らくりんバンバン

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殺したくない!殺されたくない!殺させたくない!

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『唯臓論』読了しました。 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月31日(水)14時04分56秒 CTS219103109170.cts.ne.jp

三木成夫さんの文章は私には読みにくかったのですが、
この『唯臓論』は解りやすい解説となりました。
ただし、だじゃれやこじつけ、短絡はいただけませんでした。
期待した心の問題がほとんど取り上げられていなくてがっかりしました。
唯臓が、唯脳からの後退としか思われず、
また唯脳論の意義についても無理解があると思われます。
なによりも、唯脳論は既存の価値観や妄想の批判であり破壊であったのです。

この故に心の問題のお奨め本からは取り下げ、
三木成夫さんの解説本としてのみ推薦したいと思います。


心とは何か=唯脳論か唯臓論か= 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月29日(月)18時06分1秒 CTS219103109170.cts.ne.jp
私は、ずっと「心は脳の機能(働き)である」と思っていました。
最近流行の認知科学でもそう考えるのが定説のようです。
しかし、吉本隆明さんは唯脳ではない、
心は内臓の働きであると言われているので、
吉本さんの考えの基になった生物学者の三木成夫さんをネットで検索して、
後藤仁敏『唯臓論』
西原克成『内臓が生みだす心』を入手して、読み始めました。
『唯臓論』は、三木さんの学説の解りやすい解説という印象です。
『内蔵が生み出す心』は、心や精神はある臓器の働きであり、
質量なきエネルギーである、という原理から出発しているようです。
親鸞が言う「他力」が、まさに「質量なきエネルギーである」ので驚いています。
編集済


(無題) 投稿者:カブトムシ  投稿日:12月11日(木)07時47分38秒 lyra.mula-net.com

今日本が自衛隊をイラクに派兵することに同調できない。
「大義が無いから反対」とどこかの党首
そんなもん、大義があってもなくてもどちらでもいい
口に出せば今、この時僕は同調できないとしか言えない
お互いむつかしく複雑に考えないで生きていきたい
平和を願って、平和を口に出して、爆弾を恵む
そんな大義なんてクソッ食らえ
編集済


そうですか。 投稿者:らくりん  投稿日:12月10日(水)17時15分23秒 isd235216.flets.incl.ne.jp

ぐっちんさん、撤退ですか。
このところ、何かBBSにはもう一つ乗りきれなくて無沙汰をしてしまいました。
さびしい思いをさせてしまったかも知れませんね。

また、気が向いたら、顔出してください。


名誉なき撤退開始します 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 9日(火)10時43分9秒 y135022.ppp.dion.ne.jp

 Y新聞の夕刊を読んでたら京大の時計台がリニューアルでお目見えとありました。
しゃれたフレンチレストランなんかも入ってるらしい。かつてこの時計台の上から全共闘の学生として様々なアジ演説をしていた伊藤公雄さんという阪大の先生がコメントを書いてた。「近頃の学生はすっかりおとなしくなって・・・時代もずいぶん様変わりしたものです」

 この先生、メンズリブというか「男性学」というものを大学で教えてはります。
その本にはこうありました。「自分は、学生時代さまざまな社会問題にクビを突っ込んであれこれと語ってきた。だけども、何か自分の中で違和感が残った。たとえば、タイの村に井戸を掘ろうとよびかけてもどこか他人事、よそ事という意識は否めなかった。だから今は男性学という当事者(身を切られるような切実な問題を抱えたもの)としての問題をやるようになったのです」と。

 ぐっちんもさまざまな問題をここで語らしてもらいましたが。それは「違いを認め合うのが素晴らしい」といっても、そこには違った者同士のどこか根底に「接点」や「共通項」があることを前提にしているからこそ「認め合う」ということもまた成り立つんではないかと踏んでいたのですが。すれ違いを繰り返してる人々が「出遇える」地平があるのじゃなかろうかと。まるっきり似たところがないものを、人は受け入れられるでしょうか?そのまま認めることができるのでしょうか?そう思いつつ、あえて「他人事」の問題も語って<語り合うことの希望>に賭けていたのですが。だけどこのご時世とくにぶっちゃけた話し、人は「ひとのことなどかまってる余裕はなく、自分のことで精一杯」なのかも知れないなあとつくづく思うようになりました。やっぱりヒジョーに似通った状況・環境・境遇をもつ狭い範囲内でしか話しは通じないのではないかという思いでいっぱいです。課題の共有というのは極めて困難である(というより人により“課題”そのものがまるっきり違っているのかも知れず)。でもって、「出遇い」うる地平を自分から探り当てることができるのだろうかという疑問にもとらわれはじめました。

 だったら残された時間の中で。自分にしかやれないこと。人生の方から自分に課されていること。自分を受け入れてくれる場所で、これしか自分にはできないということを唯やる。こういう風にしかわたしは生きられない、と踏ん切るしかないかなあと。そうやなあ、伊藤先生。そうしましょう。他人の賛同を見込んだり、あるいは逆に時代の要請や世間の期待に応えようと動いててもちっともラチはあかんのだなァ〜。いのち短し、行為せよ、おやじ!
編集済


ホームレスの人々の自立 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 5日(金)16時30分6秒 y134215.ppp.dion.ne.jp

 昨日、天王寺駅前でビッグイシュー日本版第三号できたてホヤホヤを手に入れました。
この雑誌はもともとイギリスで出来た雑誌。ホームレスの人々だけが街頭で売るという
ユニークなもの。定価200円のうち、110円を掌にするという。

 http://www.bigissuejapan.com/

 けれど、決して同情や哀れみから雑誌を買ってもらうんではなくいい雑誌をつくって、
売る。そういうポリシーだそうだ。御堂筋沿いのUFJ銀行前で販売員をする河合さんの
インタビューが三号には掲載されている。19歳で上京し大手企業で10年働いた。なんだ
か、ホームレスというとみんながみんなだらしない生活を若いときからしているとか、ヤ
バイ仕事に手を染めた人みたいなイメージがまとわりつくけども人間なんてイロイロだ。
縁さえあれば、あなたも明日からホームレスだ。

 自分から家庭や仕事を捨てる人もあるけど、病気などやむなき状況から捨てざるを得ない人、奪われる人がいる。この河合さんも休日には公園で「元気ですか?」と言葉を交わす関係をつくれる場所に戻れること、社会復帰が目標だという。風邪ひとつ滅多に引かないぐっちんなどよく思うのが、それでも病気した時のこと。おもわず、日頃忘れている「健康」や側に人がいてくれることの有難みを身にしみて感じる。

 「働くこと」(何かを行じ、働きかけること。傍がラクになること)。それは決してただ金儲けするというようなことではなくて、「社会」につながっていることの証しだろう(ある世間・世界に確かに属していること)。自分はここにいるとその存在をアッピールすること、自己表現(回向?)なのではあるまいか。

 無償の行為。それは確かに立派なことだろう。けれど、もしそれがホームレスの人々に向けて語られたらどうなるだろうか?施す側に立ってるものからは、施される側に立っている人々の視線は見えてこない。だから、まさに職業に貴賎なし。いい雑誌つくって、うしろめたさなんか感じず、堂々と誇りを持ってお金を掌にして下さい!
編集済


お仏壇のは〇がわCMより 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 4日(木)12時47分0秒 y135227.ppp.dion.ne.jp

 お手々のシワとシワをあわせて「しあわせ」
 こぶしのフシとフシをあわせて「ふしあわせ」

 なむゅ〜・・・
編集済


無管理人? 投稿者:らくりん  投稿日:12月 4日(木)10時08分9秒 isd234227.flets.incl.ne.jp

お留守居役様さん、情報ありがとうございます。

ぐっちんさん、何のお構いもできませんで……


やっぱミスチルはええなぁ〜(新曲) 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 4日(木)09時30分50秒 y135227.ppp.dion.ne.jp

 掌(て) 桜井和寿 作詞

掌に刻まれたいびつな曲線 
何らかの意味を持って生まれてきた証
僕らは求め合う寂しい動物 
肩を寄せるようにして愛を歌っている

抱いたはずが突き飛ばして 
包むはずが切り刻んで
撫でるつもりが引っ掻いてまた愛求める
分かり合えた振りしたって僕らは違った個体で
だけど1つになりたくて 
暗闇でもがいてもがいている

ステッカーにして貼られた<ホンモノ>の印 
だけどそう主張している方が<ニセモノ>に見える
僕らはこんな風な袋小路に今も迷い込んだまま抜け出せずにいる

夢見てるから儚くて 
探すから見付からなくて
欲しがるから手に入んなくて 
途方に暮れる
どこで間違ったかなんて 
考えてる暇もなくて
でも答えがなきゃ不安で 

君は君で僕は僕 そんな当たり前のこと 
何でこんなにも簡単に僕ら 失ってしまえるんだろう

1つにならなくていいよ 
一目会うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて 
一目会うことができるから
1つにならなくていいよ 
価値観も理念も宗教もさ
1つにならなくていいよ 
認め合うことができるから
それで素晴しい

キスしながら唾を吐いて 
舐めるつもりが噛み付いて
着せたつもりが引き裂いてまた愛求める
1つにならなくていいよ認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の暗闇を優しく散らして 
光を降らして与えてくれる
編集済


聞・思・修 投稿者:ぐっちん  投稿日:12月 3日(水)10時49分48秒 y135227.ppp.dion.ne.jp

 >ああ、竹さん!

 私なんかは実際に会った事のない人が書いた本を読んで、ウンウンうなづきながら
たくさんのことを学びました。その著者がたとえ、すでに亡くなっていても「人と出
遇って」いる、その人がこの世という大地に確かに実在したことを信じてうたがって
ないのですね。法(ダルマ)や教えというものが、どこか宙にプカプカ浮いてて、
ひとりでに自分にとりついたりなんかしない。それは、言葉となって誰かから誰かの、
多くの人のバトンを経て、私のもとへ届けられたんですよね。

 ちなみに「火事」という言葉を辞書で引いてみると、次のようにあります。

 >建物・船・山林などが焼けること。火災。 (新辞林 三省堂)

 でもこれは

 「おやぶーん、てぇへんだぁー。江戸中が火事!かじだぁ〜」

っていうようなのっぴきならない現実の状況で使われてはじめてその言葉がリアルなものとなって「身に」響いてくると思うんです。言葉は経験をコンパクトに封じ込めたバトンのような気がします。

 で、ある種の言葉は時にすごい力を持ってたりするんです。もうかれこれ二十五年も前に司馬遼太郎の『竜馬がいく』を読んだ時。はじめて「歴史」というものがありありと感じられたんです。学校で習う干からびた「歴史の教科書」では功成り名遂げた人物の名前と年号を覚えるつまらないものだったんですが、司馬さんの歴史小説にはぐいぐい引き込まれて、あたかもタイムスリップして自分が幕末を生きているかのように思わされたのです。(けれど誰が読んでもそうなるとは限りません)

 「イエスの復活」というのも、そんな感じじゃないのかなあ、なんて思います。誰か、イエスと出遇った人の話に導かれ(その人もまた誰かの話を通してイエスと出遇ったのでしょう)、かねてより噂には聞いていた聖書を開いてみる。すると聖書に書かれたイエスという人物が、自分の胸の中でいきいきと躍動し出し、目の当たりにその姿が見えてくる。そして自分の悩みを解く糸口が確かにここに示されてあると体感する。その時はじめて人は、2000年前のパレスチナという時空間をはるかに越えて、イエスの「復活」ということを納得すると思うんです。誰にとっても「イエスの復活」は「史的事実」であるようなものであるとは私には思えません。けれどその人にとっては、確かな確かな、たいせつな「心的事実」だと思うんです。その大切なものを踏みにじられてはかないません。

 <自分というカラ>を破ってくるものは、「外から」やって来る。けれど、それは「内から」の促しを俟ってあるのだと。私はそう信じてやみません。
編集済


親鸞・思想史研究編 掲載のお知らせ 投稿者:横田 幸男  投稿日:12月 2日(火)23時38分21秒 p3234-ipad23osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 この度、古田史学の会は、古田武彦著作集(全3巻)の発刊に伴い、案内をかねて、目次集の作成に伴い、要旨(部分)を掲載いたしました。必ずや、役に立つと考えて御案内いたします。


親鸞ー人と思想ー(著作集一巻)

1 序文・目次・あとがき、『歎異抄』と現代
2 旧版目次集(清水書院版)3 読者とのやくそく 生きた親鸞を追求 4 伝説から光が!5 人民の苦しみ 6 天皇が法に背いた 7 生きている 安楽・住連の書 8 思想は弾圧にうちかつ 9 金剛信心を守り、弾圧者のために祈れ   10永遠の対話『歎異抄』とあとがき 11さくいん(旧版) 親鸞年譜.JPG
親鸞伝をめぐって  神の運命 13宗教の壁と人間の未来(序説)歎異抄の本質(解説流罪記録)

 
親鸞思想ーその史料批判ー(著作集二巻)
1目次、2 旧版 序文  序(家永三郎氏) 目次・自序、3 旧版 あとがき赤松俊秀氏に答える、4建長二年文書 三夢記の真実、5 親鸞の中心思想 三願転入 の論理、6資料の研究 歎異抄 その思想史的意義 流罪目安、7資料の研究 原教行信証の成立、8史料批判の方法について、9親鸞研究の根本問題、10 あとがき

わたしひとりの親鸞(著作集三巻)
1 目次、2 旧版のまえがきと目次 3 人はいかに生きるか 4 死について衰退と新生  5 アリストテレスの転覆(てんぷく) 法然の意志  6 親鸞一人がため 7 なぜ、親鷲は比叡山から脱出したか

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html


債権回収詐偽メール 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月 2日(火)15時15分30秒 CTS219103109170.cts.ne.jp

債権回収詐偽メールがきました。

【重要】未納料金のお知らせ
当社はサイト運営グループ,メルパロディ様より債権回収業務を委託されました。
以前あなた名義の電話機より発信されました有料サイト利用料金未納につきまして御通知致します。
未納金¥31,000及び遅延損害金¥3,770合計¥34,770を下記口座まで12月2日までにお支払いお願いします。(以下略)

ヤフーで検索したら典型的な前例のある詐偽メールでした。
無視するのが一番良いようです。
宛先CCがmii**なのでインチキが見え見えだ。
それにうちはケーブルテレビだよ


>ぐっちんさん 投稿者:  投稿日:11月30日(日)18時07分55秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ありがとうございます
信頼感…大切なことですね
ぐっちんさんには色々と教えて戴いて自分の考えが見直されます
(さらにここに書くとらくりんさんから講義の中でチクリと指摘して戴いているのも感じてます)
最近ふとこんなことを思います(恐いもの知らず…)
同僚やお客さんと仕事をしながら今だから一緒に仕事できるしまた今しかこの仕事はできない
この一瞬(一刹那)に現実がありここが生きるということなのかなぁと
またその一瞬にはこの世の生きとし生けるものが同じ大地の上にあるなんて…
だから個は別々でも殺しあいを痛みとして受け取り共生ということがあるのかななどと
そこに届けられる生きた言葉があると

人身受け難し…仏法聞き難し…

この一瞬一瞬を…

ただいまスタッドレスタイヤをはめてヘロヘロになっている竹


>竹さん 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月29日(土)22時30分44秒 Y056056.ppp.dion.ne.jp

 >人間関係は微妙だ
 >でもメ―ルや掲示板で超えられないものそれがわかった
 >語り合うこと生の声で
 >人は誤解する生き物なのかと思うくらい角が立つ
 >でも今ある問題に真剣に語る人が言霊を交わせば絶対わかる

 ここで竹さんがおっしゃりたいことは「わかる」ということよりむしろ「信頼する
こと」が大切だといわれてるのかなあ、と思います。

 例えば「あんたなんかに私の気持ちがわかってたまるものですか!」というセリフが
あります。これは、その人の置かれた状況は100%わかったりはしないのですが、
その人の「嘆き」や「怒り」の表現であろうことだけはわかります。

 人間はコンピューターじゃないんだから、ケーブルでつないだりしてデータを
完全に共有することなどできないと思うんです。「わかりあえない」。それは、
何かその人が抱え込んだ過去の傷、たとえば親友に裏切られたとか、手ひどい
失恋をしたとか、小さい頃から差別されいじめられて他人とのあいだに壁ができて
しまい「しょせん他人など信用できない」という観念が強固なものとなってるのやも
知れません。

 自分とは違う他人と付き合うときに大事なのは、「わかりあう」ことよりこの「信頼
感」を取り戻すことなのではないのかなあと思います。この人は自分の話すことについ
てちゃんと聞いてくれるし、わからなかったら聞き返してくれる。そして自分もこの人
の話しに耳を傾けてみる。そのような、会話のキャッチ・ボールができるということ。
そのことだと思うんです。

 相手の気持ちがわからなければ、勇気を出して率直に聞いてみる。それは、相手を
信頼するということが根底にあるからなのだと思います。でも、自分がホントウに自分
の内面をさらけ出して叫んでいるのに、なぜ相手にはその声さえ届かないのかと思う。
それはホントウにホントウに悲しい。だから、ここまでやらなければいけないのでしょ
って思います。
編集済


人工無能 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月29日(土)22時29分24秒 Y056244.ppp.dion.ne.jp

 対話プログラムって面白いですね。人間としゃべるのに疲れたらプログラムと
しゃべる。酒場に出入りするよりパチンコにはまるより安上がりや(笑)。パチンコ
に来るお客さんも自分らで情報交換したり今日の勝敗をしゃべるのがゲームのうちに
組み込まれてるような感じがする。これからはなんだかこれにハマリそう。http://www.ycf.nanet.co.jp/~skato/muno/

 ↓おしゃべりロボット、ボットママ。学習障害やダウン症などの話題を勝手にしゃべり
だしたりするママ。アメリカではすでに40年ほど前にイライザというサイコセラピストとしてのプログラムが開発されたそうで。ひたすら聞き役に徹して、相手の答えを評価的に下さないという人間なら完璧に出来ないことができるそう。宗教的な話題を相手にしてくれる「教祖様」プログラムもいづれはできるのかな? それともあるのかな?信者プログラムの方がいいか・・・会話の練習しよっと。
編集済

http://www3.sohonet.ne.jp/


ココロの奥底を憶測するのココロ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月29日(土)01時31分20秒 Y057161.ppp.dion.ne.jp

 下記のHPにあるのですが・・・意識は入れ子みたいになってて。

  一次の志向意識水準
  =私はお好み焼きが食べたいと思う。            

 二次の志向意識水準
  =私は思う、
   あなたがお好み焼きを食べたいと思っているのだと。    

 三次の志向意識水準
  =私は思う、
    私がお好み焼きを食べたいと思っているのだと     
      あなたが思っているのだと            
   
 四次の志向意識水準
  =私は思う、
      あなたがお好み焼きを食べたいと思っていると
        私が思っていると
          あなたが思っている のだと
 
 五次の志向意識水準
  =私は思う、
    私がお好み焼きを食べたいと思っていると
      あなたが思っていると
        私が思っていると
          あなたが思っているのだと 


  一次の志向意識と同じように、二次からの志向意識を判断して正しいと思ってしまう
人がいます。得てして、自分の評価が相手を射抜いてると思いがちですが。それは、相手
に聞いて見ないとわかりません。が、相手が偽る可能性があるから相手の心は最終的には
知りえません。ただ自分の判断(色眼鏡、分別智)とは同じではないと止めておくのが、
<賢明>なやり方だと思われますが(笑)。

 わしゃ、お好み焼きやのうて、たこ焼きが食べたいんじゃ!(笑)
編集済


ホットケーキの皮もサンドまで 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月28日(金)09時15分13秒 y135040.ppp.dion.ne.jp

 進化心理学のHPより。

 >メールでのやりとりは「自分の知っている事柄のうち、相手は何を知らないか」
 >「自分が考えている事柄に対し、相手の考えはどう違いうるか」をできるだけ踏まえ
 >た上で行ってくださいね。メールの相手は「パソコンの中の別 の自分」ではあり
 >ませんから

 
 「メールでのやりとり」を「掲示板でのやりとり」いえ「一生涯でのやりとり」と読み
換えたい。  
編集済

http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/psych_kokoro_riron.html


無責任一代男♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月28日(金)08時27分05秒 Y057139.ppp.dion.ne.jp

 お〜れは ネットで一番
 無責任と 言われた男
 他人〜のフンドシで 調子よく
 楽し〜て引っ掛ける スタイル 

 あっちゃこっちゃで カキコをしても
 イチャモ〜ンは 禅家でイチバン
 月謝〜はいらない 留学生(るがくしょう)
 「(空)合掌」でなんでも O・K!

 人生で 大事なことは
 タイミングに C調に無責任
 と〜か〜く この世は無責任
 こつこ〜つやる奴ぁ ご苦労さん
 
 ハイ ご苦労さん
編集済


弟子・sabaka(聞く人) 投稿者:jyugegu  投稿日:11月28日(金)06時29分02秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

ぐっちん様 おはよう御座います。

>あなたがいつも
>いわれる「ご自身からのお言葉は、私に帰属するものでなく、その人の内に存するもの
の吐露」とはけだし名言ですね。

合掌。


>jyugeguさん 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月28日(金)02時38分54秒 Y057143.ppp.dion.ne.jp

 >「お米」といえば是まで「きぬひかり」でしたが、来年はやはり「こしひかり」
 >かな、と思っています。やはり売れ行きが違うようなので。

 これは

 >でもね、ご自分の栄耀栄華のために、一株(檀家)でも逃す事無く是まで通り
 >拘束したいと、必死のお努めとも読めないこともないかな。

に似てますね。一人でもコメの消費者を逃すまいと、ブランドという「幻想」に
頼らざるを得ないと。

 >でも自給自足が百姓の血に慣らされているのかも、

 ご先祖代々の農家でいらっしゃるんですか?

 >生まれによってバラモンではない。行いによってバラモンなのだ

とのお釈迦さまのお言葉を噛み締められてはいかがでしょうか。「生まれ」は果たして
ご自分の選択なのでしょうか?で、前にも書いたけど、パソコンもケーブルも何もかも
自給自足ですか?ご自分でつくれないものもお有りでしょう。そんなときは、「円」を
使って、世の中の人々とのご「縁」を感じられませんか

 で、あなたは「出家」に価値を置いておられるんですか?それとも「在家」に重きを
おいておられるんですか?家庭も仕事も放棄した「出家」のみが「仏道」ならあなた自身
は仏道歩んでおられないということになりますが。だから別に私が「在家」で職業意識を
持ってても何ら後ろめたさをもつ必要もないでしょうにね。私は「教義の宣布と儀式の執
行」が僧侶の仕事だと習いました。まあ、聞法道場の管理人というサービス業ですが
(笑)。「教義」については、一生かかって追求するものだと思いますよ。ご門徒さんと
ともにね。まあ、コーディネーター、ファシリテーターか(笑)。
 
 チャップリンにある人が尋ねました。あなたの最高傑作は?と。チャップリン曰く
「ネクストワン」。次回作ですと。自分にホントウに納得いく満足するものが作れるには
まだまだだと。私みたいなん、まだまだですわ。でもね、満足いくものが提供できないか
らといってカネもらったらあきませんかねえ、昔の話ですが(笑)。

 「道」とおっしゃるなら剣道、柔道、茶道、華道、ナニワ金融道といろいろあります。
時代と地域と本人さんで「道」の形はさまざまですよ。ザイケ坊主道はなぜいけない
の?(笑)

 >ナムアミダブツが口癖に慣らされているか?に似て。

 これはもう、あなたの口癖「合掌」から来てるんですね。何にせよあなたがいつも
いわれる「ご自身からのお言葉は、私に帰属するものでなく、その人の内に存するもの
の吐露」とはけだし名言ですね。
編集済


常識はつまんない 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月28日(金)00時05分10秒 Y057143.ppp.dion.ne.jp

 真言宗の宮坂宥洪と中沢新一の対談オモロイ↓。
お釈迦さまは、ブッダガヤで悟りを開いて、サールナートへ向かう。
オヤジさんが、仕向けた五人の比丘を教化したあと、豪商の息子ヤサを出家させる。
それから友人50人の出家。これで、財政基盤は整ったと(これはひろさちやで聞いた話。
そら、王様クラスがパトロンにいてはるんやから、さもしい根性はいらんでしょ)。

 さらにブッダガヤにもどってウルべーラの森の拝火教の三兄弟にさまざまな奇跡を
みせて圧倒してしまう、と。仏伝は、サールナートの静かな教学者の面影を伝えるけど
も、この動的なサイババ風のマジシャンとしての釈迦の姿は伝えてない、と。う〜ん、
そういえばそう。

 ああ、もっと勉強したいな。宮坂宥洪のお父さん、宮坂宥勝がむかし『仏教と経済』
という本を書いてたけど、失くしてしまった。駒澤大学には仏教経済研究所というのが
あって紀要をちょっとばかり読んだことあるけど。お金を貰う=汚いって常識は、もう
いい加減どうかと。ぐっちんはもう何年もずっと「使い途」って言ってっけどなあ
(笑)。ボランティアが純粋で、NPO活動は不純なんですかねえ。「仏教」といって
る人自身が、己の見解に凝り固まってて先に進まずどうしょうもない。
編集済

http://www.dzogchen.or.jp/lectures/miyasaka.html


スーダラ節♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(木)22時49分45秒 y134074.ppp.dion.ne.jp

 チョイと一杯の つもりで飲んで
 いつの間にやら ハシゴ酒
 気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
 これじゃ身体に いいわきゃないよ
 分かっちゃいるけど やめられない

 ア ホレ スイスイ スーダラダッタ
 スラスラ スイスイスイ〜

 ねらった突っ込み 見事に読まれ
 頭かっと来て 座ってみたが
 気がつきゃ 手の内ァすっからかんのカラカラ
 ヒマでいいネタ 湧くわきゃないよ
 分かっちゃいるけど やめられない

 ア ホレ スイスイ スーダラダッタ
 スラスラ スイスイスイ〜 


他人の空似 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(木)22時33分28秒 y134074.ppp.dion.ne.jp

Re:2台直結LANに挑戦  投稿者:林遊  投稿日: 3月16日(金)01時37分09秒

  ども林遊@なんまんだぶつです。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 ※※※※※※※※※※※※※(略)※※※※※※※※※※※※※※※※
 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


 (ご無沙汰しております。林遊さん。ちょっとお借りしました。やっぱ、最後のとこが
スタイル的に同じと受け止められるかも・・・)
編集済


jyugeguさんの・・・  投稿者:jyugegu  投稿日:11月27日(木)20時37分50秒 YahooBB219026239011.bbtec.net
このごろ尋ねたHP

http://www001.upp.so-net.ne.jp/jble/budhismo_jap.html

http://plaza9.mbn.or.jp/~Tannisho/KokoJoudo.html

http://plaza9.mbn.or.jp/~Tannisho/index2.html#Top

http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/index.html

合掌。



http://homepage1.nifty.com/SNC26924/index.htm


jyugeguさんの・・・ 投稿者:jyugegu  投稿日:11月27日(木)19時45分00秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

ホームページ

http://homepage1.nifty.com/SNC26924/index.htm


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=a1vc70dbbe6a1wa4ka4da4a4a4fa1a28la4j9ga4a4a4dea4bba4sa4aba1a3&sid=1835217&mid=1&type=date&first=1
にもたまに出没、特に「3914」以降。

興味が御有りの方はどうぞ。

合掌。


jyugeguさんのカキコよりB 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(木)03時33分28秒 Y056172.ppp.dion.ne.jp

 >しかし、貴方それは「土方」から「坊主」に職変えしたに過ぎないかと。
 >けっして「出家」では無いような。          (5月7日 ぐっちん宛)

 >墨で生身を隠そうと、それは一時逃れの方便の、遂に己の救われる道でしょうや?。
 >やどかりが仮の家を変えただけ、           (5月8日 ぐっちん宛)

 >以前、ぐっちん様のことを、「土方の子から坊主に職業変えしただけかも」と
 >いったかと。つまりこのこと「おカネ振り込んでもらったら、カキコんでもいいかも
 >(笑)」この意識は親鸞の末裔?としては当然なのかもしれません。しかし釈迦仏陀
 >の意識はそこにあったでしょうか。ちなみに「ブッダの言葉。スッタニパータ」には
 >なんとあるでしょう。教えを垂れる行為と、供養を受けることは、直結されらるもの
 >ではないとするよう。行為に対し対価を求める意識はまさに職業意識かと。
                           (7月21日 ぐっちん宛)

 >ぐっちんさん。この書き込みを称して「あとのまつり」とか。
 >喧嘩になるか為らないか。喧嘩は対等な相手があって盛り上がるかな。
 >まあともに歳費を頂く、その余興かは知らねど。    (11月10日 ぐっちん宛)

 救われぬ身(?)である私が、なお対価(おこぼれ?)を求める職業(坊主?)意識を
持ち続けて、「歳費」をもらっているとの虚偽をカキコしておられます。

編集済


jyugeguさんのカキコよりA 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(木)01時58分31秒 y134009.ppp.dion.ne.jp

 >ところでそういう発言されるあなたは、何処に位置されるのでしょうね。
 >乗っていく人なのか、うまく誘導し乗せる人なのか。
                         (4月13日カブトムシさん宛)
 
 >ご自分が取り扱いに「困ってい」るそのものをさもしたり顔に得々説教する事に、
 >何の疑念、後ろめたさも覚えないのですか。そしてその上に布施を戴くとすれば、
 >これは何でしょう。(略)ウパニシャドにこれを称して「目の暗い人に導かれる、
 >目の暗い人は何処へ行く」と。
                           (5月17日流れ星さん宛)
 
 >それにもかかわらず、私は未だに地獄からの呼び出しも無く。(略)
 >「火付けと、その消火」つまりはあなたのお飯の元   (4月18日三吉さん宛)

 >つまり眼晦ましのフィクションで眼をくらまされた者は、手を引いてくれる人の
 >存在がなんともありがたく、その結果何処へ放り出されるか、迄には思いは至らぬ
 >と。(略)これは「口先三寸」に云う、無責任・詐欺?の勧めでしょうか。(略)
 > これじゃ「地獄は一定すみかぞかし」       (4月20日 ぐっちん宛)

 >「あなた任せ」の、懐の財布はご自分のもの?    (4月16日 流れ星さん宛)

 >今尚、「死」を司ると称して、人心を迷わすことは、葬儀仏教から離脱せずして、
 >これら胡散臭さは付きまとうでしょう。(略)
 >この詐欺まがいの行為から離別せずして      (5月7日 らくりんさん宛)

 そして、無責任な詐欺まがいの行為によって不正に金銭を手に入れ、檀家を「地獄」へ
誘導するということを主張しておられます。
 
編集済


jyugeguさんのカキコより@ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月27日(木)01時27分24秒 Y057030.ppp.dion.ne.jp

 >人の心を平安へ導く仏教であるはずが、
 >漆塗りの位牌棚に、或いは金色燦然たる仏壇に向かって祈りを捧げる。
 >その両者の一致するところは、ともに布施と称してのお金を手にする、
 >その手段に過ぎないよう。一体坊主は自らの生業のありようをどう説明つけ、
 >自らに得心を与えているのやら                 (5月1日)

 >大抵、帰依を勧めるはそこに寄生する類の、帰依対象からおこぼれに与かる人の
 >勧めかと                          (4月26日)

 >如何でもいいこと口にしては、布施をたかる身分には。(略)
 >付和雷同が宗旨かのどこかの帰依集団に置いておや、(略)
 >なんにもならないどころか、日々それで口糊塗す。 (5月20日流れ星さん宛)

帰依を勧めた人々から、おこぼれを布施と称してたかり、寄生するのが坊主とあります。 

 
 >この意識なくしての今日教団集金宗教改革は始まらないかと。
                          (5月24日素浪人さん宛)

 >しかし真宗坊主であるからは、念仏売らなきゃ稼ぎにならぬでしょう?。
                          (5月9日 流れ星さん宛) 
 
 >でもね、ご自分の栄耀栄華のために、一株(檀家)でも逃す事無く是まで通り
 >拘束したいと、必死のお努めとも読めないこともないかな。
                          (5月10日流れ星さん宛)

 >マインドコントロールの陶酔のうちに無ければそれは判らないものなのでしょうか。
 >例えば近くはオウム信者のような。        (5月10日流れ星さん宛)

 >オウムの麻原をグルとする集団は、どの方向だったのでしょうか。
 >尚 guru・主従関係とか。今日の檀家と寺の関係はどの方向でしょう。
                          (5月10日流れ星さん宛)

 >私は未来永劫凡夫であると、だから皆様、仏に縋りましょう」との思い。
 >しかし「支配欲」ある人が、他に何かを勧める事は、支配欲の範疇に入るの入ら
 >ないの?。つまり「常に支配欲有る貴方は支配のために念仏を勧める」とは讀めま
 >せんか。                   (5月17日 流れ星さん宛) 

そしてたかる檀家を逃さないためにマインドコントロールし、念仏を売るとあります。
編集済


管理人さん皆さん連続カキコ失礼します 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月26日(水)15時50分45秒 y134009.ppp.dion.ne.jp

 プロバイダー責任法(平成14年5月27日施行)には次のようにあります。

(発信者情報の開示請求等)
第四条 特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、
次の各号のいずれにも該当するときに限り、当該特定電気通信の用に供される特定電気
通信設備を用いる特定電気通信役務提供者(以下「開示関係役務提供者」という。)に
対し、当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所
その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。
以下同じ。)の開示を請求することができる。

 つまり、掲示板上で「名誉毀損」や「侮辱」や「信用毀損」に当たる発言をなした
人の氏名や住所をプロバイダーに訊けるということですね。

 さらに民法には次のようにあります。

第八百九十七条 【祭祀供用物の承継】
第一項 系譜・祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の
祭祀を主宰すべき者がこれを承継する。但し、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰
すべき者があるときは、その者がこれを承継する。

祭祀供用物(さいしきょうようぶつ)とは系譜、祭具及び墳墓のことを指します。
系譜(けいふ)─先祖代々の家系を記述した文書。家系図・過去帳。
祭具(さいぐ)─仏壇、仏具、位牌等。
墳墓(ふんぼ)─墓石、墓碑等。

 つまり民法の中に「先祖供養」にまつわる所有権が規定されているわけですね。社会
的認知がなされているわけですね、「せんぞくよう」(笑)。
編集済


中道一直線 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月26日(水)12時34分27秒 y135236.ppp.dion.ne.jp

 八宗の祖といわれる龍樹(ナーガルジュナ)の『中論』を解説した清弁(バーヴァヴィ
ヴェーカ)が、『知恵のともしび』というのにこう書いてます。

 >この(最高の真実)には概念知のはいりこむ余地がないから、多様な言語によって
 >論じられることはない。多様な言語によって論じられないから、寂静である。寂静
 >であるから、それは、概念的思惟を越えた知恵(無分別智)だけが知るところであ
 >る。概念的思惟を越えた知恵だけが知るところであるから、他の方法によっては知
 >られない。他の方法によって知られないその真実に関しては、ことばというものは
 >起こらない。だから、真実の本性はことばの付託を完全に超越しているのである。

 まあ、要するに<最高の>真理というものは「ことば」では表せないということです
が。でも、そのことも本を書いて伝えなきゃいけないんだよね(笑)。「掲示板では、
何でも言いたい放題だ。ルールはあってはならない。ルールは、人を裁くから真宗の教え
「えらばず、きらわず」排除しないということにひっかかるからだ」こういわれる人も
いました。でもそれって「自分ルール」やん(笑)。また「カネは汚い。行為に対して
対価を得ようというのは、さもしい根性だ」とか何とか言う人も。そういう人はパソコン
も電話回線も、素材から全部自作したり物々交換して手に入れてるのだろうか?(笑)

 こういう極端な総論的意見をいう人は多い。でも人間が生きてる限り、言葉はしゃべ
る。何らかのルールは発生する。お金をかせいで、それで物を買ったりサービスを受けた
りする。で、仕来り・習慣・儀礼(あいさつ、お中元、年賀状、入学式etc.)抜きには人間
社会は成り立ってないでしょう。大切なのは、どういう言葉が人を傷つけたり、引き裂い
たりするのか。どういうルールが不公平で、特権者をつくってしまうのか。どういう慣習
が人を苦しめ抑圧するのか。どういうカネの受け渡しが賄賂であったり不透明であったり
する裏金なのか。その一つ一つについて、具体的な事例に沿って細かく見ていくこと、考
えていくこと、改めていくことでしょう。
編集済


(無題) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月26日(水)11時43分19秒 y134009.ppp.dion.ne.jp
 刑法には次のようにあります。

第二百四十六条   【 名誉毀損 】
第一項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、
三年以下の懲役若しくは禁固又は五十万円以下の罰金に処する。

 要するに「具体的に相手の名誉を傷つけるようなことを広めたりした人は、そのことが
ホントでもウソでも3年以下の懲役か禁固、それか50万円以下の罰金」ですね。

第二百三十一条  【侮辱】
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

 要するに「具体的にじゃなくても相手を侮辱した人は拘留か科料」ですね。

第二百三十三条 【信用毀損及び業務妨害】
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者
は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 要するに「ウソの噂をながして、人の信用をなくさせる、またはその業務を妨害した
人は3年以下の懲役か50万円以下の罰金」ですね。

 また民法には次のようにあります。

第七百九条 故意または過失によって他人の権利を侵害した者は、それによって生じた
損害を賠償する責任を負う。

第七百十条 他人の身体、自由または名誉を害した場合と、財産権を害した場合とを問
わず、前条の規定によって損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても賠償
しなければならない。

第七百二十三条 他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求によっ
て、損害賠償に代えて、または損害賠償と共に、名誉を回復するのに適当な処分を命ず
ることができる。

 要するに謝罪してまわらなければならないってことね。
 
こころして、カキコしようっと(苦笑)
編集済


(無題) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月26日(水)11時08分49秒 Y057030.ppp.dion.ne.jp

 刑法には次のようにあります。

第二百四十六条   【 詐欺 】
第一項 人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
第二項 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

 で、詐欺とは何かわかりにくい。

【詐欺】巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン。                  (大辞林第二版より引用)

 でも「詐欺まがい商法」の一覧はみっけた(笑)。

http://www.biwa.ne.jp/~maeba/newpage4.htm

 で、これらをよく読むと、「当初はまったく買う意志がない人に対して、適正では
ない価格で強引に物品等を売りつける」というのが、ポイントだと私は見るのですが。
編集済


同じように個人の信念も 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月24日(月)23時29分31秒 y135187.ppp.dion.ne.jp

 ある人が仏教とは「かくかくしかじかであるものだ」、と固く信じて疑わなかったとしましょう。そして、それは辞書を参照すれば、キッチリと誰にとっても同じものに表現されるものだとも信じて疑わなかったとしましょう。すると、自分の理解している仏教と違うものは「異端」だと思ってしまうわけです。念仏というものを説明してみろ、とある僧侶に尋ねる。尋ねられた人は一生懸命自分の思うところの仏教を語る。

 けれど尋ねた方は、自分が理解しているものが全てであって。また僧侶に対して予断と偏見を持っていますから、自分の考えに照らし合わせて合点がいかなければ、「相手は仏教というものを理解していない。信じていないのだ」と考えたりなんかするわけです。(逆に言うと説明する方は、こういう手合いの人に対しては、自分が理解しているものをねじ曲げてでも、尋ねた人が持ってる仏教理解にあわせなければ相手はウンといわないことを肝に銘じなければいけないのであります)そして信じていないものを使って金儲けをしていると考え「お前たちは詐欺師だ」といったりすることもあるのです。尋ねられたほうは、一生懸命語ったにも拘らず侮辱されたのですから、怒る。だけども尋ねた方はまたそれを「あいつは自分の解かってないものを商売に利用しているという、後ろめたさ、痛いところをつかれたので怒っているのだ、ざまあみろ」と理解することもできるのです。すると、尋ねられた方はもう何も言いたくなくなるわけです。また怒ってみても仕方ない、もうエエわ知らんとアホらしくなるのです。

 思い込み(信じ込み・覚え込み)はコワイ。
編集済


コミュニケーションの不毛 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月24日(月)23時14分45秒 y135193.ppp.dion.ne.jp

 ぐっちんはいっつも考えてるんですが、なかなか次のような話しが相手に伝わらない・・・

 英語でシスターという言葉があります。日本語には姉と妹という言葉があります。
英語でもシスターという言葉の前にエルダーやヤンガーをつければその区別をつける
ことは出来ますが。また日本語で鶏という言葉があります。英語にはチキンという言葉が
ありますが、ヘンという言葉で雌鶏を、コックという言葉で雄鶏を指します。日本語では
鶏の前にオンやメンをつけなければ区別がつかないわけです。

 このようなことを延長して考えれば次のようなことになると思うのです。それぞれの
文化によって、住んでいるこの世界の区切り方は違う。それは単に区切り方が違うと
いうよりは、その生活の重要度の違いを表しているのではないでしょうか?卵を食べる
文化では、鶏のオスかメスかの区別が重要である。子どもの長幼の順というものを
重視する文化は姉と妹を一目瞭然に区別して指す必要がある、と。

 けれど、こういうことはなかなか普段意識してないと思うのです。自分たちとは、
違う民族の習慣・文化・言葉に触れてはじめて、自分たちの「世界の区切り方、受け止
め方」だけが唯一のものではない、と気づかされるといいのですが。逆にこの「異文化」に触れることによって差別が生まれたりします。日本人が自分たちの食事のマナーを唯一つの正解と考えてるとしましょう。するとある朝鮮人の人たちの食事のマナーがとても行儀悪いものと映るわけです。立てひざをついたり、手にお茶碗を持たなかったりと。で、これを見た人が「朝鮮人はへんだ」という偏見をもったとしましょう。この偏見がいつのまにか、その子どもの世代に伝わったりします。子どもは実際に朝鮮人と接したこともないにも関わらず、「朝鮮人」と聞いただけで「ヘン」という連想をまるでパブロフの犬のように刷り込まれてしまう。

 私が聞いた話では「お前は在日だけど、いいやつだよな」といった言葉。目の前に
いる現実の朝鮮人より、イメージの方が先行しているということです。
編集済


「ひらけゴマ(笑)」(らくりんさん文書庫)より 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月23日(日)02時01分35秒 y135094.ppp.dion.ne.jp

 親がつけてくれた名まえを「純子」、自分で自分につけた名まえを「遊歩」という。
自由に、誇りたかく「遊び歩く」。また遊歩には「UFO]ということばもかけている。
未確認だけれども、科学のこころがわかって、かつ夢のある人なら、こころおどらせて
待っているUFO、そんな気持ちをこめて。
 寝たきりにちかかった幼き日、遊び歩くという、子どもにとっては生来の権利・自由
も、私にとっては夢のまた夢だった。兄が私に見せようとオタマジャクシやトンボを取
ってきてくれると、その目のまえで、オタマジャクシの缶詰めを作ったり、トンボの足
をむしって糸をつけ、永久に飛びつづけさせようとしたり。また、あるときは、妹の人
形を取りあげて、自分がされたとおなじ手術をその人形に施したりもした。「やめて!」
と泣きながら頼む妹の声を聞きながら、メスにみたてたナイフを人形の足に入れたのだっ
た。小さな純子の閉ざされた自由への激しい渇望は、いくえにも屈折して表現されつづけ
た。
 歩けないことが悲しいのではない。車椅子で動くことがつらいのではない。私の絶望と
無力感は、障害を持つ女性にたいするさまざまな思いこみと、その思いこみのうえにつく
りあげられた社会システム、そうしたものがもたらす抑圧からきているのだ。
 ならば、絶望と無力感から立ちあがる最初のステップは、自分の名まえに最高の自由と
誇りを取りもどしてやることだ。もちろん、親がつけてくれた純子という名まえもきらい
ではない。しかし、「純子」と呼ばれるたびにハッシとにらみつけ(実際、子どもの頃の
写真を見ると、ほとんどいつも私はそんな顔をしている)、闘って闘ってしか生きのびて
こられなかった小さな自分の姿が頭をかすめてしまうのだ。
                
                   『癒しのセクシートリップ』安積遊歩・著

 <名告り>(その裏にある命名。名付け)ということの意味の重要性を、端的に表現
されている文章だと思います。差別やドメスティック・バイオレンスや詐欺をひきおこ
す「さまざまな思い込み」も<言葉>によって出来上がるのなら、貶められ辱められ傷
つけられた、自分の「名前」に最高の自由と誇りを取り戻すのもまた<言葉>による働
きのひとつの側面なんだなあ、これが。
編集済


学生節♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(土)23時08分19秒 y135094.ppp.dion.ne.jp

 一言文句を言う前に
 ホレ お野次さん  ホレ お野次さん
 あんたのホトケを信じなさい
 ホレ 信じなさい ホレ 信じなさい
 色即是空 アミダ籤
 空即是色 あほだら経
 あんたの知らない 蓮もある
 ホレ 蓮もある  ホレ 蓮もある
 どっこいここは通せんぼ
 ここに入れぬわけがある
 あんたのホトケを信じなさい
 ホレ 信じなさい  ホレ 信じなさい
編集済


ショボクレ人生♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(土)23時02分59秒 Y056187.ppp.dion.ne.jp

 バーやキャバレーじゃ 灰皿盗み
 他人の残した ビールは飲むし
 焼き鳥食べれば 数ごまかして
 そのくせ勘定は人まかせ

 みっともないから およしなさいっ
 もっとでっかい事 なぜ出来ぬ〜 (ショボクレた事すんな このヤロー)

 会社終われば パチンコ通い
 血走りまなこで 落ちてる玉ひろい
 入りもしないのに “オーイ出ないぞ” 
 怒鳴る声だけ 一人前

 仕事終われば パソコン三昧
 血走りまなこで 他人(ひと)の揚げ足取り
 解りもしないのに “お答えないぞ”
 ゆすることだけ 一人前

 みっともないから およしなさいっ
 もっとまっしな事 なぜ言えぬ〜 (ショボクレた事訊くな このヤロー)
編集済


笑ってええはずないやんけ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(土)09時12分42秒 y135117.ppp.dion.ne.jp

 ぐっちんはタモリがキライです。もうかれこれ十年以上もなるでしょうか
「笑っていいとも」で、こんなことしゃべり出しました。それは、
「あのぉ、外国へ行って 関西弁聞くってぇのは イヤだねぇ。耳障り」

 ほっとけや。お前かって福岡出身、博多弁やろが。職業上、標準語しゃべってる
つもりやろけど、アナウンサーから聞いたらメチャメチャなまってるやんけ。ほんで
三代続いたチャキチャキの江戸っ子からしてもけったいな言葉しゃべってるんやんけ。
人はそれぞれ、その育った文化っちゅうもんがあるんじゃ。それをまったく払拭する
ことなんかでけへんわ。関西弁が他人に絶大なる迷惑を及ぼしているならば、考えな
アカン問題やろけど、聞いてるおのれが、かっこ悪いとかガラ悪いとか思てるだけやん
け。で、自分も博多弁にコンプレックス抱いてるからそんなこというんやろ。で、
なんら博多弁を恥じる必要もないやろう。恥ずかしいのは、自分を恥じてるそのことや。

 回転寿司屋さんで、おいしいなあってみんなで食べてるとこへ割り込んできて、「寿司
はやっぱ銀座や築地で食わなくっちゃな。こんな邪道の寿司食って何が旨いんだ?」って
言ってきた奴もいた。ほっとけや。お前は何様のつもりや?銀座で江戸前のにぎり寿司の
職人の修行でもしてきたんかい。何年もかけて技術習得してきたんやったら、そらそんで
すごいことですなあと思うけどただ食べて来ただけやろが。人の食嗜好にごちゃごちゃ口
挟むんエエ加減にせえや。(ぐっちんは、これらを「本場(メッカ・ブランド)コンプ
レックス」とよんでいます)

 で、ゆすり、たかり、詐欺、恐喝とは何か?もう一度おさらいしてみると。
たとえば、高額の英会話教材を買わされたとしましょう。この場合、問題になるのは英会
話教材がどれだけ実際、会話を習得できる高い研究成果に基づいた中味であろうかには関
係ありません。法外な値段で売りつけられたという点に着目する必要があるんです。(世
界標準価格の八倍程度が上限か?笑)

 つまり、買わされる方は「今の世の中、英語ぐらいできなくちゃ恥ずかしい」という
世に喧伝される言説にひるみ、ついつけこまれ適正価格での商取引に失敗してしまうので
あります。イングランドの一方言が世界のスタンダード言語になって、それができない人
は不利益を蒙ったりする現状が確かに一部あります。しかし、そんなもん関係ない人には
まったく関係ないわけでありまして。英語ができで当たり前という前提こそが疑われてな
いのであります。実はそういった構造があるからこそ、サギ商法も成立するのでありま
す。

 「日本人なら〇〇を食わなくちゃ非国民である」こういうミクロな権力作用を働かせる
言説こそ疑われてしかるべきものだと思います。パン主食にするのもええやん。うどん食
べてんのもええやん。ラーメン食べてんのもええやん。何食っててもええ。で、ラーメン
作って商売するんやったらそれはそれでプロとしていろいろ修行しなはったらええこっち
ゃ。で、カネとって商売するからには、ラーメンとは何か?うまいラーメンとは何か、い
い接客とは何か、って一生かかって勉強し、研鑽するもんや。そんなもん一方的にホイホ
イ人にその極意を種明かしして、ふるまえるかい。ラーメンをなめとる証拠やな。「タダ
で食わせろ。レシピ教えろ」っていうそいつは。ほんで、「こら!お前とこなんでラーメ
ンしかおいてないねん!おでん置かんかいっ!」(あるいは、お前なんでラーメン売るネ
ン)っていわれたってそんなもんいちいち知るかいな。

 で、うまいラーメンとは何かを追求する中で、つまり「ラーメン道」ですわな。他の麺
類文化、うどんやそばの麺の作り方やダシを参考に勉強することもあるやろう。で、実は
ぐっちんはたこ焼き食い道を極める為にそのルーツ、ちょぼ焼きなるものに今はまってる
んですわ(笑)。
編集済


ゴマスリ行進曲♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(土)09時01分19秒 y134124.ppp.dion.ne.jp

(セリフ)サァー みんなそろって
     楽しく 元気に ゴマをすりましょう!

 ゴマを〜 すりま〜しょ
 みんなでゴマをねっ (あ すれすれ!)
 ゴマをするにも 命がけ〜 
 思いつくまま 気のむくままに
 すれば〜 雲間に
 チョイとチョイとチョイとチョイと 月が出る〜
 ハァ〜 エライやっちゃ おだてろ
 ゴマすって のせろいっ
 (合唱) そ〜れ すれすれ ゴマすれホイホイっ

 護摩を〜 焚きま〜しょ
 みんなで護摩をねっ (あ 焚け焚け!)
 朝も早よから 夜中まで〜
 身震い来るよに うまいこと焚こう
 運が〜 開けりゃ
 チョイとチョイとチョイとチョイと 利益〜有〜る〜
 ハァ〜 エライやっちゃ 供養しろ
 護摩焚いて のせろいっ
 (合唱) そ〜れ 焚け焚け 護摩焚けホイホイっ 

 公案を〜 吹きま〜しょ
 みんなで公案をねっ (あ 吹け吹け!)
 口から出まかせ 出放題
 手間もかからず 元手もいらず〜
 吹けば〜 この世で
 チョイとチョイとチョイとチョイと 大悟〜する〜
 ハァ〜 エライやっちゃ 丸めろ
 公案吹いて のせろいっ
 (合唱) そ〜れ 吹け吹け 公案吹けホイホイっ


だまって俺についてこい♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月22日(土)08時48分09秒 Y056187.ppp.dion.ne.jp

 ゼニのないやつぁ 俺んとこへ来い
 俺もないけど 心配すんな
 見ろよ 青い空 白い雲
 そのうちなんとか な〜るだろおぉ〜 (ハッハハ)

 智慧のないやつぁ 俺んとこへ来い
 俺もないけど 心配すんな
 見ろよ 波の果て 水平線
 そのうちなんとか な〜るだろおぉ〜 (ハッハハ)

 慈悲のないつぁ 俺んとこへ来い
 俺もないけど 心配すんな
 見ろよ 燃えている あかね雲
 そのうちなんとか な〜るだろおぉ〜
 (わかっとるね? わかっとる わかっとる
 わかったら 黙って俺のHPに来い!)
編集済


(無題) 投稿者:  投稿日:11月22日(土)00時40分12秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさん
お心遣いありがとうございます

写真家さんの話は竹も聞いたことあります
被写体となる場と一体となると…
知らぬ間に包み込まれている大きな世界があるのかもしれませんね
ところで間干瓢ですかぁアヘアヘって(笑)
ああっ子供の夜泣きが始まったぁ(眠)
ではでは
竹 


写真二題(または間干瓢。アヘアヘ) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月21日(金)13時10分27秒 Y057116.ppp.dion.ne.jp

 >竹さん

 どうもです。打てば響くとはまさにこのこと(笑)。
人も言葉も「生まモノ」ですよね。で、遇ったこともない過去の人でありながら、
また過去に書かれた言葉なのに、ミョーに生き生きと感じられるものがあります。
その反対に、肉声なのに、現代に生きてる人なのにどこかフリーズドライ、乾物
を感じさせるのもあります(笑)。まァ、それはそれで地震とかの非常時に役立つと思いますが(笑)。

 旅行に行っても、記念写真ばかりとってる人っていますよね。パチパチと。「すいませ〜ん、シャッター押して下さ〜い」ばっか(笑)。なんで、<今>を過去として封印してしまってるんだろ?って思います。この場にいるのだから、その目でその耳でその肌で、この風をこの光をこの匂いをしっかり自分に焼き付ければいいのにって思う。もう、単にコラージュされた自分を撮りたくて<場>というものが「背景」に遠のいてしまってる。圧縮ファイルばっかりつくってて。解凍する前に死んじゃったらどうすんのって?(笑)。

 浅井慎平だったか、立木義浩だったか、はたまた違ったか・・・その写真をメシの種にしているプロの話ですが。ともかく職業としてカメラを手にしたての頃は、こちらがいい写真を撮ってやろう、いいアングルを切り取ってやろうと、ずっと狙ってシャッターを切ってたそうなのです。だけど、だんだんキャリアが長くなってきたとき、風景や被写体の方から撮ってくれって語ってる瞬間を感じることがあって、それからはファインダーからのぞいたそのままを撮ってるそうなのです。とってもいい話だなあと思いました。

よそいき着て出掛けていっても、心は普段着。でも普段から死に装束ってぇのは色気ない(笑)。まあ、公案には正解がないのが正解でしょうか?(笑)竹さん、ひと雨ごとに寒くなりますので、お風邪めしませんように。ぐっちんはちなみにここ十年で風邪ひいたの四回。なんとかは風邪ひかないんです(笑)。
編集済


響き渡るドンドン、ドドン 投稿者:  投稿日:11月21日(金)00時41分43秒 acproxy4.ezweb.ne.jp

ぐっちんさんこんにばんわ
いつもすみません
横レス?というか感じたことを書きます
さて、竹の今住む町には祭りが色々とあります
初めて生の大太鼓の音を聞いた時驚きました
空気の振動が体を揺さぶるほどにというのを思い出しました
今ある私は生物(なまもの)で空気の振動や場を感じるのかもしれません
次に思い出したのが手を打ってという話
手を打って魚は餌をと寄ってくる鳥は何事かと逃げ惑う茶屋の人はお客さんかと…

生の太鼓の音はどう聞こえているのでしょうか
またどう響き渡っているのでしょうか
私において

寒くなってきましたね
だから秋から冬を感じるのかも知れません
ドンドン、ドドン
ありがとうございました


弟子(sabaka・聞く人) 投稿者:jyugegu  投稿日:11月19日(水)07時15分06秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

 >ある僧が禾山(かさん)和尚に尋ねた。
 >「悟りを本当に得るとは、どんなことですか」
 >禾山は、ただこう答えた。
 >「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 >「ならば、最高にありがたいものとは」
 >「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 >「もう少し変わった答え方をしたらどうなのか」
 >「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 >「私を若輩だと思って馬鹿にしているのか。もし、ここに
 > 慧能(えのう)大師がおられたら、どんな答え方をされるのか」
 >「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」

 >六字の名号、なむあみだぶつも、とどのつまりはここに納まる。
 >「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」 

合掌。


やっちまった! 投稿者:  投稿日:11月19日(水)00時54分07秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

営業部長から非難のメ―ルが届いた
お客さんの困った直携帯で竹が最善策を話したのが営業の顔をつぶした
人間関係は微妙だ
でもメ―ルや掲示板で超えられないものそれがわかった
語り合うこと生の声で
人は誤解する生き物なのかと思うくらい角が立つ
でも今ある問題に真剣に語る人が言霊を交わせば絶対わかる
そう感じた今日でした竹


>サービス残業(すべてがね) 投稿者:jyugegu  投稿日:11月18日(火)23時02分34秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

>端的に申しましょう。もうこれ以上別に真宗
>門徒の掲示板アラシ・・・いや失礼、道場破りなどせんでもよいでしょう。

ぐっちん様、
>こんにゃく自問答集(1) 投稿者:ぐっちん
>こんにゃく自問答集(2) 投稿者:ぐっちん
>(無題) 投稿者:ぐっちん

これは何だったのでしょう。

合掌。


サービス残業(すべてがね) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月18日(火)16時01分44秒 y134197.ppp.dion.ne.jp

 またまたサービス業の血が騒ぐ(笑)。端的に申しましょう。もうこれ以上別に真宗
門徒の掲示板アラシ・・・いや失礼、道場破りなどせんでもよいでしょう。ここに
すべてが顕かになってますやん。やっぱすごいですね、ひとつの道を究めた仏者は。
お念仏の肝も要はここですね。多言は必要なし。これ以上解説したり、解釈をはさんだり
しなくていい。(『碧巌録』第四十四則 「禾山解打鼓(かさんかいだこ)」)


  ある僧が禾山(かさん)和尚に尋ねた。
 「悟りを本当に得るとは、どんなことですか」
 禾山は、ただこう答えた。
 「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 「ならば、最高にありがたいものとは」
 「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 「もう少し変わった答え方をしたらどうなのか」
 「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」
 「私を若輩だと思って馬鹿にしているのか。もし、ここに
  慧能(えのう)大師がおられたら、どんな答え方をされるのか」
 「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」

 六字の名号、なむあみだぶつも、とどのつまりはここに納まる。
 「太鼓を叩くと、ドンドン、ドドン」 
編集済


ぐっちん様 投稿者:jyugegu  投稿日:11月18日(火)13時09分20秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

貴重なお時間と労力を費やしてのご記入。

つまるところは何を表明したいのでしょう。
出来れば端的に。
まあ貴方はわりに真面目に生きて居られるとはかねがねお見受けさせていただいている、この私一人です。

合掌。


続き 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月18日(火)11時54分42秒 Y056129.ppp.dion.ne.jp

 でまた、真宗は残念ながら出家仏教ではないんで、「出家」を私たちに求められてもし
ょうがないんですよ。仏教はそれこそ、多様なスタイルを容認する原理を持っているんじ
ゃあないでしょうか?ほんで、真宗に「留守職(るすしき)」という言葉があって。ま
あ、お堂の管理人ってとこかな。聞法する門徒の道場の管理人さんなんですよ、ようする
に私たちって。マンションにもいらっしゃるでしょ?結婚してて子どもがいたら管理人さんって、詐欺まがい商売にあたるのですか?で、まあまた真宗僧侶とは組合専従員みたいのものなんだと以前この掲示板でも書いたことあるんですけど。専従員というのは、もともと同じ組合員なんですね。で、そこから専従としていろいろ道場の維持やらなんやらの事務仕事をしてる、と。だから坊さんといえども組合員、門徒ということですよ。まあ、そのことをお忘れのお坊さん方々もたくさんいらっしゃるように見受けられるのも確かなとこですが。

 で、その世界、その業界にはいろいろウラばなしがあってですね。で、そのドロドロの
卑湿の汚泥からハスの花が咲くんでしたっけ?で、jyugeguさん、あなたはただ「先祖供
養」だの「詐欺師」だの口にされておられるだけで、なんら具体的、本質的なとこを
つかれない・・・それはつまり「部外者」なだけであって。で、他人のカキコをひっぱ
ってきてあーだこーだと説明を求める。いってみればそれは、たまねぎの皮むきといっしょで。何も残りはしない。だけど、たまねぎを切ってみれば、涙も出る。炒めてカレーに放り込めば、甘みも出る。で、ご自身が「百姓」だというところから、学びえた「法」の話しだとか「人間」の話だったら、各自の生活の場を越えて響きあう言葉も飛び交うんでしょうけど。そうじゃないから、もう他のお坊さんだけじゃない、他の人も相手にされないと思うんですよね。しっかりとした「批判」なら聞く耳をお持ちの方もいらっしゃるのだけど、あなたのような言葉は外野席からの「ヤジ」通り越して単なる「いやがらせ」としか受け取られない。で、誰一人あなたを真宗に勧誘なんかしてないんですよ。ご自分の道を行ってくださいといってるのにあなたがここへ出てきて「自分が目がみえないくせに人を地獄へ引っ張り込む」だとか因縁(!)つけて、金儲けとして開き直ってるホントの悪徳坊主にメスを入れることもなく、ある意味自分の仕事について悩んでいる人々の良心につけ込んで言いたい放題。で、いろんな掲示板からバッシングされたんでしょう?まあ、そのことを知っててずっとぐっちんもいろいろ、暇つぶしのお相手してましたけど。これをお読みの方はだいたい、もうウンザリ通り越してあきれ返るのも通り越しておられると思いますが。まあ、そこんとこよくよくお考えになられたらどうですか?老師気取りなんかやめて。

 人の恋路をジャマするものは 旨煮にされて食べられる(再掲)

じゃあね、これでほんとにおしまい。
淋しいからお相手してよって? イヤ。ちゃん、ちゃん(笑)。 
編集済


続き 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月18日(火)10時58分31秒 Y057130.ppp.dion.ne.jp

で、あなたはずっと出家だとか僧侶だとかいうことを使って相手をひるまそうとされてお
られるのだけど。ぐっちんはぶっちゃけた話し、僧侶は職業だと思いますよ。何か例えば
パスポートの申請、申し込みをするとき職業欄に僧侶って書いてましたものね、実際。実際の話しをしなくっちゃね。観念論もてあそんでても仕方ない。サービス業があるじゃないですか?何も物品を売るわけではないけれど。まぁ、近いところでいえば結婚式の司会者でもいいですね。儀式の執行者。で、葬儀屋さんもそう。こういう仕事に携わってるひとをjyugeguさん。あなたは「詐欺まがい」の商売とおっしゃいますか?死後の世界があるのかどうか。あるいは霊魂なるものがあるのかどうか、それは誰も確定できないでしょう。が、死別の悲しみ混乱というのはありますね。不安や脅えも。それを癒すものとして儀式というものはあるでしょう。(カウンセラーさんも同じような仕事)また「生涯変わらぬ愛」というものがあるのかどうか。で、離婚に至ったカップルは、そういうものを前提として成り立っている「結婚ビジネス」を詐欺として訴えるかどうか?あらゆるサービス業を詐欺とあなたが定義されるなら仕方ありませんけど、それは逆にあなたの方が名誉毀損で訴えれるかもしれませんよ。私が考える「詐欺」ということは以前にこの掲示板で書きました。(サービスとは奉仕。神につかえることですね。神の器となって働くというのが、もともとの意味)

 で、あなたが学ばれた臨済宗のお坊さんたちはどうなのかなあ・・・明治以降はみなお
寺はどこの宗派もだいたいは世襲制でしょ?まあ、宗派が違えばお寺の移動みたいなのも
あるようですが。で、宗教法人は税制面で優遇されてるかもわからないけど、そこでは法人の「職員」扱いということで「所得税」を払っていますよね、みなさん。仏教を求め、仏道を歩んでるんじゃなくて、職業としてるのかあ!とお怒りになるのでしょうか。また、人はそれぞれ。自分の運命として、職業として「お坊さん」を選び引き受けておられる方も確かにおありでしょう。でもそれはそれこそ、生命はいろんなカタチ、存在形態があるんですよ。ひとりひとりにね。特定の信仰のカタチがない、無神論者も当たり前のことながら人間ですよ。で、究極のところその個人の内面の信念というものは他人から伺い知れぬものです。

 で人間も生物ですから、ごはんも食べなくちゃいけない。で、その上、人間なんで服も
着なくちゃいけない。お金をかせがなきゃどうしようもないんじゃないでしょうか?で、吾唯足るを知るか知りませんが、みんながみんな「食糧生産」や「綿花栽培」みたいな第一次産業に従事する必要もないでしょ。土地もノウハウもなかったら自分の与えられた才能やら能力やらご縁で仕事をしなくっちゃ。ほんで「カネは天下のまわりもの」っていいますけど、天下ならぬ天上界かなんかに住んでたらまあ使うこともないんでしょうけど。タイの上座部のお坊さんたちだって、沙弥という年端もいかぬ一人前扱いされてない子どもをつれ財布というかお金をもたせているんですね。社会生活してるから、その当該社会の「おカネ」や「コトバ」や、(目配せとか会釈とか入学式とかお中元なんかの)「象徴儀礼」を通して人はコミュニケーションしてるんですね。
編集済


>jyugeguさん   投稿者:ぐっちん  投稿日:11月18日(火)10時24分07秒 y134197.ppp.dion.ne.jp

 そんなに聞きたいなら教えて差しあげましょう。でも、あくまでこれはぐっちんのお味
わい、受け止め、信仰告白、信心表白ですね。<私>が聞きえたお念仏の教え。決して文
字ヅラを掲示板上で見ただけではわからないものだと思いますよ。あなたのように一生懸命辞書ひっぱってもどこにも出てきません。そう口伝なのですね。生きた念仏者に直接あったからこそ、伝わったことであって、延々質問して下さっても「教えること」はできません。だから、これ以降カキコを揚げ足取りされてもホントウにレスしないですからね。あなたにはオモシロイひまつぶしかも知れませんが、↓で指摘しましたように「こんにゃく問答」続けてても私は疲れるだけですから。あなたはあなたの道をお行きになることが道だってあなた自身もおわかりでしょう。では、以上のことを念頭において。できるだけあなたにわかるように簡潔に書きましょう。

 昔ありましたよね。「名、名を名乗れ!」「赤胴鈴之助だ」って漫画。
 お念仏とは、なむあみだぶつと口に称えること。南無阿弥陀仏。(我 南無 阿弥陀仏)まあ、中国語というのは語が英語と同じ順番にならんでるものとして。「我、アミダ仏に南無する者なり」との名告りなのですね。つまり、自分の名前なのですよ。名前というのは大切なもの。自分が何者であるか、何者として生きていくのか。そういうことを示すもの。一生の内に何度も何度も繰り返し巻き返し、口に出し、また人から呼ばれるもの。それを口癖とよばれるならそうかも知れませんね、jyugeguさん。でもそれは、ふつうたんぼの中で蛙が大合唱してるみたいに、そんな呪文唱えても仕方ないんだとか、道元さんが言ってたようなことではないんですね。

 で、名前があるから世界がある。その世界に生まれ出るんですよね。その世界でひとりの存在として認められる。そして仲間に出遇う。まあ、本名(戸籍名)使われることもあるかもしれませんが、芸名なんていうのがあります。あれで芸能界にデビューするんですね。三橋美智也とか春日八郎とか。で、ミッチーとかハッチーとかよばれたりなんかして。名無しの権兵衛では具合悪いわけです。名前がなければ、存在もないに等しいんですよね、jyugeguさん。(で、念仏者を個別に識別するためにあるのが、「法名」なんです。釈〇〇ってやつ)

 では、「南無」とはなんぞや。「アミダ」とはなんぞや。「仏」とはなんぞや・・・と
分解してわかりたくなるんですよね。けどらっきょやたまねぎみたいなもんで、むいてもむいても最後には何も残らないですよ。でそれは、自分の名前というのはそういった紙やら電気信号上に刻まれた、自分の「ソト」に記された平板な記録ではないんですよね。その自分の名前、「なむあみだぶつ」という名詞ではなくて、いわば動詞かな?口に出して称えられ、聞き、またそのことについて語り合い確認しあうことそのものが、生きたものでありふくらみ。念仏者に与えられた、生涯ただ一つの公案かな?血肉化しているもののようなもんでありまして。まあ、そんなとことお考え下さったらどうでしょう?jyugeguさん。 で、コトバというのは「戯論」。月を指す指ですから、戯れ、遊ぶものです。その世界でね。念仏とは、誰にとっても、誰もそれを口にしたりしないでもかくかくしかじかなものである、ときっちり定義できるものを指すものが、どっかに転がってあるとお考えになっているとすればそれは「実体論者」「素朴実在論者」「唯物論者」みたいなもんです。人生は「遊戯三昧」。遊ぶに尽きる。でもつまらない遊びには付き合わないですよ(笑)。
編集済


>過剰なる美意識 投稿者:jyugegu  投稿日:11月18日(火)06時42分30秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

ぐっちん様、おはよう御座います。

>さすがそのスジの並々ならぬ愛好者だけおありになって。卓越した連想力。
<ムチ>も共にお持ち。

時に往々に、してやったりと思うとき、
上手の手から水、己の内心を吐露すると言うこともありうるかな。

決してぐっちん様を特定するのでなく。

合掌。


宇多田ヒカル 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月17日(月)23時51分04秒 y135198.ppp.dion.ne.jp

 今頃、この歌のビデオ・クリップを手に入れて全編見ました。三年半前の作品。
渋谷の町を、モービルカーみたいなので飛び廻るカッチョいいやつ。正確に現在の
ヒッキーがどんな髪形なのかとか知りませんが、この当時ってイチバン垢抜けてて
キレイな感じかも。ショートにしてイメチェン。高校生ぐらいの子にとってはこの曲、
ナツメロかも知れん。遅れてるかな〜(笑)。もうすぐ、全米デビューだそうだけど
やっぱこの歌詞とか見ててもスゴイわ。これで、17歳(?)。自分の17歳なんて
何やってたんだろ?う〜ん、どうにもこうにも思い出せん。脱帽(笑)。
編集済


Wait & See 〜リスク〜 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月17日(月)23時45分18秒 y134197.ppp.dion.ne.jp

 だって「つまづきながら」って
 口で言うほど 楽じゃないはずでしょ
 待って 
 もう少しわかってくれたらきっと 
 もっといい雨が降るから

 勝手。 
 そう呼ばれちゃって 
 時々孤独 感じても大丈夫
 二人で出した答に乗り込んで 
 曇り空を追い抜くから

 廻らないタイヤが目の前に
 並んでるけど  
 Accel も踏まずにいるのは誰だろうね 
 矛盾屋

 oh baby Wait & See
 たまには痛さもいいよね 
 リスクがあるからこそ
 信じることに意味があるのさ  
 迷わないなんて無理
 oh baby can’t you see 
 待つのは得意じゃないけど 
 傷つけるのは早過ぎるんだ
 占いなんて信じたりしないで

 愛情
 向かって左に欠乏
 だから君が必要 
 冷たい態度で自分を守ってるつもりなの?

 変えられないものを受け入れる力 
 そして受け入れられないものを
 変える力をちょうだいよ

 oh baby Wait & See 
 やっぱ痛いのはイヤだけど
 リスクがあるからこそ
 戦うほどに強くなるのさ 
 怖れないなんて無理
 oh baby can’t you see 
 待つのは得意じゃないけど
 決めつけるのは早過ぎるんだ
 占いなんて信じたりしないで

 oh baby Wait & See 
 癒せない傷なんてない
 リスクがあるからこそ
 愛する程にせつないのかな 
 そんなに悪くはない
 どこか遠くへ
 逃げたら楽になるのかな 
 そんなわけ無いよね 
 どこにいたって私は私なんだから

 キーが高すぎるなら下げてもいいよ 
 歌は変わらない強さ持ってる
 悩みなんて一つの通過点 
 大きすぎるブレスレットのように するり
編集済


過剰なる美意識 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月17日(月)23時28分05秒 y135198.ppp.dion.ne.jp

 どっからどう見ても、コンバインなんだけど・・・(笑)
さすがそのスジの並々ならぬ愛好者だけおありになって。卓越した連想力。
<ムチ>も共にお持ち。
編集済


>観察する意識 投稿者:jyugegu  投稿日:11月17日(月)22時57分51秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

>  ┬┴┬┴┤_・)ジ〜 「千鳥足」と見た・・・

いやいや ろうそくかも

合掌。


観察する意識 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月17日(月)13時54分59秒 Y056217.ppp.dion.ne.jp

 >失礼、「馬脚」ならぬ「蛇足」だったかな。

 
  ┬┴┬┴┤_・)ジ〜 「千鳥足」と見た・・・ 
編集済


ぐっちん様へ 投稿者:jyugegu  投稿日:11月17日(月)10時39分08秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

おはよう御座います。ご無沙汰いたしております。

>>掲示板開設のお知らせ 投稿者:jyugegu  投稿日: 4月24日(木)23時20分46秒
 
「他人」の私の掲示板、わざわざご紹介ありがとう御座います。
ぐっちん様のお人柄が偲ばれます。

ありがとう御座いました。

お互いエールの交換は仏教者として自覚ある現われかとは。

合掌。

追伸。掲示板のアドレスは
http://free.has-u.co.jp/cgi-bin/free/culture/u-bbs.cgi?room=zqrms

まあ、ぐっちん様ともあろうお人が、「上手の手から水」というところでしょうか。
わざわざ「でしゃばりお米」に書かさなくても・・。

「お米」といえば是まで「きぬひかり」でしたが、来年はやはり「こしひかり」かな、
と思っています。やはり売れ行きが違うようなので。
な〜に、経済計算すれば、百姓は止めて買うほうが何ぼか得です。
でも自給自足が百姓の血に慣らされているのかも、
ナムアミダブツが口癖に慣らされているか?に似て。

失礼、「馬脚」ならぬ「蛇足」だったかな。


(無題) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月16日(日)09時36分26秒 y135237.ppp.dion.ne.jp

 >掲示板開設のお知らせ 投稿者:jyugegu  投稿日: 4月24日(木)23時20分46秒
 >私このたび(略)
 >ここに掲示板を開設の運びに至りました。
 >この場の人々とも交流を持ちたく、御案内申し上げます。
 >尚是で此処を去るというのではなく、今後とも宜しく、ご指導の程。 
 
 
 >兎角他者の話は眉に唾つけて、当然私の話などは尚の事、この意識で以って、
 >犀の角のようにただ独り歩め。         (4月26日(土)13時20分54秒)
 
  
 合掌。
編集済


こんにゃく自問答集(2) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月16日(日)09時23分29秒 Y057070.ppp.dion.ne.jp

 >個々の生命の在り様、或いは姿かたちに「差」違いを認め、しかしそれら並べて生命
 >なり、とする是仏教での「差別即平等」表現の言うところかな。(略)
 >ところがそこに何か一用語を特定し強要するとき、もう「分別・選別」意識は働き、
 >排他的意識は働くはず。            (10月23日(木)20時20分54秒)

 >ぐっちん様のことを、「土方の子から坊主に職業変えしただけかも」といったかと。
 >つまりこのこと「おカネ振り込んでもらったら、カキコんでもいいかも(笑)」
 >この意識は親鸞の末裔?としては当然なのかもしれません。(略)行為に対し対価を
 >求める意識はまさに職業意識かと。
                           (7月21日(月)08時40分47秒)
 
 職業差別を続ける、みずからの止まぬ「排他的意識」においてをや。  

 
 >なおなお、ご自身からのお言葉は、私に帰属するものでなく、その人の内に存する
 >ものの吐露かと拝察すれば、「侮蔑」云々のお言葉も私には感銘される意味かと拝受
 >するにやぶさかではありません。         (10月14日(火)20時40分10秒)

 >脛毛は深いかもしれませんが、中味はごく単純。芝居で使われる馬は大抵本物では
 >なく、人間が入って馬に似せた作り物で有るかと。それがじっと大人しくしていれ
 >ば、まあ「馬」かと見ないものでもない。ところが子馬の役で在った為、跳ね回る
 >事になる。是では遂に人が役、脛毛が丸出し、如何見ようとしても、子馬にはほど
 >遠いイメージに                (5月 7日(水)16時23分20秒)

 これぞ、まさしく自身の「馬脚」かな。
編集済


こんにゃく自問答集(1) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月16日(日)08時00分45秒 Y057070.ppp.dion.ne.jp

 >喧嘩になるか為らないか。
 >喧嘩は対等な相手があって盛り上がるかな。
 >まあともに歳費を頂く、その余興かは知らねど。(11月10日(月)23時14分04秒)

 >ただ此処半月ほどは、田植えの作業で肉体労働  (5月29日(木)13時08分16秒)

 自屎不覚臭(じし、くさきをおぼえず)といえり。なお「己事究明」が必要かと。

 
 >生命の誕生とはその時点で完全無欠、誰に学ぶことなく、生命機能は働き続けるは
 >ず。この生命機能の完全無欠を確認するとき、「無学」この表現になんらの不思議
 >を感じぬはず。後々に得る知学は、(略)単に計らいを模索するに用いる小道具に
 >過ぎないとするかとは。           (10月25日(土)13時36分09秒)

  
 >違いは違い、疑問は疑問として、一人一人がどのように歩むことが、人類の平和、
 >それが取りも直さず地球の破滅に向かわない道か、お互い叡智を重ねて考えて参
 >りませんか。                 (3月18日(火)16時00分56秒 )
 
 重ね得た「叡智(?)」こそ、「計らいを探索するに用いる小道具」かな。

 ※自屎(じぶんのウンチ)
編集済


親切ていねいな社会の仕組み(2) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月15日(土)16時43分16秒 y135016.ppp.dion.ne.jp

 ドイツ、オーストリア、スイス、北欧諸国などには教会税という租税の仕組みがありま
す。これは所得税の3〜9%にあたる、税金です。これらの国では住民登録する際に宗教
欄があってここにカトリック・プロテスタントなどと書くと、納税対象とみなされるわけ
です。税務署はこの税金を、所管地区の両教会員数に比例して、各教会に送付していま
す。この制度の起源は古く、フランスではナポレオンが止めさせましたが、ドイツではヒ
トラーも止めさせることができませんでした。 ですから、ドイツの教会は国家において、
地方公共団体なみの強い経済的基盤をもった機関なのです。これによってドイツなどでは
教会員を離脱する人の数が膨大なものです。ここから、教会は「献金」に依るべきである
という意見が出されています。なお、アメリカなどはヨーロッパから移住した信者がこの
制度に不満を持ち、教会税という制度はありません。

 日本には寺請制度(臨済宗の崇伝が大きく関与しました)という国家の戸籍係を受け持
っていた時代がありましたが、現在寺院税という国税はありません。ですから、私的な
「献金」方式に変わったといえるでしょう。歳費をもらってるなどというのならそれは、
族議員と太いパイプをもち多額の国庫補助を受けてる業界です。私はそれにパチンコ屋
勤務って何べんいうたらわかるん?歳費と関係あるはずないやん。脱税や韓国に送金し
てるんは、上の人間やし。カキコするときは、言葉に責任をもって、よ〜く事実関係を
確かめてからにしましょう。ったく飽きもせず、いったい何時まで「こんにゃく問答」?
編集済

http://www.weeklypost.com/jp/980417jp/brief/opin_2.html


親切ていねいな社会の仕組み(1) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月15日(土)16時15分55秒 Y057070.ppp.dion.ne.jp

 歳費・・・国会議員が国庫から支給される一年間の給与。 (新辞林 三省堂)

 
 「日本農業と補助金(税金の使途)について」     (OECDのHPより)


 2000年の日本の農業生産者向け補助金総額は6兆4,560億円(約600億米ドル)でした。
日本農業の特徴は、補助金が多く、市場志向が弱いという点にあります。2000年の補助金
が農家収入に占める割合は、2000年にOECD平均が34%であるのに対し、日本ではその約2倍
の64%にも達しています。補助金の構成は80年代半ばからほとんど変わっておらず、今で
も補助金の91%が、生産と貿易に最も大きな影響を与える補助形態の1つである市場価格支
持に充てられています。過去3年間、ほとんどの管理価格が引き下げられ、固定化されてい
ますが、国内生産者価格は今でも世界市場価格より3倍以上も高く、コメの生産者価格に至
っては世界価格の約8倍にも達しています。国内消費者価格と世界価格の差は縮まってきて
いますが、消費者は相変わらず世界価格より2倍以上も高い農産物を買わされ続けているの
です。政府の農政が生んだこの事実上の税金は消費者にとって重い負担となっています。
編集済


むかし・・・ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月14日(金)09時13分26秒 ZB134137.ppp.dion.ne.jp

 考えたのが、『ソシュールとディクナーガの言語哲学の差異について』というテーマ
でした。100年ほど前のフランスの言語哲学者ソシュールについてはオモロイHPを
みつけたけどディクナーガはないなぁ・・・

 http://www6.ocn.ne.jp/~kanpanda/yamain17.html

 ↓で触れた宮元啓一という人でありますが、ご自身(?)のHPがあってご著書の
まえがきがのっけてある。この文章で、この本は閉じましたが。
 
http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/hon/nanatsu.html

 この方のお釈迦さん像というのは、「経験に裏打ちされた、ニヒリストとしてのプラグ
マティスト(実用主義者)」らしい。

 >ゴータマが出家した当時のインドで流行していた苦行と瞑想が目指していたものは、
 >「欲望→行為(業)→輪廻」という“輪廻のメカニズム”から解脱するためのメカ
 >ニズム「欲望の滅→業の滅→輪廻の滅(解脱)」を確立する“感情と思考の停止”
 >であった。しかし、瞑想と苦行に極限まで取り組んだゴータマは気づいた。修行を
 >止めれば、元の黙阿弥であることを。つまり、従来の瞑想と苦行が目指す動機とな
 >っていた“輪廻のメカニズム”の不備に気づいた訳である。すなわち、輪廻の究極
 >の原因は欲望ではなく、その欲望を引き起こす根源的なものがまだ奥に控えている、
 >と。

 >ゴータマは、“正しい輪廻のメカニズム”が「根本的な生存欲(渇愛、癡、無明)→
 >欲望(貪、瞋)→善悪の業→輪廻」であることを発見し、従来の瞑想や苦行で欲望を
 >止めても無駄であることに気づいた。そして、正しい解脱のメカニズムは「根本的な
 >生存欲の滅→欲望の滅→業の滅→輪廻の滅(解脱)」となり、根本的な生存欲に無自
 >覚・無知である状態から脱出する智慧の獲得が必要であることを悟った。そして、智
 >慧獲得の修行法は、瞑想の道以外にはなく、しかも感情や思考の停止ではなく、徹底
 >的に[感じ]思考する瞑想でなければならないことに気づいた

 そうです。私思うにそもそもその「輪廻」なるものが確かに「ある」のかどうか。根本
的であろうが枝葉的であろうが、死んでもうたらまずは「生存欲」なんか第三者には感じ
られないわけであって。もし感じたとしても、「たたり」に脅えるのは「生者」の方であ
って苦しむのはその亡くなった本人やないと思うけど。けれど、亡くなった人に対して悲
しみや追悼の感情は湧くものであるから、それを鎮めるための何らかの形の象徴儀礼は人
間の文化には必然的に発生するものではあると思う。

 で、誰が「輪廻」を確かめてきたのか?それは古代(現代)インドに発生した「共同幻
想」やと思うんですが。だけども、それに基づいていまもカースト差別は「現実」にある
わけでね。カーストという「物語」は「幻想」だけど、カースト差別は「現実」だ。その
「苦しみ」や「痛み」は瞑想しようが、苦行しようが、戒律守ろうが、差別する「他者」
がやめない限りはなお「現実」レベルでとどまるのであって。こっちの課題の方が「感
じ、思考する」対象としては、大事なのではないでしょうか?けど、世の中の出来事に、
何も感じない、何も動かされない、何も考えない、ようになることが「悟り」なんかでは
ないことだけは確かだな。

 ※古今東西の人間という「生物」に備わった「知覚」に、「分別」をつける機能が(そ
れはとりもなおさず脳機能なのだが)伴っている。それを基盤として各個体が生まれ育つ
「文化圏」の「言語」(さらにそれを基盤とした宗教や思想)に基づく分節によって「差
別」はある。だが、「生物」レベルにおける「分別作用」はおそらく解消不可能であって
も、この社会・文化レベルにおける「分別」については、限りなくゼロに近づけていくこ
とは可能だろう。
編集済


中村問答 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月13日(木)11時05分22秒 Y056187.ppp.dion.ne.jp

  http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te03100301.html

 そもそも、「対話」形式で書かれる本というのはいったい何なのでしょう。真宗を
学ぶときも「八番問答」とかいろいろありますが。あれは実際に誰かと問答した記録
なのか、それとも問答という形式を借りて自問自答しているのか。とすれば、やはり
「問い」を導きいれるということが大切なわけでしょうね。モノローグでも、自分と
のダイアローグになっていればよいのじゃないかな。相手がいてダイアローグしてい
るつもりでも、まったくモノローグ、自己完結だったりする光景はよく見かける。酔
っ払った人の会話というのは、お互いがわかってないやろと思いつつコミュニケーシ
ョンが進む。

 仏教の存在論、認識論、言語論を深めるのにディグナーガ(陣那)やダルマキール
ティ(法称)を読みたいのですが、新書レベルで書かれたいい本がない。で、これら
大昔の人の問題提起を同時代人としてなかなか読めない。宮元啓一という人が、この
分野で一般書を出してるんですが、イマイチおもしろくないなあ。(この人キャラが
なじめない)どうしてこう仏教学者というのは同時代性を感じさせないのだろう。こ
りゃ誰かにまかせておけないな。
 
 http://www.potala.jp/lib/dalai/dalai.html
編集済


救いとは何か 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)18時57分38秒 Y057151.ppp.dion.ne.jp

 これはらくりんさんがいわれることですが、
「自分で自分を救うことはできない。なぜならば、自分で自分を持ち上げることは
できないから」と。自分に対しては必ず八百長がある、とも。

 クオリア・マニフェストというHPには、オモロイことが載っていました。
「自分で自分をくすぐることはできない。なぜなら、常に自分と他人というものを
分けて認識しているのが、生体だからだ」と。あははは。これはオモロイ。自分で
自分をくすぐってみよっと。ぜんぜんこちょばくないなぁ。
編集済


解脱とは何か 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)14時15分21秒 U185020.ppp.dion.ne.jp

 一般的に仏教では、魂が遍歴する世界を地獄・餓鬼・畜生・[阿]修羅・人間・天[上]と
しています。いわゆる六道です。で、別の分類ではそれに加えて、声聞・縁覚・菩薩・仏
という十界という分け方もあります。このぐるぐる廻るサイクルから脱出するというのが
解脱といわれてるのだけど。

 でもって人間の魂の状態を生有(うまれた瞬間)本有(いきてる間)死有(死ぬ瞬間)
中有(生と死の中間)という状態であらわしたりなんかします。

 チベット密教では、これに加えて考えます。

 シパ・バルドゥ       再生へ向かう迷いの中有
 キエバエ・バルドゥ     母胎より誕生してこの世に生きる姿の中有
 ミラム・バルドゥ      夢の状態の中有
 サム・テン・バルドゥ    禅定・三昧(瞑想状態)の中有
 チカエ・バルドゥ      死の瞬間の中有
 チョエニ・バルドゥ     存在本来の姿の中有

 意識の状態と輪廻の状態を同じレベルにあるものとして考えたりしてます。で要する
に、自分の見ているものが自分の心が作り出した幻にすぎないと知ることが、簡単にい
ってしまえば解脱だと思うんですが。まあ、そういうことを文字通り完全に生きること
はムリでしょうね。なぜって人間は、アマラやカマラみたいに狼に育てられたりしない
限り、例外なくある文化圏の象徴(記号)体系の中へ産み落とされる。そこには、無数
のルールがあって、それを身につけて育つ。ある程度の規制からは逃れることが出来ま
すが、その象徴体系からは完全に自由にはふるまえないでしょう。何にも寄りかからず
なんて「詩」を発表するにも出版社によりかかるわけでして(笑)。シュミレーション
ゲームとしての宗教観念の中ならいざ知らず。肝心なのは、いきなり「悟り」なんぞと
いうものを持ち出さず、その<社会>というレベルにおける「幻」の正体をひとつひと
つ見すえるということやないですかねえ。宗教思想をその社会・歴史・経済的背景、文
脈から切り離して見るというのが、そもそもの幻でしょう。(はじめから正しいという
前提を置いている仏教やヒンドゥー教自体が幻だったりなんかして(汗 。自分の心が
作り出したというより、社会的に刷り込まれたものが幻の正体なのではないでしょうか。
それをあなたの心が作り出しているという風にごまかされ、自分をごまかしているので
はないでしょうか?でも反面教師という意義つまり、足場や型枠という意味はあるでし
ょうが)また、最新の脳科学によれば、そもそも脳自体が「主観的」に「客観」を構成
しているようですから、何ともしようがないでしょう。「苦」を越えるという課題から
すれば、問題はそういう外界の「認識論」にあるわけではないのでしょう。(コンピュ
ーターという人工知能が得意なのはこの認知という分野でした)

 「赤信号みんなで渡ればコワくない」とはいうものの、一人で渡れば轢かれます。裸
で歩いてたらポリさんに引っ張られます。社会生活を放棄して、文字通り「出家・隠遁」
生活をしなければいけないでしょう、悟りきりたい人は。でもどうやって食っていくん
だ?!一生片足上げて立ったままとか、爪伸ばしたままとかやってるインドの行者さん
たちだって、あれにはパトロンがついている、つまりは社会生活を営んでいるんですね。
人間は他の人間と、生き物と生き物で無いものと共に生きる。どんなに社交が、団体行動
がキライでも、なんらかの社会の中で生きる。言葉(記号)の網の目の中に生き、物語を
紡ぎ、象徴儀礼(あいさつから始まって、入学式や、記念行事等々)を営んで生活がある
のですねえ。笑い、泣き、叫び、怒り、悔やみ・・・そういった質感(クオリア)こそが
人間の人間たる所以なのですねぇ。相手の気持ちを汲み取らず、気遣わず、立場をわきま
えずただ傍若無人にふるまうことが自由の境地・悟りだと考えてるのは、コミュニケーシ
ョンの相手としての人工生命たまごっちにも値しないシロモノでしょう。
編集済


リアリティとは何か(工事中) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)11時36分16秒 y134142.ppp.dion.ne.jp
 昔、1977年に『ものぐさ精神分析』で岸田秀はこう宣言しました。
「一切は幻想だ!」と。でも、一切が夢や幻であるにもかかわらず、妙にリアリティ
をもってせまってくるものが生きていることの中にはあるではないか?一切は夢だ。
そんなことぐらいは誰でもいえる。肝心な探求はそこからです。あなたは、一切は幻想
なんだと高をくくって仕事に出かけない朝があるだろうか?どうしようもない恋に胸が
ときめき眠れない夜を過ごしたことはなかったでしょうか?強盗に押し入られて平気の
へいでいられるんでしょうか?

 さて、私たちは夢と現実をどこで区別しているのか?夢を見ながら、これは自分が夢を
見てるんだとわかりながら見ている夢をたまに見ますが。で、よくやるのがほっぺたをつ
ねるやつ。ウン、痛い!確かにこれは夢じゃないんだと。ありありとした感覚があれば、
夢じゃないんだと確認するわけです。これがリアリティ。

 あと、飲み会でへべれけに酔って眠ってしまい財布をどこかで無くしたようなのです
が、夢の中の出来事じゃないならどうやって探すか?それは、酔っ払うまでの行動を思い
出すわけです。え〜と最初に店から出てそれから、二件目の店に行く前にタバコを自動販
売機で買って・・・じゃあ、まず二軒目の店に電話してみるか・・・そう夢にもストーリ
ーがありますが、たいていは荒唐無稽なのですが、現実はわりと首尾一貫したものがあり
ます。そのような「物語り」にそって、私たちの生きている「生」はリアリティが構成さ
れているわけです。

 ひと昔流行った「たまごっち」。あるいは現在も進化し続けているAIBOなどの
ハードやソフトの人工生命がいますが。それらのペットが「こころ」を持つには「感情」
をプログラムする必要があるだろうといわれてます。で、更にアシモなどの二本足歩行を
するロボットがより「人間」に近づくには「倫理」や「道徳心」を持たせないと「選択的
行動」を起さないだろうと。ある種の「物語」つまり「共同幻想」を共有させなけりゃ、
心を持った共同体の構成員として、生き物として仲間として認められないわけです。逆に
いえば共同性をかたちづくるメンバーの資格がないわけです。

 これはエドムント・フッサール(独・1859−1938)が提唱した「現象学」の
リアリティ構成と同じ問題にぶつかったわけですね。目の前のコップは誰が見ていなく
てもコップなのだというのが素朴実在論、唯物論の考え方です。ところが、二人以上の
「主観」が同じコップが確かに存在するという同意が得られたときに始めて、この感覚
に「コップ」という記号が与えられるというのがフッサール流の考え方です。ものが存
在することというのは、「同意」や「合意」や「承認」という「権力作用(その場にお
ける多数派もしくは主流派の側によるもの)」によって生産されているものだ、と考え
られるわけです。そこではじめて、コップは「コ・ッ・プ」としてのリアリティの資格
を得るのだと。(まあわけのわからん話しです。コップは普通液体を満たして飲むもの
に使われるという用途につくられるわけですが。そういう文脈つまり文化のないところ
へ持っていったら一輪挿しになったり、楽器になったり、祭器になったり、武器になっ
たりして「コ・ッ・プ」の用をなさず、「コ・ッ・プ」とも表記されず、コップとも発
音されないわけです。そこには、コップもどきはあってもコップはないわけです。この
ロボットを人間にするというのは、どういう文化圏にいるか、つまり何人(なにじん)
なのか?趣味は何なのか?何の宗教入ってるのか?結婚してるかしてないか?・・・・
を確定させる必要があるというわけです。それによってどんなふるまい方をするかが、
確定するわけです。けれど、そういうことがインプットされていない、現実からのフィ
ードバックがないと、どれだけ人間に似せていようが、人間社会に属していない人間も
どきなわけなのです)
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意識とは何か(工事中) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)10時50分41秒 y134216.ppp.dion.ne.jp

 インド思想の中でウパニシャッドに『マーンドゥキヤ・ウパニシャッド』というのが
ありますが、AUM(オーム。阿吽の呼吸の阿吽)にあてた我が説明されてます。Aは
意識が外部へ向かう覚醒時におけるバイシュバーナラ我、U は意識が内部へ向かう夢眠
時におけるタイジャサ我、Mは意識が外部にも内部にも向けられない熟睡時におけるプ
ラージュニャ我で、当初はこの熟眠が理想の状態と考えられていました。このあとに考
えられてくるのが、第四の我、アートマン(真我)なんですが、ここではやはり生物学
的に考察を進めてみましょう。

 0 生命活動が停止している状態。        「死」
 1 生命活動はあるが知覚のない状態。      「昏睡」        植物
 2 知覚だけがある状態。            「ノンレム睡眠」 多くの生物
−3                       「レム睡眠(夢あり)」
 3 知覚に気づいている状態。           「覚醒」    鳥類・哺乳類
 4 「知覚に気づいている状態」に気づいてる状態。「二次的覚醒」 霊長類の一部

 で、仏教でいわれる止観ですが。シャマタ(止)はこの3のレベル、自我意識の活動
を弱めることであり、ビバシャナ(観)はこの4のレベル、二次的覚醒をより研ぎ澄ま
すということでしょう、簡単にいえば。起きていながら、あたかも眠りのない夢の様に
外部に惑わされずに、寝ていることかな。(眠っているんだけど、実体のない夢を見て
覚醒していると勘違いしているのがいるけど)
編集済


>らくりんさん 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)07時58分26秒 y134028.ppp.dion.ne.jp

 うん、そうですね。「よりマシ政権」と、かつて言った党首がいました。
はなはだ<恣意>的ではありますが、<同意>することにいたしましょう(笑)。
そして、自分の責任でひとつひとつ歴史の流れを確かに見ていきましょう。
この国はどんなにどんなにちいさいものでも私の意志が反映しているもの。他人事では
ありえませんから。

 >この願いの主体は誰かを忘れてはならないと思った

 と竹さんのいわれる通りです。

 でも、まこさんならどうお考えなのかな?イヤミじゃなくて。
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ドト〇ル・コーヒーショップで 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月11日(火)00時47分43秒 Y057182.ppp.dion.ne.jp

 なにやら最近巷では、山口百恵のカバー曲ばっかり耳にするのですが・・・

 >りょうし・あき人などは、いし・かわら・つぶてなんどを、よくこがねと
 >なさしめんがごとしとたとえたまえるなり

 いし・かわら・つぶてのぐっちんは、これで充分。けど、BGMは

 あんっ、あんっ、あんっ、いみてーしょーん・ごーーるど ♪

金メッキ、ばっかし(笑)。
 
 まあ、不況になって出口がみつからないとどうも人は懐古趣味に陥りやすい。
ぐっちんなど年がら年中カイコしてるけどまあ。北海道や東北・関東などでは
すでに発売されてたグ〇コのタイム・スリップ・〇リコというチョコを先日コン
ビニでみつけた。これは当時のレコードをジャケットまで忠実にミニチュアに再
現してあるCDがおまけ(こっちがメイン?)もので、とってもカワイイ。

 さっそく買ってみたらザ・タイガースの『花の首飾り』やった。で、それから
というものすっかりハマッています。まさにやめたくてもやめられない状態(笑)。
で、これはよくよく見てみると渡辺プロと提携しているらしく太田裕美の『木綿の
ハンカチーフ』。アグネス・チャンの『ひなげしの花』。ザ・ピーナッツの『恋の
フーガ』。ガロの『学生街の喫茶店』。。。

 しかし、ぐっちんは昨今のカバー・ブームの中、一曲あげろといわれたら迷わず
あべ静江、しーさまの『コーヒーショップで』をリクエストします。ああ、昭和の
菊川怜。彼女のお誕生日は、11月28日。ん?どっかで聞いた日(笑)。そうい
えばこの時期、風吹ジュンも好きやったな。昭和の安西ひろこ。
編集済

http://www.can-d.com/music/abeshizue/CAX1-00188.html


私とは何か?(工事中) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月10日(月)23時49分20秒 y134028.ppp.dion.ne.jp

 <私>というものをたくさんの学者が定義しています。精神分析学者フロイトなら
超自我と自我とイドの三層構造で説明するでしょう。実存主義哲学者キルケゴールなら
関係に関係する存在だというでしょう。社会学者ミードなら他者とのシンボル(言葉)
による相互作用でできあがるものと定義するでしょう。でも、ここでは生物学をもとに
考えてみたいと思います。

 <感覚>というものは、感覚器官と神経系が発達した動物にしかみられません。

 で、感覚をより上位からモニタリング(監視)する働きが意識(アウェアネス・気づ
き)とよばれるものです。これは、学習によって感覚と行動を連合させるために進化させ
てきたものと考えられます。ゆえに意識の働きというものは、学習によって行動を次々に
刷新させる機能が発達した鳥類や哺乳類で特徴的に見られるものであります。で、さら
に、感覚をモニターする意識をさらに上位からモニターするより高次の意識が一部の霊長
類では発達しています。

 外部へ向かう自己意識、内部へ向かう自己意識、観察する意識という三つの意識が考え
られます。これは、仏教の基礎学、「唯識」を思い起こさせますね。すなわち、眼識(視
覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)の五つの感覚。(前五
識)。さらに推理・判断など言語を用いた思考作用や感情・意志などの心作用である第六
識・意識。さらにそれをモニタリングする第七末那識。さらに第八識の阿頼耶識と。
編集済

http://homepage2.nifty.com/kosmos/sub2-10.htm


同じマニフェストでも 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月10日(月)23時21分37秒 y134028.ppp.dion.ne.jp

 心脳問題に興味を持ってる私は、この↓サイトお勧め。
「クオリア・マニフェスト」

 茂木健一郎さんのこの問題提起は面白い。すべての現象は脳のニューロンにおこってい
ること。けれど、電気的あるいは化学的におこっている脳の活動がなぜ、「癒される微笑
みとかつやつやした輝き」とかいう質感(これをクオリアというそう)に感じられるの
か。脳はかなり「主観」的に「客観」を再構成しているらしい。で、脳からココロが生ま
れるのだけど、その物質(デジタル情報)から精神(アナログ情報)への飛躍が解けるこ
とのない謎である、と。

 最近一年半ぶりに読書を再開。
やっぱり本を読まなあきまへんなー。ちくま新書をたて続けに買いました。

 『意識とは何か 〜<私>を生成する脳〜』 茂木健一郎

 『やめたくてもやめられない脳 〜依存症の行動と心理〜』 廣中直行

 『「わかる」ということはどういうことか 〜認識の脳科学〜』 山鳥重

 http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
編集済


>うああぁ〜 投稿者:jyugegu  投稿日:11月10日(月)23時14分04秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

ぐっちんさん。

この書き込みを称して

「あとのまつり」とか。

喧嘩になるか為らないか。
喧嘩は対等な相手があって盛り上がるかな。
まあともに歳費を頂く、その余興かは知らねど。

http://free.has-u.co.jp/cgi-bin/free/culture/u-bbs.cgi?room=zqrms


とは言うものの 投稿者:らくりん  投稿日:11月10日(月)23時07分00秒 isd235200.flets.incl.ne.jp

仮に同じような物でも、
交代する危機感があるのとないのでは大違い、
勝手に突っ走れなくなる。
にらみが利くだけでも、多少はまし。


この国のかたち 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月10日(月)22時28分28秒 Y057082.ppp.dion.ne.jp

 政権公約を単にマニフェストといいかえただけで躍進したのが、ぴったしカンカン
・民主党。有事法制に賛成し、<創憲>を謳い、消費税の増税にも積極的な党。
おお、とうとう戦争やれるじゃん。憲法変えて、民衆から軍備費集めて。TVという
のは偉大なる指導者です。<護憲>の土井・社民党は、志位・共産党とともに没落。
北朝鮮との問題は、自民党の金丸信、野中広務、加藤紘一、中山正暉、田中真紀子、
河野洋平らも責任あるでぇ。

 山崎拓・松浪健四郎・太田誠一のような素行不良のエロおやじたちが落っこちるのは
当然として、あの西村眞吾は民主党から出て、石原慎太郎の応援を得て当選してるでは
ないか?なんじゃらほい。民主党は、やっぱり自由民主党・Aやん。

 『ドラえもん』を書いたAと『笑うせぇるすまん』のFの両・藤子不二雄ほどにも
キャラだちしてないやん!やっぱ英語勉強し直して、おカネ貯めてブータンへ脱出し
ょうかな・・・はとむぎげんまいつきみそう
編集済


(無題) 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 9日(日)19時28分31秒 y135203.ppp.dion.ne.jp

  倚りかからず


 もはや
 
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 
 もはや
 
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 
 もはや
 
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 
 もはや
 
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 
 ながく生きて
 
 心底学んだのはそれぐらい
 
 じぶんの耳目
 
 じぶんの二本足のみで立っていて
 
 なに不都合のことやある
 
 倚りかかるとすれば
 
 それは
 
 椅子の背もたれだけ


            茨木のり子(1925- ) 「倚りかからず」筑摩書房刊より

 けつっぺたの青いボクちんには まだまだ寄りかかるものが必要でちゅ。
できあいの数合わせの 寄り合い所帯の政党には 投票したくなかったでちたが。
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選挙に行こう 投稿者:  投稿日:11月 8日(土)00時52分07秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

自民か民主か…
マニフェストかぁ
新聞に意見広告がありましたね
【政権交代できる国をつくろう】と
いろんな歪みがいろんなところで噴き出している
(はい!意見です)
日本という国それにある自分…
もう戦争はやめよう
先輩達は原爆を落とされてもそれをやめようといっているそんな人がいる国なのだから
(尊敬します先輩たち)
私の一票を投じたい


建築探偵の冒険 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 4日(火)09時26分38秒 y135010.ppp.dion.ne.jp

 ぐっちんは有名・無名を問わずただ街をブラブラして、建物を見る、観察するとい
うのが趣味(?)なのでありますが、さて建物が出来あがるあいだには「型枠」やら
「足場」という仮設を組んで作業することが必要です。それらは、建物が出来てしま
えば確かに不要なのではありますが、しかし無ければ建物はできません。よそで作っ
てきてよっこらしょと現場に持ってくるのじゃあないんですよ、建造物は。こら、そ
この頭でっかち!型枠や足場をバカにするな!ええ加減にさらせよ!それでもホンマ
に頭でかいんか!現場の職人さんはな、十時になったらコーヒーたいむじゃ!たった
十分やそこらの早指し将棋で駒オチもしてもらわんのに、ホトケさんに勝てると思て
んのか!ガタガタゆうてんと、早よ、〇ーソンでキーマカレーまん買うて来い!腹へ
った(笑)。

http://village.infoweb.ne.jp/~kenchiku/daiku.htm

 ところで、ザ・タイガースの歌に『廃墟の鳩』('68)というのがあったんですが、

 人は誰も悪い事を 覚えすぎたこの世界
 築き上げたユートピアは 壊れ去った もろくも 

 誰も見えない 廃墟の空 一羽の鳩が飛んでいる 真白い鳩が
 生きることの喜びを 今こそ知る 人はみな ♪


 で、↓心霊スポットめぐり以外に「廃墟の後」を探訪する人もいるんですね〜。
不思議。視野がひらけてきた・・・
編集済

http://product.esbooks.co.jp/product/u/02/05?accd=30975821&introd_id=Xmo46Wk9o368989oi81GiiX566G13468&pg_from=u


テ―マパ―クにて 投稿者:  投稿日:11月 3日(月)22時51分53秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

なんでまたこんなんならばらあかんのや!
あんたまたグジグジ言うて―
ある夫婦が子供が号泣でやりあう…
この夫婦に最初に出会わなければ…
テ―マパ―クに行くのはすごく久しぶり…
楽しい幻想を抱きつつ向かう
そう最初はみなみんながよければと願って行くはずなのに…
無理をしてはいけないと思ったしこの願いの主体は誰かを忘れてはならないと思った
(若い衆に会うとき気をつけよう…我が家でも…)
母娘は満足して感謝の言葉を残し休んでくれた
しかし竹の心根は…困ったチャンでした
歩の一歩の竹


そして誰もいなくなった。。。 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 3日(月)13時20分19秒 Y056098.ppp.dion.ne.jp

 香車おち、飛車おち、角行おち、金将おち、銀将おち、桂馬おち、
歩兵おち・・・そしてO将のギョーザだけが残った・・・
(よっ!さすが永世竜王。太っ腹!)

 リアルの痛みを和らげるものとして働くシュミレーションなのか、リアルを覆い隠す
ように働くシュミレーションなのか。それとも、リアルをあからさまに見せつけるよう
に働くシュミレーションなのか・・・それが問題だ。
編集済


お知らせ 投稿者:らくりん  投稿日:11月 3日(月)10時04分17秒 isd235086.flets.incl.ne.jp

常讃寺のお知らせ掲示板に、定例の学習会のお知らせを掲載してみました。

 ↓ からどうぞ。
http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm
または
http://web2.incl.ne.jp/fujiba/hondo.htm


将棋について 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 2日(日)08時26分08秒 Y056167.ppp.dion.ne.jp

 で、思うに「将棋」のルールはそんなに簡単に変えられないと思うんだけども
よく似たゲームがアジアにはある。だから、ゲームで楽しくなるのにルールは必ずしも
絶対である必要はないのではないか?(今までの旧仏教がいってる戒なんて、それを
守ってしあわせになる人がいない、いや苦しんでいる人がたくさんいるんだ。ならうっ
ちゃったっていいだろう!といった人が法然さんや親鸞さんだったと思います。同様に
ユダヤ教の律法をうっちゃったのはイエスだと思ってます)

 将棋はもともと古代インドのチャトランガからはじまりこれが各地に広がってさまざま
な類似のゲームに発達したそうです。西洋のチェス、中国の象戯(シャンチー)、朝鮮半
島のチャンギ、タイのマークルックです。なお簡単に将棋についてお知りになりたい方は
ヤフー検索で「ウィキペディア 将棋 チェス」を調べてみてください。この「ウィキペ
ディア」(コピーレフトな百科事典。コピーレフトという考え方がまた説明が必要ですね
笑。コピーライト、著作権を皮肉ったものです)という考え方自身が、ルールというもの
は何か?という問題をぐっちんに再検討をせまらせています。
編集済


O将における青色青光 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 1日(土)13時29分42秒 Y056167.ppp.dion.ne.jp

 ゆうべ、オヤジから一刻も早く逃れようと思ってメシをかきこんだから、今日は再び
O将でリベンジ昼飯を食べてきた。頭の中は将棋モード・・・

 競い合うこと、高めあうことそれ自体は別に悪くないのではないかと、ぐっちんは思い
ます。そこに勝つものも負けるものも楽しさ、悦びというものが伴っているのであれば。
例えば将棋では、初心者対ベテランでは、「駒おち」というものがあります。いわばハン
ディをつけるわけです。飛車とか角行とかいう強力な攻撃部隊を外して強いほうは闘うわ
けです。そうして、将棋人口の裾野を広げていくとまた楽しいわけです。しかし、誰もが
まっさらな状態で将棋を覚え、実力に違いがつく、というよりはじめからある人々には飛
車が三つ与えられてたり、ある人には桂馬が足りないということもあるわけです。(生まれ
ながらの難病というものにかかっている人もある)

 で、根本的な問い。なぜゆえルールがあるか?それはみんながてんでバラバラなことを
やったらゲームはオモシロクないからであります。飛車が龍王になる前に勝手に斜めに進
めたり銀将が横に進めたりしたんでは、まったくゲームにならないわけです。しかし、こ
こでゲームをやりたくない人はやらなくてもいいんでないか。そういう問題があるわけで
す。私、将棋したくない、という人。こういう人があれば将棋なんかせーへんでもいいん
じゃないか。しかし、この世の中には、強制参加的なものがあります。それをどう、強制
的でないものに近づけるかが課題だと思うのです。


 さてああ、青春のO将ものがたり。むかしむかし、京都へお寺めぐりに行く時に楽しみ
だったのがまだまだ大阪にはなかったO将でメシを食うこと。注文から出来上がりが早い
し、値段は安いしそこそこうまい。ボリュームがある。ところが、ひとつ思ったのがその
店々でメニューがめちゃめちゃ違うのです。ナス味噌炒めがぐっちんは好きなのだけど、
鶏肉となすの量のバランスから味付けまで、店ごとにてんでバラバラなのである。もちろ
んできない、という店もあった。茄子はアシが早いからか?

 今でこそハンバーガー店などのチェーン店でも「当店ではこの商品は扱っておりませ
ん」とかいうのがあるけど、昔のO将はメニューが餃子以外値段までがまちまちであっ
た。火力をあげて、スピードが要求されるので、料理人さんもこまかいことにはこだわ
ってられないのか。また、現在なら酒屋さんからコンビニに鞍替えするように、個人営
業から切り替えた店もあったからなのだと思うけど。

 洋食などと比べてメニューのバリエーションが多すぎ食材の管理が問題となるのが中
華料理店のチェーン店化を阻んでいた要因らしい。O将は今でこそ、各店舗でメニュー
の統一化がはかられているようだ。けれど餃子だけは同じで、あとの料理はバラバラ。
こういうデメリットというべき特徴は、今となっては貴重だったのではないかとも思う。
念仏申すという餃子以外は、まちまちでええとまたまた突拍子も無いことと結びつけて
考えています(笑)。

 現在の仏法は、講師の先生の話にニオイがなく味がないものが多い。個性が感じられ
ない。平均的な話しが多い。むかしの米沢英雄というお医者さんなら消毒液の香りが、
タバコ屋の亀井鑛という人ならヤニのにおいのする仏法を語っていたのだけど。
編集済


絡みオヤジ 投稿者:ぐっちん  投稿日:11月 1日(土)08時34分36秒 Y057087.ppp.dion.ne.jp

 ゆんべ、関西ではつと有名なギョーザのO将でめしをくってたら

 「あ、にいちゃんここの隣り空いてる?」といってきたオヤジがいた。即座にあ、こ
りゃヤバイと思ったけどしゃあないから「ええ、空いてますよ」と応えた。すると
 「にいちゃん、これうまそうやな?何くうてんのん」というから「マル得ランチです
わ。あ、めしを中華丼・天津飯・焼き飯から選ばなあきませんよ」といったのだが、
「あ、オレめしいらんわ。ビール飲むから。八宝菜にできるかな?」「いや、ぼく店の
モンやないですからわかりませんけど」

 こういう調子で、どんどんからまれてしまったのである。このおっちゃんは見た目と
いうか息から判断してまだどこの店でも飲んできてない様子なのだが・・・

 「にいちゃん、ビールはどうや?」「あ、ぼくこれから行くとこありますので・・・」
「そら誰でも行くとこあるがな。デートか?」「ええ、そうですわ。これから飲みに行き
ますんで・・・」「デートっちゅう顔してないがな」といいつつ、人が飲んでたお冷の
グラスの水を灰皿に勝手に捨てビールを注ぎだした。「ああ、もうよろしいわ。ほな一杯
だけいただいときますわ」。淋しいのである。誰かとコミュニケーションせんとめしが食
えないのである。しかし、憎まれ口をたたくのである。

 「マスターどうした、あのおもろいマスター」「いえ、ぼく入って一ヶ月なんですわ」
「え?何マスター知らん。あかんな〜。で、兄ちゃん時給はいくらもうてんねん?」
「700円です」「兄ちゃん高校生か?」「はい」「ちょっともらい過ぎやなあ、なあ兄
ちゃん、そう思わへんか?」「え?ああ、まあコンビニでも800円くらいからですから
そんなとこ違いますかねぇ」カウンター越しにアルバイトのおにーちゃんに少しからむ。

 「これ、辛いな?なんやろ」「キノコと卵の炒りつけですわ。確かにちょっと味付け濃
いかもしれませんな」「これキムチ食べや」「あ、はあ・・・」マル得セットは680円
なのだが、おっちゃんのスペシャルオーダーは、中華丼ひくご飯が八宝菜と考えてその分
にかえてキムチが添えられていた。「これ、もらうで」そういうやいなや最後にひとつ残
ってた別注文したギョーザが食われてしまった。コラコラ、何すんねん。

 「兄ちゃん、仕事は何や?」「パチンコ屋ですわ」「おれパチンコ打てへんねん」。
あ、あかん。ぐっちんは競馬も競輪も競艇もバクチはさっぱりわからんから、そういう方
面の話しをふられても相手にならんのやけど、仕事上やっとおぼえたおっちゃん対応ネタ
が通じんとは・・・「釘師か?」「いや、違いますけど」「それやったらアカンな。裏で
動かせられへんかったらアカンわ」「はあ・・・」「やっぱり中でな、台を操作できなア
カン」「はぁ、そうですか」・・・

 下戸なぐっちんは、やっぱりこういったからみ酒の相手を求めている淋しいおっちゃん
としゃべるのはどうも苦手である。
編集済


ありがとうございます 投稿者:  投稿日:10月31日(金)21時38分58秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

>らくりんさん
全然問題なしです
明日も宜しくお願いします
1日は夕方から開放されることで稟議がおりてます
そこらへんはできた奥さんだと…
検索の件もありがとうございます
>ぐっちんさん
またまたわがまま言いましてすみません
ありがとうございます
ぐっちんさんのお考えを通して知りたかったもので…

感想は竹は何にも知らない(世の中のほんの一部しかわからない)なぁということ

宣言から感じたこと
何が現実(平等でない世界にあり構成する私)にこたえていけるかということ

表向きは力強く見えるけど深い悲しみを感じる宣言ですね
まさに今と感じました
竹 


水平社宣言 投稿者:らくりん  投稿日:10月31日(金)19時12分43秒 isd235086.flets.incl.ne.jp

竹さん、検索すれば、わんさか出てきますよ。


>竹さん 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月31日(金)17時12分54秒 y134025.ppp.dion.ne.jp

 う〜んとどういう風に書けばよろしいでしょうか・・・とりあえず、全文をのせて
おいて。で、起草したといわれる西光万吉(本名・清原一隆)という人は奈良の本願
寺派の寺院出身者であります。この人をてっとりばやく知るには師岡佑行著『西光万吉』
(清水書院刊、1992年)という本があります。水平社とは部落解放運動の団体名でありま
す。

 宣言

 全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。
 長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々と
によってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかった事実
は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒
涜されていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間をいたわるかの如き運動は、かえって
多くの兄弟を堕落させた事を想えば、此際(このさい)吾等の中より人間を尊敬する事に
よって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧(むし)ろ必然である。

 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かつごうしゃ)であり、実行者であった。
陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモ
ノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価とし
て、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜
の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、
この血を享(う)けて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を
投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。

 吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によって、祖先を辱しめ、
人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を
いたわる事が何んであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛(が
んぐらいさん)するものである。水平社は、かくして生れた。人の世に熱あれ、人間に光
あれ。 大正十一年三月三日  全国水平社創立大会
編集済


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日:10月31日(金)09時10分14秒 isd235086.flets.incl.ne.jp

のぞみ かなえ たまえ
「きんどん」の三姉妹の名前、たしかこんなんだったなあ。

>流れ☆さん
「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」のところは、
まだまだ先になりそうです。

>竹さん
もしかして、私、片棒担いでいるのかしら。
うらまれてたりして……(∞;)
編集済


この点では、高速道路、無料化希望 投稿者:流れ☆  投稿日:10月31日(金)07時47分34秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

ウチは隣県ですから、まだエエのかもですが、
美川の会と毘婆沙論読書会と続くと、雰囲気が硬くなりやす。
それだけじゃなくて、いろいろ事情で、先月に続いて今月も美川はお休させていただきます。
でも、「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」の回だけは、聞き逃したくないの。


新新幹線 投稿者:  投稿日:10月30日(木)18時34分11秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

゛のぞみはかなう゛かぁ
行きの車内から見た富士山は綺麗だった
遠くに見えるものは美しく見える…本当ですね
さぁ今日も頑張ろうなんて気になるのは日本人だからかな
ところで11月1日から3日は3連休
1日は出かけるからと言ったら…
゛また宗教…゛と総スカンをくらい
浄土真宗だよ真実の教え…という声もかき消されて2〜3日はテ―マパ―クへ
母娘ののぞみはかなう竹

目の前の現実…


ぐっちんさん…教えて〜 投稿者:  投稿日:10月30日(木)18時06分41秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさんがよく引用される
【水平社宣言】って何?
恥をしのんでお願いします
背景込みだとなお嬉しい
教えてください


先手必勝? 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月30日(木)12時36分35秒 y134134.ppp.dion.ne.jp

 ルール無用の<ケンカ>をするんでしたら、相手より先に手を出した方が断然有利で
しょう。で、後手に廻ったものはなんだかゴテゴテいわなければいけない。しかし、ゲ
ームを行う上では、理由も無く先に手を出した者が自ら恥ずべき、痛むべき者であるこ
とには変わりはありません。(『教行信証』後序には、親鸞さんが流罪にあったとき、
これを不服とする「承元の奏状」を外記の庁というお役所に送った文書が含まれている)

 参考 http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku1/j1shin7.html

 律としてのルールやモラル(ネチケット)を踏まえた上でゲームを行う。リアルな社
会でも、これが前提となっているでしょう。いくらオウム真理教が自分たちの勝手なル
ールに則ったシュミレーション・ゲーム上で、「最終解脱」したと言っても、「ポア」
などという言葉によって「殺人」という犯罪を行えばとっつかまって、裁きを受け死刑
判決などが出されるわけであります。(まあ、しかしルールは絶対的なものではなくて、
改変されうる。何がルール設定で大事なことか?それが一番の問題ですが。で、その大
切なポイントを外していると親鸞さんは権力側を法に背き、義に違し、と糾弾されたの
でしょう。で、AさんとBさんの間にハンディがあるなら、それを是正するルールを設
定する。そのようにして、ゲームは続行されていく。大事なのは、自分たちみずからが
ルールの制定・監視者であり、よりマシなゲームを営めるということを重んじるという
ことだろう)。

 自分の言葉とはウラハラに差別発言をした者、今たいへん幼女に対する拉致・監禁・
略取などの犯罪が多発してますが、犯罪を犯す加害者とはいったい何をおこなっているの
だろうか?それは、自分が失ったと考えているか、あるいは自分が持っていないと考えて
いるものを、相手を貶めたり、傷つけたり、辱めたりすることによって、奪おうとしてい
るのではないかと思います。しかし、その試みは成功しない。なぜならば例えばまた、水
平社宣言を引用しますが、

 >ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、
 >ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、
 >そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、
 >なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。

 ここでいわれているような、誇りうる人間の血といったものは何人でも決して他人か
ら奪えないものであり、何事によっても汚されるものではないのではないだろうか?あ
たかも、流された血がやがて固まるように、いったんは傷ついたかにみえた魂も、やが
て癒え回復するのではないか、と思う。美しい言葉や立派なスローガンで酔っ払って自
分をマヒさせ、誤魔化すのではなく、目を醒まして我々がつくりだしている差別や暴力
の具体相を光を借りて見ること。それが仏教徒にとっていま大事だと思う。攻略本の読
みあわせをしててもしゃあない。
編集済


分け登る・・・ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月29日(水)17時38分47秒 Y057123.ppp.dion.ne.jp

 >麓の道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ 

 ですか。これ吉田松陰に師事した長州藩士・吉田稔麿の詠んだ句ですなあ。
ああ、ありがとう司馬遼太郎先生!

 しかし、まあだからといって麓から眺めてても一向に展望台へはいけませんなあ。
どれか、ひとつ道をとってゆかなければねぇ。で、自分の足で登っていくから、山道の
傍らに咲いている名も無き一輪の花の美しさに心をなごまされることもある。湧き水の
冷たさにに喉を潤すこともある。そういったこまごまとした具体相に出会えるのではな
いですかねぇ。ほんでまあ

 >人の恋路を邪魔するものは 旨煮にされて食べられる

ちゅう戯れうたもありまんなあ〜。ケチのつけかたが誰もがみ〜んな同しやねん。
で、こっちもいーっつもおんなしこといわなあかんねん。あんた自分は、無印良品と
はいうものの、実は〇武ブランドやないかって。ほんまはうらやましいだけなんやろな、
念仏ブランド。あ、ぐっちんはもちろんGUCCIです。
オモロないから漫画読み始めました。『太平天国演義』。
『ソムリエ』というTVで稲垣吾郎がやってたドラマの原作者。
洪秀全という、地上の楽園(パラダイス)をめざし太平天国の乱を起こした
元大悪党(漫画では)のドラマ。これは面白い。
編集済

http://www.tekipaki.jp/~taiheitengoku/top.htm


あっと驚くタメ五郎! 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月29日(水)15時35分45秒 Y056112.ppp.dion.ne.jp

 安田理深という人の言葉に

 >自信(みずから信じるところ)を述べるのが教人信 他に教えるということはない

というのがありました。で、もうかれこれ16年ほど前になるでしょうか。
下宿の近所の坊さん養成学校に入学願書を取りに行ったとき、粗末な印刷物が添えられ
てて、そこに院長・信国淳という人の話が載っていた。

 >この学校では、よもや教師が学生に仏教を教えることなどできないのです。

とあった。えーーーー、何それ?って感じ。でも、何それってわからないから学びに
行くわけです。で、解らないことがあるから生きていけるわけです。ゲーテか誰かが
そんなこと言ってました。親鸞さんは、

 >名利に人師をこのむなり

 >いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり

といわれてます。いし・かわら・つぶてのごとくなるお前らアホども、とは言って
おられません。われらなり、と。けれど、心の中は有名になりたくてしかたなくて、
先生と呼ばれたい私なのだと、言われる。ああ、この人について行きたい、生きて
いきとうございますと思った十五の夜。違うか。十七の夏。それは桜田淳子。十九の春。
それは田端義夫。二十二才の別れ。それは伊勢正三。

 「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」なら詩になるけど
 「実るほど ふんぞり返る 稲穂かな」なんてぇのは詩にはなりませんなあ。

 片岡千恵蔵演じる探偵、多羅尾伴内やないねんから、信仰者の顔が「あるときは
も〜ろびとこぞりてぇ〜♪、またあるときは、しょ・しょ・しょ・しょ・しょ・しょ
しょ・しょーこー♪果してその実態は?正義と真実の使徒、藤村大造だ!」なんていう
てても困るわけで。七つも八つも宗教掛け持ちしたら盆と正月と報恩講とクリスマスと
ラマダンとがいっぺんに来て忙しゅうてタマラン。

 酒は涙か ため息か♪ ハァ。あたくし、今宵もノンアルコール、ノンカフェインで
ホロ酔い気分でございます。
 
 待てど 暮らせど 来ぬ人を 宵待ち草の 八千草薫 今宵は月も出ぬそうな 

 星野仙一っつあんっ、感動を、そして夢をありがとう!!!!!!
編集済


カブトムシさん江 投稿者:流れ☆  投稿日:10月29日(水)07時50分55秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

BBSに限らないだろうけど、対話ってのは自分が投げた言葉が、
直撃したり、ズレたり、膨らんだり、しぼんじゃったり。
そういう意味では、ぐっちんさんのおっしゃるように
指導しようとする言葉は対話にならなくて、
ホンマに豊かに受け取った者勝ちなのがヽ(゚д゚)ノ ええじゃないか!と、思いますネ。

ということで(どういうことで?)
オレ、ぼーーっとして自分でもよー分からんことを、書き、晒しているだけ。
字間、お読み取りくださって謝謝。
編集済


宗教はアヘンか? 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月29日(水)01時55分27秒 y135195.ppp.dion.ne.jp

 「宗教は民衆のアヘンである」というのは、マルクスが言ったかどうか知らなくても
このフレーズ自体はよく耳にします。で、このことばをもって宗教は迷信でアカンのだ
とこういう主張をする人がやたら多い。しかしながらそうおっしゃっておられる方はあ
んがい「別の宗教」を信じてたりなんかして、その宗教を他人に押し付けているのだけ
れど(おれは大悟したが、お前らはアホやから教えてやろうという差別心)、そのこと
自体にはまったくご本人さんはお気づきになってなかったりする(笑)。

 そもそもこのマルクスの言葉は『ヘーゲル法哲学批判序説』というのに書かれてて、
よくよく読むとそんなに単純なことは言ってないのがわかる。その言葉の前ら当たりを
読むと

 >「宗教における」苦難とは現実の苦難の「表現」であり、そのような現実の
 > 苦難に対する「抗議」である。宗教は抑圧されたたましいのため息であり、
 > こころなき世界の感情である。

 もう三週間前ぐらいか、Y新聞を読んでいたら「リストカット」で苦しんでいた中学
生の女の子の投書があった。それは、リストカットをして自分を傷つけ麻痺させて、現
実から目をそむけなければどうしようもなく孤独で不安なのでした、とありました。で
も友だちや先生が声をかけてくれたおかげで、自分はひとりぽっちじゃないんだ、これ
からも苦しくても生きていこう、とありました。うん、やっぱり若いっていいな、純で。

 いわば、アルコールにしろ、セックスにしろ、リストカットにしろ、カルト宗教にし
ろ麻痺させなければいけないほどの「痛み」を受けている人々がこの現実の世界にいる
ということ。で、自分およびその周辺だけに限ってみれば、あるいは過去には経験した
けれど今はまったくそんな「問題」などどこにも転がっていない、といわれるお方。そ
の方のお話には、かつて四半世紀前にアメリカのプリンストンで行われた「世界宗教者
平和会議」の席上でどこぞの宗務総長さんが、部落問題について「日本に部落問題はな
い」「百年ほど前にあったことで今はない」「部落問題を理由にしてさわぐ一部の人が
いるだけ」などと発言していたことと一脈通じる思いがする。

   懐かしい痛みだわ ずっと前に忘れていた
   でも あなたを見たとき 時間だけ後戻りしたの ♪  
                        
                        松田聖子 「スイートメモリーズ」

   You can talk to me  you can talk to me
   You can talk to me  if you're lonely,you can talk to me ♪
                       
                         ビートルズ 「ヘイブルドッグ」
編集済


流れ☆ さんへ 投稿者:カブトムシ  投稿日:10月28日(火)17時58分54秒 lyra.mula-net.com

>冬の前触れ、今日の立山は綺麗でした。
めったに見れんもの、遠くに見えるものは、やたら綺麗に見えるのよ、これ
が。<

「とある日のいちょうもみじの遠眺め」の句を思い出した。
遠く(時間・距離)に見えるものは美しく僕にも見える。
しかしもっとも近い自分が自分を遠眺めしているように、舞台の演技者(自
分)を観ている観客(自分)のように..これも又人の一時の現実でもある。
>せっかくの仮想現実でありながらも、
現実と同じ枠(わく)なことを、くりかえしてるだけ。
マ、そんなもんですワな。おなじアタマがやってることですから。<
これを言っちゃおしまいですよと思ってしまう自分がいるのだが...
>同じアタマがやっていることですから<
に反応している自分がいるが、それは流れ星さんのいいたいことに反応している
のかどうか、僕の問題意識に反応しているに過ぎないのか? 流れ星さんの言お
うとされていることは何か.....。
らくりんさんが言われておる
**煩悩や無常は苦悩の原因として邪魔者扱いされますが、実はそれこそが如来
の光明を受けて無明の闇の中に光り輝くのではないでしょうか。邪魔者どころか、
煩悩こそが輝いて見えるのであって、煩悩から眼をそむければ輝きを見失うこと
になります。***
 この煩悩を観ようという気持ちの顕れなのか、自己への甘えなのか、それとも
落ちることへの恐れなのか.....。          


おもろいですやん 投稿者:流れ☆  投稿日:10月27日(月)17時12分17秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

さらに言えば、せっかくの仮想現実でありながらも、
現実と同じ枠(わく)なことを、くりかえしてるだけ。
マ、そんなもんですワな。おなじアタマがやってることですから。

冬の前触れ、今日の立山は綺麗でした。
めったに見れんもの、遠くに見えるものは、やたら綺麗に見えるのよ、これが。


ここにある 投稿者:  投稿日:10月26日(日)20時27分03秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

善き友(大先輩)から分厚い郵便物が届いていた
今開封して読みいった
゛「無量寿仏観経」の意゛○○先生の講義の手書きの講義録
500ペ―ジ近くの手作りの講義録

どうしてますか
次回への御案内です

と短く書かれたメッセ―ジが本当に嬉しかった
>我身をそして人間の現実を深く悲しむ心が「ともにこれ凡夫ならくのみ」……悲しみというのは困ったなぁと愚痴することめそめそしているのではなく大悲心の悲心……大悲心だけが人をかえる大悲心だけが人を歩ましめる……


だから今ここに伝わってきたそして具現する
しっかり読もう
参画しよう
今日は寝れないかも


ぐっちんさん 投稿者:  投稿日:10月26日(日)19時02分38秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

本当だ!わかりにくい
スンマソ―ン

母は竹の産みの母で妹はお腹の中にいた妹

ところでぐっちんさん
何か見たことある文面が多用されていません?

コピ―&ペ―スト攻撃???


ファミコン丁稚V 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月26日(日)17時53分21秒 Y057089.ppp.dion.ne.jp

 「ちょっと!ほんまにええ加減にしてよ!もう拓哉も帰って来てるんよ!ちょっと!
  そんなもんばっかりしてんとこっち向いて、私の話も聞いたらどないやのん!
  ご飯!ご飯!ご飯!」
 「うるさいなぁ、お前は米屋の回し者か?あ、こら!引っ張るな!今大事なとこやない
  かいっ!あ、あかんちゅうに!そ、そないしたら画面が見えへんちゅうに……あ、あ
  ーッ!あーッ!ゲーム・オーバーやないかァ……せっかくここまで来たのに……あと
  もうちょっとで、旦さんに暖簾わけしてもろて、店一軒構えるはずやったのに……お
  前、サラリーマンのささやかな夢を壊したな……。こらっ!こらっ!こらっ!こらー
  っ!」
 「なんや!なんや!なんや!なんやーっ!」
 「数合わさいでもええわい!こらァ、お前ええ加減にせえよ!わしが一生懸命やって
  んのに邪魔しやがったな。オレが好きなことやってどこが悪い!オレはこの家の主
  人やぞ、あるじやぞ、家長やぞ!一番えらいんやぞ!ウソやと思たら区役所行って
  住民票を見てみい!オレが一番上に書いたぁるねんぞ!そのご主人さまが、好きな
  ことやってんのになあ!!」
 「なんやのん!なんやねんな!二言目には主人、主人って。あんたなあ、主人風吹か
  すんやったら、ちょっとは主人らしいことしたらどうなん?だいたいあんたの稼ぎ
  が悪いから、私がパートに出なあかんねんやないの!私の収入がなかったらやって
  いけんような給料とってて、偉そうに主人てなこといわんとって!」
 「あ、あーあ、お、お前、とうとう言うたらいかんこと言うてしもたな……その言葉
  は男として許さんぞ!オレはほんまに怒ったぞ!こうなったらオレかて最後の言葉
  言うぞ!今までこれを言うてしもたらおしまいやと思てたからいわんかったけどな。
  言うぞ……ほんっまに言うぞ、ええか?」
 「なんやねんな!何でも言うてみなはれ!」
 「言うぞぉ、お前、そんなに言うんやったらなあ……オレは…オレは…荷物まとめて
  出ていくぞぉ!」
 「勝手にしなはれ!」
 
 
 ……アカン。またおやっさんの方が追い出されよった……ゲームオーバーか…… 

 
 (現実の苦悩と共に生きようね、おとうさんっ♪)
編集済


ファミコン丁稚U 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月26日(日)17時48分25秒 Y057089.ppp.dion.ne.jp

 「やかましいなァ。ほんまにお前はようしゃべる女やなァ……。いいや、今日のんは
  な、今までのんとはオモムキが違うねん。こっち来て、ちょ、ちょっと見てみ」
 「なんやねんな……そんなもん見てもわからへんのに……。何?『船場の丁稚(せん
  ばのでっち)』……??なんやのんなこれ?」
 「新しいゲームソフトや」
 「『船場の丁稚』?けったいやな……いったいどんなゲームやのん?」
 「な、気になるやろ?わしも気になったさかい買うてきたんやがな。お前もちょっと
  見ていけ。スイッチを入れてと……スタート……おっ、動き出しよった、動き出し
  よった。タイトルが出たでぇ。『船場の丁稚』……寄席文字やないか。英語のタイ
  トルも出たで。『リトル・マーチャント・イン・センバ』か。なるほどなァ……。
  おっ画面が出てきたで。なんや?着物着た子どもが布団で寝てるで。あっ起きよっ
  た。布団たたんで、表の戸ぉ開けて掃除しとるで……。こんなんどこがおもろいね
  んやろ……大人に何や言われてるな。ははーん、番頭さんか旦さんにお使いを言い
  つけられよってんな。おっ、店から出たで、歩いとぉる、歩いとぉる……お、向か
  いからも一人子どもが出てきたぞ。これもどこぞの丁稚やな。友達か……。こいつ
  ら何しとぉるねん?先進まんと、二人で芋食いだしたぞ。うん?なんや音楽鳴って
  るで……。『道頓堀行進曲』か。♪赤い灯、青い灯、道頓堀のぉ〜って歌てる場合 
  か?ん?ミ・セ・ジ・マ・イ……?こらなんやねん、ゲームオーバーか?ははーん。
  あの友達に捕まったらいかんねんな。よっしゃ、もういっぺん……」
 「ちょっと、ご飯できてんねんよ!」
 「そやからやかまし言うなて!ここでやめられへんがな。もう一回わしにチャンスを
  くれ!一回だけやがな、ほんまに。さてと……。歩き出した、歩き出した……。お
  っ、出てきた出てきた、芋持った丁稚や。こいつにひっかかったらゲーム・オーバ
  ーになってまうねんな。コツさえわかりゃあ、軽いもんや。ここで飛び上がってと。
  ほうれ踏み潰したった。この要領でいきゃあええねん。どんどん行こか、どんどん。
  おっと川が出てきたで、大きい川やなァ。大川か、ここの北浜には昔から橋がない
  ねんで……ここはひとつジャンプ!……見物しとるやつがびっくりしとぉるわ。お
  もろいゲームやなァ……。おっと、荷車もよけて、と。犬も踏み潰して、と。おっ、
  『十一屋』と書いた暖簾が出てきたで。ここの暖簾の中へシューッと……。入った
  入った!第一面、クリアしたぞ!」
 「ちょっとええ加減にしてぇよ!」
 「黙ってぇ!さあて第二面やで。おっ、最前よりちょっと大きいなったな。肩揚げが
  取れたんか。ははーん、これで丁稚が手代に出世しよったちゅうわけやな。ようで
  きてるなァ……」 


ファミコン丁稚(ファミコン製造中止記念) 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月26日(日)17時46分33秒 Y057089.ppp.dion.ne.jp

 「ちょっと、あんた!あんた!あんたーっ!!」
 「何やねんな、大きい声で。わしは目と鼻の先におんねんで。もっと小さい声でも
  聞こえるがな。なんやねんな」
 「『何や』やあれへんでしょ。会社から帰るなりすぐにテレビの前に座り込んで!
  ご飯できてますねんよ!ご飯先にしたらどう?ご飯!ご飯!ご飯!」
 「や、やかましぃなァ。かまへんやないか、一面だけクリアしたらいくさかい」
 「またや、またや。いつでもそれですやろ。なんぼファミコンが面白いか知りませ
  んけどね、ご飯ぐらい先に食べたらどう?子どものしつけがでけへんわ!」
 「いちいち文句言うな!子どもて、拓哉は塾行ってるんやろ、このスキを狙ろうて
  やらな、あいつと取り合いになるやろ。ちょっとだけやがな……。お前なァ、二
  言目には文句いうけどな、これ買うた時、お前喜んでたやないか、『お父さんの
  帰りが早よなった』ちゅうて」
 「はあはあ、喜んでました。確かに帰りの時間は早よなったわな。ファミコンのな
  かった時は夜中過ぎ、午前様にならな帰って来えへんかった人が、会社が五時に
  終わったら六時には帰って来てそこへ座り込んでるわね。早よ帰って来るように
  なったんはよろしいけどな……。こないだなんか、あんた平日の昼の三時にそこ
  へ座ってたやないか。会社いったい大丈夫なんか?」
 「やかまし言うな!たまにはかまへんやろ。これでも上手になろと思うたらな、人
  と同じようにやってたんではいかんねん。人の三倍もやらんことには高橋名人に
  は、追いつかれへんねんぞ!」
 「高橋名人って誰やのん!そんなもんに追いつかんでもよろしい!」
 「やかましいなァ。お前、鼻と理想が揃いで低いぞ」
 「そんなもんほっときなはれ!ご飯食べて、ご飯。片付かへんねんから」
 「待てえ。まァわしの話しを聞けて。今日は新しいソフトを手に入れたんや」
 「またや……。あんたなァ、新しいのが出たら次々買うてきて……。そらなァ、買
  うな』やないけどな、買うんやったらせめて前に買うたやつが一面でもクリアで
  きてからにしたらどーお?見てみいな。テレビの下の棚、ぎょうさんのソフトが
  ホコリ被ってるやないの!スーパーマリオの1、2、3。ドクター・マリオにU
  SA。ヨッシーの卵にオープンゴルフ。ドラゴンクエストにガンダムにテトリス。
  キン肉マン。パチプロパチ夫くん。ドッヂ弾平。F1ヒーロー。スーパーモナコ。
  銀河英雄伝説。ファイナルファンタジー。ストリートファイター。超魔界村にス
  ーパーファイヤープロレス……と、他におましたかいな?」
 「……お、お前、よう覚えたな?」
 「こんなややこしいもん、覚えとないわ!自然と覚えてしもたんやないの。『新し
  いのが入った』ちゅうて買うてきては、ちょっとやってみて、うまいこといけへ
  んかったら『機械のくせに生意気や』とか『こいつとはウマがあえへん』とか、
  『こんなんレベルが低すぎてかえって難しい』てな訳のわからん理屈つけて、じ
  きに次のん買うてくるねんさかい。ソフトの方がよっぽど『プレイヤーのレベル
  が低すぎて相手できん』ちゅうてるわ!」


>竹さん 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月26日(日)17時45分09秒 Y057089.ppp.dion.ne.jp

 >母親は妹と共に

 という「母親」は誰にとってのおかあさんですか?「妹」というのは誰にとっての
妹さんですか?ちょっとわかりづらい。


NICU(子供が教えてくれたこと) 投稿者:  投稿日:10月26日(日)06時55分08秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

科学万能な世界=人が全てを支配する世界・思想
医療を通して子供から教えられた
母親は妹と共に切迫流産で・・・
家族がいなくなった
幼い心には辛かった
そして子供を授かり順調にと思った矢先に切迫早産
母子共に危険な状態ということで救急車で遠い病院に行った
子供は覚悟しておいて下さいと言われたが無事誕生してくれた
しかし無塵着と消毒を毎日して会う我が子は生命の狭間を行きかっていた
断続的に止まる呼吸多くの機械がアラ―ムを鳴らす
段階を一つ一つ乗り越えてきたある日に初めて目がキチッとあった
゛私は生きる゛と目は言ったように感じた
その日を境に急激に回復して1000g+αの子供は生還した
しかし親というのは無力であるということを痛感した
この事実は私に色んなことを教えてくれた
人は生きるということを自分で獲得するのではないか
今有るということそれ自身を獲得している
そんな自論を若い衆に語りかけてます
六道を超え七歩目を歩むそんな超えていく世界に立つことのできる大いなるもの・大地に立つことなのかなと
竹 


(無駄) 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月26日(日)06時25分38秒 Y057089.ppp.dion.ne.jp

 すけべぇ〜 ごころのぉ〜 未練ん〜 でしょうぉ〜♪
 ホンマぁ〜 アホらしー 期待ぃ〜 などぉーーー♪

 あなた変わりは ないですね……
編集済


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日:10月25日(土)23時50分25秒 isd235086.flets.incl.ne.jp

きぃてはもらえぬ〜せぇた〜をぉ〜♪
さぶさこらえて〜 あんでますぅーーーー♪

ぐっちんさん、あいかわらず 親切やのー。
編集済


サヨナラ、「自分はどうなればいいのか?」問題 投稿者:流れ☆  投稿日:10月25日(土)23時02分30秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

らくりんさんの「信」の捉え方、
一人のおいて何かが完結するということではなくて
「聞」、他者ととの関係において成り立つ「信」。

この捉え方が魅力的なのは、信=アイデンティティとしてきた問題の捉え方
(どうやら出口なさそうなんで、見切りつけたんですかネ)から
離れてしまっている、バイバイしているという点であると思っています。
編集済


根源的受動性 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)16時51分52秒 Y057247.ppp.dion.ne.jp

 ↓でもちょっと触れましたが、人は自分の生処・・・生まれるところを自分で決める
こと、選ぶことはできません。時代にしろ国にしろ。性別だって、親の職業だって何一
つ選べない。それが根源的な受動性です。これが仏教でいう「生」の苦しみだと私は個
人的に思ってます。

 そしてこの投げ出された世界の中で、必死に生きてる。この世界を生き抜く地図を
探しながら。私とはいったい誰?私は何のために生きるの?って。この暴力の無限連
鎖の続く場所を厭いキラう。そして、差別や暴力の無い世界に生きることを強く欣う。
けれどそれは、どんなに辛くてもやはりこの世界の中で果たす課題であり、引き受け
ていく仕事なのだと思います。


水平者宣言に学ぶ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)16時35分24秒 Y057247.ppp.dion.ne.jp

 ペルソナ。人は、いろんな場面で仮面を被らざるをえないし、また仮面をつけるように
仕向けられると思います。そして案外その仮面が気に入ることもあり、板につくというか
肉についちゃったりして(笑)。で、私の「顔」はいづこに?

 >ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く
 >代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけら
 >れた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。
                               (水平社宣言より)

 ここでいわれている「誇りうる」もの。これは下のカキコで考察したプライドとかアイ
デンティティとは少し違うのではないかと思います。それは侮蔑され嘲笑され差別されな
がらもなお涸れないものであったと書かれてあります。他人に誉められることによって得
られる自我(プライド・アイデンティティ)でもなく、また逆に他人を貶めることによっ
て得られたのでもないことに注目したいと思います。これが本人も気づかない「アミダ
さんからプレゼントされてる無根の信」かな?と密かに思ってたりなんかするんですが。
編集済


更に暴力問題 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)16時17分09秒 Y057247.ppp.dion.ne.jp

 去年もちょっと触れた人・・・

 仏教の根源的テーマには無常・無我があります。中村元さんによれば、無我ならぬ非我
だそうですが。いつまでも変わらぬものと我を考え、我にあらぬものを我と見誤ること。
これが人間の苦を招いているのだ、と。たとえば「文武両道」なんて言葉がありました。
お勉強ができて、スポーツマン。「三高」という言葉がありました。背が高く、学歴が高
く、収入が高く。世間に流通する「男性イメージ」「女性イメージ」に見合わない自分を
ダメなやつ、として見捨ててしまうこと。そこから社会を呪い、人を羨む。

 暴力の根源にはこういう問題が横たわっているかもしれません。たとえば「ルックルッ
クこんにちわ」という朝のワイドショーの司会で有名だった沢田亜矢子と泥沼離婚したゴ
ージャス松野という男性。沢田さんは、ひどいDVを受けたといってましたが。松野さん
は、132万円だったかをかけて、その「爬虫類顔」といわれた鼻・アゴ・歯を整形手術
したり、プロレスラー、タイガー・ジェット・シンのマネージャーから自身もプロレスラ
ーになり、離婚訴訟を闘うために通信教育で法律を勉強、司法試験を受けたりとまさに話
題だけが先行する「さらしタレント」ですが、勉強ができてカッコよくて強いオトコみた
いなイメージに強くこだわってはるのかなあと思います。それらは、人が生きていく原動
力に確かになるのですが、行き過ぎてしまうと、自分を責め、パートナーを責めてた原因
になっていたのではないのかな、と思いもします。それは、彼自身が生み出した観念とい
うよりも生育過程で、刷り込まれたものなのでしょうが。

 がむしゃらに突っ走るばかりでなく、ちょっとひと休みして、自分を省みる、別の景色
も眺めてみるというのが大切なのじゃないかなと思います。


暴力の根源 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)16時10分06秒 Y057247.ppp.dion.ne.jp

 昔、あるお寺に単身赴任していた時期が、自分にとっては比較的アイデンティティが安
定していたかもしれません。何故ならそれは、自分を囲むたいていの人間関係が檀家のお
ばあさんだったからです。まあ、中には頑固な方もいらっしゃいましたが、長年生きてい
る他人の(笑)おばあさん(みなさん角がとれてはる)とはアインティティの承認をめぐ
る争いは生じませんから。まるで孫のように、みなさん可愛がって下さいました。だから
こちらも孫を演じてしまえば、ラクなわけです。

 ところがこのお寺を辞して都会に出てみると、たくさんの同年代(といっても上下15
才くらいの幅がありますが)や、身内(恋人・友人関係を含む)の人々と関係を結ぶよう
になりました。さてそこでは、同年代であるからこそ自分のことを何としても認めさせた
いという欲求が生じるのであります。これは、自分も相手も同様です。自分を立ててもら
いたいという熾烈な承認要求合戦が始まります。

 で、私介護の学校でやってた無料カウンセリングに通っていてよもやま話のついでに、
長年の疑問をぶつけてみたのです。「いったい、他人(の生き方・信仰等)を貶めないで
(否定しないで)自分のアイデンティティをつくれるのでしょうか?あれよりオレの方が
上だとか、ましだという意識無しの自己の存在証明」 これにはベテランの女性臨床心理士
さんも困っておられました。

 いったんできあがったプライドは次々と誉められるか、さもなくば貶める対象を供給さ
れなければもたないのではないか?とも思うのです。なかなか降りれないこの差別・暴力
の連鎖ゲーム。(これは↓の流れ☆さんの疑問とも重なるものです)
編集済


独我(どくが)おやじ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)15時56分43秒 Y057247.ppp.dion.ne.jp

 友だちの哲学の先生が命名したコトバ。講演会で大学のキャンパス以外におしゃべり
に行くと、最後の質疑応答の時間でまったく関係ないことをしゃべりだすオヤジが必ず
いる、と。まあ、これこういう人ホンマによく見かけます。聞法会などでも自己紹介の
時に、毎度同じ戦争体験から始まって延々と語りだすオヤジ。日頃、家族に話を聞いて
もらえないウップンがたまっているのでしょうか。女性にはちょっといないタイプです
ね、これは。

 ところがこの先生も「自分も老けたらああなるタイプかも知れない」と言ってたので
爆笑しました。私も同じだから(笑)。まあ、彼の場合はとても深い思索をしているの
で誰かに聞いてもらいたいという欲がとても深いのだろうけど。オトコっておしゃべり
が下手ですね。会話にならない。老人保健施設に行ってたとき、女性の高齢者は何やら
ぺちゃくちゃとたわいのない話題で隣の人とすぐしゃべり出すことができる人が多いの
だけど、男性高齢者はほぼみな無口でした。で、しゃべる人も昔の仕事の自慢話しかで
きない。「うちの会社は業界で五本の指に入るんや」とかなんとか。ああ、ぐっちんは
老人ホームで誰も聞かない落語をブツブツしゃべるおじいになるのだろうな。トホホ・・
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無学 について 投稿者:jyugegu  投稿日:10月25日(土)13時36分09秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

釈迦は生後七日にして生母摩耶婦人・maha-maya(mahaとは偉大。mayaとは術・不可思議力)と死別したとされる。
その釈迦は、七歩歩んで「天上天下唯我独尊」の言葉を発せられたとか。

生命の誕生とはその時点で完全無欠、誰に学ぶことなく、生命機能は働き続けるはず。
この生命機能の完全無欠を確認するとき、「無学」この表現になんらの不思議を感じぬはず。
後々に得る知学は、阿弥陀にお任せする生き様と言うよりは、単に計らいを模索するに用いる小道具に過ぎないとするかとは。
「無学祖元」の言うところ。

合掌。

http://homepage1.nifty.com/SNC26924/index.htm


有学祖〇〇 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月25日(土)10時47分33秒 Y057141.ppp.dion.ne.jp

 禅のお坊さんで無学祖元(むがく・そげん)という人がいます。「私なぞは、
無学もので・・・」なんてことをいう人があるから、てっきりへりくだった名前だと
思っていたら。

 無学は、学ぶところなしと読むのだそうです。つまりパーフェクトということ。げ!
すげ〜、そんな名前名告るのかいな。ずーっと前に、この板で「学問」とは
問いに学ぶ(または問いを学ぶ)ことだと書いたのですが。やっぱり、答えを暗記する
んじゃなくて、永遠に問いに学びつづける。問いを持ち続ける。だから、有学祖〇〇。
編集済


しかし・・・ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月24日(金)16時12分49秒 Y056197.ppp.dion.ne.jp

 金本よう打ったなぁ。

 勝って絵になる男がニクイ!(笑)


ゼネコン(?)に向けて 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月24日(金)15時36分03秒 Y056197.ppp.dion.ne.jp

 自己レス。ひとりつっこみ。まあ、でも、しかし、一夫一妻制というのがフツーのめお
との姿と思っているのであるのだけど、地球は広い。歴史は長い。一夫多妻も、一妻多夫
もある。レズのカップルもホモのカップルもいる。で、姉と弟が住んでらっしゃるお宅も
確かにある。母と息子がかなり年齢がいってて住んでらっしゃるとこもある。

 マザコンやファザコンが問題になるとしたら、パートナーとの関係がギクシャクして、
例えばDVのように一方が暴力の被害を受けるようになった時のような、とばっちりの
犠牲者が出た場合ですね。つながり方が問題になるのだな。

 でもって、浄土真宗。ピュア・ランドであってピュア・ハートじゃないです。果たして
何か、個人の心の工夫によって往生したり、成仏したりする宗教なのでありましょうや?
ランドは、大地。みんなを載っけてる土俵かな。
編集済


今日はお休みいい天気 投稿者:  投稿日:10月24日(金)10時10分48秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

久しぶりにゆっくりしてます
お姉ちゃんが幼稚園に連れていけというので初登園!コッパズカシイ・・・っと思ったけどお父さんたちも結構頑張ってはるなぁ
もちろん三人乗りのたくましいお母様たちも
やっと息子がお昼?寝
煩雑な仕事場とは違う世界
しかしこれも私の現実
一通りの世界は生きていないなぁ

さて洗濯物でも干しますかぁ


おそれ入谷の鬼子母神 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月23日(木)21時05分22秒 y135003.ppp.dion.ne.jp

 私には姉がいます。この姉に私はとても大きな影響をいろんな意味で与えられたと
思います。それは、両親以上じゃないかな?私は男性ですが、ちょっぴり女性っぽい
ところもあるのは、その影響です。一般に親離れ、子離れということをいいますが、
母親離れできない男を冬彦さん、マザコンと呼びますが。

 ぐっちんは長い不登校時代を経て、姉と二人で二年ほど 暮らしていました。アル
バイトはしてましたが、姉は私の行く先を心配していたみたいで、姉弟でずっと暮
らすことも考えていたみたいです。けれどポツポツお見合いなんかもしてましたが。
で、自分の課題というものは、まずはこの姉から独立せんなアカンなあということ
でした。

 人間が他人と関係をつくろうとするときに、この家族との関係というのは大きい
と思います。付き合った異性に対しては、姉や母または従姉妹のイメージを投影し
ていたということがまったくないとは言い切れませんね。

 私の中に女性に対する暴力性があるとしたら、女性に「呑み込まれる」恐怖を克
服するという気持ちがあるのではなかろうかとも思うのですが。 

http://turkey.rh.u-tokai.ac.jp/~dakini/zukan/kali.html
編集済

http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/archetype/mother.html


ルパン産生 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月23日(木)20時58分54秒 y135003.ppp.dion.ne.jp

 うちの祖母は、うちの犬がお産したとき「犬はお産が軽いはずや。で、安産のお守り
になってるくらいやのに」とびっくりしてたりしましたが、かなり難産でした。で、野生
ではない愛玩犬であるうちのダナちゃんは、どうも「母性本能」が欠落しているらしく
(笑)自分が可愛がってもらいたいがために、子育てにまったく関心がありませんでした
(笑

 ワンコでもそうですから、「母性本能」みたいなもんが人間の女性にプログラムさ
れているとは考えにくいですね。乳腺が発達しておっぱいを飲ませるようになるとか、
女性は色の変化に敏感だというような、生理学的なものはセットされているようですが。
(赤ちゃんの顔色の変化を素早く読み取るために必要らしい)で、私も母親ではないか
ら子育てには、関心がない(笑)。

 彼氏やテーシュは、赤ん坊ではないのだから何でもかんでも許されると思ったら大
間違いです。そういう手前勝手な「愛」の形は文化的刷り込みであります。仏教は自覚
の教え、目覚めや気づきが大切。仏教とはかくかくしかじかで・・・なんて箇条書きを
覚えこみ、自分は仏教を信じている「つもり」になって思い込んでてもしゃあない。生活
の中で仏法聞かな何にもならんですわ。

 で、う〜ん、これはキリスト教のお師匠さまに習った説ですが、ヨーロッパの男性たち
は女性にふたつの分裂したイメージを押し付けた、と。一つは誘惑する娼婦・イブともう
一つは全てを受け入れてくれる存在、聖母・マリアとを。

 アニメで考えると、このイブは『ルパン三世』の峰不二子かなあとも思います。で、母
なるものは全てを受け入れると同時に、時に全てを呑み込むコワイ存在にもなる。それが
『天才バカボン』のママかな〜。優しいんだけど、時に爆発する。「パパぁ、いい加減に
しなさいっ!」ってカミナリが落ちるやつ。あれは、ホントにバカボンのパパは縮こまっ
てこわそうやな(笑)。両方とも声優は増山江威子さんやな(関係ないか)
編集済


仏教用語としての「差別即平等」 投稿者:jyugegu  投稿日:10月23日(木)20時20分54秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

個々の生命の在り様、
或いは姿かたちに「差」違いを認め、しかしそれら並べて生命なり、とする是仏教での「差別即平等」表現の言うところかな。
それに異なり分別・選別表現になれば、此処には個々人の計らいが働くかな、
南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも南無大師遍照金剛でも、「南無」の言葉を冠するところ、全て帰依を表わす表現に異ならないかな。
ところがそこに何か一用語を特定し強要するとき、もう「分別・選別」意識は働き、排他的意識は働くはず。
仏教用語としての「差別即平等」意識こそは、価値形態の多様性を認める「壊色」袈裟にいう混合融和の思想かな。いかがでしょう。
合掌。


コンフロンテーション 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月23日(木)17時27分15秒 y135003.ppp.dion.ne.jp

 自分に真向かいになる。自分に直面すること。親鸞さんはその主著『教行信証』の
化身土の巻きに『涅槃経』というお経をひいておられる。

 >第一真実の善知識は、所謂(いわゆる)菩薩と諸仏世尊なり
 >何を以ての故に、常に三種を以て善く調御するが故なり 何等をか三と為す 
 >一には畢竟軟語、二には畢竟呵責(かしゃく)、三には軟語呵責なり。是の義を
 >以ての故に、菩薩と諸仏は即ち是れ真実の善知識なり

 真宗とは、よき先人(先輩・先達・先生)とよき友だち(同朋)とを持つことですね。
その人たちは、究極のチョーきびし〜い言葉(畢竟呵責)と究極のチョーやさし〜い言葉
(畢竟軟語)で接してくださると。だから何でもかんでもしたい放題やるとか、それを何
でもかんでも受け入れてしまうというような関係ではないわけです。ましてや、相手のご
機嫌伺いをするような関係でもない。
 
 親鸞の『教行信証』の結論は無戒・名字の比丘であることとらくりんさんの著書を解説
している菱木さんという方はいわれてます。他人から貼られるレッテルを拒否して、自分
の積極的な名告りだけを唯「救い」の証しとする。それまでの仏教が重視していた「戒」
など捨てていい、と。けれど、今まで考察したように何をしてもいいということではあり
ません。で、もう一つは国王不礼。国王に向かって礼をしない、仏のみに礼するのだ、
と。けど、これ国王を必要とする我々の意識が問われなければいけません。

 たとえば、チベットのダライラマ14世(数字合ってるかな?)が、転生活仏制(つま
り生き仏)を私の代でやめましょうといったのですが、側近からクレームがつきました。
(ダライラマの死後、彼の特徴を有する子どもを国内で探してテストした後、その子を先
代の生まれ変わりとみなし、次代のダライラマとして帝王学を身につけさせるのが転生活
仏制です)つまりは、ダライラマを頂点とする制度にのっかって、オイチイ目をしてる
人々がその既得権を守るためにいうわけですね。 (あるいは、仏教国ブータンの国王も
自ら、国王の権利を制限する議案を国会に提出したのに、議員が廃案に持ち込んだそうで
す)

 あるいは、日本で天皇制の廃止に反対を唱える保守論客、たとえば故・江藤淳や西部邁
らの意見を聞くと、日本を霊的に支えている屋台骨がなくなったら、庶民は動揺してしま
うというようなことを言ってます。もっと簡単にゆうと、<日本人>という生き方の責任
を最終的にとってくれる誰か(祭司)がいなければ、自分で生き方(死に様)をおおかた
決めなきゃいけなくなってしんどいから。ここらあたりが、昨今の「黙ってオレについて
こい」という石原慎太郎ファミリーが人気が高い要因でしょうね。声のでかいやつに従っ
とけばまあ、間違いないという選択。で、自分の生き様がフラフラして死に様も決められ
ない迷いの中にある者が、他人に頼るわけですね。供養してくれ〜って。

 汝みずから まさに知るべし。
編集済


衆生病むがゆえに我病む 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月23日(木)14時37分37秒 y134157.ppp.dion.ne.jp

 病と薬と毒と酔いと……これは、わかりやすい例えですね。親鸞聖人のお手紙には
 
 >昔は弥陀の誓いをも知らず、阿弥陀仏をも申さずおわしましそうらいしが、
 >釈迦・弥陀の御方便にもよおされて、いま弥陀の誓いをも聞きはじめておわします
 >身にてそうろうなり。もとは、無明の酒に酔うて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を呑み
 >好みめしおうてそうらいつるに、仏の御誓いを聞きはじめしより、無明の酔いも、
 >ようよう少しづつ醒め、三毒をも少しづつ好まずして、阿弥陀仏の薬を常に好み
 >めす身となりておわしましおうてそうろうぞかし。しかるに、なお無明の酔いも
 >醒めやらぬに、重ねて酔いをすすめ、毒も消えやらぬに、なお三毒も勧められ
 >そうろうらんこそ、あさましくおぼえそうらえ。煩悩具足の身なれば、心にも任せ
 >身にもすまじきことをも許し、口にも言うまじきことをも許し、心にも思うまじき
 >事をも許して、いかにも心のままにあるべしと申し合うてそうろうらんこそ、
 >かえすがえす不便に覚えそうらえ。酔いも醒めぬさきに、なお酒を勧め、毒も消え
 >やらぬものに、いよいよ毒を勧めんがごとし。薬あり毒を好め、とそうろうらん事
 >は、あるべくもそうらわずとぞおぼえそうろう。
 
とありまして、別のお手紙には

 >凡夫なればとて、何事も思う様ならば、盗みをもし、人をも殺しなんどすべきかは。
 >もと盗み心あらん者も、極楽を願い、念仏申すほどのことになりなば、、もと僻み
 >たる心も、思い直してこそあるべきに、その印しも無からん人々に悪苦しからずと
 >言うこと、ゆめゆめあるべからずそうろう。

 とあります。心にも任せ身にもすまじきことをも許し、口にも言うまじきことをも許
し、心にも思うまじき事をも許して、いかにも心のままにあるべしとはいわれない。何
ごとも思う様などとは、おっしゃってないことによくよく心を思い致すべきでございま
す。またアミダさまのご本願とは、「我が名を呼べ、救いとらん」ですが、「ただし、
五逆と誹謗正法をば除く」とあります。病人の自覚が大事ですね。仏は大医王なんです
から。病人が医者のふるまいをしちゃダメですね。健康な人に医者はいらない。あ、こ
れはイエスさまのお言葉。
編集済


シュガー・カット 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月23日(木)14時00分02秒 y135165.ppp.dion.ne.jp

 現・教学研究所所長あたりが言い出したのか、「死刑廃止」と意見があります。
ぐっちんも死刑については、存続論には立ちませんが、やたら「加害者」の人権に
ついて配慮されるという風潮に流れるのが、問題だと思います。そういうのが「悪人
正機」を標榜する真宗の教えなのだ、といわんばかりの考え方。私も縁があれば何を
しでかすかわからない人間である、犯罪者になるぐらいは意識にありますが、今現在
は、法を破って犯罪を積極的に行おうという意識はありません。

 ですから、ぐっちんは犯罪の被害者にはなりたくありません。まさに「殺されたく
ない!」し「傷つけられたくない!」です。犯罪の加害者はのっぴきならない理由で
犯罪に及ぶからといって、では例えば通り魔にあう被害者に対してはどのような感情
をお持ちなのでしょうか。このような意識から、最近特に思うのは「性犯罪」に関す
ることです。セクハラから始まって、痴漢行為・ストーカー行為。そしてDV(ドメ
スティック・バイオレンス)。男性の罪意識の希薄さによって女性がずっと被害に遭
い続けてきました。

 それは、女性が加害者側に不愉快である感情を伝えようと何度も「ノー」といってる
のに男の方には通じないし、まったくこっち側の痛みがわからないといった無神経さ、鈍
感さがあります。で、加害者の側はというと被害者である女性は当然自分の要求に応えて
当たり前だろうといった、「甘え」を強要してくるところとか。オレの顔を、メンツを立
てろというような。それに応えない女性の側があたかも落ち度や罪があるかのようにいっ
て、負い目を負わせてくる。で、それが「愛」だとか「お前のことを思っている」とかタ
ワケた勝手な理屈をつけるなどなどに特徴的です。

 不愉快なことが相手からなされた場合には毅然と「ノー」とつきつける。それはこの
ような掲示板でも同様です。ネットだから、バーチャルだからここは別世界。何を言っ
ても許されると思ったら大間違いです。現に誹謗・中傷をめぐって裁判沙汰はいくつも
あります。ここは過去ログも保存されてますしね。で、そういう発言を放置黙認するの
もどうかと思います。会話や対話、議論と言うのはいわば言葉を交わすゲーム。ゲーム
はルールやモラルがあってこそ楽しく成立すると思うのですが。バッター・ハチローだ
けは、ストライクが八球入らないと「三振」にならなかったり、外野手・モスラは空飛
んでボールを捕ってもいいというようなルールがあったら、ベースボールはつまらない
と思うんですが。 (なお、ぐっちんが無断使用している歌の歌詞については、管理人
さんにもしJASEAC等から著作権違反でクレームがついてなんぼかおカネとられる
というのなら連絡して下さいといってあります。間接的にミスチルの桜井クンらに使用
料が入るのは嬉しい。いい歌詞だもんな)
編集済

http://www.aa.wakwak.com/~dalk/sodansitu.html


>んん? 投稿者:jyugegu  投稿日:10月22日(水)21時51分42秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

んん? 投稿者:らくりん  投稿日:10月17日(金)23時06分56秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

>足して欲しかったり、引いて欲しかったりしてるの だ〜れだぁ?

せんぞくようしている「私」かな。

合掌。


みんなクン 投稿者:カブトムシ  投稿日:10月21日(火)15時10分13秒 lyra.mula-net.com

ぐっちんさんに つられつられて 除外考

おたまじゃくし  お父さん。お父さんの夢はな〜に?
父カエル     世界中のみんなが幸せに暮らせるのが夢なんだよ
おたまじゃくし  本当?
        お父さんとお母さんいつも、けんかしてるのどうして?
父カエル     それは...。大人になったら分かるから...
おたまじゃくし  じゃ〜僕このままおたまじゃくしでいたい〜〜。
(父カエル  お父さんもおたまじゃくしにカエリた〜〜〜いよ〜〜。)     
お父さんカエルはおたまじゃくしの頃を思い浮かべながら、人生を振り返
り諦めと妥協の日々の中で幸せを求めてきたことを真面目に考えるのでし
た。
お父さんカエルは自問自答するのでした。
「みんな」ってどういうことなんだろうか?
「みんな」って「自分を含めたみんな」なんだよな
でも自分はみんなのことを思ってこうしたいと思っているのにどうして
「みんな」は考えてくれないんだろうか?ってよく思っているなあ〜。
自分はこうしたいと思っている時でもいつもみんなのことを思ってやって
きたのに...。

こういう時の俺って自分のことを除いて「みんなが」としてきたのかな?

「お前(母カエル)はいつも自分の事しか考えないで、いつも身勝手なん
だから!みんなのこともっと考えてやれよ!」とよく喧嘩してるよな〜〜〜。
でもまてよ?!
目の前のお前を除いて「みんな」と思っているのは紛れもなく俺自身なん
だ......。
俺はお前となかよくやっていきたいという気持ちがあったのに、今もある
のに...どうしてなんだろうか?....。
お父さんカエルは真面目に考え始めました...。
そして妻への想いがかすかに蘇るのを感じ始めるのでした....。



排除の論理と寛容性 投稿者:らくりん  投稿日:10月20日(月)17時12分31秒 isd235120.flets.incl.ne.jp

そうですねぇ〜。
摂取不捨といっても、それは阿弥陀さんの徳であって
私が、無排除であるわけではない。だから、阿弥陀という如来によって象徴される
摂取不捨の精神に惹かれる。

「偏依(ひとえに依る)」とか「専修(もっぱら修す)」というのは、
偏屈にさえ見える、きわめて強烈な排除の論理であって、
それが、許される唯一の場合は、
絶対的な摂取不捨に裏付けられている場合だけです。

無原則な寛容性は、時に悲惨な結果を生み出す。

拙文「専修念仏停止考」
>唯一のものを選び取り、それ以外のものを不必要、さらには有害な事と
>して選び捨てるという専修とは非妥協的で極端な排除の論理である。
>もし選び取られる事柄が一切衆生に開かれ、誰一人積み残さないという
>実質を失うならば、選び捨てることは恣意的選択に過ぎず、それは仏道
>とは何の関係もない、むしろこのほうがよほど有害で危険である。
>専修は、誰一人積み残すことを許さない「排除の論理を排除する」
>という一点において徹底的に非妥協的なのである。
>専修念仏は諸行(排除を容認する方法)に対する否定の上にのみ成り立つ。

「排除の論理を排除する」というは、
単純に「排除しない」ということではないので、
何か(誰か)の言動が、より強烈な排除や強制につながる場合は、
それをを黙認・容認しないということです。

♪もしもしカメよ〜カメさんよ〜♪ 超カメ でした。
編集済


たなあげクン 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月20日(月)12時45分25秒 Y056089.ppp.dion.ne.jp

 エエ言葉を使うときは、あたかも自分は出来ているつもりでしゃべり、
出来ていないのは他人であり、まわりの人々に強制する。言うは横山やすし、小さなこと
からコツコツと、行うは西川きよし。

 批判するときは、自分は除外して(たとえば話者が男であれば)女というものはとかく
かくかくしかじかだ!という。(自分は男だからぜったいに返り血を浴びることはない)

 透明人間 あらわる あらわる〜♪       by ピンクレディー

竜樹は隠身の術を身につけましたが、それを捨てました。
編集済


>竹さん 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月19日(日)06時57分08秒 Y056079.ppp.dion.ne.jp

 あのぉ………それはぁ………単に誤字・脱字が多いんでぇ………
投稿した後に気づくんでぇ………ケータイはその辺、訂正できないからぁ………
自分向きじゃないなぁと思ってぇ………ずいぶん細かいとこ見てはるなぁ………
ふぅ(汗
編集済


編集済 投稿者:  投稿日:10月19日(日)01時41分08秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさん
妙手と書かれてなるほどと思いました
たぶんですよ
(推測ですが)
なんかこの世の中私の考えをもとに良くしよう
私はそこに立っているからまたそんな私から見て間違っているものがある
内観の一道はそんなものではないと身をもってあらわした人たちがいた
しかし人は例外なく見えない迷いを背負っているんじゃないのかなと思いますが(現在進行系で)(苦笑)
もちろん親鸞さんも七高僧も(在命中は)
そんな中から見つけだしたのではないかなと思います真実を
先師は仏弟子の【名告り】をあげ六字釈の人生を歩まれた
迷いに満ちた私が今できること
ええなぁと感じた思いを継続すること(聴聞に限る…大乗よおこれサンガよおこれと)その思いを信じること人に伝えること
わかったつもりでもいつまでも求道者と思います(見えない奥が深い…自分って奴は)
編集済で書き直されるそのところに…共感できます


んん? 投稿者:らくりん  投稿日:10月17日(金)23時06分56秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

足して欲しかったり、引いて欲しかったりしてるの だ〜れだぁ?


話はちゃうかもしれんけど 投稿者:流れ☆  投稿日:10月17日(金)22時52分56秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

「何も足さない、何も引かない。」ってのはお念仏のことなんだろうけど、
「何も足さなくてもいい、何も引かれることもない自分」ということだったら
どんなにいいかなーって思っちゃう。

そのへんはどうなの?


おまけ(蛇足) 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月17日(金)17時00分57秒 Y056150.ppp.dion.ne.jp

 自力作善の人は・・・自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、
真実報土の往生をとげるなり。善人も地獄に落ちるわけじゃないのね。階級闘争論
じゃあないのね。でも「自力のこころをひるがえす」のが大変そうだ。

 吹けば飛ぶような念仏の信に〜 賭けたいのちお 笑わば笑え〜♪
編集済


吹けば飛ぶような将棋の駒に〜♪ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月17日(金)15時52分07秒 Y056150.ppp.dion.ne.jp

 おおぉぉぉぉぉぉ、にゃる。流れ☆さんの一手は、千日手を逃れたなあ、と思ったら
らくりんさんの一手は王手・飛車取りですな。ここでこういう会話があったとしましょ
う。

 「在家などに仏法が解ってたまるか!」 (「オンナなんかに仏法が語れるか!」)

 「何を!この糞坊主、このクソ寺族!」 (「なにぃ、このへぼ住職!」)

 「わっははは。好きなだけいっとけ!」 (「わっははは。好きなだけいっとけ!」)

 お寺さん、男性住職さんが、差別発言しました。ところが、いわれた方はいい返した
のですが、それは相手には痛くも痒くもありませんでした。それは、ここに「寺族は在家
より上、男性は女性より上」という世間に流通している暗黙の厳然たる価値観があるから
です。でも、仏教は空の教え。人間は平等ではないでしょうか?ここで、差別即平等など
といってしまってては、結局この根拠の無い穢域(構造的差別)を認めてしまっているこ
とになるんですね。だから、あえて「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因
なり」とわざわざ、親鸞さんは高らかにミダの本願を宣揚しているわけですね。

 ここから、例えば「水平社宣言」の

 >吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。

 があるのでしょうし。親鸞さんの

 >浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、
 >心はすでに如来とひとしければ、如来と申すこともあるべしとしらせ給え。
                           御消息集

 >りょうし・あき人などは、いし・かわら・つぶてなんどを、よくこがねと
 >なさしめんがごとしとたとえたまえるなり。     唯信抄文意

 >光明寺の和尚(善導大師)の御釈(観経疏・散善義)には、「念仏の人をば
 >上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人」とほめたまえり。 
                            一念多念文意

 があるのか。差別の痛みを今感じているからこそ

 >人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

と思わず叫ばずにはおれない。穢土が見えたそこには、浄土の光が届いていた。
編集済


お☆さまきらきら〜♪ 投稿者:らくりん  投稿日:10月17日(金)15時03分27秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

だから、
「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」というような
ある種、逆差別的な言説が生まれてきたのではないでしょうか。


差がつかないとはいうけれど 投稿者:流れ☆  投稿日:10月17日(金)09時57分30秒 u011.d209223218.ctt.ne.jp

称えられる、聞こえる念仏に手を合わすか、合わさないか
聞く側については、差は大いにあります。

そういう信のあり方は、個人の能力などとはまったく関係ないところにあるとはいえ、
それを受け入れられる「資質」のようなものは、ほんとうにないんだろうか。
ただ、自力にしがみついているだけのことなんだろうか?
なにかがあるような気がして、しょうがない。
実際、オレはそこらへんで、もやもやしたものがあります。
編集済


↓追加 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月16日(木)20時41分36秒 Y057073.ppp.dion.ne.jp

 >弥陀の本願には、老・少・善・悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし
                                 歎異抄より

 >不簡貧窮・将富貴 不簡下智・与高才    五会法事讃 

 その社会を覆ってる価値観。イイことしよう、決まりを守ろうという考えを前提に
してると、お念仏もイイことする、数を積むという発想になる。でもって、反対のことを
しようと考えると、ワルイことしよう、決まりを踏み破ろうという発想になる。でも、こ
れも単に裏返しただけでやっぱり同じ土俵の上。だから、「何も足さない、何も引かな
い。無添加無調整、カゴ〇トマトジュースとか、山〇ピュアモルト」て感じなのかなと
思います。

 で、浄土真宗の信心とは名号を具す、と。如来さんよりもろうた信心というても、
具体的にはお名号です。で、諸仏称名、衆生聞名と。諸先輩・諸先人・諸先達の称える
お念仏を聞いて、自分もああええなあと称えるものになる。だから、念仏称えるところに
差がつかない。でもどこかで、「差別化」をはかりたいのが人情ですか・・・
編集済


歎異抄より 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月16日(木)06時48分46秒 y135233.ppp.dion.ne.jp

 むかし法然上人が生きておられたときにお弟子の間で議論が起こりました。
親鸞聖人は「わての信心も、法然上人の御信心もひとつや」といわれたところ、
勢観房や、念仏房というお弟子さんが「なんでお師匠さまとお前の信心が同じ
なんや?」と問いただしたら、「法然上人の学識が豊かであるっちゅうこととおんなじ
ように考えとったらそら、ひとつやないわな。せやけど、お浄土に往生する信心に
おいては、ちょっとも違えへん。いっしょや」

 弟子たちは納得しないので法然上人に直接応えてもらうことにしました。
「私の信心も、如来さんよりもろうた信心ですわ。親鸞くんの信心も如来さんより
もらいはった信心ですな〜。ほたら、ひとつですわな。別の信心やと思てはる人は、
私がまいらせてもらいますお浄土には、行かはれへんつもりですかいな」と。

 
 で、得てして人は「他人の能力や容姿やその他もろもろ」を羨む。で、自分にそれが
ないとわかるや、「あいつは、ええとこのボンボンやけどわいは貧乏人の子せがれや。
けど、わいにはいちゃもんつける権利がある。あいつは、ボンボンやからアカンねん。
こら、お前らボンボン。お前らは地獄行きやぞ!極楽はな、貧乏人しか入られへんねん
ぞ!」と考えてますな。そら、ちゃうやろ。ひがみ根性ですわ。

 悪人がストレートに往生の正因ではなく、<他力をたのみたてまつる>悪人が往生
の正因だといわれるように。善人というのも、ストレートな善人だけではなんら批判
の対象にはならないでしょう。善人を誇るというその具体例を示してこそ、批判され
るべきものであって、それを勘違いした議論が多すぎます。
編集済


ミニマム差別論 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月15日(水)19時48分43秒 Y056134.ppp.dion.ne.jp

 二人がケンカしてたとします。

 「この青二才めが!」
 「なんだと。この赤三才やろう!」
 「よくもいったな、この橙五才!」

 とまあ、このケンカ。この調子でどんどんやってればいいのです。青くてもこれから
熟れて黄色になる可能性が十分ある。相手が何か言ってもそれに対して反論できる開か
れたコミュニケーションの形。ところがこれが、

 「この黒んぼ!」  と。

 これに対して「白んぼ!」と返してもこれはもう相手には効かない。「黒人」という
生まれながらの性質・資質である「人種」をもって侮蔑(相手をおとしめて、自分を
持ち上げる)に用いれば、これは「差別」だと思います。なぜなら、そこで言われた方
は反論できず、ストップしてしまう閉じられたどん詰まりのコミュニケーションだから。
(ここでなぜ白んぼが、効かないのか。もちろんそれは、アメリカならWASP。ホワ
イトで、アングロサクソンで、プロテスタントの男性の優位・支配社会という現実があ
るからです。だから有色人種や、イスラーム教徒や女性がいいかえせないという構造が
あるわけです)
 
 人は自分で「生まれる場所」を決められません。国や性別や、肌や瞳や髪の色。親の
職業、顔のよしあし、頭のよしあし等々。自分の意志ではいかんともしがたいもの。
(もちろん別の国籍をとったり性転換したり、髪を染めたりはできますが)これらを使
って侮蔑されれば言われた方は「痛い」。

 「この朝鮮人!北へ帰れ!」  さて言われた方は、相手のまた「痛む」ことをいう
しかあとは手がありません。で、
 「このクソ坊主、西へ帰れ!」   この無限・悪循環。

 また障害など、人生の中途で背負ったものも「差別」に利用されますが。おおよそ、
いわれた相手が言い返せないようなコミュニケーションはやめにしたいものですわ。
咆哮転換は、彷徨転換に通ず。
編集済

餅屋問答 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月15日(水)19時37分51秒 y134030.ppp.dion.ne.jp

 お互いのコミュニケーションのすれ違いを描いた古典落語の傑作。江戸落語にあたる
のが「こんにゃく問答」。こっちの方は、ここで二年前に紹介しました(笑)。

 温故知新。古きをたずねて、新しきを知る。笑門来如。笑う門には如が来たる?

 http://member.nifty.ne.jp/kanbayashi/kamigata/rakug214.htm

 聴聞百万遍 意おのづから通ず?
編集済


迷子の迷子の子猫ちゃん あなたのお家は何処ですか? 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月15日(水)18時01分44秒 y134030.ppp.dion.ne.jp

 >竹さん

 >“同じ過ちを繰り返して欲しくない”

 そうですねぇ。将棋で千日手ってありますけど。うんざりするんですよねえ。
自分が先手を打ったにも拘らず後手に責任テンカ。で、何回やっても同じこと(笑)。
ぐるぐる廻って目が廻る。まさに輪廻ってやつですか。廻るのは寿司とパチンコ台だけ
にしといて欲しい(笑)。
別の一手を指さなきゃね。
う〜ん、竹さん、次の妙手は?

 ♪ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて 迷い道クネクネ〜(渡辺真知子) 
 
 あ、お留守居役様さんに叱られる(笑)。
編集済


ごめん臭い、どん臭い、これまた臭い。あ〜くさ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月15日(水)17時07分30秒 y134030.ppp.dion.ne.jp

 吉本新喜劇のチャ〜リ〜浜ってみなさんご存知?そのギャグでした。 

 >人間(自分)が、完全な理想(善・真実)をなしえることが出来ると、
 ><信じる>ことの危うさ

 親鸞の教えを通して、自らの無明性に気づかされていくというのが真宗門徒です。
安田理深という人の言葉では、「悟る(自覚する)というても、己が迷うているという
ことを悟るのである」と。

 いきなりご高邁なご見識やご境地に達したりできなくともよいのだと思ってます。う
ちの爺ちゃんやヨメはんの心さえも満足に読めない私でありますしね。美しく飾られた
立派なスローガンをかかげながら挫折する、変節するというのは世に枚挙にイトマがな
いくらいあります。「今日から禁煙!」とかね(笑)。自分ができないにも関わらず、
言葉を使っただけで「出来た」つもりになる。で、他人に押し付けていく。そして出来
ない他人を裁いていく。この恐ろしさによくよく気づくべきであります。で、浄土真宗
の「道」とは二河白道であります。火の河、水の河の間の細〜い、細〜い一本道を歩ま
しめられる。
終わりなき、先達、同朋と共に歩む道。

 らくりんさんの「凡夫」の訳は「生きることに不器用な人」(うまく立ち回れない
人。まんの悪い人。どんくさい人)とあります。不器用、ぶきよう、ぶっきょう、仏教、
バンザーイ!バンザーイ!とまあ、大喜利の時間はここまでにしといて。小奇麗に器用
に、世間を泳ぎきれる世渡り上手(と自覚される)のお方には、ご縁のない教えかも知
れません。王道を歩んでると思われる方は、そのご自分に見合った栄光の王道を行かれ
ればよいのです。無理やり他人を別の道に引っ張りこんだりしなくて良いのだと思いま
す。
編集済


ありゃりゃ― 投稿者:  投稿日:10月15日(水)00時20分09秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさん
縦パスです。
【もちろん】でのパスは
“同じ過ちを繰り返して欲しくない”
ということへのパスですよね。
自分が迷っていることにも気づかない…
そんな竹へのパスと受け取りました
歎異抄第九章竹は唯円さんの感動のお言葉
かと感じてます。そしてぐっちんさんの
エエなぁも同じくに受け取りました
真実は今生きている私のためにあると
第九章で親鸞が(唯円が)言いたかったのは

他力の悲願はかくのごときのわれらがためなり

ここなのかなと感じてます

腐臭を放つ淤泥でも蓮華は咲くのかなぁ

竹に咲いたエエなぁの華を胸に

内観の一道彼岸に通ず

 


「経緯」の意味の訂正 投稿者:jyugegu  投稿日:10月15日(水)00時05分46秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

題名 「もちろん」へ横レス 

における、経緯の意味の使い方について訂正。

緯度経度に使われるように、経の意味は縦線・縦糸を表わし
緯度に言う「緯」の文字は横糸を表わす文字。

此処に誤記をお詫びし訂正させていただきます。
ご容赦のほど、お許し願います。

合掌。


ぐっちん様へ 投稿者:jyugegu  投稿日:10月14日(火)20時40分10秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

>・・・・・・・。

>なお、・・・・・、今後あなたに対して一切レスいたしませんので。

ご随意に、と申し上げます。私がどなたかを拘束は不可能と。
なお、「私を始めとする僧侶」との条件提示、寛容配慮と感謝拝受。
なおなお、ご自身からのお言葉は、私に帰属するものでなく、その人の内に存するものの吐露かと拝察すれば、「侮蔑」云々のお言葉も私には感銘される意味かと拝受するにやぶさかではありません。
ご多忙中かと拝察これありながら、「レス」ありがとう御座います。

ぐっちん様、
蓮華は汚泥に根を張り水を出で花咲くことをご存知のはず。
貴方の記す「侮蔑」の対に巷間では「誇る」を当てるかな。
「誇る」の「侮蔑」のと「法」を語るからは異る世界かと?いかが。
「法・dharma.・dhmma・真理」追求には、努めて冷静対処が望ましいかな、

合掌。


>「もちろん」へ横レス  投稿者:ぐっちん  投稿日:10月14日(火)19時33分41秒 y134021.ppp.dion.ne.jp

 >決して親鸞を責めるものではない、
 >当時の情報不足が為した業かとの想いの内に、
 >今日情報の日々開示される社会に、八百年余以前の情報に固執するのが道かを
 >問うのみ、「無常」を標榜するはずの仏教に於いておや

 ???????????????????????????????  

 仏教と言う釈迦が始めた教えは、およそ2500年前のものではないですか?
孔子にしろ、臨済義玄にしろ、達磨にしろ、栄西にしろみんな大昔の人です。そんな
もの全部参考にならないんじゃないんですか?

 で、私「辞書」こそ生きていくのに「参考」程度にしかならないと思うんですが。
なお、あなたが以前のように私を始めとする僧侶に対する侮蔑の言葉を執拗に繰り
返し書き込まれるようでしたら、今後あなたに対して一切レスいたしませんので。
編集済


 「もちろん」へ横レス 投稿者:jyugegu  投稿日:10月14日(火)18時56分14秒 YahooBB219026239011.bbtec.net

ぐっちん様、お久しぶりで御座います。
たまに感銘拝受拝読させていただいています。ところで、

投稿「もちろん」での、
「福祉における援助(危機介入)」と親鸞師弟の会話のつながりが判り辛く、なぜ此処に其れが提示されなければならないのか質問に及びました。

> 唯円が師匠に「お浄土に急いでまいりたいという気持ちがわかないんですけど……」
>と言えば、親鸞さんが「いや、実はわしもそうなんや。まあ、そんなんが凡夫やいうて、
>アミダさんの方はとっくにお見通しなんですわな。こらいよいよ頼もしい」と応える。

このときの「お浄土」とは何を意識されて居られたのでしょう、
「そんなんが凡夫やいうて」とのお返事からは、
「凡夫」は「お浄土に急いでまいりたいという気持ちがわかない」?

因みに梵語に言う凡夫・bala-prthag-janah(存在はあい連なる事なく、個別に在るとする意識者)とされるよう。
つまり此処に言うのは、意識の在り様において、経線・連携水平志向にあるか、
バラモン思想、緯線・上下縦割り志向を目指すか、この違いを「凡夫」と「覚者・仏陀」と表わし、「浄土」とは本来「経線・連携水平志向」、
「阿耨多羅三藐(anutara・この上も無い・無上、samyak平らか・遍く・完全・正しい・和合)。平等覚」に目覚めた社会、これを「お浄土」と呼ぶかと想うのですが、いかがでしょうか。
この意味を知って「いや、実はわしもそうなんや」と「親鸞さん」は自ら「凡夫」であることに甘んじ肯定されたのでしょうか。尚、
「アミダさんの方は」何を「とっくにお見通し」でその結果如何「頼もしい」とされるのでしょう。

>これってエエなあと思う。

と想うべきは本来「生命の平等意識に目覚めた世」、是ではとは・・・。
ところが「お浄土に急ぎ参りたいという気が起らない」らしい弟子の言葉に
「実はわたしも」と親鸞は応えたらしい。

「仏教徒・水平志向になりたくない」。
「実は俺もなんよ」。師弟の会話はこのように読み取れなくも無いかな。

不肖の私ごときがここで何を言いたいか、
決して親鸞を責めるものではない、
当時の情報不足が為した業かとの想いの内に、
今日情報の日々開示される社会に、八百年余以前の情報に固執するのが道かを問うのみ、「無常」を標榜するはずの仏教に於いておや。

ぐっちん様、「人」はついつい自他分別志向に陥りやすく、因みに漢字の国の人の言う「人(太古においては同属仲間のみが人の意識にあり、他部族の者は家畜或いは敵として捕らえては、贄として斬首或いは奴隷に)」意識から、一歩踏み出そうと孔子は「仁(孔子の提唱した思想。是までの仲間意識を言う「人」意識を脱し多数民族融和の思想、)」を。
釈迦仏陀は涅槃図に在る如く遍く生命に意識及ぼしたかと。
生命生きるとは「依法不依人」が基、共に宜しく手を携え道行く事と思う私です。

因みに梵語表記の引用は、故・中村元様の著書より、

http://homepage1.nifty.com/SNC26924/index.htm


もちろん 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月14日(火)06時41分31秒 y135031.ppp.dion.ne.jp

 で、この虐待するパターンという分析は、またまたこれを持ってその親を悪者
として責めていくのじゃなくて、「海のような広い心で子どもを愛せないとしても、
親失格じゃないですよ」との赦しのためにあるんですよね。

 自分じゃ何やってるんだかわからない親に対して、あなたの状態って今こうじゃ
ないかしら?とアドヴァイスする。それで、その親が気づいて「ああ、そうだった
んだ」って自己理解するための手助けですよね。そうは思わない親だってたくさん
いる。で、それはそれでまた、その親が自分でも苦しい状態であるなら(もちろん
子どもからすれば抜け出してもらわな困る)そこから抜け出せる自己理解をつくっ
ていく手立てを考えていけばいい。それが福祉における援助(危機介入)という技
法ですわ。

 唯円が師匠に「お浄土に急いでまいりたいという気持ちがわかないんですけど……」
と言えば、親鸞さんが「いや、実はわしもそうなんや。まあ、そんなんが凡夫やいうて、
アミダさんの方はとっくにお見通しなんですわな。こらいよいよ頼もしい」と応える。
これってエエなあと思う。
編集済


ダイヤモンドの瞳とトットちゃん 投稿者:  投稿日:10月13日(月)21時08分54秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ユニセフがある番組を放映していました
黒柳徹子さんが現地に赴き人々の暮らしを
起った事実を伝えていました(内戦後の)

人はなぜそこまでやれるのだろう
人間が人間を虐待する人の命を尊厳を奪う

黒柳さんは悲しい現実を前に過ちを責める
のではなく子供たちと彼らの今とこれから
の歩みに焦点をあてられていたのが印象的
でした
もちろん映像を通して同じ過ちは起こさない
で…というメッセ―ジを強く感じました

さて私においてどうなのか?
少年兵のように強要されたら
家族を殺すぞと言われたら
怒りによって薬物によって
同じ人間いつどんな縁に出会うかはわから
ない

今の考えが絶対で死ぬまで変らないことは
保障できない

しかし同じ過ちを繰り返さないでという
大きな願いがあるのは確かなようです

弱者と強者、夫と妻、親と子、男と女…
みんな同じ大地に立っていると思うけど…

親+夫のエゴは振り回しているなぁ(汗)
(+苦笑)


児童虐待を考える 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月13日(月)06時52分29秒 y134062.ppp.dion.ne.jp

 介護の学校へ行ってたとき、「福祉」全体を勉強する機会がありました。
介護というと「高齢者」という風に思いがちですが、もちろん「障害者」介護も
重要です。で、女性福祉や児童福祉という分野があるわけです。

 グループ発表で私の班が取り組んだのが、「児童虐待」でした。で、いろいろ
調べた結果、児童を虐待する親のパターンというのはだいたい次のようなものです。

 @子どもが親のいうことを聞かず、自分の性格のイヤな面をみるようなので殴る
 A自分の子ども時代はこんなに恵まれて愛情たっぷりに育てられてないと羨んで殴る
 B「親というものはどんなことがあっても子どもを深い愛情で包むものだ」というこ
  とを自分が満たしていない、つまり子どもが好きになれないから、それで殴る。

 まあ、いろいろ個々のケースは微妙に違うでしょうが、ざっとこんなとこです。私が
興味深いと思うのは、Bのケース。人間たらいうものは、キライな他人も当然いるわけ
でして、子ども全般が可愛くないと思う人もいるし、我が子が可愛くないと思う親もい
るし、上の女の子は可愛いけど、下の男の子は可愛くないと思う親もいるだろうし。ま
あ、世の中には優しくてキレイな理想化されたお母さんばかりがいるわけではないのと
同じように。

 だから、三世代同居していなかったり、少子化で近所に同じ子どもをもつ親がいなか
ったりすると、育児書みたいなのから知識を得るしかなくて親が孤立する。そこでムリ
して「我が子をどんなことがあっても愛するのが親のつとめ」みたいな観念に縛られて
しまい逆に殴ったりするケース。う〜ん、連合赤軍を思い起こすぐっちんは、発想が飛
びすぎでしょうか?

 で、掲示板でも「ネット虐待」としか思えないような発言を見てるとイヤになります。
匿名性と距離があるという利点を使って快楽を得ている。問答しているのでも対話して
るのでも議論しているのでもなく、こんなのがコミュニケーションなら、差別もイジメ
も性犯罪も殺人も戦争もみ〜んなコミュニケーションじゃないか。穢域(構造的差別社
会・暴力社会)を厭うという課題はどこへ吹っ飛んでいったんだ?
編集済


老獪さと遊び心を 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月13日(月)00時31分58秒 Y056160.ppp.dion.ne.jp

 ぐっちんの子どもの頃、TVではっきり覚えてるニュースというのは、
三億円強奪事件と、あさま山荘事件と、大阪・千日前デパートの火災です。

 で、あさま山荘事件の一連の流れの中の、連合赤軍のリンチ殺人事件というのが
自分にとっては、ずっと気になっていました。その時代からはるかに下った時期に
サヨクというものに足を踏み入れましたが、あの事件の重みがようやっと実感しま
したわ。ぐっちんの働いてた大学では、内ゲバ殺人というのはその時代でもありま
したから。

 理想主義。出発点は確かに<善意>を持っていたはずの運動(人間)が、そのあまり
にも生真面目で潔癖すぎて硬直した(余裕・隙・あそびがない)理想によって、そこか
らハミ出た同志を<総括>という名で一方的につるし上げ、挙句の果てには死に至らし
めるというグロテスクさ。観念がメビウスの輪のように反転してしまうことの好例(?)
だと深く深く思いました。

 オウムという宗教を「オタクの連合赤軍」だといった漫画評論家がいましたが、なる
ほどそれはいえてるなあと思いました。<ポア>という名で殺人をも正当化してしまう。
だから、それは過去の他人のテーマではないのだと。

 人間(自分)が、完全な理想(善・真実)をなしえることが出来ると、<信じる>
ことの危うさ。自分に巣食うものの正体に<目覚める>ことなしには、どうしょうも
ありません。
編集済


淤泥の思い 投稿者:  投稿日:10月12日(日)22時02分08秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

淤泥は新鮮な空気を送らないと腐臭を…
難しい!
理想を追い求めているどうにかよくなろうという心根しか見えてこない…自分
認めたくないものが見えてきた
腐臭を巻き散らさざるを得ない存在と
行ったり来たりなんで卒業証書がない道と出遇ったのか…
現実はつらい…醜い
でも自分から逃げてはだめだ
たぶんいのちある限り見つめていくのだろう
今の救いは4歳の娘がナムナムすると膝に乗ってくれること
子供の笑顔…
真の仏事は末通るという先輩の言葉…
(少なくとも今は…)
本当はそれだけなのに理想論者の意識が我身を苦しめる
真実を認めないもの
それは…自分
(すっげ―頑張る)
(そして外を責める)


今日、報恩講でした。 投稿者:らくりん  投稿日:10月12日(日)17時35分48秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

今年も無事報恩講をお勤めすることができました。
今年は、大谷大学の一楽 真さんにお話していただきました。
報恩講が勤まると、一年の締め括りのようであり
また、新しい一年が始まる思いでもあります。

写真をアップしておきました。
思いついたのが、最後の頃で、勤行の写真は撮れませんでした。

 ↓ の 【写真+α】からどうぞ。
編集済

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm


(無題) 投稿者:  投稿日:10月 6日(月)22時06分49秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさん
これはまた失礼しました
そう言えばそんなCMあったような…

ところでばあちゃんのクイズは奥が深い
゛お前見たんかぁ!゛
(歩いたんかぁ!)
っとつっこまれそう
参りました!

白旗&モスキ―トな竹


>男はつらいよ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 6日(月)01時14分42秒 y135040.ppp.dion.ne.jp

 竹さんへ

 あ〜、道頓堀に飛び込んだりしません、私。で、昔(いつの頃かなあ?)C生堂のCM
(男性向け商品。たとえば整髪料)で、「負けて絵になる男がニクイ」という作詞家・山
口洋子のコピーとナレーションを使ったシリーズものがありました。(←そんなんよう覚
えてるわ)

 「打たれてしまったサヨナラホームラン○○本、江夏豊。負けて絵になる男がニクイ」
って感じのやつ。これ、山本浩二(広島)なら三振数。福本豊(阪急)なら盗塁憤死数で
した。プロ野球界に燦然と輝く栄光の記録じゃなくて、NG大賞(笑)。大記録の陰に隠
れた「負け」の数。星野阪神もええけど、やっぱりぐっちんはダメ虎を愛す(笑)。
ああ、日本に上り坂と下り坂はどちらが多いか?とうちのばあちゃんが、クイズを出して
くれたことを思い出しました。
編集済


連帯感・親近感 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 5日(日)06時59分47秒 y134102.ppp.dion.ne.jp

 でもよくよく考えてみれば、不登校時代、犬を飼っていたんでした。生まれて間も
ない頃からうちで育ったのでそれは可愛いものでした。小さい頃は、近所の犬にほえ
られて大キラいでしたが。

 ワンコの要求は、要するにご飯や散歩や一緒に寝ることぐらいしかありません。人間
関係のようなわずらわしい期待などありません。ところがこちらは、そのワンコにいろ
いろ話しかけるわけです。もちろん、応えはしませんが(笑)。それでもそのワンコを
もらったブリーダーさんの家の留守番をしたり、たまに別の犬を預かったりしていまし
たが、実にワンコといえども個性があるのです。これは不思議なものです。まるで、何
か魂というものがあるかのような。だから今は犬は欲しくありません。ダナという犬は
あいつ一匹で他に代わりはいませんから。(流れ星さんのチャッピーやお留守居役様さ
んのちいみちゃん?も同様でしょう)

 今職場で外にいるとき、たくさんの蚊がよってきてたたきつぶすんですが、ひょっと
してヒグラシ(蝉)あたりにとっては、蚊にも個性が見えて「いけすかんやっちゃなあ」
とか、「こいつは話せそうなやつかな?」なんて感じたりするのかも知れないけど……
編集済


疎外感・孤独感 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 4日(土)16時17分31秒 Y057164.ppp.dion.ne.jp

 十年ぐらい前の役僧の時代。何か自分は根無し草のようで、浮き草のように漂流してて
これから一体何処へ向かうんだろうという感じがありました。取り立てて趣味や特技がな
い私は、仕方なく近所の居酒屋や二、三のスナックへ行くんですが、如何せん下戸で。隣
の人に話しかけたりする社交性も持ち合わせていず、知り合いをみつけることができなか
った夜など、余計に落ち込んであてのない帰り道をふらふらチャリンコで走ってました。

 唯一、仏教青年会という場所へ出てましたが参加者はそれぞれ家庭を持っていて、何や
かんやと忙しいらしく、会が停滞していてもまあお義理で出席しているような感じで私も
そこに賭けようという気概が無くなってしまいました。また、ごくたまに泊まりの研修会
に出たりもしましたが、ここでも飲めずアツク語れない自分はさっさと床についたものの
明け方まで目が冴えて、とっくに酔いつぶれた人々のイビキでますます眠れないといった
ものでした。

 不登校で学校に行かず、新聞配達だけしてあとは一人でフラフラしていた時期の方が、
孤独を感じないで済んでました。たくさんの人に会うようになると、余計に何か自分の
「生活感」の無い生活がわびしく思えました(生活感を根付かせようと介護の勉強など
をしてみましたが)。で、十年たった今はどうかというと、まぁ家庭を持っても学校に
行っても会社に勤めたりしても、それはそれなりにイロイロあったけど、自分はこんな
感じの人間なんやろなぁというところで落ち着いてます。
編集済


彼岸花〜ボヤキ〜男はつらいよ 投稿者:  投稿日:10月 2日(木)23時13分47秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

先日テレビで男はつらいよのロケ地を訪ねる
番組で屋敷を貸した人が丁寧に書かれた色紙
を出してきた
山田洋二監督のそれに目がいった
「男はつらいよ
  人間は悲しい」
そうだったのかっと思った
監督のメッセ―ジがなんかわかった気がした
フ―テンの寅さんを通してみた世の中は
人は悲しいと言う視点で見た世界は
垂直ではなく水平だったんだろうなぁって
男も女も老いも若いもみんな人間だった
人間に帰したのはフ―テンの寅さんかも
今日も寅さんは旅にでているんだろうなぁ
出遇いを求めて
竹 


>ボヤキ 投稿者:ぐっちん  投稿日:10月 1日(水)10時56分27秒 y135233.ppp.dion.ne.jp

 「秘すれば花」  〜世阿彌 『風姿花伝』〜

 「しすぎれば穴」 〜元乃木阿彌 『風刺家伝』〜
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ボヤキ 投稿者:らくりん  投稿日:10月 1日(水)10時04分27秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

ネットというのは、不満や愚痴のはけ口としては恰好のメディアかも知れません。
でも、
どれだけ吐き出しても、きりがないし、どんどん波紋が広がっていくし。
で、
気がついてみると、よけいにフラストレーションやストレスが溜まっていく
ところでもある。
まあ、
陰口というのは、本人の耳や目に入らないところで交わされるところがよかったのかも。
編集済


ひがむ華 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月29日(月)12時50分20秒 y134222.ppp.dion.ne.jp

 自分はひがみ根性が強かったと思います。他人を羨む心。あ〜あ、あいつみたいに
カッコよかったらなあとか、あいつみたいにうまいこと立ち回れたらええよなあとか。

 でも、これって結構他人を見てても思う。次から次へと、足を引っ張る対象を
変えて、他人を貶めては自分を持ち上げる。で、これはラクしてタダで胸のつかえを
スカッと晴らすことが出来る。気持ちイイ。だから、人間これがやめられない。

 >凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り、腹立ち
 >そねみ、ねたむ心多く、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず

 ですね。でもこれ、別の気持ちイイことが見つかれば、だんだんイヤになって
くる。自分を苦しめてるのが、こいつだと解ってくる。別の気持ちイイこと見つけた
方がいいな。でも自分ではなかなか見つけられないな。
編集済


行列のできる数学者 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月29日(月)12時41分38秒 y134146.ppp.dion.ne.jp

 >らくりんさん

 うううん、たまには人生のデフラグをやらなければね(笑) 
編集済


HP更新 投稿者:らくりん  投稿日: 9月29日(月)10時18分46秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

昨日の、大掃除・お磨き・総会の様子をアップしてみました。

下のページの【写真+α】からどうぞ。
編集済

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm


三願転入の文  投稿者:  投稿日: 9月29日(月)01時53分16秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

らくりんさん
次のご法話で意見交換させて下さい
19、20、18願という三願転入の文について若いころあんたは何願という人と会いました。
今の私の領解を恐いもの知らずに書いてみようと思います
親鸞が名告りをあげ、また化身土の巻にあること
天親菩薩の一心と善導大師の三心をいただかれていることから
(頂戴する…智慧第一に鏡に移されたのは親鸞聖人でもありますね)
親鸞という自分に届いた歴史を讃嘆されたと
人間の進展などと小さなところではなく仏教の歴史観の感動があらわされていると
聞かせていただきました
そして私において如来ましますか?と
転換を願われている
などと感じてます
歩みを始めて(?)想像していた世界とは全く違い願いの集合体が新たな意欲を与えるはたらきを実感してます
継続は力なり一歩一歩歩んでいきたいです
歩む先には○川や小さなサンガの良き人たちのように…と思います
竹 


古田武彦著作集2「親鸞思想」 投稿者:お留守居役様  投稿日: 9月28日(日)21時20分18秒 CTS219103106067.cts.ne.jp

発刊が遅れて、待望していた本です。

いわゆる三願転入について「親鸞の教行信証を読み解く4」と読み比べてみました。
323頁にらくりんさんが言われている
「第20願と第18願とはまったく別のことであるわけではなく(中略)
 第20願において、すでに第18願の中に包まれているのです。」
は、
古田先生が、802頁以下で、
だれしも法然聖人から第18願の教えを聞いているはずであり、
第19願、20願、18願と個別の願の立場を順にたどる段階説、
例えば、真門においては、第20願のみで第18願を排除し不要とする
というような、そのような立場はありえない、
という指摘と同じと思いました。

境地の思想を否定する私は、
仮門と真門は対立する実体的な境地であるが、
願海は、実体でも境地でもなく、立場ですらない。
願の海というのは、阿弥陀如来つまり他力の比喩的表現であると考えます。
ですから「親鸞の教行信証を読み解く4」322頁で、
「広々とした本願の海を自由に動き回るようなイメージ」
と言われることに共感いたしました。

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=03048042


(無題) 投稿者:  投稿日: 9月28日(日)01時07分03秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

若い頃
先輩がアカペラで歌っていた歌が好きです
さだまさしの゛主人公゛という歌です


ぐっちんさん 投稿者:らくりん  投稿日: 9月26日(金)17時22分17秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

なんか、このところ、必死になって自分の過去と〈格闘〉してる感じですね。


(無題) 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月26日(金)16時38分40秒 Y057028.ppp.dion.ne.jp

 罪障功徳の体となる 氷と水の如くにて 氷多きに水多し さわり多きに徳多し

 これ親鸞さんの和讃。煩悩が菩提になったり、瓦礫がこがねになったり、
なんか今までマイナスといわれてたもんが、プラスに転じる。といっても、此岸的
な意味でプラスというんじゃないやろうけど。

 水平者宣言で言うと

 >ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、
 >ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臓を引裂かれ、
 >そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢

 だけど(だから?)

 >吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。

と。でも、それはいわゆるタカビーという意味のプライドではないですね。
マイナスがプラスに変わったから、今度はいままでプラスといわれてきたものたちに
何をしてもいいとかそういうことではない。

 >吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、
 >人間を冒涜してはならなぬ。

と。私思うに、「過去」を封印してなかったことにして(寝た子を起こさないで)コ
ーティングしてもダメだと思いますね。「過去」しっかり何があったか、何がなされ
てきたのか見つめる。そうでないと、けったいなとこに八つ当たりするだけですね。
編集済


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日: 9月24日(水)23時42分00秒 isd235184.flets.incl.ne.jp

竹さん、やさしい〜。


おっちゃんの涙  投稿者:  投稿日: 9月23日(火)21時23分48秒 acproxy5.ezweb.ne.jp
今日は東京に泊まりで明日もお客さんまわり
宿の前に居酒屋があり生さんまと飲物タイムサ―ビスの文字につられて店に入った
竹はよく人に絡まれる
案の定今回も

カウンタ―の端でおとなしくしているのに

おっちゃんは大きな声でがなりたてたので話を聞いてみた

65のおっちゃんは寂しくてしょうがない人だった

親父と交差してしまった

俺もバカチンだけどおっちゃんを一人にしてる息子もバカチンやな
色々と聞いた後でお孫さん大事におっちゃん飲み過ぎたらあかんで

と言った途端おっちゃんが泣き崩れた
お互い人間はつらい

本当につらい

この関連のHPを見て男や女やとなんでといつも思う
(確かにそれも問題しかし自分が一番問題)
本当の人間になろうと子供に言わしてたのは誰なんだろう

親を泣かしているのは
悲しい気持ちとおっちゃん生きよう(強い握手をして)と言った言葉が交差してます


東京ビックサイト 投稿者:  投稿日: 9月23日(火)15時58分56秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

ぐっちんさん
お久しぶりです
ごった返した展示場でお客様の情報収集中です
ふぅ〜田舎もんにはこたえる〜(笑〜)
ヘロヘロ〜
砂場ですかぁ
いいお天気と涼しい風と適度な湿り気がある子供と元気に遊べるそんな場所ですか?
お台場は近いんだけど(カップルばっかり)(笑〜)


>竹さん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月23日(火)12時14分56秒 Y057147.ppp.dion.ne.jp

 おひさしぶりです。お元気ですか?竹さんが何をしてはる人か
イマイチよくわからないのですが・・・まあええか。

 買った当初嬉しくてケータイから掲示板にアクセスしてて私は月五万円払ったので、
今はパソコンからしか見ませんけど・・・(汗 

 あとメールをいただければぐっちんが遊んでる「砂場」を教えちゃいます(笑)。
編集済


いやいや 投稿者:らくりん  投稿日: 9月22日(月)21時14分29秒 isd233182.flets.incl.ne.jp

長文がいけないというのではなくて、携帯で、
これだけの文章を書いているかと思うと、
その労力に畏敬の念 です。


親指族 投稿者:  投稿日: 9月22日(月)17時00分07秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

らくりんさん
出先の電車の中でついつい長文に
以後気をつけます


もしかして 投稿者:らくりん  投稿日: 9月22日(月)16時48分52秒 isd233182.flets.incl.ne.jp

変換が具合悪そうなので、気がついたんですが、
竹さん、ケータイからなんですか? この長文!
編集済


父母孝養 投稿者:  投稿日: 9月22日(月)14時23分34秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

らくりんさん
ありがとうございます
卑湿のオデイに咲く蓮華は私ではなく真実そのものが具現されるのではないか
真実があるから私があり私があるから真実があるのかななどと
新しい空気がないとは新陳代謝が歩みが止まることかなと読みました
さて、昨日は歎異抄の会と読書会とダブルヘッダ―でした
歎異抄第5章のご講義の中で親と子という関係、亡くなった親との関係について聴かせていただきました
親孝行という言葉は胸が痛くなる言葉ですが今や検索しても出てこないような死語になりつつあるようです
私がここにあるということ
2500年いやその前からの歴史の最先端にあるということ
そのいのちが要求するもの
親と子という関係はその一番ベ―スなのかもしれません
私は6才にクリスチャンの母の死に出合い祖母からシンランとの出遇いを得ました
母の存在が私においての出遇いの縁であったとここにあるのがおかげさまであったとそんなことを感じてます
若い衆との読書会に向かう気持ちに新たな意欲を与えてもらいました



卑湿の淤泥 投稿者:らくりん  投稿日: 9月22日(月)09時05分01秒 isd233182.flets.incl.ne.jp

    ロクジ          ヒ シツ オデイ
「高原の陸地には、蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥に、いまし蓮華を生ず。」ですね。
人間がつくりだす場は卑湿の淤泥になっていく。
だれもが、自分の居場所が清々しい高原の陸地であれかしと願う。
しかし、そこでは蓮華は枯れてしまう。
卑湿の淤泥から咲くからこそ、蓮華は美しく輝く。
淤泥は、新鮮な空気を送りこんでいかなければ、すぐに腐臭を放ち始める。
編集済


クリ―ンル―ム 投稿者:  投稿日: 9月21日(日)09時30分39秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

らくりんさん
返信ありがとうございます
雑感など少し書き込みさせてもらいます
物作りの現場では人は間違うものごみを発するものという視点が有ります
ゴミという視点の私が知る究極はクラス10
このクラスのクリ―ンル―ムという場所は塵が極限にないところ
人はダ―スベ―ダ状態で少ししか入れません
人が生きられない場所
それは人が理想を追って作り出す美しい世界なのかもしれません

泥だらけの自分だけどそれが自分
その立場から共に歩いて行きたいと思います
さぁ今日も若い衆と読書会です
以外と続いています
あ―でもないこ―でもないとたわいもない時間ですが来年5月を目指して問題提起していきたいです

平野さんからのメッセ―ジは人は縁って生きているです
さてさてどんなディスカッションが飛び出るのか楽しみです
今度お会いするときの土産話ができそうな予感が…
ところでぐっちんさんどこに行っているのでしょうかね?
阪神優勝でダイブ?ダメダメ
竹 


竹さん 投稿者:らくりん  投稿日: 9月14日(日)17時52分15秒 pro2.incl.ne.jp

今回は、翌日も、ゆっくりできたんですね。
また、お越しください。


石川散策 投稿者:  投稿日: 9月14日(日)11時46分27秒 acproxy5.ezweb.ne.jp

らくりんさんミネさんこんにちは。
昨日はありがとうございました。
自分がいる場所がわかること地図があること(+月を指し示す方々の存在)心にとどめて歩みたいです。
今後ともよろしくお願いします。
さて、今日は時間があるのでまだ行っていない石川散策など…

海が見たいと思い立ち日本海へ
海パン持ってくればよかった!
しかし久しぶりに潮の香りと海水の感触を楽しみました
海を思い浮かべて…と言われていた人を思い出してました



な、なんで? 投稿者:らくりん  投稿日: 9月14日(日)00時34分27秒 pro2.incl.ne.jp

えっ、なんで、ここに専修学院の学生さんが、書き込めるわけ?
携帯電話も、パソコンも禁止されているはずなのに?
不思議だなぁ?
ま、いっかぁ。
書き込み、ありがとう。とてもうれしいですよ。

また、機会があったら、Y学舎のぞいてみたいと思ってます。
みなさんによろしく。
編集済


(無題) 投稿者:修練生(前期二回目)  投稿日: 9月13日(土)21時53分24秒 u086.d237215061.ctt.ne.jp

私たちの学舎では、修練での「問いかけ」が
自分自身の「問題」になった人ばかりなようで、
連日、「なぜ??→ドースル??」と、これからどのように歩んでいくか??
が、話題の中心になっています。考え方、歩み方は人それぞれな様ですが。。。

最終日の翌日、私たちの寮にお越し下さり、一同、とても喜んでいます。
ま、僕は寮にいながら、ぐったりと寝込んでいましたので(失礼)。。。

・・・今まで、ずっと水は撒かれていたとは思います。
が、水を吸い込んでは、すぐ乾いていく自分達がいて、「乾いていること」が
僕たちの「当たり前」だったことが、ハッキリと示されました。

本当に、良い原動力になりました。スタッフの皆さんや修練生全員で
作り上げた時間に顕れた「あの修練での願い」に応えていきたいと思います。
ありがとうございました。


砂漠に砂を撒く話 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(土)11時41分33秒 pro2.incl.ne.jp
「砂漠に水を撒くように」と書きましたが、
彼らのまわりには「砂漠に砂を撒く」ような言葉しか飛び交っていないのかなぁ。

数日で、みるみるうちに表情や目の力が変わっていく学生を見て、
そんなことを感じました。

と、書いてみて、このところ「バンバン」に、書く気が起らなかったんですが、
きっと、私自身、今回の修練のような「心踊る出来事」が
とんと なかったんじゃないかなと、あらためて思いました。

実は、せっせと砂を撒いていたのは自分自身だったんじゃないかとも……(∞;)
編集済


修練の日々 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(土)10時39分12秒 pro2.incl.ne.jp

講義担当のスタッフとしての一日の動きは、
朝6時:起床、洗面、清掃
      (私は個室をいただいたので、清掃はちょとサボり二度しかしませんでした)
7時:東本願寺で朝の勤行
8時:朝食
9時:講義
10時:修練生は自習ノート合せ/スタッフも互いに講義内容の確認、ノート合せ
10時30分:班別学習。私は待機(準備や休憩)
12時:昼食
13時:修練生が声明作法の間、班担当スタッフとスタッフ攻究や、班の学習状況の報告
15時:清掃奉仕(東本願寺内の各所の清掃:参加者にとっては、朝夕の勤行や食堂への
    移動とともに外の空気に触れられる数少ない機会)
15時30分:班別攻究。私は待機
17時:夕食
17時30分:修練参加者で夕方の勤行・感話
                  (参加者がその時に思うところを皆の前で話す)
19時20分:班別座談。三日目ごろからは、私も各班をまわって参加。
21時:スタッフミーティング
    (各班や、個々の修練生の概況報告。その後の日程や方針の打ち合わせ確認)
10時45分頃〜:申し出があれば修練生と面談または声明の補習。
     なければ入浴・自由時間
    (私にも申し込みがあり、個人面談やグループ面談で、
    三晩で、全部で20人ぐらいと話しました)
0時頃〜:スタッフと歓談
    (もちろん私は原稿ができている日しか参加できませんでした)
就寝は、だいたい1時〜2時でした。

中日は、部落問題の特別講義の日程がありました。
その日はそれを中心に日程が進むので、
私の講義はなく、精神的にも時間的にもとても助かりました。

今回の参加者は
修練生:68名(大谷専修学院山科学舎36名、大谷大学文学部30名、他2名)
スタッフ:14名(道場長・講義担当・フリー各1名、班担当7名、声明担当4名)
特別講義講師:1名
事務局:研修部職員3名
編集済


出たとこ勝負 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(土)10時03分17秒 pro2.incl.ne.jp

なんせ、一週間の缶詰めという特殊な状況に置かれますので、
修練後半は、私自身にもかなり強い感情移入が起ってきて、
高揚した精神状態になりました。
どうも、そのハイテンションがまだ少し続いているようです。
 ※「危ないなぁ」と思う人がいるでしょうが、ま、どう思っていただいても
  結構ですが、私自身の印象としては、
  きちんと抑制が効いたプログラムの中で行なわれるならば、
  こういう経験をするのも悪くないかなぁと思います。

修練の全文筆記講義は全部で4回ありました。
2回目までの原稿は、どうにか事前にだいたい用意できました。
しかし、3回目と4回目は修練生の顔が思い浮かばないのと、
全体の流れがどういう展開になっていくかもその場になって
みなければわからないので、どうしても書けませんでした。
それで、いくつかの案はもちながらも、書けないまま研修道場入りしました。
「オチ」が決まっていない四こまマンガの、二こま目までしかできていない
状態でした。しかも、その二コマ目はかなり強烈なものでしたので、
あとの展開を間違えるとかなり「危ない発言」になりかねないものでした。
案の定、事前に考えていた案はほとんど役に立ちませんでした。
アイディアさえあれば、4000字程度の文章を書くことはそれほど
時間は必要ありません。
とにかく、「オチ」とそこへ展開する「3コマ目」が見えてくるまでが苦しかった。
アイディアが出てこなければ、適当にお茶を濁さざるをえない。
そういう意味で、出たとこ勝負の「生物(いきもの & なまもの)」でした。
編集済


修練、続感 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(土)09時33分18秒 pro2.incl.ne.jp

今日から、次の回転が始まっている。今度はどんな修練になるのかな。
毎回毎回、まったく違ったものになっていく。
現場では、いつも同じことが起るわけではないのですから、それが修練なのでしょうね。

編集済


修練に行ってきました 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(土)09時08分22秒 pro2.incl.ne.jp

真宗大谷派の教師資格取得のための1週間の缶詰め研修会(修練)のスタッフとして
参加してきました。私は、基調となる毎日1時間の講義を担当しました。
全文筆記というスタイルを取っているので、完全な原稿を作って臨まなければ
なりませんでした。そういうスタイルの講義は初めてで、
どのぐらいの分量になるのかわからなくて、初日はてさぐりでした。
全文筆記ができるのは、60分でだいたい400字詰め原稿用紙で約10枚
4000字でした。
この原稿作成に苦しみました。

20歳〜30代の若者たちに自分の言葉が届くかどうか心配でしたが、
初日、二日目、三日目と講義・学習・声明作法・攻究・座談という日程を積み重ねて
行くうちに、砂漠に水をまくように、
言葉が吸い込まれていく感覚を味わうことができました。
修練生たちの顔つきや目の輝きが、日ごとに
驚くべきほど変わっていくのを目の当たりにしました。

おそらく、修練生にとっては記憶に残る一週間になったのではないかと思います。
そして、スタッフや事務局にとってもそうだったのではないかと思います。

もちろん私にとってもずっと忘れられない一週間になりそうです。
なんとも幸せな気持ちにさせていただきました。

修練生、スタッフ、事務局の皆さんありがとうございました。

しかし、疲れた。

※学習・攻究・座談の位置づけの違い
学習:講義のノート合わせして、互いに補いあって講義録を完成させ。
 読み合わせをしたり、言葉の意味や内容を確認しあって、講義を共有する。
 非効率的に思えるかもしれません。修練生からも、最初は、
 原稿があるのならそれをコピーして配ればいいじゃないかという不満がでましたが、
 こうした共有化の作業自体も、重要なプログラムの中身と考えられているため、
 全部筆記という特殊な講義スタイルが取られているのではないかと思う。
  コピーで配ればいい、という声が聞こえてきたときに原稿作成した立場から
 思ったのは、コピーを渡したら、修練が終わればゴミ箱へ直行か、
 いずれどこかに紛れてしまうのは目にみえていますので、
 こんな苦労して作ったものを、捨てられてたまるか、
 手に入れる側も少しは苦労を味わえ、でした。
攻究:主に講義を通して提起された問題を中心に意見交換する。
座談:特に講義にこだわる必要なく、各班ごとに問題や課題を設定して話し合う。
編集済


>ぐっちんさん 投稿者:ぐっちん  投稿日: 9月 4日(木)06時21分32秒 y135065.ppp.dion.ne.jp

 へへへ。それは、どうでしょうね(笑)。

 >「未来が救われるのではなくて、過去が救われるのだ」

と、これはやっぱりなかなか響いてきますね(笑)。金子大栄師の言葉に「過去は
やり直すことはできないが、見直すことはできる」というのがあったと思いますが。
過去を編みかえていく作業。いわば編集作業です。都合の悪いことを無かったこと
として削除する方向なのではなしに(笑)。まいどおなじみニーチェの

  「いっさいの<そうであった過去>を<私がそう望んだんだ>に造り変えるこ
   と。。。それこそが、はじめて<救済>の名に値しよう」  
                       『ツラトゥストラはかく語りき』

 もほうふつとさせます。いろんな事があったけど、今生きてる芸の肥やしになっ
たと(笑)。でもこれは、あくまでも「一人称の自覚」(運命愛・宿業の自覚)の
言葉であって「あの人がああいう結果になったのは、自分で望んだんだから誰にも
文句はいえない」などと他人(第三者)に向けて強制する言葉ではありません。

 宗教のイメージってやっぱり「未来往生」。今現在、何かの決まりを守ったり、
反省してみせたりあるいは、名刺にすれるようないろんな肩書きをくっつけたり
して、未来の(死後の?)どこかで「わたし」以外の者になって「救い」に預か
る。罪滅ぼしみたいなことをして「しあわせ」にあずかる。それを天国とよぼう
が、浄土とよぼうが涅槃とよぼうが。う〜ん、なんかチャウ感じ。

 表向き「反省」してみせて、心では舌をペロリというのはよくあるお話。先の戦
争における「謝罪」をしたにもかかわらず、あいかわらず「暴言」「失言」を繰り
返す自民党議員のように。また、「決まり」そのものの根拠がわからないのに何故
そんなものを守ることが「罪滅ぼし」や「功徳をつむ」ことになるのか。根本的な
吟味は、何もなされていない。
編集済


ぐっちんさん 投稿者:らくりん  投稿日: 8月30日(土)10時28分58秒 pro2.incl.ne.jp

なんか いーことあったのかな?
それとも その逆?
   「いつもと違うのボク」って感じが、出てるような……。
編集済


>お久しぶり 投稿者:ぐっちん  投稿日: 8月30日(土)07時51分04秒 y134020.ppp.dion.ne.jp

 あ、どうも(笑)。いつもながらに、「信仰」の言葉ってやつは深いので
がつ〜んと響く人には響くんだろうなあと思いつつ。。。

 「いつか王子さま」がという気持ちが、自分の中でどうやって出来上がったか?
で、どうしてほどけかかってきたか?(なんで十年かかるんかわかりませんが)
「今」の抽象的な自省だけでなく、具体的な自分史というものをあわせて考えるのが
ぐっちんのスタイルです。


 ♪夢のカリフォルニア

 ぐっちんには日系アメリカ人の親戚がいます。まあ、おばさん。
ロスアンゼルスに住んでいて子どものころおじいちゃんの葬式とかに
帰省してきてたまに会うということがありました。

 その度にキッスチョコとかトランプとかアメリカ製のおみやげをもらう。
まるで進駐軍にたかる子どものように(笑)で、圧倒的にアメリカという
国はキラキラ輝くイメージとして、自分に迫って来ました。それに引き換え
自分の大阪暮らしの現実というものはほんまみすぼらしいというか、味気
ないというか、退屈というか。
 
 十年前にはじめて、おばやいとこを訪ねてロスに行きました。
ミーハーな私は、ハリウッドの映画スターの邸宅が軒を並べるビバリー・ヒルズ
にドライブ。プリティ・ウーマンをくちづさみながら(笑)。いとこに知ってる
限りの、芸能人の家を指差してもらいました。いとこも結構ミーハー(笑)
本場、USJに行ったりして大興奮したのですが。。。

 おばの日常生活って思った以上に地味でした。クルマもぼろかったし。平屋やし。
近所のドラッグストア(スーパーマーケットみたいなもの)で買い物について行き
ましたが商品の種類が大雑把。ポテトチップスも各社から出てるけど、日本みたいに
マヨネーズ味だの唐辛子味だの、あまからしょう油味だのそんな芸は細かくなかった
(笑)。ハロウイーンのお祭りが近かったせいなのか、やたらでかいカボチャがある
なあという印象だけが残ってます。

 ぐっちんは東京にも住みました。で、住んでないけど迎賓館の近くの銭湯に
しばしば通いました、ある事情があって(ナゾの笑)。こんな、四谷というか
赤坂といったTVや歌の舞台になり、外国の要人が来るほんのそばに庶民が汗を
流して生活している場所がある。当たり前といったら、当たり前の話ですが。。。

 あこがれのアメリカ。あこがれのトーキヨー。でもそれは、やっぱり普通の暮らし
をしている普通の人々が住む、普通の町がそこにあった。。。
編集済


お久しぶり 投稿者:らくりん  投稿日: 8月29日(金)23時04分50秒 pro2.incl.ne.jp

久々に書き込みが……。1ヶ月ぶりか。
いつも「今」からしか始まらない。
そして、始まった時に、過去が救われる。

「未来が救われるのではなくて、過去が救われるのだ」と、藤元正樹先生が言われた、
と梶原敬一さんから、聞きました。。
編集済


♪いつか王子さまが 投稿者:ぐっちん  投稿日: 8月29日(金)20時43分52秒 Y057099.ppp.dion.ne.jp

 ジャズの名曲。英語のタイトルは「サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム」
でしたか。まあ、「いつかお姫さまが」でも「いつか救世主さまが」でも何でも
いいんですが。

 ぐっちんは、ずっと待っていました、夢見てました。いつか、自分の理想を体現
している、一点の非のうちどころもない人物が目の前にあらわれることを。それは、
彼女(?)みたいな女性でもそうですし、師匠みたいな人にしても。「この人に何
もかも捨ててついていきたい!」みたいな人と運命的に出会うことを。そして出会
いがあったら、それまでとはガラッと変わる、自分が一変するような風に思ってま
した。一夜明ければ大スターみたいな。

 で、自分がこれだ!と思って一生賭けることのできる場所を探し続けていました。
で、よくよく考えると、そうだとは思えない人はどうでもいい人。そうだとは思え
ない場所はどうでもいい場所。そうだとは思えない仕事はどうでもいい仕事。おろ
そかにするんですよね。まわりをよく見てない。足元見てない。日常を大切にしてな
い。

 自分はそういう理想に見合った人間だと思い込みたいんですね。ある意味平凡な
等身大の(弱さや醜さや恥ずかしさや挫折の傷を持った)自分と直面したくないもの
だから、理想だけはう〜んと高く掲げておく。(それで、他人との距離を保っておく。
他人が取り組んでいる仕事を鼻でせせら笑うことができる)これ実はできないといお
うか、やり通せないものなんですねえ、はなっから。当のご本人は。

 こんなところで働けるか!こんなねーちゃんと付き合えるかよ!こんな先生で、
ガマンできるかい!。。。次々見限っていくんですねえ。理想郷があったなら、そ
こでだったら住んでやったっていいよ、みたいな。自分の与えられた人生を引き受
けて、その主人公になることをせず、状況をただ傍観者として過ごしあれこれイチ
ャもんつける評論家であり続ける。で、自分はもっと高く売れる、もっと高く売れ
ると思ってたらいつのまにか旬をすっかり過ぎて腐ってた、てな具合に。。。(笑)
編集済


過去ログアップ 投稿者:らくりん  投稿日: 8月29日(金)09時34分40秒 pro2.incl.ne.jp

7月28日までの過去ログをアップいたしました。


以上は、新着順31番目から60番目までの記事です。
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