた人達の多くが戦争讃美していたことでよくわかります。「仏教徒」といってもいろいろいてるわけで、個々人がどういう信念でどういう行動をとったかを検証できる?だけでしょう。
 その人達の行動が自分にどう影響を与え、自分がどう行動していくかによって「仏教徒」である事を誇りうる時が来るのだと思います。


アイヌ民族と真宗大谷派 投稿者:らくりん  投稿日:10月 3日(水)19時33分39秒

>ぐっちんさん
溜まっていたものを一気に吐き出したみたいな勢い。
どうも、やっぱりネットから隔離された好環境にいるようですね。

>お東の北海道「ジェノサイド」布教のことが簡単に読める本
そんなもんがあったらこっちが知りたいですわ。
この方面は圧倒的に少ないですね。

大谷派関係でこの問題に、まともに取り組んだ、あるいは取り組んでいる人は
二人しか知りません。泉恵機(しげき)さんと服部みち子さんです。

服部さんは北海道出身で、地道に史料を収集していたようですが、
まとまって発表されたものは
「本願寺道路 その成立背景とその成立過程」(『身同』7号、真宗大谷派同和
推進本部、1987年)しか知りません。
2年ほど前に若くして浄土の人となられ、おつれあいが遺稿集をまとめたいと
言っていましたが、どうなっているか……
今度会いますので聞いておきます(忘れなかったら)。

泉さんにはいくつかあります。
『アイヌ民族と真宗』―大谷派近代の検証―東別院ブックレット1(名古屋別院)
  http://www.ohigashi.net/books/betsuin_books.html
これはたぶんまだ入手可でしょう

「アイヌモシリで考えたこと」(『身同』7〜12号連載、真宗大谷派同和推進本部、
'87〜'94年)
『身同』は、どこにでもあるわけではありませんが、
ぐっちんさんなら、しかるべき見当をつければたどり着けると思います。

上の二人はいわばスペシャリストのようなもんですが、この人にもこんなのがあります。
藤元正樹『開拓』―部落差別とアイヌ差別―(北海道教区同朋選書、同教区教化委員会、
1985年)、入手は難しいでしょうが、真宗会館あたりの書架に紛れ込んでいるかも。

教団とは直接関係ないところの一般書としては、
新谷 行『増補 アイヌ民族抵抗史』―アイヌ共和国への胎動―(三一書房、1977年)
がお手頃です。
以上


久しぶり三連発 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 3日(水)15時44分14秒

 池澤夏樹が朝日紙で『静かな大地』という小説を書いています。
北海道とアイヌ民族をテーマに書きたいといっていた池澤の長年の
願いがかなったものです。

 自民党の鈴木宗夫は7月4日だったが、あいかわらず「北海道に
アイヌはもういない」風の発言をしていた。これに、池澤は怒っていた。

 菱木氏の『浄土真宗の戦争責任』(岩波ブックレット)で
少し大谷派の北海道布教のことが触れられていますけど、
らくりんさんはじめどなたかお東の北海道「ジェノサイド」布教のことが
簡単に読める本をご存知ありませんか?

 いろんな掲示板を読むと、「仏教徒は平和主義者だ」
うんぬんという発言が多いのですが、ぐっちんは「ホンマかいな?」
と疑ってしまいます。自分達の信仰の押し付けによって消滅させられた
文化や宗教や民族があったこと、あることに本当に気づかなくちゃ
調べなくちゃいけないとぐっちんは自分に言い聞かせてます。

 勝手にイスラームはあるいはアメリカは好戦国家、宗教と決め付けること。
仏教はあるいは重層信仰・神道は平和主義なんてことは贔屓の引き倒し以外の
何物でもない。

 前にカキコしたように、自分の家族が殺されて、その犯人に死刑を
求めず向き合おうとする家族たちの運動が始まったのがアメリカだったり、
アパルトヘイトを流血なしに終結へ向けて精神的支柱となったのがカトリックの
ツツ大司教だったりと、ぐっちんは「自称平和主義仏教徒からこんな
運動が出てきたかいな?」と思う。

 赤瀬川源平の『老人力』は面白かった。なにごとも忘れっぽくなった
ことを「そろそろ俺も老人力がついてきたかな?」なんてポジティブに
捉えるというアバンギャルドな発想法が語られていました。

 アイヌの人達は、古老達がボケ始めると
「そろそろあの人達はもうすぐ行く神さまの国の、言葉をしゃべり始めたのだ」
と理解するそうです。

 仏教徒もかなり「神様の国」の言葉をしゃべっていますな。


ハタ坊だじょ〜 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 3日(水)13時59分35秒

 梶原敬一さん。う〜ん懐かしい。玉光さん主宰の親鸞塾に通ってた
12,3年前頃、よく自宅に泊めていただき食事を頂き、送迎まで
してもらっておりました。らくりんさん、よろしく「ぐっちんはどうにか
こうにか皆様のお慈悲により、生かしてもらっております」とお伝え下さい。

 「栄光の。。。」とか「世界新」とか「日本記録がかかった」とか
とかくハデなことばかりに目が奪われる私達でありますが、いぶし銀の
ような念仏者がひっそりと仏事をなしておられるから、ぐっちんはそこそこ
生きていけてるのかも知れないデス。

 
 山内昌之によるとイスラーム国家の方向性に三つあるという。
@トルコのような世俗主義。教育や政治とイスラームを切り離す。
Aエジプトのような近代主義。西欧の価値観を受け入れながらも
              イスラーム色を政治から抜かない。
Bその他の国のような原理主義。イスラームによる国造り。

 よその国のことをあれこれいってみてもはじまらないけど、
純ちゃんや森ソソウのような「神道」をもとにした国造りを
しないトルコのような行き方。宗教国家もあるわけですねー。
 「名誉ある孤立」でもいいやないですか。

 アムネスティによると、イスラーム国では死刑廃止をしている
国はありません。(トルコ、エジプトも確か保留や棄権だった)
マンガ評論家呉智英みたいに、日本に仇討ち復活をなんていう
人もいるし、イスラームを例に人権は普遍ではないとのたまう
評論家さん(宮崎哲弥など)もいるけど。(玉光さん絡みで
またまた死刑問題を思い出しました) 


志ん朝逝く 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 3日(水)12時49分28秒

 ついこないだ7月だったか、久米宏とニュースステーションの
『最後の晩餐』に出てたのに。うなぎ断ちをしてるので、
最後はうなぎを食べたいと語っていたんだけど実現したのだろうか。

 江戸前のいい噺家がひとりまたひとりといなくなっていくので、
関西人のぐっちんとしてはさみしい限りってぇもんだ。それに比べて
あの世はにぎやかだな。志ん生・志ん朝親子会もあるし、初代から
五代目まで全部志ん生を揃えた落語会だってぇのもアリだ。

 「たかが落語じゃないか。そういうもんに生涯かけてやっていこう
っていうから、粋なんですよ」と志ん朝は語ってた。


一年の節目 投稿者:らくりん  投稿日: 9月30日(日)19時57分54秒

報恩講を前にして、大掃除・仏具のおみがき、門徒総会がありました。
お寺の暦という意味での一年の節目というのは、この時期の感があります。

今年の報恩講は、梶原敬一さんに来ていただきます。

もう一年、また一年……


時代に逆行 投稿者:らくりん  投稿日: 9月28日(金)21時56分49秒

私の私のPC環境は、
最も頻繁に使用するワープロとデータベースソフトにMSーDOSを使っています
ので、今や「化石」に近いPC9821シリーズがメイン機です。
インターネットは、ウィルスや破壊的なホームページから、大事な大事な財産である
データを守るため、別のマシンを主に使っています。こちらはDOS/V機です。

しかし、98機とDOS/V機では、いろいろと異なる点があります。
特に最も接する機会が多いキーボードの配列が異なるため、しばしば混乱して
しまいます。MSーDOSソフトではキーカスタマイズをしてあるため、頻繁に
押すCTRLキーは98機では「A」の左隣にありますが、DOS/V機では
その位置にCAPSキーがあります。
私の場合、コピペ、カットペースト、左インデント、BS、エンタ、検索、置換、
行頭・行末移動……など、推敲・編集に頻繁に使う操作は、ほとんど、CTRLキー
とアルファベットキーの1ストローク操作で行なえるようになっています。
MSーDOSソフトを使う際はマウスは一切使いませんので、ホームポジションから
指を離す必要はほとんとありません。
WINDOWSで使うWZエディタもそれと似たようにカスタマイズしました。
今でもWINDOWSで一々マウスを使わなければならないのは面倒臭い、です。

そんな具合調子ですから、
CTRLキーはほとんど無意識のうちに左小指がのびてしまう習慣になっている
ため、いつも押し間違え、そのたびに日本語入力モードが半角英数に変わってし
まうので、切り換えの操作をしなければなりません。これは極めて面倒な
出来事です。ものを書いている時にはかなりストレスになります。

最初からDOS/V機を使っている人は、CTRLキーは
そんなに頻繁に使わないですか?

先月ADSLにしたため、CPU速度がそれほど早くないマシンでも、
インターネットのブラウジングが快適にできるようになりました。
ネスケの起動は若干遅い感じがしますが、立ち上がってしまえば
200MhzぐらいのCPUでも、けっこうサクサク動いてくれます。
ISDNの時には考えられなかった快適さです。
そこで、思い切ってインターネット用のも98機に戻して、
キーボードその他の使用環境を統一することにしました。

皆さんには何の関係もないことですが……。
こういう形で、技術進歩の恩恵を受けることもあるんですね。


>ぐっちんさん 投稿者:Zazie  投稿日: 9月27日(木)23時42分02秒

 住職(父)が、以前、和田先生とお話をしていて何気なく「自坊」という言葉を使ったところ、お叱りをうけたと聞きました。「寺を私物化するな」ということですね。


お彼岸あけ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月27日(木)19時21分43秒

そろそろ、夏の暑さの名残りも薄らいで、秋風と共に、身辺あわただしくなって
きました。

ぐっちんさん、
新しいネグラは、どうもインターネット網が届いていないほどの遠隔の地で
あるようですね。ごぶさたです。
入金確認いたしました。

かのご住職、なかなか味わいのある人物だとは思いませんか?
本坊も、なかなか味わいがある山の中で、郷愁と言うか、心の奥底に
眠っている懐かしさの感覚を呼び覚まされるところです。

>徹底的に排除の論理を排除するというきびしさが求められるのですよね
私は、ここのところが一番肝心だろうと思います。
ただ、なかなか「排除の論理を排除する」ということが理解していただけない
ような気がしております。
単に「排除しない」「排除してはいけない」ということではなく、
非排除とも、不排除とも、反排除とも異なる「排除の論理」に対する不寛容。
なぜこういうことを言う必要があるか、
それは寛容が時として、「排除の論理」を容認することになってしまうからです。
「排除の論理」というのは必ずしもむき出しの排除の形をとってくるとは限らない。


近鉄やっちゃってしまいまましたね。
私は、近鉄ファンではありませんが、一人いるんですよね私の知り合いに。
昨日は9時半ごろまで一緒に飲んでいましたが、
帰ってから、10時から始る、CSの再放送をライブ気分で楽しみたいという
ことで、近鉄関係の情報は一切遮断。
次々と携帯に入ってくるメールも、「おめでとう」なのか「残念だったね」なのか
気になりながらも、あけようとしない。
9時過ぎになるとそわそわして、ゆっくり呑んでいる気分にはなれず、
帰ってしまいました。
途中、なんの情報も目にせず家に帰り着いて、
あの劇的な幕切れをライブ気分で味わうことができたんだろうか。
他人事ながら、気になります。
それだけ夢中になれるものがあるというのは、ちょっとうらやましい。


追想 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月27日(木)12時35分09秒

 >三吉さん(9月19日分)

 「言えない」のだと思いますが、ぐっちんには殊勝な心がけがなく
不遜ですのであえて「言わない」と。

 >おじきさん(9月14日分)

 かすうどんの「かす」は、牛の十二指腸の揚げたやつ。
かすはやっぱり、かす(ほかす・捨てるもの)です。
けどちょっと後がくどい。今度の騒動でいきつけのミナミの
かすうどん屋のおっちゃん商売だいじょうぶかな。。。

 >Zazieさん(9月?日)

 和田しげしという先生が、お寺は近いうち消滅するでしょうと
いっておられました。在家の人が自分のうちを開放して
熱心に勉強しているところを2箇所知ってるといってはりました。

 道場というスタイルにもどるわけです。お寺にいる人がよそで
稼いできてそのお金で念仏の教えを相続するのか?とても興味あるところ
です。

 >らくりんさん

 御著書のU巻、V巻届きました。かつ料金振り込んどきました。
読み惜しみしたいと思います。

 信仰者の態度も難しい。信仰に対して無節操になるか、
それとも他者の信仰に不寛容になるか。
 クリスマスツリーもアリ、神棚もアリ、たぶんアリ、きっとアリでは
埒あきません。

 純ちゃんが、ヤスクニ詣でするのはオカシイ。だったら千鳥が淵も
ひめゆりの塔も本願寺もどこもかしこもみな参ったらええというのでは
本質的な解決方法になりません。

 一向宗の教えは一神教ならぬ一心教ですね。徹底的に排除の論理を
排除するというきびしさが求められるのですよね。 


熱海の海岸 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月26日(水)17時05分00秒

 あ〜、お彼岸は忙しかった。。。

 年に二、三回ご先祖さんを思い起こすのもいいかも知んない。
でもイスラームの人は一日に五回、神のことを思うんだからスンゴイわ。

 ぐっちんも、声に出して念仏を称えて、たまにはアミダさんのことを
念うことも必要だと反省するのであった。。。

 「文明の衝突」に対してイランのハータミー大統領(この人開明的だよ)は、
2、3年前、国連や日本で「文明の対話」を呼びかけたけど誰も注目してません
でしたな。とかく、日本は「帰化」や「同化」したらその文化とか民族とかを
認めるんですが、それってちょっとヘーン。

 それにしても自爆テロをするお兄ちゃんたちは、ドイツやアメリカで勉強していた
頭のよい人々ですね。おかしらや大義のためにはいのちも投げ出すすごい精神です。
へなちょこぐっちんは、そんな根性どこ探してもありません。

 でもオウムの人にせよ、ムスリムにせよ「近代」というか「現代」に適応してる
ような青年が「アイデンティティ・クライシス」に陥ってるのは、共感するところです。

 人類学者、青木保は『境界の時間』という本で、ひとつの国の文化には重層的な
時間が流れてると書いてます。土着的な時間。地域的な時間。近代的な時間。現代的な
時間。2001年に生きてるからって必ずしも皆が皆、「現代人」としての意識だけで
生きてるんやない。青木によれば、土着は神道で、地域はアジア宗教(儒教・道教・
仏教等)近代はヨーロッパ、現代はアメリカ文化の影があるという。

 でも曽我量深でしたか、誰だったか「念仏は原始人の叫び」とかいうのがあったような。
科学や歴史実証主義的ではない、「深層の時間」もあるのだとぐっちんは思う。


再読:「アメリカの大義」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月25日(火)14時37分21秒

先月、愚っ朕さんが紹介していた小文を思い出しました。
最近の出来事を言い当てているように思います。

もう一度URLを貼っておきます。

http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kmori/mori.nsf/504ca249c786e20f85256284006da7ab/96304a7d65a5d73f492567a9003196d1?OpenDocument


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月24日(月)10時48分08秒

友人たちから送られて来た転送依頼メッセージなどを1箇所にまとめて
掲示しました。
新しく取り上げたのは、
(1)テロ犠牲者の親からの手紙:「私たちの息子の名前において復讐することは
               やめてください」
(2)ハワイ開教使Fさんからの転送:「報復爆撃の代わりに、アフガンにバター、
          米、パン、衣服や薬等をばらこうではありませんか……」
(3)非暴力的制裁を求めるピースチェーン
の3件です。

以下2件はすでに紹介しました。
(4)武力報復における慎重さを求める誓願署名の私訳
(5)金沢市にできた「大東亜聖戦大碑」関連リンク集

【ひらけごま】にもいくつか載せました。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/messenger/messenger.htm


苦戦 投稿者:らくりん  投稿日: 9月22日(土)11時53分27秒

「苦戦って、なんのこと?」
もちろん、Linuxですよ。
これはほとんど新しい外国語の修得みたいなもんですから、
しかも、当然のことながら、
相手は完全に正確な文法で話さない限りピクリとも反応してくれない
まったくの独学ではやっぱ苦しい、かな。

あまりにも些細なことでも、正解を探すのにとんでもなく手間がかかる
ちょっとしたことを聞ける人が近くにいないことには、
時間がどれだけあっても

始めるのが、10年遅かったかなという感じです。
そろそろ、ギブアップ宣言も近いか?

「ざまみろ」ってか?
  しょぼん(∞;)、です。


流行には敏感なんです 投稿者:MANU.  投稿日: 9月22日(土)00時04分04秒

「Nimda」もらっちゃいました(涙)
ルータ経由なんで、「おすそわけメール」を出さなかったので他所様へ
被害を広げてはいませんが・・・
Yahooでニュースになるころには、LAN経由で3台いかれました。
結局2台は修復(2日がかり)1台は再インストールです。

MS社は狙われすぎる・・・ネスケに変えようか・・・

http://homepage1.nifty.com/MANU/


そうですね、 投稿者:らくりん  投稿日: 9月21日(金)23時50分54秒

でも、
公平さを確保するためだけに、
新たなる破壊行為を容認する、というような形でバランスをとろうとする
ことは、果てしない殺戮の応酬を生み出してしまう。

アメリカもその前にずいぶんなことをしているのではないでしょうか。

パールハーバーの亡霊が出てきているようですが、
ベトナム戦争のことなんかは誰も思い出さないんでしょうかね。


誓願批判 投稿者:お留守居役様  投稿日: 9月21日(金)22時41分39秒

全体的に公平を欠いているが、特に

>最後に、我々は、核兵器、生物・化学兵器、あるいはその他の無差別的破壊兵器
>の行使に訴えることがないよう断固として求める。

主としてアメリカ合衆国に対してのみ求めるのは、アンフェアである。
今回の事件発生以前に
>その他の無差別的破壊兵器の行使に訴えることがないよう断固として
求めてほしかったと言わざるを得ない。


誰かやられているな 投稿者:らくりん  投稿日: 9月21日(金)10時20分40秒

久しぶりに、MSのHotMailのアカウントを開いてみた。そしたら、やっぱり
変なのが届いていた。いつものダイレクトメールとも違う。わけのわからん字が
タイトル欄に並んでた。今度は、迷わず、受信拒否。

誰かわからないが、私のinclとHotMailの二つのメルアドをアドレス帳に登録して
いる人のシステムが感染していて、そこから自動発信されているに違いない。


訂正 投稿者:らくりん  投稿日: 9月21日(金)09時57分30秒

屋号は「新平」ではなく「新兵衛」でした。


ああっ、やばい 投稿者:らくりん  投稿日: 9月21日(金)09時36分06秒

不審なメールが届いてきました。
件名欄も、差出人欄もすべてブランク、
一瞬、あれっと思ったものの、ディスプレイの具合でも悪いんかと思って、
ワンクリック、下の画面にアルファベットが現われてきた、
画面を流してみると、上はちゃんと文章になっているが、下はアルファベットの羅列。

流れる画面の片隅から「Nimda」の文字が目に飛び込んできた。
「やばいっ」、これは、今世間を騒がせている例の「W32/Nimda」ってやつでは?

急いで、ウィルス感染関係のサイトで調べてまわった。

>新種ウイルス「W32/Nimda(仮称)」による被害が急増しています。 IPA/ISEC へ
>の届出件数は、9月20日 16:30 現在までで84件、内実害件数は50件となっていま
>す。
>このウイルスは、改ざんされたホームページを見ただけで感染する可能性がありま
>すので注意が必要です。また、更にメール機能を悪用して readme.exe という名称
>の添付ファイルを送信し、そのウイルス付メールを受け取ると、Outlookではメー
>ルを開いただけで、OutlookExpressではプレビューしただけでも感染します。

> 影響を受けるコンピュータ:
>マイクロソフト社の InternetExplorer と Outlook/OutlookExpress を使用してい
>る Windows パーソナルコンピュータ マイクロソフト社の IIS バージョン4、また
>はバージョン 5 を使用している webサーバー

ということであるようなので、とりあえず「ネットスケープ」を使っている私は
大丈夫ということになるのでしょう。
それに、開いたのは添付ファイルではなく、メール本体だけでしたし……。
リブート、パワーオフ・オンを繰り返してみても、システムに異常はない。

とりあえず、この掲示板の(tcup)と、私がホームページを置いている
サーバー(incl)とは関係ないはずですから、それらを見ているだけでは
何の心配もない、と思います。  ですよね(誰か詳しい人)(∞;)

直後は、動転して、システムリカバリーディスクを取り出してきて、
システム再構築を覚悟しました。

不審なメールには気を付けましょう。
詳しくは、下記URLをどうぞ

http://www.ipa.go.jp/security/topics/newvirus/nimda.html


ちょーローカルネタですいません 投稿者:らくりん  投稿日: 9月21日(金)08時52分15秒

「北道場(きたんどうじょ)」「中道場(なかんどうじょ)」、
こういう「桑島ネタ」が通じるのは、
たぶんインソムニアさんだけでしょうね。

でも、一番南にあったうちの「どうじょ」が、
なぜ「なかんどうじょ」だったのか
今もって不思議です。誰に聞いてもわからない。
でも、
屋号で呼ぶ場合、うちの屋号は「新平(しんべい)」でしたから
「しんべどうじょ」でしたよ。


考えてはいます。。。 投稿者:お留守居役様  投稿日: 9月21日(金)00時25分19秒

病院→消防→警察→軍隊
という序列があります。
この序列の左項から右項への移行は、
対幻想→個人幻想→共同幻想
に対応しています。


常讃寺沿革読みました 投稿者:インソムニア  投稿日: 9月20日(木)22時47分06秒

>らくりんさん        
そう言えば、北道場、中道場とか、または、屋号で呼んでいましたよね。懐かしいです。
 たまに出てくる「桑島ネタ」、それが分かるのは、この掲示板では私くらいなんでしょうね。


レスありがとうございました 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月20日(木)21時04分45秒

女性差別問題について、そういえばそういうことが書いてあったなと
読ませていただきました。
問題があると言われているような場所へ、なんの知識もなく踏み込んだとき、
漠然とした不安に襲われ、自分が警戒していることを感じます。
とにかく、知ること、話し合うことしかないのかなと、思います。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月20日(木)20時43分44秒

月並みですが、常讃寺の沿革を郷土史本などから拾い出してアップしてみました。
【本堂】からどうぞ。まあ、こんなもんは、関係者以外にはあまり興味がある
もんではないでしょうが。

【ひらけごま】にも、新ネタが入ってます。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/hondo.htm


当時の思い(意気込み) 投稿者:らくりん  投稿日: 9月20日(木)14時00分06秒

>題名に「機の深信」をつけられた思い

○大谷大学差別ビラ事件の渦中であったということと、
○曽我量深「異なるを歎く」
>先般私は「宿縁と宿善」という題目でお話いたしました時(中道十月号 所載)、
>われわれ宗門人が反省しなければならないこととして、“閉鎖社会”という言葉で
>言うべきところを差別言辞を用いました。この言葉は使ってはならないということ
>を重々知っておりながら、この言葉によって著しく傷つけられるお方々が現実にあ
>るということに思い至らなかったことは私の認識が至らなかったことでありまして
>省みてまことにお恥ずかしい次第であります。私がそんな差別的言辞を使ったとい
>うことは自分が機の深信を欠いていることを曝露したお恥ずかしいことであります。
>そういうことは或る程度までは自分にわかっているのだが、口先だけの説法になっ
>ていて自分の生活になっていないことを曝露したのでありましてまことにお恥ずか
>しいことである。
>これは私一人が全社会に負うべき責任であります。
>心から恐懼慚愧いたします。
>  昭和四十五年十一月四日曽我量深 印
ここに示された問題意識、問題提起をなんとか、展開できないかと思って
考えようとする「意気込み」を題名に託したかったのです。
だから、あの論文はまだまだ続くはずだったのですが、
そのままになってしまっています。

>「差異は差別のほんとうの根拠ではなく、差別者側からの排除が差別の本質」
>というふうに受け取りました。
そのように受け取られたのなら、それでいいんですが、
私が問題にしたかったのは、「差別というのは、する者も、される者も、それ場に
居合わせたものも、後から話を聞いた者もなかなかそれが差別であることに
気が付けない」という問題でした。

差別ビラ事件の渦中で感じていた、もどかしさの原因をなんとか論文にして
みたかったんです。
しかも真宗学という自分の専攻とどへんで切り結ばれていく接点があるのだろか
ということを模索していった結果
曽我先生の「自分が機の深信を欠いていることを曝露した」という
表白とが結び付いていくんです。


訂正 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月20日(木)11時05分53秒

差別者の排除→差別者側からの排除


拝読 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月20日(木)11時04分46秒

「機の深信の射程 ―差別の顕在化の範疇―」を読ませていただきました。
「差異は差別のほんとうの根拠ではなく、差別者の排除が差別の本質」というふうに受け取りました。

題名に「機の深信」をつけられた思いがありましたら、お聞きしたく。


「誓願」翻訳文ページ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月20日(木)09時29分45秒

先に、
この度のアメリカの世界貿易センターへのテロ攻撃に対する報復・制裁としての
武力行使に慎重さを求め、無実の市民・住民に被害が及ばないことを求める誓願
サイトを紹介しましたが、

それを転載・リレーして下さった方もおられるようです。
ただ、あちこちに同じ内容の書き込みがなされるという事態も生じてきているようです
ので、別に「訳文」だけのページをアップしましたので、そちらを紹介していただけれ
ば、読めるようにいたしましたので、
煩雑さをさけるために、ご利用いただけたらと思います。

すべては、読んだ人の責任において判断・行動して下さい。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak_hp/petition.htm


長浜別院にて 投稿者:なまぐさ  投稿日: 9月19日(水)22時24分28秒

突然に控え室まで御邪魔しまして失礼しました。
お話の内容にここでふれるのはいたしませんが、もっと聞きたいが第一の感想です。
また、来月御法縁をいただきにまいります。


確かに重い 投稿者:おじき  投稿日: 9月19日(水)15時42分25秒

「絶対に助からんもん」が「必ず助かる」てゆうんが善導はんの二種深信やと聞いてます。大乗仏教ではよく真実を表現するのに、不生不滅、煩悩即菩提、一即多、なんてゆうてAと非Aを分別してるわてらの見方を修正してくれます。だから「どこまでも助かったと言わない(言えない)信心」をたまはったてゆうことは「必ず助かりつつある(完了形じゃなく)」てゆうことやから絶望はないんやと思います。「助かった」の方にかたよっても「助からん」の方にかたよっても、しんどい思いするんやと思います。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月19日(水)09時21分56秒

更新というか、【らくりん交差点】にもう一つ掲示板リンクを追加しました。

つれあいの用に作ってあったんですが、彼女はまったく「活用」しようとしませんので、
そのままになっています。
もし興味のある方は、掲示板の世界に、誘い出してみてはいかがですか。

一応、彼女のPCでメールを開くとプラウザも起動して、この掲示板が開くように
設定されていますので、もしかしたらレスが付くかも知れませんよ。

http://www80.tcup.com/8055/ymine.html


それをたまわったんやったら? 投稿者:三吉  投稿日: 9月19日(水)08時07分21秒

<「あらゆる生きもんが助からんかったら、わては助かりまへん」てゆうんがアミダの本願>

というのはそのとおり。
だが、そーいう重いものを、貰って、ありがとうと感謝してもらえるものなのであろうか。。。
あるいは、貰ったつもりで、背負ったつもりで。。。ボロボロこぼしているような<わたし>

というか。。。<信心>って私なのだろうか?

<言わない>のか<言えない>のか。。。


それでええんでは 投稿者:おじき  投稿日: 9月19日(水)05時11分25秒

「見捨てない」とゆうアミダの本願にマジで気づかされたんやったら、他者を「見捨てる」とゆうことはでけへんのとちゃいますか?なぜなら「あらゆる生きもんが助からんかったら、わては助かりまへん」てゆうんがアミダの本願やねんから、それをたまわったんやったら「自分は助かった」とはならんのでは。「どこまでも自分は助かったとは言わない信心」でええんやと思います。


文明の衝突 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)20時59分46秒

ワシントン・ポスト コラムニスト リチャード・コーエン氏
「私はこう見る 米テロ事件」(毎日新聞2001年9月18日)

> 米政府の第一の義務は国民の保護であり、それに失敗したのは明白だ。
>……。大統領が言うように「米国が自由の最も輝かしい導き手で世界に機会均等を
>もたらすから、攻撃の標的になった」のではない。中東への介入を繰り返したから
>である。
> その理由がたとえ石油やイスラエル、侵略者への対抗(クウェートを侵攻したイ
>ラクへの反撃)であろうと、我々はイスラム教徒の命を奪ってきた。彼らの中には
>我々を許さない人々がいる。
> 米国の同盟国のイスラエルは、エルサレムにあるイスラム教の生地を支配下に置
>く。生地メッカのあるサウジアラビアには米部隊を駐留させてきた。我々はイラク
>に禁輸制裁措置を押し付け、小さな子どもたちを殺していると非難されてきた。我
>々が進出する地域はどこでも、音楽やファッション、伝統や権威への侮辱と言われ
>る不快な近代主義をまき散らしている。
>大統領が言う「戦争」は今回の事件で始ったのではなく、すぐにも終わらない。
>戦争は83年にレバノンで海兵隊員241人が殺された事件以前から始っていたし、
>ウサマ・ビンラディン氏が活動をやめても終わらないだろう。これは我々の発想、
>文化に対する継続した戦争なのだ。
> 我々は、ハイテクが約に立つと信じてきたし、命の代償なく戦争が出来ると信じ
>てきた。11日、一面に広がったがれきの山々は、我々の無知がもたらした計り知れ
>ない犠牲なのだ。

 今のアメリカにおいて、アメリカ人自身からこういうメッセージが発せられると
説得力があります。

今回の出来事は、どうひっくり返してみても、単純な国家間の利害の衝突ではない。
にもかかわらず、国家間の利害の調整によって解決への道筋が作られようとしている。
その結果、
パキスタンなんかで起こり始めているように、ますます話がこじれていきそう
問題の枠組みを取り違えているからそうなってしまうに違いない。

やっぱり今世紀は「文明の衝突」の世紀か。
日本は中国圏とは独立した文明として位置付けられているようだが、
それは過大評価かも。
今の日本には、衝突をしてでも守るほどの、「文明」と言い得るものは
あるんだろうか。


寺院情報 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)20時35分20秒

Maroさん、
地元の地区別・教団別の寺院を検索してヒットした数を見ると、
大谷派の場合、寺院名簿がほとんど丸ごと入っている感じです。


歴史の重さ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)20時31分19秒

本日長浜別院へ行ってきました。
なかなかの趣があって、
門徒衆の念仏の声が染み込んだ歴史の重さを感じさせられる別院でした。
印象としては高岡の城端別院とか三河の碧海教会似たものを感じます。

これだけのものを生み出し維持してきたエネルギーは並大抵のものではないはず、
しかしながら、いずこも同じといいますか、これだけのりっぱな別院を
維持していくのはなかなか大変なようです。

この掲示板の読者も来て下さいました。
「なまぐさ」さん、失礼しました。過去ログを確認しました。


げっ 投稿者:Maro  投稿日: 9月18日(火)15時59分33秒

私のとこも載ってる。複雑。


こんなサイトが 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)09時33分14秒

ご存知かも知れませんが、こんなサイトがあります。

全国、各宗派のお寺の名前、住所、電話番号、ご利益などが検索できる。
拙寺も掲載されておりました。便利と言えば便利ですが、
いつの間にか、こういう情報出ている、考えてみれば空恐ろしい感じ、です。

http://www.otera.co.jp/


「信ずること」の陥穽 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)07時28分52秒

>それって人を置いてけぼりにするんじゃないだろうか。
>正確な表現を忘れたけど、らくりんさんの著書に「浄土往生を捨て去る?必要とし
>ない?信心?」というのが確かありました。
> ぐっちんは、これを「浄土とは到達するところじゃなくて方向性を示すもの」と
>して言われておるように記憶しているのですが。
> ぐっちんは誤読して、「どこまでも自分はたすかった」とは言わない信心と理解
>しておきます。
「そうですか」。
たぶん、誤読ではないだろうと思います。
仮に誤読だとしても、歓迎すべき部類の誤読に入ると思います、です。

たぶん、第2巻の145〜160頁、「欲生心」のあたりではないかと思います。
安田先生は「浄土に堕ちる」というような言い方でそのことを問題にされています。
藤元先生は
「浄土の命をいただいた者に、浄土は要らんのです
 浄土をもうろうた者は、浄土の命をすてるのです」
というような言い方をされています。

親鸞が、化身土巻を書いたのはそういう問題に気が付いていたからであると
私は思います。
自分自身のことについて「過去形」あるいは「完了形」で語るということは
歩みの停滞を意味することになりますから、菩提心(道を求める心)にとっての
最大の障害です。


確信犯 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月18日(火)03時28分42秒

 ぐっちんは十代のころ、いのちあるものを
食べるということが罪だと思っていました。

 で、生物は自分を含めその罪から逃れられない
とも思っていました。(直接・間接を問わず殺すこと)

 最近思うのは、「見捨てない」というアミダの
本願を知ってしまったが故に、それよりもっと重い罪が
あるのじゃないか。それは他者を「見捨ててしまう」こと。

 自分が解った者、助かった者として生きること。
これって宗教なんか信じない人にとってどれほど鬱陶しいことか。

 らくりんさんはいつかマザー・テレサの言葉を引用してはり
ましたけど。「愛の反対は憎しみではなくて、無視することです」

 「信じる」って贔屓の引き倒しに成りやすい。自分がたすかること。
そして同じ信仰を持っていると思われる人と共同性を示すこと。

 それって人を置いてけぼりにするんじゃないだろうか。
正確な表現を忘れたけど、らくりんさんの著書に「浄土往生を
捨て去る?必要としない?信心?」というのが確かありました。

 ぐっちんは、これを「浄土とは到達するところじゃなくて
方向性を示すもの」として言われておるように記憶しているのですが。

 ぐっちんは誤読して、「どこまでも自分はたすかった」とは
言わない信心と理解しておきます。


どうぞどうぞ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(火)00時49分39秒

>MANUさん
転載していただくためにアップしたんですから。
その気がある人はどんどんご利用下さい。


転載させていただきました 投稿者:MANU.  投稿日: 9月17日(月)22時42分47秒

事後承諾ですいませんが、署名活動の文を転載させていただきました。

http://homepage1.nifty.com/MANU/nowlive/nl010917.htm


二人は若い 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月17日(月)18時19分28秒

 14日、西早稲田で坂上香さんの話を聞きにいく
予定だったが忘れていた。しまった。
 
 『癒しと和解への 旅−犯罪被害者と死刑囚の家族たち−』
(1999年1月刊・岩波書店)の著者だ。

 犯罪被害者の遺族と死刑囚の家族が、共に旅をし、語り
合いながら、死刑制度を考えるというアメリカのレポート。

 日本の「和解のための殺人事件被害者遺族の会・全国大会
に参加して」というお話だったのです。

 リヴェンジならぬパニッシュというブッシュの言葉には
自分が100%正しいという匂いがプンプン。

 つらいことだけど、犯人と犯罪に向き合うという姿勢が
為政者やテロリストの親玉には見られません。

 南アフリカのアパルトヘイト 終結に向けて活動した
「真実と和解委員会」みたいな例もあるのにね。


「訂正文」です 投稿者:らくりん  投稿日: 9月17日(月)09時28分32秒

ダラブチさんご指摘ありがとう。なんせ夜あわててやったもんで……(∞;)
最初「コリャ英和」などという翻訳ソフトを使ってみたんですが、
どうにもこうにもならない、
「armd」=「腕」と訳していたりして(消し忘れその名残が残ってしまいました)
まったく日本語として読めるものにはなりませんでした。
とにかく一つの文章が長すぎて、直訳したのでは主語がどこかにふっとんでしまい、
何の話をしているのか、結局否定文なのか肯定文なのかわからなくなってしまい
そうでした。私はこれは悪文の典型だと思うのですが……。
いずれにしても、正確な訳ではないかも知れないけれども、たぶんおよその雰囲気は
判断していただけると思います。
あのままの訳文が流通するのを見ているのは忍びない。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

誓願

    【訳注:この文書の扱いについて】
この文書は、先日世界貿易センター とアメリカ国防省(ペンタゴン) に対してなさ
れたテロリスト攻撃に対する報復としての戦争を避けるよう要請する誓願です。この
誓願は、ブッシュ米国大統領の他、世界各国の指導者に転送されます。この文書を読
まれた上で、賛同される方は下の欄に必要な事項を記入し署名してください。
さらに、できるだけすみやかに、一人でも多くの方に、リンクを転送してください。
合衆国の上下両院議会は、すでにブッシュ大統領に対して、必要な軍事行動をとるこ
とを支持する決議を通過させています。もしそれが効力を発揮することになるならば、
事態は極めて急を要することになります。この文書を急いで配布しなくてはなりませ
ん。

【訳注:誓願内容】
本文書に署名した我々アメリカ合衆国ならびに世界各国の市民・住民は、ジョージ・
W・ブッシュアメリカ合衆国大統領 、ロード・ロバートソンNATO事務局長 、ロ
マノ・プロディ欧州連合委員長、そして世界各国の指導者に対して、先日アメリカ合
衆国に対するテロリスト攻撃への対応において慎重かつ抑制的な態度をとられること
を要望する。
我々は、テロリスト攻撃の責任者に対して、戦争や暴力や破壊という手段をもちいる
よりもむしろ、可能な限りのあらゆる国際的司法制度、国際的人権保護法が発動され
ることによって正義がもたらされことを痛切に嘆願する。

さらに、我々は、いかなる国の政府も、その国内で活動するいかなるテロリストグル
ープとも明確に一線を画し独立していると推定されるべきであり、テロリストの犯罪
への関与について不当に責任を追及されることがあってはならないと考える。

したがって、実際に問題の犯罪を犯した個人と協力ないし共謀したという明確な証拠
なしに、特定の国の政府が先般の攻撃の責任を問われるべきではない。

部分的あるいは全面的に責任があると見なされる国に居住する者であっても、合衆国
に対してなされたこの度の犯罪行為と無関係な一般市民は、自らの政府の行動に対し
ていかなる責任も負わされてはならない。したがって住民は、その国家に対してとら
れる軍事的・法的措置からの安全が保障されなければならず、決っしてまきこまれる
ことがあってはならない。

最後に、我々は、核兵器、生物・化学兵器、あるいはその他の無差別的破壊兵器の行
使に訴えることがないよう断固として求める。そのような大量殺戮兵器と無縁の世
界に住むことは、人間として決して奪われてはならない我々の権利であると考える。

請願に署名するために次のインフォメーションに書き込んでください。

電子メールアドレス:

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場所(市、州、カントリー):

コメント:

http://home.uchicago.edu/~dhpicker/petition

http://home.uchicago.edu/~dhpicker/petition


所感 投稿者:らくりん  投稿日: 9月17日(月)09時10分06秒

金沢に出現した「大東亜聖戦大碑」にも「聖戦」という語が使われていますが、
結局、こういう大げさな表現は、相手はおろか、とても広範な理解や支持は
得られそうもない場合に、一方的に自らの「正当性」を主張しようとするような
場合に使われるということでしょう。相手がどう思おうと、どうなろうと一切
お構いなし。
アメリカの場合は、「自由と民主主義」に対する侵害と闘うという名目が立つ時に
ほとんどそれと同じような雰囲気になり、
日本の場合はそれが「天皇」とか「国体」だった(過去形でいいかなぁ?)という
ことかな。

9月16日付け「毎日新聞」
国連難民高等弁務官事務所カブール(アフガニスタン)事務所の山本芳幸所長(43)
へのインタビュー記事
――アフガンから見て米国はどう映るか。
 ◆タリバンと米国は共通している。自分の世界にこそ真理があると信じ込み、外部
との融和の道を閉ざしている。今回のようなテロは、集団に深い憎悪の蓄積がないと
できないはずだ。米国は憎悪を生んだ源泉を見つめるべきなのに、対立姿勢を強めて
いる。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
>三吉さん
 某氏に勘繰られていても別に構わないんですが……ね、
ここに殴り込みにこない限りは。
ネットでは、縁もゆかりもない人との間に「疑似憎悪」の連鎖が
いとも簡単に出現してしまう。やっかいだ。


【転載】とリレー依頼について 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月17日(月)07時56分06秒

郡中舎のサイトに貼り付けました。

核平気→核兵器、大量殺戮兵器腕と→大量殺戮兵器と・・・2カ所校正しました


あの芸風は私だが 投稿者:三吉  投稿日: 9月17日(月)07時25分36秒

某氏が、らくりんさんと推定されているとは感じないが。。。

さて、米国の報復について

米国の報復の論理とテロリズムの聖戦の論理は、<報復>という点で、<単なる惨殺>を<正義>と正当化する点で全く同質の<カルト>でありましょうや。

その<カルト>の本質は<恐怖>にあります。恐いから相手を叩く。恐怖が深ければ深いほど徹底的に相手を叩きます。米国は強大な軍事力を持つ世界で一番、臆病なガキでしょう。

何ごとも圧倒的な<武力>で押さえ込もうとする。そしてそれを<平和>と自己正当化する。

この問題の本質的な解決は間違いなく<パレスチナ問題>や<中東問題>の解決をおいて他にはない。圧倒的軍事力よるテロリストグループ圧殺は、確実に市民を巻き込み、新たなる<聖戦>を産む温床となることでしょう


【転載】と リレー依頼 投稿者:らくりん  投稿日: 9月17日(月)01時43分11秒

下記のURLにて、
このたびの貿易センタービル攻撃に対する報復として、武力行使がなされることに
「反対する」署名運動が展開されています。
下手な、訳ですが(原文もかなりひどい)そこに書かれている内容が一応わかる程
度に訳しておきましたので、賛同される方は署名をお願いいたします。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
誓願

    【訳注:この文書の扱いについて】
この文書は、先日世界貿易センター とアメリカ国防省(ペンタゴン) に対してなさ
れたテロリスト攻撃に対する報復としての戦争を避けるよう要請する誓願です。この
誓願は、ブッシュ米国大統領の他、世界各国の指導者に転送されます。この文書を読
まれた上で、賛同される方は下の欄に必要な事項を記入し署名してください。
さらに、できるだけすみやかに、一人でも多くの方に、リンクを転送してください。
合衆国の上下両院議会は、すでにブッシュ大統領に対して、必要な軍事行動をとるこ
とを支持する決議を通過させています。もしそれが効力を発揮することになるならば、
事態は極めて急を要することになります。この文書を急いで配布しなくてはなりませ
ん。

【訳注:誓願内容】
本文書に署名した我々アメリカ合衆国ならびに世界各国の市民・住民は、ジョージ・
W・ブッシュアメリカ合衆国大統領 、ロード・ロバートソンNATO事務局長 、ロ
マノ・プロディ欧州連合委員長、そして世界各国の指導者に対して、先日アメリカ合
衆国に対するテロリスト攻撃への対応において慎重かつ抑制的な態度をとられること
を要望します。
我々は、テロリスト攻撃の責任者に対して、戦争や暴力や破壊という手段をもちいる
よりもむしろ、可能な限りのあらゆる国際的司法制度、国際的人権保護法が発動され
ることによって正義がもたらされことを痛切に嘆願します。

さらに、我々は、いかなる国の政府も、その国内で活動するいかなるテロリストグル
ープとも明確に一線を画し独立していると推定べきであり、テロリストの犯罪への関
与について不当に責任を追及されることがあってはならないと考える。

したがって、実際に問題の犯罪を犯した個人と協力ないし共謀の明確な証拠なしに、
特定の国の政府が先般の攻撃の責任を問われるべきではない。

部分的あるいは全面的に責任があると見なされる国に居住する者であっても、合衆国
に対してなされたこの度の犯罪行為と無関係な一般市民は、その政府の行動に対して
いかなる責任も負わされてはならない。したがって住民は、その国家に対してとられ
る軍事的・法的措置からの安全が保障されなければならず、決っしてまきこまれるこ
とがあってはならない。

最後に、我々は、核平気、生物・化学兵器、あるいはその他の無差別的破壊兵器の行
使に訴えることがないよう断固として求める。そのような大量殺戮兵器腕と無縁の世
界に住むことは、人間として決して奪われてはならない我々の権利であると考える。

請願に署名するために次のインフォメーションに書き込んでください。

電子メールアドレス:

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場所(市、州、カントリー):

コメント:

http://home.uchicago.edu/~dhpicker/petition


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月15日(土)21時06分02秒

【ひらけごま】に、2篇アップしました。
・真宗大谷派難波別院「南御堂」紙に掲載された「末法の灯明」
・「とにかく自分の目で確かめに」
  阪神淡路大震災1ヶ月後に現地を歩いて見てまわったレポート。
  これは書いた記憶は  はっきりあるのですが、何のために書いたのか、
  何かに寄稿したのか、そういうことは一切思い出せませんが、とにかく残って
  いました。  読み返してみると、当時の記憶が生々しく蘇ってきました。
  推敲がぜんぜんできていないんですが、けっこう「読める」んじゃないかと思います。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm


読み返してみると 投稿者:らくりん  投稿日: 9月15日(土)09時55分12秒

ここのところ、私のは「ぎょーむ連絡」みたいなカキコばかりですね。(∞;)

アップを予定している手持ち原稿がもうちょっとありますので、
とりあえずその作業を、少しずつですがやってしまおうかと思ってます。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月14日(金)17時57分09秒

【ひらけゴマ】に
  ◆非公開の、真宗大谷派21世紀ビジョン委員会のレポート
  ◆真宗大谷派名古屋別院紙「名古屋御坊」に掲載された「真宗門徒の名告り」
  ◆解放真宗研究会通信に掲載された 「『専修念仏停止』考」
の中・短編3篇アップしました。

おおむね、年代順に並べていますので、未読・既読がわかりにくいかもしれませんが
大した数ではありませんので、どうということはないでしょう。


お知らせとお詫び 投稿者:らくりん  投稿日: 9月14日(金)08時39分38秒

☆勝手ながら【常讃寺本堂】のURLをちょっと変更しました。
 リンクを張って下さった人、「ブックマーク」「お気に入り」に登録して下さった方
 お手数ですが、下記に変更して下さるようお願いいたします。

過去ログの2000年分と2001年分の上下も入れ替えました。
その他マイナーチェンジも少々

>ぐっちんさん、
ちょっとご無沙汰でしたね。
>いやー、らくりんさんもなかなかの詩人ですー
  たら〜(∞;)

>おじきさん
お疲れ様。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/hondo.htm


あ〜しんど 投稿者:おじき  投稿日: 9月14日(金)08時24分29秒

ここの過去ログ今年の分だけですが、全部読ませていただきました。ハイレベルな話題が多くてついていけませんでした。林遊さん、三吉さん、お留守居役様、らくりんさん達の白熱した論戦は(私の理解能力をはるかに超えていましたが)すごく面白かったです。5〜6月はぐっちんさんが乗っ取っておられましたね。博学で豊富な知識をもちながら空理空論に陥らず、常に自分の、社会の課題を意識しておられるすばらしい人間のクズやなあと思いました。ちなみに私の地元にはカススペシャルうどんという食べ物があって、カスなんかスペシャルなんかどっちやねんと思ってます






>らくりんさん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月13日(木)19時19分45秒

 「クリスマスツリーがやってきた」その他拝見。
いやー、らくりんさんもなかなかの詩人ですー。
  
@ 私経済(プライヴェート)重視 自由党(保守党?)
A 公経済(パブリック)重視   民主党(社民党?)
B 共経済(コモンズ)重視    自民党(公明党?)

 @はルールなき資本主義が問題。Aはノブレス・オブリージュ
                 無き官僚政治が問題。
 Bは差別だらけの共同体が問題。
  (血縁・・・女性、子供、高齢者、障害者(病者)、性的マイノリティ
   地縁・・・在日外国人、先住民族、被差別部落、ホームレス)


自爆テロ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月13日(木)18時15分45秒

 言葉における自爆テロならぐっちんは得意やけど。。。

 異文化というか、他者を理解するのは難しい。(自分のおかんも)
で、自己および自国の・自民族の文化や宗教をアピールするのも難しい。
 どうしても「正論」をふりかざしてしまうなあ。

 ユダヤ教からみれば、キリスト教やイスラム教は異端の
新興宗教だろうし、
キリスト教からみればユダヤ教はイエスを十字架に磔に
した張本人だろうし、
イスラム教からみればキリスト教やユダヤ教は神の言い付けを
守らない不純な信仰者に見えるのかなあ。

 ブッシュ大統領は国防「族」だからなあ。。。報復するでしょうなあ。
京都議定書に調印しない米は、エコを無視したエゴな国だなあ。。。
党利や省益という言葉を聞くけどアメリカの国益だけ考えてるなあ。

 カナンの地は神から与えられた土地といって艱難辛苦に耐えたけど、
パレスチナ人からしたら、かなんなあ。アメリカに移住したユダヤ教徒は、
経済的に成功してイスラエルを支持しているんかなあ。。。
何百年もおらんかったら、ワシらの土地やいうてもなあ。

 グローバリズムはアメリカ二ズムかなあ。文化だけを
とってみるとアメリカはごった煮の文化を輸出してるようにも
見えるけど。例えばハンバーガーはハンブルグ・ステーキを
バンズにはさんだもんやしなあ。
 
 まあ確かにアメリカのクラシック界や学問の世界やハリウッド
映画界には、ディアスポラのさまよえるユダヤ人が身を寄せた国
かも知れんなあ。 
 フルトヴェングラーはドイツに止まってたけど、スピルバーグ
なりなんなり考えると。。。

 でもJポップとかいう日本の音楽やダンスは、アフリカ系
アメリカ人、ブラックコンテンポラリーに席巻されてるように
見えるけどなあ。宇多田しかりUAしかりゴスペラーズしかり。。。

 でも究極の二択や三択、四択ならぐっちんは、
政治的には民主主義(衆愚政治との声もあるが、英明君主は滅多に出ない。
          王制よりまし)
経済的には自由主義(統制や計画経済で「行列の出来る店」で物を買うのもなあ。
          物々交換も味はあるけど)
文化的には合理主義(非合理や神秘・カルトよりはええと思う。)を選びます。
 
 ああ小市民!

 これらは、西洋的(欧米的、ユダヤ・キリスト教的)価値観かもなあ。
イスラームとは大分ちゃうなあ。利子をとったらいかんのやから金融
市場も認められへんからなあ。。。仏教経済論ってあるのかなああ。
自分に自信無くなってきたあああ。


HP更新しました 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(木)15時14分41秒

真宗大谷派教団関係の機関紙に掲載された短編5篇を【ひらけごま】に
アップしました。
先の2篇は、内容的にもボリューム的にも、かなり読みごたえがあるかと思いますが、
今回は短編ですし、想定されている読者もまったく違いますので、
いずれもはるかに読みやすいのではないかと思います。
クリスマスツリー……」と「機の深信の射程」で、途中でくじけた人も今回は
大丈夫だと思います。

なお、先の【聖戦大碑リンク集】は【見てまわリンク】からも入れます。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm


ニューヨークから(転載) 投稿者:らくりん  投稿日: 9月12日(水)20時43分24秒

下の友人が、大学時代の仲間内のBBSに安否を知らせる書き込みをしていたので
転載します。

>当方無事に帰宅しました。 当方の事務所は world trade centerの側です。
>朝8時50分ごろ出社しました。 すでに煙が ありました。 その後仕事してい
>たら 窓の外は 真っ黒。急いで外にでました。 当方事務所は 20階。
>それから 半日かけて 歩いて 最寄りの駅まで行きました。
>world trade centerは 観光名所の一つです。 沢山の日本の観光客が
>いたはずで とても心配です。 こちらの雰囲気は すでに 戦争です。
>ただ 何度も parl harborの話がでるので 当方不愉快です。

※やっぱ、それでも仕事し始めたんだ。


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日: 9月12日(水)20時33分43秒

ニューヨークで勤務している商社マンの友人があの近くだったはず、
と、メールを出したところ、
先ほど返事が届いて、無事だとのこと。
一安心です。

彼のオフィスは、あのビルと目と鼻の先で、煙がたちこめ、人の叫び声が聞こえ
「really Hell.」(まさに地獄)だ、と。

何か、あれこれと言葉にすることができません。
何を書いても、すべてが「軽々しく」「空々しく」なってしまうようで……


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月12日(水)10時54分44秒

以前少し紹介しました、石川県の護国神社前に建立された「大東亜聖戦大碑」関連の
リンク集をアップしました。

 ↓ こちらからどうぞ

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/link/hi_link.htm


ビルが消えた 投稿者:らくりん  投稿日: 9月12日(水)01時13分56秒

アメリカは大変なことになっている。


狂信さんも「母親」ネタ? 投稿者:らくりん  投稿日: 9月11日(火)16時25分32秒

やりあっている最中は、そりゃにくたらしいったらありゃしません。

私はけっこうムキになってしまうんですが、
母親相手に、本気で「張り合う」というか「ムキになる」というか
そういうのは、相手に対する「敬意」であるような気がするんですがね。

しかし、口うるさいことはこの上もありません。


どうも 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月11日(火)13時08分54秒

「本願の名号は名詞であると共に働詞である」ってのが、もしかしたら能行?
なんて妄想しちゃいまして、へんなツッコミいれちゃいました。すんまへん。

母親とは、遠慮なしにお互いズバズバ言い合うもんだから、
言葉が通じないとイライラしたりして、そのあげくに罵詈雑言。
あとくされがなくて、それがいいなと思うときもあるけど、
たまらんこともありますです。ハイ。


「語注」わかりにくいなぁ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月11日(火)10時26分50秒


>※語注:「能」は「能動」の意味で、「所行」の「所」は「〜られる」という
>「受動」の意味になります。行の主体の所在を阿弥陀に見るかという問題です。
> 今の場合、衆生の行為として称名念仏することは、「行」(願を成就させる行為)
> としての意味があるか否か。「能行」は衆生の行為としての称名念仏には
> 意味があるという立場ですし、「所行」は衆生の行為から往生を実現させる意味
> が生じるのではないという立場です。
これでは、何をいっているのかかえってわからなくなったかも知れませんね。

「所行」とは「行ぜられる」、つまり「阿弥陀如来が衆生のために積み重ねた行」で
あるから、衆生がそれに何かを足したり引いたりする必要がない。しても意味がない。
ということです。――この考え方を推し進めると、「称名念仏」は必要ないと
いうところにまでいきかねません。
※私はそこまで言ってしまうことには反対です。

「能行」は「能動的に行ずる」、衆生が「行」の主体であり、その称名念仏という
行為によってこそ、往生が確定するのである。
※私は、この立場はまったくとりません。

ここで、話がわかりにくいのは「行」という語の意味するところです。
普通はこれを「修行」というように、「なんらかの行為をする」ことだと
考えるのではないかと思いますが、
「行」というのは、「行為」である場合もありますが、必ずしも「行為」=「行」
ではありません。
「行」とは「願」と対置することによって意味を持つ概念で、
「願」を成就させる原因となる手立てというのが「行」の意味、だと私は考えています。

浄土教における「願」というのは、「浄土に往生する(させる)」ということに尽きます。

「能行」は、衆生の行為が、その願(浄土往生)を成就させる原因となる手立てである
ということになります。
「所行」は、その原因は衆生の行為において生じるのではなく、阿弥陀如来の本願
(私の名を称する者は、必ず浄土に往生させる)に本来的に内在しているという考え方
です。衆生はそれに何かを足すことも引くこともできないし、する必要もない。
「名号を称する」ことが往生の果をもたらす(称名が因=能行)のではなく、
「名号を称する」時に、阿弥陀の本願が結実(成就)する(称名が果=所行)のです。

よけいわからくなったかな?


ところで三吉さん 投稿者:らくりん  投稿日: 9月11日(火)09時57分20秒

最近某所で、某有名人にからんで、「○い人」などと名乗って活躍していません?

あの芸風は間違いなく、三吉さんだね。

某有名人は、「○い人」=「らくりん」だと、
勘繰っているんじゃないかという気がします。


おっと忘れた 投稿者:らくりん  投稿日: 9月11日(火)09時35分29秒

ええ歳こいて
母親と「口論」できるなんて、けっこういい関係じゃないですか、おじきさん。
お互いを、一人前の相手・対等な相手とみなしていなければ、口論なんか成立しない。

私は、口論が成立する関係というのは、けっこう素敵だと思います。
口論が成立しない関係では、無視したり、すぐに暴力に訴えたりすることになる。

最近は少なくなりましたが、
私も母親とはずいぶん衝突します。母と私の口論は、他人様が見たらちょっと恐くなる
くらいすさまじいものになることがあります。
子どもにとって、親というのは、いつまでたっても目の上のたんこぶうっとうしい
存在ですね。まあ、うっとうしい間は、相手もまだ「現役」だということではないか
と思います。
相手を傷つけてはいけないなどと、変に遠慮したり、気を回したりするようになったら
相手を年寄り扱いし始めているわけで、その方が哀しいかな。


はじめまして 投稿者:らくりん  投稿日: 9月11日(火)09時26分33秒

>おじきさん
ようこそ、です。
ここは硬軟とりまぜて、振幅が大きい掲示板ですから、
「くだらない話」などと遠慮なさらなくてもいいですよ。
管理人自身が「マジメ半分/面白半分」という感じでやっておりますので、
書くなり、読むなり、気が向いた時に、てきとーに楽しんで下さい。

>狂信さん
曽我量深先生は、「能行」を批判されています。
――現在の大谷派の教学的趨勢は、これを踏襲していますし
  私もその立場を取っております。

  ※語注:「能」は「能動」の意味で、「所行」の「所」は「〜られる」という
  「受動」の意味になります。行の主体の所在を阿弥陀に見るかという問題です。
  今の場合、衆生の行為として称名念仏することは、「行」(願を成就させる行為)
  としての意味があるか否か。「能行」は衆生の行為としての称名念仏には
  意味があるという立場ですし、「所行」は衆生の行為から往生を実現させる意味
  が生じるのではないという立場です。

 私は、最近「称名念仏」を勧めていますが、「能行」的な意味で言っているわけでは
ありません。むしろ、私としてはどこまでも「所行」であると決着したからこそ、
安心してお勧めしているわけです。


恐縮です。 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月11日(火)08時58分21秒

曽我先生が追放されたのは、
能行ということを主張したとされて or
能行を批判したとされて?
らくりんさんは、どっちに読んだんですかい。


はじめまして 投稿者:おじき  投稿日: 9月11日(火)03時36分25秒

こんばんは。ここへ来るのは初めてですよろしくおねがいします。ぐっちんさんや死生さんとは以前からの知り合いで、この板を見られるのを楽しみにしてました。さて、くだらない話しで申し訳ないのですが、この前母親と口論になり、泣かせてしまいました。謝るのも気恥ずかしいし、ほっとくのも嫌な気分です。原因は私が正論を振りかざして母親の欠点を責めたてたから、悲しくなったのでしょう。身近な人とさえ出遭えないことが情けないです。


見覚えあるような。。。 投稿者:三吉  投稿日: 9月11日(火)01時22分05秒

ないような。。。。はっきりしません。
ただ、「差別」=「排除」であるとか、中身はなつかしいです。

でも涙は、クリスマスの方の話題かも。

最後の「我慢できなかったのだ」「怒りが沈黙を破った」「阿弥陀自身の自己否定」
「真宗の本尊は  怒りと悲しみの「南無阿弥陀仏」」
此の辺のフレーズはジーンとくるものがあります。
何か震えが来る感じですね。。。
私の在り方自体を根底から問われているような気分といいますか。。。
いや言語化すると陳腐ですが、その南無阿弥陀仏に共感せざるえない。
真実だと内奥が感じています


感想をありがとうございます 投稿者:らくりん  投稿日: 9月10日(月)23時47分34秒

>それとも、クリスマスツリーを飾ってしまうと、
>いままでの念仏がムダになり、
>往生できなくなるとでも言われるのでしょうか。
あの文章はそうは言っていないつもりです。
あの騒動の収束点は、自分の信仰に対して誠実であろうとするならば
誠実なキリスト者の信仰に対しても真摯な態度をとる必要がある。
つまり、安易な儀式の模倣や便乗的な悪乗りは慎むべきではないかということです。

ただし、神棚とクリスマスツリーの間には本質的な違いがあると思います。
神道の中でも、家に神棚をまつるようなものは、産土(うぶすな)信仰がベースに
なっています。それは特定の土地に生まれた者やその者と婚姻関係を結んだ者を、
ほぼ自動的に「氏子」と看做し、産土神が守護するという考え方です。
これは信仰の強要システムになると思います。ですから、家に神棚を祭る
ことは、「氏子」と看做されることに同意したという意味をもちます。
ですから、自覚的に一つの信仰を持つものは、別の宗教の信者と看做されることに
ついて意識化される必要があると思います。

つまり、クリスマスツリーは「自粛・遠慮」になりますが、神棚は「拒否」になる

靖国神社を成立させている、国家神道はこの強要システムがもっと露骨になります。
特定の基準によって「国家にとって価値・意味のある死」と「無意味な死」を
選別し、当人や遺族の意思や選択とは無関係に強要・排除する。
そして一方を極端に称讃し、一方は捨て置く。
これは国家による死の意味付けであり、死の政治的利用です。


神祇不拝論 投稿者:お留守居役様  投稿日: 9月10日(月)22時24分08秒

クリスマスツリー騒動、拝読いたしました。
信仰を保つということは、大変なんだなあという感想です。
原則は、
念仏だけで浄土往生できる、ということでしょう。
言い替えれば、
念仏以外の行では、浄土往生できないし、
念仏によって、終末での神の選びや、
家内安全や国家安寧を期待してはならない、
ということかと思います。
クリスマスツリーを飾ることで、浄土往生できるという主張には、
反対すべきでしょう。
念仏だけが往生という原則さえ守れば、
クリスマスツリーはおろか、
バレンタインデーも、七夕も、
十字架であろうと神棚であろうと、
往生の障害にはならないと思います。
世界は重層的構造体であるからです。
それとも、クリスマスツリーを飾ってしまうと、
いままでの念仏がムダになり、
往生できなくなるとでも言われるのでしょうか。


しらなんだ 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月10日(月)18時27分41秒

金子大栄「浄土の観念」を巡る論争は、分かり易いところがあります。
浄土は実在する、という批判ですよね。単純にいうと。

谷大では、所行能信というふうに、どなたもおっしゃっていたと、記憶しています。
能行ということがあったんですかぃ。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月10日(月)14時39分20秒

またまた懐かしの論文を【ひらけごま】にアップしました。
大谷大学の差別ビラ事件の最中に、博士課程在学中の学生として研究報告として
提出した論文です。学生時代の論文にはありがちなことですが、提出期限と枚数制限
の関係で、最後はちょっと収まりが悪く、「えっこれでおしまい?」という感じです。
悪しからず。
この論文の問題意識も今日まで継続しています。

三吉さんには「涙ちょちょ切れ」ものかも知れません。
(学部生だったら見ていないかな?)

これも、「大谷大学大学院研究紀要」という、ちょーマイナーな雑誌に掲載された
論文で、今となっては、大谷大学関係者以外はほとんどアクセス不能ではないか
と思います。


一つの納得 投稿者:らくりん  投稿日: 9月10日(月)10時26分01秒

独り言だと思って、あまり気にしないで下さい。

以前「挫折」ということでちょっと触れましたが、
曽我量深の『如来表現の範疇としての三心観』は、
これまで「阿頼耶の三相」と「本願の三心」を関連づけて語る前半の
  第一 自相――阿頼耶識――信楽
  第二 果相――異熟識 ――至心
  第三 因相――種子識 ――欲生
この相関関係が理解できなくて、躓いてしまい、先に読み進めなかったが、
とにもかくにも、と、最後まで目を通した。
「阿頼耶の三相」と「本願の三心」の相関は今もって何をおっしゃりたくて
このようなことを言い始められたのかまったくわかりません。

しかし、最後の数頁でこの小冊子の結論と言いますか、全体で何を言われたかったのか
わかったように思います。
  「本願の名号は名詞であると共に働詞である」(「動詞」ではない)
という命題が出てきます。これは今までにも、曽我量深先生がおっしゃっられた
ことだとして何度も聞いたことがありますが、その大元はどうもこれだったようです。
途中の展開ははしょりますが、そこから最後の結論として言われるのが
  「真宗の宗学は能行を否定する宗学であります」
と言われます。この冊子が公刊されたことによって曽我量深先生僧籍を剥奪され
教団から追放されますが、思うに、その理由はこの一言にあったのではないかと
推測します。この言葉のあとには以下の文言が続いています。
  「能信所行といって、能行を否定して唯一の能信を立て信心為本を確立する。
  唯一の――能信をたてることによって能行を否定し、行は是れ所行なることを
  徹底的に建設して行くのが真宗の正しい所の宗学であります。能行なんといふ
  言葉を用ひるならば、失礼だけれども、それは真宗の宗学では無いのであります。
  昔封建時代にはさういふものをも真宗だと思って居った時代もある。けれども、
  昔の真宗はマアそれでよいけれども、今後の世界的真宗はそれではいかんと思ふ
  のであります。之は真宗学の講義でありますから、之を正して置きます。前後
  二回の講義といふものは、少なくともかういふやうな立場に於てお話を致した
  ものであるといふことを御承知あらんことを請願ふのであります。(完)」

これで、「僧籍剥奪・教団追放」問題については私としては得心がいきました。
今では考えられないことですが、昭和二当時こんなこと言ったらヤバいでしょうね。
清沢満之の影響を苦々しく思っていた人たちにとって、飛んで火に入るなんとやら
という感じだっただろうと思います。
この結論は、今日の大谷派の状況にもかなり大きな影響を及ぼしているではないか
という気がします。

なんのことだか、わからん人はゴメンネ。


またもおせっかい 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月 9日(日)12時50分49秒

そういえば私はサイトのファイルを作るときだけHPBを使い、サーバーへの転送は別の専用
ソフトを使っています。

(さっきのOSの件はお許しを。リナックスいじってるイメージがこびりついていたもんで)


試してみた結果 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(日)11時40分09秒

どうもやっぱりサイト転送の後に不具合が生じるようです。

狂信さんの
>HPビルダーを切って、
>「ファイル転送」を起動してFTPをするという形
というアドバイスに従って、「ファイル転送」ソフトを単体で起動して
[接続]後、サイトごとすべて転送しなおして、[切断]
してリブートしたらOKです。

ところが、HPビルダー本体を立ち上げて、最小限(改行を入れる)の修正を
加えたファイルを、本体のサイト丸ごと転送機能を使って、修正ファイルだけを
転送してから、HPビルダーを終了して、リブートすると固まる。

ここまでわかった。

とりあえず、転送は「ファイル転送」を起動して行なうことにすれば
なんとかなるかな?


またまたHPビルダー ネタ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(日)10時57分06秒

つまらんことで、皆様のお目を煩わせてすんません。

やっぱあかんです。
パワーオンして、HPビルダーを起動して、すでにちょっと変更してあった
ファイルを転送して、
その他のソフトは何もさわらずに、リブートかけたらやっぱ固まってしまって
強制終了のハメに

これはどうもメモリまわりのトラブルではなく、

サイト転送の有無が関わっているみたいなので
ネット回線使用との関係かもしれません。

初歩的な質問ですが、
サイト転送した後は、普通にHPビルダーを終了すればいいんですよね。
それとも、接続を切るとか何か特別な操作が必要なんですか?


訂正 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(日)09時47分40秒

「舌噛みそうなHP」―→「舌噛みそうなHN」

HPビルダーの話ばっかしてたもんで、つい

それから、「舌噛みそう」と言うよりも「舌と唇がこんがらがりそう」と言った
方が感じが出るかな。もちろん「頭の中の舌と唇」もです。


インソムニア さん 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(日)09時07分57秒

初めまして、なんか舌噛みそうなHPですね。
(ネットの中だけの名前ですから口にだして言うことはありませんが、
頭の中で読んでいても、頭の中の舌噛みそうです)
ローカルなドメインをお使いのようですから、もしかしたらどこかですでに接点が
あるお方かも知れませんね。

HPビルダーの件、いろいろと教えて下さってありがとう、
お勧めに従って、とりあえずバージョンアップだけはしてみました。

ダラブチさん、OSとメモリ容量は先のカキコにちゃんと書いてありますよ。
CPUとHD容量はこの際あまり関係ないかと思って書いてありませんが。

ADSLの接続関係も関係ない気がするな。
症状からして、やっぱ鍵はメモリ回りのような気がします。


忘れた頃のダラブチ 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月 9日(日)07時25分17秒

>インソムニアさん

この板には、最低週に1回くらい、それなりにコンスタントに来てるんです。私のキャラと同じ
く目立たないだけです。そういえば昔から私はそんな奴で、「影が薄い」とよく言われます。
集合写真を撮ったりしても、ホントに他の人と較べて太陽光での影が薄かったりするのです。
ひょっとしてドラキュラの末裔なのかもしれません。   血ぃ吸うたろか?

>ホームページ・ビルダー

同じくつなぎの戯れ言ですが、らくりんさんのシステムの基本スペック、OSは?。
2001でもVer.6でも、私は全くトラブル・フリーです。ちなみに私の基本スペックはCPUが
550Mhz、メモリ/128Mb、HDD/15GB。いまとなっては叩き売られる程度のもの
でしょう。OSはWin98SE。それから接続回線はISDN。ひょっとして、最近導入された
ADSLが悪さしてるとか?

最近出くわした一つの出来事がもとになって、自分とこの教区の僧分の意識改革が必要だと、
再び三度考え込んでいるところです。葬祭業者に牛耳られている葬儀の実態を憂え、「葬祭業
者に任せっぱなしにしていたら、大切な仏事としての意味が失われていく」などと言っている
割には、自分達が積極的に葬儀執行までのあちこちに関わろうとはしない。その結果、自分達
もベルトコンベアに乗せられている。そして「時代の流れだ、仕方ない、仕方ない」とグチ言
うとるだけ。はっきり言って業者に、おだて上げられて、舐められとる。くっそ〜

でも、教区全体として動くなんちゅうことは、もはやこの小さな教区でも望み薄だな。せめて
ダラブチが関わるときだけはいろいろイケズ言うたろ。


まちがえました 投稿者:ootubo  投稿日: 9月 9日(日)06時56分29秒

MS社の製品ではありませんでした。
バージョンアップがお勧めだそうです。
流れ星狂信さんの修正プログラムと同じですかねえ。
http://hpb.cool.ne.jp/hpbuilder/up_grade.htm


私もつなぎかもしれませんが 投稿者:ootubo  投稿日: 9月 9日(日)06時37分37秒

MS社の製品はリソースをよく消費しますが、
特にHPビルダーは、はなはだしいと聞いております。
CtrlとAltとDeleteキーを同時に押してください。
今リソースを消費しているソフトが明示されます。
必要でないものを終了させれば負担が少なくなっていいのですが、
これは一時的処置なので、パソコンを起動するたびにやるのはおっくうです。

そこで画面左下のスタートボタンをクリックしてファイル名を指定して実行で
msconfigと打ち、システム設定ユーティリティを起動します。
その中のスタートアップタブの中の要らないもののチェックを外せば次からは起動しません。
戻すときはチェックをつければOKです。
ただし、必要なものまで削除しないように気をつけてください。
IrMon.exe/internat.exe/LoadPowerProfile/PCHealth/SystemTray/
ScanRegistry/SchedulingAgent/StateMgr/TsakMonitorなどです。

HPビルダーを使うときは他のソフトを全部終了するか、もっといいのは
パソコンを終了し、新たに起動してHPビルダーを使うといいです。

ここはお勧めのサイトです。http://www.tomoya.com/
風水であなたのパソコンは安定します。


詳しい方が出てこられるまでの 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月 9日(日)00時54分48秒

つなぎにしかなりませんが。
Win2kにしてネットゲーム用にPCをパワーアップする以前ですが、
メモリーを大きく消費するソフトを使った後、おっしゃるような症状が
出たことがあります。
よく分からないのですが、Win98系はメモリーの処理能力が低くて、
ソフトを止めても、バッファなるものがなかなか解放されないとか。
とはいえ、どれくらいの能力があればHPビルダーが安定して使えるのか、
分かりません。

対処法として思いつくのは、前に書きましたように
HPビルダーの修正プログラムを最新にすること
ぐらいしかありませんが、もうやってらっしゃるでしょうね。

HPを作成されたらHPビルダーを切って、
「ファイル転送」を起動してFTPをするという形で
なるべくメモリーを使わないようにしてみたらどうでしょうか。
そうしていらっしゃるかもしれないし、
改善されるかどうかは、望み薄ですけれど。。。


初投稿 投稿者:インソムニア  投稿日: 9月 9日(日)00時47分13秒

突然割り込みました。
 らくりんさん、お世話になります。ダラブチさん、ここでもお話できますね。(最近板々には、来ていないようですが・・・。)

 らくりんさん
共振はつねに1対1、あなたと私の関係
どんなに目の前にたくさんの人がいても、
いつも探し求めているのは
たった一人の人との共振点なんじゃないかな。

 この言葉に共感します。
 
 


微笑みをあなたに 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(日)00時01分23秒

お留守居役様さん、微笑んでいただけて何よりです。


教えて 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)23時56分52秒

どうも、HPビルダーを使ったあとWINDOWS98SEが正常に終了できなくなる
みたいです。
メモリは196Mに増設したばかりです。
スキャンディスクでは何も問題ありません。

どうも感じとしては、サイトの転送を行なった後、スタンバイにしようとしたり
WINを終了しようとすると、フリーズしてしまうみたいです。
固まる時はいつも同じ症状で止まります。

で、結局強制的にパワーオフにするしか手のほどこしようがない状態になります。

HPビルダーの先輩方何か参考になる経験がありましたら、
ぜひ一手ご教授を


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)23時44分07秒

ちょっと恥かしいんですが、若かりし頃の、
自分自身にとってだけですが記念碑的意味のある
文章を【ひらけごま】にアップしました。

今となっては、ほとんど入手不能のミニコミ的雑誌に掲載されました。

ご笑覧あれ。


寺費出版 投稿者:お留守居役様  投稿日: 9月 8日(土)23時26分37秒

常讃寺関連出版物のご案内のなかに

寺費出版と自費出版とあるのを発見して、ちょっと微笑ませてもらいました。


ゆくゆくは 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)23時15分04秒

それぞれの枝は、それぞれ独立させておいて、
【正面玄関】にハブ機能を持たせようという、
壮大な構想(だけですが)を練っています。ホントかしら。


えっ、リンクって 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)23時12分30秒

まだそんなリンクを張っていただくほどのものにはなっていないんですが、
張りたかったら、どこでも好きなところを選んで下さい。

一応、寺のとプライベートの部分を分けるつもりで、いくつも(今のところ三つの
つもりなんですが)入り口がある状態です。

どこから入っても、たどって行けばどこにもつながるようにするつもりですので。

サイトのトップは【正面玄関】ですが、どこなとお好きにどうぞ


映画「ポストマン」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)23時05分39秒

テレビで、ケビン・コスナーの「ポストマン」を見終えたところ
たった一つのウソが、若者たちを動かし始めるのが面白い……
信じちゃったものは、次々と勝手に伝播し始める

その気になった者は誰も止められない

敵役の独裁者が、捉えたポストマンたちが運んでいた手紙の内容が
「天気の話」や「家族の話」しか書かれていないのを知って、
「何かあるはずだ、もっと重要な何かがあるはずだ。そんなたわいもない手紙を
いのちを賭けて運ぶはずがない」と叫んでいた。
もしかしたら、
その人に大事なことって、他人にはどうってことないことにしか見えないのかも
知れない
そんなことが大事なのかもね


リンク願い 投稿者:大悲  投稿日: 9月 8日(土)23時04分56秒

リンクを貼らせていただきたいのですが、何処がトップになるのでしょうか。
本堂か、正面玄関か、はたまた自室か・・・・(笑)


訂正 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)13時45分56秒

YUYU♂さんのところの表玄関のURLは ↓ です。
こちらから入るようにお願いいたします。

http://www.ajase.net/yuyu/


正直な感想 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)11時31分23秒

自分で作ってみてあらためて思う、皆さんのHPは手がこんでますねぇ〜。
どれほどの時間と創意工夫が盛り込まれているのか、
これからは、もっと敬意の念をもってHPを拝見しなければなりませんね。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)11時08分49秒

常讃寺関連出版物のご案内をアップ。
レイアウトが思うようになってるれない。
無理矢理、形だけを作る(きっとHTMLなんて無茶苦茶だろうな)


「共振点」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 8日(土)09時45分22秒

いろいろな場所いろいろな状況で話す機会がありますが、
どういう機会でも、最初に一番意識することは、
そこでどういう問題意識を共有できるかということです。
言葉というのは、問題意識に届いていくのだと私は考えています。
ですから、問題意識がどこにあるかを見誤ってしまうと、
不幸な一時を共にすることになってしまいます。
聞き手にも話し手にも難行・苦行の数十分になる。

自分の問題意識を一方的に押しつけられることほど不快な気分にさせられることは
ありません。(逆側から言えば、押しつけることは傲慢)
かといって、聞き手の要求に全面的に擦り寄ってしまうことを、
私は、自分の「姿勢」「芸風」とはしたくない。
(おれの作ったもんは黙って食え、と客に説教する料理人に、私はなれない。
なりたいとも、なろうととも思わない。むろんそんな人がいることについて
とやかく言うつもりは毛頭ないが、私は好のんでその店に行くことはない)

一定の時間、ほぼ一方的に話すような状況では、
問題の所在、問題意識の枠組みの設定は非常に大きな位置を占めると
思います。そして、聞いて下さっている人からはね返ってくる反響を
受け止めながら、想定した問題の枠組みを確認していく。

私は、人前で話しながら、
自分がカバーできる問題領域の中で、
目の前にいる聞き手と共有できる問題意識の接点を
探し求めるような作業をいつもしているような気がします。
よくも悪くも、これが私の「芸風」なんだろうという気がしております。

むろん、複数の人がいる場で、全員がまったく同じ問題意識を持っている
ということはありませんから、
一部の人との問題意識の波長が共振することがあっても、
別の人にとっては、まったく期待外れという結果になってしまうことは
避けられません。
私が言っってしまったことがどう受け止められても、
相手がそれを気に入らんもんは気に入らんのだから、それはしゃ〜ない。

共振はつねに1対1、あなたと私の関係
どんなに目の前にたくさんの人がいても、
いつも探し求めているのは
たった一人の人との共振点なんじゃないかな。


はえー 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月 7日(金)19時09分13秒

thxです。


YUYU♂さんとこ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 7日(金)19時00分01秒

は↓です。

http://www.ajase.net/yuyu/ja/index.shtml


うへうへ 投稿者:流れ星狂信  投稿日: 9月 7日(金)18時58分23秒

定例の数、すごいっすねー。
ウチは、同朋の会だけだけど、HPにのせとこ。
すいません、YUYU♂さんとこ、URL、教えていただけませんか。


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 7日(金)18時03分37秒

一応、常讃寺関連の行事予定だけ作りました。

リンクを張り回すことだけで頭がこんがらかってしまいます。

体裁は、あまりかまっておれませんので、見にくいですが。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/josanji/hondo.htm


とは言うものの 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 7日(金)15時41分52秒

Linuxは放っておいても上達しても、別にどうこう他人様と関わりが
出てくることもなくなることもほとんどないだろうけれど、

HPはもしかしたら何かの縁ぐらいにはなるかもしれないから、
せっかく開設までには漕ぎ着けたことだし、もうちょっと中味を追加してこうかな。

YUYU♂さん(この掲示板ではあまり出て来ない名前ですが、有名人なので
知ってる人も多いと思いますので語注はつけません)の
>別に宣伝をしろなどと申し上げるつもりはありません。ただ、教えを求めながら
>どこに行けばいいか分からない人々のために情報発信をして頂きたいと申し上げ
>ているのです。どこのお寺で何をやっているのかということを、外の人々(特に
>若い世代)に向けて知らせて頂きたいのです。
>ウェッブで教えそのものを伝えることはできないかもしれませんが、
>縁を作ることくらいは充分可能です。

の言葉にケツをたたかれて、とりあえず、自坊の行事案内ぐらいはなんとか早急に
仕上げねば。
残念ながら「正確な HTML を記述」しない、お手がるソフトでしか作れませんが……

こりゃ、Linuxなんかよりも、「正確なHTML」の勉強をしなければならない
かね。


ふっと一息 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 7日(金)15時16分33秒

少し身辺があわただしくなってくると、HPのことやリナックスのことも
不思議なことに、いっこうに意識が向かなくなってしまいました。
そんなに分秒に追われるほどの生活はしていないのですが……

最近の自分の書き込みを読み返してみるとずいぶん変なこと書いてますね。


過去ログがあった 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 6日(木)20時13分04秒

>ぐっちんさん、
前ちょっと触れた、いわゆる「YASUさんのところ」という掲示板――
正式には〈御本典研鑽集記〉と言いますが――の過去ログを発見しました。
一時期、ここと、〈『親鸞の教行信証を読み解く』読書会〉と3ヵ所が入り乱れて
展開していた時期がありますので、2ヵ所の過去ログをお読みになったのなら
気になった部分があるかも知れませんので、興味があったらご参照下さい。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/9146/honden/honden.index.htm


あれは、 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 6日(木)19時52分55秒

使命感というよりも、危機感を煽っているんです、私の場合は。
すんません。

「三人娘」たちは、自分たちではそれなりにわかっているつもりなんでしょうが、
どうしても、折に触れて期待感が吹き出し溢れて来る。
もどかしいんでしょうね、きっと。

同じ文句言われるんでもあの人たちぐらいに、
熱い思いをぶつけられる形で迫られると、
耳は痛いけど何かすがすがしいものがある。
けっこう辛辣なのもあるけど。

関係を断ち切るための批判と、関係を結ぼうとする熱意からの批判では
だいぶん違いますわね。
絶縁のための冷たい批判と結縁を願う熱い批判、これは違って当たり前ですねか。

何度も言ってますけれども、私が知る限り、
ああいう人は、小松ではあの人たちが最下限ですからね

あっ、そうそう
勘違いというのも、方向が悪くなければ、とっても大きなはたらきをする。
勘違い大歓迎ということも一方ではあり得る。
問題は、その方向をどうやって見定めるかということですかね。
これがまた、人によってあっちゃこっちゃするから、大問題。


使命感 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月 6日(木)18時44分50秒

>坊さんに過大な期待を寄せている人を見ても同様の感が

安宅の3人娘さん達にそれを感じていた私(他の閲覧者の皆様、ローカルネタでゴメンナ
サイ)。でもらくりんさんも、私やら件の会の会所の副住職を焚き付けるときけっこうそ
れでおどしたくせに・・・・。「この人達の期待を受け止められない僧分て、なんや!」
とかさ。まあいいですけど。あの会、とても面白いし。

私は、外に現れる(感じ取ってもらえる)使命感も、一つのチャンネルだろうなあとは思
います。「この人がこんなに伝えようとしているものなら、何かあるんじゃないか」とか。
ダラブチもけっこうそんなところがある部分があったりなんかしたりするような気がしな
いでもない。それで伝わっているかどうかは怪しいものなんですが、私の場合。

少なくとも「高校生相手に宗教を語る使命感」、というフェーズでは燃え尽きました。
今の高校生は、燃えてる人間を見ると逆に引いてしまうんですよ。
その割に、熱っつい曲なんかはガンガン聴いてるんですがね。醒めてる日常の反動かな。


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 6日(木)12時05分21秒

「三界は無常(無情?)にして安きところなし」
でありますから
〈ご用〉が無くなったものは消えていくのが当たり前

問題は、誰にとってのどういう〈ご用〉ということですが……

何でもかんでも、
「ござぼし」や「せなかて」や「めんぱ」(説明はしませんが、いずれも私の田舎で
昔は日常生活で使われていた道具の名前です)といっしょにするわけにはいかないが。

私は、溢れる使命感に満ちた坊さんを見ると、この人なんか勘違いしているんじゃないか
と思ってしまいます。
あるいは、坊さんに過大な期待を寄せている人を見ても同様の感が

使命感とか意欲が悪いというわけじゃありませんが、
そんなもので伝わるわけではない、と私は思っていますので
かと言って、投げやりでいいと言うつもりもありませんが
あれこれと試行錯誤はしていますが、少なくとも私の場合は
それは「使命感」というような言葉で的確に表わされるようなもん
ではないような気がしています。

(あの〜、別にどこかの掲示板のどなたかの発言を指して言っているわけでは
ありませんので、深く詮索はしないで下さい)
最近はクロスオーバーが多いから、いろいろと気を使います。


あっ、 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 6日(木)09時14分24秒

公私混同ということで、一つ厳しくつっこまれるとどうかな? 
ということがあるとすると、書籍購入かな。
私が買う本のほとんどは、法人名義で領収書をもらって、法人会計との間で清算して
います(パソコン関係の本は遠慮していますが)。
にもかかわらず、寺の蔵書印を捺すとか、寺の蔵書目録を作るというような
寺の財産としての適切な処理をしていないのが実状です。
これはやらなければならないのですが、書庫の本の山を見ると……
手を着ける気にならない。


季節の変わり目 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 6日(木)08時59分15秒

夏に消耗した体力の反動が出て来るのが今の時期、
(食中毒も7〜8月よりも、実は9月が多いとか←「おはようジャーナル」ネタ)
みなさんお気をつけを、Zazieさん、ご油断なく。

住職による寺の私物化意識は、もう当たり前の感じになっているのでしょうかね。
地域差、個人差、寺事情差はあるんでしょうが、
私のところなどは、まだというべきなのか、寺の有形・無形の財産は、
住職家のものだという意識はあんまりないかな、

お御堂と住居の間で、扇風機や石油ストーブを持って行ったり来たりとか、
残ロウソクで花火をするとか、
小遣いで、お寺用の消耗品の補充したり小物備品を買うとか、
(リサイクルショップでこれお寺にあるとちょっと便利かなと思いついたりとか、
買い物のついでに、あれが切れかかっていたかなと思い出したりした時に、
わざわざ領収書をもらわないことがある)
という程度の混同はしょっちゅうですが。


体調、良くなりました。 投稿者:Zazie  投稿日: 9月 6日(木)01時32分25秒

>いまにお坊さんの仕事、無くなるよーー。

無くなる時は無くなるのかもしれません。
が、お坊さんの仕事は無くなっても、お寺の仕事は無くならないのではないでしょうか。

お寺を坊主の(自分の)所有物だと思うのは、勘違いでしょう。


『老子』の発想 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 5日(水)09時53分53秒

「訪問者、よい管理人だと親しまれ誉められる」のは中、
「おそれられる管理人」は下、
「バカにされる侮られる管理人」は下の下
それで、上は
「管理人がいることとを知っているだけ。管理人が仕事をしていると誰も思わない」
のが一番いいんだそうです。

『老子』の第十七章です。
もちろんこれはBBSの管理人の話をしているのではありませんで、
為政者のことを言っています。

  [最上の政治を施すと、これよって治められた下々の人民は、ただ自分たちの
  上に政治をなす人がおるということを知るだけで、格別有難いとも何とも感ず
  るものではない。その次の政治になると、下民は、その為政者に親しみ、為政
  者を謳歌する……](諸橋轍次 訳)

『老子』というのは、おもしろいところもあるけれども、
民衆というものを徹底して愚か者としてさげすみ、
管理・支配の対象としてしか見ていないような気がします。


追記 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月 5日(水)08時55分09秒

>ぐっちんさん
「雨降って地固ま」ったのは、郡中社の中での話です。共同運営なもんで、いろいろあります。
この前の騒ぎはそれが一端にあったような・・・。

それから先のレスについて、「共感」を「共有」に変えます。カウンセリングに「共感」という
用語があったりして、全く同じ感情を持つことを「共有」、共有はできないが「そのことが悲し
いことは理解する」を「共感」というふうに使い分けないといけないようです。


模索中 投稿者:ootubo  投稿日: 9月 5日(水)07時54分58秒

この業界は、今のままで当分やっていけるという甘い現状があります。
ご依頼金も100%以上集まり、支出も余裕で余り、リストラは関係ない。
反対に小さなお寺などでは後継者やお役僧さんがいないくらいです。
しかし、2007年をピークに総人口は減少し、山間部とうの過疎地域では
寺院等の存続不能の危機に陥ると予想されます。
そして、ようやく重い腰をあげて様々な対策をたてるのでしょう。

私は葬式・法事ボウズと揶揄されても気にしません。
お寺を維持するにはこれしかないからです。
しかし、どのようにすれば興隆するのか模索しています。


(無題) 投稿者:ダラブチ  投稿日: 9月 5日(水)07時07分20秒

>情報をちゃんと蓄積・共有するという発想が伝統教団にはあまりないんとちゃうだろか。

昔からの講録はたくさんあるのにねえ。「ビハーラ」とか「悲しみを癒す」ということでいろ
いろ求められていますよね。それに直接応えなければならないのか、別の形で応えるのかとい
議論はするべきだと思いますが、そこまで突き詰めて考えている僧分はあまりいないように見
えます。自分の(それほど豊かでもない)人生経験からおためごかしのアドバイスをしてそれ
で「どうや、ワシはええこと言うとるやロ」「ほんでエエやろ、もう帰り」という人が多いよ
うに見えます。

「話はできるだけ聞かせてもらう。でも私にはあなたの悲しみを共感することが出来るかどう
かは分からない」という僧分の方が、よっぽど良心的だとダラブチは思いますです。

>いまにお坊さんの仕事、無くなるよーー。

お通夜というのは、頼まなくてもいろいろな世代の人がたくさん集まるのですから、
そこでほんの数分話すだけでずいぶん違うと思います。「3分法話のための心得集」
を僧分向けに教区で作ろうかな。

それから、らくりんさんの掲示板の上でなんですが、ぐっちんさん・・・
ぐっちんさんが当方のサイトに書かれたこと、決して当方を特定しての悪口・攻撃な
どでないことは、ダラブチはわかっておりました。あの後の展開は予想外でしたが、
「雨降って地固まる」ように納まりました。私たちもサイトの運営を勉強させていた
だきますので、お気になさらず、これからもおいで下さい。


追記 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 4日(火)22時46分37秒

 情報をちゃんと蓄積・共有するという発想が
伝統教団にはあまりないんとちゃうだろか。

 仏法を聴聞するのが門徒の努めという
理想像があるけど、近親者を亡くしてはじめて
仏教に触れるという人が圧倒的な現実をなぜ
受けとめないんだろう?


いっそのこと 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 4日(火)22時19分37秒

 葬式・法事ボウズと揶揄されて久しい仏教界。

 ほんとの葬式をすればいい。。。亡き人をご縁として法を聞く機会に。。。
いろんな反論があるけど、葬儀、これはこれで大切に正面から向き合えば
いいのかも知れない。アメリカの葬儀社では営業に資格が必要とか。
エンバーミング(遺体処理)ばかりでなくその中のカリキュラムに、
遺族へのグリーフセラピー(悲嘆・喪の仕事)も入っている。

 なんかマニュアル通りに学ぶのもへんやけど、ビハーラなんかに
取り組んだお坊さんを呼んで研修やったらどうやろう?

 ターミナルケア(緩和ケア病棟)は、診療報酬が認められ結構
採算がとれるようになってきたから全国で増えてきている。
その中で、患者さんを偲ぶ会という形で実質、法事みたいなことを
やっているとこもある。

 いまにお坊さんの仕事、無くなるよーー。


嘆きっす 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 4日(火)21時42分17秒

 今度の歌舞伎町の火事で惨事ストレスというのをはじめて知りました。
大阪・池田の事件でも話題になったそうですが。
 
  消防・警察・自衛隊・医療関係者等で災害時に救助等に携わる者が、悲惨な或い
  は危険な状況に直面した事により、強いストレス反応にさいなまれる状態の事を
  言います。
  *CIS:Critical Incident Stress
       直訳すると、「危機に直面して起こりがちな心理的圧迫」となるんで
       しょうか。ちなみに「惨事ストレス」は東京消防庁の訳らしいです。

 発生要件とは。。。
  1 職務としての出動である。(出動を断れない)
  2 職業意識がある。(使命感・責任感がある)
  3 組織的風土がある。(プロ意識で弱音を吐けない)
  4 社会的期待が強い。(期待による重圧)
  5 その他(現場活動による恐怖感・後悔・無力感・罪悪感・自己嫌悪)

対策として。。。
  1 組織的取り組み
    (1) 職員の事前教育(1人で悩まないよう理解させる)
    (2) 現場での予防対策(完全な装備・正確な情報提供・適切な作業管理と
       休憩・隊員相互の状況把握・1人にしない)
    (3) 事後処理(隊員同士のミーティング・専門家を交えたミーティング)

 辛いお葬式をしたお坊さんもこういう風になるのかな。お坊さんの研修で
お互い亡くなった人の事例研究をしたなんてことは聞いたことがない。
 いっぺんこういう研修会やったらどうやろう?幼い子供さんを亡くした家、
働き盛りのお父さんを亡くした家、不慮の事故で家族を失った家。。。に対する
アプローチ。


「わ」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)20時52分40秒

とか「なかよく」というのは、やさしそうに見えるけれども、
私は、これはけっこう残酷な排除のための装置だと思う。

個人的な経験では、私はけっこう「わ」を重んじる人から「疎んじられた」ような
気がするなぁ。

「仲良くしなさい」と言われて仲良くできるんなら、世話ない。

青木悦さんは、今の子どもは「お友達プレッシャーにおしつぶされそうになっている」
とか言っていた。


あったなぁ〜 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)19時50分23秒

わっ わっ わぁ〜ぁ わがみっつぅ〜♪
わっ わっ わぁ〜ぁ わがみっつぅ〜♪
みっつぅわぁ〜 みっつぅわぁ〜 みっつぅわぁ〜  せっけん♪

この歌で「名犬ラッシー」が始った記憶があるが、定かではない。

憎しみのこもった批判もあれば、
愛情表現の裏返しということもあるし、
なかなか、その辺の見極めは難しい。
特に、表情が読めないネット付き合いでは。
思わぬ一言、思わぬ一字が、とんでもなくとんでもないことになってしまったりして、
くわばらくわばら(「桑原さん」が読んでいたらゴメン)
因みに私の生まれた村は桑島と言います(関係ないけど)
別に、酔っ払ってはいません。


うるさいなぁ〜 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)19時21分34秒

件のAptiva、最近やけにうるさくなった。
原因はどうもクーラーファンのようだ。
この前中をいじくった時、ファンを外して、こびりついていた埃を落して、
着け直したのがよくなかったのかなぁ〜

前はもっと静かで、こんなに存在感を主張する音ではなかったんだけど。

気になる。


出たぁ〜 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)17時58分10秒

ベッキー・コーショーの本が
『正信偈のこころ 限りなきいのちの詩(うた)』法蔵館 本体1800円

まだ読んでませんが、題見て一言
「やっぱこの人詩人だね」
わたしゃこっぱずかしくって、こういう題はつけられません。


バラバラでいっしょ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 4日(火)17時35分37秒

 先の『カルト資本主義』の参考文献にお東の菱木政晴さんの
『浄土真宗の戦争責任』とお西の大西(神戸)修さんの『戦時
教学と浄土真宗』があげられている。

 著者の齋藤氏はお二人の論に好意を寄せられているとみえる。
戦争中も「和」が巧みに戦意を高揚するのに使われたけれど
オカルト経営者も人事管理にこの「和」を重視しているもよう。

 曰く、私達は生かされていて、人生に不必要な事はない。
不平不満をいわずすべてを感謝して受け入れよう。というもの。

 最近はタレントとしてCMで良く見かける小錦はかつて
横綱になれるかなれないかの土俵際で角界の外国人差別体質を
ぶちまけていた。その頃、品行方正で、「国技」(この言葉は明治
生まれ)に相応しい人格者・曙はノープロブレムだったけど。。。

 アデランスのCMでキュートな笑顔をふりまく井川遙ちゃんが
年をサバ読んでたとかに関してある雑誌は彼女が在日であることを
書いている。どこの国籍でも何人でもかまわんやんか!彼女の
ナイスバディとぽってりした唇に心奪われてしまったおっさんに
とってはそんなことどうでもイイ事。

 今では雲隠れしてしまっている元ペルーの大統領だって「フジモリ」
なのに。なんとかフクヤマさんとかハヤカワさんってアメリカにいる。
他民族国家アメリカでは人種のるつぼ(メルティングポット)に代えて
サラダボールという表現を使う様になってる。プチトマトはプチトマト
ラディッシュはラディッシュ、ちしゃはちしゃでええやんか!ということ。

 「和」を乱すまつろわぬもの達にはいつも居場所がナイ。でも、「四海のうち
みな平等」という海は、日本海と瀬戸内海と東シナ海とオホーツク海なのかな?

同化のない統合はありえないのかな。摩擦の少ない統合、矛盾の少ない統合。


『教行信証』 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)13時41分45秒

この書物は、
興味が沸かない人が、
我慢しながら無理に読まなければならない本じゃないと思います。


親鸞の肖像 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(火)13時38分11秒

私にとって親鸞という人の姿は、なんと言っても
「熊皮の御影(くまがわのごえい)」です。

あのいかつくて、見つめられたら身体がすくんでしまいそうな迫力に、
それまで私の中にあった親鸞像を根底からひっくり返されてしまいました。

あれは、実物を見ながら描かれた写実性の高いのではなく、
おそらく親鸞が京都に行ってから、
門弟たちの中に宿っていた親鸞像が描かれたものだろうと思います。
邪実性という意味で一番実物の姿形にに近いのは「鏡の御影」と言われている
立ち姿のものだろうと思います。

「熊皮の御影」のおもしろい/ありがたいのは、親鸞の身近にいた人たちに
親鸞という人がどのように映っていたかということが最もリアルに表現されている
のではないかという点です。
やっぱ、あの風貌の人が目の前にいたら、けっこうこわいものがあるだろう。


お懐かしや 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 3日(月)11時15分58秒

 死生さん。って非ヴァーチャル界ではお会いしてますか。

 らくりんさんの「役にたつ人間」ってお話、頭のええ人
には特にそういう感じを受けます。もうちょっとあいつハードルを
低く設定して、身の丈サイズとかにしたら楽でええのにという人は多い。
周囲の期待に応えようとしすぎて、自分でつぶれていきそうです。

 『教行信証』はなかなか私には読めません。世に喧伝されて
いる親鸞はあまりに「人間・親鸞」というか情緒たっぷりに
語られるので、覚めた視点で作者親鸞の作品にしかけた技巧に
目がいかない。
 
 どえりゃーいお先生方の豊富な人生経験を通した、ご高説を
通してしか近づけない書物で、ぐっちんのようなケーハクな
耳年増には不向きです。


そうですか 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 2日(日)14時55分28秒

死生さん、坊主バー情報ありがとうございます。

7月に一度、友人と尋ねて行って、30分ほど迷いながらようやく
さがしあてましたが、残念なことに閉店していたもので、
どうなってるのかな、と思っておりました。

次の機会には是非。
でも、もう一度一人で行こうと思っても、ちょっと自信ないです。
荒木町界隈というのは初めてでしたが、かなり味のあるエリアでした。


祝 一周年!! 投稿者:死生  投稿日: 9月 2日(日)12時44分18秒

>らくりんさん
 ご無沙汰しております。
 『親鸞の教行信証を読み解く』熟読中です。
 さて「東京ボーズバー」ですが、9月1日で1周年を迎えました。
 わたしもぐっちんさんも今では直接関わっておりませんが、
 築地本願寺で勉強中の青年と、その青年の大学の後輩とで
 奮闘中でございます。
 らくりんさんも東京へおいでの際は、
 是非ともお立ち寄りいただけたら・・・と思います。
 きっとぐっちんさんが待っております。


「文学作品」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 2日(日)10時38分01秒

『教行信証』が「文学作品」という言い方はちょっと、語弊があるかな。
なんと言ったらいいんだろう、
「文学作品」というのは、分析するような感じでは読まないし読めない
ということの譬喩で。

今の私の『教行信証』の読み方というのは、どうみても「味わう」というより
「分析」という表現の方が的を得ているんじゃないか、と自分では思っています。
そして、「分析」ってなやり方が、
「宗教とか信仰の領域にはあまりそぐわない」ことのように思われているし
言われているし、自分でもそう思い込んでいた。

そんなんじゃない、という意味で「文学作品を読む」と書いたんですが、
なんか、それじゃいかんような感じがするんですが、それに代わる表現が
見つからない。


実も蓋もない話 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 2日(日)10時28分04秒

▼生きるのが苦しかった頃って、「間に合う者」(役にたつ人間)
になろうとしていたんです、そんで、その「間に合う者」というのの
基準がやたら高かったりすると、それで自分自身を傷つけてしまう。

そんな精神の自傷行為というのは、他人にはなかなか見えないし、それどころか
自分自身でもなかなか気づけない。

▼「美しさ」を感じる感性が自分にはあまりないかな、
ってことに気づき始めた/意識し始めた時、それが妙な劣等感を生み出してきまし
た。音楽を聞いたり、詩を読んだり、いわゆる「文学作品」ってなもんをたしなん
でみようかと思って、真似事をしてみるんですが、途中で「イライラしている」
自分を見つけてしまうんです。
「あぁ、なんてすばらしいんだろう」なんてことは、沸き上がって来ないし、
そういう自分の感覚・感性というものに自信が持てなくなって来ると、
ちょっとぐらい、「ええなぁ」と思っても、なんかそれを口に出すことに臆病に
なってしまう。「お前、そんなんがええなか」とバカにされそうな気がしてしまう
うんです。
「旨い酒」とか言われて呑んで、たしかにその時は「旨い」と感じるんですが、
その酒がなんて名前で、どこの酒かということは、次の日になると忘れている。
というか、どうでもよくなっている。どうも、執着がそっちの方には向かって
いっていないんです。
そのくせ、人の表情の変化とか語調の変化なんかには妙に敏感だったりして。
「あぁ、オレってつまらん人間なのかもしれない」と。

▼『教行信証』を「文学作品」として読もうとしていた頃は、どうしても
馴染めなかった。〈「文学作品」として読む〉というのが、
どういうわけかそっちの方が「高尚」だと思っていたんですよね、その頃は。
だからと言って、今の自分の読み方が「高尚だ」と言いたいわけではなくて、
そういう意味では、どちらかというと、実も蓋もないというか、
あまり品のよいやりかたではないかも、です。
でも、それが性に合っている、と思えたことが、肩の荷を軽くしてくれました。


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