らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉

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確認 投稿者:らくりん  投稿日: 4月17日(水)00時45分24秒

ぐっちんさん、
おじきさんは、4月14日のご自分の発言「いっぱいあるで」
の削除を希望されていますが、ぐっちんさんのご意向はどうですか?

管理人としては、
おじきさんのご希望よりもぐっちんさんのご希望を優先させたいと思います。

それに関連して
おじきさん、ぐっちんさん、両方にお尋ねしますが、
当該発言のみを削除すると、前後のかきこみの話がつながらなくなってしまう
部分がでてきてしまいます。
当該発言を削除する場合、
この発言に関連する一連の発言についてはどのようにすることを希望しますか。


謝罪します。 投稿者:おじき  投稿日: 4月17日(水)00時06分34秒

ぐっちんさんには、私の不注意な書き込みにより、迷惑な思いをさせたことを
深く謝罪致します、どうも申し訳御座いませんでした。

管理人のらくりんさん、私の4月14日の発言「いっぱいあるで」は公開掲示板上に
個人のプライベートな情報を公表してしまい、ご本人も迷惑であるとおっしゃって
おられますので、お手数では御座いますが削除して下さいます様お願い申し上げます。


発音は? 投稿者:らくりん  投稿日: 4月16日(火)23時11分47秒

「otubo」改め「inimeg」さんお久しぶりです。
「inimeg」はなんて発音るのでしょうか。
「イニメグ」でいいんでしょうかね。


しばらくおいとまします。 投稿者:Genko  投稿日: 4月16日(火)23時09分51秒

みなさん、ご無沙汰しておりました。
前回のカキコ以来、はや半月以上経ってしまいました。
この間、東京転居にひたすら全力集中を注いでおり、なかなかこのサイトに来れませんでした。
(しかし、エエ歳こくと、引越しも命懸けの大仕事になるもんですね。)
何しろこれまでの個人史のなかで、今回の引越しが、最もえらかった。
約十五年間過ごした大阪も、いよいよ今日が最後です。
明日からは再び東京で暮らしますが、荷物の整理やら諸手続き関係にいそしむのと、ネット環境を再構築するまであと最低一月はかかるため、当分ここへやって来れません。
それでは皆様、お元気で。
再びお会いできる日まで、さようなら。
南無阿弥陀仏。

>ぐっちんさん

こないだはびっくらこいた〜。東京坊主バーで偶然はちあわせるとは。
今度は大阪でまた何かを見つけてください。

>おじきさん

大阪ではいろいろとお世話になりました。
元気なやや子が産まれることを祈っています。


善き師 投稿者:inimeg  投稿日: 4月16日(火)22時37分13秒

ootubo改めinimegと申します。
私の長年の課題は善き師ということです。
具体的にこの人を見て、そして私も歩もう、という人がいません。
親鸞の道を歩まんと思ったのですが、著作だけでは。

最近心に残ったのは、
浄土は報土であり実体ではない。私達が望む浄土は化土。
観経の講義でした。


居場所 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月16日(火)14時16分50秒

 大悲さんも久々お目見えのことでもありますし。。。
 
 >おじきさんへ

 カルトと名指ししたことが気に障ったのなら謝ります。けどまあ、あなたのこのボードでの
発言の矛盾をついただけなんやけどね。どれだけ言葉を尽くせば何かが伝わるのだろう。

 あなたの発言は要するにエエ年こいたおっさんが、いつまでもフラフラしてんと、はよ
ちゃんとした仕事しなさいやという、取り様によっては「えげつない発言」ですよ。
不登校とか引きこもりやった時期をぐっちん、否定する気も、卒業する気もありません。
現に今も少年少女、あるいは社会人もこの問題で苦しんでんねんから。ずっと考え続けて
いくのがぐっちんの業というか、課せられた課題であり仕事なんや。

 あと、ぐっちんが苦しみ続けたのは、ぱっと見ィ、「出来る」子に見られることなんです
わ。どこ行っても、優等生に扱われるというか、使い勝手のエエ人間に見られるというか。
他人から見て「出来る」面だけでなく、いやらしいところも、不器用なところも何もかも
含めて全部がぐっちんなんですわ。その全体をまるごと肯定してくれるんならいいんです
けど。(この社会は能力主義ですわ。まあ、いつの時代もどこの社会もそうかも知れない)

 華やかに、あるいはバリバリ目立つような第一線で活躍をすることだけが、人間違いまっせ。
縁の下の力持ちというか、決して派手やない生き方もあるんですわ、人生には。

 浄土教の教え。ぐっちんには難しいことはよう言わん。けど、自分の「優等生性」(善人・能
力のあること)をひけらかすというか、そういう面だけを他人にアピールせんでもエエ居場所と
いうか認めてくれる存在がみつかったというのが、ぐっちんにとってのこの教えとの出遇いやった。だから、あなたも他人様に「できる人間」を強制しないでちょうだいな。

 「できる」ことだけを強要されて、自殺するひとびと。犯罪という形で暴発するひとびと。
そのようなひとびとの苦しい気持ちをいっぺん考えてあげて下さいな。


こういうことだけ覚えてる 投稿者:大悲  投稿日: 4月16日(火)10時51分35秒

昔、宮城先生のお話を聞かせていただいた時
「わかるというのは、接続語がわかるということだ。この文章と次の文章が“しかし”でつながっている。あるいは“つまり”でつながっている。そのことが筆者の意図の通りにいただけたときこの言葉がわかるということができる」
2日間の講義の中でココどけて覚えてるというか、ココしか覚えてないというか…


救主と教主 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月16日(火)07時05分36秒

 この違いよく分からんのですけど、とにかく
人間が他人に対してやれることなど、たかが知れてる。

 インド語で「看護」を意味する言葉はウパスターナ。
傍らに立つという意味です。他者に対してできることは、
傍らに立つことぐらい。けど、この傍らに立つということが
難しい。。。


>おじきさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月16日(火)06時52分03秒

 自分の身の振り方ぐらい自分で決めます。また、プライベートな情報を本人の許可なく
公表しないで下さい。迷惑です。


これがシノギや。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月16日(火)06時44分46秒

 往生はひとりひとりのしのぎなり、なんてことを申します。他人をあてにしててはアカン。

 文化人類学者、上田紀行さんの本でこんなことが書いてあった。『覚醒のネットワーク』と
いう本を出版したところ、すごい反響があった。「上田さんってわたしのこころの中を知って
いるみたい」。。。

 講演会によばれ、あちこちで握手やサインを求められる。はじめは悪い気はしなかったが何
だか気色悪くなってくる。そのうち、知人の宗教学者、島田裕己がいう。「上田くん、そろそ
ろ救世主として立ったらどうだ」と。上田さん曰く「あの本では、ひとりひとりが自分の道を
歩くことこそが大事だといったはずなのに」。。。

 かつてビートルズのジョンレノンはこういい放った。「ビートルズを理解しているのは世界
中に100人といないさ」。らくりん氏は、過去ログでこう発言されている。「自分の意図する
ところを受け取ってもらえてるという手応えがあるのは、10人くらい」

 人は夢見る。自分がスーパースターになることを。けれどいつかは夢破れる。そうすると
今度はどこかにスーパースターがいる筈だとこれまたこりずに夢見る。で、このひとこそが
それだと勝手に幻想を投影する。で、自分はスーパースター側近だという認識をもち、自分
の夢を長持ちさせる。イエス様もたいへんしんどかったやろな。尾崎豊は、ファンのヒーロー
幻影に忠実に生きるため、死んでしもたんやな。

 人間はかくも愚かな生き物や。。。  


誤読の構造 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月16日(火)06時24分30秒

 人は何故、他人の発信したメッセージを誤読するのでしょうか。

@発信者の作成した文の文法に起因する場合・・・語順や、「てにをは」・接続詞の不適切な
                       使用が受信者に正確な理解を与えない。

A発信者の使用した比喩の問題・・・・・・・・・発信者の使用する婉曲表現やわかりやすく
                       しようと思って例に出した比喩が、受信者
                       の生活実感に響かない場合。(ぐっちんの
                       例えでいうと徳大寺さんを使った比喩。
                       クルマに興味のない場合は徳大寺氏の意味
                       付けがわかりにくい)

B受信者の認知バイアスによるもの・・・・・・認知バイアス(簡単にいうと色メガネ)が
                      働き、発信者の意図とは別に受信者のお好みの
                      解釈がなされるか、あるいは発信者が一番伝え
                      たいメッセージの部分をすっ飛ばして読む。

C上記の別ヴァージョン・・・・・・・・・・受信者は、発信者のメッセージを受け取るのだが
                     <痛い>所を突かれたため、意図的に無視してし
                     まう。

 さて、みなさまはどうお考えになりますか?


いっぱいあるで 投稿者:おじき  投稿日: 4月14日(日)04時53分03秒

ぐっちんさんはもう不登校児童でもヒッキーでもないやんか、まして私の子供でもないで。
41才のええおっさんですやん。あみださんの話が聞ける場所以外に、ぐっちんさんが
必要とされてる場所がある事さえも自分で気ぃつきまへんのか?

例えば○○産業研究所の社長はぐっちんさんのこと目かけてくれてたんちゃうのん?
○○大学の社会福祉専門学校の経理のおやっさんも学費を立て替えてくれてまで、
ぐっちんさんに社会福祉士の資格とって欲しいと思ってたんちゃうかなぁ?
神父バーで知り合った里野さんも、ぐっちんさんの事を必要としてたんやないかなぁ?
障害者の下半身の悩みの問題を話してるぐっちんさんは、とても生き生きしてたし。
まさに「ぐっちんを必要とする、ぐっちんの生きてる現場」やったと思うけどなぁ。

僕が言いたいのは、ぐっちんさんが仕事としての坊さんが嫌なんはよ〜くわかったから、
坊さんとは別に、ぐっちんのキャラを活かせる場所・仕事はきっとあると思うんですよ。
そこで思いっきりぐっちんの芸を見せて欲しいし、はじけてほしい、期待してるんですよ。
でないとぐっちんのキャラをこのまま埋もれさすのは、あまりにも惜しいと思うんです。


坊さん失格 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月13日(土)14時31分28秒

過去ログ、読むのやっぱり疲れます。なんとな〜く、林遊さん、Vita さん、らくりん
(著者)さん、お留守居役様さん、三吉さんのスタンスと意見が、おおざっぱなところで見
えてきた感じがするのですが、ぐっちん、あんなに仏教語が流暢に使えない。

やっぱり、ぐっちんは「仏弟子としての役僧(お経読みを仕事とするもの)」でありました。「仏弟子としてのフリーター」でありまする。夕べ、ほぼ八年ぶりに「お聖経」を開いて参加
する「勉強会」に行ってきました。ご門徒の方のよく勉強されている姿にびっくり。あっちこ
っちの法座にも足をこまめに運ばれていらっしゃる。

戦後わたしたちの社会がこのようになったのは、「宗教」に学ぶことを怠ったツケが回って来
ているのだ、というような発言をされていました。ハッキリとご自身の責任を語られ、遅ればせ
ながら学ばせていただいているのだという熱が感じられました。

おじきさんは「ぐっちんさんを必要としている人々の場所」などといわれるけど、わたし
なんぞ必要とされているのかしらん???法話をする役回りなぞ、まかり間違っても引き受け
られると思っておりません。以前、長屋@爺さんさんが、「立て板に水のごとく語る説教坊主
」とぐっちんを持ち上げ(?下げ?)ておられましたが、「法事」や「お通夜」のお経読みの
ついでに雑談をしゃべった経験はありますが「お説教師」みたいなことを頼まれたことなど
ありはしません。(友達からプライベートな話をするよう喫茶店で要請されたことだけ)

ぐっちんはこれから「お聴聞」に出かけようかとは思いますが、「あみださん」が「お前み
たいなどうしょうもないやつ」に聴かせてくださるお話がされている「場所」だけが私を
「呼んでいる(必要としている)」場所でありまする。

けど、ぐっちんは「境界例者」だなあとつくづく思う。仏法そのものよりも、他の分野に
興味がありすぎる。林遊さんにいわせるとご法義を語らない「バカタレ坊主」だろうし。
三吉さんから見ればまったく「社会性・批判性を欠落させているプロをちらつかせる鼻持ち
ならない雑学ミーハー坊主」だろうし、お留守居役様さんからみれば、そもそも「どうしよ
うもない葬式・法事坊主」でしょうし。


娑婆用語と信心用語 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月13日(土)09時51分08秒

 
 逃げるなとか、放棄するなとか、甘えるなとか。。。

 自分のお子さんが不登校や引きこもりやらになって
そんなこと言ったら「親父、な〜んにもわかっちゃいない」と
思うだろうな。

 わたしゃ、自己分析やっとるがな。なんで自分が他人と距離を
置いてるのかとか。。。現代の問題。ストーカーやらオタクやら
自分に引き付けて考えとるんやけどなあ。

 しょせん、他人事やん。社会の問題も、仏法の問題も。。。
あなたにとっては。。。


逃げる 投稿者:モモ  投稿日: 4月12日(金)09時02分48秒

 逃げ出したい時もある。自分の存在理由がハッキリしない
時には。昔は逃げるのは負け犬、ひたすら前ばかり進めと
競争社会、偏差値世代の小生は馬車馬のように働かされてきた。
そこでは、自分から主体的に生きるというよりも、つべこべ言わずに
問題を一問でも早く解け、と追いまくられ、考える前に
机に向かって問題に当たっていた。生きるというより、
訳分からずにいた。そういうシステムから外れることは
恐怖であり、不安であった。
しかし、逃げというのも存在への勇気なのではないか
と最近考える。逃げるのではなく、スゴロクのように
1回休み、降り出しに戻るって感じでイインジャナイ。
それも大事な主体的な生なんだから。


逃げるな、投げ出すな。 投稿者:おじき  投稿日: 4月11日(木)20時37分59秒

> <生きてる現場>というのは、誰がどこで何をしようとある場所ですよ
その通りです。でもぐっちんさんはいつもどこかに逃げたいと思ってるんじゃないですか?
ぐっちんの居場所はこんな所じゃないと思ってはいませんか?

> 仏教語が語られる場所だけに「仏法」があるんじゃない!衣を着ている人だけに
>「仏法」に対する責任が生じるわけでもない!自称の仏弟子には、何処に居たって何を
>していたって仏のまなざしが注がれてんですよ。きびしい、きびしいまなざしがね。
全く同感です。僕の知ってるかぎり、ぐっちんさんは僧職の時も、僧職以外の時も
自分の居場所を自分で放棄なされる。いつも中途半端で投げ出しているように見える。

>そんな悩みを持っているひとびと、そのひとたち全てを対象として呼びかけられてん
>じゃあないの?自分たち坊さんだけが、修行かなんだか知んないがやってると錯覚して
>いる仏教ごっこ、いい加減にやめようよ。
そうです、「それぞれの生きている現場を大事にしろ」と教えてくれたぐっちんさんが
なぜいつもぐっちんさんを必要としている人々の場所から自分で去られるのか?
言行不一致です。いつものいい訳「俺は飽きやすいねん」甘えるのはもうお終いね。

僕はぐっちんさんのお帰りを大阪で心待ちにしていますよ、もう逃げないでね。


終わりなき旅 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月11日(木)14時18分02秒

 パックツアーはいやです。


NOT FOUND 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月11日(木)13時25分05秒

 「穢を捨て浄を忻ひ 行に迷ひ信に惑ひ 心昏く識寡く 悪重く障多きもの」


 なんか頭そってたり、数珠もってたりする人にだけ当てはまることばじゃないぜ、
これ。以下セルフ引用。

 >女性は今のつきあっているカレシで本当にいいのか?という悩み。
 >もっと他に運命のひとというかぴったりのオトコが現れないかという悩み。

 >若い男性は今の仕事は、自分の天職じゃない。何が俺の本当の仕事か?
 >という悩み。
 >中年の男性は、そこそこ仕事で成功し地位もあるけど、これが本当の俺なの?
 >という悩み。いろんなものを踏みつけ、失ってきてこれでよかったの?という悩み。

 そんな悩みを持っているひとびと、そのひとたち全てを対象として呼びかけられてん
じゃあないの?自分たち坊さんだけが、修行かなんだか知んないがやってると錯覚して
いる仏教ごっこ、いい加減にやめようよ。


誤解する自由 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月11日(木)13時04分41秒

 >おじきさん

 いつもながら?な、お言葉ですな〜。テニスボールを打ち込んだら、ビーチボールが
返ってくるってなもんですわ。私に何をおっしゃりたいのかさっぱり響いてこん。いつ
か書き込んでおられた早よどこかの寺に入寺するというか住職になれとかいうことですか?

 私がいってる<生きてる現場>というのは、誰がどこで何をしようとある場所ですよ。
私のよき師・竹中智秀さんがよくいわれるのは「仏弟子としての○○」です。仏弟子と
してのプー太郎。仏弟子としての風俗嬢。仏弟子としての公務員。以下省略。

 仏教語が語られる場所だけに「仏法」があるんじゃない!衣を着ている人だけに
「仏法」に対する責任が生じるわけでもない!自称の仏弟子には、何処に居たって何を
していたって仏のまなざしが注がれてんですよ。きびしい、きびしいまなざしがね。

 [I’LL BE」 ミスターチルドレン(桜井和寿・詩)

 いつも心にしてたアイマスクを外してやればいい
 不安や迷いと無二の親友になれればいい
 旅立とう 明日は無いぞってな具合に
 胸に刻みながら一歩ずつ進んで
 いつだって夢中だ

 腑甲斐無い自分に 銃口を突き付けろ
 当たり障り無い 道を選ぶくらいなら
 全部放り出して コンプレックスさえもいわばモチベーション
 人生はいつもQ&Aだ
 永遠に続いてく禅問答
 そしていつの日か僕も dead
 I'll be back

 駆け引きの世界で 僕が得たものを
 ダスターシュートに投げ込むよ
 白地図を広げて 明日を待っていたい 


大きな鏡 投稿者:おじき  投稿日: 4月10日(水)17時36分01秒

> <自分に遇う>という課題があるんやろうな。
> <生きている現場>で格闘するという課題があるんやろうな。

> そうじゃないなら、何を語っても他人事。何をやってもやっつけ仕事。
> しょせん、余技。

人間は、鏡がないと自分で自分の事は見えないのですね。僕もぐっちんさんも。
わかってんねんやったら、ぐっちんさんも真剣に格闘しなはれや。


またもぐっちんバンバン化 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月10日(水)09時32分33秒

 元speedのhiroの去年の歌 『Your innocence』
 いいな。


 遠いあの頃の願いは まだどこかに残ってるかな
 過ぎていく季節の狭間に 置き忘れていないよね
 きっと憧れや夢なんて 懐かしむこと覚えたなら
 変えれない想い出と一緒で 過去のものになっていく

 泣きたくて 泣けなくて 強がる時も
 もう一度 胸の中 問いかけてみて
 当たり前だった 素直な瞳を
 昨日よりも 取り戻せたら・・・

  愛すべき人がいて 失えない場所がある
  だけど臆病にならないで 生まれ変わること 信じること
  いつだって描いてた あなただけの真実に
  迷う日が訪れても so keep your innocence 忘れないで
    
 誰も1人じゃ生きれなくて 支えてたり 頼ったり
 だけど本当の無邪気な心 見せることを 怖がってたね

 逢いたくて 逢えなくて 眠れなかった
 そんな日の あの気持ち 大切にして
 まだ失くせない 切ない瞬間を
 明日からも 重ねられたら・・・

  伝えたい人がいて 届けたい想いがある
  それは現在もこの先も ずっと消えないで 続いてくから
  いつだって捜してた 遠いあの日の願いに
  少しでも近づくように so keep your innocence 忘れないで 
    


コトバ遊び 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月10日(水)09時15分08秒

 ほんたうの人生を生きる のでなく 人生のほんたうを生きる
 プロの遊び      なのでなく 遊びのプロ


遊び 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月10日(水)08時42分45秒

 真剣じゃない遊びは、やってて面白くない。


がけっぷち がっぷりよっつ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月10日(水)08時38分25秒

 今は昔。バーのマスターをやってたときのはなし。
女性客はたいがい20代。男性客は、30〜50代。
女性客の悩みは恋愛。男性客の悩みは仕事(ないし職業)

 うむ、オトコは仕事で、オンナは家庭か。。。

 女性は今のつきあっているカレシで本当にいいのか?という悩み。
もっと他に運命のひとというかぴったりのオトコが現れないかという悩み。

 若い男性は今の仕事は、自分の天職じゃない。何が俺の本当の仕事か?
という悩み。
 中年の男性は、そこそこ仕事で成功し地位もあるけど、これが本当の俺なの?
という悩み。いろんなものを踏みつけ、失ってきてこれでよかったの?という悩み。

 <自分に遇う>という課題があるんやろうな。
 <生きている現場>で格闘するという課題があるんやろうな。

 そうじゃないなら、何を語っても他人事。何をやってもやっつけ仕事。
しょせん、余技。


やっかいな奴 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 9日(火)19時33分47秒

 <自分>。このやっかいな奴と一生つきあっていかなくちゃなんない。
 <言葉>。このやっかいな道具と一生つきあっていかなくちゃなんない。

 あ〜、面倒くさいな〜。。。ほんまに。


プロか 投稿者:モモ  投稿日: 4月 9日(火)17時28分16秒

ぐっちんさんの
「英語で職業をあらわす言葉にコーリングとプロフェッションがあります。
コーリングとは、天職といったニュアンス。呼び出される、召されるってな
感じ。プロフェスというのは、公言する・告白する・自称するという動詞です。」

callingというのは、呼びかけ、誰から呼びかけられているって
感じでナンか納得してしまう。小生が大学を出て就職する時は
バブルの最後のときで、みんなで「バブラー」って呼んでました。
理系だったモモは四年で就職したけど、理系でありながら
文系就職が流行ってました。野村ショウケン、エヌティーティ、
ニホンテレビに就職したヤツもいました。
会社面接に行くのに、交通費・宿泊代を貰えるのは当たり前で
それで1週間ぐらいの日程で面接をしまくり、その浮いたお金で
マックを買ったツワモノもいました。そして、デューダという言葉が
流行り転職するのが当たり前でした。そういう異常な状況で本当に
天職という言葉が当てはまるのか、難しいですね。


イダイケとゆみちゃん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 9日(火)08時35分45秒

 ちょっと前に「ゆみちゃんの話」というのをカキコみました。ぐっちんがずっと
言ってる「イノセンス論」の具体的話です。ぐっちんは、ずっとこの「イノセンス論」
とアジャセの救いが関係あるのではないかと思っていましたが、「ゆみちゃんの話」の
話はイダイケの救いの方が似ているのではないかと思ってきました。

 「イノセンス」は、若い(幼い?)時期に解体されるものと思ってましたが、イダイケ
は王妃であり、それなりに良妻賢母で、「できるひと」なのでずっと「イノセンス」を解体
しなくて、やって来れたのですね。

 お釈迦さんは、イダイケの求めをのっけから「あんた、プライドが高いな。自分のこと
ちゃんと見つめ直しいや」とは言わない。定善と散善を説いて、あたかも「ゆみちゃん」の
お母さんの様。あの話でも、「ゆみちゃん」の新しいお母さんになるひとは「うん。それは
とってもにぎやかね。その仲間にわたしも入れてくれるかな?」とまずは「ゆみちゃん」の
ことを受容します。

 まあ、乗物の喩えでいくとイダイケは高所恐怖症なのです。6センチのヒールを履いただけ
で「立ちくらみがするんです」。そんな人は「フライングカーペット」も「フリーフォール」
も実際のところ乗れないんですねえ〜。


職業 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 9日(火)04時39分21秒

 英語で職業をあらわす言葉にコーリングとプロフェッションがあります。
コーリングとは、天職といったニュアンス。呼び出される、召されるってな
感じ。プロフェスというのは、公言する・告白する・自称するという動詞です。

 何ものかに呼び出され、それに応えて、自らおおやけに向かって称する。それが
職業、プロ。


見慣れた街の風景 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 9日(火)04時33分07秒

 ずっと住んでる街。ネコになってみたら、どんな風に街が見えるんだろう。お隣さんちの
柿ノ木に上り、スレート葺き屋根を闊歩し、ブロック塀の上で昼寝する。車椅子に乗ったら
どんな風に街が見えるんだろう。歩道は自転車であふれかえり、アスファルト舗装の車道は
ガタガタ。。。

 どんな生き物にも、生きる場所があります。その場所から発信されるつぶやき。そのつぶ
やきを聴いてみたい。 


ダメダス 投稿者:お留守居役様  投稿日: 4月 8日(月)19時54分41秒

八百屋さんの店先で、
ワイシャツを売ってくれといってる人は、
お門違いじゃあないかと思います。
往生と成仏を区別しなくては、
うっかりするとホトケさんになりかねないと心配しています。


青春18きっぷの旅 投稿者:モモ  投稿日: 4月 7日(日)15時08分05秒

 結婚するまではヨク青春18きっぷにお世話になってました。
行くところは決めておいて、前もって時刻表で時刻を調べます。
鈍行の旅は、自分の好きな時に本が読めたり、寝たければ
寝たり何だかゆっくり時間が進みます。都会を走る車両には
トイレはないけど、田舎を走る鈍行には必ずトイレもあるし。
待合時間に、立ち食いうどんを食べるのも絶品。
最近、そんな贅沢な旅もしてないなぁ。


クチダス 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 6日(土)19時26分28秒

 将来、旅行に行くため「ガイドブック」をながめることがあります。
けれど、旅先で道に迷ってはじめて、「地図」や「ガイドブック」や「旅の会話集」が
役に立ち「現地の人」にいろいろ教えてもらえる楽しみもまたあるのではないでしょうか?

 旅行には行かないんだけど、あの店のそばがうまいだろうとか、あそこのみやげ物屋は
外せないとか、そういう楽しみ方もまたあるのでしょうけど、ぐっちんにはさっぱり
わかりません。その人達にとって「往生」がなんたらとか「成仏」がなんたらとか、そんな
コトバを定義付けして何がどうするというのだろう? 


サカナで天国 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 6日(土)18時37分16秒

 サカナ・サカナ・サカナー・サカナデす〜ると〜
 アタマ・アタマ・アタマー・アタマを張っ倒さ〜れる〜


どうでもいいけど。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 6日(土)18時13分46秒

 F1レーサーだった片山右京は、公道を走る時は、スーパーカブに乗ってるとか言ってた。
しかも、法定速度しか出さないとか、燃費もいいしとか。。。ホンマもんのプロは、公道を
ムチャして走らない。まあ、ムチャしたからいえるのかも知れないけど。また片山のキャラ
もあるのだろうけど。

 カブ乗るのもええと思いますけどね〜。お浄土行ってから暴走してもええと思うけど。。。
いったい何のこっちゃ?


やさぐれ坊主の世迷言 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 6日(土)17時47分10秒

 にしても、過去ログを読むと見事なまでの教学おたくとでもいうべきおひとがいらっしゃる。。。「親鸞の思想構造の解明」みたいなんを延々と書いておられる。ぐっちんは、こん
なんカンニンしてくださいまし、和尚さま、あれ〜ってカンジです。

 生命学を提唱されている森岡正博さん(ぐっちんとほぼ同世代)がオウム事件の後、法蔵
館から『宗教なき時代を生きるために』という本を書かれました。そこで、森岡さん、高校生
の時は物理学を勉強しようと思っていたそうです。「宇宙」の法則がわかれば、「自分」の
生きてる意味や進むべき方向が判ると思っていたからだそうです。

 けれど、「宇宙」の仕組みやら法則なんかをいくらほじくりかえしても「この自分」の生き
方はサッパリ掴めない。それで、方向転換したんだと書かれていました。だから、オウムの
理系のひとびとには親近感があるとも言われていた。

 ほんで「親鸞の思想構造」やら「仏教学における仏性の研究」やらでもいいし、あとまあ、
「弁証法的唯物論」でも「現象学的実存論」でも何でもいいんだけど、そういう「客観的な
真理」みたいな<自分の向こう側>にあるようなんを探求していく方向で、たったひとりしか
いない<この私>が、<たった一度きりの人生>を明らかにし、生きていく方向を本当に見い
出していけるのかな、というのがぐっちんの疑問です。


ヘボ将棋。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 6日(土)17時12分30秒

 されどアンタは、横ヤリ八段。。。

 踊るいっぺんに、見るいっぺん、同じいっぺんなら踊ろよ、ポンポコリン。

 >らくりんさん

 リンクによって見やすくなりました。謝々。
 アミダ経の位置付けと観経の位置付けもおもしろかったです。

 まあ、遊園地の乗り物の喩えでいくと、「ただ回転木馬に乗りなさい」では
人々は見下げられたと思ってしまうんですよね。だから、お釈迦さまは徳大寺有恒さん
みたいな人に向かって「この春の自信作は回転木馬です」と説く。すると、徳大寺さん
「ほほう、なかなか乗り心地良さそうですね」と感心する。

 そこで信頼篤い徳大寺さんにあやかって人々も回転木馬に乗るってことかなあ。すんません、
よけいややこしいハナシになって来た。。。(だいいち、徳大寺さんはクルマの評論家やんけ ∞;)


善悪論 投稿者:モモ  投稿日: 4月 6日(土)08時30分23秒

 秘書問題で社民党の土井さんにしろ、田中さん、掘れば何処でも
不正が出てくるような感じだが、昨日のヒロインが一晩で犯人に
したてられる構造って、ホント恐いものを感じます。
確かに悪いことは悪いし反省してもらわないとイケナイケド、加藤さんや
鈴木さんの問題と質が違うと思う。
何よりこのマスコミが正義となって、「魔女狩り」みたいになっていることが
非常に恐いと思う。何か血を求めて次から次へと生贄を求めているみたいで、
そして、そういう勧善懲悪構造に日本人が飢えているというのも、とても
不健康だと思う。もっと目を向けなければならないことが一杯あるのにも
関わらず。


リンクを張りました。 投稿者:らくりん  投稿日: 4月 5日(金)16時03分27秒

らくりんバンバン閲覧室から、【真宗BOARD】と【御本典研鑽集記】
の二つの関連掲示板の過去ログページへリンクをはっておきました。
狂信さん、YASUさん、ご了承頂けるものと判断して、個別に連絡はいたしませんが、
よろしくお願いいたします。
YASUさんはここを見ていないかも知れませんが(∞;)

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/ban_log/ban_past.htm


もう一つあるよ 投稿者:らくりん  投稿日: 4月 5日(金)15時47分00秒

ぐっちんさん
〈らくりんバンバン〉と〈真宗BOARD〉の過去ログを読みなおしたのなら、
もう一つ〈御本典研鑽集記〉↓ も合わせてどうぞ。初期の頃はこの三つを
あっちこっち飛び回りながら議論が進んでいきました。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/9146/honden/honden.index.htm


つけたし 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 5日(金)14時43分51秒

 マシンが100%安全かどうか?といって延々テーマパークの中をさまよう。だいたい、
機械修理屋さんでも設計技師さんでもないのだから、安全性を確かめるすべは私にはあり
ません。で、私の身長120センチ。胴回り2メートル。よって他のマシンには乗れません。
安全ベルト、間に合いません。ああそれなのに、それなのに。。。「こんな子供ダマシの
コーヒー・カップなんかに乗れるかっ!」

 「おれに似合いなのはFUJIYAMAさ」。ハイハイわかりました。言うだけはタダ
です。せいぜい乗った気分でも味わって下さいませ。空(くう)でも縁起でも、ことばを
口にしただけで、その通りに実現してしまうなら、大仁田厚は、年がら年じゅう、ヤケド
しとかなアキません。。。

 >狂信さん

 「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつか
ないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどう
して言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。
まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、
ちりを取り除くことができます。(新約聖書:マタイ7章3〜5節)」

 また隠れキリシタンにもどってしまった。。。 


『ナウシカ解読』より 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 5日(金)13時56分11秒

 ただ、ぼくは「正しいこと」はあるんだと思っているんですよ。でも、「正しい人」はいない
と思っています。。。「正しいこと」をやった人が、そのあとくだらないことをやったからとい
って、その「正しいこと」まで下らないというのはやめよう。。。「正しい国」があったり、
「正しい党派」があるとか、「正しい人」がいるというのはやめよう。

 。。。つまり<救済>というものがドーンとあって。。。僧団・教団が専売するものでもない。
。。。「ある」とも「ない」とも言い張りたくもないしね。。。自分がどっちを選びたいかと
言ったら、それは救済があったほうがいいなと思いますよ。。。▼作品の中では救済が否定され
ていくわけですよね?。。。それは、人間によって企てられた救済は拒否していくだけであって
。。。

 ナウシカは死んだ人たちとも強烈につながって生きてますからね。それによって、死者たち
が生きているんだと言う事は言いたくないし、言うつもりもないけれども。しかし、じゃあ、
それで無くなったのかというふうには、ぼくは思わない。
                                   宮崎 駿                  


よーわからんけど 投稿者:狂信 ☆彡  投稿日: 4月 5日(金)11時55分30秒

自己の欺瞞を認めつつ、他者の欺瞞を糾すことだったら。。。
ありかなぁ。どうなんでそねぇ。


続・過去ログ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 4月 5日(金)07時13分48秒

 真宗BOARDの方もよろよろ読んでます。昔は良かった。。。

 辻元はんのことをずっと考えています。「みんなやってんのになんでアタシだけが
つつかれんなアカンのか?」という問題の捉え方。それについてワイドショーで弁護士の誰かが
「交通違反でつかまった時のいい訳みたいだ」とコメントしてました。

 「社民党が好きだ。社民党をやめたくはない」と辻元はんは言う。おすぎが「でも
護憲をカンバンにしている党が、いくら慣例になっているとはいえ法を犯すのはおか
しいわ」といってました。

 捕まる時は、ひとりはイヤ。地獄には道連れにしたる。
目立つ時は、あくまでひとり。スタンドプレー。(他人の悪を暴くときは、よってたかって
イジメる)
 永田町(自民党の、55年体制)の体質改善をいってたはずなのに。社民党の台所事情が
苦しければ、違法行為は許されるとでも思っているのでありましょうか。

 壮絶な暴露(スクープ)合戦。あいつも、あいつも、あいつもやってる。。。。の無限連鎖。
自分のやってるは、決して問題にならない。まな板には乗せない。ひとりで従容と受けて立つと
いうことがない。。。だってアタイはいつも正義の味方だもん。

 さて、反転して。。。念仏は本願は、ホンマに人間をひとり残らず救うのか。それが解かる
(はっきりする)までは断固誘いには乗らない。何故なら、わたしは人類すべてがしあわせに
ならない限りは、じぶんもまたしあわせにならないと決めたのだから。

 う〜ん、これ欺瞞的なニオイ。宮沢賢治じゃあるまいし。ぐっちん、ジェットコースター
みたいな絶叫マシンが怖い。自分の乗った時だけ、故障するんじゃないかとビクビクするん
です。だから、100%故障がないというんだったら、乗ってもええかなと。自分の番の時
に限って故障するなよ、と。

 これ、あらゆる人に対して安全が確保されているから、自分もそういう安全管理の行き届いた
まっとうなマシンには乗る。それが私のポリシーさ、というんでは無いと思います。

  こまかいことはごちゃごちゃ決める必要はない。自分が乗るのか乗らんのか。そこが
ハッキリするか、しないかの違い。


フローとストック 投稿者:らくりん  投稿日: 4月 2日(火)18時02分25秒

たまたま、この掲示板はホームページに過去ログのストック(蓄積)を
保存してありますから、過去の話題を確認できますが、それをこの掲示板に
書き手・読み手として参加している人がみなさんそれをすべて読んでいる
わけではないと思います。

掲示板の基本はフロー(流れ)ですから、いつどこの時点からでも参加できますし
それが前提となっていると思います。特にこの掲示板は過去150件分
までの書き込みしか保存されないシステムになっていますから、
それ以前のものはないものとして扱われています。

だから同じ話題が何度でてきてもいいんじゃないですか。


ぐだぐた大賛成 投稿者:モモ  投稿日: 4月 2日(火)15時42分29秒

 ぐっちんさんのカキコ辞めようというのは、大変
困ります。こっちのこれまたレスで御迷惑かけているといたら
スミマセン。しかし、これに懲りずイロイロ
ぐだぐだカキコしてください。頼みます


遅れてきた中年 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月31日(日)16時46分49秒

 過去ログを再び読み返してます。ぐっちんがぐだぐだ書いていることは、すでに話題に
なっているじゃあ〜りませんか。も〜恥ずかしいです。も〜ホンマ書き込むの辞めようかしらん。


弱くある自由に返信 投稿者:モモ  投稿日: 3月31日(日)13時25分13秒

 ぐっちんさんのご指摘の通り、自己責任と自己決定ということ
よく考えます。特に責任ということ。
この前の母からの頼みを断る、という中には受けるという選択と
ともに断る選択があすはず。しかし、関係を生きているため、逆の
立場になって今度こっちから頼んだ時に断られるかもしれないという
思いが働いてしまう。ギブ&テイクというけど、気分的にちょっとイヤだ
と思いつつするのもどうなんだろうか?
  
  「自分をコントロールし続けなくても、他人をコントロールし続け
  なくてもいい、そういう関係にも、お互い喜べるところが、あるん
  じゃないかなと思います。」

ホントそんな関係が理想なんだけど、理想であってなかなか現実の生活
の中では難しい。


飲み屋 投稿者:おじき  投稿日: 3月30日(土)19時05分08秒

他者と関係を保ち続けるというのは素晴らしい事ですが、非常に困難な事でもあります。
A、B、C、D、Eの5人がPという店主が経営する飲み屋の常連でした。AとBはこの店
に来る前からの知り合いで、CDEとはこの店で知り合いました。CとDはこの店で知り合
い仲の良い方でした。EはPという店主の事が気に入って他の客とはあまり関係を作りませ
んでしたが、ABCDと仲が悪いわけではありませんでした。ところがPという店主の父親
が入院してしまいPは店を閉めて実家に帰らなければならなくなりました。で店の最後の日
6人は飲み合い語り合いました。AとBはPの店が閉まっても別の店の常連になりCとDも
Pの店でできた友情はPの店が閉まった後も続きました。しかしEにはPの店が閉まった後
は孤独を感じる様になりました。ニ年後、Eが原因不明で死亡したという情報がPの元に届
き久しぶりにABCDPが集まりました。AはEの事などほとんど忘れていました。BはA
とPと3人で久々に会える事がうれしかった。CはEの事を気にかけてはいましたが会う事
はありませんでした。DはEと連絡を取らなかった事をくやしがりました。そしてPは自分
が店を閉めた事がEの死亡につながったと自分を責めました。しかしABCはそんなに気に
するなと言い、Dは俺にも責任はあるとPをかばいました。P自身もEが死亡するなんて思
いもよらず、Eの気持ちはどんなものだったのかと悩み、自分だけは決してEの事を忘れま
いと思いました。Dは人間が他人とどこまで関係を保ち続けられるんだろうと考えています
人間じゃないならいつまでも皆ともEとも関係を保ち続けてくれるのかなと考えています。


らくりん本 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月29日(金)19時36分30秒

 『読み解く W』の三願回転入のところが気になっています。
アミダさん(本願)との関係が、はっきりしたとして後、ダメな自分を切り捨てて
しまわなきゃいけないのか、ダメな他者を切り捨てていかなきゃいけないのか。
 または、意見を異にする他者を自分に同化させてしまわなきゃいけないのか。

 その上でなお他者に「何かを伝えたい」という気持ちをどう表していくのか? 


みなみかぜ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月29日(金)19時06分51秒

 昨日、葬儀屋さんとお話していて、関西と関東の葬儀の違いということが話題になりました。
関西では、ノド仏周辺のお骨以外は処分するので、骨壷は小さい。関東は全部お骨は収骨する
ので骨壷は大きいなどなど。。。

 だから、葬儀には地域性というのがあって、全国規模のチェーン展開に適してないという
ようなお話でした。牛丼とか、ハンバーガーとかファーストフードみたいにチェーン展開には
確かに向いてない。。。

 子供の頃、商店街の八百屋のにいちゃんとお客さんのやり取りを聞いていて面白かった。
おばちゃんは(大阪だからか?)何とかまけさせようとトークを運ぶ。それに対して、にい
ちゃんは困ったようなフリをしながら、おまけをつけて切りぬける。

 コンビニでは、名札をした店員さんがいるけど、ほとんどマニュアル化した動作をするだけ。
「この中国の人は、何しに日本に来たのだろう?」と口調と名札を見て関心を持ちつつも、そ
の場かぎり。

 その土地でとれた、野菜、魚。スーパーでそんなの並んでいるのかな?ぐっちんは、ときどき
漁師さんやお百姓さんにあこがれます。大地や海にねざした生活がしたいと。でも、モモさんの
いわれるスイッチという表現も面白かったです。ぐっちんは、誰に対してスイッチをONにして
るのだろうかな、なんて。。。 


弱くある自由 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月29日(金)18時48分25秒

 社会学者の立岩真也というひとの問題提起が気になり続けているのだけど、著書が分厚く
もひとつはっきり言い切ってくれずもどかしい。

 ちょっと昔、金融ビッグバンがどうこうと騒がれていた時、よく耳にしたことばが「これから
は、自己責任の時代」というやつでした。ぼやぼやしてると、時代に乗り遅れるぞ、よく情報を
見極めて「ソン」をしないよう賢い消費者として、資産運営も考えていけよ、みたいな。。。

 あとよく似たことばで、「自己決定」というのもあります。人は、自分の責任と決断で、何を
選び、何を捨てるかをよ〜く考えなきゃいけない。。。うるさい、ほっとけといいたくなるよう
な違和感をぐっちんは、感じていたりなんかするのですが。

 『私的所有論』で、立岩さんがいってたのは、「自分のモノは、自分が好きなように処分して
いい」というモラルは果たして成り立つかという問題でした。で、逆に「私は、何を決めては
アカンのだろうか?」という問いを立てておられました。

 そこで出て来るのが、「他人は、決して自分のモノではない。だから、コントロールできない」
という結論でした。いろんなことを自分が決めるときに、「しがらみ」というのがあります。
モモさんが、「お母さんから頼まれた用事」。これをモモさんは断られたのだけど、お母さんと
の関係の中で、「用事を引き受けるか、どうか」の決断がせまられたのですよね。

 でも、自分には断ることが許されている。なぜなら、自分は他人の絶対的所有物でも何でも
ないから。同様に、他者もそうであるはず。<わたし>は、常に自分の理想の姿を想定して、
「正しく」なきゃならないのか。「強く」ある為に、ムリに努力し続けなきゃいけないのか。

 また、他人を「あるべき姿」に誘導しなきゃいけないのか?たぶん、そうじゃないとぐっちん
は思います。自分をコントロールし続けなくても、他人をコントロールし続けなくてもいい、
そういう関係にも、お互い喜べるところが、あるんじゃないかなと思います。


「みなみかぜ」に思う 投稿者:モモ  投稿日: 3月29日(金)11時15分34秒

友人が結婚して、農村から都会へと引っ越していきました。
そこで彼女が、おどろいたこと。それはアパートの隣人が、ある日のこと、挨拶もなしに
引っ越して消えてしまったこと。

私も親元離れて一人暮しを10年ほどしていたが、いつも
歩いて数分のところにコンビニがあるような都会生活
でした。その間、隣の人との関わりはほとんど切ってました。
普段いろんな人と付き合って疲れているので、自分の「城」の
中ぐらいは一人にしてって感じでした。関わることを極度に
分けていたのですね。寂しいとか、孤独と言うのは感じませんでした。
自分の中で、学校や職場ではONになり、家に帰るとOFFになる
スイッチを持っていたのですね。


難しい 投稿者:モモ  投稿日: 3月29日(金)11時10分14秒

ぐっちんさんの 「良い」を「快い」と定義してふたりの関係を四つのパターン

必ずしも単純に四つに分類されるとは思いませんが、互恵的利他行動と共倒れ行動
という表現が面白いです。
今日朝母から町へ行くついでに用事を頼まれ、はっきりと「NO」と言いました。
しかし、その後みんながイロイロしなければならないこともあり、仕方ないかなと
思い、「するよ」と言うと、さっきハッキリNOを言ったのだからもう結構と。
それぞれがいろんな思いでぶつかり合うのだけど、ナカナカ共に喜びを共有といっても
難しいです。シマッタ、と思ってももう遅い。ウ〜ン。


 


情報の重さ3 投稿者:ootubo  投稿日: 3月28日(木)07時35分08秒

IT革命を一言で言えば、空気や水や電気と同じように、情報が日常生活に
自然に存在し、欠かせなくなることです。
ブロードバンドで、離れていてもカメラで画像を伝達し、面と向かって会話ができる。
会議もわざわざ遠くへ出かける必要がなくなる。

このことは、夢を語っているのでなく、国の提唱するejapan計画です。
日本全国に光ファイバー網を張り巡らせるため、民間が進出しない過疎地には補助金を
出してインフラ整備を進めています。

確かにネット上で情報は玉石混合ですが、それを選出する工夫がされていくと思います。
(ビジネスとして有益な情報を選出する研究を企業は進めています。)
また、全ての情報がネット上にあるわけではなく、本当に必要な情報はないのかもしれ
ません。
でも、人が必要としているならば、ネット上に情報は集まってくると思います。

しかし、情報化が進めば進むほど、人との能動的な接触が大切になるのでしょうね。


みなみかぜ!(続) 投稿者:ねこ  投稿日: 3月27日(水)12時54分07秒

みなみかぜ!は、大型スーパーだけの話ではありません。
おなじ唄は、ネコの家でも流れています。

たとえば、きょうは雨が降るのだろうかと思って、177にダイアルしようとするとき。
どうして自分の街の天気を知るのに、まず窓から空を見上げないんだろうと、おかしくなります。天気予報を聞くのは、それからでも、いいではないかと。

そんな余裕があるのは、ほんとは、ときどきですけどね。
みなさんは、どぅ思われますか。

もうひとつ、みなみかぜ。

友人が結婚して、農村から都会へと引っ越していきました。
そこで彼女が、おどろいたこと。それはアパートの隣人が、ある日のこと、挨拶もなしに
引っ越して消えてしまったこと。

ネコも作春から、初めてのアパート暮しです。
ですが、おなじ建物には職場の関係者もいますので、付き合いは浅く和やかに、
みなみかぜ!が吹いてくれる方が楽なのも、たしかです。


みなみかぜ! 投稿者:ねこ  投稿日: 3月27日(水)12時25分21秒

ネコです。

私の住まいは瀬戸内海に面した小さな街にあり、すぐ南側には石鎚山を中心とする
2千M近い山々が並んでいます。そのため、ここでは北側(海)からのユルヤカな潮風が
多いようです。

また仕事帰りには、近くの人気のない海辺を走るのですが(ときどき)、
夕方には強い西風が来ます。

ところが、フジという地元の大型スーパーでは、おそらく全国一律の「みなみかぜ!」
という唄を店内で流しています。ここでは南風は例外です。この唄を耳にするたびに、
私は自分が生きる世界について、不愉快な内省を強いられます。

(私は、ながく広島にいました。広島では北側に山があります。
そのため四国北部では、南側に山があることに、いまでも不意を突かれます。)

世界経済の動向に通じた人。あるいは、ヨーロッパの思想潮流に通じた人。
そんな人が、自宅の玄関先の風向きや、その風が日中から夕方にかけてどう変わるのかを
まったく知らないというのは、どこか奇妙です。

ですが、そんなことは何一つ知らずとも立派な御仁として通用するのが、
私たちが生きている世界です。

こんな世界で、いいのだろうか。どうしようもないけれど、モノゴコロついてから、
この世界への違和感を覚え続けてきたように思います。

小さな故郷に閉じこもるのは虚偽だろう。かといって情報世界の海原で、
自分を見失うのも我慢できない。そんな分裂した状態を続けていくしか他に
ないのでしょう。

宗教や社会科学に関心を持ち、人間や社会への見方を深めていきたいと思っています。
その努力は、少しずつ叶えられているのかも知れません。
ところが、電車の中で目の前にすわる人はだれなのか、あいかわらず、さっぱりわからない。
カタン、コトン。ほのぐらい欠落を覚えます。(Re:らくりんさん、でした。)


情報への幻想 投稿者:らくりん  投稿日: 3月27日(水)10時08分00秒

情報はただそこにあるだけでは、ほとんど意味をなさない。

必要な情報がどこにあるのかを見つけるには、
ネットというのは便利なようで案外不便、というか役に立たない。

ネットを利用するのに必要な情報(ハード・ソフト情報、バージョンアップ情報や
最新ドライバ)は手に入るが、
肝心なのはそれらを利用して何が手に入るかということ。

むしろ、本当に必要な情報は、あまりない? ほとんどない? なかなか見つからない?
でてくるのは、あってもさほど邪魔にはならないが、なくてもそれほど困らない
情報ばかり。
そして
手に入った情報をつなげて、自分にとって本当に意味のある情報に仕上げて
いくこともネットではやってくれない。

どれだけ的確に必要な情報にアクセスできるかとか、それをどのように活用するか
ということも重要ですが、

それ以前の、もっと重要な問題として、
自分に必要な情報が何であるのか、を知ること。
そこがはっきりしていないと、
手に入る情報だけで考えてしまう(= 手に入った情報を必要な情報であると錯覚する)

欲しい情報は必ずしも必要な情報であるとは限らない。
必要な情報を、必ずしも欲しいと思っているわけではない。
 (= 必要な情報が何であるかを知らなければそれを欲することもない)


情報の重さ2 投稿者:ootubo  投稿日: 3月27日(水)07時27分49秒

 国は、今年の3月末までに、全ての公立小中学校でインターネットに接続できる
環境を整え、2005年までに全ての教室でインターネットに接続できる環境を整えさ
せる方針だそうです。
 
 国の理由は知りませんが、私は、詰め込み教育でなく、自分で考え自分で実践し
ていく子どもを育てていくのかなと思っています。
 
 授業よりインターネットの方が楽しくなったらどうするのでしょうねえ。


歎異抄はすごい 投稿者:お留守居役様  投稿日: 3月26日(火)21時09分43秒

ぐっちんさんが言われることを
共同幻想論で説き明かすことはできますが、
納得してはいただけないと思います。
このことからも、歎異抄で浄土の真宗の教義を
平易に語られている親鸞聖人はすごいなあと思っています。
この親鸞聖人のすごさを指摘したのは、
吉本さんなんですけどね。


<大好きだ!>攻撃 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月26日(火)18時29分01秒

 アヤちゃんには付き合って間もない彼氏がいます。彼といっしょにいると何となくイイ
カンジーなので毎日会っていました。さてそうこうするうちに、ある日彼氏がアヤちゃんに
コクリました。「オレ、アヤのことが好きだ!」

 はじめのうち、悪い気はしなかったのだけど、会うたんびに彼氏は同じことを言う。で、
ある日アヤちゃんが疲れ果てて黙っていたら、「アヤもオレのことが好きだってことわか
ってる。ホントにもう照れ屋サンなんだ・か・ら。。。」

 アヤちゃんは、のち彼氏と別れましたとさ。

 これ、子供にのめり込む母親とどこかオーバーラップします。「相手の事を考えるのでは
なく、自分の気持ちで子供にのめり込み、自分が良いと思ったことを押し付ける」。
「ひきこもる」子供たちの中には、この侵入(侵襲)する親にのめり込まれ過ぎたので、
「また他人に侵入されるのではないか?」という不安から、人とのかんけいに距離を置こうと
するのではないか、とあります。

 人との関わりを求めながら、キヅつく事を恐れ、関わりを避けようとしているのは自己防衛
という意味が含まれているのではないかということです。

 ぐっちん、自分に思い当たるフシがあります。で、人とのかんけいに距離を置きながら、いざ
関わろうとすると、アヤちゃんの彼氏のように、異常なストーカー性を発揮してしまうのです。
恐ろしいほど、世話焼きになり、あれこれ指図し飲み込もうとする。まったく相手にとっては
鬱陶しいことこの上ない。

 <他者の他者>として<わたし>はある。このことを教えてもらったのは『新世紀エヴァン
ゲリオン』というアニメでした。


追記 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月26日(火)18時01分59秒

 まあ、下記のカキコの要点は、娑婆には「個人」間の利害調整システムが必要なのでは
ないでしょうかということです。

 さて世の中には、「対人援助職」というAの利他行動を職業にされている方たちがいら
っしゃいます。別に利他行動は、必ずしも自分が気分悪くなる必要はありません。つまり
自己犠牲的になることとは無関係です。「君の元気は、ボクの元気さ、ファイト!」で
かまいません。

 でも、他人を援助するというのは並みタイテイなっこちゃない。援助職さんの中には、
燃え尽き症候群、バーンアウトになる方が見られます。仕事に熱心なあまり、「充分に
他者を助けられない自分」を責めてしまうのであります。

 ぐっちん高齢者の医療センターというとこで医療ソーシャルワーカーさんのお手伝いを
していました。ブッキングとか、面談中にお茶を運んだりとかの雑用です。(男のひとに
お茶を入れてもらって嬉しいと相談者の方にいわれて、逆に嬉しく思ったことがありました)

 そこでは、お医者さんたちもワーカーさんたちも熱心でした。ある若い女性のワーカーさん
が妊娠され、あと少しで産休に入られる時期にぽつりともらされた言葉が印象的でした。
「コドモが生まれて一段落したら、またここに戻って来るのかな。私って一生、ここにいて
終わるのかな。。。」

 この方はぐっちんの目から見てとても仕事熱心かつ優秀で、ステキ(!)な女性でしたが、
彼女にしてこのためいきでした。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむ
なり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。今生に、いかに、
いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。のお言葉が
頭に浮かびました。

 けど、これは、「たすけよう」と悪戦苦闘したひとの言葉なのだなーと思います。   


お釈迦は「オシャカ」? 投稿者:Genko  投稿日: 3月26日(火)17時53分36秒

「所詮<仏像>なんて方便さ」と言い切ってしまえばそれまでですが、
誰かこの素朴な「謎」の答えを教えて下さい。
真宗本廟(東本願寺)の本堂内陣に、阿弥陀如来や親鸞聖人・蓮如上人像はあるのに、
どうして釈迦(釈尊)像がないのでしょう?
以前に教務所の指導教師に訊いてみましたら、
「<阿弥陀如来即仏陀>とは言えないので、
浄土世界の象徴としての本尊や宗祖、七高僧などを祀っている」とのことでした。
しかし、他の仏教系宗派とかお西の場合はどうだか知りませんが、
釈迦ムニ仏を置かない仏教宗派なんて、果たして仏教団体といえるのでしょうか?


恋の三体問題 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月26日(火)17時30分44秒

 二者かんけいの場合はまだ単純ですが、三人よれば問題は複雑化するのが、人間かんけいです。

 松沢哲郎さんの訳で『野生チンパンジーの世界』という本があります。誤解を恐れずめちゃく
ちゃ単純化するとチンパンジーの世界は「乱婚」です。チンパンジー社会は仲間がいる前でセッ
クスするのが、礼儀です。で、もてないオスはお気に入りのメスとつれだって隠れて「逢い引き」
するのだそうです。チンパンジー社会で生まれる子供の約半数が、「かけおち」かんけいで誕生
するのだそうです。

 人間社会はふつう、人前ではセックスしません。で、恋人かんけい・夫婦かんけいに入った
カップルはよその個体とセックスすれば、「不倫」「裏切り」であります。りゅういちクンが
ジュリちゃんと付き合ってるのに、ナオコさんとの写真をフライデーされたとします。

 りゅういちクンは気持ちよくなり、ナオコさんも気持ちよくなる。けれど、ジュリちゃんは
「嫉妬」に身悶えする。「快い」を「良い」の基礎に据える「社会関係論」は、なかなか構築
が難しいようです。

 それで、人間が発明したのが「社会契約論」なのでしょう。人間はもともと利己的な存在で
あって、ほっといたら何するかワカラン。自分の気持ちいいことばかりに走って、世の中は常
に「オオカミ」だらけになる。だから、「決まり」を決めてみんなで守ろう、と。

 そこでは「不倫」が悪いのは、「利己的な行動」だからというよりは、「婚姻」と言うもの
への契約違反だということであります。いけないと思ってやってしまう行為のほうが許された
行為より気持ちがいいのだけれど。(八百屋で買ってきたスイカより、畑から盗んできたスイ
カの方がうまい?)

 人を殺すのは、「カイカン」かも知れない。また殺されたひとは「もう娑婆の苦しみ」を
受けないのだから、その相手にとっても「良い行為」だったのかも知れない。(これ以上悪
業を積むことをやめさせてあげたというリクツもつくかも知れない)しかし、「殺人」は違
法である。

 さて、人間社会が、共同社会なら何らかの「ルール」は必要なのではないでしょうか。
国家の中に「立法府」というシステムがある。この「立法」の中味をより多くのひとびと
にとって「安心」に暮らせるように変えていくという発想ではなく、「国家」など「立法
府」など幻想以外の何物でもないと考えるのなら、いったいどんな「代案」があるという
のでしょう。


こきさん 投稿者:らくりん  投稿日: 3月26日(火)08時04分43秒

初めまして、
ネットの世界ではハンドルネームがすべて。
新旧のネームがつながっていければ、ネームが変わればすでにその人は別人。

どうぞお楽しみ下さい。


りんね 投稿者:こき  投稿日: 3月26日(火)00時28分07秒

だいぶ前に違う名前でよらさせてもらったことがある者です。
普段は2ちゃんねるあたりをぷらぷらしてます。今でも得道の人(善智識)がまじかにいない
のがどこかにひっかかっています。
ネットでの僕は匿名だったり名前を変えたりしてふらふらしてますがこの名前を変えてく
ことは輪廻をネット上でしているようなもんだなあと思えてきました。
うまくいかないことや過去のはずかしことはいやなんですね。
で決定してこの名前でやっていこうかなとおもいます。僕の人生は独りよがりでおなにーくさい
のでこれにします。
次の本楽しみにしてます、では。


>モモさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月25日(月)16時31分01秒

 はじめまして。モモさんってひょっとして、よその掲示板でお会いしてます方でしょうか?

 「母は強し」ですね。ぐっちんのような口先オトコとは違って、体を張って「傾聴」されて
いるお姿には、頭が下がる思いです。モモさんも彼女のことをずっと見守ってあげて下さいね。


他利利他の深義 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月25日(月)16時24分32秒

 >生きとし生ける者は幸せを求めている。もし汝が暴力で生き物を害するなら、みずから
 >幸せを求めても死後に幸は得られない。       ダンマパダ131

 ♪しあわせって何だっけ何だっけ、ポン酢しょうゆのある家さ と昔、明石屋さんまが
CMで唄ってました。「しあわせ」って日々の暮らしの中にある、ささやかなものということ
かいな?

 ちょっとコトバをかえて、「良い(善い)」「悪い」って何なんでしょうか?雨の降る日は
天気が「悪い」。で、今日は洗濯日和だ!というのは、天気の良い日。まあ、「良い」は「心
地よい」とか「気持ち良い」ということかな。つまり、「快」が良いで、「不快」が悪い。

 (けど、まあジメジメがお好きなナメクジさんなら、天気が良い日は雨の日でしょうけど。
。。)

 そこで、「良い」を「快い」と定義してふたりの関係を四つのパターンにまとめてみました。

@利己行動・・・ジュンがマキを気分悪くさせ、自分は気持ち良くなった時。これは、相手の
        マキを気分悪くさせたので、「悪い」行動だと非難されます。

A利他行動・・・ジュンがマキを気分良くさせ、自分は気持ち悪くなった時。これは、相手の
        マキを気分良くさせたので、「良い」行動だと賞賛されます。

B互恵的  ・・ジュンがマキを気分良くさせ、自分も気持ち良くなった時。これは、相手の
 利他行動   マキを気分良くさせたので、「良い」行動だと賞賛されます。

C互不幸的 ・・ジュンがマキを気分悪くさせ、自分も気持ち悪くなった時。意地を張って、
 共倒れ行動  相手にイジワルをすること。「悪い」行動だと非難されます。


 。。。あなたが私にしてくれる行為、あなたの気遣いが私を心地よくしてくれる。。。そう
いう状態にある「自分が好きだ」ということを「あなたが好き」と表現してきるだけではない
か。だから、一緒にいてイライラするようになったら「あなたが嫌い」ということになる。。。
                               『読み解くT』

 。。。人間においては「利」とは「自己の利」とか「他人の利」という形でしか成り立たな
い。だから見かけの上では自利と他利が円満になっているように見えたとしても、それはたま
たま自分の利害と他人の利害が一致したという事にすぎないのでしょう。。。
                                 『読み解くV』


モモさん 投稿者:らくりん  投稿日: 3月25日(月)14時06分39秒

はじめまして。
ROMはしていただいていたようですが、書き込みありがとうございます。
ここはけっこう「うるさい」人が多そうに見えますので(もちろん私自身も含めて)、
書きづらいと思われる人もおられると思います。
ようこそご参加下さいました。

読んで頂いていたようなのでだいたいの見当はついていると思いますが、
すぐにレスがある時もありますし、だれもからんでこないこともあります。
みんな(私自身もふくめて)言いたいことを勝手に言っているようなところがあります
ので、モモさんもそれなりにお楽しみ頂ければと思います。


初参加 投稿者:モモ  投稿日: 3月25日(月)13時24分49秒

初めて参加させてもらいます。

 「聞くという行為は、ただ語られている言葉の意味内容を聞いて、やりとりをするという
ことではありません。それは本来、語られている言葉と、言葉以外のメッセージをあわせて
相手に触れる、という行為であり、言葉の響きを感じることです。。。言葉が相手の心に響
くと、相手に何かしらの変化や動きを生じさせます。私の考える対話する関係とは、このよ
うに互いに影響をおよぼしあい、変容していくという行為です。。」

 いつもぐっちんさんのアンテナには感心します。イロイロ自分なりに
考えさせられるものがあります。
昨年3ヶ月ほど高校3年の女の子を家で預かりました。母親に対しての
暴力事件で補導された子でした。私自身は正直面倒だなという感じでしたが、
母がじっくり彼女の思いを聞いてみると、その背景が見えてきました。
幼少の頃、両親が離婚し、一人子の彼女は母と祖母に育てられましたが
ずっと母親からの虐待を受けてきたのです。そして、彼女が高校に入り
体力も彼女の方が強くなった時、立場が逆になったのです。
彼女の母親に対する憎しみは愛情の裏返しなのです。
本当は母親から抱きしめられたいと願いつつ、母親は精神的に病んでいて
彼女を排除し、拒否します。結局、彼女は母親から愛されない思いを
誤魔化すために、男にすがるという構造です。
ウチの母は彼女のことを黙って聞いてあげました。そして、彼女も
溜まっていたものを一気に出し切りました。本当に、ウチの母を
母親のように思っています。しかし、現実の母親は未だに彼女を
拒否し、彼女も精神的にまた危なくなってます。
親の存在、ってホントに大きいと実感します。


「生」と「冷凍」 投稿者:らくりん  投稿日: 3月24日(日)22時05分42秒

最近はどこの寿司屋でも甘えびがおいてありますが、ほとんどは冷凍です。
私は、とれたての生甘えびを口にしたのは2度か3度ぐらいではないかと思います。
本当に甘いんです。
甘えびというのは、煮ても焼いてもまずいらしく(試したことがない)
生でしか食べられないのだそうです。しかも鮮度が落ちるのがとても早い。
だから、冷凍・冷蔵保存技術がなかったころは港の近くでしか食べられなかった。
それでほとんど商品価値がなかった。

最近甘えびを食べても、おそらくは冷凍物であるせいでしょうが、数少ない生甘えび
体験を思い起させられることはないような気がします。

私が料理人だったら、生を目の前で食べてもらえる場合しか
甘えびは出さないかも。
冷凍物で、だれがどのような形で食するかわからない場合は、
煮ても焼いても揚げても食べられる、もちろん生でも旨い海老を用意することに
なるだろうと思います。

大量生産された加工食品でないと
いつどこで誰がどのように食べても変わらないのでしょうが。
それはそれで、また旨い。
「チキン○ーメン」「○ップヌードル」、ときどき無性に食べたくなることがある。


お育て 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月24日(日)16時20分55秒

 お友達の西研さんという哲学者がいってたのだけど、「ウソでも他人から誉められるのは
うれしい。ズボシでも他人からけなされるのはカナワン。これが、自我です」と。
 なんでもヘーゲルの思想の一部を簡単に言い換えたものだそうです。

 動物はコトバを理解しないけど(理解しているという愛ペット家もいますが)よき人間の
パートナーだったりする。世話を人間がするからかな?飼い犬に手を噛まれるというのは
あるけど、飼い犬にプライドをずたずたにされましたというのは余り聞かない。

 例えば英会話ロボットなんかいたら語学が上達したような気がします。やっぱ、ホンマもん
の「ガイジンさん」相手では、プライドの高いぐっちんなどは、ええかっこして結局上達しない。
好きな異性が先生だったら上達するということもいわれますが。。。

 時に厳しいことをいってくれるから、「他者」なのかなあ。つねに未知のエックスとして
ある存在。柄谷さんのいう決して認識(すべてを知り)しつくせない実体(物自体)としての、
他者。喧嘩したり仲直りしたりする相手。でも、これも人工知能搭載のロボットで代役可能な
のかなあ。ロボットに「お育ていただきました。これで、信心をいただきました」なんて時代も
やがて来るかな。


リテラシー 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月24日(日)15時56分37秒

 江戸時代、読み書きそろばん。いまやパソコンリテラシーがいるらしー。
どうなんでしょう。お釈迦さんの時代はみんなお説教があったらひとことも
聞き逃すまいと暗記したそうですね。それから、空海さんと最澄さんのお経の貸し借り。
書写が大切な時代があったのですね。いまやネット配信か。。。

 ぐっちんは、学校でもお寺でも先生の言葉をノートをとりません。その時、自分に響いて
くるものだけを感じ取ろうとしています。(というのは、ウソ。ぐうたらなのと、字が下手
なのであとで読み返せないから)ほんでも、記憶力が悪いので覚えてませんけど。まあ、
いいか。

 クルマの無い社会はもう考えられないような気がします。つまり、ひとの足の機能の拡大。
パソコンはさしづめ、脳の機能の拡大かなあ。でも人工知能研究の分野では「思考」よりも
「行動」の重要性が叫ばれているようですね。つまり、コンピューターも「身体」が必要。

 バベルの塔じゃないけれど、あまりに人のココロと考えがバラバラなので、いつかは
どんな分野にせよ、ロビタがお相手してくれる時代が来るのかなあ。


情報の重さ 投稿者:ootubo  投稿日: 3月23日(土)22時09分05秒

私は某地方自治体で、仕事の一部として情報全般を担当しています。
今までは、地域格差があっても政策によって何とかなったが、これからは、情報格差が生
じたら、致命的なダメージを受けると思っています。
ブロードバンドによって、本格的な在宅勤務が可能となり、距離と時間が問題でなくなる。
教育、仕事、買い物、趣味など日常生活にブロードバンドが無くてはならないものとなっ
てくると思います。

自分が苦労して得たものは価値があると思います。
溢れる情報の中で、(安易な情報伝達手段を選択しないことも含めて)いかに価値を見い
だしていくかが、私の課題だと思っています。


柄谷行人「トランスクリティーク」 投稿者:お留守居役様  投稿日: 3月23日(土)20時37分58秒

カント論で、実体とは他者であると繰り返し述べられているが、
だからどうしたというのでしょうか。
他者であるからこうなのだという新しい知見が展開されていないように思われます。

経済は下部構造ではない(303頁)と言っています。
確かに、貨幣などには幻想性がつきまとってはいます。
信用貨幣(紙とインクで作られた紙幣)は、
共同幻想によって価値が保証されています。
ですから、経済に幻想性が伴っているとは言えると思いますが、
では逆に、経済以外に、
幻想性を伴っていない下部構造とは何なのでしょうか。

価値は交換過程で生じると繰り返し述べていますが、
これは、マルクスの労働価値説の誤解であるか、
故意の曲論であると思われます。
「マルクスその可能性の中心」でも、
価値は時間差によって生じると主張されていましたが、
価値は、生産や労働によって生じるのではなくて、
交換あるいは消費によって生じるというのに等しいと思われます。
これは近経(近代経済学)です。
マルクスの名を持ち出さないでもらいたいと思いました。

私が読むに耐えないと思った本でもベストセラーになっているものもあります。
世の中千差万別と思っています。
ですから、本書は私には合わなかったと申し上げているにすぎませんので、
悪く思わないでください。


ベルリン天使の詩 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月23日(土)15時13分28秒

 1987年のヴィム・ヴェンダース監督作品です。10年後にニコラス・ケイジとメグ・
ライアンでハリウッド版がつくられました。(「シティ・オヴ・エンジェル」)

 天使の目からは、人間界はモノクロームとしてしか映らない。ところが男性の天使が、
サーカス団の女性に恋をするのですねえ。その時、彼の世界は色づきはじめる。赤い血が
流れるシーンが印象的です。天使は、恋をする代償にひとの傷みを知るということですね。

 いろもかたちもこころも及ばれぬ、法性法身のままでは、ホトケさまは私達には無関係
な存在のままであります。けれど、衆生をあわれむがゆえにその身を方便法身に変えて私た
ちの前にあらわれてくださった。その姿が六字の名号なのですね。

        なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。。。。     称名相続。。。?


「コラム」によせて 投稿者:らくりん  投稿日: 3月23日(土)10時58分29秒

読みながら「ある、ある、ある」でした。
特に「昔は素敵だったことが素敵じゃなくなるのは悲しい」ってところから、
「これらの時間や手間は、無意味なものでは決してないはずだ」のあたりは、
「うん、うん、その通り」と。
↓の「おうちの人が出たらどうしようかと悩んだ末にかける電話」
これってとってもリアル。
こういう気持ちを味わえないことは、はたして幸せなことなんだろうか。

私は「手間ひま」はかけたらかけただけの「功徳」がある。
それがたんなる「むだ」としか考えられなくなってしまうとしたら……
労せずして手に入る情報がまったく「役に立たない」というつもりはありませんが、
友だちから借りて必死で移したノートと、10円コピーとを考えれば、
その「功徳」の差は歴然としています。
(この比喩、ノート写しをしたことない人・世代に「わっかるかなぁ〜?」愕然)

 結婚式の時、今でも酒をお祝に持っていく習慣があります。私の父は自分の結婚式の
時に酒を2升手に入れるのに苦労した話を時々聞かされました。60年ほど前のことで
す。先日見た、戦時中の家庭を舞台にしたドラマでも、ひと包の砂糖をそれこそ宝物の
ように喜んでいる姿がありました。
 物がない時代に、人に物を送るということは自分にとっても「貴重」なものを分かつ
というところにとても思い意味が生じます。
今のように物が有り余っている時代になっても、やれ中元だ歳暮だ手土産だ、
粗品だ引き出物だと「贈答」の習慣がますます盛んになってきていますが、どこの家も
そうした「贈答」品の山に押し入れや物置が占領されているのではないか。
フリーマーケットやリサイクルショップにも、それとおぼしき物たちがところ狭しと
並んでいます。もういいかげん物を贈る習慣はやめにしたら、少なくとも本当に大事な
物以外は。
 こんなことを書くつもりで書きはじめたのではありません、考えてみたいのは
逆に今の私達にとって「貴重なもの」は何か。

「時間(手間ひま)」と「関心」

嫌な相手からの関心とか、過度の関心はうっとうしくてたまりませんが……
手間暇をいとわない、関心が向かずにはおれないそういう相手ってやっぱ
いいですよ。
手間ひまかけてできあがった人間関係というのもは、やっぱ他物に代えられる
ものではない。

それにしても、ネットから手軽に入手できる情報、
「なんとその軽いことよ」


転載 投稿者:らくりん  投稿日: 3月23日(土)10時09分08秒

「非合理のすすめ」 青木 朋子
        毎日新聞 コラム「風の響き」2002年3月23日

 いかにも機会が不得手そうなお父さんが、「パソコンなんてなくなればいいんだー!」
と絶叫するCMを最近やたら目にする。そのかたわらでお母さんがつぶやく。「時代は
変わったの」。そして言うのだ。「昔は素敵だったのに……」と。
 本当に時代は急変した。
 30代の私は、パソコンや携帯電話のない青春時代を過ごした。ちょうど我々が大人
になったころ、かつては操作に煩雑なコマンド入力が必要だったコンピューターが画期
的に進化し、現在の形態になった。それをいち早く購入した新しい物好きの若者世代、
それが我々の年代である。
 便利になったと思う。もうパソコンや携帯電話なしの世の中は二度と帰って来ないだ
ろう。でも、それら文明の利器のせいで、昔は素敵だったことが素敵じゃなくなるのは
悲しい。合理的に物事が運ぶもいいが、人間同士の信頼関係というのは、お互い相手の
ためにどれだけ無駄な時間を使ったかによって多少違ってくるのではないだろうか。
 体力と笑顔で何度も足を運んでくれた営業マン。デートに大遅刻したのに2時間も
待っててくれた恋人。さぞかし書くのに何時間もかかったであろう手書きの手紙。
おうちの人が出たらどうしようかと悩んだ末にかける電話。これらの時間や手間は、
無意味なものでは決してないはずだ。
 例えば私は、宅配便で資料を受け取り、自宅のパソコンで音をデータにし、できたら
インターネットで納品している。とても便利だ。だからこそ思う。この便利さを、大切
な友人関係に持ち込むまいと。時間をかけよう。メールですませず手紙を書こう。そし
て会いに行こう。携帯電話があっても、待ち合わせには遅れずに。 (作曲・編曲家)


ぐっちんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 3月23日(土)08時34分06秒

ありがとうございます。
上京の際は、ついでに是非お立ち寄り下さい。
事前にメールでも下されば、詳しい住所等、お知らせ致します。
ぐっちんさんの方は、4月以降帰阪されるそうですね。
連絡先等、わかりましたら、後日お知らせ下さい。


おじきさんへU 投稿者:Genko  投稿日: 3月23日(土)08時28分09秒

私事で恐縮ですが、
明日夜7時より、大阪の「坊主バー」にて、私の「壮行会」があります。
マネージャー役の遊心さん達のご好意で催してくれるそうです。
特に何ももてなしはありませんが、
終日貸切(泊り込み可)、何でも持ち込みOK、
各自一律二千円で飲み放題のサービスです。
お時間等都合がつきましたら、万障繰り合わせの上、是非ご参加ください。


おじきさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 3月23日(土)08時20分06秒

ありがとう。
昨日電話で打診したことは、これにて一件落着、キャンセルとなりました。
おじきさんが住んでいた富久町の「○橋ビル」は、例の不動産屋を訪ねて訊いたところ、
目下全部うまってしまったとのことでした。
おっしゃる通り、同じ「住吉」がついているのは、偶然とはいえ、
私によほどご縁があったのでしょうか?
本当は、その向かいの「愛住町」に住みたかったのですが・・・。
何故って、ネーミングが「Living love town」と、東京一素敵だし、
「四ツ谷三丁目」にも近いですしね。
しかし、土地柄タカビーで、同条件の物件でも大分お高いようで、手が届きませんでした。
なお、お引越しは、4月10日の大安の日か、12日の先勝の日に予定しています。
これまでいろいろとご協力・ご尽力いただきまして、心より感謝致します。
南無阿弥陀仏。


遠くても近い? 投稿者:おじき  投稿日: 3月22日(金)23時33分30秒

>Genkoさん、大阪下町の住吉区から、超都心の住吉町ですか。名前は同じでも
雰囲気はガラッと変わりますね。あの辺りはメチャ便利ですよ。東京タワーの灯りは
見えるし新宿、赤坂、青山、皇居、国会、霞ヶ関まで自転車で15分程ですよ。
昨日の電話では今回は厳しそうだったのに、よく踏ん張りましたね。よかったです!


煩悩の輝き 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月22日(金)20時54分09秒

 いし・かわら・つぶてのようなわたしたちが、こがねとさせていただくんですね。
ホコリやチリやアクタが金剛心の行人、釈迦・諸仏の弟子にさせていただける。
つまりダイヤモンド・ダストだーーー。

 真実であれ!と呼びかけられて、完璧に真実になれない自分を知らされる。でも、それは
単なる自己嫌悪にはおわらない。なぜなら、アミダの真実をあおぎみることができるのだから。
そしてそれは、真宗学を専攻したとか、挫折や悲劇がたくさんあるとか、そんなことは問わ
れず、誰もが肩身の狭い思いをしないでいい、もはや自分を飾ることのいらない裸の交わり、
つきあいができる場所。自分を必要としてくれる人と場所がある。

 >Genkoさん

 よかったよかった。また東京へ遊びに行くときは泊まりまくりまするです。


ヤッター! \(~o~)/ 投稿者:Genko  投稿日: 3月22日(金)17時50分03秒

私こと、この5日間足を棒のようにして探し回った挙句、
ほんのついさっき、4月以降の新居物件を決めてきました。
今日中に決めてしまわないと、明朝の新幹線で大阪に返るので、
あやうく今回は見送りというところでした。
(予定予算より2割オーバーするほど高い賃料ですが・・・。)
場所は、新宿と飯田橋間のちょうど中心軸あたりに位置する、
「住吉町」というところ、最寄駅は「曙橋」です。
「東京坊主バー」のある荒木町とも近いですよ。
ここのサイトの皆さん。お近くにおいでの際は、是非お立ち寄り下さい。
6月以降なら、多分私も一段落して、落ち着いているでしょうから。


ぐっちんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 3月22日(金)17時34分44秒

>フランス語をいかしてレストランとか旅行会社とかにとりあえず
>就職というのはどうでしょう。フランス語を公用語としている国のNPOとかに潜り込む
>とか?

それは名案かもしれませんね。
でも、若い時に暫く大阪の「○央観光ツアーズ海外旅行部」というところに勤めていたのです。
そこで学んだ事は、日本の旅行業界は主に英語だけが必要とされていて、それ以外がヘタにできると周囲から袋ダタキにあう、ということでした。
「レストラン」は可能性があるかもしれない。しかし、この年齢ではどうでしょうか・・・?
「フランス語を公用語としている国のNPO」は目下ずーっと探しております。
実はそれも射程において上京するのです。
この辺の情報と言えば、外務省を中心に発信されていますよね。あるいは、在京のNPOグループでしょう。でも、わが国ではまだまだ待遇条件が劣悪過ぎますよね。これでは借金が返せません。

>Genkoさん自身が占い師になればどうかなあ? 今は、古代小説ばかり書いてる黒岩重吾。
>むかし、奇病にかかり、証券マンも廃業せざるを得なくなってどん底にいたとき、
>大阪の西成でおんなたち相手の占い師やってたんですよね。

黒岩さんは、確かそうでしたね。
私も彼にあやかって、女たち相手の「占い師」なら、なんとかなるかも・・・。
一応、この歳ぶっこいて、「<新宿坊主ジゴロ>稼業を張ってやろうか」なんて(笑)。

ところで、私ってそんなに「山師」的かしらん? 
なんか嬉しいような、悲しいような・・・。


師友にあう 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月21日(木)16時09分23秒

 法然上人の称名というのは声です。明らかに声なんです。親鸞聖人の称というのは声ではなく、
「相称」なんです。かなうという意味です。。。よきひとの仰せに相応するということです。。
どこに相応するかといえば、蓮如上人は「そのくらいを一念発起入正定之聚とも釈し」といって
あるでしょう。。。

 正定聚といったら何かといえば、私たちの先生です。。。本当の先生というのは必ずグループ
があるんです。。。その先生グループの仲間に入るというんです。。。それがうまくいえません
けども称という字の中身、本当の中身は入正定之聚と。グループ。だから信心というものはそこ
まできますと、今度は単に声とか心とか言う問題でないんです。生活姿勢になってくる。。。

 口業とか意業とか言う問題でなしに、身の問題になってくるんです。  藤元正樹


 統語論から意味論へそして語用論へ。。。


話を聞くこと 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月21日(木)15時56分10秒

 「聞くという行為は、ただ語られている言葉の意味内容を聞いて、やりとりをするという
ことではありません。それは本来、語られている言葉と、言葉以外のメッセージをあわせて
相手に触れる、という行為であり、言葉の響きを感じることです。。。言葉が相手の心に響
くと、相手に何かしらの変化や動きを生じさせます。私の考える対話する関係とは、このよ
うに互いに影響をおよぼしあい、変容していくという行為です。。」

 「耳から入った情報を直接あたまにスッとあげてしまい、響きとしての相手の全存在をかけた
言葉に注意が向かず、上っ面だけの言葉のやりとりになっていく。だから肝心なことは何も
聞けていないということになる。私たちはほとんど言葉の響きを聞くという体験を教育の過程
で受けていません。」        ひきこもりの家族関係 田中千穂子著 講談社


ほおづきの唄 主題歌 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月21日(木)15時35分20秒

 君はその手に花をかかえて急な坂を上る

 僕の手には小さな水桶君の後につづく

 君の母さんが眠っているささやかな石にまわり

 草を摘みながら振り返ると泣き虫の君がいた

 両手を合わせた傍らでゆれてるれんげ草

 あなたの大事な人を僕にまかせて下さい

 

 君がとても大切にしてた藤色のお手玉

 それは昔君のかあさんが残してくれたもの

 そして僕が大切にしてる陽だまりのような人

 それも昔君の母さんが残してくれたもの

 集めた落ち葉に火をつけて君はぽつりとありがとう

 彼岸過ぎたら僕の部屋も暖かくなる

 
 さだまさしは嫌いですけど、この唄は大好き。浄土真宗の風景じゃないけど、
日本的仏教の風景ですね。


Genkoさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月21日(木)15時27分32秒

 いっそGenkoさん自身が占い師になればどうかなあ?今は、古代小説ばかり書いてる黒岩
重吾。むかし、奇病にかかり、証券マンも廃業せざるを得なくなってどん底にいたとき、
大阪の西成でおんなたち相手の占い師やってたんですよね。

 Genkoさんって知的だし、ちょっと山師的な雰囲気も持っててそれがカリスマといおうか
占い師にぴったり。それか、フランス語をいかしてレストランとか旅行会社とかにとりあえず
就職というのはどうでしょう。フランス語を公用語としている国のNPOとかに潜り込む
とか?


ほどほどで済む、程度のこと 投稿者:らくりん  投稿日: 3月21日(木)07時37分19秒

>伝わらんもんは伝わらんし、無理に伝える必要もない
「伝える必要があるかないか」とはまた別に、「伝わってほしいかほしくないか」
ということがあるでしょう。そこをきちんと言わずに「伝わらんもんは伝わらんし」
だけでは、単なる投げやりでしょう。どうでもいいことなら伝わらんでいい。
「伝わらんでも、伝わってほしい」そういうもんあるかないかです、肝心なところは。
それを落としたら、傷口の舐めあいになってしまう。
「ほどほどにしとけばいい」で済むんなら、その程度のことでしかない。

>ほどほどにしとかんとらくりんさんをはじめ皆さんにも迷惑
そんな気を回さんでもかまいませんよ。
……留守番してもらっているので、けっこうありがたかったりして。


はい、それま〜でよ〜 投稿者:おじき  投稿日: 3月21日(木)03時37分12秒

>ぐっちんもぐだぐだ書くのに疲れてきました。ひと様に「教え」ようとするよりは、
>自分がより深く頷いていく生活がしたい。
>おのれのバカさ加減にうなづくだけのことだけど。
そうですね、オナニーもやりすぎると痛くなってきますし、疲れもとれませんしね。
まあ世の中には自分と違う考えを持ってる人はぎょうさんおるっちゅうことですな。
伝わらんもんは伝わらんし、無理に伝える必要もない。僕もぐっちんさんのズリネタになり
そうな事書くのん飽きてきました。己のルサンチマンのはけ口がほしいのもわかりますが
ほどほどにしとかんとらくりんさんをはじめ皆さんにも迷惑ですからね。



火焔太鼓 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月21日(木)00時39分41秒

 古今亭志ん生のオハコに「火焔太鼓」という演目があります。

 商売の下手な古道具屋の亭主が古い太鼓を仕入れてきます。で、奉公人にホコリを
はたかせていたらおかみさんが文句をいいます。

 「だめだよ! ホコリ払ったら、太鼓が無くなっちゃうよ!」

 ここんとこの政局を見ていたら「たたけばホコリの出るからだ」という言葉を思い出し
ました。けど、まあ「ホコリで出来ているからだ」だったら、たたけばホント体が無くなっ
ちゃいます。

 最澄さんは自分を「塵禿の有情」といってます。チリだといってるんですね。で、ぐっちん
最近自分もやっぱり「自分に誇りを持つ」ということばが「自分は埃だらけかも」に聞こえて
きます。

 偽善の反対が露悪で、親鸞さんは露悪者だという批判を聞いたことがあります。
「雑毒の善、虚仮の行」とか「こころは蛇蠍のようだ」とか。とてもそこまではいえない
のではないか。自分にも少しはマシなとこもあるのではと思っていましたが。。。


偽証罪 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月20日(水)19時24分06秒

 
 ここでいっしょに  辞めたらいいと
 すがるムネオの  うっとうしさ
 その場しのぎの  デタラメ云って
 みちゆき  ふたり旅
 うしろ髪ひく かなしい声を
 背(せな)でたちきる 道しるべ
 生きていたなら いつかは出れる
 無所属でも出れるだろう
 
 たとえどんなに 恨んでいても
 たとえどんなに お金がほしくても
 お前が俺には 最後の女
 俺にはお前が 最後の女


見えない「依他起性」 投稿者:Genko  投稿日: 3月20日(水)18時49分34秒

昨夜、家捜しに疲れ果てて、新宿東口近くの露天の「易者」さんに、自分の今後の運命と借金問題を占ってもらったら、
「上京については上昇運が出ており、誰か馬となってくれる出会いが必ずあるが、今年の5月15日に関東大震災が起こる(!)ので、それを過ぎてからの方が良い」
「借金は、非常に時間をかけながらいずれ漸次返せていく」
という答えが返ってきました。
しかし、すごいことを予言するもんですなー。当たらなかったら、文句言ってやろ〜っと!
そういえば半年前に、なんばの店で星座占いをしてもらったら、
「今年の6月以降くらいから上昇気流が出ている。東京で近い将来援助者の女性(!)が現れる」
なんて言ってましたね。
ホンマかいな? そーかいな?
仏教の唯識思想で言うと、この占いっちゅうヤツは、いわゆる「変計所執性」じゃあないの?
でも、今までも時々、人生の節目ごとに占いを参考にせずにはおれなかった自分って、一体何なんやろ? 


Re:名告り(でんたく) 投稿者:ねこ  投稿日: 3月20日(水)17時50分56秒

名告り、ですか。

ネコは「でんたく」を自称しています。
あるとき、私にとって「内は賢にして外は愚」と云うべきヒトが、ご自分を「昼行灯」と
称しておられるのをみて、しばらく考え込んでしまいました。
自分などは、どれだけ自分が賢いかを周囲に印象付けようと、いつも必死ではないか、
と思い至ったのです。それで以来、「頭脳明晰な」でんたくを自称するようになった
というワケです。ま、この掲示板の方々などは、私(でんたく)からすると、
最先端のパソコンくらいに見えるのですが。

〈でんたく〉はネコにおける愚禿の名告り、のつもりです。
みなさん、それぞれに名告りがあるとオモシロイですね。
それがまた、刻々と変わっていったりして。


天国どろぼうの話 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月20日(水)16時25分35秒

 ある人が病気で入院していました。そろそろ死期が近づいてきた様子です。
それで、友人のカトリック信徒の方がすすめて、その人は洗礼を受けました。
そしてそのあと一週間してその方は亡くなりました。

 このことを聞いた別のカトリック信徒のひとがこういいました。「わたしは
50年このカトリックを信じて生きてきた。ところがあの人はたった一週間前に
洗礼を受けて天国へ行ってしまった。まるで天国どろぼうじゃないか!わたしの
苦労はどうなる!!!」


 阿弥陀仏というのは永劫に苦悩している仏でございまして、一切衆生の苦しみを
自らの業として生きる仏というのは他にはございません。。。(人間は)みんな苦悩
しておる、苦悩しておるというけれど。。。苦悩というのは一人では出来ない。一人
で出来るというのは困るということはできるんですけども。。。苦悩するということは
人の苦しみをわが苦しみとしたときに初めて苦悩ということがいえるんであります。

                              藤元正樹


お坊さんに聞いてみよっ! 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月20日(水)15時34分16秒

 ★テーマ
 
 生死出ずべき道
 往生極楽の道  親鸞聖人

 後生の一大事  蓮如上人

 生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
 死に死に死に死んで死の終わりに冥し  弘法大師

 仏道とは自己をならうなり 道元禅師

 ★名告り 

 大愚良寛   愚禿親鸞   非人高弁   愚痴の法然坊  余は旃陀羅の子なりー日蓮
 愚の中の極愚、狂の中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄


再掲 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月20日(水)13時19分04秒

 >まことに真理は説くことにあるのでなくして、聞くことにあるのである。

 >「与えられたもの」は「求めたもの」に先行していることの覚知(気づき・目覚め)で
 >なければならない。

 念仏が「真実か」どうかと問う前に、「自分が求めている幸福」とはいったい何だろう?
それは「まぼろしの幸福」ではないのか?「求めて」いる方向が見当ちがいなのではない
だろうか?自分は何に対して「自力」を尽くしているのだろうか?という確かめが必要なの
ではないでしょうか?

 ぐっちんもぐだぐだ書くのに疲れてきました。ひと様に「教え」ようとするよりは、
自分がより深く頷いていく生活がしたい。おのれのバカさ加減にうなづくだけのことだけど。


ケ・セラ・セラ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 3月20日(水)12時58分37秒

 ♪なるように〜なる〜さきのこと〜など〜
  わっから〜ない〜      (あんたが苦労するんやなくて法蔵さんがすでに
                 ご苦労されてるんやけど。。。)

 ♪さ〜いほ〜おぅ じょ〜ど〜を〜
  あ〜とにぃ〜し〜て〜    (まあ、先送り、ですな〜。どんどん貯まるココロの
                 不良債権)   

 ♪蔦のからまる お御堂で
  念仏を称えた日 ナゾ多かりし
  あの頃の 思い出をたどれば
  なつかしい お同行の顔が
  ひとり ひとり 浮かぶ
  薄いカバンを 抱えて
  通った あの道
   
 ペギー葉山さんでした。。。

 なすがままなら パパはきゅうり。
 アリがタイなら イモ虫ゃクジラ。

 ♪ま〜ぼろ〜しの〜
  か〜げ〜を したいて〜


やめられない 投稿者:おじき  投稿日: 3月20日(水)02時45分37秒

そやから空思想を根本に据えん仏教なんてないんですから。具体性というなら
「南無阿弥陀仏」でしょ、真実が名のりというはたらきをもって現われて下さっておる。
宗祖をはじめ浄土教の祖師方は皆その事を伝えて下さっています。だから自分でも
確かめたい、本当に念仏は真実なのか、それによって僕が幸福になるのか。以前に
藤元先生の元娘婿さんも「自力を尽くしてみん限りは、他力に頭が下がるはずありません」
てゆうてはりました。法然さん親鸞さんが死に物狂いで必死に辿り着いた真の幸福を、
何の苦労もせんと、ろ過された上澄み液の一番おいしい部分だけを勝手に拝借しても、
それでは僕が納得できんのですな。結果としていつかは念仏一つで良かったと
言えるのかもしれんし、全然違うカルトな結末になるのかもしれんけど、
与えられた結果に満足するよりも、自分で求める過程を楽しみたいんですな。
ま、正統的真宗教学がお好みの方からは「それが迷いや」て言われるんでしょうけど。

Genkoさん、楽しい東京ライフを満喫して下さいね。僕も最近までぐっちんさんが
大阪に帰ることは知りませんでした。不安もあるでしょうが何が起きてもナンマンダブ
の中ですよ、あるがまま、なすがまま、おまかせです。ってゆうてる事がムチャクチャやな。


ぐっちんさんの行方 投稿者:Genko  投稿日: 3月19日(火)21時14分35秒

あれ?
「京都」やのうて、「大阪」でっか?
ということは、「お互いぐるぐる回る」んではなくて、
まるっきり「すれ違い」っちゅうコトですね。
それとも、まあ一種の「往相」「環相」みたいなもんかナ?
おじきさん。ちょいと話が違うじゃあーりませんか。
東京であたしゃ、これから一体どうすりゃいいんでしょ?


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