〈 落 鱗 板 々 〉
【 お 願 い 】
相手が特定できる個人格への言及、および個人情報の公開は慎重に願います。
実生活や他の掲示板での「いきがかり」を持ち込まないでください。
「管理人へ」ではなく「らくりん個人へ」の用件には掲示板を使わないでください。
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うちの住職や、坊守さんに、直接「ありがとうございます。」て、言えたらな。「関係してくれて、ありがとう。」て。いつか、はずかしいけど、言いたいな。「ごめんなさい。差別してました。」て、いう言葉をそえて。
くだらん事でも、読んでくれる場所が、ひとが、居るって、ありがとう。
「出会い系」って、いい言葉だ。「社会派」じゃなく。ぐっちんさんなんか、完璧「出会い系」だな。「社会派」も、始めは、そうだったんだろう。今は、「先生」ですから。「生徒」の私としては、ぐっちんさんのような「出会い系」がいい。偉くなって、人を「道理」で裁く自分は、嫌い。
つくんだろうか?これは。ふと、死生さんを思い出す。変だね、あんた。熱いね、あんた。かっこいいね、あんた。また、喧嘩しようね。「真実の声を聞かせておくれよ!」気持ち悪い程、キラキラした、あんたの眼が大嫌いだ。
良寛さんは、災難に会う時節は、災難に会うがよく候。病む時節 は、病むがよく候。
死ぬ時節は、死ぬがよく候といわれたそうですが。。。
MANUさんが、ちょこっと書いておられたことに引っかかっているのだけど。。。
確か、仏法にあったのが「後生が、地獄一定でも何でも良いからそれがどういうことなのか
知りたかった云々」といったことを書いておられた。(ぐっちんの受け止めです、あくまで。。。)
知人(文化人類学者)の本を読んで面白かった。ざっといいますと、死後の世界を想定しない
文化はないが、地獄や極楽にわかれていると想定している文化とは、社会的階層が分化している
社会(つまり法律でもってええ行為と悪い行為がわけられていて、守れているとされる人と
守れていない人がわかれている社会。もっといえば、身分が分かれている社会)のみにみられる
という。
なーんだ、天国と地獄もやっぱ脅しか。。。♪イマジン、ゼアズ・ノー・ヘブン。。。やね。http://www.edogawa-u.ac.jp/~hirukawa/museum/other_worlds/jigoku.htm
去年もこんなこと書いてました。法然上人に『百四十五箇条問答』というのがあって習俗タブ
ーについて丁寧に答えておられます。まあ、現代はタブーそのものについていちいち答えるとい
うより、何でタブーを破ったらオソロシイのかという、そのオソロシサについてもっと話あえな
いのかなあ、と思う。
で、社会問題提起派は、二階から三階や四階に勝手に上がっていくんでは無しに、一階から
二階へ上がる階段もしくはエレベーターないしはエスカレーターの位置をまわりのひとびとに
納得できるように示して欲しい。もしくは、縄バシゴ下ろして欲しい。あんまりサキ走らんとい
て欲しい。
古事記の祝詞には、天つ罪、国つ罪のことがのってます。
まあだいたい、天つ罪というのは農業タブーで(溝を埋めたり、畦をこわしたりする。。。)
国つ罪というのは近親相姦とかが主なものです。(落雷による被害とか蛇や百足に噛まれる
ことも罪だったりして、理解に苦しむんですが。。。)
とまあ、文化によってタブーは違う。でもその社会の中に住んでいる人にとっては、タブー
を破ることは村八分に合う可能性、大です。生きていけない。生活できない。親戚がやいやい
ゆうし。。。それで、竜樹は悪口畏(他人から悪口をいわれるのを恐れる)堕悪道畏(フツー
の生活からドツボにはまる)大衆威徳畏(他人から後ろ指さされるのを恐れる)死畏、不活畏(
暮らしていけなくなる)を人間の畏れとしてあげたんでしょうね。
けどまあ、本当にこういう恐れを克服している菩薩さまはどこにいてるんやろ?と思う。
人間の自我は「ウソでも誉められたらうれしく、ホントウでもけなされたら傷つく」ので、
だいたいは、守りの姿勢に入ってしまう。
♪約束はいらないハァー
何か一年たっても、十年たっても、二十年たっても同じ問題のまわりをぐるぐる回って、あい
も変わらぬことを愚痴ってるようで、進歩がなくイラだちます。。。(こういうのを輪廻転生、
流転の生というのだろうか。。。)
門徒もの知らずというか、ことわざがあるそうです。これは、門徒物忌み知らずなんだそう
ですが。。。某大谷派サイトの掲示板を読んでると、お墓をどこに建てるとか、お仏壇をいつ
購入するとか、まあそういった仏教タブーの質問が並んでいます。お坊さんといえば、これら
の習俗タブーの質問攻めにあいます。(法事は命日の前にしてもええのか、後にしたらいかんとか、満中陰は、三月にまたがると始終(四十)、苦(九)が身(三)に着く(月)からあかんと
かいうゴロあわせとか。。。)
ユダヤ教では安息日(金曜の夕方から土曜の夕方にかけて)には、仕事(メラハー)をしたら
いかんというタブーがあります。(神様が世界を六日で創造して七日目には休まれたのに因む)
まあ、すべてのユダヤ教徒が現在守っているかと言うとそうでもないらしいけど。。。車に乗らず、料理は作らず、電気器具は使用せず(またはスイッチをさわらず)、金は使わず、ペンも持
たず。。。
食事を前日からつくっておいてずっと火にかけておくとか、トイレットペーパーを巻き取るの
はよくないから、前日にちぎっておくとか涙ぐましい努力をするそうです。
マタイ伝12章にはイエスのこんなエピソードがあります。。「あなたたちのうち、だれか羊
を1匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから安息日に善いことをするのは許されている。」
イエスはユダヤ教のタブーを破ってしまいます。神様との古い約束(旧約)は反故にしてしま
って新しい約束(新約)を持ってきたのだということです。つづく。
教団にとって社会問題って、『売り』に成ってる気がする。
「うちの教団は色々な社会問題にも取り組んでいるんですよ。」って。
宣伝効果、あるのかないのか知らないが。
『社会問題』って、インテリぽくって、かっこいい。『週刊金曜日』みたい。
なんで、こんな嫌事言うのかっていうと、差別がだめなら、役僧の事を考えてくれ。
天皇制反対なら、息子に寺つがすな。外でかっこつけてるだけじゃん。
まあ、言わない人はこんな事問われる事ないから、言う方が良い。大切なことだし。
でも、優等生に成りたくて、もしくは仕事の成績を上げたくて、もしくは良い人に見られたくて、ていうのは、なんか違う。
大切なことは、『教え』や、『理念』なんかじゃなく、そこに苦しんでいる人が居る、って言う事だと思う。そこを外して『教え』や、『理念』だけだと、恐い事に成る。
お坊さんは偉い人だから、門徒さん、葬儀屋さんを自分達の『教え』、『理念』に照らして、馬鹿にしている人が多いと感じる。
「こいつら、仏教、真宗の事わかっちゃいないくせに。」って。
社会問題に対する取り組みも、そうなってるような気がする。
最近、今のお寺をやめようか?って考える。
学生気分の消えない私は、お参りはゆっくりとしたい。せっかく出会えた人、月に一回、ほんのわずかな時間だけど、次のお参りの時間を気にしながら。
忙しいときは、悲しいかな、仕方ないけど、暇なら、ゆっくりとお話したい。それは『教化』じゃなく、単にお話を聞いたり、なんか喋ったりしてるだけだけど。大切なことだと思う。
一人暮しのおばあちゃん。喋れる相手、どれだけ居るのだろう。「ひざが痛い、、、。」って、ぐちれる相手どれだけ居てるのだろう。
亡くなった大切な人の思い出話、聞いてくれる人、どれだけ居てるのだろう。
『教化』なんていう大層な事はもちろん大事だけど、それより大切だと思う。
都会のお寺は忙し過ぎる。雑用、草取り、とても大切だけど、お参りはもっと大切。
でも、それを決めるのは、雇い主の住職。住職が忙しくて、役僧を雇う。だから、住職の手が回らない所を指示どうりやるのが、私の仕事。私の仕事は、私で決めれない。当たり前、役僧だから。
お参りの大切さをよくわかっている住職であっても、私はひど過ぎるようだ。
一時間なんてのは当たり前。最高二時間半っていうのもあった。確かに、仕事にならんわな。もちろん、暇な時の最後の所だが。つたない真宗の話をえんえんとした事もあったな、そういえば。
地方によっては、法事などの後に、一緒にごはん食べたり、お酒飲めたりするそうだ。夢みたい。
もうすぐお盆。よそのお寺にもれず、ここも忙しそう。マニアックな話で悪いが、ついに『昭和法要式』の大経(もちろん、あいだに念仏和賛はさんで)を20分切る速さで読めるようになった。阿弥陀経などは、むちゃくちゃ速い。素早くお経読んで、あいさつだけして帰る。むちゃくちゃイヤ。でも役僧、職業僧。
ぐっちんさんが辞めたの、良くわかるようになった。
でも、もう少し踏ん張ってみますが。多分よその寺に行っても、同じようなもんだろうし、ここのお寺は良いほうかもしれない。お経込みで30分居てていいのだから。
その前にクビになるかもしれないが。
> ♪弱い者達が夕暮れ さらに弱いものをたたく。。。
これって、最近よく口ずさむ。
役僧って、住職より、坊守さんの悪口言うこと、多いのかな?よく聞く気がする。
あれって、悲しいね。
> ♪弱い者達が夕暮れ さらに弱いものをたたく。。。
そうやって、飲みに行って、飲み屋の兄ちゃん、姉ちゃんにからんだりね、、、。
あるいは、家庭に持ち帰って、家族に当ったり。
からまれた、兄ちゃん姉ちゃんも、どこかで、また、、、。
家族も、どこかでまた、、、。
どこかで止めないと。
> ♪弱い者達が夕暮れ さらに弱いものをたたく。。。
法華経の、常不軽菩薩。いいね。
「私は、あなたを軽蔑しない。なぜなら、あなたは、いずれ佛になるから、、、。」
念仏者のあり方。難しい事は解らんが、そうだと思う。
自分の傷、痛み、弱さ、醜さ、愚かさ、不安、迷い、畏れ。。。まあ、目をそむけず向き合う
には、相当なエネルギーが必要ですね。だから人間って差別に逃げ込むんだろうな。。。
今日のみことば
家出の人の法は、 門首に向かひて礼拝せず、宗務総長に向かひて礼拝せず、宗門立大学長に
務へず、教研所長を礼せず。。。
>oyajiさんへ
う〜ん。こういう時に他のちゃんとした仏教学を修めたお坊さんや、長いこと差別問題に取り
組んでおられる人に横レスして欲しいのだけど。。。
去年この掲示板で差別問題をやった時にあらためて思ったのが差別されている人自身の内部卑
賤感(もしくは差別視線の内面化)という問題。ムツカシイ言葉ですね。ようするに、人から差
別されて、その意見を鵜呑みにして、自分は差別されても仕方ないんだと諦めてほんとうに自分
自身をつまらないミジメな奴だと思い込むことですね。
♪弱い者達が夕暮れ さらに弱いものをたたく。。。
とブルーハーツは唄いました。差別の数珠つなぎだな、こりゃ。差別を受けている障害者だから、相手の気持ちがよくわかりいたわり合い励ましあう、のでは無しに、よけいひどい差別を別
の障害者に向ける。。。これは、ようするにその人の中で、世の中の価値観をそのまま受け入れ
ているってことですね。さて、これを解決するには。。。当の相手とケンカしますか。。。
「バーカ。お前が俺をバカにするってことは、お前がお前自身を見下してるってことじゃないか。本当に自分を好きだったら俺にとばっちりなんか食らわせないだろう!!」って言ってみる
とか。。。これで相手と真剣に格闘して、仲良くなるか。中途半端ないい方で終ってますます、
険悪な雰囲気になるか。。。
どうもお久しぶりです。私は、障害者として働いていたんですが、差別ばかり受けてきました。
差別が無くなるのはきっと人間が居る限り無理かもしれません。かくいう私も人間ですが、正直言って私の心の中にも差別心はあります。ぐっちさんやキング牧師みたいなかたばかりだったらいいんだけどな。差別をなくすのは気の遠くなるようなものすごい時間がかかると私は思います。何しろ障害者同士の差別はもうそれはそれは大変ですよ。実際にものすごい仕打ちを受けた者としてそれだけは言えます。健常者同士もさる事ながら、いろんな意味でたくさん差別はあるでしょうね。
何か良い解決方法があれば教えてください。がまんするしかないのかな???ぐっちさんどう思われますか?男はじっとがまん。勝手な私個人の見解です。
ロビーにインターネット端末が2台あり自由に使えます。
部屋にはLANが配線されてもいます。
東横ホテルグループはお勧めですよ!
非暴力トレーニングサイトで紹介したことばにキング牧師の
>人々がたがいに憎しみ合うのは、たがいに恐れているからだし、たがいに恐れあうのは、
>互いに知りあわないからだ
というのがありました。人が自分の死をみつめ、恐れを直視し、他者を知るならば、差別や
戦争もなくなるんではないか?甘い?
仏教っていえば、やっぱりみんながイメージするのは、「死」だと思います。
竜樹などは、五(七?)怖畏とかで、人間の恐れについて分析してたと思うけど。
友達の哲学者、西さんが学生たちとゼミでやった「死の恐怖の本質直感(イメージ)」
狂信さんとこの掲示板に去年の8月カキコしたけど。。。
これをよくよく読むとある種の「精神病」者や、差別されている人の心理にとっても
近いなって思う。死が近づくと、フツーの人も被差別者の気持ちが分かる!?
@究極の制御喪失・・・・自分が信じている日常が崩れ去って
しまい、理解できないものに呑み込まれて
しまうこと。
Aあらゆる共同体
からの追放・・・・・・みんなと一緒にいる場所から自分だけが
追放されて、みんなは相変わらず暮らして
いること。
Bあらゆる可能性
からの喪失・・・・・・何にもできなくなり、やりたいことも
やらなくちゃいけないことも奪われてしまう。
C自分ならざる
ものへの変貌・・・・・腐って骨になる、自分が自分でなくなる
ことへの恐怖。
>さらに、おじきさんへ
訪問看護婦さんのあいだでは、ここ7、8年のあいだ在宅ホスピスが研究されています。
介護保険が導入されたのも、政府が施設をつくるカネがないから高齢者は自宅で面倒みろという
発想から来ています。ぐっちんには、4、5年後「税と保険」という話をさせて下さい。そうし
て福祉目的税にするといってた消費税はどこへやら、介護保険として健康保険に上乗せする形で
徴収し、「保険あって介護なし」になった仕組みについてやさしく噛み砕いて語らせていただき
ましょう。
ロッ●リアのような、一階がオーダーと調理場で2階が客席という店はおいといて。牛丼屋は
通常一階が満席になってから二階に客を通す。<社会問題派>は、一階が満席にならない前に、
二階に客を通すようなものだ。一階を固めてから、二階にあがってもらう。(評論家・加藤典洋
の喫茶店のたとえのパクリ)
自分たちの生活や将来が不安なのに、反戦や反差別(死刑制度、天皇制、靖国問題、脳死・
臓器移植問題、ハンセン病差別、部落差別問題)といった<ハード>な話題をストレートに
ご門徒さんにぶつけるのは、何か違うような気がする。
>おじきさんへ
ぐっちんの「ボウズハウス」(現代駆け込み寺・プチ家出少女、DV被害妻用)構想に期待
するとおっしゃられるのだけど(よその話題)、ぐっちんからの提案です。
今秋(ってお西というか、貴坊ではいつやんの?)報恩講はズバリまこさんを呼ぶべし。
まこさんは、ホームヘルパー二級を確かお持ちのはず。昼間のお座では、「真宗と看取り」
みたいな法話をしていただいて、夜はおばあちゃん、おばちゃんに仕事帰りのムコはんを連れ
て来てもらって「ボディメカニズムにもとづく、腰を痛めない介護技術」と題して介護実習を
するのだ!
もちろん、妻と夫が交代でお互いを実習台にする。あまり多くのことはできないが、食事
介助のための<お斎>を檀信徒さんに昼のお座が終わってから作るのを手伝ってもらうのも
またよろし。人があまり集まらないようだったら、CHINCHIN夫妻やHOSEI(この
掲示板には登場されないけど。。。)夫妻もサクラとして来てもらったらよろしいのでは?
日本は罪の文化ではなく恥の文化だ。(いろいろ批判はあるようですが。。。)家にひきこ
もりの子どもがいたり、痴呆の高齢者をかかえていることを隠したがる傾向にある。けれど、
それは恥でも何でもない。みんなで同じ苦労をともにするという発想が根付かないかな、と思
う。介護のあとは、痴呆高齢者のためのケアとかいろいろ、少しづつ練ればいい。
ついに、リナックスでバンバンに、日本語で書き込みできた。
私事ですんません。
<何故社会問題を真宗の研修会で
しなければならないのか>
単に「取り上げ方」「提起の仕方」が悪かったりして。。。(笑)
真宗あるいは仏教の話を聞きに来てる人に、「社会問題」をとりあげるのだから、
ある種の工夫は必要だし、怒られるは当然といえば当然ではないかと。。
まあ、怒られたところから、モノを考えるか、考えないかで。。あとあと。。(以下略
I田さんは、最近色んなところで本願の35願を
取り上げて、女性問題をしているひとを蔑視するような
発言が多いです。(実際にされている方からもそれを
聞いてます)女性問題、ジェンダーをするような奴は
ダメだという展開に釈然としないものを感じてます。
ファンは多いですが、私自身としては全く感じる
部分がないだけなんで、前の発言になりました。
その方から影響を多いに受けている人には申し訳ないの
ですが、そういう意見もあるということです。
16日宵山と17日山鉾巡行の祇園祭り見学をしながら、18日前門葬儀の団参には参加しないのは矛盾してるのかな?
モモさん、池田先生の中身は信心に社会問題への取り組みは含まれるという立場のように一ファンとしては受け取らせて頂いています。追っかけが多いことは事実ですが怖がる必要はないのでは?今の大谷派になくてはならない方ではないでしょうか?
ぐっちんさんの
「覚えこみ・思い込み・信じ込みの強化トレーニング」には笑って
しまいました。サスガ、鋭いご指摘です。
今度別院で元同朋大学長のI田Y諦さんが来られるのだが
追っかけというか、熱心な御門徒さんが大勢来られるらしい。
小生はあまり関心がないのだが、何か恐いものを感じる。
自分が企画した研修会で、社会問題を取り上げて、その中で
どう生きるか?と考えていたのですが、これまで真宗を
長く聞いてきた人に限って、何故社会問題を真宗の研修会で
しなければならないのか、怒られた事があります。その人曰く
大学の先生を講師に招いて一方的な話しを聞いて、自己満足
するのが一番イイらしい。これが何十年も行われ、結局
今のアリ様なんだモノ。トホホ
今村仁司「近代に対する仏教的批判 ー平野修氏の仕事とその意義ー」
(金沢教区の自費出版?)という小さな冊子を読んで、
書いていらっしゃったことを理解はしていませんが、
Genkoさんがここで提起していらっしゃったことと
重なるのかなぁという感想を持ちました。
「対他欲望あるいは虚栄を馬鹿にすることはできません。だからこそ、この欲望世界を無明と呼び、それからの離脱を呼びかけた仏教の意味があるのです。仏教は卓越した人間論を持っていたのです。それを現代へと蘇生しなければなりません。」
「消えない灯明」とか「花いちりん」というお話も、重ねて考えています。
生きている以上欲望を消すことできなくても、
それを乗り越える行為の素晴らしさを、釈尊は大切にしたのではないかと思います。
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/douwa.html
仏教って、教義とか人物とか教団とか、
特定の事柄にとどまっているモノではないと思っています。
一方が善、正しいと固定されたら、もう一方は悪、間違っていることになってしまいます。
「わたしはこう考える」ということを大事にするなら、
他者の考えも大事にしなくてはならない。
でも、そのためにはやっぱりマジメに「私はこれは譲れない」みたいなことを
伝える努力を惜しまない。
だから、出会いという、計算したり、マニュアル化できないことを大切にしている。
親鸞さんは。
でも、こう書くと、今度は出会わなくてはダメなのかみたいなことを考えて
こんどは「出会い」を実体化してしまう。
だれでも、どこでも、いつでもチャンスがある。
そういうのを大事にするのがいいなあと思っています。
去年の秋頃にも書いたのだけど、ぐっちんは宗教を 気づきの宗教・目覚めの宗教/
覚えこみの宗教・信じ込みの宗教に分ける。これは、別にレッテルを貼るという意味では
ありません。キリスト教はこっちとか、天理教はこっちとかいうんじゃありません。
宗教における態度みたいなもの。真宗は、気づきの宗教(目からウロコがおちる、み
たいな。。。)のはずと思っていたのだけど、そうでもないなと思う。僧侶養成学校の
頃からまわりに愚痴ってたのだけど、「もう偉い先生の話を聞くのやめにしようや!」
偉い先生がしゃべって、おまけの時間として質疑応答の時間がある。先生はたいがい
しゃべりすぎて質疑応答の時間が短くなる。さらに、質問するひとは「先生のお話には
関係ないんですが、どうして大谷派では燭台はつるかめなんですか。。。」などという
お飾りに関することとかしゃべり出して。。。といったあんばい。
こういった、ワークショップみたいのだったら全員参加。で、身体で気づくことがある。先生の考え方を覚えて帰るのではない。何か聞法会もいい加減ワンパターンやなあ。
どえらい先生のお話か、あるいはお聖教の訓詁学みたいなやつか。。。
覚えこみ・思い込み・信じ込みの強化トレーニング。。。
ぐっちんが紹介している「非暴力トレーニング」とか「CAP」とかは、あんまり
プログマティックな感じがするもの確かなんですが。。。
けどまあ、金子師が(ずいぶん引っ張るなあ、この人を。。。)女は愚痴っぽいとか
なんとか書いておられるので、こういうトレーニングもありまっせということで。。。
Genkoさんは日本人は、ディベートみたいなのが下手云々ということを書いて
おられましたが、相手を論破するとか、コリクツをこねるとかいう技術(ディベートは
そんなんじゃないとお叱りを受けそうですが。。。)を習得するよりは、自分の意思を
はっきり相手に伝える技術を磨く法が、ぐっちん個人としても必要だとずっと感じてま
す。http://www.pat.hi-ho.ne.jp/soyama/gakusyuukai/siryou/02-2-3asaasyonn.htm
南冥寺の反戦法要に、ぐっちんさんも飛び入り参加するのか。
言って聞いてみたいものです。
南溟寺の役僧のBBさんとは、京都時代専修学院で
同級生、同じ寮でした。酔うと人間が変わるのは
昔のままですね。懐かしい。
狂信さんの教えてくれたマンガ
「こどもたち!〜きみと響きあう言葉〜児童養護施設光学園」
ウチにも1、2巻ともあります。小生はまだ読んでいませんが
園長すけのお別れ会に行った母が購入してきました。
家族の者が読んだけど、結構過激でマンガとしても
面白かったけど、いろいろ考えさせられると言ってました。
ビハーラ活動に関わった人の話を(まあ、いろいろありますが、ある傾向として)大胆にまとめてしまうとこういうことだと思います。自分が死に行く人に何かできないかと思って病院に出掛けて行ったところ、逆に病の床にある人に「祈られていた」。。。
なんだ要するに「差別されているものが差別しているものを救う」という我苦生さんが
いってたことが、ここでも形を少ーし変えてアルだけやないか。。。
にしてもMAROさん。ぐっちんが興味を持っていたユニークなアプローチをされて
いた真宗関係者は次々亡くなられてしまう。(河田さんしかり、梶さんしかり、真宗寺
ハゲちゃんしかり。。。)祖父江さんもそのお一人でしたね。
あーユウウツ。。。あ、いつでもあいてますよ。なんぼでもお話いたしましょう。
ぐっちんは憎まれっ子世にはばかるてな具合で、相当長生きすると思います。時間は、
ご都合の宜しいときに。こちらからお電話差し上げます。なにわ美食悦楽ツアーも
盛夏コースをご用意いたしましょう!
まあ、お坊さんがいつも立場が上であることには関心があるかもね。金子大栄師の
『住職道』には、
>住職が説法し、坊守が聞法する であるとか
>愚かなる門徒を教化するのが住職のつとめである
とか、のたもうておられるようですが。。。つまりは、何やかやいうて坊主がええ顔
しておきたいんでしょ、ってなかんじ。社会の中で本当に自分の身が、娘の身が、母の
身が、姑の身が問題になって介護(痴呆高齢者)や育児や教育や食べ物やいろいろの問
題に自主的に取り組んでいるひとびとから学ぼうなどという発想が坊主という種族はな
いのとちゃうか?
これは実話。大阪教区の佛教青年会にいたとき、あるお坊さんは「世間の人は何に悩
んでいるのだろうか?」とおっしゃられてた。佛青に人が集まらない。集まっても寺族
関係者。ぐっちんは、佛青って寺の人の親睦会やなあと思って呆れていたけど、この発
言を聞いてもっとあきれた。「やっぱ、あかんわ。。。」
おっしゃること良く(ん〜少しかな。笑)分かります。
一度、リアルでゆっくり、お話を聞いたいですね。
ああ、ちなみに、CAPNA(子供の虐待防止ネットワーク・あいち)はここにあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~capna/
故、祖父江文宏(そぶえふみひろ)先生が設立したものです。
で、一番これを聞きたいのだが、『今は?』。
何人か、そのときのメンバーの名前を聞いて、その人達はすごく大好きな、尊敬する人たちなのですが、よからぬ話も聞きます。みなさん、少し偉くなられたみたいですし、そう簡単にいかないのでしょう。
でも、、、。私が、聞いた分裂報恩講の話は、感動的な『お経』みたいです。
鈴木君代さんの歌にこんなのがあります。
『お坊さんにあこがれて、お寺にはいったの!』
私も、あなたたちにあこがれて、坊主になりました。だから、いつまでも、あこがれの対象であってもらいたいです。
で、どこで分裂報恩講とつながるかというと、勝手に想像するに、あの時改革派の中は間違いなく門主を排除する方向に動いていたはずだ。
でも、「それは仏教ではない!」と、政治性も、方法論も無視して、「それは仏教ではない!」と、改革派の中で声を上げた人たちが居たということである。ガキ、若者、ばかものが居たということだ。
ん〜、頭が回らん。でも、もう少し。まとまりはないが。
若者は、ばかもので無い限り、弱いものだ。つねに上の世代や、親、先生の顔色を見ながら、「こうした方が、受けがいいかな?」などと考えてしまう。私だけじゃないはず。
昨年、でもどりで学生をしていてて、すごく感じた。良い成績を取りたい。一言でいうなら、そんなもんだろう。
「先生がこういうから、きっとこうなんだろう、、、、、。」って。
せっかく生きてんのに、もったいない。と、思う。
>西は文字通り教団あげてビハーラに取り組んでいます。
と、いうことは、熱心にやっている人たちは、『優等生』なんじゃないのか?
自分が、どういう形で真宗に、仏教に出会ったということより、単に『優等生』に成りたいのではないのか?だから、時代が変われば、その人たちは、戦時教学でもいいのでは?
分裂報恩講の時、改革派の中の、若者、ばかもの(愚者)は、そうじゃなかったはずだ。
自分の出会った真宗、仏教。救われた喜びの表現として、「それは仏教じゃない!」と、自分の先輩、先生達に「あなたたちから伝えて頂いたものは、そうじゃありません!」って。まあ、想像ですが。
で、なんで興味あるのかというと、ずっと気になっていた
>ビハーラ=現代の戦時教学かもしれない 投稿者:まこ 投稿日: 7月11日(木)11時00分46秒
これです。非常に面白いな〜って、思っていまして、考えていたんですが。
戦争中の大谷派の資料を読んでいて、思ったんですが、何でこんなもんに引っかかったんだろうと。『時代』だったんだろうけど、基本は、『主体の無さ』だと考える。
それは、まこさんが
>現代社会では「いいこと」と評価されます。
と、「いいこと」と、かぎかっこを付けておられたように、「何となく」だと考える。
テレビでもやってるし、「あの、なになに先生も言っている!」という様な事だと考える。
ファシズムは、この、「何となく」が問題だと考える。
『お前はどうやねん!』より、「何となく」である。
>西は文字通り教団あげてビハーラに取り組んでいます。
と、ありますが、その一人一人が、本当に自分の意思なのだろうか?「何となく、坊さんとして、うけが良さそうだから。」と、いうような気がするのだが、、、。
これは、70年安保の時、実際に参加した人も、そんな事を言っていた。
ん〜、酔ってるし、疲れていてて、頭がまわらん。
分裂報恩講のときの、改革派内における、もうひとつの『分裂』の時に実際にその場に居られた方、もしくは詳しい方、そのときの様子を、教えてください。
何度か、話を聞いたのですが、いまいち、解りにくい。だいたい、百人集会って?それと関係あるのでしょうか?
いま、何となくなのですが、知っているのは、まあ、門主は来るな、と改革派。排除するのはおかしいのじゃないのか?と、若手改革派。
すごい興味あるので、教えて下さい。
>ぐっちんも替え歌「疑惑の中で」他歌うつもりでおります。お近くの方は、ぜひご参集下さいまし。。。
そうか、今年は、ぐっちんさんも飛び入りするのか、、、。
反戦法要の飛び入り、っていうか、私はメインと思っているのだけど、南溟寺の役僧のBBさんの、三上寛や、遠藤みちろうを彷彿させるような、弾き語りが凄くて、楽しみなのだが。
去年は酔っ払って、戸次さんにからみまくってたな〜、そういえば。
今年は行けるかな?
狂信さんご紹介のサイト、CAPNA出版とあります。これは、CAPという児童虐待
防止プログラムと何か関係があるのでしょうか? 例えば。。。
http://www.yamagata-npo.ne.jp/cap/about_cap.htm
さて大阪教区へ深く関わっておられるMaroさん。HPを見る限り、大阪教区の児童連盟は
主にキャンプ活動をされているようですし、坊守会も旅行や仮名聖教の学習会をされているようで、「児童虐待(性的虐待を含む)」というような問題には取り組んでおられないようです。
教化委員会というところでは「男女の共同参画を考える会」とか「青少幼年問題を学ぶ会」と
かありますけど、そこもいわゆる講師を招いてお話を聞くというスタイルでありますね。ぐっち
んは、この時代お勉強ばかりしててもね〜という感じがどうも否めません。もっと時代に危機感
をもって身をもって学習するワークショップみたいなのは取り入れられないんでしょうかねえ。
ぐっちんのようなものは、どこにも参加できず意見を言う場がないような気がしますが。。。
反戦運動もいいんですが、「愛は地球を救う」みたいに一年にいっぺんだけ貯金箱持ってい
けばいいという問題でもないような気がする。。。常日頃、暴力にさらされている高齢者や児
童や女性の問題はないがしろなのでしょうか?昔のパネルを展示しておくとか、時の首相に抗
議文だけ出しといたら、平和運動に取り組んでいるというアリバイは持てるんでしょうかね。。
レスありがとうございます。
来年は東西クラブイベントなんかしたいと企んでるんですがね・・・
お東近代教学における二枚看板。ええ加減にせえよ、という意味です。
あ〜古典芸能思いっきりやりたい。河内屋菊水丸の河内音頭には、新聞(しんもん)詠みと
いう時代を切り取るやつがあります。あれも、好き。阿呆陀羅教のいちジャンルにも「尽くしもの」というのがありますけど。いちばんポピュラーなのが「ない尽くし」。
ないない尽くし、ない尽くし/このごろ社会はゆとりない/子どもの頃から夢がない/
試験・偏差値未来ない/自分ひとりで友達ない/友達あっても信じない/冗談言っても通じ
ない/ないない尽くし、ない尽くし/宝くじには当らない。。。
これは爆笑宴会かくし芸という本のコピーです。常に時代を反映させて、言葉を変えていく
ものですが。。。
のタイトルの意味は何でしょうか?
量深・大栄といえば、東映の時代劇に例えると、千恵蔵・歌右衛門ではないのだろうか?
ったくもうであります。。。(例えが古すぎた。。。)
あ、そうそうこんな話しじゃなかった。東西七夕というのは、京都へ行けない人も各地方の
別院(吉崎とか東も西もあるんでしょ?)でやったらええのではないでしょうか?大阪しか知
らんのですが、例えば難波別院と津村別院。これは近いなあ。。。歩いて5分くらいか。。。
でもサラリーマンとかOLさんはようけ歩いてそう。。。で、地方紙とか全国紙の地域版に載
っけてもらう方がアッピール性は効果あるんとちゃうやろか? 以上。
貴重なご意見で、私がやりたいことの追い風になるようなご意見ばかりです。
しかし、私は関係者ですし、これらの問題について、私がここで発言することはあらゆる意味で
アンフェアですので、具体的なレスはしません。
>実生活や他の掲示板での「いきがかり」を持ち込まないでください。
ということもらくりんさんがすでに忠告されていますので。
ただ、紫浄土は、60年代的なものとはほど遠いです。むしろそういうものを期待した方から反発がありました。年齢は我苦生さんより一回りは若いグループです。念のため。
ほぼ十年前に出された「解放真宗研究会」というとこが(今もあるのでしょうか?)発行した
「解放の真宗」創刊号というのを引っ張り出して読みました。羽向貴久子(うこうきくこ)と
いう方が書かれた金子大栄批判「女人成仏に救われる男たち」というのをあらためて目を通し
ました。
>人間性というものの上において、男尊女卑ということは、永遠の意味をもっているのでは
>無いだろうか。
というボケボケ発言が目白押し。この大先生はその昔、
>聖徳太子の説かせらるる臣道(天皇に忠義を尽くす道)と親鸞の説く民道とが相応じて
>日本臣民の道が成立するのです。 (「国家理想としての四十八願」)
という発言もされていて、つまり現状肯定、時代がきな臭くなっているときは、長いものに巻
かれろといい、平時は女は黙って男に従えといってただけのおっさんなのではないかと思うよう
になりました。どうにもこうにも情けない。こんなのが近代教学なのか。トホホホ。。。本代返せ!!こんな発想に何の再解釈もありえません。
>oyajiさんへ
芸達者じゃなくて、不器用貧乏です。そうですね、ぐっちんも東住吉高校で上方芸能の基礎を
習得してのち和歌山あたりの有機農業グループにいれてもらって、百姓になりたいです。で、農
閑期に芸人として出稼ぎができたら。。。農業どうでしょう?
>Maroさんへ
そうですか、残念ですね。新曲『おら極楽さいぐだ』(原曲吉幾三)もネタおろししようと
思ってたのですが。。。♪オラ、こんな国いやだ〜オラ、こんな国いやだ〜浄土へいくだ〜。。
>我苦生さんへ
うん。ビラを渡すのも強制〜おしつけ〜暴力になりうる。来年はティッシュを配ったらどう
でしょうか?できるだけ、みんながティッシュをもらって貯めておき、ビラを差し替える。
こんな企画なら参加してみたいのですが。。。
さて昔気になったのが、「非暴力トレーニング」というワークショップです。このワーク
ショップっちゅうやつは一回やったからといって何か変わるちゅうもんやないと思いますが、
ともかくカラダを動かすという発想が何かええなあ。
レディース(?)コミックです。
第1巻 第2巻をたまたま手にして、読み終わりました。
祖父江文宏さんには、お仕事のことを講演で聞いたことがありましたが
これを読むと、祖父江さんが、社会の何をみて、それをどう考えて
どういうことをしていらしたのか、分かるように思います。
http://www.tcp-ip.or.jp/~rica/capna/syuppan.html
大谷派の公報誌「真宗」7月号に、ご遺言のようになってしまった対談が
掲載されています。
読んでいて、「園長すけ」にいろいろ教えてもらって,
手を合わせたくなりました。
>>一つの納得 投稿者:らくりん 投稿日: 9月10日(月)10時26分01秒
>>この冊子が公刊されたことによって曽我量深先生僧籍を剥奪され教団
>>から追放され
>事実上の『教団追放』処分を受けたことには変わりありませんが……。
>大谷大学教授辞任以外の処分を受けられたとしても、僧籍を剥奪されたとは
>思えません。
薄野高麗王さんがおっしゃるとおり、
曾我先生は、異安心とされて大谷大学を辞任されますが、僧籍は剥奪されていません。
したがって、上記9月10日付け「一つの納得」の内容は誤りです。
申し訳ありません。
>西は依然として主流は真俗二諦論であり、東は主流が非真俗二諦論であることが、
>教学的にはあるのではないでしょうか。らくりんさんあたりの見解を伺いたく思い
>ます。
そもそも私は、「真俗二諦論」か否かというような、カテゴライズして一括り
にするような、いわゆるラベリング(レッテル張り)発想では
考えないようにしています。(特に否定的にそれを行うときは注意しています)
名前を付けても何も説明したことにはならないと思うからです。
ある事柄に名前を付けることは大切な作業ですが、
それは中身が明確に示された上で意味が出てくるので、
人が使っているレッテルをそのまま用いたからといって、
命名者と同じ意味で使っていることになるとは限りません。
親鸞がやった仕事の大きな特徴の一つとして、
すでに使われてきている用語を用いながら、
その中にまったく違った意味を持たせることに成功していることがあります。
そういう着眼は、
すでにある概念や呼称を分類して並べ替えたり整理して
ラベルを付ける作業の中からは決して出てこない。
もしかしたら「真諦・俗諦」という、浄土教発生のはるか以前から使われてきている
用語にはすでに忘れさられてしまった、あるいは私たちがまだ気がついていない
重要な意味があるかもしれない。
「真俗二諦論」という〈語〉に肯定的な〈義〉を見い(or生み)だせる
視点があるかもしれない、といいう姿勢をいつも持っていたい。
ぐっちさん、芸達者ですね。うらやましいです。私もぜひ、今度関西に行って、ぐっちさんの歌聞いてみたいです。そのときはよろしく。ところで、私は、わけあって、今勤めている職場を辞めようと決心しました。サラリーマン社会の現実に嫌気がさしました。人間関係に疲れてしまいました。どっか静かにのんびりと暮らせるところに行ってみたいです。現実はそんなに甘くはないと分かっているんですがね。どっかいいところありませんかね。誰か助けて!!oyajiの悲痛な心の叫びでした。どなたかアドバイスをください待ってます。
比較的ではなくて絶対的に若いです。60年代ではなくて、21世紀
かなと私は思いました。
集会&デモではなくて、コンサート&パレードです!
年々減少気味の参加者を増やしていくには若者自身が実行委員会に加
わる必要があります。というか、若者中心で進めるのがよいのではない
かと思います。
この掲示板に集う方々が思わず参加したくなる企画にしたいですネ!
しばらく留守してまして、先ほど帰ってきました。
机の上に郵便物やら、電話メモなどが山と積まれています。
とても、まだ留守中の書き込みに目を通すことができません。
ちょっと落ち着いてから、読ませていただきます。
やっぱり、
20日に出演されるんですか。
残念、この日は都合がつきそうにありません。<(_ _)>。
南溟寺まで、車で20分なんだけど。。。<(_ _)>
う〜んチンドン屋さんスタイルもいいな。こぶくろとかゆずとか、ストリート芸人あがり(?)
でしょ?本願寺さんも、寺を捨てよ、町に出ようです。(ってやっぱり寺山やんけ!)
辻説法、街頭パフォーマンスでしょ、お坊さんの原点は。
あ、そうそう7月20日の土曜日、大阪泉大津・南溟寺で反戦法要あります。尾畑文正師の
おはなしと近藤龍麿さん、天白真央さん、鈴木君代さんの出演でコンサートもあります。飛び
入り大歓迎だそうです。ぐっちんも替え歌「疑惑の中で」他歌うつもりでおります。お近くの
方は、ぜひご参集下さいまし。。。
どこかステージ用意してくで〜。そんな寺山修司か鈴木清順か、はたまた山海塾かなんか知ら
んが60年代みたいなちゅーとハンパな先祖返りより、明治時代のオッペケペ節だ〜
不景気極まる今日に/細民困窮かえりみず/目深にかぶった高帽子/……/わいろ使うて
極楽へ/行けるかえ/行けないよ/オッペケペー オッペケペー/オッペケペッポー
ペッポッポー
六条万歳というジャンルがありました。六条は本願寺をさします。
ありがたくも/親鸞上人様の由来を/くわしく尋ね奉る/本国は山和の国/
お誕生は日野の里にて/春日様よりも/二十七代目範宴少納言/。。。
まあ、御伝抄ですね。文句が古いので、新しくしなければいけません。次に阿呆陀羅経の一節。
仏説あほだら経/恐れながら/すなわちだんだん/手枕やっかい/諸芸一座のお定まり/
芝居で三番叟(さんばそう)/相撲なら千鳥/祭文ならば/デレンデレンのほら貝しらべ。。。
次に阿弥陀経、十派連合のつくった正信偈.
これより遠く 西の方/そこに一つの 世界アリ/名づけていわく 極楽と/
阿弥陀と申す みほとけが/この極楽に 住まわれて/教えを説かれる 今現に/
シャーリプトラよ この国を/なぜ極楽と 名づけたか...
善導大師 ただひとり/釈迦の正意を あかしてぞ/自力の凡夫 あわれみて/
ひかりとみ名の いわれ説く/誓いの海に 入りぬれば/信を喜ぶ 身となりて。。。
唄のようでMCのようで、なんじゃわからん芸。誰かやりませんか?太夫と才蔵にバンド
メンバー(ドラム・ギター・ベース・キーボード・パーカッション。。。)も募集。
あ、Maroさん。別に、うまくなくても恥を恐れない根性です。見込み充分あります。。。
>そうゆう課題をもっておられるのなら、代案が大派の若手から示され、われわれ西の若手と議論できる日を楽しみにします。
個人でなら、いくらでも出します。
会議に参加できない人達たくさんいると思うので、自由に議論できる掲示板があると便利。
これをまず作って下さい。
あ、夜のお参りがあるんだった。では、また。
今まで一番楽しかったデモは、沖縄の少女レイプ事件の集会&デモで、1万人規模だったと思うのだが、なんと、先頭は(もちろん警察だが)エイサー隊。がじゅまるの会(だと思う)のエイサー隊が、太鼓たたきながら、おどりながら、もちろん琉球民謡流れながらのデモ。あれは、参加者だけでなく、道で見ている人達も楽しそうだった。確か、日曜の昼間、御堂筋だったのだが、デモの参加者以外にも、ぞろぞろついて来ていた。
せっかくデモするのなら、仕事で警備している警官も楽しめるような方が、『平和運動』だと思う。まっ、理想ですが。
集会&デモっていう、伝統を引き継ぐのでなく、『平和を愛する』という事を、声にだし、表現していく、という精神だけをひきつげば、いいんでないでしょうか。
ありがとうございます。
たしかに内部にいると色々問題点もみえてくるのでおっしゃる意味はよく分かりますよ。そうゆう課題をもっておられるのなら、代案が大派の若手から示され、われわれ西の若手と議論できる日を楽しみにします。
>大谷派の若手はどーしたんですか?
知らんがな、そんなもん。でも、想像するに、カラオケにでも行ったんでは?
あと、これは、真面目な話だが、限界を見たのでは?って思う。
今の、西の若手が元気なのは認めるが、っていうか、数年前に作った『行動する若手僧侶の会』でも、西ばっかりやもんな。あんたとか、おじきとか。
これを、「今の大谷派の若手は保守的に成って来て、声明、教学ばかりしている」って、言うのは簡単でも、なんか、違うと、思う。
単純に、『それでいいのか?』って、迷っているのだと思う。
運動には、正義がつきまとう。で、敵を作ってしまう。体制(教団)だとか、ノンポリだとか。
そういう先輩(あるいは、自分の親父)の姿を見て来て、『ん?』って、『ん?真宗って、これでいいの?』って。悩んでいるのだと思う。
テックナットハンの本で、『平和運動をする人達は、とても上手に抗議文を書くことが出来ます。ですが、相手が読みたくなるような、愛の手紙をどうして書くことが出来ないのでしょうか?』って、いったような内容があったはず。あれですね。あれ。『平和運動は、平和を愛する運動です。』って。あれですね、あれ。
集会、デモはお祭りだから、参加している人達は楽しくても、デモの為に渋滞に巻き込まれて、イライラして、あげくにお得意先に着くのが遅れてて、怒鳴られて、イライラして、腹立てて、自棄酒飲んで、、、。
東西七夕のデモは一度しか参加してないが、ビラまきが私の仕事で、ビラ巻くために歩道を歩いていたら、あるおじさんにこんな事を言われた。
『おまえら、人の迷惑を考えろよな!』怒ってた。
それでも、大切なことだから、毎年続けるべきだが、そういうおじさんの言葉を、運動家の理屈で、斬ってしまうのでなく、考えて、悩まないと。
『平和運動は、平和を愛する運動です。』(ん、『平和を生きることです。』だったかな?)
以前にも言いましたが、私は全共闘教学は好きですが、同時にそれを乗り越えないといけないと思っています。他の、大谷派の若手も同じかな?
紫浄土ってなんか凄そうですね。
メンバーは、比較的若い人達だったんでしょうか?
若い人達でも、頭の中は60年代なのでしょう。寺山修司(ん?)が、とりついているのでしょう。だいたい、集会、デモというスタイルも、なんだかな〜。以前は、さんざん参加したが、、、。なんだかな〜。
来年は、解り易くする為に、平和コンサートを西部講堂でやればいい。
で、出演は、『パンタ&ハル』つまり、『頭脳警察』だ。
参加者は、大谷派なら『大』と、書かれたヘルメットを着用、もちろん、タオル(もしくは、マスク)で、顔を隠す。ゲバ棒も忘れずに。アジビラは、もちろんゲバ文字で書く。
やっぱ、それぐらいしないと。
ふんどしで白化粧に赤ふんどしの裸の男が2人、女性三味線3人、女性
演技者3人で構成されたグループです。
最初に女一人をしばりつけて、女2人で正信ゲ早口読み演奏、その後は
女2人による縄縛りとぶらさげと回転というまるでサドマゾショー。
皆さん驚くやら呆れるやら興味津々であるやらの反応でした。はたして
平和コンサートにふさわしいかどうかの疑問が出ていました。
私は息をのんで見ていました(^^;
>ぐっちんさん
ROM決めてたらいきなりのご氏名ありがとうございます。
でも、ごめんなさい。私、音楽もだめですわ。。。
ただし、ぐっちんさんの美声は聞きたい。(わがままです。<(_ _)>)
まこさん、ご丁寧に説明してくださり感謝します。
よく分かりました。小生は、まこさんがご指摘した
お東のビハーラ第一人者というお方がどうも苦手な
もので。何かそれを売りにしているような感じで
どうもなじめません。ビハーラは本当に大切な
問題を示唆してくれます。しかし、それから自分が
問われる事なくては、関わる事がどうしてもどこまで
行っても他人事に終わってしまうのではないかと
思います。なんと言っていいのか難しいですが....。
キリスト教と性についての会話。
イスラームでは、原則的に一夫一妻制です。なんだか一夫多妻制のハーレム状態みたい
なイメージが西欧からの悪宣伝で広まってしまってますが。。。クルアーンの雌牛章の最初の方を読むとムハンマドの在世時、オホドの戦というのがあって74名のイスラーム兵士が死んで、未亡人、孤児遺産相続、再婚などをどうするかという問題が生じました。それで、お金に余裕のある男には4人までの妻(いくあてのなくなった未亡人)を娶ってよいとのアッラーのお告げがあったそうなのです。
イスラームでは、離婚も認められています。つまり再婚も許されてます。(婦人章)
また人間は弱く作られてあるからセックスを喜びとしてもよいとあります。(雌牛章
187節)ニュースをみてたら英国国教会は、ようやく再婚者も教会で式があげられるようになったそうです。それは、教会で結婚式をするカップルが年々減ってきているという背景もあるそうです。再婚はダメ。つまり、離婚を認めていなかったわけですね。結婚したら一生そのパートナーだけと付き合え、それが神が認めたセックスだと。。。
キリスト教の異様なまでの性に対する罪悪視はいったいなんだったのでしょうか?
同じく仏陀の次のエピソードもひどい。
マーガンディヤーという絶世の美女がいた。彼女の両親はこの娘を溺愛し、縁談はことごとく断るといういわゆる箱入り娘状態であった。
ところが、マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。
ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。
「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われはこの女の足にさえ触れようとは思わぬ」
(『スッタニパータ835』)
ったく、どうなってんの?
今回の東西のテーマだった「次世代を結ぶ」はカチンときました。
<誰>からみて次世代か?
それに日本語としてもおかしいし。
「世代を結ぶ」にすべきだったと思います。
紫浄土ってどんなジャンルでしょう?まさか、ディープ・パープルみたいなへびめた
だったりして。。。
黒人ムスリムは、かなり以前からラップでやってますけど。。。(HP参照)
たびたび繰り返しますが、日本には「ちょぼくれ」や「ちょんがれ」や「祭文」「阿保
陀羅経」といった早口でまくしたてる芸能がありました。濃厚に宗教性をもったこれらの芸能の方がぐっちんには、アタラシイ。
今考えてるのは、阿弥陀経の七五調訳があるので、こいつをいかした「ラップ阿弥陀経
〜なにわ篇〜」誰か一緒にやってくれる人いませんか?Maroさんなんか音楽ダメ?
すでにまこさんがおっしゃるように、<仕切り>はじめています。
9・30シンポは強引に私が決めました。
和田・信楽両氏をメインゲストにすえる第一回の発想に対して、「次回から皇室外交みたいなことはやめましょう」と強く主張したのは私です。
なんせ、デシャバリのCHINCHINですので、じっとだまって、オジサマ方の言う事を聞いてられないのです・・・・トホホ
ところで我苦生さん、大谷派の若手はどーしたんですか?オジサマ方に生意気に意見してるのはしんさんや私のようなオニシの若手ばっかですよ〜??オ東の方はコンサートには来ましたが、おとなしく帰ってしまいましたが・・・
ビハーラは高齢化社会の時代の要請に真宗の立場でかかわっていこう
とするもので、それ自体は現代社会では「いいこと」と評価されます。
個々の僧侶なり門徒なり寺院が個別的にビハーラに取り組まれること
は肯定してよいと思います。東のビハーラの第一人者の田代俊孝さんに
伺うと東は教団あげて取り組むことはしていないと明言されておられま
した。
西は文字通り教団あげてビハーラに取り組んでいます。全国交流集会
も回数を重ねていますし、昨年の岐阜の集会には私もスタッフとして参
加しましたから、内部事情も問題関心もそれなりにあるつもりです。し
かし、現代の社会のニーズに単純に応えてしかも教団あげて旗を振るの
はいかがなものかなと思っています。
戦時教学があの時代の社会のニーズに応えて積極的に侵略戦争に加担
していったことと同列には論じられませんが、教団の体質という点では
またビハーラ運動としてもある種の「危うさ」をはらんでいると思うの
は批判的に見すぎているのでしょうか? 皆さんのご意見を伺いたいと
思います。
ご指摘の通り、お東は有志がイロイロ活動しているのですが、
そういう集会や研修会に来るメンバーはいつも同じという悲しい
現状があります。それだけ、アンテナの感度がイイ人は色んな問題に
黙ってられないということがあるのでしょうが。
お西のビハーラ熱は凄いものですね。それを「戦時教学」と
評価するまこさんに聞きますが、どういうポイントがそう読めるのですか?
教えてください。
原発の本を出したことはこれは画期的なことでした。
しかし、原稿が出ていてけど発刊するまでに何年も
かかった現実があります。原発=国家ですから、
それに物申すというのは、ある意味非国民ですから。
どこまで、その覚悟があるかは疑問ですが。
私宛の公開書簡?に書かれたことに大きな異議はありません。
教団として東は個別化しているのに対して、西は組織的であることは
否めないと思います。
社会問題に有志が取り組む東(にしても「いのちを奪う原発」を東本
願寺の名で出すことはすごいことです)に対して、社会課題に教団で取
り組む西(「ビハーラ」はまるで現在の戦時教学です)かなあと思って
います。
早い話、西は依然として主流は真俗二諦論であり、東は主流が非真俗
二諦論であることが、教学的にはあるのではないでしょうか。らくりん
さんあたりの見解を伺いたく思います。もちろん他の皆さんもこの東西
の異同の議論に参加していただけるとありがたいです。
私の位置は西の僧侶で教師資格をもつ住職後継予定者(寺族=不思議
な用語ですね)です。参考までに、次のHPを持っていますが、メンテ
ナンスはここ1年間は放置しています。掲示板もありますので、よろし
ければお立ち寄り下さい。
地域情報研究所
http://www.mirai.ne.jp/~makotom/
"さけび" 我苦生 wrote:
> 「いつまで、おっさんについていかなあかんねん。豊田ゆうぞう、
> 新谷のり子。今は、60年代ちがう。学生運動の同窓会につき合わすな!」
今年の平和コンサートは若者版のもので数グループが出演したのですが、
特に最初の「紫浄土」は衝撃的でした。これが今の若者感覚なのかと半ば
驚き半ば興味津々で眺めておりました。
すでに若者へのバトンタッチがされようとしつつあることを実感しまし
た。9月30日にはTINTINさんの企画でシンポジウムも開かれる予定です。
今は過渡期ですね。50歳になった私もそれなりに頑張りたいと思います。
東西七夕は、とても素敵な行事で、大切な事。
これからも、一年も途切れることなく、おこなってもらいたい。
行けるときは、参加するし、協力もする。
で、さけび。
「いつまで、おっさんについていかなあかんねん。豊田ゆうぞう、新谷のり子。今は、60年代ちがう。学生運動の同窓会につき合わすな!」
あ、これは、さけびじゃなく、文句か?
で、またさけび。
「しんさん、CHINCHINさん、お前らも、ええかげんに、東西七夕牛耳れ!『信楽さん、和田さん、菱木さん、西寺さん、僕たちのあとについて来て下さい。』って」
政治も何も考えていない、ただ純粋に『おかしい!』って、いえるのは、若い方が、いい。元気だし。あ、でも、さきにあげた、おやじども、元気やし、若いしな。
あ、これは、注文か?
行けない事の方が多いので、同世代のぴちぴちしたあなた達に、期待します。
むかーし、むかあし、14年ほど前、広大会(こうだいえ)というお東の有志が作った本が
ありました。そう、泥臭い。その中に山○○夜子さんの「おんなたちの戦争」だったか何だっ
たかにとても、コワイ写真が載ってました。中国大陸に侵略した兵士が、女性をレイプして銃剣
でついて内臓が飛び出しその横で笑っているものです。
コンゴが独立した時も逃げ遅れた白人女性はおばあさんまでレイプされたそうです。同様の
ことがユーゴスラヴィアでもあったそうです。男たちのなわばり行動は、自分たちの優位性を
知らしめる事ですから愛してるのでもなく、種族を保存する目的でもなく、ただ相手に辱め、
屈辱を与えるためにレイプするのですね。ほんとにおぞましいと思います。
今度の有事法制もガイドラインの見直しから、周辺事態法へそしてくだんの法案と着々と準備
が進められていますね。この有事法制は早い話が、「なぐる」側にまわりたいということではな
いでしょうか。あるお東のHPには、お気軽さを装って真正「右翼」ともいえる意見を堂々と述
べてあるものがあります。表現の自由はありますが、なんで「和尚」だの「寺院」だの「仏教」
だの「親鸞」だのというカンバンが必要なのかわかりません。
ナショナリズムとは、母性である。理屈じゃないんだと。母なるものとは、自国の母や娘や恋
人たちがレイプされるのを阻止することだ云々と。また、えんえんとこの方は、自分の「女好き」の主張もされています。つまり、「お前が他国の婦女子を好きなだけ襲いたい」んだろう?と邪
推させるのに十分な内容です。
私の中に、攻撃性・暴力性・凶暴性がないかというと実は有り余るほどあります。で、同じく
性欲も。だからこそ、そのことを正当化してあわよくば実現しようという主張を仏法の名におい
てやってはならないのだと思います。現に「おしょーさまあ、めがひらけましたー」などという
カキコがあって、自信教人信の成果があらわれたりなんかしてるのですから。。。
>我苦生さんへ
X巻の最後に、らくりんさんが差別ビラ事件という谷大であったことを書いておられるのだけど、三吉さんもその当時学生さんで、その事件を見守っていた云々ということを指すのでありま
するな?最近、移動図書館ならぬ、移動ネットカフェができて大変便利になりました。資本主義
の世界は進歩が目覚しい。
ところで20年ほど前に、人間はなぜ戦争をするのだろうかと考え、生物として凶暴なのかな
と思って色々調べました。K・ローレンツの『攻撃』とかデズモンドモリス、ティンベルヘンと
いった動物行動学の学者の本です。
大雑把には、同種間の攻撃行動と異種間の攻撃行動にわけます。異種間とはつまり、異なった
種の生物を食べるために攻撃することです。同種間の攻撃行動には大きく二つあります。@順位
制行動とAなわばり行動です。@は、差別行動といい、Aを戦争といい変えてもいいかも知れま
せん。
@は、出世競争からボスの座をめぐっての跡目争い。争ってもないのに相手を見下す差別も含
まれます。Aは、なわばり争いです。やくざの抗争から国家の小競り合いから犬の電柱おしっこ
かけ(マーキング)まで含まれます。伊沢紘生という生物行動学者さんによれば、ニホンザルな
どにみられる<ボス>が発生するのは、人間が餌付けした集団に限られるのだといいます。野生
種には、順位行動はみられない。インドの市中(インドではサルも牛みたいに神の使い)に住ん
でるサルとか、動物園などに飼われているストレスをかかえた集団だけがボスの座をめぐって争
うのだと。
なわばり行動でも、人間以外の種は、殺し合いは結果として生じるのであると。「食べる」と
きだけ異なる種の生物を「殺す」のだといいます。
これは独断と偏見で書かせてもらいますので、
当事者もしくは関係する人の中で御意見がある人は
ドンドンお考えを聞かせてください。
お東は、ハンセン病や死刑廃止、原発、女性問題
など対社会に対してメッセージを送っているように
見えるけど、これは教団全体というよりも一部の人が
頑張ってくれて発表してくれているのが本音です。
ナカナカ全体で考えるという雰囲気にまでは
なっていないのが現状です。ただ、東の場合は
門首(門徒の首座に立って聴聞する宗祖の弟子)という
位置付けになっているから、比較的そういう自由な
討論が出来る土壌になっています。大半は無関心なのですが
邪魔しないだけ助かります。だから、理屈っぽいといわれることも
あるのが現実です。泥臭いというのが、お東のイメージでしょうね。
それに対して、お西ではいまだに門主、つまり善知識ですから
絶対的、ご指摘の通り伝統教団です。だから、ついこの前
問題になったオリンパスの新聞広告の「他力本願」を
問題視したのはお西の発想だと聞いています。
その背景を問わないで、言葉狩りしているように
思えてきます。お西では自由に発言するという雰囲気は
ありませんね。スマートなお坊さんというイメージです。
これは、両方の御本山をお参りすると、宗務職員の
雰囲気で判別できます。お西では腰が低いけど、
お東はそういう面が欠けています。どうも理論大好きで
ホームページの充実に関してはまだまだ遅いです。
しかし、お西はそういう面は凄いんでしょうね。
イイか悪いか優劣をつけるのではなく、単に
凄いというだけです。内容はどうかいいませんが
そういう所にキチンと反応するのはさすがお西だと
思っているのですが。
モモさん、書かれたことの意味がわからないでとまどっています。
> サイトでビックリ。お西は、対社会に敏感に反応
> しているのに、未だにお東は....。
> 化石みたいな死にそこないが教団の中心に
> いるんだからなぁ。
一般にはお東の方が社会運動の関わりが強いのに対して、お西は伝統
教団的であるというのが私の実感ですが、これとは違うことを言わんと
されたのでしょうか?
あるいは門主ないし門首がどれだけ実権を持っておるのかと言う意味
なんでしょうか?
もう少し具体的にお東とお西の違いについてご説明を願います。
>一つの納得 投稿者:らくりん 投稿日: 9月10日(月)10時26分01秒
>この冊子が公刊されたことによって曽我量深先生僧籍を剥奪され教団から追放され >ますが、
らくりん師の前年9月10日の御書き込みについてですが、金子大榮師が「僧籍剥奪・大谷派教団追放」されたのは近代大谷派年表やその他の文献から確認できますが、曾我量深師が僧籍を剥奪されたという記述は見当たりません。たしかに
昭和5(1930)年4月30日
曾我量深、大谷大学教授を辞任。学生、総退学決議などの抗議行動にはいる。
『近代大谷派年表』より とは書かれていますので、事実上の『教団追放』処分を受けたことには変わりありませんが……。大谷大学教授辞任以外の処分を受けられたとしても、僧籍を剥奪されたとは思えません。
らくりんさん、或いはこの掲示板をご覧の皆さん、過去の『真宗』などの資料に「曾我量深師が異安心事件によって僧籍剥奪された」という記述がありましたらわたしに教えてください。
それと管理人さん、
大谷派僧侶が僧籍を削除・剥奪・またはそれに類する行為をされた例 投稿者:薄野高麗王 投稿日: 7月 9日(火)20時03分56秒 FLA1Aae074.hkd.mesh.ad.jp
を削除してくださると幸いに存じます。
久しぶりに書かせていただきます。さて、「大谷派僧侶が僧籍を削除・剥奪・またはそれに類する行為をされた例」について考察させていただきます。先ず、僧籍を削除される典型を3つに分類します。
T 僧侶条例第19条第1号によるもの(いわゆる「所在不明」によるもの)
ex. 告示○号
××(都道府県)×××(市町村区)××××(番地)(即ち住所)
△◇寺衆徒 ○× △◇(氏名)
右記の者は、五年以上所属寺を離れてその所在が明らかでないので、本人及び本人の所在もしくは死亡を知り又は知ったことがあるものは、自己現在地所轄教務所を経て届けられたい。本日より六箇月以内に届け出のないときは僧侶条例第19条により僧籍を削除する。
200×年?月?日
宗務総長 某
半年後
告示×号
××(都道府県)×××(市町村区)××××(番地)(即ち住所)
△◇寺衆徒 ○× △◇(氏名)
右記の者は、僧侶条例第19条第1号に該当するもので、同条により本日付で僧籍を削除した。
200×年!月?日
宗務総長 某
U 「異安心事件」
☆ 昭和4(1929)年2月8日 金子大榮、僧籍削除される。
『大谷派宗務所資料』
「伏線」
★ 前年6月12日 金子大榮の『如来及び浄土の観念』『浄土の観念』に対し議制会会議が宗義違反を主張したため、金子大榮、大谷大学教授を免ぜられる。
V 「句佛事件」
☆ 昭和4(1929)年4月18日 前法主彰如、僧籍削除される。
『真宗』
他にもう1、2点考えられますが“基本型”はこの3つと考えます。
あと、「僧籍を削除、剥奪に類する行為」として考えられるのが次の例です。
W 「法主が総長を“破門”」
☆ 昭和53(1978)年3月17日
大谷光暢法主が「嶺藤亮宗務総長の得度を取り消す」と発表。
前門台下の「得度取り消し」は結果として実効性は殆どありませんでしたが、管長推戴会議の効力を消す、という意味においては一定の役割を果たしたといえるでしょう。
但し、宗主のご機嫌を損ねたからといって「僧籍剥奪」されることは本来ありえない。
長くなったのでTからVの具体的考察については次回にします。
参考資料 真宗教学研究所編『近代大谷派年表』 東本願寺出版部
『大谷大学近代100年のあゆみ』 大谷大学
田原由紀雄著『祖師に背いた教団』 白馬社
友人が、『伝説のパンクギターリスト』のホームページを作っている。
もちろん、架空のギターリストである。
色々な目撃談を持ち寄って、遊んでいるみたいである。
で、伝説って面白いな、って思う。
伝説によると、『読み解く』の後書は三吉さんが書いたらしい。
伝説によると、彌光庵のみやこさんは、元『モモレンジャー』だったらしい。
伝説によると、安田先生の連れ合いは、元曽我先生の連れ合いだったらしい。
伝説によると、曽我先生は、学生に道で会った時、ふかぶかとおじぎをしたらしい。
伝説によると、この掲示板を、大谷派の宗務総長は、毎日みているらしい。
お釈迦さんや、親鸞の伝説もいっぱいある。
あ、伝説によると、ぐっちんさんは、ネットカフェに住んでるらしい。
かんちがいみたいですね。ごめんなさい。
>でも、どこをどう読めば『読み解く』のあとがきを三吉さんが書いたことになるのか?
あとがきは本人が書くものでしょう、普通は。その根拠となる出典を示してちょうらい。。。
それは、昨日私が、452分もネットカフェにいて、過去ログを見まくっていて、
へろへろになって、いたからでしょう。
あれ、でも、らくりんさんが、読み解くの後書うんたらかんたらって、書いていたような気がするのだが。
で、私は、読み解くの後ろ3巻は、ある人に借りて読んだので、手元に無い。
本の内容はノートとりまくったのだが、あとがきの方は、イマイチ覚えていない。
講義のテープが、ある人の協力ですごく速く起こせた。そんなこと書いて居たきがするのだが、、、。
今から、過去ログを調べるのは、いやなので、解りません。
グッチンさんから教えていただいた本願ネットは
お寺関係のHPにしては、プロが作ったと思われる
サイトでビックリ。お西は、対社会に敏感に反応
しているのに、未だにお東は....。
化石みたいな死にそこないが教団の中心に
いるんだからなぁ。
本願ネットの中の阿弥陀本願ネットというのが林遊さんの部屋。珍しい縦書きで作られてます。
やっぱり気になったか。林遊さん。林遊さんがご推薦下さる坊さんは、ぐっちんにはまったく
そりが合わないタイプの語り手さんですが。。。ともかく林遊ワールドへご招待します。
http://www.hongwan.net/
でも、どこをどう読めば『読み解く』のあとがきを三吉さんが書いたことになるのか?
あとがきは本人が書くものでしょう、普通は。その根拠となる出典を示してちょうらい。。。
>しんさんへ
お久です。デモ行進報告がないのでタイムリーです。おおきに。よその掲示板でみてたら、東
京の練馬の真宗会館(お東)から、中央区の築地本願寺(お西)へ向けて友達とお二人で同時刻
に出発された方があったみたいです。暑いし、優に三時間以上はかかると思うのだけど。。。
参加された皆さん、ご苦労様でした。
シュプレヒコールをリードしたCHINCHINさん、本当にご苦労様でした。
裏方の仕事なども大変だったと思います。からだは大丈夫ですか?
さて、年々少しずつと参加者が少なくなることも寂しい感じがしますが
逆に若手からもいろいろと意見(シンポジウムの開催など)が出てきて
これからいい感じになっていくのではないでしょうか。
「次世代をつなぐ」というテーマでもありましたし。
個人的には拡声器でのかけ声や、シュプレヒコールなど、堅く
なりがちな言葉を、この身に響いてくる言葉に言い当てていくことが
大事だなあと思います。
らくりんさんや、我苦生さん、ぐっちんさんの叫びも聞いてみたいです。
私は ただの読者ですぅぅ汗。
過去ログ見ていて、思ったんですが、らくりんさんは、PCマニアなのですね。
ん〜、これは、知らなかった。読ませていただいた本には書いてなかった。
役僧についても、ぐっちんさんが昨年末に、展開していたとは、、、。
ところで、林遊(ん?遊林?)さんは、最近書き込まれていないのでしょうか?
今年の分の過去ログは見ていないので、どうか知らないのですが。
過去ログ読んでて一番引っかかった言葉は、
『念仏、真宗が仏教だろうが、知ったこちゃない!』といったような氏の言葉であり、
(その後、展開していきますが)、あの、土臭さ、酒臭さです。
『親鸞一人がためなり』と、私はいえるのか?ということが、私にとって大切な事であり、
その事を忘れないようにしています。
三吉さんは、『読み解く』の後書きを書いた人だったのか。
はぁ〜、そうですか。
ぐっちんさんへ、
やっぱりですね。そういう解釈でしか対応できない。
思ったとおりですよ。
ぐっちんさんが「キャスタウエイ」を観て(?)そのように思うのは仕方ないですね。
私には
>『キャストアウェイ』というのは、簡単にいうと「進め!雷波少年」の懸賞生活とか、
>ヒッチハイク世界横断とかみたいなサバイバル映画でしょうけど。。。
の意味がわかりません?
私はアメリカ人で、アメリカで宗教社会倫理学を研究している者ですが、
アメリカの大学(特に宗教学、哲学、倫理学)では「Religion&Film」という
クラスがあります。だから「Cast Away」や「Matrix」(この映画もまた古いが)
というのはよくクラスで議論されましたけどね。また、年に一回「Film Festival」
があって、各大学が推薦する映画を集めて数日に渡り映画鑑賞をしたりします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私には親鸞という人物を非常に理解しがたいのですが。しかし学ぶことはたくさんありますね。
かと言って私は親鸞信奉者ではないですし、親鸞が説かれた教え(?)や思想に従おう(?)、
ついていこうなどとは思わないしね。また、Atheistでもないですよ。私は私でしかないですね。
やっぱり自分自身の足元を見ると「食べる事と寝る事」かな。
ととられ、イヤミなカキコだと思われるのでしょうねー、きっと。自己弁護しときますと、
ぐっちん額に汗し、身体で覚えることが自分には必要だと思って、農業学校に学び作物も育てて
ましたし、↓にも書きましたが、身体障害者の方の介護の仕事を四年間やってました。掃除・洗濯・買い物・調理・後片付け・食事介助・排泄介助・入浴介助・日曜大工。。。いろいろやって
楽しかったなぁ。
けど、摘便といって、ゴム手袋をして肛門に指をつっこんで大便を掻きだした最初の時には
流石に「前略おふくろ様。おれ何か一線を超えてしまったようっす。。。」って思いましたけど。。。
といいますか、あなたはどなた?ご自分の立場を充分ご説明されてない(と思いますが)のに
わたしの立場がよくわからないとおっしゃられましたって。。。
『キャストアウェイ』というのは、簡単にいうと「進め!雷波少年」の懸賞生活とか、ヒッチ
ハイク世界横断とかみたいなサバイバル映画でしょうけど。。。
私は最近、人間関係で悩んでしまい疲れてしまいました。特に障害者同士の差別意識が強いのには参りました。健常者と障害者の間だけならまだしも、この問題はどうしようもないですね。私の力不足がとっても情けないです。本当に確かに人間それぞれ食うことが現在の状況ではとっても大変ですよね。とっても不景気だし。クビになったら再就職もむずかしいみたいだし。障害者雇用だって大変だし。この世の中なんかめちゃくちゃって感じですね。差別の無い社会って今のところ理想にしか過ぎないって感じです。また、今晩、眠れそうにもありません。何とかしてって叫びたい心境です。まあ、おやじのグチだと思ってください。こんなことをカキコしている自分がとっても恥ずかしいです。ああ、眠れないよ。不眠症になりそう、誰か助けて。
ぐっちんさんへ、
ぐっちんさんの書きこみが多いので読んでました。
社会問題(?)についていろいろと書かれてますが、私にはいまいち
はっきりとしたあなたの立場(ヨッテタツトコロ)が見えませんね。
ぐっちんさんの立場とは、社会との関わりを通して私をみるとかですか?
私自身にとって「食べて寝る」という事がどれだけ重要な事か、
日々の生活で問われてきますが、あなたは私が書いたことに対して
>食べて寝る。そういう泰然自若として人間、生きていければいいで
>しょうね。それができたら、どれだけラクか。けれど人間ってともだちのことを思って不眠症
>になる人あり、親との関係で、摂食障害おこす人あり。それが人間ってやつなんじゃないで
>しょうかね?
そういう対応の仕方でしかないのならあなたとの対話はなりたちませんね。
あなたはしっかりと食べて寝ていますか?(まあ、こんなことを言えばおそらく前回と
同じ対応をされるのでしょうね。)
本当に、教団の問題も、いろいろとあり大変ですね。私も自分自身で生きて行くのがとっても大変です。健常者と障害者のカベは多分、永久にうまらないのかもと最近思うようになりました。でもその人の気持ちをわかってあげられる、少しでもちかずくことができるよう努力してくれている人がなんと少ないことか。乙武さんのような方々がもっと増えてくれればとつい、楽なほうに考えてしまう私がとってもいやですが。私の永遠の課題ですね。障害者差別の開放問題は。地道に努力の積みかさねていくしかありません。教団の問題も大変ですね。みんなが良いと思える解決策が見つかれば良いんですがむずかしいですよね。でも、祈って努力していくしかありませんよね。がんばってください、祈ってます。ここは大変勉強になります。
興正寺派では、今年秋の報恩講中に9歳になる
現門主の長女の得度式を宗会で予算化したらしい。
初の女性門主の誕生に向けての第一歩らしい。
9歳から英才教育して、彼女の人生を決めてしまうのは
どうしたものか?結局、オヤジたちのエゴを押しつけて
いるだけだろ。なんともまぁ、そんな恥ずかしいことを
よくもまぁ出来るものだ。20歳とか、ある程度たって
自分で選べるようになってからしてもいいだろうと
思うのは、お節介なんだろうか?
三億かけた大イベントも、いかに教団が大きいかということを
社会に訴えるイイご縁になるのでしょうね。恐い恐い。
死をも営業に使うなんて。知り合いのお西の住職が、
「今度のお葬式には全国から寺族・門信徒が集るだろうな。
お東の時は、あまり注目されませんでしたね」と言われました。
親鸞は自分の死後は「加茂川に骨を流せ」と言われて、
決して偶像崇拝をするなと誡められたはず。三億円かけて
するお葬式は、その意志から最も離れた行為であることに
気がつかない悲しさ。あ〜ぁ、根が深いな。
あ〜自分で書いててうざったくなった。。。
大昔、遺伝子をいじくれる技術の本を読んでたときこう思いました。にんげんの細胞に葉緑素
を取り入れて光合成ができるようにしてくれへんかな。そしたら、イオンサプライ、ポカ○スウ
ェットか何か飲んでたら、取りあえず生きていける。人種差別もなくなる。資本主義もぶっつぶ
せるんじゃないかと。。。
陸海空を制した生き物。それが、陸では哺乳類、海では硬骨魚類(つまりタコやイカみたい
じゃないフツーのオサカナ)そして、空では鳥類でした。
哺乳類は体内受精で胎生。魚類は体外受精で卵生。鳥類は体内受精で卵生。サカナは、メス
の生んだタマゴにオスが射精する。よそのオスが射精することもある。だから一妻多夫制とい
っていいかも知れません。でもだいたいタマゴは他のサカナのエサになったりしてしまう。
トリは、卵がかえるとメスがおっぱいをやる必要がないので基本的には、男女共同参画家庭
の可能性があるのだけどエサはオスが見つけに行きます。少なく産んで大切に育てる。一夫一
妻制をとる生き物です。
哺乳類は、メスが子供を育てる部分が大きい。ここでオスは、子育てに参加するかよそにオ
ンナをつくって遺伝子をばらまきにいくかの選択に迫られる。一夫多妻制の社会が(サカナや
トリに比べ)発生しやすいといえるかも知れません。
さて話題は、ブータンやチベットなどに見られる一妻多夫制であります。けれど、女性が
男たちをたくさん囲っているというよりは夫の兄弟を家においてやっているみたいな感じで
す。ここは、また母系制社会でもあります。すなわち、家や家畜やその他の財産を継承して
いるのがオンナです。子供は誰の子かよくわかりません。で、夫は家を追い出される離婚も
多いそうです。
で、後妻さんならぬ後夫さんが来たりする。けれど、その夫との子供と前夫との子供が、
仲良くやっていけるのです。で、継子いじめが発生しにくい。
父系制と母系制というのがあります。財産や権利を誰に相続するかという問題。
父系制は、息子(妻の子供)に譲り、母系制は、娘(もしくは甥っ子)に譲るというものです。
掲示板に図が書けるといいのですが(絵文字で書くのめんどくさい)父系制はもろいもので
す。女性は生まれてきた子は確実に自分の子(母の遺伝子を受け継いだ子)です。父は妻が産
んだ子が果たして、自分の子(父の遺伝子を受け継いだ子)であるかどうかはわかりません。
ここにオトコの不安(生命の連続性に対しての)の源泉があるのかもしれません。
母系制では、かならず遺伝子の継承がおこなわれます。(甥っ子の説明は自分で考えてみて
下さい)また父権社会と母権社会というものが考えられます。どっちがいばってるか。父系制
社会では、オトコがいばってるのですが、母系制社会でもおなじくオトコがいばってます。
(かあちゃんに財布のヒモと○○を握られているということはありますが。。。)
次に産業からみてみます。狩猟・採集社会というのは、オトコが狩猟をオンナが採集を受け
持ってます。オトコは動物で、オンナは植物です。動物を追いかけるのは当たり外れがあり、
ギャンブルやスポーツに似ています。作戦を練ったりシュミレーションします。植物採集は、
もっと確実性があります。オトコが空想的思考でオンナが現実的思考だというのは、こういう
ところからきてるのではないかと思います。
東南アジアや西太平洋では、根栽農耕社会です。オトコは海で魚を採り、オンナは畑でタロ
イモやヤムイモを栽培します。狩猟採集社会、もしくは根栽農耕社会では、女性の経済的地位
は高く、母系制社会が大半を占めます。
ところが牧畜社会、米や麦などの集約農耕社会では、オトコが経済的主導権を握り、政治が
発生します。父系制社会と親和性をもちます。で、この社会ではオトコたちの不安(自分の遺
伝子を継承しているか)が増すのです。つまり、オンナたちの不倫を厳しくしオトコの権威を
高める文化が発達したのではないでしょうか。ここに、オンナたちの悲劇が生まれているよう
な気がします。
けれど女性解放には狩猟採集経済社会が必要だなどと発言しているのではありません。あく
まで、ヒマ人のヒマつぶし論議であります。
>おじきさんへ
まあ、三億円って結婚式は芸能人ではあるからなあ。。。モッくんみたいにジミ婚した例もあ
るけどジミ葬はできんでしょう。だって、門主さんがジミ葬やったら末寺のご門徒もジミ化して
いってご本山も衰退するでしょうし。。。
>oyajiさんへ
私、お寺出身ではないのでうろちょろしてまして介護学校へいって障害者の方の介護やって
ました。車椅子で町を行くときの皆さんの視線に「まったく乙武くんがあれだけ有名になって
も、何もかわらんな」と悲しい(こればっかり)気持ちになってました。
>モモさんへ
やっぱり、そうですか。。。絶句。
>我苦生さんへ
うん。理想像から引き算するから、「わたくしごときのいたづらもの」みたいなけったいな
卑下をすることが、機の深信みたいな話になってくるんだと思います。。。親鸞さんからは、
あまりそういう匂いがしないのだけど。悪人(落ちこぼされ)バンザイ!ついでに善人も混ぜ
たるわ!。。。
むかし大検をとるために、不得意な数学を勉強するのに遠山啓という人の本を読んでた。遠
山さんは「かけがえのないこの自分」ということを強調されていた。自分がバカだと思いなさ
んな。君によくわからない教え方をしている教師の教育への取り組みが間違ってるのだから、
と大胆に勇気付けてもらった記憶があります。
いやあ、遠山せんせいの手にかかるとなんと数学は面白く楽しかったことか!先生が生きて
らっしゃるときにお目にかかれば、ぐっちんは算数の先生をやってただろうな!
お西の前門さんの葬儀費用に「3億円」かける事が宗会で決まったそうです。
同時にアフガンなどの被災難民支援の寄付金の案内が来ました。4万円で井戸が掘れ
約400人の飲み水が確保でき、200円で予防接種が出来て幼児が死ななくてすむ
そうです。なんとか葬儀費用の一部でも難民支援にまわしてほしいなぁ。
あ、あなたの書き込みを、携帯電話で見て、ネットカフェに来たんだった。
なんか、酔ってるので、ぜんぜん違うことばかり書き込んでしまった。
時間が無いので、一言だけ言わせてください。
>教団の開放も大変でしょうが一般社会の差別との戦いも大変です。
当たり前です。そんな当たり前なことを、書かれて、なんか、言葉になりませんが、
『祈られている』って、感じました。ありがとうございます。
苦しむ事、けっこう好きです。
「あ〜、生きてるぜ!」って、実感出来るから。
二十歳ぐらいの時にデートしてたら、道でけんかしてる人がいました。
「ん?」と、何も考えずに寄って行くと彼女に怒られました。
「なんであなたは、揉め事のある方ばかりに寄って行くの!」
生きている実感がほしいのでしょう。
それは、形を変えて、今もいきてます。
だから、
>明るくさわやかに颯爽と生きていきたいんだ!
とは、あまり思いません。
ぐっちんさんのように、ぐちぐちと、どろどろと生きている人のほうが魅力的に感じます。
「うお〜、人間はこうでなくちゃ!」と、真剣に思います。
明るく、さわやかに、自分を割り切って、、、『バカ!』
明るく、さわやかに、は、しんどい。私は、もっと楽に、ぐちぐち、ネクラに、
自分を引き受けることができないことに正直に、苦しんで、
『俺の人生って失敗?』って、真剣に考えて、
それでも、生きていきます。今、ちゃんと生きてるし。
専修学院もそうだし、今の大谷派の坊さんのほとんどもそうだけど、
『頭悪いの?』って、言いたくなる。
今生きている、どんな形でも生きている、存在している現実があって、
唯一絶対無二の、清浄なる事実がまずあって、それを、勝手なイメージ、記号、言語で
勝手に決め付けるな!ってんだ。
こっちは『生きてんだぜ!』、おまえの頭の中で、勝手に殺すな!ってんだ。
「それが、決まれば、明るくなるはず」って、だから、勝手に決めるなってんだ。
あんたらのやってる事は、優性思想だ。
ぐちぐち言って何が悪い。アル中、ジャンキー、犯罪者は、落ちこぼれは死ね!ってか?
いいじゃん、どんな形であっても、生きてたら。
自分を粗末にしても、関係を粗末にしても。いいじゃん。
で、『人が居る』。だから、ごちゃごちゃ言ってくる。
で、こちらも、ごちゃごちゃ言い返す。人間ジャン!
そんな、なかで、正義を作るな!うっとうしい。と、私は思う。
『人いずくんぞよく、鬼神につかえんをえんや』
どんな私でも、私は、私だ!
で、明日はお葬式。気の小さな私は、帰って寝ます。間違えたらどうしょう?って、
悩みながら、不安に成りながら、ウイスキーでも少し頂きながら、お葬式のCDを聞いて。
不安で、タバコの量が増えて、声が出にくくなっても、二日酔い気味になっても、それも私だ。
はっきり、すっきりさせたいのは、そういうごちゃごちゃしたどうしようもならん私しか、
今、ここに、居てないっていうことだけだ。
あ、しまった。実はこの掲示板見てたんですか?
気づかずに実名(しかも、連れ合いの名前まで)を出してしまった事を、おわびいたします。
あ〜、でも、しんさんの連れ合い素敵だったな〜。
学舎が違うかったし、別科の人でしたから、しゃべった事ないけど
発言を聞いていて「すげ〜!」と、思ってました。
いいな〜。くそ。
私はしがないサラリーマンですがお寺さんにも差別があるように私たちのサラリーマン社会も差別との戦いです。私は障害者手帳をもっていているので白い目でみられています。どうせこいつはこれぐらいのことしか出来ないんだという偏見で見られているのです。むなしいものですよね。私としては前向きに楽しく仕事をしたいのに。本当にくやしくてたまりません。私の会社では私をいれて6人の障害者の方々が働いているのですが、みんな一生懸命やっているのに偏見でしかみてくれません。中にはわかってくれている方もいらっしゃいますが。その人に時々相談にのってもらってます。自分たちがもし障害者として生まれてきたならどう生きていけば良いんだろうかと必ず悩むはずです。でもアメリカのようにバリアフリーが日本はまだまだ進んでいないのが現状です。私はもっとわかっていただけるように、自分に厳しく働きながら、周りの方々にわかっていただけるようにお話をさせていただいています。地道な努力の積み重ねしかありません。教団の開放も大変でしょうが一般社会の差別との戦いも大変です。ここの掲示板にこられている方々にもそういうことが現実にあるということをわかっていただきたく、投稿した次第です。
ぐっちんさんの
「私を見て!このどうしょうもないけど、
がんばる場所を探している私そのものを見て下さいよ」
という悲鳴、よく分かります。私も実際体験しました。
昔、紹介で会った彼女と意気投合し、向こうから今後も
お付き合いして下さいという積極的申し込みがあったのですが
2、3日して彼女から泣きながらのお断りの電話が。
ウマクいったと喜んでくださった間に入った方が
その家を訪ねると「どこの馬の骨か分からん奴は困る。
大寺の次男がいいんだけど」と抜かしたと。
この発言した人は、それこそ教団では解放運動で
有名な人だけに、結局それだけのタマでしか
なかったんでしょうね。
お寺の入寺を考えている知人と先日会って
話していたら、すっかり諦めていた。
というのも、会う相手がどうもお寺をやるという
気が薄かったり、相手の両親から「財産目当てか」と
言われるらしい。お寺に財産なんかあるから、それを
必死になって守ろうとするのに、悲しいことです。
彼と話していて、教団の行く末が空しくなります。
どこで、解放だの、連帯だの抜かしているんじゃ!!
まぁ、私は本来出不精でして、モモさん、Maroさんに
尻を叩かれている思いで、ここで発言しております。
今日、残念ながら京都へは行けませんでした。
行けたら、ここで発言していらっしゃる方々と
リアルでお会いできるんでしょうけどネ。
次のご縁を楽しみにしています。
いいなぁ、参加できる人は。羨ましいです。生憎
天気は危なそうですが、行きたいなぁ。
予定がなければ行けるんだけど。夜は知人の結婚
披露宴がホテルグランビア京都でもあるんだけど、
これもパス。あぁ、こんな時ほど田舎にいることの
悲哀さを感じることはありません。
スミマセン。私も少し冷静さに欠けていました。
狂信さんが彼を大事にする気持ちもよく分かります。
もうこれ以上傷つけたくないというのも、行動を
慎んでおられるのも。
お互い、彼との関わりをこれからも大事に
していきたいものです。
いっさいは幻想だ、でおなじみの岸田せんせいの『性的唯幻論序説』を読んでます。が、なか
なか進まない。いままで、見ようとしなかったものに直面すると苦しい。
岸田テーゼは、人間は本能の壊れた動物である、というものです。つまり自然には生きられな
いものだというのがベースになってます。だから人間は何がしかの幻想(文化)を持っているの
だといいます。先にあげた、恋愛の三要素に関しても岸田さんにかかると、すべて文化なのです。決して、本能でも自然でもない。アガペー=ケアし保護する感情というのも一見すれば母性本能
といわれそうな気がします。だけど、これは文化によってつくられたものだといわれます。
また、エロス=性行動もこれも種の保存本能だと岸田さんは見ません。例えて言えば、動物界
や昆虫界は一般にオスの方が目立つ格好をしているというかオシャレなのだ。孔雀をみても鹿を
みてもカブトムシを見てもオスの方が選ばれる存在なのだ。ところが、人間界はオンナの方が装
う。これは多分に男性支配文化の影響なのだと。
要するにオトコたちは、最初無力な状態でこの世に生まれてきて<母>なるものに全面依存する。その屈辱感が女性に対して復讐や、優越感をもとうとする傾向になるのだとおっしゃいます。
で、セックスも「女性を犯す」つまり女よりも俺はエライのだということを確認している行為な
のだといわれます。
それは、もちろん個人差があるでしょう。けれど、AVとか見ててもレイプものとか女教師を
ヤルとか、なるほどそれは言えてるなあと思うのは私だけでしょうか?
全坊守→前坊守
こんな苦しみは、自分の代で終わりにしたいと思う。。。差別が何故苦しいか?それは、部分
ゲーム、就職で失敗するとか受験で失敗するとか恋愛で失敗するとかは、またやりなおせるよ、
別の職場や、学校や、恋人があらわれるよということなのだけど、基本ゲームから外されている
感じがするのだ。つまり、この世に生まれてきたことが間違いである。プレイヤー(生きている
権利が)として認められてませんよ、という悲しみではなかったんでしょうか。念仏に救いを求
めた人々も。
ぐっちん、この掲示板で一回書いたのだけど、あるお寺の娘さんと恋におちたのだけど、その
叔父さんに恋路を邪魔されたことがある。いわく、あいつは小児麻痺の妹がいる。何か全然わか
らない。ぐっちんには妹自体がいない。で、小児麻痺の妹がいて何故惡いんだ?
あと、某有名お坊さんから、養子に行かないか、見合いをしないかとお誘いを受けた。けれど、
気が進まなかった。ある日、そのお坊さんのお説教を聴きに行って控え室でよもやま話をしてい
た。するとそこのくだんの養子さんを探している全坊守(つまり見合い相手のおばあさん)がや
ってこられ「その先生がおっしゃっていた方のお家は何の職業をなさっているのですか」とその
当人がいるのを知らず、質問された。
某お坊さん、絶句だった。何ゆえそんなことが、必要なのだろう?私を見て!このどうしょう
もないけど、がんばる場所を探している私そのものを見て下さいよ。。。と悲しい気持ちになっ
た。。。
酔って寝て起きて、また酔ってしまった。我苦生さん、生きてるってなんなんだろ?ぐっちん、付き合ってたおねーさんから「別れるなら、せめて子種が欲しい」といわれて悩んだことがあり
ます。数少ない恋愛体験のうち、それもかなりの高確率で。
司馬遼太郎が、何かで書いていたのだけど、ユダヤ・キリスト教文明の人間観では、人間はほ
っといたら何するかわからんので戒律(律法)で、行動をがんじがらめに制限するのだという。
いっぽう釈迦はというと、出家することによって生殖活動から離れ、極端に言うと人類の苦しみ
を無くす為に人類はこの世から滅亡したほうがいいのではないかという教えなのだという。
柳美里。彼女も一時期は、自分の不運を嘆き、生まれてきたことそのものがまちがっている、
この世には自分の居場所が無い、自殺しようと思っていたのだと思う。更に結婚する、家庭をつ
くる=子供をつくるということは、まかり間違ってもしたくないと思ったんだろうな。うちの学
校では、「いのちは、それを愛そう、愛そうと思うもののものであって傷つけよう、傷つけよう
と思うもののものではない」という教えられてましたが。
ぐっちんがごちゃごちゃ、カキコしているのも実は、時間稼ぎなのであります。自分はほんと
うに生まれてくる必要があったのか?これからも生きていく値打ちがあるものなのか?はっきり
いって俺なんかいらんのとちゃう?生きていくことに何の希望もあても無い、けど何とかもたせ
なきゃいけないとずっと思い続けている。で、「生とは何ぞや?死とは何ぞや?性とは何ぞや?」というような問いを調べたり考えたりしてようやく生き延びているという有り様なのであります。
それっていのちに失礼ちゃうん?傲慢やとかウソつけとかネクラめとかいう声が聞こえてきそ
うだけど、本人はそう思ってるんだからしょうがない。こっちだって、明るくさわやかに颯爽と
生きていきたいんだ!でも、それがなかなかできない。解決しないんだもん。だからまわりで死
なれると「なんで?もうちょっとしんぼうしようよ。がまんしようよ。何かええこともあったり
するかも知れんで」と思うのだ。
ご無沙汰しています。なんかこんな形でお会いするのは照れくさいですね。
HNでなく↓に実名がでてましたが(笑)おかげですぐ分かりました。
夫婦のことはまたお聞きするとして、シンポは私も実はしたいと考えていまして、
実行委員会を立ち上げたいと個人的に考えています。その際はご協力いただければ嬉しいです。
さっきまで私たち夫婦は、山陰のS代表や菱木さん、そしてお名前があがっていた野田さん他と一緒に呑んでました(とはいっても、私は例のごとくウーロン茶ですが・・・・悲)。今夜は大阪に一旦帰ってきてまして、それからまた京都に行きます。
早く寝ないといけないので、そろそろ寝ます。
>我苦生さんへ
法務、大変そうですね。心身ともにお疲れのようですので心配です。お体大切になさってください。
おそらく大谷派京都教務所で深夜まで議論(?)して騒いでると思いますので、よかったらのぞいてみて下さい。
うむむ。かなり垂れ流したものだ。。。
お恥ずかしい。。。汗
我苦生さんへ。
「資格なし」は、他人様へ語れるほど、たいした内実はありません。
私が自分にそのとき、そう感じたにすぎません。
我苦生さん、掲示板等の膨大なログを自分に関心のあるところを手っ取り早く読むには
キーワードの検索をお薦めします。PCのキーボードの下段の端にある「Ctrl」と
キーボードの「F」を同時に押すのです。するとキーワード検索画面が出てくるので、
それに知りたい単語、例えば三吉さんの発言を流し読みしたければ「三吉」を検索すると、
三吉という単語だけを拾ってくれます。これはウインドウズ98の場合ですけど。
何かと便利な機能だと思います。
こんばんは、「しん」です。明日の東西共同行動も参加しますよ。
ライブだけでなくシンポジウム復活させて下さいと同じ山陰のS代表に
お願いしたのですが、今年は無理だったようです。
我苦生さん、今年は参加できないのは残念です。
それと夫婦仲は大丈夫ですので・・・
(注:我苦生さんとは専修の同期生なんで、つれあいの事も知ってるわけでした。)
CHINCHINさん、今年もご苦労様です。
来年の共同行動はシンポジウムもやってみませんか?
先日、映画「日本鬼子」とあわせて、野田正彰さんの「戦争と罪責」という講演を
聴いたんだけど良かったですよ。
Zazieさんが書いていましたが、
ただ今、寺と住まいの周り三方が掘り返されて
工事中、それもすぐ目の前、というかブロック塀が取り壊されて敷地が削られていく
工事ですから、家のすぐ外で仕事する何台ものパワーショベルや掘削機などの重機
やダンプが行き交う音に囲まれています。
テレビも電話も聞こえにくいし、家の中でお互いを呼ぶ声も聞こえない。
周囲の田んぼの土地区画整理が行われることになり、
目の前に20メーター道路が通ることにともない、
お寺と住まいの敷地も50センチほど欠かれることになったためです。
こうして、日本の田んぼは道路と宅地になってきたし、なっていくんですね。
二年前からいろいろ話し合って決めてきたことですから、
覚悟していたとはいえ、
実際に、工事が始まって見ると、想像以上。
それにしても、重機でえぐられた土地というのは、
見てるだけで「無残」という言葉が浮かんできます。
私の考え方を押しつけたようになりましたね。ごめんなさい。
わたしが思っている「公表」というのは、
例えば、彼自身が、友達だけではなく、不特定多数の多くの人に
やっていないということを伝えてほしいと表明した時です。
ありがとうございます。
確かに眼が痛くなりそうです。でも、読み応えはありそうです。
ゆっくりと、自分も参加している気で読ませていただきます。
明日は、東西七夕DAY。
行きてーーー!!! 京都に居てるのに。
土曜日は法事が多いのです。だから、シクシク、、、。
車で、デモに出くわしたら
『渋滞するやんけ!はよどかんかい!こっちは、法事の時間がせまっとるんじゃ!』
と、クラクション鳴らしまくるので、よろしく。
あ、あと、CHINCHINさん、
服部に「まやさんと早く別れなさい。彼女は君と居たら不幸になる。」
と、伝えておいてください。
くそ!行きてーーー!!!
でも、法事とデモ。法事の方が、大切だ。明日の法事で『東西七夕』の話しをしよう。
この掲示板の過去ログは開設当初からごく最近のものまで下記にアップしてあります。
また、当初は3ヶ所の掲示板を飛び回って議論が展開しておりましたので
その関連掲示板の過去ログも下記からつながっています。
この掲示板の分だけで、プレーンテキスト相当で
3メガバイト以上(フロッピー約3枚分)ほどありますので、
読むには相当の根性と時間が必要ですが、
けっこうおもしろい議論だったように思います。
時間に余裕がある人は、ご一読を。
ぐっちんさんて、ひょとして、今ネットカフェに住んでるのですか?
朝、昼、夜、夜中。書き込みの時間が、、、。
すいません。勝手に誤解してしまいました。
でも、>「私にはその資格なし」
これって、すごく気になる言葉です。
もしよろしければ、その辺の事を聞かせて頂けないでしょうか?
また、もし、過去に何かその辺の事をホームページ等に記していたのなら、
そのアドレスを知らせてください。
この掲示板には、すごく真面目に求道なさっていられる方たちが多く、
ものすごく刺激になります。もちろん三吉さんも、その一人です。
だから、どういう歩みをなさって来たのかが、すごく気になります。
後輩を育てるひとつとして、よろしければ、教えて下さい。お願いします。
インドへ行くとカジュラホのヒンドゥー寺院のエロティックなレリーフを見てきたりなんか
します。また人類学者マリノフスキーの『未開人の性生活』なんか読んでもメラネシア諸島あ
たりでも恋愛というのは、もっとストレートなものらしい。
日本でも、神社へ行くと男根やら女陰がご神体として祀られてたりなんかして<文明>(近
代)化してないところでは、性はもっとおおらかなものだったようですね。「処女じゃなきゃ
お嫁に行けない」という古臭い考えは、案外新しい考えだったりする。。。
らくりんさんが本山のブックレット『エイズという時代』でおおむね、こんなことを書いて
おられたと記憶します。真宗の開祖、親鸞は肉食妻帯を公にした人であって、われわれはもっ
と<性>の問題を語ってもいいのではないか。。。
しかしまあ、性のことを語るとどうしても自分の経験談みたいなものに言及せざるを得なく
なり何となく語りづらくなってしまうのだと思います。ぐっちんは、かなり重要な問題だと思
うのですが。。。
またまた↓の方に行ってしまった、ロシア文学でカキコしたようなトルストイのような禁欲
主義的考え方は、キリスト教の影響が大だと思います(イエスその人の思想ではなく、パウロ
のあるいはその後の教父たちの思想)
で、今も疑問なのは真宗以外の宗派が妻帯してそれでも平気なこと。明治になって政府が許
したからなのでしょうけど、いったい教えとの整合性はあるのでしょうか?まあ、密教みたい
なのは「般若理趣経」が常用聖典なのですから、<性>はキーポイントなのでしょうけど。http://www.amy.hi-ho.ne.jp/bethel/pages/library2/1cor36.html
>食寝さんへ
どうもはじめまして。食べて寝る。そういう泰然自若として人間、生きていければいいで
しょうね。それができたら、どれだけラクか。けれど人間ってともだちのことを思って不眠症
になる人あり、親との関係で、摂食障害おこす人あり。それが人間ってやつなんじゃないで
しょうかね?
狂信さんへ
公表いうのは、何を持って「公」というのでしょうか?
警察があれは違っていたと発表するのが公表なんですか?
心配になった知人が彼の所で彼から直接聞いた言葉です。
私たちが話している中で、かなり新聞沙汰になったということで
彼の回りの反応が凄まじく、彼自身相当疲れていると聞きます。
電話をもらった知人に「新聞に書いていたじゃない」と聞いたら
それはあくまで警察の発表で、事実かどうかはよく分からないと
言われた。そうなんだ、結局私はその新聞=真実、事実として
当然のこととして思い込んでいて、彼の意見を聞いていませんでした。
新聞記事が一人歩きしているなら、彼の言葉を私は真実と
していきたいと思っています。新聞はこう書いてあった、それと
同じように、彼自身はこう言ったというのを流さないと、
今物凄い状態になっています。
噂ではなく、彼の言葉をどう聞いていくのか?私なりに
聞いたモノとしての書き込みだったのですが、これでも
しばらく待てというのでしょうか?待ってどうするのですか?
伝えてくれた知人は、私が最も信頼する人です。その方から
今出来ることといえば、新聞=事実と思いこんでいることが
冤罪の可能性もあるということを伝えるしかないなという結論
でした。
私なりの選びで書き込みしただけです。
おっしゃっていることは伝聞で、公表されたことではないですよネ。
ネットは、憶測、推測が一人歩きする場所ですから、
また、噂を広げることになってしまいます。
しばらく、がまんして、まちましょうヨ。
先日来、掲示板上で出た知人の事件のその後について
御報告させてもらいます。
別の知人が消沈している彼のところに見舞いに行って
聞いてみたら、自白を強制されたとのこと。
乗っていた地下鉄でそんなことがあり、気が動転している
中でつい喋ってしまったらしい。落ち着いてから
考えて見て自分が覚えの無いことを何で言ったのか
と後悔しているとのこと。
確かに、警察を見ただけで何もしていないのに、
ビビッテしまう自分がいる。認めれば早く帰れるよと
言われれば帰りたくてあること無いこと話してしまう
んだろうな。
京都の本山に行っても、「知ってる?」と興味本位に
聞いてくるヤツが非常に多いし、地方の知り合いからも
よく聞かれる。それだけ、閉鎖された世界で、噂は噂を
呼び、凄いことになっている。彼の立場も危ない。
そういう中で、自分には何が出来るのか。彼が自白を
強制されたというのなら、その情報を逆にドンドン流すしか
ない。それぐらいしか、この状況では難しいだろうな。
ぐっちんさん、我苦生さんの二重投稿はまったく同一内容でしたので削除しました。
「人間」(自分)ってもんは、ほんまにどうしようもないもんやね。
あーじゃ、こーじゃと物事穿り返してはいろんなインタピュテイション
をして自己満足しとる。
朝起きて食べて、昼になってまた食べて、夜にまたまた食べる。
よー食べるで、ほんまに。人間は牛やで!牛より劣ってる動物やないかと思う。
(牛には失礼なこと言ってるけど、すまんね。)
ところで、皆さんは映画「キャスト・アウェイ」を観ましたか?(去年の映画やけど。)
久々に面白い映画やったね。日本語字幕で観ては味がない。やっぱり英語で聞くと面白い。がんばって英語で聞くことを薦めます。(とは言っても、彼との会話はほとんどが
「ウィルソン」を相手にした1人演技やったから言葉は少なく英語もわかりやすい。)
英語で身体全体で聞くことを薦めます。「英語」という言語に囚われて聞くのではなくて、聴くということです。
また、繁栄丸の船長武智三繁さんの言葉(「死ぬと思った。なかなか死なないものだなあ」)には驚かされたで。私にはそんな言葉は口から出ない。ほんまに。
まあ、いろんなこと書いてすみませんね。
一言で「食べることと寝ること」、それだけ言いたかったのです。
すごいことやね。「食べることと寝ること」やって。
誤解を招きましたが。。。
私は「在家」です。得度はしておりません。
(これはこの掲示板の過去ログで表明したこともあったかと思います)
布施を直接受けたのではなく、出版部で「お茶汲」「雑用」して、
時給450円くらいのアルバイト料を一年間ほど貰ってたことがあるだけです。
(アルバイトは、在家でも可能でした。ちなみに一年で100万円くらい。)
誰かが役僧や住職をするとして、「私にはその資格なし」と
私は思ったので、得度はしませんでした。
恋愛を<科学>した本に『恋ごころの科学』松井豊著サイエンス社というのがあります。それ
によれば恋愛には三つのパターンの混合型であるといいます。@エロス・・・肉体的・官能的な愛 Aアガペー・・・献身的・自己犠牲的な愛Bマニア・・・耽溺的 依存的な愛。
アメリカの心理学者シンディ・ハッザンは、恋愛の基本形は、親子関係にあるのだといいま
す。性行動プラス、子供が親に対する愛着感情と、親が子供に対してかける保護感情。つまり、
エロス=性行動、アガペー=保護的・ケア的感情、マニア=愛着・依存感情だといいます。
女性が、夫がいなくても子供がいれば生きていける力を得るのは何故だろう?男性が、妻子
がいても生きる気力が萎えてしまうのは何故だろう?まあ、一般論に過ぎないけど。。。
その点、山下久美子の場合はわかりやすそう。。。布袋寅泰を今井美樹にとられ、嫉妬に
かられる。シングルマザーとなって、子供の出来ない二人にあてつける。。。
あー今夜も酒も飲んでないのに錯乱しております。知り合って、あと一回あっただけの人が
自殺したとの知らせが入りショックです。彼女もいて同棲してて、21歳。若くて、何度でも
やり直せそうなのに。。。
榎本栄一さんだったか、相田みつをじゃなかった、誰かその辺の詩人に「生きていく力が
なくなるとき」だったかのタイトルの詩があった。生きていく気力がなくなるのは、何故で
しょう。。。
文武両道なんてことを申しますな。。。スポーツ万能で、頭がよくて、カッコいい。
あー、何だか見えてきた。。。男の子って何かやっぱり、猪木に憧れたりする。
けどどこかで、お医者さんとか弁護士さんとか大学教授みたいな知的な職業にも憧れたり
なんかする。
で、キムタクみたくいい男であれば、いうことない。追い詰められてるなあ、松野さん。
「我苦生」さん、ありがとうございます。
>「往生とは、『開放され続けていく事』」
ですか。いろいろなとりようがありそうですね。
私にとっては、仏法は「死んでいく私」がスタートなもんですから「生ききる」よりも、
往生であれ堕地獄であれ「後生の一大事」が問題になるものですから。
”迷い”からの開放、ってことならピンときますがね。
>なんで、念仏で飯食うことにこだわるねんと。。。
三吉さんは、学生時代に本山でお布施を貰った事があると、たしか、以前ここに書いてあったと思います。
で、勝手に想像するに、得度は受けておられると思います。
でも、職業としての僧侶は選ばなかった。
この辺の話を一度聞かせていただきたい。
で、まあ、三吉さんは職業僧の道は選ばなかっても、他の人、たとえば私が職業僧になるわけです。
誰かが、なるわけです。
>役僧にならんでも「念仏」できると。
じゃあ、役僧になっても念仏はできます。
『眼は横、鼻は縦』確か、道元でしたか?
親鸞は、
『ねたみ、うらみ、そねみ』の我等であり、
『愚痴おおく、あさましき』我等であり、
『そらごと、たわごと、まことあることなき』我等でしょう。
それが、事実だ、と。身の事実だと。それが、まぎれもない私だと。
三吉さんのこと、よく知らないのですが、なぜ、職業僧の道をさけたのか?
誰かがなる、という現実なら、よりその事に疑問をもっている人がなったほうがいいのでは?
と、思う。
6年程前、書道の時間に、こんな字を書きました。
一切皆苦だから、不安に立つ、だから
逃げるな!
誰から、何から
逃げるな!
どんなに苦しくても、辛くても、それが私の事実、現実なら、
私は、私として、生ききります。
だから、念仏で飯をくっていきます。
柳美里(ゆう・みり)のケースは、比較的わかりやすい。在日二世であり、おやじさんがパ
チンコ店か経営してて、金は稼ぐんだけど家に入れなくてちゃぶ台をひっくり返す。。。でし
たか。
松野さんと沢田さんが離婚したのは、松野さんのDV(ドメスティック・バイオレンス)
が原因でしたけど、マネージャーでもあった松野さんは何故、あんなにも愛していた亜矢子
さんを殴ってたんだろうか?顔にコンプレックスがあったのかな?それだけなのかな?
松野さんの行動はいかにも不器用って感じで、受けをねらってるようで実に的をハズして
いる。松田聖子みたいな、計算づくで郷ひろみと別れたり、神田正輝と結婚したり、アメリカ
人と浮気したり、出産も娘のデヴューも何もかも話題づくりに利用するしたたかさがまったく
もって、無い。なんか行き当たりばったりだ。
何があなたをそうさせるのですか?
二重投稿になりました。。。すみません。。。松野行秀さん。この手の壊れていく人と、た
くましく、したたかに生きていってるように見える人とはどこがどう違うのでしょうか?元棋
士の林葉直子さんもこの壊れていくタイプに分類できるかも。ヘアヌードになったかと思うと
豊胸手術をしたみたいだし、なんだか痛々しい。。。
柳美里。この人は不可解です。鶴見済が『完全自殺マニュアル』を書いて話題になってた時
雑誌対談をしてて「アタシ、絶対自殺します!」なんて冗談にもならないことを語っておられ
た。また、盛んに「結婚しない。家庭はつくらない」と雑誌でも、TVのドキュメンタリー番
組でもいっておられた。でも妻子有る劇団員さんとのあいだに子供ができ、さらに彼がガンで
死んでしまう、という絵に描いたようなドラマが本当に小説化し、映画にもなってる。
ようわからん。。。
いつも行くサイトなんですが、↓こんなのが出ます。
ここと同じかなあ?
(*.169.170.3) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; Q312461; .NET CLR 1.0.3705)
>「念仏を今生の事柄に使われてもなぁ」
「往生とは、『開放され続けていく事』」というような事を、
今の大谷派の教学研究所の所長さんが、何かに書いてました。
もちろん、今、ここの、私、という現実からでしょう。
私が役僧にこだわるのは、今、私が、役僧という仕事をしているだけです。
ごく単純な話です。事実、現実の、単純な話です。
それを抜きにして、念仏など、私は興味ありません。
私が、私として生ききる。私が、私になる。ただ、それだけです。
役僧に価値を求めているのでなく、私に価値を求めているだけで、今、私は、役僧の仕事をしているわけで、そこに世の祈りがあった、ただ、それだけ。
だから、逃げない。
真宗の往生論は、色々あるそうですが、私に難しいことは解りません。
生き方をみせてくれるのが、ゴージャス松野さんだ。あの沢田亜矢子とわかれてからの
松野さんは、いったいどうしたんでしょうか?通信教育で勉強して司法試験を受けるわ
(離婚訴訟で法律には詳しくなったらしい)洒落でデュエット曲を出した田代純子と(最初
浅草キッドの司会する深夜番組で見たとき新沢田亜矢子(しんざわだ・あやこ)という
名前でいくといってた)婚約するわ、130万円もかけて爬虫類といわれた顔を整形して、
歌舞伎町の有名なホストクラブ「愛」に土日出勤するわ、AV出演するわ、タイガージェット
シンのマネージャーをやるわ、今秋には自分がレスラーとしてリングにあがるわ。。。
なんじゃこれ?です。私小説作家って昔いて自分の体験をそのまま、売り物にする人がい
ましたけど、(現代ならさしづめ柳美里か?)私タレントですねえ。。。
あ、ガソリン代は今日もらいました。
別に雲隠れじゃなく、どこかに行ってただけですから。
>お寺さんにはいろいろ必要経費があるでしょうけど
鐘撞き堂の修理は修理でまた別に寄付集めてたりしはるんで
あ、これはうちのお寺には関係ありません。
今のお寺も住職一人で門徒さんの寄付なしです。
うちは、いわゆる葬式寺なので、寄付は集められません。
お葬式などの、お布施で成り立っています。
全然関係ないのですが、愛はいいですね〜。
好きな人の顔、ふと思い出して、ビール飲んでた。夏だ!
>三吉さんのことを在家だと思って馬鹿にしていませんか?
していません。
少なくとも三吉さんは「馬鹿にされている」とは思っていない、
と私は思っています。
三吉さんとは、ネット上ではこの掲示板開設以来の付き合いで、
ネット外では、それよりはるか以前からのつきあいなので、
つい気安く書いてしまいます。
しかし、そういう個別の事情を知らない人も多く出入りしていますので、
誤解される可能性がありますね。
以後、気をつけます。
それから、リモートホストの件は、
>赤信号を渡りかけている幼児を見捨てるのと同じ
ではなく、
「〈赤信号は危ない〉ことを知らない幼児」に
「赤信号は危ない」と知らせることになるのだと思いますが。
「〈自分のそれが他者に知られている〉ことを知らず」に無警戒であるよりも
「〈自分のそれは他者に知られている〉ことを知った」上で、どのように
行動すべきか判断してもらうことも、ある意味では親切だと思います。
ハンドルネームさえ変えれば「別人」になりすませると思っている人は
とても危なっかしいし、時にははた迷惑です。
いずれにしても、リモートホストというのは、
ネット上の意味としては、
メールアドレスのドメイン(@マーク以降の部分)と同じようなもので、
それだけでは個人は特定できません。
これは公開情報と見なされるべきものだと私は考えています。
ほとんどCHINCHINさん状態ですね。お寺の人が雲隠れする。で、支払いを遅らせる。
いつのまにか、無いことになってる。。。
こっちが性根入れて働こうにも、そっちさんがそないな態度やったら「やってられるか!」と
ふてぶてしくもなりますわいな。。。そら、お寺さんにはいろいろ必要経費があるでしょうけど
鐘撞き堂の修理は修理でまた別に寄付集めてたりしはるんで、この毎月プールしてはるお金は、
家族旅行の積立金に化けてるんですか?やっぱり一家の家計を支えてるのは、役僧やんか!って
なことになる。。
毎月の資金繰りに追われてる中小零細企業、たとえば印刷屋さんとかやないねんから、どない
かしてくれよ!と思いますなあ、タコ住職。。。
この役僧という名称は一体なんでしょう?使役・僧でしょうか?キン役で役僧かいな?伴僧と
いう呼び方もありますね。。。何か名前変えよう。。。従業員にちなむと従僧。なんか往年の
藤田まことの唄みたいやな(♪ねーちゃん、ねーちゃん、十三のねーちゃん〜)ってほとんど何
ゆってるかわからん。。。チ〜ママっていう雇われママがいる、チ〜坊というのは、どうでしょう?なんかこれじゃあ、杉田かおるやな。。。
「串」ってなんのことですか?ソースと何か関係があるのでしょうか?
私は、ヤキトリは塩よりタレ派なんですが。。。
私は在家から出家いたしました。いわゆる寺院子弟ではありません。
役僧の殆どの方々は在家出身です。今はもう失ってしまいましたが、仏道を志し、仏のわざの
一端でも担いたいという思いに燃えておりました。他の役僧の人たちも同じ事です。普通に
就職すれば実入りは普通に生活できていけるだけあるのですが、あえて仏道を選ぶわけです。
役僧たちに対して「念仏で飯喰らう」などと決して言ってはなりません。
三吉さん、どうもです。
>なんで、念仏で飯食うことにこだわるねんと。。。
と書かれると、ちょっと私の思いとズレてきます(汗々)
私は、「役僧」を辞めればいいと思ってるんじゃなくて、
辛い状態なのに「役僧」をつづける底に、どんな思いが働いているんだろうか?
という興味です。