らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉

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らくりんさんへ 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月19日(水)08時39分26秒

整理してくださって、ありがとうございます。
大体それで結構ですが、私は本音をいえば別に本気で<労働者>として100%認めて権利をよこせとは思っていません。実際、社保つきで、という条件が実際には果たされなくても別に食べていけたらいいや、と思って<ヤクソウ>していました。しかし、その後、条件がどんどん切り下げられ、それでも食べ物があるうちはまあいいか?と思ううち、とうとう賃金不払いの憂き目にあい、食べるものにも事欠く状況(別にそれ自体は宗教的意義があってそうなったのではなく、住職が賃金を支払わなかったというだけでひきおこされた事態)になっても、それを打開してくれるシステムが全くなかったことへの問題提起です。40万の口約束が20万だったということは民間企業でもある話です。しかしもし、これはことの始まりにしかすぎず、20万が0になることもあって、そうなっても<ヤクソウ>にはどうにもならんようになるのだ、ということが言いたかったのです。餓死しても、国家や教団から知らん顔される、と。少なくともそうなる前に何とかしてくれ、というのが私の思いです。

>三吉さん

お考え、よく分かりました。私が僧侶となったころに、東京の真言系の寺院で、<ヤクソウ>が組合を結成し、寺院に対し、裁判を起こし勝訴した、ということがありました。(これが私のいう<ヤクソウ>が労働者であるという判例です)
内部事情をあまりしらず、ただ、親鸞という人にひかれて教団にはいった私には、彼らの行動が理解できず、やはり「違和感」を覚えました。
三吉さんのおっしゃることは、自分の中にある僧侶の理念とかなりの部分で合致するだけに、三吉さんへの反論は、私にとって、自分への反論でもあります。三吉さんのような視点は見失いたくないし、今でも見失わないように気をつけているつもりです。だから、他者である三吉さんのご意見は非常にありがたいご指摘です。
しかし、同時に内部にいて体験した上記のような状況(餓死しても無視)もあり、どうしても<労働者>であるという立場も放棄できないのです。ジレンマをかかえながらの主張です。(しかし、御門徒にこのような主張をぶつけるつもりは更々ありません)

>ぐっちんさん

ごめんなさい!時間がないのでまた後ほどレスします。


高齢者虐待問題 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月19日(水)04時34分59秒

  ぐっちんが会社で最後に取り組んだ仕事が、高齢者虐待の予防・ケア方法の開発という
調査でした。調査会社って面白かった。早い話がアンケート屋さんなんですが、ひとびとの
「なま」の声が聞こえてきてとっても勉強になりました。中には、こんなアンケートやって
本当に改善されるのか?と怒っておられる方もまあ、いらっしゃいましたけど。

 ぐっちんはやっぱり、娑婆っ気がありすぎるなあ。。。一人暮らしのお婆さんとこへ逮夜ま
いりにうかがったとき、配食サービスのお姉さんとよく遭遇しました。なんや、こんなんやった
らお寺から「お弁当」持ってきたら一石二鳥やけどなあ。ホトケさんの功徳付きのおときでっせ
なんて思ってた。。。

 秋田さんとこの活動で、「介護」の分野が整備されていません。将来、出来たらそこの職員に
なる。これがホンマの法務ヘルパーやいうて。。。

http://www.inochi-club.com/esp/esp_04.html


お寺とNPO活動 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月19日(水)04時06分47秒

 秋田さんの仕事で面白いと思うのはお寺とNPOとの協働活動です。これは、東京にいた時
全国青少年教化協議会というところのJINJINというやつと知り合いになったのですが、
彼の弟さんもまた自殺で亡くなっていて、青少年の問題と仏教について真摯に取り組んでいる
んです。

 で、彼が提案しているのが寺子屋NPOです。お寺とNPOが連携して、地域で根を張り
不登校や引きこもりやいじめの問題と取り組もうという活動です。NPOとお寺という発想、
なかなかいいと思います。希望があると思います。お寺だけでは、なかなか動けませんから。

http://www.zenseikyo.or.jp/japa/activity10.html


>CHINCHINさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月19日(水)03時26分28秒

 秋田住職の応典院で6月20日(木)六時半から九時まで「遺児たちの心に七色の虹を」と
いうタイトルのあしなが育英会の方々のお話があります。大悲さんのHPにはあしなが関係の
リンクがありますが。。。(唯我独尊 明教寺さんです)

 あしなが育英会といえば、ぐっちんの子供の頃は交通事故でお父さんを亡くした遺児をサポ
ートする団体だと思っていたのですが、最近は自殺で亡くなる方の方が多いと聞きます。
 
 ぐっちんのつれあいの命日が7月6日であります。自殺したので何かあしながのことが気に
なります。また応典院さんは、不登校の生徒たちの活動の場でもあります。ぐっちんもつれあい
も不登校生徒でした。そんなこともあって、ここのお寺の動向は東京に行く前から気になってい
たのですが。ぐっちんの家の宗旨は浄土宗。同じ寺町にある一心寺さんに先祖のお骨はあります。今ようやく機が熟したのかな。足を運んでみようと思います。

 釜ヶ崎の労働者の問題は、キリスト者が取り組んでおられます。ここにも以前ちょっとお邪魔
しましたが、これから本格的に関わっていきたい。以前はやっぱり、自分は真宗人だというこだ
わりがあったのですが、自分のやりたいことを先にやっておられるところにお世話になってみよ
うと思います。

 東住吉高校に芸能文化科という学科があります。来年、ここを受験して高校生になってみよう
かな?と思っています。仏教万歳というジャンル。これは、すたれてしまっています。鼓や胡弓
をバックに今でいうところのラップのようにコトバを繰り出す芸。こいつを習得して、いつか応
典院さんのホールに立ってみたい。


もうひとつの貧給さん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月19日(水)02時48分59秒

♪母上様 お元気ですか
 ゆうべ はんかがいで 火事があって お客さんと働いていた
 お姉さんたちが 焼け死にました
 ゆうべ ホームレスの おじさんが お兄さんたちに かこまれて
 なぐられて 亡くなりました
 ゆうべ 中央線という 線路で 一日で三人目という 男の人が
 飛び込んで 電車に跳ねられました
 ゆうべ 保育園で 園長先生に 長い間 なぐられていたことが理由で
 男の子が死んだことが わかりました
 私は 星にはなします 何と哀しい世の中なんだと
 くじけませんよ ほとけの子です さみしくなったら 話しにきますね
 いつか たぶん
 それではまた お便りします
 母上様  ひんきゅう


Genkoさんへ 投稿者:我苦生  投稿日: 6月19日(水)01時31分34秒

 >今日の「ヤクソウ」問題を「待遇問題/労働契約違反」に限定して陣地戦を闘ってみても、
<敵>の方は「手の内を全部見抜いている」ので

 敵じゃありません。四海兄弟、同朋(ともだち)です。

 勝ち取るだけなら、脅迫すれば良い。テロを起こせば良い。
 テロを起こして、英霊になっても仕方が無いし、意味が無い。
 解り会える事。教学的見直し、システムの改善。歴史の見直しと、反省。それしかない。


里村から児玉へ 投稿者:我苦生  投稿日: 6月19日(水)01時17分51秒

 児玉暁洋という先生がいる。前々の大谷派の教学研究所の所長である。
 この人が入寺した理由というのが解り易くて、確か、娘さんが大学に行くのに金が無かった。という理由だったと思う。解り易い。

 苦悩のぐんもうとは、生活者だと思う。生活のなかからの、うめき、叫び。だからこその親鸞だ。生活感の無い話は、ゆゆしき学生さんに任せておけば良い。
 そういった意味で、玉光さんが教学研究所の所長になったことは『すごい!』『大谷派やるジャン!』で、ある。


うちの住職 投稿者:我苦生  投稿日: 6月19日(水)01時01分58秒

 ついでに、うちの住職のことを書いて置きますと、うちの住職は貧乏寺の次男坊として生まれ、その後思春期のころより『生きるとは?』みたいなことを考え始め、自殺にとりつかれ、専修学院や、ヒッピー生活の後、ある時、連合い、子供連れでパチンコ屋の住み込み店員をやっていたとき、窓の外のパチンコ屋のネオンの『光』を見たとき、『あ、坊主しよ!』と、決めたらしい。詳しくは聞いていないが、そのとき師の言葉がよみがえり、念仏申せたそうだ。
 自我、こだわり。そんなもんのせいで、連合いや、子供に苦労かけてどうするんだ!と、感じたんではないかと思う。
 だから、面接の時も『求道』の大切さを語り会えた。仕事始めの日も、『良いか、求道が根本やぞ!』と、ひつこく言われた。まあ、似た者どうしか。
 とはいえ、新しいベンツを買ったりしているのはどうかと思う。それは、私の責任なんだが。

 私なりの、役僧問題を整理すると、まず寺院の現場で起こったことは、出来るだけ人間関係だから、粗末にせず、声をかけていきたい。ただ、それだけで解決できないシステムの問題は、システム、つまり教団しか解決できない。
 役僧という立場、寺院内の身分(つまりは教団内の)からの研究、教学が必要だと感じる。
 ぐっちんさん、まかせた。


書き込み 投稿者:我苦生  投稿日: 6月19日(水)00時35分44秒

 なんでもいいが、この掲示板、昨日一日通夜に行ってて見れなかっただけなのだが、ものすごい書き込みですね。
 で、昨日は通夜。人間のどうしようもない悲しみ。諸行無常と、いわなきゃならんような、悲しみ。ふらふらだ。
 あ、葬式は住職が行きます。余程のことがない限り。葬儀屋さんが怒りますので。
 うちの住職の声明は、上手いとか、下手とかとは、全く別物で、ただ『すごい!』。30年近くプロの葬式坊主をやってるだけあって、『すごい!』。そのくせ、涙もろく、いちいち涙ぐんでるんだけど。


やっぱり 投稿者:我苦生  投稿日: 6月19日(水)00時17分12秒

 やっぱり、三吉さんにも、そういう経験があって言って下さってた事だったんですね。
 なんかそう言う感じがしていたんだけど、そうだったのか。やっぱり。
 三吉さんの指摘(私に対して)は、私には『おまえら坊主やろ!』と、きつく、有難く聞こえます。「特に、おまえら(CHINCHINさんも含めて)在家から、わざわざ坊主に成りたくて、選んでなったんやろ!なら、真宗をはきりせんかい!金か、信心か?それをハッキリせんと、いつのまにか、おまえら、おまえらが批判している、おまえらをひどい目に遭わせている住職と同じ論理に成ってるぞ!しっかりせんか!」
 もちろん、私がそう思うだけですが。
 そのへんは、「20万40万」と、金の話にこだわっていた、私に対する批判(いじめか?)から、私が感じました。
 >天邪鬼な私が
 と、ありますが、これからも天邪鬼でありつづけて、いじめて、すぐに念仏者の道を選んだことを忘れて、職業僧(お布施をもらう立場)に成ったことを忘れて、ただたんに金儲けに、煩悩に飲み込まれてしまうような私。解放の理念、本願さえも、私の都合、私有化してしまうような私を批判(いじめか?)してください。
 あ、ただ、気の短い私、また、切れて、むちゃくちゃなこと書き込んでしまうかもしれませんが、自分で気を付け、注意しますが、もし、切れたこと書いたら、いじめてください。
 ありがとうございます。
 あと、よく、こんなもん見つけてこれますね。

 >元信者による未払い賃金請求事件
 松山地裁今治支部平成8年3月14日判決 (労働法律旬報1386号
62頁、本判決の解説については同1386号18頁)
 
 役僧問題を、実は一番腹立たしく想い、一番なんとかしたいと思ってるのは、じつは三吉さんだったりして?


三吉さんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)23時37分07秒

>私は あほですので、「GenkoさんVS CHINCHINさん」
>「GenkoさんVSぐっちんさん」のカキコの
>いわんとしていることは、難解すぎて理解できていません。

私も負けずに充分「あほ」ですが、
少なくとも「あほ」は、「ずるい」人とかよりも幾分「まし」な存在だと自信を持っています。
「人が何かを語ること」というのは、時とすると命懸けのすごいことだということぐらいは、
いくら私のような「あほ」でも、「親鸞さん」から学んだことの一つだったのです。
そうでしょうか? 明治維新以後のこの国の「日本史」や「宗教史」を紐解いて下されば、
私の語ってきたことは全部わかる仕組みになっているのですが・・・。
この国の近代の「宗教」(とりわけ伝統的仏教各団体)は、当時の明治<国家>によって、
廃仏毀釈令や妻帯許可、後の神社本庁直轄下の再編<宗教法人>化その他による、
数々の「アメとムチ政策」等によって、「活かさず殺さず」のホネ抜き状態で、
次第に懐柔され、飼い殺しされ、従軍化されていく<屈辱の歴史>です。
中世から近世にあってすら、仏教各団体は、時の<国家>形態との妥協と確執との歴史でしたね。
こんな仏教が、現代の<国家>と無関係に存在していると、三吉さんは考えますか?
また、経済形態はどうかというと、明治以後はこの国も<資本主義>体制を取っているので、
教団内の布施経済のありかたもまた、おのずと商品経済=市場原理が貫徹するわけで、
私は、それが仏教全体を駄目にした真犯人だと申し上げているに過ぎないのです。
だから、私たち仏教者にとって、この両者(すなわち<国家>と<資本>)は、
いまだに看過できない(古くて新しい)大テーマなんだ、と。
「あほ」は、赤子のように真実だけは見抜く<眼>を持っているものです。


なるほど 投稿者:らくりん  投稿日: 6月18日(火)23時36分57秒

Genkoさん三吉さん、ありがとうございます。
これでだいぶんはっきりしてきました。


横道ついでに、 投稿者:三吉  投稿日: 6月18日(火)23時16分50秒

CHINCHINさんのお考えでは、時代状況を踏まえて「概念」(労働価値)を
使用せよとのご指摘ですが、私はそういう厳密な思考をしていません。
労働価値という言葉を親鸞が知らなくても、私の理解するマルクス資本論
価値形態論からしますれば、労働の「価値」とは個別具体的な労働の
「使用価値」と抽象的な「交換価値」ですが、親鸞は、自分の個別具体的な
宗教行為を、「物品やお金」と等価だと思っていたのかということです。
ありていに言えば、「俺の宗教行為は自給何某の価値があるぜ」と
「俺が有難いお経読んでいるのに、なにこれだけしか払わんのか。。。安すぎる」と

直接の批判相手、つまり「悪者」が、坊主丸儲けの金満住職ですので、
皆様の視点は、「再配分」を巡っての妥当性に関心がいかれている様に感じるの
ですが、私の注目している点は、そこをずらしての、「元々、誰がどういう感情で
金出しているねん」という点です。
Genkoさん的に「固有の経験に立脚」してということあれば、
私がなぜそういう感情を持ってしまうかといえば、
「一労働者」からというより、お気楽学生アルバイトとはいえ、本山で
アルバイト料を貰っていました時、「本山参り」に孫子にささえられ、
如何にも、ここにきたかったという情熱、歓喜、存在自体が念仏と申しましょうか。。。そんな御門徒さまがたを拝見して。。
この人たちのお布施の何某が私のアルバイト料になっているのだと、実感させ
られ、身震いし、立ち尽くした経験が語らしているかもしれんですね。


なりません。 投稿者:三吉  投稿日: 6月18日(火)23時15分29秒

天邪鬼な私が、他人様に自分の感想を整理されて、
「うん。そうです」と言うわけないじゃないですか。

私にとっては「住職であれ、役僧であれ、お坊さんである」
私からすると宗教行為で収入を得ている「お坊さんは労働者ではない」

私の感想のテーマは、「在家の私」からはどう見えるかです。

それと、直接にはCHINCHINさんの議論に反応したのではなく、
我苦生さん、KONEGIさん、ぐっちんさんの一部のカキコに反応
しています。

私は あほですので、「GenkoさんVS CHINCHINさん」
「GenkoさんVSぐっちんさん」のカキコの
いわんとしていることは、難解すぎて理解できていません。


それならば・・・(ぐっちんさんへ) 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)22時34分46秒

>Genkoさんが何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。

わかりました。それでは、次のたった三つの私の「問い」に答えて下さい。
いずれも簡潔で結構です。
(ただし私はここで、一般的な「定義」を尋ねているわけではありません。)

1)ぐっちんさんにとって、<国家>とは何ですか?
2)ぐっちんさんにとって、<資本主義>とはなんですか?
3)ぐっちんさんにとって、<宗教>とはなんですか?


えー?(ぐっちんさんへ) 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)22時26分19秒

>『資本論』難しいし、今は興味がありません。それこそ、『資本論』を学ぶことそれ自体に
>わたしはエロスを感じませんし。。。

そうすると、たとえばぐっちんさんの次の、

><国家>が消滅しようが、<資本主義>が撤廃されようが、<実存>の問題は残る。

という一見サルトル的な言辞は、どういうお立場から発せられているのでしょうか? 
たとえばここで<資本主義>という言葉が思わず使用されていますが、
そのぐっちんさん的意義は?
あるいは今までの、政治的/社会的意匠をかぶったさまざまな批判的発言の数々は、
どういう主体的な<責任原則>に基づいていていたのでしょうか。
というか、あなた自身は(ことばの背後で)何処にいるのでしょうか?
何であれ「発言」というのは、己れの「スタンス」を明らかにすることに他ならないからです。
まさかあれらは悉く、無責任な冗談だったとでも?


補足 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)22時11分19秒

私にしてみれば、ぐっちんさんが「マルクスの<追随者>」と表現されている一群の人々が、
すなわち「マルクス主義者」の謂です。
私はほとんどの「マルクス主義者」は、もうお呼びでないし、
今日では<批判的乗越え>としての反面教師以外に学ぶべきことは何もないと思うのです。
だから「マルクス」の思想は全部駄目なんだということには決してならんでしょう。
それだったら、世の中の古典や思想的遺産は、全部駄目になってしまうじゃありませんか。


>Genkoさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)22時08分16秒

 『資本論』難しいし、今は興味がありません。それこそ、『資本論』を学ぶことそれ自体に
わたしはエロスを感じませんし。。。それより『教行信証を読み解く』から触発されて今は
『教行信証』そのものに学ぼうとしているので。。。

 Genkoさんが何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。


ぐっちんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)22時02分57秒

>これはGenkoさんがまったく「資本論」がわかってないとおっしゃってた見田宗介の論文
>から大いに学んだ点です。

見田論文から学ぶのではなく、「資本論」のテクスト自体から学ぶ(=内在的に読む)ことを
どうしてやらないのでしょう?
見田がそういったから、それを鵜呑みにする根拠は何ですか?
私なぞは、あの人がこういったから、ということを「又聞き」と言って、
にわかには信用しませんが。                         


サヨク〜ポストモダン総括 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)21時44分17秒

 まあ、絶対理想主義、純粋倫理主義、無責任反権力主義だとラベリングしておくだけでよいで
しょう。

 マルクスの追随者には、ホッブズ・ロック・ルソー・カント・ヘーゲルなどが考えていた、
不特定多数の人々との関係においてトラブルを処理しつつ、共存するための「ルール」という
観点がすっぽり抜け落ちてしまった。これは、まずいことではないでしょうか。押し付けられた
ルールを絶対と考える必要はないのですが、ルールを有名無実化する必要はありません。
これはGenkoさんがまったく「資本論」がわかってないとおっしゃってた見田宗介の論文
から大いに学んだ点です。
                         『社会構想の社会学』岩波書店 所収

 <国家>が消滅しようが、<資本主義>が撤廃されようが、<実存>の問題は残る。大好き
だった異性に振られる。妻が自殺する。(ぐっちんの問題です)このような問題群に<構造>は
まったく歯が立ちません。遠藤誠さんが実に「釈迦マル主義」とおっしゃった所以です。

 人間の欲望は「幻想性」を帯びている。動物的生と人間的欲望は違う。こういう視点を教えて
もらったのは栗本慎一郎の『幻想としての経済』であり、佐伯啓思の『欲望と資本主義』でした。
欲望論を去年の過去ログでちょこっと論じておりました。 


??? 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)21時39分07秒

それで、なんかどっかの解説本みたいな「マルクス/エンゲルス」観を整理して、
どうなるというわけですか?
私なぞは、たとえばヘーゲルの著作にしても然り、マルクスの『資本論』にしても然りですが、
そんな文脈からはほど遠いところで、いまだに汲み取るものは多いと考えるものです。
一切の先入観や偏見を排したところで、かつてアルチュセールがやったように、
今一度、虚心坦懐にその「内在的な<読み>」を試みてみることをおすすめします。
<テクストの解読>というのは、聞法と同じで、それ自体が政治行為ではありません。


ガハハハ。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)21時29分15秒

 お坊さんは、あんまりこんな話しはお聴聞されてないと思うけど。。。だからGenkoさん
が坊主にも社会科学的視点を!とかわざわざいわれるわけであって。。。じゃあ、書かない。


ヘーゲル法哲学批判序説 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)21時22分03秒

 そこへ、マルクス噛みついた。そもそも国家は人民の普遍的利益など実現せず、支配者の
利益を普遍的利益といいつのって実現しようとするだけだ、と。

 ヘーゲルの<精神>や<自己意識>などという抽象的なカテゴリーを歴史の<主体>などと
語ることが<現実>を隠蔽するんだ!マルクスとエンゲルスがそれに代えて据えたのが「パン
の問題」でありました。生活手段(衣・食・住)の生産と、複数の諸個人の協働、つまり
「生産と交通の様式」から歴史を考察することへ、でありました。


ですから(ぐっちんさんへ) 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)21時17分42秒

思想史や哲学史の「教科書」風に、いわば外在的に総括するのではなく、
(そんなこと本を読めば書いてありますから、必要ありません。)
内在的に(=語り手の固有性にてらして)批判して下さい。
ぐっちんさんのヘーゲルやマルクス批判は、己れの生の「固有の<現実>」に、
何も生かされていないではありませんか。


マルクスの可能性と限界性 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)21時11分06秒

 長くなりそうやね。。。マルクスの前にヘーゲルあり。ヘーゲルの前に市民社会を用意した
哲学者たちがいました。ジョン・ロックが人権について語り、ジャン・ジャック・ルソーが民主
主義について語り、イマヌュエル・カントが意志の自律について語りました。

 そんな中、ヘーゲルの耳にフランス革命の知らせが届いたのでありました。社会制度とは、人
々の普遍的利益・一般的意志を実現するためにあるのだ、という確信がヘーゲルにも感じられた
のでありましょう。そして彼は、人類の歴史を「精神が自由を実現していく」ものとみなしたの
でした。

 ヘーゲルの『法哲学』で社会制度は、@家族A市民社会B国家に大きく分類されてます。
家族とは、愛による一体性の領域、<いっしょにいること>自体が自己目的であるような関係の
場であります。市民社会とは、他者関係が契約関係である経済的活動の領域であります。しかし
この市民社会とは、私的利益を実現する領域であるから貧富の差などが生じる。

 そこで、この<個>と<類>の矛盾を和解させ、人倫性を実現させる装置が国家なのだと。。。


同じく 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)21時04分44秒

>フロイト主義が、人々の精神的・<実存>的な諸問題をエディプス状況の通過の
>仕方の失敗に還元するのと同じように。。。

これにしても、フランクフルト学派以後、とくにラカン以後、批判され尽くされ、
誰も問題にしていない程です。
私なぞは以前から、固有名の冠つきの「主義」は、一切相手にしないのです。
私たちは、ですから、「○○主義」について教科書的に語るのではなく、
アルチュセール以後の「マルクス」、ラカン以後の「フロイト」を、お互いの
固有の経験と生の現場に立脚しながら、<内在的かつ批判的に>議論しようではありませんか。


↓しかり 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)20時58分47秒

あれ? ちょっとカキコ失敗しました。
続けて言いたかったことは、
>マルクス主義は人々が抱え込んでしまうあらゆる問題を社会<構造>の問題に還元し、
>社会変革を唯一の倫理として立てる傾向にありました。
といわれる「マルクス主義」なんて、私も含めて今日誰も問題にしていないことです。
とくにサルトル以後、アルチュセール以後は、
完全に批判しつくされ、凌駕されてきています。
 


これも 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)20時55分31秒

>マルクス主義は人々が抱え込んでしまうあらゆる問題を社会<構造>の問題に還元し、
>社会変革を唯一の倫理として立てる傾向にありました。

 


おっしゃるとおりです。 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)20時54分15秒

ぐっちんさんの、

>いまやわたしたちは、絶対的な「正義」の観念によるのではなくて、
>個々の矛盾や非合理を変えていくような、
>新しい社会倫理のかたちを切実に必要としているのである。

という竹田青嗣氏からの引用にありますように、私たちは、
「変革するまで徹底的に闘う」ことを留保してまで、
「問題の背後にある<国家>や<天皇制>や<資本主義>といったより根本的な制度の矛盾」
のありようを徹底的に掘り下げ、豊かに議論の対象に据え、誰しもが、
とことん認識しつくすことによってどこまでも<相対化>していこうではありませんか。
さもなくば、彼の言う「新しい社会倫理のかたち」なぞ、到底望むべくもありませんよね。


純粋倫理主義について 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)20時46分15秒

 マルクス主義は人々が抱え込んでしまうあらゆる問題を社会<構造>の問題に還元し、
社会変革を唯一の倫理として立てる傾向にありました。

 ちょうどフロイト主義が、人々の精神的・<実存>的な諸問題をエディプス状況の通過の
仕方の失敗に還元するのと同じように。。。


踏絵さん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)20時42分45秒

 世の中にはメチャクチャなこと非合理なことが多く存在するが、矛盾のまったくない社会を
望めるわけではないことは誰もが知っている。しかし、ある種の事件は、人々をしてこんなこ
とが放置されるならまじめな生活の努力なんて無意味だ、という気分にさせることがある。

 人が世の中の矛盾や非合理にぶつかったとき、なるようにしかならないと諦めるか、それと
も問題の背後にある<国家>や<天皇制>や<資本主義>といったより根本的な制度の矛盾を
変革するまで徹底的に闘うべきだ、というこのどちらかの道しかないのだろうか。

 そんなことは、もちろんない。いまやわたしたちは、絶対的な「正義」の観念によるのでは
なくて、個々の矛盾や非合理を変えていくような、新しい社会倫理のかたちを切実に必要とし
ているのである。                  
                                   竹田青嗣


クルアーンに学ぶ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)20時33分22秒

 宗教には強制があってはならない。      雌牛章 256節

 まあ、ぐっちんの平和運動は、彼の地の宗教や習慣を学び、人々の考え方や感じ方の根底に
流れてるものを掘り当ててみようと。。。実にささやかな運動。。。


らくりんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)20時20分50秒


>Genkoさんからの提起は、
>得度はしたけど、それを職業とはしないという立場から、
>「労働者の雇用問題としては全面的に賛同・支持するが、
>〈仏教徒/真宗門徒として〉ということを根拠としてこの問題への
>共感を求められる」ことへの違和感が基調になっているように思います。
>つまり、「坊さん相手にそんなことを言うのは、お門が違うよ」と。

う〜む。少しく主題的視座が違うのですが、これも確かに私の問題提起の一端ではあります。
私はむしろ、CHINCHINさんらに、
取り組んでおられる「問い」の立て方自体の「抜本的見直し」を迫っているわけでありまして、
今日の「ヤクソウ」問題を「待遇問題/労働契約違反」に限定して陣地戦を闘ってみても、
<敵>の方は「手の内を全部見抜いている」ので、(万が一「要求が勝ち取られても」)
「勝利」が同時に「敗北」(=取り込み)を意味してしまうから、
永遠の堂々巡りになりかねない(=<近代>の反復)と主張しているのです。
ヘーゲルは昔、これを「<主>と<奴>の弁証法」と銘々致しました。
<主>が<奴>なくして存在出来ない以上、<奴>がその<主>に対して、
生存を賭した命懸けの闘争の末にようやく勝利して獲得できるものとは、やはり、
新たな<奴>なくして己れの存在が担保されない<主>という座に過ぎない、というわけです。

それに対して、私が力点を置いて示唆したかったのは、
まずこのことの限界性を十二分に認識しつつ、この陣地戦を現場において戦い抜き、
しかも同時に「こうした「<近代>的アポリア」に陥ることなく、
軸足を<非-近代>に立脚した上で、改めて「問いを立て直す」という、
「もうひとつの複眼的視角」を備えることだったのでした。

かつて若かりし頃に、CHINCHINさんらと同じ陣地戦を戦ったのに、
老いてからは、結局何処かの比較的上位寺に「住職」として鎮座ましましている、
一定尊敬しつつもがっかりせざるを得ない、少数の「今は昔」の元ヤクソウを、
私は結構見てきているからです。


キタ新地の帝王 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)20時11分35秒

 ♪アミダ経を聞く度に 目に浮かぶお通夜の席
  ピカピカの棺桶を離れ ひとりで訪れた歓楽街
  
  パパはここの帝王様 生き写しのようなわたし
  ママたちに囲まれて コドモながらに魅せられた歓楽街
 
  寺を継いだわたしが 売るのは読経だけで
  浄土を欲したときに 全てを失うだろう

(原詩 女に成ったあたしが 売るのは自分だけで
    同情を欲したときに 全てを失うだろう )

  JR新地駅の 南口を出たら 
  そこはわたしの庭 大社交場 キタ新地
 
  今夜からはこのまちで 息子のわたしが 帝王 

 (権名林檎 最新アルバム「ぼったくり冥利」所収)


法衣の奴隷 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月18日(火)20時00分56秒

 ♪院主と逢った その日から
  法衣の奴隷と 化しました
  右といわれりゃ 右寄って
  とても 仕合わせ
  だからずっと 寺に置いてね
  <運動>しないから
  休む時は どうぞぶってね
  寺族好みの 寺族好みの
  在家でありたい

 (みうらじゅんプロデュース 「コケティッシュ・ダイナマイト」奥村チヨより)


こんにちわ 投稿者:miffy  投稿日: 6月18日(火)15時47分04秒

Genkoさん「
東京で一花も二花も咲かせてくださいね!


私なりの受け止めの整理 投稿者:らくりん  投稿日: 6月18日(火)10時59分33秒

CHINCHINさんの「ヤクソウ」の待遇問題/労働契約違反についての
問題提起に対して
Genkoさんと三吉さんからある種の違和感が提起されているわけですが
ずっとROMしてきて感じたことを整理してみたいと思います。

CHINCHINさんは、
「ヤクソウ」問題は、教団の中における雇用関係、契約(約束)の不履行という
一労働者の身の上に起こった問題だという提起であろうかと思います。
そして包括法人である教団(同業者組合)は改善命令を出すなど、
何らかの措置を講ずる必要/責任がある、と。
そして、教団の構成員(同業の経営者・労働者)もそれについては一定の責任が
あるから、それなりの理解や支持があってもいいのではないか。

Genkoさんからの提起は、
得度はしたけど、それを職業とはしないという立場から、
「労働者の雇用問題としては全面的に賛同・支持するが、
〈仏教徒/真宗門徒として〉ということを根拠としてこの問題への
共感を求められる」ことへの違和感が基調になっているように思います。
つまり、「坊さん相手にそんなことを言うのは、お門が違うよ」と。

三吉さんからの提起は、
親鸞には相当な関心があるけど、
教団や自らの信仰としての真宗とは一線を画そうとしているの立場から、
「〈ヤクソウ〉問題を、労働者一般の問題に還元して考えることは筋違い」
つまり、真宗門徒でも坊主でもない「一介」のサラリーマンに、
「〈ヤクソウ〉問題に、一労働者としての共感や支持を訴えられても、
そう簡単に賛同はいたしかねる」ということになるか、
と私は聞いているのですが、
お三方に確認したいのですが、
おおむねこのような受け止め方で、的を射ていることになるのでしょうか?



第二に 投稿者:三吉  投稿日: 6月18日(火)07時58分05秒

第二に、私が「役僧=労働者」に違和感を覚えるのは、「僧は自分の生活のために働かない
もの」で、在家の布施は「僧の労働の対価」としてそもそも支払われたものではないとい
う認識に立っているからですね。
僧の宗教活動は労働(生活のための賃労働)ではない、と私は思っています。
「僧の労働価値」以上の布施があったり、以下の布施があったりしても、気持ちの問題だ
から、それはありうると思っています。
ぐっちんさんは月400万集金したと言われてましたが、それはぐっちんさんの「労働価値」
の対価なのでしょうかね。葬儀の時にお寺さんに100万円出される在家の方は、「宗教的な
理由」からされているのであって、お寺さんの「労働価値」に払っているのではないと私
は思います。
現在の雇用関係は門徒さんに委託された住職が個人的に雇っているという形態を取ってる
のでわかりにくいですが、より本質的には住職も役僧もご門徒さんに「委託」されている
のですね。ご門徒さんに、直接、私は「労働者」だから、「労働者」としての当然のこと
をせよ。生活の保障をせよ、というのが、当然のありかたとは私は思えない。

役僧(小規模寺院の雇われ坊主)の問題がそもそもおかしくなるのは、その寺院の住職に雇
われるからじゃないでしょうかね。役僧が寺に必要ならば、門徒さんが直接委託する。
門徒さんを味方にする。直接つながる。
在家の賛同えられへんかったら。。住職が既得権益捨てないで、たぶん。
ただし、門徒さんから、役僧として委託されるということは、やっぱり、その寺を護持し
ていくということやと思うで。
雇われ労働者意識はやはり捨てんと。。。


第一に 投稿者:三吉  投稿日: 6月18日(火)07時57分16秒

第一に思うのは、単に「労働者」ならば、ペイが少なくとも、最低賃金クリアしていれ
ば、法的には問題ない。社会保険の有無は確か被雇用者数人以上に義務づけられていて、
それ以下はなくとも雇い主の考え方如何で、法には抵触しない。
労働条件が悪くても、そこで働かざるえないのは、他にいい条件が見当たらないからであ
ろうし、需要と供給のバランスなのではないかと。
単に労働者ならば、「当初の条件と違うのに、抗議もせず法的措置もとらず、愚痴をいい
ながら、働く」のは私にはわからないし、「無給で働く」のもしかり。。そのことは、逆
に労働者以上の「宗教的」な意味合いがあるからではないかと私は感じます。貴方のパー
トナーさんが、一般の労働者にもかかわらず「無給」で労働して、貴方が生活を支えなあ
かんとしたら、許せますか。


どうもです 投稿者:三吉  投稿日: 6月18日(火)07時56分30秒

<役僧を労働者として認めないって、どういう事なのか>

労働基準監督署は取り合ってくれなかったとのことだが、例えば裁判所は

「元信者による未払い賃金請求事件
 松山地裁今治支部平成8年3月14日判決 (労働法律旬報1386号
62頁、本判決の解説については同1386号18頁)
 仏教系宗教団体の元信者が、以前勤めていた従業員2〜3人の小規模
寺院に、時間外及び深夜労働に対する賃金を請求した事案について、
被告寺院の宗教上の奉仕だとの主張を排し、「労基法の適用の可否を検
討するに際し、個々人の内心の意思(宗教的な信念)を詮索した結果
によって判断することは、かえって宗教尊重の精神に反すると解され
るところであるから、外形的、客観的な事情の有無によって判断する
のが相応である」とし、当該事案において信者の労働者性を認め、未
払い賃金の支払いを命じた事例」

裁判になれば「宗教的な奉仕」は判断停止されて、「労働者性」を認めるのですね、
この国では。
一般論として「雇われ人」の「労働者性」はあるのですね。
ここの掲示板でも「労働者性」に疑義を書き込んでいるのは私だけで小数意見ですね。
CHINCHIN さんは、「労働者性」を<紛れも無い「事実」>といわれてますね。
住職が、役僧の「労働価値」を認めているからこそ、雇用しているという現実があるとい
うことでしょう。


ぐっちんさんへ(質問) 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)04時29分51秒

<近代>は、思想史的文脈では、要するに「脱・宗教」とほぼイコールなのですが、
その同じ<近代>から担保され、擬似的にもせよ「後追い」してきた私達の<宗教>とは、
一体何なのでしょうか?


武田泰淳に寄せて 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)04時13分13秒

武田泰淳の一連の「仏教もの」の系譜に属する小説群の奥に流れるテーマの一つに、
「僧侶にもともと(近代的な意味での)<人権>があるのか」という、実に微妙な、
しかしとてつもなく難しい問題が潜んでいるように思います。
このことは、彼の小説に当初からあった、「そもそも人間に<人権>なんてものが、
あり得るのか」という、これまた追求し出すと「タマネギの皮剥ぎ」みたいな、
それこそ「<近代>のアポリア」が根底的に顔を出します。
彼自身が本来浄土系の寺族の息子でしたし、若い頃に「得度」を受けていますから、
他人事ではないわけです。
なのに何故に彼は、生涯にわたり「職業僧」を選択できなかったのか?
ここには、恐らく、謂うところの「<近代>の虚構」に纏わる問題性と同時に、
代々上位寺にあって、教団の表裏をつぶさに観察せざるを得なかった彼の出自以外に、
人間が(阿弥陀仏や正義の観念などの)「超越的なもの」に接するときの、
彼の「自己倫理性」への突き詰め方において、大きくクローズアップされてきます。
『獣の徽章』に始まって『異形の者』から晩年の未完の大作『快楽』へと至る作品系列に、
現代の仏教者のみならず、近代以後の「宗教人」が背負わされた宿命的な刻印を、
私達は決して見逃すわけにはいかないでしょう。


ぐっちんさんへ(U) 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)03時39分20秒

>小林よしのりの『脱・正議論』の問題提起はマコトに面白かった。小林と考えを一にするん
>じゃないけど、感覚はわかる。何か具体的な問題を解決しようと運動に乗り出すと、どこから
>ともなく支持者が集まる。ほんで、何か知らんけどどうもその問題を切実に考えたこともなさ
>そうな党派的おっさんが支持者に混じりだし、勝手に運動の進め方やら、目標なんかを吹き込
>んで下さる。

このことは、当の小林よしのり自身についても、全く同じことが言えるわけですよね。
『ゴーマニズム宣言』以降、全国多数の熱烈なファンを含め、
彼の周辺に文化人やら知識人とやらがワンサと参集しましたからね。
で、一時などは、そのブームに乗って、某電通大哲学教授とかと組んで、
「新しい教科書をつくる会」などと称する「運動」を起こしたのでしたね。
 


ぐっちんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月18日(火)02時57分37秒

>ぐっちんは、<近代>の中にはさまざまな<擬似宗教>が潜んでい
>てそれを批判できる原理が<浄土>である、と思ってるのです。

って、そのセリフは、ある種私のではありませんか?
私は、これまでのCHINCHINさんとの議論の過程で、
<非-近代>の可能性という言葉で、そのことをさかんに示唆しているわけです。
ただ、ぐっちんさんのは「始めに結論ありき」で、それにしては、
その近代以後の形態である「<国家>と<資本>に担保」された<宗教>と、
それを「担保している<国家>と<資本>」との歴史的<関係>を考察しようとせず、
一貫して回避しているではありませんか。
これでは、ぐっちんさんの「結論」は、表向きは一致していても、
内実は180度逆の意味となりますね。
何故かというと、「擬似宗教」ならぬものが、何の根拠もなく、
この<近代>の中に(所与のものとして)「存在する」かのごとく聞こえるからです。


>ネット古本探し  投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月18日(火)00時36分10秒

こんな便利なんだァ〜って、私のIT度がわかりますね。
らくりんさん、有難うございます。


結局何もできません 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)23時33分35秒

>いづれも、何を願って動こうとするのかの原点をハッキリさせなきゃね。
>いろいろ細部が違ってても共通の課題を解決しようとする。自分が限定を
>持っていることを自覚しながら。。。

そうですねえ、原点がはっきりしてないと「共に歩む」なんてできないですもんね。
「もっと大きな問題と闘う」なんていいながら、大抵の運動で党派によって分裂し、結局ほとんど自分達の具体的主張を実現しえなかった戦後の革新系運動には学ぶものが多いです。
そういえば、ぐっちんさんがよくいう「小さなことからコツコツと」というののパロディーで
「大きなことはできません、小さなこともできません、結局何もできません」
ってゆうのありましたね〜
そんなつまらんことは時間かけてしたくないです。


依存 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)23時20分15秒

 って問題です。守ってあげよう。。。なんて余計なお世話が自分の生きがい。
教えてあげよう。。。って押し付けがましい人ほど、自分に<自信>自らへの信がないんじゃ
なかろうか。。。


恋愛における顛倒 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)23時17分04秒

 君はボクがいなきゃダメになるぅー。。。。といって女の子に近づいていった人を何人か
お見かけしましたが(って自分もや。。。)あれは、どーかなー。

 ボクがいなきゃ、みちゃいられんというキミがいなきゃ、自分がダメになるんやろうな。。。


軸のブレ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)23時03分26秒

 らくりんさんの書かれた本で大きな示唆を得ました。三願回転入のところ。アミダとの関係が
はっきりしたら、軸がぶれない。そこがハッキリすれば、逆にどんな人とも出会える。自分の足
場が決まったら、遠出もできる。

 相手を無理やり同じ考えにしなくてもいい。相手から学ぶことがナンボでもあります。自分を
取り込もうとされる方があれば、やんわり断ります。ぐっちんは、やっぱユーモアで闘いますけど。それで、わからんやつには、しゃあないからハッキリ言いますけど。

 いづれも、何を願って動こうとするのかの原点をハッキリさせなきゃね。いろいろ細部が違っ
てても共通の課題を解決しようとする。自分が限定を持っていることを自覚しながら。。。


ネット古本探し 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)22時54分03秒

CHINCHINさん、
こういうところ ↓ でも探せますよ。

http://www.kosho.or.jp/


ありますなァ 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)22時52分41秒

使命感の強いまじめな人ほど陥りやすい罠ですね。
こんなん(党派の問題)をどう克服していったらいいのか、ぐっちんさんに考えはありますか?


どこでもある 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)22時48分50秒

 ビハーラに取り組み病院にいった坊さんの中で、教義を押し付けようとしてる人もいる。
で、「やっぱ、あかんわ。成果でん」というカタチで引く人がいる。まったくわかっちゃいない
人だ。


らくりんさん 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)22時43分25秒

ありがとうございます。
古本屋さんに行ってさがしてみます。


『教行信証』の原文 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)22時30分27秒

>『読み解く』と平行して読んでいくのに著者としておすすめの『教行証』の原文の書物
『親鸞の教行信証を読み解く』の『教行信証』原文の引用には
東本願寺版の『真宗聖典』と、岩波書店の「日本思想大系11」(または「原典日本仏教
の思想6」)の『親鸞』のページ数が併記してありますので、
どちらかをお求めいただければなんとかなると思います。

「原典日本仏教の思想」というのは「日本思想大系」のシリーズ中の仏教関係の
ものを焼き直したものです。少し値段が高くなっていますが、
内容は基本的には同じものではないかと思います。
思想大系は絶版になっていますが古本屋さんをさがせば2000円ぐらいで
見つかるかもしれません


やばっ!! 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)22時22分32秒

伏字だらけの危険文書ですが、よく理解できました。
運動の党利党略への利用ですね。なるへそ。
気をつけないと・・・・


危険文書 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)22時19分25秒

 ぐ●っち●●●んが●日●本共●●産●党●で働く●●●●よう●になったの●●はそもそも
夜●間大学●で学習環境の改●●善を求め●●●●て自治会●に入っ●●たところ民●●青が牛
耳●ってた関係●●でしゃあな●●●かったから●です。

 ●●で、核廃●●絶の署●名の名簿を党活●●●動につかった●り目に余る●●●●行為を目
の当●●たり●●にした●●●●からです。 


ありがとうございます 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)22時05分03秒

ぐっちんさん、また探して楽しませてもらいます。

で、党派の話ですが、ぐっちんさんはかつて某党派におられましたよね?
それがなんで↓のカキコみたいなお考えになったのか?よかったら教えてください。


>CHINCHINさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)21時58分17秒

 え〜と、井川遥は売れすぎてちょっとダメなんで月9はTV見てません。さんま・キムタクも
いまいち。何のハナシでした?あ、替え歌メドレーですね。え〜放送禁止歌が多いんですよ、
ぐっちん作には。。。

 今年の三月くらいには政治モノをいっぱいつくりましたので、過去ログをご覧あれ。松山千春
の『季節の中で』のパロディー『疑惑の中で』。ムネオと清美のゴタゴタを山本議員とからめた『みちゆき二人旅』。加藤紘一のふるさと山形を舞台にした『誰かさんと誰かさんがサクランボ畑』、未発表曲さとう宗幸のパロディー、かとう獄行き『永田町乞いウタ』等々。。。。


ぐっちんさんへ 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)21時42分44秒

党派の問題は、いろんな運動体をみても深刻ですね。
せっかくその問題について考えようとする人々が集まってきたのに、党派に分裂する。なんとかならんか?といつも思うのですが、それぞれに「ボス」がいて、セクト主義に堕していく。本来の課題を忘れ、党派間の争いが主となってしまったり。
党派をつくって争う・・・悲しい人間のサガでしょうか?
いろいろやってると、色んな党派からお誘いがかかりますが、私は政治的党派に属することはしたくないです。


人間の企てる運動 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)21時30分12秒

 大っキライ!!むかし、高橋和巳って文学者がいました。『わが解体』っていう本持ってたん
ですけど。河出文庫から出版されてた。我が買いたい。でも買わんでエエ文庫っていわれるから。。。

 ええと、そんなことはどうでもええ。高橋の代表作は『憂鬱なる党派』だったかな?ぐっちん
もホンマ党派はキライだ!反戦・反核運動も党派の党略エゴが顔を出す。原水禁と原水協に運動
が分裂する。部落解放同盟と全解連とか。。。

 小林よしのりの『脱・正議論』の問題提起はマコトに面白かった。小林と考えを一にするん
じゃないけど、感覚はわかる。何か具体的な問題を解決しようと運動に乗り出すと、どこから
ともなく支持者が集まる。ほんで、何か知らんけどどうもその問題を切実に考えたこともなさ
そうな党派的おっさんが支持者に混じりだし、勝手に運動の進め方やら、目標なんかを吹き込
んで下さる。

 「もっと大きなもんと闘わんとダメや」とかなんとか。。。鬱陶しい。非常にうっとうしい。
人様の問題に口出すくらいなら自分の問題をもっと突き詰めて考えろ!っていいたい。で、勝手
に代表者ヅラして運動をお持ち帰りし、自分の成果にする。ああ、ユーウツなるトーハ!


私のお楽しみ 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)21時20分55秒

>ぐっちんさん

このごろ週一か二以上のペースでいろんなトコでよく会いますね。
さて、最近替え歌がないのでちょっと淋しいです。
次作を楽しみにしております。

>らくりんさん

来月の京都での行事でお会いできないとつれあいから聞き、残念です。
小生意気男とうっかりあわて者女の夫婦ですが今後ともよろしくお願いします。
ところで、『読み解く』のテキストは大谷派聖典ですか?私の手元にある『教行証』はみな底本が西本願寺本でして、内容が多少異なっています。あの底本は坂東本ですよね?よかったら、漢文のもので左訓も載っていて、『読み解く』と平行して読んでいくのに著者としておすすめの『教行証』の原文の書物があれば教えていただけないでしょうか?


それから 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)20時52分10秒

>Genkoさん

Genkoさんの私へのカキコまでやっと読みすすめられました。二日も見ないと大変ですね。
さて、浄土のことは下記のぐっちんさんのカキコですでにふれられているので、だぶってしまいますが、その「批判」という浄土の<機能>によって、私だけの視点では得るはずのなかった批判性を獲得し、その歩みを進めてゆくことが楽しみです。その浄土の具体的形相は言葉であらわすことは避けます。その必要さえないからです。
なぜ、真仏土は光明なのか?この点をお考えいただければ、わたしが具体化を避ける理由がご理解いただけると思います。
あと、個人的な連絡で恐縮ですが、新住所連絡してください。郵送物がたまっていますので・・


フカキョンドラマ主題歌 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)20時51分42秒

 どうして同じようなパンチ
 何度もくらっちゃうんだ
 それでもまた戦うんだろう
 それが命の不思議

 もっと肩の力抜いて
 過去はどこかにしまっておけ
 ここからそう遠くないだろう
 観たこともない景色

 止まらない胸の痛み超えて
 もっと君に近づきたいよ
 一周りしては戻り
 青い空をずっと手探り

 (宇多田ヒカル「SAKURAドロップス」)


まずは訂正 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)20時43分38秒

私の「問題の所在」という投稿で

>しかしながら、現在の<ヤクソウ>が<労働価値>にもとづいて、
><賃金>が支給されるこいうシステムになっている

とあるのは

>しかしながら、現在の<ヤクソウ>が<労働価値>にもとづいて、
><賃金>が支給されるというシステムになっている

の誤りですので訂正いたします。


長すぎたか。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)20時35分00秒

 同志社大学の神学部の森孝一せんせは面白い。
適当にお楽しみください。

http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kmori/mori.nsf/504ca249c786e20f85256284006da7ab?OpenView


開けてビックリ。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月17日(月)20時30分13秒

 >Genkoさんへ

 >もともと前近代的なものであった<宗教>が、擬似的に<近代化>を図り、その内部で
 >更なる<近代化>を推し進めてみても、それは<宗教性>からはますます遠ざかるばか
 >りではないか

 といわれるのですが。。。ぐっちんは、<近代>の中にはさまざまな<擬似宗教>が潜んでい
てそれを批判できる原理が<浄土>である、と思ってるのです。ですから、貨幣議論でも前近代
が透かし見えるような説をご紹介しました。あるいは、去年の過去ログでアメリカにおける「見
えざる宗教」を紹介しておきました。

http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kmori/mori.nsf/504ca249c786e20f85256284006da7ab/f4c706e13f3321e3492566b300346fc1?OpenDocument

 パンドラの箱、玉手箱をあけてしまってブラックボックスのからくりを知ったとしても、
なお人々は、宗教心といえるものを求めるだろうか?求めるに足るものであれば近代化を推し
進めたところでひとびとは、それを求めるだろう、というのがぐっちんの直感です。 

http://www.honya.co.jp/contents/knomura/lec/lec59.html


らくりんさん 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月17日(月)18時52分13秒

ご理解いただき、ありがとうございます。
今後は十分、気を付けます。


KONEGIさん へ 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)15時55分28秒

わざとでないことはわかってますよ。


らくりんさんへ 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月17日(月)15時18分30秒

わかりました。
ご迷惑をおかけして、申し訳ないです。
わざとではないのですが、本当にごめんなさい。


削除依頼へのレス 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)14時41分06秒

KONEGIさん
>ごめんなさい。私のあいさつ文はけしてください。
こういう場合(実名や、個人情報が書き込みされた場合)
私は、書かれた方の意向を優先しています。つまり今の場合は私自身ですが、

私は、今回の件につきましては
残して何が起こったのかを知っていただきたいと思いますし、
この掲示板がどのような考え方をする人間が運営しているのかを
知っていただく意味でも、消さないことにします。


問題の所在 投稿者:CHINCHIN  投稿日: 6月17日(月)13時17分10秒

<ヤクソウ>問題の根本は、「近代資本主義的枠組みにおいて」、時として国家・教団・寺院から<ヤクソウ>が「殺される」ということです。
愛人問題の可否などではありません。そのような問題は今の主題から大いにずれています。
また、釈尊や親鸞の時代をそのまま当てはめて議論するのは、歴史社会を無視した暴論です。親鸞自身も、ただ、釈尊の生活をまねたのではなく、親鸞のおかれた歴史的社会的諸条件のもとで、いかに仏道を実践し、それを弾圧するものといかに向かい合うか、ということを課題としながら、その時代のなかで「無戒名字の比丘」として生きたのです。

三吉さんは出家・在家の定義を
>出家とは、自分の生活のために、働かない人々のこと
>在家とは、自分の生活のために、働く人々のこと。
とされていますが、これを別の言い方にすれば
>出家とは、不労所得で生きている人のこと
>在家とは、勤労所得で生きている人のこと
となります。どのような人、それはお釈迦様であっても、最低生きていくための所得は必要なのですから。
この定義によれば、近代社会では、<資本>を投入して発生した<剰余価値>によって、自らの<労働力>を売ることなく生活する人(資本家)は「出家者」ということになりますが?

また、
>親鸞は布施を受けるモノとして「生活のための労働」をどう思っていたのだろうか。
>法施ないし、「教人信」に、「労働価値」を見出してたのだろうか。。
とおっしゃいますが、この問いそのものに問題があり、私なりの答えは「そんなことありえない」
と言うしかないです。<労働価値>という概念は近代になってヨーロッパで興った古典経済学の<労働価値>説にもとづくものであって、13世紀の極東に生きた親鸞がそんな近代的概念を見出していたのであれば、これは稀有の経済学上の大発見でしょう。親鸞自身が、生活のために写経などをしたことは、ぐっちんさんもおっしゃるようにあったみたいですが。
しかしながら、現在の<ヤクソウ>が<労働価値>にもとづいて、<賃金>が支給されるこいうシステムになっているのは、紛れも無い「事実」です。<ヤクソウ>問題はこの「事実」から出発しているのです。
今、議論している<ヤクソウ>問題は近代特有の問題です。その問題を釈尊の時代や親鸞の時代と同じように考え、その時代の形態と異なっていることを指摘(Genkoさんがおっしゃるように<資本主義>が宗教に侵入しているという問題を無視して)するような視点では、一向に問題の所在が理解できないのは当然かも知れません。


ぐっちんさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月17日(月)12時28分09秒

>ヤクソウ問題は、我苦生さんやCHINCHINさんにとってヒリヒリする問題ですけど、
>Genkoさんには退屈そうです。

別に、退屈な主題などでは決してありませんよ。
当事者にとって「パンの問題」が極めて重要であることは、
これまで私が再三にわたり強調してきたことではありませんか。
ですから、我苦生さんにしても、CHINCHINさんにしても、理不尽な事態に対しては、
徹底的に闘うべしなのです。これが基本です。

ただ、私が何となく不協和音を奏でているように感じられるとすれば、
(職業としての)僧侶の場合は、産業労働者が同じ理不尽な目にあっているのと違って、
二重の自己矛盾に陥らざるを得ない宿命を担わされる覚悟がいるのでしょうね。
たとえば、「雇用契約が守られない」→「雇用契約が遵守される」というのは、
「職場の処遇が<近代的>に改善される」ことを意味しますが、歴史的には、
<近代化>というのは、本質的に<宗教からの脱却>を意味することでもあったわけです。
また、にもかかわらず近代以後の<宗教団体>は、<宗教法人>格を取得して、
擬似<近代化>を図って今日まで延命してきました。
もともと前近代的なものであった<宗教>が、擬似的に<近代化>を図り、
その内部で更なる<近代化>を推し進めてみても、
それは<宗教性>からはますます遠ざかるばかりではないか、というのが、
私の問題提起でもありました。

私がヤクソウを敬遠するのは、
かかる二重の自己矛盾に到底耐えられそうにないからです。


らくりんさん 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月17日(月)12時09分44秒

ごめんなさい。私のあいさつ文はけしてください。


昨日の続き〜役僧の妻の思い 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月17日(月)12時06分17秒

昨日の投稿分では、時間の経過がよく分らないと、夫から指摘を受けたので、ちょっと色々補足します。

まず、私がお寺さんから「お寺の事を教えてやる」と言われタダ働きしていた寺と、給料をくれない寺は違います。

だから、時間の経過がすこし違うのですが、私が朝から晩までタダ働きさせられていたお寺は、私は二年間(その間、私はタダ働き)、夫は四年間いました。そこのお寺が若に遊びに連れて行かれて、割り勘させられていたお寺です。

 で、結局そのお寺をは辞めざろう得ない状況になりました。辞めた理由は、私がタダ働きのことを、「もう勘弁して下さい」と言ったら、逆切れされて、辞めざろう得ない状況になってしまいました。「お寺に反抗した」という理由です。

 それから、四ヶ月間失業していて、その間は夫の托鉢と私が結婚前に持っていた貯金で食べていました。

 で、次のお寺に移ったのですが、ここも悪徳寺院でここは、給料がもらえないお寺でした。
なのに、愛人に百万円わたし、私学に通う子供がたくさんいる奇妙なところでした。
 そんな所なので、生活のために、私は一日九時間、二つのバイトを掛け持ちして、働き倒しました。一週間休みなしで、働いていました。その時、バイト先の友達がおごってくれて、飲み歩いていました。だから昨日、「飲み歩いていた」と記述したのは、他人のおごりだったのです。
 とうぜん、休み無しで一日九時間働いていたのに、生活が苦しいままなので、何度も夫にあたり散しました。夫は、給料がもらえないのに一日中車を運転していて、日によってはお昼ご飯を夜の九時に食べるという生活をしていました。
そこには結局、一年半ぐらい、いたと思います。

「他のお寺をさがしたら良かったのではないか」「夫は転職した方が良かったのではないか」という、指摘を受けると思います。
 
 まず、お寺の世界は役僧はお寺様のご機嫌を損ねてはいけないのです。ご機嫌を損ねたら、最後です。だから、悪徳の所だとりたい放題させられるのです。で、時としては嫌がらせを受け、次のお寺を見つける事ができなくなるのです。お寺は、お寺の言う事を信じますし、世間もいくら私が不当な事だと言っても分ってくれません。

お寺それから、転職の事ですが、仕事を探す時間すら無かったのです。
給料がもらえないので、給料をもらう為に、お寺の通う、住職がお参りにいかないのでお参りに行く、で、朝から晩までお参りに行く、で、給料がもらえない。それが続く・・。
そんな状況だったのです。

だから、死ぬ事ばかり考えていました。

やりたい放題されて、「お寺様」って一体何なのかと思っています。
お寺様は子供がいて、家族仲良く暮らしているのに、私達は二人は、全てを奪われて弱いもの同士けんかばかりしていて、二人とも死ぬ事ばかり考えている・・。

既得権益が欲しいとか、そういう問題じゃないのです。私は、金持ち寺院のような贅沢をしたいとは思わないのです。ただ、家族がある程度安心して暮らせる環境を、雇用者は考えなければいけないと思うのです。例えば、社会保険に入るとか・・。
金持ち寺は、住職のクラブ通いや愛人をやめたら入れると思います。あと、海外旅行と嫁さんの、浪費。

社会保険に入っているお寺の役僧さんは、「ここのお寺は、将来の事を心配しなくていいから安心だ」と言っていたのが印象に残ります。

 今日の社会状況では、悪徳寺院みたいな所も沢山あると言われそうですが、私達はお寺様のご機嫌を損ねてしまえば最後なのです。住職や坊守さんが「明日から来なくていい」と言ったら、それで、生活の全てを失ってしまうのです。

 この状況を抜け出す為に、入寺を考えた事もあります。
でも、僧侶の世界を数年間見つめてきて、全てに当てはまらないのですが、入寺した人々が別人の様になってしまうのを見ていると、「入寺」って何? と、思ってしまうのです。
何度も言いますが、これは私が知る限りの全てが全て、「入寺したら別人になる」ではありません。中には、違う人もいます。誤解しないで下さい。
 それに、私達在家の人間が入れるお寺は、兼業寺院で役僧に行かなければ、食べていけない所なのです。これが、現状です。だから、変成寺族しても一緒なのです。

 これは、愚痴ではありません。ただ、綱渡り的な生き方で、法的に保障されるべきなのに、法的に保障されず、下手をすれば明日から全てを失うのです。
子供がいる役僧の人、大変だと思います。特に、妻も僧侶の世界に詳しければ、余計に大変だと思います。では、また書き込みします。


KONEGIさんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月17日(月)12時04分26秒

>はじめまして、この掲示板はMankoさんから紹介されて、はじめて書き込みします。

このサイトへ、ようこそ。
なお、その「Manko」というのは、紹介元の私のHNでありまして、
ここでの私のHNは、「Genko]であります。
くれぐれも以後、ここでは「Genko」で御願い致します。


淡い黄色 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)11時14分13秒

>KONEGIさん
私の場合ハンドルネームはあってなきがごときものなんですが、
やっぱり、画面上にそのものズバリが出ると、
なんとなく気恥ずかしく
一瞬「えっ、それって誰」と しらばっくれたい気分になってしまいます。

私のことをご存じの方だということをお知らせ下さろうとする
メッセージなのかもしれませんが……

それに、
登場人物の統一性がはっきりする方がいいと思いますので、
一応ネット上では、当人が名乗っているハンドルネームをお互いに使っていく方が
混乱が少ないのではないかと思います。

ネットの上では、いわゆる「なりすまし」ということがしばしば行なわれます。
▽同じ人が複数の名前を使う
▽複数の人が同じ名前を使う(他人のハンドルネームを勝手に使う)
あるいは、「なりすまし」ではありませんが、
▽同じ人を別々の名前で呼ぶ(ハンドルネームを使っている人にざ実名で呼びかける)
単に「遊び」や「楽しみ」として行なわれる場合もありますが、
「いたずら」や「悪意」を示す場合に使われることも少なくありません。
つい最近も、私がいつも出入りしている掲示板で、「いたずら」や「悪意」としか
思えないような「なりすまし」が発生しています。

KONEGIさん、
今後ともよろしくお願いいたします。
そしてネットとの上では「らくりん」と呼んでいただける方がうれしいです。


藤場さんへ 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月17日(月)10時05分14秒

ありがとうございます。
よろしくお願いします。


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日: 6月17日(月)08時48分07秒

KONEGIさんはじめまして。
いろいろときついこと、
好き勝手なことを言う人/言いたい人の
「たまり場」みたいな掲示板ですが、
それなりにお楽しみください。


すみません 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月16日(日)23時03分45秒

すいません、改行をきちんとしなかったので、読みにくいですね。
これからは、きちんと改行します。





はじめまして 投稿者:KONEGI  投稿日: 6月16日(日)22時53分16秒

はじめまして、この掲示板はMankoさんから紹介されて、はじめて書き込みします。
私は、本願寺派の女性僧侶で役僧の妻です。掲示板の前後を見ますと、役僧の議論が続いていたので、役僧の妻の私が入る余地がないと思いますが、妻の立場から書き込みしたいと思います。

まず、役僧の妻は生活の不安定さに悩まされます。例えば、風邪をひいて一週間休めば収入はそれだけ減ります。労働者として法律上は認められていますが、労働基準監督所がとりあってくれないので、給料をもらえない悪質寺院などで法務をすれば、生活が破綻します。このような状況下におかれていますので、子供のいる家庭は悲惨な目に遭うのです。ジゾクに散々踏みにじられ生活を破綻させられた役僧さんは、けっこういるのではないでしょうか。私の夫も悪徳寺院にいた時は本当に悲惨でした。若が遊びに行きたいので、役僧である夫を誘ってでかけるのですが、その費用は割り勘にさせられて、結局、働けど働けど貧しくなるばかりでした。役僧の妻(そこは所属時でもあったので)という事で、「寺の事を教えてやる」と言われ、朝から晩までタダ働きさせられ、断れば猛然と怒られたりした事もありました。、その他、給料がもらえなかったりして、私達夫婦を人間と思っていないようでした。本当に悔しいです。最初は理解できず、夫に対して、遊びに行く事や給料をもらえない事を怒り、私もそれが嫌で家に帰らないで、友達と飲み歩いていました。生活が荒れて、外から我が家を見た時に、部屋の電気が曇って見えると、夫がガス自殺しているのではないかと思い、泣きそうになりながら家に帰った事もありました。あまりにも追い詰められて、心中しようかと本気で思いました。生活が苦しすぎるし、誰も理解してくれないので、私が死んで私達の事を散々貶めたジゾク達の名前を遺書に書いてやろうかと思いました。実際、何回かマンションの六階に上り、何回もその事を考えました。ただ、一人で死ぬのは怖いから、ぬいぐるみを抱いて下をずっと見つめていました。で、最後にタバコでも吸おうと思い、吸っていたところ、そのぬいぐるみの顔が一瞬悲しそうな顔に見えたのです。そこで、思いとどまりました。そんな事が、何回もありました。それでも、役僧を労働者として認めないって、どういう事なのかと思うのです。
人間としてのすべてを破綻させられて、それでも役僧は僧侶であって「給料の事や保証の事を言うのはおかしいと思う」と、言えるでしょうか。わかりません。



選択の厳粛性 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)22時38分14秒

 念仏するあらゆるものを見捨てない、という願いに生きんとするものは、
「いまさえ、自分さえ、百歩譲って自分の周りさえよければあとはどうなったっていい」と
いうような<棄てる原理>に対する闘いを選び取ったといえるのですねえ。。。


私はコレで娑婆を止めました 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)22時23分18秒

 フカキョンこと深田恭子チャン目当てにTVドラマ「ファーストラブ」を見てます。ここに渡
部篤郎という俳優さんが出てくるのだけど、彼ゴニョゴニョしゃべるしいつも役柄が軟弱な感じ
で結構好きな俳優です。マッチョは苦手。けど、前回、和久井映見が用意した毒入りワインを飲
むというシーンがありました。渡部の恋を見てられないから私が死ぬか、あなたが死ぬかと言わ
れてグラスを空けたのです。ドラマはいよいよ佳境(ふかきょん)に。。。

 最近、お坊さんたちの<非戦>という動きをみています。殺さない、殺されない、殺させない
のスローガンを掲げています。でもぐっちんは、そのために生き、そのために死ぬことのできる
ものを探しているような気がします。キミのためだったら死ねるというような恋がしてみたい。
。。

 相手を殺すのではないけれど、信仰とはたたかいですね。らくりんさんの文章で<摂取不捨の
論理と選別・排除・強制の論理>というのがあって、その中に安積遊歩さんの「癒しのセクシー
トリップ」という文章の引用があります。

 >私が今、反原発の運動や環境問題に関わっているのも、死や病気に対する恐れからではない。
 >原発や環境汚染が自由を希求するこころ、生きようとする意志に対する妨害であるからこそ
 >闘うのだ。

 このあとらくりんさんの「本願に対する妨害だからたたかう」そうでなかったら、念仏以外を
すべて「捨てよ」とはいえないんだ、という文章が続きます。クルアーン(コーラン)にはこう
あります。

 「アッラーも終末の日をも信じない者たちと戦え」 悔悟章29節
 「アッラーの道のために戦え」          雌牛章244節
 
 なんと戦闘的なことか!しかし、またこうあります。

 「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であっては
  ならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない。だがもし、かれらが戦いを止めたなら
  ば、悪を行う者以外に対し、敵意をもつべきではない」   雌牛章190・193節


Genkoさんへ 投稿者:我苦生  投稿日: 6月16日(日)18時36分52秒

 私も役僧おすすめします。

 例えば、一人暮らしの、年金生活のおばあちゃんから預かる5000円のお布施。
 すごく問われる。力になる。
 お布施は、すごいです。だから私は坊主をやめないし、人にすすめる。


三吉さんへ 投稿者:我苦生  投稿日: 6月16日(日)18時07分34秒

  >本山を利用して上から解決を図ろうなんていう発想は所詮。。。
 そりゃ、甘いわな。自分でよく判る。面倒なだけ。

  >「月20万」なら、坊主稼業なんてばかばかしくて、最初からしないと。。。
 もちろん、それだけじゃないけど、おおいにその心はある。消せない。悲しいが。

  >すねってしまったか。。(笑)
 すねたんじゃなく、キレた(笑)。あ、おなじか?
 どちらにしても、ガキだ。反省。そんなことじゃ、なんもならんわな。
 さっき書いた、『あくび』もキレてるもんな。あまい、あまい。
 
 まだ、この掲示板に参加して間もないので、三吉さんのことよく知らないのだが、一度直接会って、とことんお話ししたい人だと思った。
 子供は、先輩にいじめられて、鍛えられて、すくすくと育っていく。

 掲示板で、愚痴って、キレていても仕方が無い。
 

 


あくび 投稿者:我苦生  投稿日: 6月16日(日)17時32分19秒

 阿弥陀さんは、なぜ眠たい眼をしているか。

 眠たい『お話し』ばっかりしているからだ。


前倒し 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)08時47分44秒

 8年程前、大阪仏青でターミナルケアについて講演会を開きました。淀川キリスト教病院の
先生に来ていただいた。そのときの言葉が頭に残ってます。

 「私たちに残された時間は、6ヶ月です。でも患者さんに<死>そして<生>を全うして
いただくのにはあまりにも短すぎる。だから是非お坊さん方にお願いしたいのです。生きて
元気なうちに檀家さんと<死>そして<生>について十分に話し合っていただきたいのです」

 でも、ぐっちんが働いてたお寺は、いわゆる葬式寺。六ヶ月残ってるんならいいじゃないですか。何せ相手はもう亡くなってしまってるんですから。。。ぐっちん思った。何でもいい。何で
もいいから、「私はこれ。。。」というもんを持って死んで行ってよ。われわれみたいな坊さん
がBGMにならなくてもいいように。。。手作り葬儀ってありますよ。好きだった詩の朗読とか
民謡とか掛けて、みんなが献花をするようなタイプ。

 それでいいんじゃないかと思ったりした。。。ご遺族には、お話させていただいたけど。。。


専門性 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)08時29分03秒

 介護の学校へ行ってたとき、授業で<介護の専門性>とは何か?というのが問題になりまし
た。主に女性が家事労働としてやってたこと。炊事・洗濯・買物・掃除。。。誰でもできるもの
がどうして<国家資格>たりうるのか?という問題。

 ややこしいことは省いて。。。やっぱ、家事労働では家族のみを対象としている。けれど、
専門職としてはさまざまなケース、対象者を相手にする。それには、科学性・合理性・客観性が
求められるのである、と。何よりも対人援助という仕事を好きであることが大切かな。。。

 で、坊さん。正信偈草四句目下(お西は何だったっけ?)ならご門徒も唱和できる。なんで
坊さんがいるんじゃろ。親鸞さんの時代だったらやっぱり写経できるのは、少数だったろうし
読経もそらで覚えてるとか、経本読みながらでもええけど、やっぱ特別職だったやろうな。。。

 志ん生みたいな芸人さんも若いころは売れず、借金取りから逃れるため16回も改名したん
だそうで。でも、あれだけ客に愛された。ずっと続けてりゃなんとかなるか。いきてりゃそれ
だけで価値が出る。いつか、本業一本で食えるようになるさ。。。


アルバイト 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)07時48分05秒

 もうだいぶ前に亡くなったと思いますけど、民俗学の五来重(ごらい・しげる)という人は
盛んに親鸞さんは、こづかい稼ぎにお経読みに行ってたんやといい続けてましたね。

 一切経校合のはなしって何に出てくるんでしたっけ。覚如の書いたのだったか。。。写経の
アルバイトですよね。ご門徒さんの寄付だけじゃ、苦しかったでしょうし。。。

 五来さんにまともに応じてた人って宗門関係者にいたのかなあ?ようわからんけど。中学生
のとき、ぐっちんは、哲学者って何で食うてたんやろって悩んでましたけど。プラトンとか、
アリストテレスとか。。。あんな時代、印税で稼ぐわけにもいかんやろし。。。まあ、塾の先生
というか家庭教師みたいなんですよね。まあ何でもいいから、日銭稼がな。。。


まずは。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)07時32分59秒

 練馬の真宗会館で(^.^)を売って、情報を収集されるのは、いかがなものかと。。。


>Genkoさんへ 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月16日(日)07時30分03秒

 営業方面をお探しですか。。。でもまあGenkoさんこそ、東京でヤクソウしなはったら
ええと思うんやけどな。これ、あくまで第三者の気軽な提案です。前に、フランス語生かす職場
をおすすめしたけど、まあなかなかネ。。。
 ヤクソウ問題は、我苦生さんやCHINCHINさんにとってヒリヒリする問題ですけど、
Genkoさんには退屈そうです。

 といって、ぐっちんなんかエスプリの効いたことなんぞ書けませんから生々しいやつしかあ
かんのですわ。で、Genkoさんが東京でヤクソウで成功すると思う点は、

 @年齢がいってる。・・・・これ世間やったらマイナスやけど、坊さんは年取ってるもんや
              という予断の人が多いんです。ぐっちんなんか童顔やから頼り
              なさそうに見える。施主さんにも業者さんにも受けはいいはず。
 
 A声が低い。・・・・・・・これも重要なポイント。ぐっちんお経がうまいといわれますが
              自分では不満。というのもおじきさんほどではないにしろ、声
              が高くなるんです。低く朗々と響くほうが絶対ありがたく聞こ
              える。

 B教団に何の期待もない・・これも大切。下手に考え出すと、自分のやってることに意味を
              見出せなくなる。Genkoさんは<借金返済>という現実的
              課題を背負ってるのだからなおさら。

 東京で聞いたんですが(実話)やはりリストラにあった50代の男性が、得度したあともの
すごい営業をかけて、めっちゃ<成功>してるらしいですよ。Genkoさんも<色好み>の
王朝文学を追求するというロマンのかたわら、娑婆で仮の世過ぎなんかどうです?


愛人問題 投稿者:三吉  投稿日: 6月16日(日)04時47分44秒

現今の世間の常識では、愛人問題発覚とあいなれば、政治家はマスコミの
好餌となり、致命傷を負う場合もあるが。。。

仏教のできた時代、「愛人」はさほど問題ではなかった。
勿論、出家には本妻すらだめなのだが。。
在家の「不邪淫戒」は、他人の妻や恋人をえっちするのがだめで、
金持ちは、本妻以外に愛人・妾と仲良くするのはよしとしている(笑)

ちと私は驚いたが、時代状況考えたら、なるほどだね
仏教のばとろんは、王様や大商人だものね、そのころ。


非僧非俗 投稿者:三吉  投稿日: 6月16日(日)04時36分09秒

元々、「出家」とは、自分の生活のためには、なんら労働を行わない。
代わりに、世間の人に乞食(こつじき)して糊口を凌ぐ。
で、地方ごとに集団生活しているのだが、集まった布施は、平等にその集団内
成員でわかちあう。
「布施」の多寡の多少は修行者においてあったのだろうが。。。
「食事量」も体格によって違ったと思うのだが。。。
直接集めた多寡にかかわらず、平等に分配。

出家とは、自分の生活のために、働かない人々のこと
在家とは、自分の生活のために、働く人々のこと。

親鸞は、「僧侶」という生き様は、国家権力によって追認されてなるのではなく、
自分の自覚の問題だという意味を込めて「非僧非俗」という難解なことを言ったのでは
ないかと愚考するのだが。。

親鸞は布施を受けるモノとして「生活のための労働」をどう思っていたのだろうか。
法施ないし、「教人信」に、「労働価値」を見出してたのだろうか。。


金の問題 投稿者:三吉  投稿日: 6月16日(日)04時12分43秒

仏教史にその名も燦然たる「根本分裂」。
伝承は南伝「島史・大史」と北伝「異部集輪論」で異なるのだが。。。
「長老派」と「多数派」の戒律中10個に対する運用をめぐって分裂するに至った。

元々、戒律には「布施」にかんして「お金」で受けたらだめと言うのがあったのだが、
若手多数派の中には遠隔地まで教戦を伸張さしつつあったものもいた。
そこでこの「金銭浄という戒律」は負担になりだした。
で、釈尊はもともとファジーであって、「戒律」は適宜変更してもよいを根拠に
「金銭浄」を変更しようとした若手に、厳格なる戒律遵守を至上命題にしていた
長老派は、批判した。

で、仏教の民主主義はもともと変っていて、正しい方が勝つように色々と政治的説得工作
すべきとあったので、長老派は、多数派工作をいろいろするが、僧院の中に篭って尊敬を
集める爺さんたちに、新進気鋭の若手は布教の現実から、その古き決まりの不自由さを
訴えて従わん。そこで分裂とあいなった。
その長老派の末裔-南伝上座部の僧侶は、栄えある「金銭浄」を守るために、得度前の小僧を外出に連れ、お金を預け、払わす。かくして「金銭浄」は、形的に守られていることになるという。。(笑)


すねってしまったか。。(笑) 投稿者:三吉  投稿日: 6月16日(日)03時50分08秒

人間がまだ 子どもだね。。。

結果的に批判というか、君にとっては「いじめ」になっちまったようだね

「多く感想をのぞむ」とあったので、感想をのべただけなんだけどね

まあつまるところ。。。<私もいつかベンツにのれる『身分』に成り上がろう>という冗談

は、ある意味、象徴的で。。。

ぐっちんさんが「新しい寺族」を生むだけとぼそっとおっしゃってたが。。。

本山を利用して上から解決を図ろうなんていう発想は所詮。。。

そもそも「月40万」だから、坊主稼業をするつもりなったのだろうか。。。

「月20万」なら、坊主稼業なんてばかばかしくて、最初からしないと。。。

私の違和感はそこですなぁ

これにてこの話題(月40万20万問題)はおります。


ドイツ・イデオロギー 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月15日(土)23時51分33秒

 人間の歴史はつねに産業のおよび交換の歴史との連関で研究され論述されねばならない。


あたり役 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月15日(土)23時44分21秒

 というのがある。ドラキュラとくればクリストファー・リーとか。座頭市とくれば、勝新とか。
でも本人はいやなんです。他にもやれる役あります。渥美清も可愛そう。世間は寅さんとしか
みてくれない。藤田まことはよかった。あんかけの時次郎から、中村主水に脱皮。さらにはぐれ
刑事純情派の安さんがあるから。。。

 嘉門達夫の一発屋ブルースという歌があります。あれも残酷な歌やなあ。帰って来いよと歌い
ながら帰ってこない松村和子とか。。。イメージが固定化してしまうって悲劇ですね。尾崎紀世
彦といえば「また逢う日まで」。そればっかり歌わされる。夜もヒッパレという歌番で、彼は
ぼやいてました。他にいい歌あるのにね。

 「チャチャチャ」の石井明美はヒットしてる最中から、もうこの歌うたいません、といって
た。「おもちゃのチャチャチャ」でも歌うか。。。「会いたい」の沢田知可子も同じようなこ
といってた。原田知世は「時をかける少女」歌いませんと今いってる。でもポールマッカート
ニーは、えらい。ウイングスやソロそしてマイケルジャクソンやスティービーワンダーとのデ
ュエットでヒットを放ってもコンサートでは必ずビートルズナンバーを歌う。イエスタデーは、
過去なんやとはいわない。

 お寺の子というのもどこまでもつきまとう。でもお寺の子がわたしのすべてではない!
くそっ!!!大谷派に教団内スターがいる。フランスからやってきました元カトリック信者
ですとか、息子が自殺しましたとか、湯灌の仕事してましたとか。。。確かにそれは、真宗
と出会う重要なきっかけでしたでしょう。でもそれだけじゃないでしょう。他にあるでしょう。
在日やから部落やから、アンタとつきあうんじゃない。同じ切れば血の出る人間としてつき
あいたいんや、ぐっちんはそう思う。もうたくさんだ!!!その話し。


これも、今は(まだ)冗談 投稿者:我苦生  投稿日: 6月15日(土)23時23分23秒

 お話の上でなら、坊主は乞食であり、自分の生活、特に経済に文句いうなんて、もってのほかである。でも、そんな話を例えば、しっかりとした生活基盤のある『坊主』に云われるのは、なんか違う。
 お話の上でなら、役僧といえども坊主であり、与えられたお布施で満足しなければ成らないのかもしれないが、それは先に沢山金儲けしている住職に言うべきである。

 別に、いいんだ。人間平等、四海兄弟。そんなもんを信じた、だまされた、アマちゃんの私が馬鹿だっただけの話である。伝統教団なんか信じた私が馬鹿だっただけである。
 人間平等、四海兄弟。ああ、そんなすばらしい理念に生きようなどとする人たちの集まりがある、なんて信じた私が間違って居ただけなのだ。
 約400万と、この何年間。仮は返してもらうので、これからは、『だまされる側』から、『だます側』へ。
 素晴らしき『大谷派』。もとバーテン、口先の上手さと、頭の回転。人をだますのはお手の物。そうか、これが、坊主への道だったんだな。いろいろ教えてもらったけど、これだけは教えてくれなかったな。
 あ、『念仏申せる生活を選びなさい。』、つまり、罪悪じん重煩悩具足の凡夫の自覚を持たざるを得ない生活、とは、このことだったのか?そうか、そうだったのか?ようやく解ったぞ。
 月20万で、生活しながら、あまり余計なことは喋らず、ありがたいお話をして、話の中でしかない、お話を、さも生きているような風に話して、少しでも沢山のお布施をもらえるように勤めて、私もいつかベンツにのれる『身分』に成り上がろう。


訂正 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月15日(土)23時22分20秒

 ↓DとBと間違えた。。。


酔うてます 投稿者:ぐっちん  投稿日: 6月15日(土)23時21分17秒

 BKよりも今はPK。


今は、お遊び。 投稿者:我苦生  投稿日: 6月15日(土)22時42分36秒

 聖教新聞の、一面にこんなニュースがのったらどうしょう。

 ≪憐れ!一杯のインスタントラーメン≫
 「『助けてください、、、』。彼から電話があったのはもう深夜といっていい時間であった。『私、実は真宗僧侶なのですが、、、』。苦しみの中から絞り出すような彼の声は、とても力が無く、語るにしたがって、しだいに涙声に変わっていった。
 その電話で彼から聞いたのは、まさに衝撃の事実であった。伝統教団のひどさは、私たちの教団でも体験済みであったが、まさか、これほどまでとは、、、。『すぐに、伺いますから、、、』私は、彼に携帯番号を告げ、深夜の街、車を急がせた、、、、。」

 あるいは、
 ≪これが、人間平等!≫真宗寺院による、奴隷制度。≪役僧という名の被差別階級≫
 A:「知ってる?真宗教団に役僧っていう奴隷制度があることを」
 B;「イヤ知らないけど、、、。真宗教団って、親鸞聖人の教えを受け継ぐ、人間平等を標榜する教団で、確か、解放同盟とも縁の深い所。まさか、そんなことは無いだろう。」
 A:「いや、これが、あるんだよな。僕もはじめは信じれなっかたけど、調べてみると、もうひどいのひとこと。外向きは、真宗といえども僧侶だから、聖職者だな。だけど、実際は労働者。お布施でなく、寺院からの手当てで生活している訳なんだが、ひどいのは、この両面を上手いこと使い分けられている、っていうこと。例えば、ある役僧が、月40万の手当ての約束である寺院と契約したりする。で、いざ払う段になると、これが支払われない。半分ぐらいになったりする。」
 B:「それって、契約違反じゃん! 坊さんが約束破るわけ?」
 A:「そう、彼らは凡夫だから(笑)。業縁次第ですから(笑)。で、面白いのが、そういうときは聖職者なの。人に言うときはね。『坊主が金の話するとは、何事ぞ!』って。『お布施を、なんと考えているんだ!』ってね。自分はベンツ乗ってるくせに(笑)。」
 B:「何それ、使い分けじゃん!あそこって戦争中の教学の事で、なんかそんな事で反省してなかった?」
 A:「そう。だけど、何も変わっちゃいないみたいよ。僕も信じれなかったけど、ある役僧さんが、『助けてください、、、。もう、何も信じれなくなってきました。』って、相談持ちかけられて、話を聞いてびっくり!もう本当に何も信じれない。って、いうか、伝統教団を信じる方がおかしいのだけどね。」
 B:「それって、うちの教団も体験したことだしね。」
 A:「そう、だから内の教団あげて、この問題に協力していこうと思う」
 B:「それで、真宗教団も生まれ変わって、本当に親鸞聖人の教えを中心にする教団に生まれ変われるといいのにね。」
 A:「そうだといいね。」


miffy  さんへ 投稿者:Genko  投稿日: 6月15日(土)20時04分31秒

>Genkoさん、髪はだいぶ伸びましたか?

ということは、私のことをじかにご存知の方かしら?
イヤ、まだまだ序の口といったところです。
せいぜい2センチないぐらいかな。
アルバイトか、ガテン族の仕事ならこれでも問題はないでしょうが、
営業関係を狙っているため、当分は面接で落とされそうです。
やはり本格的には、9月以降に持ち越さざるを得ないでしょう。


こんにちわ 投稿者:miffy  投稿日: 6月15日(土)15時34分06秒

Genkoさん、髪はだいぶ伸びましたか?


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