らくりんバンバン

〈 落 鱗 板 々 〉



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21世紀は、 投稿者:Jun  投稿日:12月31日(日)23時11分45秒

 こうチューブの中にエアカーが走ってて、というイメージが実現されなかったのが残念です。
ここ数年考えた事は「便利」という事です。インターネットやIモードはすごい便利だけど、そ
こに陥穽があったりしますね。ただ便利じゃすまないのが次の世紀だという気がします。

それでは、おやすみなさい。


世紀を超えて 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月31日(日)11時34分54秒

20世紀から21世紀へなんて
子どもの頃は考えもつきませんでした
ほんとうに夢のようです。
新世紀もよろしくお願いいたします。

丹波の黒豆を煮ました。圧力釜を使ってなので簡単でした。
煮物は冷めるときに味がしみ込むので、長時間煮るよりも
何度も火を入れるのがコツです。


らくりんさんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月31日(日)10時45分37秒

 建物は屋根があります、雨風をしのぎ、生活できます。別に電気が無くても、水ぐらいあれば
生活できます。

 私の経験では、電気無くてもろうそくの灯りがあれば夜でも読書が出来ます。
詰まるところは、我々がなにを若い人に残していかなければいけないのかでは無いでしょうか。

 やはり私は思う本にして残すのが一番で無かろうかと思います。今郵便局では10年後に配達する〒とかおもしろい企画がありますよ。


年末つれづれ 投稿者:らくりん  投稿日:12月31日(日)09時53分55秒

とうとう2000年の大晦日になりました。
と言っても特別な感慨があるわけではありませんが。

昨年までは、メールかROMでしか使っていなかったパソコンの通信機能でしたが、
今年の1月からインターネットの世界に本格的に参加し始めて新しい世界が広がりま
した。(『読書会』では、Vitaさんが「昨年の1月」と書いてありましたが、
「今年」です)

〈読書会〉に参入したのは1月、この掲示板を開いたのは4月。
それから今日まで、私の中では、
〈面白い→しんどい→こわい→疲れる→まあ、適当にやっていこうか〉
という具合に展開していって、
なんとなく、1日に少なくとも2回ぐらいは覗いてみないと落ち着かないという
今のペースに落ち着いてきました。

1年を振り返ってみて、私個人のところでは、世間で「なんとか革命」と騒いでいる
ほどの「収穫」はなかったように思います。使い方が不十分、下手なせいでしょうが。

情報源としては、
めったに取り込まないのにダウンロードファイルがどんどん溜まっていく、そのわり
にはそれらをもう一度開いて、じっくり読むということはほとんどありませんでした。
それに、私はやっぱりハードコピーがいいな。わざわざプリントアウトして読むほど
のものは少なかった。読むのは本の形が一番いいかな。

ほんとうに欲しい情報や、ほんとうに必要な情報は、そこらに転がっているものでは
ないというのが正直な感想です。電網上でそういう貴重な情報に巡り合うのは、宝く
じに当たるようなものかも。

コミュニケーションの道具としてのEメールは、
本当に便利ですね。単なる連絡手段としても便利ですが、
何人かの人と、これまでの通信手段ではあり得なかった交信をすることが
できました。

掲示板は、
おもしろいことはおもしろい。
1対1のメールでは書けないことも、掲示板だと書けたりする。その逆もあるけど。
何度か実り多い議論もありました。
でも、表情が見えない人、知らない人とのやりとりの気楽さと無責任さが、
この形のコミュニケーションをおもしろくもし、つまらなくもする。
田中正彦が、「人間が匿名で行動する時何が起こるか、インターネットはそれを大量
に観察することを可能にした」というようなことを毎日新聞の鼎談で言っていました。
たしかにこの領域は、無数の匿名者が、公衆の面前で「トイレの落書き」を書き合っ
ているみたいな感じを受けることが多々ます。だから「覗き心」がそそられる面もあ
りますしね。そして、しつこい者が勝つ。ここでも「悪貨は良貨を駆逐する」という
ところですか。
で、結局ごく限られた「気の合った仲間」だけの世界が無数にできていく。
「世界に公開された、むちゃくちゃ閉じられた世界」というところですかね。

それはそれとして楽しめばいいかな。

さあ、大晦日
午前中は、第5巻の校正をやって、
午後は、だし巻を焼かなくっちゃ。

一年ありがとうございました。
TCUPに払い込んだ掲示板のレンタル料金はまだ1年分以上残ってることですし、
当分は、硬軟取り混ぜて、この調子で続けるつもりですので、今後ともよろしく。


「忌」について 投稿者:らくりん  投稿日:12月30日(土)16時51分12秒

大谷派では、私の聞き及ぶ範囲では、
「忌」については、蓮如上人の五〇〇回御遠忌の際や、
それ以前にも時々話題になることは
ありましたし、個人的にいろいろと試みられている人もいますが、
多くの人が参加するような議論や運動は聞いたことがありません。

私も、個人的には「××年回法要」と言ってみたりすることもありますが、
個人的な工夫の範囲を出るものではなく、人様に提唱しているわけではありません。


岐阜の収骨事情など 投稿者:まこ  投稿日:12月30日(土)01時01分43秒

 ここでの議論が気になって住職に確かめたところ(私が実家に戻って僧侶になってからは
まだ立ち会ったことがない)、岐阜の場合も東京にほぼ同じで、係の方が一通り説明して、
骨を選り分けて、小さい骨壷には足から入れて最後に頭蓋骨の一部で蓋をするということで
す。
 最近は高温で焼くために、のど仏も残る例は少なく、病気していて悪い部分の骨が変色し
ているのもほとんどわからなくなってしまったと申しています。
 還骨勤行と初七日は最近は同じに済ませてしまいますし、5七日で35日で満中陰にする
のがほとんどです。百日は特に頼まれれば行うだけで、次は1週会となります。
 ところで「忌」の使用に抵抗感があるので、近年は「会」を使って、例えば3回会として
通知していますが、お東では「忌」の使用についての議論はないですか?
 なお、「自分探しの仏教入門」は福井の本願寺派のお寺の坊守さんが開かれているカウン
セリング的内容で人気のサイトですね。


傍観者さん 投稿者:らくりん  投稿日:12月29日(金)23時47分18秒

ご紹介ありがとうございます。
すでに私のブックマークには登録されていますが、知らない人はたくさんいますものね。


ちょっと散歩気分で・・ 投稿者:傍観者  投稿日:12月29日(金)22時36分59秒

覗いてみて下さい、たまたま見つけました。
面白いですよ、「自分探しの仏教入門」ってページです

http://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/


(無題) 投稿者:らくりん  投稿日:12月29日(金)01時04分58秒

名古屋から帰ってきました。
正月ぐらいゆっくりできると思ったのに、帰ってきたら……、グスッ

ちょっと疲れたので、今日はこれにて


今年に感謝2001年の指針 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月28日(木)15時47分49秒

 妻とふたりでボーリングに行きました。
二ゲームで、妻に負けました。

 トータル点数は、 104 、と 、108 です。

 この数字 104 電話****、と 108 の 煩悩 です。

 そのままが私の使命と心新たに、念じております。 しかし反省する事 しきりで
す。


梅原さんをちょっぴり見直しました 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月28日(木)00時29分05秒

 梅原猛「法然の哀しみ」を読み終えました。

悪人正機説は、法然から親鸞に受け継がれた思想であるが、
そこでいう悪は殺人のことである。
法然の父は殺害されたが、父の側にも原因があった。
親鸞にとっては、阿闍世の往生を説いているくらいなので、
逆説でもなく当然のことであった。
悪人正機説を重視する近代人は誤解している。
女性との不倫を悪として懺悔したりとかは甘えである。
法然、親鸞にとっては、悪とはまずは殺人のことであった。
この殺人者が救われるのは当然なので、重要な思想とは言えない。
より重要なのは、往相・還相の二種廻向説である。
親鸞は、法然から受け継いだ二種廻向説を深化させた。
法然も親鸞も死後の浄土の実在を信じていた。
ただし、きらびやかな極楽浄土ではなく、理念としての浄土ではある。
浄土に往生して仏になって生まれ変わって人間になって、
現世に還ってきて人々を救済すると考えていた。
そのために念仏をして仏になって還ってこようとした。
親鸞は法然をそのような人間=仏と見ていたのではないか。
このような説は、近代人にとっては信じがたいので、
二種廻向説よりも悪人正機説がもてはやされた。
また、親鸞においては、三願転入説が重要である。
一度目が法然への入門であるとすると、
二度目は法然の批判になるのではないか。
親鸞は、他力説をより純化させたと考えられる。
疲れていて、ボーっとしていますので、粗雑なまとめで恐縮です。
梅原説の内容には賛成できなくても、着眼点には見るべきものがあると思います。
法然も親鸞も浄土をリアルに感じていたとは思います。
ただし、浄土は、実体でも実在でもないものとしてです。


オフ。 投稿者:Jun  投稿日:12月27日(水)23時22分33秒

 はい、先日お会いしましたね。でもご挨拶しただけなので。こちらこそオン/オフとも
よろしくお願いいたします。


なお、 投稿者:らくりん  投稿日:12月26日(火)20時14分38秒

 今回の名古屋は、対象が限定された研修会ですので、
場所や日時の問い合せはご遠慮下さい。


Junさん 投稿者:らくりん  投稿日:12月26日(火)20時10分41秒

 ご無沙汰です。と言ってもこの前offで会ったばっかりですけれどもね。
今後とも、on/offともどもよろしく。

今年は、明日27日から28日と名古屋へ行ってきて、一応、仕事納めです。
今年もいろいろなところへ寄せていただきました。
初めてのところもたくさんありました。
特に、本願寺派の何ヶ所か呼んでいただいたことが、
いろいろな意味でよい経験になりました。


お久しぶりです。 投稿者:Jun  投稿日:12月26日(火)00時51分50秒

 「死」を「穢れ」として「祓う」という事の、悲しさをちゃんと伝えていくのは、坊
主の大切な責務だと思います。

 それを、お前は出来ているのかと言われれば、恥ずかしいです。


お骨ネタ 投稿者::らくりん  投稿日:12月25日(月)09時50分52秒

 で盛り上がっちゃってますが、しつこく

冷ます時間も込みで、待ち時間がトータル45分だとすると、短いですね。
金沢の半分以下です。
二人で同時にお骨を箸で挟んで骨壷に入れるやり方は、
私は東京でしか見たことがありません。
金沢、および周辺地域では、そういう「作法」はありませんし、
親族の中に「そうしなければならないのでは」と言っている人がおられると、
「その必要はありません」と言います。
(私が口を挟んでもいいような関わり方をしている場合だけですが)

詳しくは知りませんがあれは、「友引」などと同じで、一人では故人に「引っ張られ
る」というようなところから来たのではないかという気がします。

件の福井の場合は、二人が同時に挟んで入れるのではなく、
喪主が取り上げたお骨を、その他の親族に渡して、その人が入れるという
やり方でした。「箸渡し」とでもいうべき形です。

北陸の方では、火葬場から帰って来た時にお清めの塩を使うという習慣はなかったの
ですが、全国展開をしているような大手の葬儀社が、その風習を持ち込んで来たよう
で、ひところは、お清めの塩が用意されているケースが時々見られました。それに対
して、教区として真宗の場合は必要ないと葬儀社や料理屋さん(実際に塩を用意する
のは料理屋さんである場合が多い)に申し入れたり、各寺院の住職が個別に指摘した
りして、最近はまた少なくなって来ました。「代わり」にということでしょうが、お
しぼりが渡される場合が見られるようになりました。

「二人箸」(どういう言葉だったか正確に思い出せません)にしても、「清めの塩」
にしても、死や死者を「穢れ」として「忌み嫌う」ところから出て来る考え方です。
故人を「仏に成る」べく「浄土」に見送るという想定で執り行なわれる形になってい
る浄土真宗の葬儀においては、
故人は「讃嘆」し、「敬意」を払うべき対象ではあっても、
「穢れ」の発生源であるとか、「祟り・災い」をもたらすと看做すような考え方とは
まったく相容れない発想です。

私が知っている東京の葬儀と言っても、10年以上前に、義父の葬儀に参列しただけ
ですが、それにしても、東京の骨壷は大きい。
義父の納骨にも立ち会いましたが、あれだけ大きいものをそのまま入れるので、一基
に六つぐらいしか入らない感じでした。あれではすぐに満杯ですね。
まさか核家族化時代を先見していたわけでもないでしょうに。


東京の葬儀 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月23日(土)00時34分33秒

 東京の火葬場では、炉の改良により
火葬に要する時間が、短縮されて、
待ち時間が現在では45分くらいになっています。
むしろ、お骨を冷ますほうに時間がかかると聞いています。
控え室で軽い飲食をしているとすぐに呼びに来るといった感じです。
骨壺は、白い瀬戸物で、直径20cm、高さ30cmくらいの円筒形をしています。
会葬者が二人一組になって、箸でお骨を挟んで骨壺に入れます。
これを「骨揚げ(こつあげ)」と言っています。
「骨拾い」とは、あまり言いません。
このときの箸の使い方を縁起が悪いといってマナー違反になっています。
「二重箸」といったかと思うのですが、ど忘れしてしまいました。

体格の良い方のお骨ですと入り切らなくて、
職員が箸でゴツゴツとお骨を砕いて収めることがあります。
それでも、頭蓋骨を最後に形のまま一番上に乗せていました。
礼を尽くしているということなのでしょう。
また、灰や小骨も小さな箒で掃き集めて骨壺に入れてくれます。
骨壺を白い布で包んでから、銀色の箱状のもので覆いますが、
あくまでもカバーなので底がありません。
受け渡しのときには注意しなくてはなりません。
また、布で包んで首から提げるということはしなくなったようです。
そういえば、葬儀の際に黒い腕章を付けていましたが、
いつの間にか誰もしなくなってしまいました。
お手伝いの者のしるしというような意味もあったかと思うのですが。

昔は、身分の上下の関係で、目下の者、
親は子の、夫は妻の葬儀の際に
家で出棺を見送るだけで、火葬場には行かないということがあったようです。
子どもの頃に聞いた話ですので記憶違いかも知れませんけど。

葬儀のしきたりは、宗派によることと
地域によって異なることがあるように思います。


ささいなことですが、 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月22日(金)23時26分40秒

梅原猛『法然の哀しみ』277頁
>私は、この『無量寿経釈』を
>法然の裏の主著あるいは密の主著と考え、
>『選択集』を表の主著、顕の主著と考えたいのである。

梅原は、法然が顕密仏教の批判者であることを
知らないわけではないのです。
批評の位置、立場ということがまるで解っていないのです。
要するに、鈍感なのです。
また、322頁で浄土真宗の発展に関して、
>『選択集』付属の霊験、
>まことにあらたかであったといわねばならない。
とあります。
親鸞や真宗に関わることで「霊験」はないでしょう。

今朝の新聞広告によると
松本史朗先生の『法然親鸞思想論』が、
1月刊行予定とか。
『親鸞の教行信証を読み解く5』と同時期になりそうで
困惑しています。
ともかく、駄本は早く読んでしまおうと思っています。


残ったお骨の行方 投稿者:らくりん  投稿日:12月22日(金)17時48分27秒

残ったお骨がどうなるか、気になっている人がいると思いますので、
簡単に、私が聞いたお骨の顛末を

私が普段最も頻繁に行くのは、金沢市内の火葬場ではなく、山の方に近い郡部です。
主に周辺の六町村が利用します。
そこでは、ブロックで作られた倉庫のような安置場(早い話が倉庫なんですが)があり
残骨を袋にいれて保管します。ある程度それが溜まって来ると、確か静岡県だったと
思いますが、そうしたお骨を引き取って供養して下さるお寺があって、そこにまとめ
て納めるのだそうです。(もちろん有料です)

ちなみに、
ダムで水没して移転する前の田舎では、30年ほど前までは、山の中に火葬場があり、
炭を使って焼いていました。
お骨はトイレットペーパーロール大の骨壷(墓用)と、それより小振りの骨壷(本山
納骨用)に入るだけいれて、残りはその周辺に穴を掘って埋めていたそうです。
聞いた話では、雨が振る夜になるとお骨の中のリンが燃えて、いわゆる火の玉が飛ん
だとか飛ばないとか……、私は見たことがないので真偽のほどは定かではありません。


大悲さんお久しぶり、 投稿者:らくりん  投稿日:12月22日(金)17時29分30秒

大悲さんも「こころおきらく」が閉まって、寂しい思いをしているお一人では?

件の勝山市の火葬場の職員は、箸でブスブス刺してお骨を砕くし、適当な大きさに揃
えるために、手でポキポキ折ってました。箸で砕く人はこれまでにも見たことがあり
ますが手でやる人にお目にかかったのは初めてでした。

まだ若い人(30すぎぐらいかな)でしたが、自身満々で、プロの仕事をしている風
格すらありました。ここを仕切るのは自分だというという雰囲気を醸し出しており、
しかもことさら偉ぶっているわけでもないのであまり嫌みにも感じませんし、ああい
う堂々とした態度だと、横から口を出すのは憚られました。

彼が平然とお箸や手でお骨を取り分けたり揃えたりして、残りには目もくれないので、
その場の雰囲気として、お骨を残して行くのも「当然、そうなんだろう」という感じ
になりました。また、親族の中にもお骨を手に取って、いとおしそうに、あるいは興
味深そうに、あれこれ話し始める人も何人か現われました。それも今まで見たことが
光景でした。
その場では誰も何も言いませんでしたが、やはり気になった人がいまして、帰りの車
の中で、あの残ったお骨はどうなるんですかと、尋ねられました。
もっともな疑問です。
金沢も、お骨を残すので、この質問は前にも経験しています。
私の地元の火葬場で聞いたお骨の顛末を話しました。

どんな場面でもプロの仕事は、見ていていて気持ちがいい。
私はただただ、感心しながら彼の職員の仕事ぶりを眺めておりました。


収骨 投稿者:大悲  投稿日:12月22日(金)16時32分08秒

こんにちわ、
収骨の話が出ましたが、弘前周辺は、木製の箱にお骨を入れます。それも火葬場の職員が、細かい粉状のものも、箸で寄せられる分は全部紙の上にとって箱に収めます。だから箱はかなり大きいです。
1年前、私の祖母が亡くなったとき、骨壷が小さくて、頭骨が納められなかった、で、私思わず「なんまんだぶつ」って頭蓋骨を箸で割って壺に収めたんです。そのときの周りの白い目・・・
「姉ちゃんは、涙もこぼさんかと思ったら、あんなことも平気でできる冷血漢やったんや」
「いつもやったら、火葬場の人がやってくれるのに、ここの火葬場の職員手ェ貸してくれんのやもん」


BTRON 投稿者:らくりん  投稿日:12月22日(金)11時39分34秒

私は、親鸞の真筆の『教行信証』(坂東本)の複製をパソコンで作ろうと思って、
漢字が使えるソフトとして注目しました。
ただ、やはりDTP機能もちょっと見劣りしますし、

「今昔文字鏡」を入手できたので、WINDOWSのDTPソフトでやるほうが便利かと
判断して、「超漢字」はたまに立ち上げて、WINDOWSとは違った感触を楽しむ程度
になりました。

「こころおきらく」孤独な書き込みをしていたんですが、
やっとBTRONネタに応じてくれる人が現われて、ちょっと「嬉しい気分」です。

ただ、私の方の熱がだいぶん冷めてしまいましたが……


BTRON 投稿者:詭弁屋  投稿日:12月22日(金)08時09分08秒

 らくりんさん。

 「こころおきらく」は読んでいないのですが、おっしゃるようにOSは
BTRONです。「超漢字2」(B-right/V R2.5)は、基本アプリケーション
を含むBTRON3仕様準拠OSのパッケージ名称です。ややこしい。

 使える機種が限られるのは、このOSがOADG(だったと思いますが)仕
様の機種を前提にして作られているからです。内蔵モデムはWindows専
用になっている場合が多いので使えません。モデムは使わなければいい
のですが、CD-ROMが使えないと(使えないこともあるんですね、これが)
OS自体の登録が非常に大変になります。

 多言語文字セット(そのうち八万文字ほどは「今昔文字鏡」の文字セ
ットですが)をシステム自体が持っていて、独自コードを割り振って使
えるようにしてあります。文字セットは寄せ集めですから、フォントの
デザインは統一されていません。並べると、ちょっと違和感があります。
データはすべてTAD形式で標準化されているので、アプリの区別なく扱
えるのが、特徴ではあります。ちなみに、「今昔文字鏡」は多漢字デー
タベースとしてWindowsで使えます。

 TAD形式は、DOSテキストとBMP形式の画像とCSV形式の表計算データフ
ァイルと双方向にファイル変換できますから、データがすべて使えない
というわけではありません。が、データをやり取りする時に、手間がか
かるのは、確かです。

 インターネット環境の貧弱さもこのあたりが原因になっているようで
す(実身/仮身のコンセプトがデメリットになっている場合もあります
が)。ブラウザは各種拡張機能(Javaとか)に対応できていませんし、
メーラーもひどく使い勝手が悪い感じがします。受信したメールをパソ
コンのハードディスクから削除するために、わざわざPOPサーバにアク
セスしなければならないのは、公衆回線でプロバイダを利用している私
にはひどく馬鹿げているように思われます。

 ま、現況でBTRONだけを使うのは、特に通信面では不便です。それで
も今になって使おうとするのは、たぶん、世代的なものなのでしょう。
 おやじぃ、ですね(笑)


お返事が遅くなった、言い訳 投稿者:らくりん  投稿日:12月19日(火)22時04分30秒

を書き始めたら、先の書き込みのようなお葬式の地域間格差の話になっちゃい
ました。

お留守居役様さん、お久しぶりです。
Vitaさんの掲示板が書き込みできなくなって、つまんなくなっちゃったのかな、
なんて思ってました。

詭弁やさん
「超漢字」は、〈こころおきらく〉で書いた、BTRONをOSとしたソフトの
ことでしょうか?
違ったOSの世界を体験するという意味では、興味深いソフトです。
何せ、漢字だけでも8万字(諸橋大漢和をカバーするのみならず、北京語の簡体字、
旧字……)アラビア語、ロシア語、サンスクリットなんでもござれで、13万だった
か15万字が用意されている、すぐれものです。

おもしろいソフトですが、ちょっと実用にはどうかと思います。
WINDOWSやマックとデータの互換性を確保できないというのが致命的です。
インターネット環境も貧弱で、不便です。使えるモデムが限られている。
というのも、なんの癖もない最も汎用性のあるモデムに対応しているのですが、
昨今は、ほとんどモデム内蔵で、それらは使えない。
単体のモデムにしたって何か特色をつけて商品価値を高めているわけですから、なん
の変哲もない「ただのモデム」などというのはほとんどニーズがないわけで、そんな
ものを入手すること自体が困難(動作確認がとれているモデムがソフトメーカーから
紹介されていて、一応それを取り次いでくれる段取りになっているのですが、1万7
千円ほどだったかかな、今時モデムだけにそれだけ投資する人っていると思います
?)。
それで、内蔵モデムを外すか、使えないようにした上で、何の変哲もないただのモデ
ムを接続して設定することになる。私は、そこまでしてわざわざBTRONでインタ
ーネットをしようという気にはなれませんでした。

というわけで、久々のBTRONネタでした。


松田さん
もうしわけありませんが、コメントする気になれません。悪しからず。


ところ変われば 投稿者:らくりん  投稿日:12月19日(火)22時03分20秒

昨日、今日と遠縁の親戚(祖母の甥、父の従弟)のお通夜とお葬式にお参りするため
に、福井県勝山市まで二往復しました。お手次は本願寺派のお寺で、一部始終を間近
でじっくり観察させていただくことができました。
物事がすべてゆったりと流れていき、11時の葬儀に間に合うために8時40分に家
を出て、還骨・初七日の勤行まで金沢周辺のお葬式はあっさりしたものですが、それ
に比べれば私の田舎の方式はけっこうのんびりしたものだと思っておりましたが、そ
れに輪をかけてのんびりしていました。
それは本願寺派と大谷派との違いというよりも、地域的な違いによるものであったよ
うに思います。
12時30分ごろに火葬場でのお別れが終わり、職員から「3時半に、収骨に着て下
さい」と言われ、「金沢とは1時間遅い」という思いが頭をよぎりました。
そこから、全員で料理屋さんに移動して、昼食へと。そこでも「あれ、順番が違う」
金沢だと収骨、還骨・中陰(初七日)の勤行でその後、お斎です。
しかも、お膳の上には、おさしみ、かに、海老天……と、ほとんど温泉旅館の宴会料
理です。またまた「あれ、精進料理でない」です。まあ、私としてはその方がいいわ
けですが。何か勝手が違うなぁ。
たっぷり2時間あまりの会食を終えて、再び火葬場へ。
職員から、15分ほどのお骨についてのレクチャーがありました。(骨格、病変、副
送品の着色料が骨に焼きついたところとか、頭がい骨の内出血のあととか)「ふむふ
む、なるほどなるほど」という感じで、勉強になりました。
あれ、お骨の入れ物が三つもある。しかも全部とても小さい。「金沢は二つなのに」
と思いましたが、大聖寺も三つだったことを思い出す。一つはお墓、一つは本山、も
う一つはお手次寺用です。大きさは缶ビールぐらいのサイズかな。金沢では一つはそ
の大きさですが、もう一つはトイレットペーパーのロールぐらいのサイズです。
東京は、小振りのバケツぐらいあるから、それに比べれば金沢もまだ小さいが……。

火葬場の職員が、解説しながら、足、手、背骨、肋骨、頭の骨をタバコ一本分ぐらい
の大きさの二片ずつ3組そろえて、三つの骨入れの前に並べていきます。「おもしろ
いことをするなあ」
職員が骨入れ(巾着の様な紙と布の容器)の紐を解いて、並べた骨を入れることに。
あれ、中に骨壷が入っていないぞ。どうもその巾着様の入れ物に直接お骨を入れるよ
うです。しかも、解説しながら並べた物だけしか入れない。残りは誰も見向きもしな
いでその場に残してきました。金沢は、骨壷に入るだけは入れて、あとは残す。東京
は全部お持ち帰り。他にも2、3違っていました。
火葬場からお寺に帰って来たのは4時過ぎ。

4時半ごろから、還骨勤行と初七日の勤行。この二つを併せて執り行なうことは最近
では珍しくありませんが、私の算段では、だいたい30分で終わるかなと思っていた
ところ、ゆうに1時間30分かかりました。(足がしびれた〜)
おそらくご導師の方針だろうと思いますが、お参りの方全員で『阿弥陀経』と『観無
量寿経』を読誦いたしました。ゆっくりゆっくりと。そしてご法話と白骨の御文の拝
読。
概して、読経のスピードは、東西では雲泥の差があります。とにかく東は早口言葉並
みのスピードですから『阿弥陀経』はせいぜいで10分。今回は全員で読んだからな
おさらゆっくりで、30分ぐらいはかかったかと思います。それから、ご導師が『観
経』について、簡単に解説をしてから、また全員で唱和です。

そんなこんなで、金沢の標準からみたら、私のところはかなりのんびりしたお葬式だ
と思っておりましたが、一通り全部終わったのは、6時でした。
朝家を出る時には、遅くとも4時には向こうを立てるかなと思っておりましたので、
約2時間の誤算でした。

非常にゆったりした時間の流れでしたが、あまり退屈することもなく、次は何が始ま
るのだろうという思いが続き、けっこう興味深い時を過ごすことができました。
勉強になりました。


超漢字 投稿者:詭弁屋  投稿日:12月19日(火)06時18分29秒

 らくりんさん、どうもです。

 辞書が簡単に移植できて、軽快に動作するソフトが一番ですね。
 家のIMEは間抜けですが、それでも時々別人のようにイメージ通りの反応をし
てくれることがあり、そういう時には、いとおしさを感じて思わず頬づりしたく
なります(笑)

 私はJIS第二水準まででほぼ間に合う生活をしていますので、自作の外字は持っ
ていません。でも、作った外字が貴重な財産になるのはわかります。
 以前は、JIS第一・第二水準(JIS X 0208)で出ない漢字の例には、森「おう」
外がよく使われていましたが、近頃は、スマップの草「なぎ」剛が挙げられるみ
たいですね。確かに、森おう外よりも草なぎクンの方が説得力があります。

 携帯電話でのメールのやり取りが一般化したせいで、氏名や地名で「外字」が
意識される場面が増えているようです。森おう外は、森鴎外でもかまわないけれ
ど、オレの名前はちゃんとした文字でなければ嫌だ、という感覚はごくまっとう
なものだと私は思います。

 そんなこともあって(名簿を整備しなければならなかったりもして)、長年使っ
てきたマックに見切りをつけて、別のOSに乗り換えることにしました。総とっか
えになるので、IMEの話題は極私的には旬なのでありました。


越中富山の売薬さん 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月19日(火)05時07分19秒

 研修旅行1333キロの旅で熱海の駅前で竈の煙突が壊れていました。
やはり昔の苦労した思いでをそうと残しておきたいのだなと思いました。

 駅前の交番のパトカーの助手席のビニールのシートが 破れていました。
運転する人より いち早く 飛び出していくのかな、

 なんとなく、頭が下がる思いです。朝6時頃眠いどろーとした目をした若い警察官が言っていました。車は古いですと。 特に出先機関は。


近況 投稿者:お留守居役様  投稿日:12月19日(火)00時06分47秒

歳をとると時間が早くなると言いますが、
1日、1週間、1ヶ月が早いのなんのって。。。
恒例の年末旅行や忘年会も終わりましたので、
このところ勉学を疎かにしていましたが、
梅原猛「法然の哀しみ」を再び読み始め、
やっと三分の一ほど読み終えました。
伝記に関する部分では、
レベルの低い情緒的な文章にうんざりさせられましたが、
教説に入るや法然の「三部教釈」によって、
善導の教えから観仏や念仏よりも称仏を抽出する過程を
論証していて感心しました。
ただ、残念ながら旧仏教に対する批判が弱いかと思います。
三昧や止観、禅定とか加持祈祷は、中国・日本の仏教であって、
本来的仏教ではないので否定されるべきであるとまでは、
梅原さんのお立場では言えないようです。
まだ全部読んでいませんけど。
諸行往生の否定という問題意識を持って読み続けるつもりです。


過去ログ 投稿者:らくりん  投稿日:12月17日(日)08時37分00秒

は、最初から全部整理して保存してはあるのですが、あいにく私はこの掲示板以外に
自前のサイトを持っておりませんので、それを公開する術がありません。

いずれ、自前のサイトを作ってそこに載せて置こうと、考えてはいるのですが、
このところ身辺が落ち着かなくて、HPを作成するという、
(私にとっての)新規事業に取り組めないままでいます。

悪しからず。


御礼と訂正 投稿者:あきもんと  投稿日:12月17日(日)03時08分33秒

お返事ありがとうございます。理解と誤解について何か感じたような気がしたので 「それ」が
かたちになってから返事を書こうなどとと思っていましたが今でもつかんでいません。
ただ理解、誤解、する、される、にしても本当にそれはたしかなのか?という気楽さと反省を
見つけたようでよろこんでます。
 訂正6−5  パダワンーバグワン  すみません
過去の掲示板も見れるようにしてほしいのですが、真宗BOARDの方は現在読み込み中ですので
よろしくおねがいします。


訂正 投稿者:らくりん  投稿日:12月17日(日)00時02分15秒

詭弁やさんに書いてから、確かめたら、現在使用中の松茸のバージョン
は「3」ではなくて、「4」でした。

「松茸4」と「松茸4.1」でこんなに勝手が違うのかと、あらためて驚きました。


松茸4.1は、私にはもう一つ 投稿者:らくりん  投稿日:12月16日(土)09時41分50秒

詭弁屋さん、情報ありがとうございます。
「松茸4.1」はすでに試してみましたが、どうももう一つしっくりきませんでした。

一番問題だったのは「ん」の入力です。私は「n」1個で「ん」に変わる設定をずっ
と使っています。 「tannishou」と打つと「歎異抄」になる。
多くの変換ソフトは「tannnishou」と打たなければならないのではないか
と思います。
これはMSーDOSソフトの「一太郎V3」を「新松」に乗り換えた時以来、
身についてしまった習慣です。

それで「松茸4.1」でもさっそく「n」1個で「ん」が表示されるように設定したの
ですが、「tannishou」の変換はどういうわけけか「たんいしょう)」とし
か認識してくれない。
どうも「松茸3」では「nn」と打つと「ん+n」と入力されたことになっていたけ
れども、「松茸4.1」では「n」が「ん」の確定になってしまうのか、「んに」にす
るためには「nnni」のnを3回打たなければなりません。いろいろと設定を変え
てやってみましたが、うまくいきませんでした。

それに、画面上の文字の表示速度も、体感的にわかるくらい遅くなりました。それで
変換のたびに、一瞬つまづいた感じになって、「イライラ」とまではいきませんが
「イラ」ぐらいはします。
(もしかしたら、バージョンアップというのは、重くなると同義語ではないか。もし
かしたらソフトハウスとハードメーカーが結託して、新しいハードに乗り換えろとい
うシグナルを送っているのではないだろうか)
ファンクションキーの割り付けも大幅に変わってしまいました。これで困ったのは、
入力文字のアルファベット変換とカタカナ変換です。それがMSーDOS松茸式から
WINDOWS標準に変更されたようです。どうもMSーDOS環境を継承したまま
使える発想から、WINDOWS準拠へと、コンセプト自体が変わってしまったよう
です。
やろうと思えば、それらもカスタマイズで変更できるのですが、それらを一々全部
カスタマイズするよりも、「松茸3」との相性がとてもうまくいっているようです
ので、それに戻しました。

今までMS−IME、ATOK、WXなどの日本語変換ソフトを試してみました。
それぞれいろいろと便利な機能がついているし、変換効率も学習能力も、松茸よりは
相当賢いのですが、どれだけ変換効率がよくても、私が書いているような、『教行信
証』のフレーズや真宗の用語がちりばめられた文章をそのまま認識してくれるような
親切な変換ソフトはありませんから、変換効率の向上といっても私にはあまり恩恵が
ありません。(ある程度学習はしてくれますし、WXなんかだとユーザー辞書の移行
も、かなりの程度まで移行できますが)

私は機械式の英文タイプの頃からキーボードを打っていますので、タイピングはあま
り苦になりません。ですから辞書の変換効率の差よりも慣れの方を優先します。
過去10数年間鍛え続けてきた辞書がほとんどそのまま移行でき、軽快に、
イメージ通りに動いてくれるソフトが何よりです。
(ただ、100個以上作ってある外字だけはどうにもなりません)


松茸情報 投稿者:詭弁屋  投稿日:12月16日(土)06時03分06秒

 お久しぶりです。

 そうですか、らくりんさんは「松茸」愛用者なのですか。
 ということで、「松茸」情報です。

 松茸4.1(シェアウェア)は、(株)管理工学研究所のHPからダウンロードが可
能です。
 松茸は、片手でタッチ・タイプ(2ストロークのローマ字入力)ができるように
簡単にキーを設定できるみたいですね。

 ちなみに、私はタッチ・タイプはQWERTY配列でしかできないので、お正月休みに
DVORAK配列で練習をしようと思っています。と言いつつ、普段は我流の1ストローク
のかな入力をしているのでした(笑) 1ストの方が気持ちがいいけれど、時々はキ
ーボードを見ないと、ミスタイプが多発してしまいます。まあ、モニターばかり見
ているのも目が疲れますけれど……。

 管理工学研究所のHPは以下の通り
 
  http://www.k3-unet.ocn.ne.jp

http://www.k3-unet.ocn.ne.jp


万年筆 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月13日(水)06時47分55秒

 いい言葉ですね、でもね、鳥のはねで、
書くのも、いいですね。


「実用」ということ 投稿者:らくりん  投稿日:12月12日(火)09時10分39秒

古くて不便なものを使い続けるということには、意思とコストが必要です。

このあたりでは大規模な近所の中古ショップでは、PC98シリーズを
買い取らないところが現われました。(ただでなら引き取るんですが)
そこには100円、500円、1000円のテレビパソコン、モニター、モデム、
スピーカー、プリンタ、ラジオ何でもありますけれども、そいういうガラクタは
増えていくばかりで、いっこうに減りそうもありません。

そんなガラクタの山の中から掘り出し物を探すのがまた楽しいんですが――これは
完全に骨董趣味の世界です。しかし、私の場合、PC98への執着は実用と結びつい
たものです。
MSーDOSでしか動かないワープロソフト「松V6」を手放したくないという、
ただそれだけの理由でこだわりつづけています。
ワープロは私にとっては、一番大切な道具の一つです。
三吉さんと出会った頃から使い続けています。非常に完成度の高いワープロだと思い
ます。辞書もキーカスタマイズも鍛え込んできたワープロソフトですから、そう簡単
には手放せません。慣れた万年筆を手放せない人の心境と似ています。
それに、家族にも同じソフトを教えたので、そのためにもできるだけMSーDOS
環境を維持できるように備えています。

MSーDOS版松V6と同等の使い勝手のWINDOWSワープロが見つかれば乗り
換えてしまうかも知れませんが、今までワープロでは一太郎、WORD、オーロラエ
ースを試しましたが、「帯」か「たすき」のようです。
しかしながら長文を書く時はやっぱり「松」ですね。どうもまだ全面的にWINDO
WSワープロに移行する気にはなれません。
現在、「松」の会社から提供されている「松風」というWINDOWSワープロを試
用しています。MSーDOS版と同じようにキーカスタマイズがかなり自由にできる
ので、キー操作はかなり似せることができました。ちょっとしたレジメなどに使って
感触を確かめています。
いかんせん「松風」は罫線機能が貧弱です。MSーDOSの「松V6」の罫線機能の
便利さは抜群で、これほど使いやすい罫線は、私はまだお目にかかったことがありま
せん。
で、結局WINDOWSでシンプルテキストを打つときはWZエディターで書いてい
ます。
それでも、「桐」や「松風」と同時に提供されるIMEの松茸は、
ユーザー辞書の移行も簡単だったし、
カスタマイズでかなりMSーDOS版に近い感覚で使えるようにできました。
おかげで私のWINDOWS環境もかなり使い勝手が向上しました。

WINDOWSソフトでもう一つ不満なのは、プリントが遅いことです、プリンタが
動き始めるまでの反応も遅いし、プリント作業もとろい。印刷用の版下にするならば、
それなりのフォントも必要ですが、普段書いている、自分で見るためのノートとか、
配付する資料程度のものだったらそれほどきれいな字は必要ありませんから、実行キ
ーを押すと間髪を入れずに作業を開始するDOSソフトの小気味よい反応は、私にと
っては重要なポイントです。

やっぱり、トータルではMSーDOS版の松6の方がストレスを感じません。
道具は慣れたものが一番というところでしょうが、残念なことにそういう一つの道具
を長く使い続けることを歓迎しないのが昨今のPC事情なんだなあ。


松田 佐知子 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月11日(月)05時50分30秒

 レコードでカセットデッキに録音しています。
舟橋図書館で借りた前川清の CD を息子にお金を出して* *** 録音して貰っていますよ、ね。


交換機 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月11日(月)05時43分00秒

 日本には約8500台の交換機があります。
昼はね、東京で監視していますが、夜は北陸金沢でね。

 災害時は、ルート切り替えしますが、阪神大震災の時は全国から大阪に真っ赤に
集中していました。 妻と2人で女のお子さん4人おられる、元電電公社の社員に
モニター画面を見ながら説明して貰いました。

 雨のどしゃぶりの中を息子の軽四で行きました。

 喬木 さん くるんなら 前もって連絡してからきてちょうだいと言われましたよ。

 ある会社へいくと電話機を一台一台を見るとそこの様子が見えるんですね。


でも・・・ 投稿者:MANU.  投稿日:12月11日(月)02時31分09秒

でも何が無常って、デジタル時代まで私が生きているかどうかですよね。
だからといって、将来のこと考えずにゴミや資源の無駄遣いを肯定してるんじゃないですよ。
そういう問題からも、我が身の無常に引き戻される私だなという感想でございます。
南無阿弥陀仏

http://homepage1.nifty.com/MANU/index.htm


眠っているもの 投稿者:まこ  投稿日:12月11日(月)00時50分48秒

 ちょうど1年前、レコードも聞けると言うので高島屋の通販でプレーヤーセットを購入
しましたが、実際には眠ってますね。肝心の昔のフォークのレコードが数枚しか「発見」
できないということもある。それにしてもCD化されていたりしますね。
 市販ビデオはDVDを見るともう引き戻せない感じで、PS2で我慢して見てますが、
DVD再生専用機を買いたくなりそうです。録画できるものも規格統一できるのでしょう
か。
 9801RX51はパソコンラックの重しとなっているだけで使用していなくて、ノー
トの9801NS/Eも眠ったまま(バッテリーが駄目)。旧14インチモニターとプリ
ンターは処分できなくてそのままになってます。DSU内蔵TAも眠ってますね。
 メインマシンにほとんど触らなくなって、サブノートを多用していて、サブマシンにも
マックにも触れない秋でした。廉価版のレーザープリンターもほとんど未使用。悲惨なの
は組みたて半ばのサードマシンですが、おとりこしが終わらないと宿題は片付かないよう
です。
 あと10年で地上波もデジタルに全面移行するんでしょうか。私どもの地域は共同アン
テナですので、しばらくアナログの延命がはかられそうな気がしますが、市場の論理は全
面デジタル移行で、その時には受像機は安くなっているのでしょうね。今の受像機、受信
設備にはとても手が出ません。
 PSモニターを含めて大量に出ると予想されるブラウン菅の処理がどうなるのか今から
心配です。
 アナログや9801を知っているだけに容易に離れれられそうにないです。MDも購入
してましたけど、通勤などに使ってない環境では出番は少ないですね。講演記録もカセッ
トで間に合わせているのが私の現状です。
 見とおしをもってメール環境の切り替えをすすめつつあるらくりんさんはスゴイですね。


ああ無常 投稿者:ootubo  投稿日:12月11日(月)00時34分57秒

報恩講も無事終えて、今年一年を考えています。

アナログ放送が無くなってしまうとは思ってもみませんでした。
三河の山奥ではケーブルテレビは今後も普及することがなさそうなのでお終いなんでしょうか

残ったテレビは、ビデオ専用なら使い道があるかもしれませんが、そのビデオもDVDに
変わってしまうと、ますます寂しくなってしまいそうになります。



考えてみたら(笑) 投稿者:三吉  投稿日:12月10日(日)06時13分22秒

ターンテーブルのプレーヤーは持っているが埃を被ってますね。
NECの旧PC98シリーズは今でも使ってますが、壊れたら、捨てるでしょうね。
直すより移行した方が安いし便利。
テレビもデジタルに移行するなら買いかえるでしょうね、たぶん。
もう6年ほど使ってますし、後数年後でしたら、いいやという感じで。
野山には捨てないと思いますね。新製品を買う電気屋に引き取りをお願いするでしょう。

廃棄物といえば、学生時代、大学新聞の寄りで、パソコンの基盤から出る金が環境を汚染し、廃棄物が放置されてるいので、反PC運動を展開しなくてはならないという趣旨のことが問題になってましたが、その時分、わたしの周りでPCを使われているのは、らくりんさんだけでしたね。
時代の最先端を突っ走していたらくりん氏も今や骨董品を愛するとは、「無常」を感じます。


富山のじゃくひんてん 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月10日(日)06時03分52秒

 らくりん さん
今でも真空管のアンプが30万円で売られていました。
写らないテレビ 500円、
ならないラジオ 100円、

 我々設備屋に与えられた課題なのです。

でもね、真空管のアンプの音、スピーカーの線の線種で
音色はちがうですよ。

 突き詰めると人間も電気で動いているんですよ。
只周波数の問題なのです。同期取らないと電話は通じないですよ。


おめでたい 投稿者:らくりん  投稿日:12月 9日(土)10時00分13秒

>びーえす 放送は、ケーブルテレビに加入していただけれは゛、今のテレビは、そ
>のまま使えます。
私も、その程度のことは存じております。しかし、使えるということと使い続けると
いうことは別です。アナログ放送がなくなった時に、アンテナ買ったりチューナーを
買ってまで、多くの人がそのままデジタル放送の多機能を使えず、画質も劣るアナロ
グテレビを使い続けると思いますか。
今家庭にあるアナログテレビは、間違いなくほかされる運命にあります。
それは火を見るより明らかです。

レコードを聴くためのターンテーブルのプレーヤーを今でも持っている人がどのぐら
いいますかね。それがどれほど活用されていますかね。レコードのコレクションがた
くさんある人か、一部のオーディオマニアを除いてほとんどはCDにとって代わられ
たのではありませんか。私も一台持っていますが、機械もレコード盤も物置にしまい
っぱなしです。娘たちはレコードと言っても「何それ」という感じです。
まもなく、ビデオテープはDVDなどにとって代わられるでしょうし、
カセットテープもどんどんデジタル式にのメディアにとって代わられています。
フィルムを使うカメラもどうかなぁ?
NECの旧PC98シリーズは今でも充分「使え」ます。しかし、あれほど一世を風
靡したこの機種を使い続けている人はどれぐらいいますか。
私はまだ使い続けていますが、グレードアップもそろそろ限界に来ていますし、周辺
機器を手に入れるのも割高ですし、第一生産終了ですからこの機種で使える機器や部
品をを見つけるだけでも一苦労です。こわれた時のために、予備機を用意しておくぐ
らいの自己防衛しかできません。

私が、そこまでしてPC98にこだわるのは、それでしか使えないソフトを使いたい
からです。アナログテレビの場合、そのソフト供給(アナログ放送)が終了してしま
えばなんのためにそれを持ち続けるんですか。
ビデオテープで録画されたビデオライブラリーを持っている人が、それを見るために
一家に一台ぐらいは残されるかもしれませんが、それ以外は処分されるでしょう。

アナログテレビの運命はレコードとプレーヤーのたどった道をたどることは間違いな
でしょう。しかもその数は一家に1台どころか一人に1台です。その廃棄物の量がど
のぐらいになるか想像もつきません。


らくりん さんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月 9日(土)07時14分50秒

 らくりんさん びーえす 放送は、ケーブルテレビに加入していただけれは゛、今のテレビは、
そのまま使えます。

 でも月々の手当が、3000円から 5000円かかるんです。確かにそれを払わずに、自分の雇用促進住宅に、bs のアンテナをあげるんです。

 確かに設備一つとっても 難しいのですね。

 決して脅しでも何でもありません。公の仕事とゆう物は、本当に難しいのは事実です。

 只いろんな情報が、地球的 規模 で 簡単に入ります。
でもその恩恵を被っている人は人類の数から見れば、本の一握りなのです。

 この宇宙に地球とよく似た世界があるかもしれません。
でもね、アフリカの原始生活している人のような 人かもしれません。

 舟橋の村長が言っておられましたが、昔は田圃1兆5反も作っていれば、生活していけたと。


常套句 投稿者:らくりん  投稿日:12月 8日(金)09時49分35秒

原発止めたら 即 ロウソク生活に逆戻り
というのは、推進派がすぐに持ち出すいわば「おどし」のようなものじゃないかと
思います。

とりあえず、今稼働中の原発が全部止まったとしても、
明日からすぐに、ロウソク生活をしなければならないということにはならないはずです。

また、
今の生活様式を前提にして話を進めることにも疑問があります。
私は、もしそれが必要ならばロウソク生活に戻ることも、パソコンやインターネット
が使えなくなることもやむをえんかな、という気持ちもあります。
原発がなくても、
いずれにしても、今のような生活様式がこれからもずっと同じように続けられるとは、
とうてい考えられません。
原発の問題ばかりではなく、そう遠くない将来に、
人類の生き方を根本的に変更をせざるを得ない時がくるだろうと思います。
私としては、
それは私が生きている間に起こるんじゃないかという気がしております。
悲観したり絶望したりする必要はないと思いますが、
あまり、のんきなことも言っておれないのではないかと思います。

それにしても、BSデジタル放送の開始というのは、どうしたもんだろう。
BS放送を始めるのはいいにしても、2010年にはアナログ放送を全部打ち切る
ことになる。
つまり今後10年以内に今各家庭にあるアナログテレビがほとんど役に立たない
代物になってしまうということでしょう。
デジタル機に買い替えられ、アナログテレビは処分されることになる。
その処理費用を見越して、家電リサイクル法なんかを用意したものの、
使い物にならなくなったテレビが、引取り費用惜しさに、野山に置き去りにされて
しまうことになるのは必至。
膨大なガラクタとゴミを生み出す壮大な無駄。
そこまでして手に入れなければならないような情報がはたしてそこから出てくる
のだろうか。

WINDOWS95が登場するまでは、けっこう先頭を走っている気分だったん
ですが、
いまだに、携帯電話を持つ気になれない私なんかは、
アナログならぬ、アナクロの化石となっていくんですかね。


らくりん さんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月 8日(金)05時32分29秒

 私は1個人としてはね、なんとか、安全を確保しながら、建設したいのです。
どう叫んでも、電気の滋養を押さえることは、出来ません。ろうそくをともしてね、暮らせと言っても、便利な電気をなくすことは、出来ません。

 どんな困難があろうとね、頑張りたいのです。道路を作っても、米を作っても、土は崩れるのです。どんなに、砂利をまいたとてね、草は生えるのですね。

 自然との調和、自然の維持監理。地球の維持監理をテーマとして、電気を送り続けたいのです。
どうか、どうか、協力を御願いしたいのです。

 宜しく、宜しく、御願いします。


初めまして 投稿者:らくりん  投稿日:12月 7日(木)09時41分14秒

あきもんとさん、
書かれた言葉を通して人に出会うということはあります。
浄土教の先達の歴史を見るだけでも
曇鸞→龍樹・天親
道綽→曇鸞
法然→善導
というような、決定的な出会いはすべて直接対面ではなく書物や石碑など書かれた
文字を通して成り立っています。
それに、私たちは『教行信証』を通してしか親鸞聖人に出会えないわけですから。
人と出会うということは必ずしも直接対面ということだけを意味しているわけでは
ないと思います。
誤解にしても理解にしても、出会いというのは、基本的に言葉を通して成り立つの
ではないかと思います。
そして、理解も誤解も紙一重の差か、もしかしたらまったく区別がないようなこと
であるのかも知れません。
『親鸞の教行信証を読み解く』の次巻は第五巻で、六巻の予定はありません。

松田さん
北陸電力のだけでなく、私は原子力発電所はない方がよいと思います。
それがなくても成り立つような方向を考えるしかないのではないかと。


それにしても、本の中の言葉とネットの言葉はどうしてこんなに違う感じがするの
だろう。不思議だなぁ〜。(これはお二人の書き込みとは直接関係ありません)


らくりんさんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:12月 7日(木)06時03分37秒

 北陸電力の原子力発電所の建設をどう
思われますか。

 建設大臣が、女性になりましたが
そのへんも、あわせて、宜しく御願いします。


はじめまして 投稿者:あきもんと  投稿日:12月 7日(木)00時42分10秒

初めまして 6巻たのしみにしてます。僕は 「読み解く」と、「からしだね」<パダワン>
を読んで 生きていてもいいんだ と思えるようになった小心者です。副作用でさらにわがまま
になってしまいましたが。ここしばらく気になることがあるので書かせてください。
宗教は教えよりも「人による」のなら 本だけの僕(32)はマスターベーションなのではない
のか?本願なんだし 釈迦さんだって木に心を開いたんだから?と思ってもやはり気になる
とゆうか気がひけるようなかんじです。一喝お願いします。
ps ちゃんとした?社会人です


BBBさん 投稿者:らくりん  投稿日:12月 6日(水)18時50分34秒

初めまして(ネット上では)
昨日はお世話になりました。ただ今帰宅したところです。

最近この掲示板もちょっと低調ぎみですが、たまには書いてやって下さい。


昨日は… 投稿者:BBB  投稿日:12月 6日(水)17時03分49秒

昨日四国でお世話になりました髭おやじです。
香川秀夫と申します。15年ほど営業サラリーマンやっておりましたが、
今年3月思うところあって退職して寺での生活に専念というか、現場のこと
含め勉強しております。退職してすぐ「…読み解く」の輪読会に参加する
機会に恵まれ、「ああ、昔勉強した浄土真宗ってこういう風に考えること
だったんだな」と。中心軸。ただ、昨日指摘された通り、ちゃんと出会えて
ないです。ちゃんと出会える機会はいくらでもあるのに、こちらの問題。
自分の頭で考え、悩んで、それを発信して揉まれていくことかなと思って
おります。
どうもありがとうございました。
BBBはBaubles,Bangles&Beadsのこと。安物、ニセ物の装飾品で
着飾った貴婦人気取りという風に理解してます。


美川の会 投稿者:らくりん  投稿日:12月 1日(金)19時01分07秒

は、明日12月2日です。

無理せぬよう。


今月の美川の会 投稿者:Vita  投稿日:12月 1日(金)16時49分28秒

は、いつでしょうか。
なんか、一日一日をこなすだけ、明日はどっちだ、今日この頃です。


はや師走 投稿者:らくりん  投稿日:12月 1日(金)09時25分12秒

このところ、身辺あわただしいせい、なんかもう一つネット生活に乗り切れません。
悪しからず。

『親鸞の教行信証を読み解く』第五巻、ようやく稿了、入稿いたしました。


三吉さん 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月26日(日)06時59分16秒

 北陸電力のふれ愛コンサートでも、上市の北アルプスの森進一のコンサートでも、ね、
そこの備え付けの音響設備使わないんですよ。せっかく少ない予算で苦労して設計して設備したのにね、

 設備屋としては、やりきれないですよね。
でもでも、よく考えると、設備のない盲学校でコンサートがやりたいと思ったら、やはり
主催者側で用意しないといけないし、自分らの最高の芸実が表現出来ないのかなーと思うわけですよ。

 そこに自分流のこだわりがあるんですよね。そしてたくさんの機器をセットする時間と、労力をかんがえるわけですよね。

 なにか、やりきれない気持ちがありがたくなってくるんですよね。
朝日の体育館で名古屋から3台の中継車できて毎週 日曜日 放送される日本放送協会ののど自慢
をみさして貰ってつくづく思うんですよね。

 私もこだわりたいです。三吉さん 念仏販売に、年末にかけて除夜の鐘を聞くまで、
どうか、どうか、協力宜しく御願いします。

                    富山道場 念仏販売担当 松田 幸造


妻の風邪 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月25日(土)06時08分34秒

 富山駅前はね、風邪が流行しますよ。


続き 【別紙】 投稿者:らくりん  投稿日:11月23日(木)22時19分16秒

W32/MTXが添付するファイルの名称は、メールを送信した日付により決まります。
日付と添付ファイル名の関係は下記の通り。

日付         添付ファイル名
1日    I_wanna_see_YOU.TXT.pif
2日    MATRiX_Screen_Saver.SCR
3日    LOVE_LETTER_FOR_YOU.TXT.pif
4日    NEW_playboy_Screen_saver.SCR
5日    BILL_GATES_PIECE.JPG.pif
6日    TIAZINHA.JPG.pif
7日    FEITICEIRA_NUA.JPG.pif
8日    Geocities_Free_sites.TXT.pif
9日    NEW_NAPSTER_site.TXT.pif
10日    METALLICA_SONG.MP3.pif
11日    ANTI_CIH.EXE
12日    INTERNET_SECURITY_FORUM.DOC.pif
13日    ALANIS_Screen_Saver.SCR
14日    READER_DIGEST_LETTER.TXT.pif
15日    WIN_$100_NOW.DOC.pif
16日    IS_LINUX_GOOD_ENOUGH!.TXT.pif
17日    QI_TEST.EXE
18日    AVP_Updates.EXE
19日    SEICHO-NO-IE.EXE
20日    YOU_are_FAT!.TXT.pif
21日    FREE_xxx_sites.TXT.pif
22日    I_am_sorry.DOC.pif
23日    Me_nude.AVI.pif
24日    Sorry_about_yesterday.DOC.pif
25日    Protect_your_credit.HTML.pif
26日    JIMI_HMNDRIX.MP3.pif
27日    HANSON.SCR
28日    FUCKING_WITH_DOGS.SCR
29日    MATRiX_2_is_OUT.SCR
30日    zipped_files.EXE
31日    BLINK_182.MP3.pif


やっぱりあれは 投稿者:らくりん  投稿日:11月23日(木)22時18分37秒

今流行しているMTXウィルスだったようです。

情報処理振興事業協会 セキュリティセンター
http://www.ipa.go.jp/security/index.html
からの転載

感染被害が深刻な「W32/MTX」に関する情報

平成12年11月9日更新
平成12年9月22日掲載
IPAセキュリティセンター


 W32/MTXウイルスの感染被害が激増しているので、注意
してください。
 (10月の届出件数は、223件とウイルス別では最高を記録)
 一度感染すると、修復にはハードディスクの初期化が必要で被害は深刻!!

 このウイルスは、メールに添付されてくるウイルスファイルを実行(ダブルクリック)
することにより感染する、ファイル感染型ウイルスです。
 別紙リストに掲載されている名称の添付ファイルを受け取ったときは、絶対に実行
(ダブルクリック)しないで下さい。
 また、相手方が感染に気づいていない場合がほとんどです。MTXウイルスが送られて
きたときには、相手方に感染していることを知らせるとともに、下記の情報を連絡して
下さい。

 以下に、今後の被害を防ぐための予防対策と万一感染・発病してしまった場合の
対応策について、お知らせ致します。
 また、今後も新しい情報が確認でき次第、本ページに掲載する予定です。

●ウイルスの概要

 ウイルスに感染したファイルを実行(ダブルクリック)すると、次のような症状が
現れます。

 (1)ウイルスの複製および関連ファイルの作成
 (2)WSOCK32.DLLファイルを改変
 (3)システム起動時に、ウイルスが実行されるようにレジストリを変更
 (4)ウイルスによるメールの自動送信
 (W32/Ska(俗称Happy99)と同様の方法で、メール送信時に、同じ宛先にもう1通、
ウイルスを添付したメールを送信する。メールソフトの種類は問わない。)

 このウイルスは、多くのシステムファイルに感染する可能性が高く、ウイルスが動作
を行うと、復旧するためには、初期化からOS等の再インストールを行わなければなら
ないので、注意が必要です。

 なお、仮にPIFファイル等を実行(ダブルクリック)してしまった場合、表面的には
何事もなかったかのように見えるかもしれませんが、ウイルスが動作を行っている可能性
が高いと考えられます。


こだわるのは、いつものこと。 投稿者:三吉  投稿日:11月18日(土)23時48分40秒

「法華経」を意図的に避けたとは思うのですが、「嫌なこと」があってというレベルなのか、どうなのか。私は横超慧日師の「仏教とは何か」に促されて「仏教」に関心をもったという背景がありますので、らくりん氏とは立場は異なり、「法華経」の精神を具現するために、その発展として「但念仏」に、「大経」に出遭ったと見てます。ただ、そーすると、法華経をあえて無視する謂れはないわけです。だが無視している。善導が法華の「南無仏」を称名の傍証とし、法然が、法華を「傍らに往生浄土を明かす経の一つ」と位置づけているにもかかわらず、無視している。和讃で「久遠実成阿弥陀仏」と言うにもかかわらず、道綽の安楽集が法華経の弥陀を引用して「その仏の滅度よりこのかた、至極久遠なり」と言うのを、親鸞はどこにも引かない。なぜなのだと・・・。
「嫌なこと」があったとすればそれは何なのか。「嫌なこと」があったとすれば、法華をどう思っていたのか。親鸞に直接聞いてみたいところです。


法然の哀しみ 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月18日(土)19時29分28秒

やっと北方謙三「三国志」全13巻を読み終えましたので、
梅原猛「法然の哀しみ」を読み始めました。
やはりうんざりさせられる記述が多くて前途は多難です。
たとえば、「火と燃え上がった」「火の手をあげた」なんて
書いてますが(口述筆記だそうですが)言語感覚を疑います。

「(法然が)一人寂しく流罪地に向かう」(53頁)
陳腐な感性だなあと思います。
法然が一人で流罪地に向かったのかも疑問ですが、
それよりも「一人寂しく」という表現が、なんとも情けないです。
一人は寂しいなんて、勝手に決めないでもらいたいものです。

「恵信尼が、親鸞が死んだ後に越後に帰っているところをみると」(70頁)
恵信尼は、越後にいて、娘の覚信尼からの手紙で親鸞の死を知ったはずです。


ムキになるほどのことなの? 投稿者:らくりん  投稿日:11月18日(土)10時21分44秒

三吉さん、
情報提供者の第三の人物が、『正統伝』や「蓮光寺本」までの文献をカバーした
情報源からその考えを入手しているとは、私には思えませんがね。
私も、それらを見たことがありません。
その程度の見解なら、『尊号真像銘文』の「法華」が宗か経典かという区別が
ついているとも思えませんが。
三吉さんの書込みから得られる私の印象では、『尊号真像銘文』の話を
どこかで聞きかじったか、読みかじったか
という程度の話を「ご披露」しただけではないかという感じがします。

不確実な情報に対して、そこまでムキになって反応しなければならないですかね。

親鸞と『法華経』ないし「法華教」については、私も、だいたい三吉さんの見方で
いいのではないかと思っています。
おそらく親鸞は、「法華」にはあまりいい出会いがなかったんじゃないかと
想像しています。


kekoさん、感想をありがとうございます。


青木悦さん 投稿者:keko  投稿日:11月18日(土)06時31分38秒

「孤独な、なかよし」読みました。
子供たち、親達の現状が的確に語られていたと思います。
色々なことを考えさせてくれます。
ありがとうございました。


いつもながらありがとうございます>らくりんさん 投稿者:三吉  投稿日:11月18日(土)01時48分32秒

「親鸞は法華経に具体的に論及している箇所はないのではないかと思います。わざと法華経を避けたんじゃないかと推測されてます。」という私の意見に、親切な第三者が情報提供してくれた。だがその方も聞きかじりできちんとした詳しいでどこはご存知でないみたいと推測される。で、私も真宗聖典や「真宗書誌学の研究」その他で確認したがどうも見当たらない。で、ここでお尋ねたしたというのが趣旨です。

さて私のぼやっとした記憶ですが法然に「聖道門の中では法華経が最高」という文があったように思うのですが、で親鸞もそう考えていたとしても不思議ではないと。
「法華経は諸経の王ではあるが、それを基にした天台法華の教義は一乗説を顕し、機根差別説の法相宗を批判した意義はあるが、いかんせん、そこから導き出された行は「止観」という目茶高度なもので、誰でも可能とは言えない。理屈は一乗無差別であるが事実において、機根で差別している修しがたい方法ではある。それよりは我等凡夫は「但念仏だ」と」
こういう趣旨の手紙を関東同朋に送っていたとしてもおかしくないと。
尊号真像銘文の法華は経典ではなく、どうも宗派のようですね。
宮崎圓遵氏が確実なものとして学界が認めているという43通以外にも、古田武彦氏が「親鸞思想」で論証した蓮光寺本もあります。良空の「正統伝」には消息92通とあり、私の知らぬもので、親鸞さんのものとは認めてられてないが、蓮光寺本のようなものも可能性もひょっとしたら、あるんじゃないかと。(私は42通と蓮光寺本しか見てない)


問題の焦点が? 投稿者:らくりん  投稿日:11月17日(金)09時39分01秒

三吉さんが確かめたいことの趣旨の確認なのですが

>「鎌倉に親鸞聖人が送った手紙の中に〈お経の中では法華経が一番ありがたい。し
>かし、あなたたちは読んでも理解できないだろうから、阿彌陀さんをたのんで、名
>号を唱えることによって救ってもらいなさい〉」
ということで何が問題になっているのでしょうか。

1:日蓮信奉者から
 >「親鸞の聖教の中にも『法華経』が一番だ」と言っている(親鸞も『法華経』が
 >一番であることは認めてはおりながら、機根が劣るからあきらめただけだ。
 >ホントは法華がいいけど親鸞はぼんくらだから浄土教に転向した)
と言われて、何とかそれを言い負かしたいのか。「浄土教の方がすごいんだぞ」とか

2:「浄土教徒は、法華の行者に比して、機根が劣悪である」
 (人間としては法華教徒の方が上等である)というような主張に対して
 何かを言いたいのか。

 上の二つに関連していますが、
3:『法華経』と『大無量寿経』のいずれを根本経典として選びとるかという
 教相判釈の問題として確認したいのか。

あなたのことだから、「1」のような気がしますが……
つまり、あなたが直面している議論の焦点は、
前半部分の「『法華経』が一番、と親鸞も認めている」の部分なのか、
「あなたたちは読んでも理解できないから、弥陀をたのめ」の部分なのかです。

それから、もう一つ、あなたの論争相手が出典としておっしゃっているのは
本当に「手紙(御消息)」なのでしょうか。それとも、全著作、あるいは親鸞以外の
聖教までも含めているのでしょうか。
(つまり、相手の人は親鸞の著作にかなり詳しい人で、
初歩的な勘違いをするようなことはないのか、
あるいは単なる聞きかじり伝聞程度のことを元にして、
言い立てているだけなのでしょうか)

浄土教と法華の教に関して、親鸞が「それらしきこと(機根の問題として)」
に言及しているのは、『尊号真像銘文』(東528〜9/西667〜668)です。

それから、『大無量寿経』と『法華経』の教相判釈の問題として取り上げているのは
親鸞ではなく、存覚の『六要鈔』に問答があります。(真宗聖教全書二ー222頁)

とりあえず思い付くのは、この2つです。


御無沙汰しております。 投稿者:三吉  投稿日:11月16日(木)22時56分06秒

早速ですが質問です。
「鎌倉に親鸞聖人が送った手紙の中に「お経の中では法華経が一番あ
りがたい。しかし、あなたたちは読んでも理解できないだろうから、
阿彌陀さんをたのんで、名号を唱えることによって救ってもらいなさい」
というのがあるらしいのですが、真宗聖典をざっーと見ましたが、のってない様に
思います。(私の見落としかもしれません)
どなたかこの消息についてご存知の方がおられましたら、宜しくご教示ください。


専求舎報恩講 投稿者:らくりん  投稿日:11月16日(木)16時35分56秒

まだ、何も決まっていないのではないかと思います。


専求舎の報恩講の季節が 投稿者:大願  投稿日:11月16日(木)12時38分46秒

近づいて来ましたが、今年も12月23日でしょうか。
場所も同じでしょうか。
お判りでしたら教えて頂きたくよろしくお願いします。


らくりんさんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月16日(木)07時23分12秒

 設計図面など書くとき、一緒に仕事しているひとから、じゃまが入らないように、
仕事をしていく方法教えてください。


メール公害 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月15日(水)12時47分15秒

 5年前ぐらいの話ですが、たくさんの問い合わせがきて、自分の為にメールが
使えないと、あるメーカーの部長さんが言うていました。

 


ウィルスがやって来た 投稿者:らくりん@管理人  投稿日:11月15日(水)09時26分23秒

今朝のニュースで新手のウィルスのことが報道されていましたが、
つい先月のことですが、私のところにもちょっとおかしなものが届きました。

ある人からメールが届いた時に、同じアドレスからもう1通メールが届いた。
ちょっと見ただけで不審な点がいくつか
  (1)10秒後のタイムスタンプで
  (2)本文はほとんどなしで、添付書類付き
  (3)アドレスは同じなのに差出人名がちがう。
   最初のはハンドル名なのに、「おまけ」の方はアドレス@以前の部分が
   差出人の名前となっている。
  (4)添付文書のファイル名と、ファイルタイプは
    I_wanna_see_YOU.TXT.pif  Type: MS-DOS アプリケーションへのショートカット
    (application/x-unknown-content-type-piffile)
おかしいでしょう。
PIFファイルと言えば、WINDOWS95にはあまり関係ないようですが、
WINDOWS3.1では、実行ファイルの設定に関わる重要なファイルの拡張子
だったことを思い出しました。

ちょっと興味があったので、すぐに削除せずに、
開かずに、慎重にフロッピードライブにダウンロードして、
予備機に移植して、PIFファイルをダブルクリックしました。
一瞬、ハードディスクのアクセスランプが点滅。ドキッ
あとは何も起こりませんでした。再起動を繰り返しても、とりあえず異常なし。

しかし、です。
気持ち悪いので、予備機といえども、そのままにしておくわけにもいきませんので
バックアップのHDから、システムのリカバリーをしようとしました。
その前に、内蔵のセカンドHDを起動してみたところ、
起動ファイルに異常が発生しているとのエラーメッセージを表示したまま
起動途中でハングアップ。
私は旧式のPC9821シリーズを使っていますので、
起動ドライブはAになっています。
問題のセカンドHDは、システムのコピーの際の中継や、
データバックアップ用として使うためにつないであったもので、
WINDOWS95のシステムが移植してあり、
その時はCドライブとなっていました。
だから、あの添付ファイルがウィルスだったとしたら、
DOS/V機の起動ドライブであるCに対して「悪さ」をしたのかもしれません。

それ以上のことは私にはわかりません。

あとは、きれいさっぱりフォーマットして、汚染されていない(と思う)
バックアップを戻しておきました。

その後も、同じ人から4回メールが届きましたが、毎回「おまけが付いて来ました」
添付書類は毎回、ファイル名もファイルタイプも変わっていました。
以下の通りです。
2,  MATRiX_Screen_Saver.SCR  Type: スクリーン セーバ
3,  MATRiX_Screen_Saver.SCR  Type: スクリーン セーバ
4,  LOVE_LETTER_FOR_YOU.TXT.pif  Type: MS-DOS アプリケーションへのショートカット
5,  NEW_playboy_Screen_saver.scr  Type: スクリーン セーバ

このメールの送り主には、何度も注意・警告をして、駆除ソフトを使うか、
システムをインストールしなおすように勧めましたが、
他の人から、そんなことを言われたことがないと言って、
いたってのんびりしたものです。
その後、気を悪くされたのか何だか知りませんが、
その人からのメールは届かなくなってしまいました。

以上、ちょっとしたウィルス騒動の顛末記でした。


休暇 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月11日(土)07時44分36秒

 私もちかじか 行く予定です。たった一人のせいで
とは、ひょつとしたら?。


骨休め 投稿者:らくりん@管理人  投稿日:11月10日(金)23時17分55秒

ちょっと年に一度の恒例の骨休めに行って来ます。
まあ、それなりにわきまえて、適当にやってください。


たったひとりのせいで・・・ 投稿者:一傍観者  投稿日:11月10日(金)21時47分04秒

どんどん掲示板が閉鎖されていきますね。
誤字脱字・訳わかんない書き込み・いやがらせ・・・・
管理する方の身になってあげられないものでしょうか・・ ひとりごとでした。


プライベート 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月10日(金)03時36分13秒

 私はにもありますが、亡いのと等しいのです。いつも、裸電球です。
らくりんさん。山田村は、私の親友の身出地です。20代の頃よく彼の実家
へ行きました。製紙会社の寮で2人で夜を徹して世の中のこと徹夜で話し合いました。
理想の社会、私は今でもその夢を棄ててはいません。

 それと、げん猿楼 は、電話の仕事で、数え切れない程行っています。
亡き 社長にも、よく可愛がられましたよ。


〈おきらく〉が 投稿者:らくりん  投稿日:11月 9日(木)11時57分51秒

書き込みできなくなっちゃいました。Vitaさん、なんか思うところがあってのこと
なのでしょうが……。
私が、電網世界に足を踏み込んだ最初の掲示板です。
いろいろと、手ほどきもしていただきました。
……。(∞;)


言霊信仰 投稿者:大悲  投稿日:11月 9日(木)10時22分56秒

お留守役様が、名前を呼ぶ事は、その人を支配する事になる、という事を書いておられますが、
字とか忌み名という習慣は中国から伝わった事と聞いていますが、日本にも言霊信仰があって、根強かったんでしょうね。
名を呼ぶ、というと、どうしても「称名」にふれずにはおれません。そういう習慣を持っていた人々にとって、現代のわれわれが、念仏する事とは、はるかに深い共同感があったのだろうと想像します。


確か...。 投稿者:Jun  投稿日:11月 9日(木)02時36分55秒

 反証と言うか、ちょっと違うのかもしれませんが「妹兄(いもせ)」という言葉があります。
これは「男女」の意味の大和言葉です>お留守居役様さん。

 追記ですが、下記の村上龍の小説はタイトルは良いんですが小説自体はつまらないです。むし
ろ、山田詠美のあとがきが強烈でした。


関係無かったらすみません。 投稿者:Jun  投稿日:11月 9日(木)02時26分07秒

 日本人は農耕民族ゆえ、本来は母権社会だと聞きました。
順番によってその主従制が言われますが、「夫婦(めおと)」と言うのは「女男(めおと)」
だそうですし、「父母」には「母父(おもちち)」という言い方があるそうです。本来の意味
的には女性が順位としては、上だそうです。

 村上龍の「すべての男は消耗品である」というのは正しいのかも。


日本語に二人称なし 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月 8日(水)21時12分52秒

高島俊男『お言葉ですが・・・』の
『日本語に二人称なし』に、
「あなた」というのは、元来の日本語ではないとのことです。
また『美智子さま雅子さま』では、
お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんという日本語はあるが、
その逆に子や弟、妹を呼ぶ日本語はない。
下位の者は名前を呼んだからである。
その逆に上位の者を名前で呼ぶことはなかったとのことです。
名前を呼ぶことは、その人の身体に触れることなので、
失礼に当たるからだそうです。
ですから女性の名前を呼ぶことは、まれだったのだそうです。
島崎藤村の『夜明け前』に「徳川さまの御威光で」などとあるが、
三田村鳶魚が、
「あの時代の人が「徳川」などと口にすることがあろうか。
「公儀」と言うのだ。そんなことも知らずに小説を書くな」
と叱っているそうです。
言われてみれば目からウロコですね。
家光が「彦左衛門」と呼ぶことはあっても、
彦左衛門が「家光さま」と呼ぶことはなかったのです。
「殿」とか「上様」と言ったのでしょう。
また、家光が「家光」と自称することもなっかたのです。
強いて言えば、「家光」と自称するのは、家康と天皇の前でくらいでしょう。
名前を呼ぶ、名前を付けることは、
そのものを支配することを意味したのだと思います。
現在でも「名を名乗れ」と言うと
脅迫めいた感じがしますよね。


奥さん 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月 8日(水)05時36分41秒

 きこさんへ おたずねします。

 妻はね、外面は、なんと と 感心します。
内面も、外面 もね、同じにならない門でしょうか。


つれあい 投稿者:keko  投稿日:11月 7日(火)01時20分14秒

自分の夫は夫でいいんですが、
相手の場合とか、他の方の場合ほんと困ります。
だれだれさんの夫とか言ったりしてますけどね。
つれあいもいいんだけど、他にはないんですかね。
あまりこだわるといやな顔されたりして。


(無題) 投稿者:Vita  投稿日:11月 6日(月)22時15分58秒

上の事は、Y子さんからのご要望でしたw


ちゃちゃ 投稿者:Vita  投稿日:11月 6日(月)22時13分25秒

先日、らくりんさんのおつれあいを「おくさん」と呼んだら
「Y子と呼んで」ということでした。


私の故郷での呼びかた 投稿者:らくりん  投稿日:11月 6日(月)16時25分40秒

私の生まれ育った村は20年ほど前にダムで水没しました。
それで現在地に移転しました。
移転前の村では、同姓の家がたくさんあったので、
子どもでも大人でも名前で呼び合うことが多かった、
それも年齢関係なく呼び捨てが多かった
(今にして思えば、これってずいぶん時代を先取りしていたのかも)

あとは、姓では区別が付かないから屋号を使いましたね、
「せいし」とか「じろよも」とか「すけごろ」とか、
そういう屋号プラス
どこそこの「とっさ、とうちゃん」「おっか、かあちゃん」
「いね(自分の妻を指すときによく使われたように思う)」
「ねえさん(結婚した女の人は、年齢の上下に関係なくたいがいこの呼び方で
よかった。ただ、主婦を引退した人には言わなかったかな)」
「あにき(長兄)」「おじ(次男)」
「ばあ、ばあさ」「じい、じいさ、のんな」
「ぼう(男の子)」「があ、めえろ(女の子)」などなど、他にもいろいろ、
なんかなつかしい。
そんな小さい村では、みんな顔見知りでしたから、
あまり呼び方で困ることはありませんでした。

関係や状況によって、こんな多様な言い方をうまく使い分けていました。

そうそう、私の村は一人称は「うら」(これは小松あたりではけっこう一般的)で、
二人称は「わい」(関西弁と逆)でした。
ちなみに、となり村では一人称は「ぎら。ぎゃあ」でした。

それから「あなたの家」のことを「わがえ・わがい(我が家)」と言いました。
関西の人が相手の人を「自分」と言うのとにているのかも知れません。


相手の配偶者 投稿者:大悲  投稿日:11月 6日(月)11時45分02秒

これって本当に難しいですね。
自分の配偶者のことは、姓を言いなさいって教わってそうやってたんですが、ネット上では「アイカタ」夫婦漫才のアイカタですわ、別れても仕事では一緒にしなくちゃならない事も多いからね。
友人でSOHOやってる人は、ご主人は自宅兼事務所にいて、奥様は外で仕事してらっしゃいます、でもやっぱり奥様って言っちゃうの、「奥サいねけどもな(奥にはいませんが)」って笑われてしまいます。
私のまわりでは「とうさん」「かあさん」が多いかな
お宅のお父さん、えのかっちゃ、なのおっか、


「つれあい」 投稿者:らくりん  投稿日:11月 6日(月)09時18分53秒

配偶者のことを、呼ぶのに何といったらいいか、これはかなり難しい。
(自分配偶者も、他人の配偶者も)

「奥さん」←→「檀那さん」「ご主人」:相手の配偶者を指すとき
「家内」「愚妻」←→「主人」「宅」 :自分の配偶者を指すとき、
「女房」「かみさん」←→「亭主」  :両方使えます
これらはどれも「主従関係」的な意味合いが入っているように思います。
これまで「奥さん・ご主人」と呼ばれること、「ご主人・奥さん」と呼ぶことに
抵抗を感じると言ってくれる女性・男性に少なからず出会って来ましたので、
あまり使わないようになりました。

「妻」  ←→「夫」
はあまり「主従」の意味合いがあまりありませんが、文章に書くときなら
いいのですが、会話のときはちょっとかたい感じがします。
それでも「私の夫」「私の妻」ならまだいいのですが、
相手の配偶者を指すときに「あなたの妻」「あなたの夫」というのはちょっと
変な感じがします。

名前を知っている場合は、なるべく名前を呼ぶようにしたいのですが、
名前を知らない場合もありますし、
そんな時、私は「あなたの奥さん」よりも「あなたのおつれあい」
という言い方をする方がいいかな、と思います。
他には、大悲さんが時々使う「あい方」、
あるいは「そいあい」という言い方をする人もいました。ちょっとなつかしい
語感があります。

また、
それほど親しくない人と話していて、男の人がいきなり相手の妻の名前を
「ところで○○子さんは……」と言い出したら、
その逆で女の人が男の人を名前で呼んでも、
意味あり気で、ちょっと変ですよね、日本では。


毛 坊主 さんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月 6日(月)05時24分58秒

 NTT には、年間27万件の苦情が寄せられます。
その一つ一つを取り上げて検討しています。

 まじめに取り上げて行かなければいけません。しかし、104 に夜中かけて愚痴る子として欲しく
亡いのです。 子供の 夜の救急病院の問い合わせが遅れるのです。

 朝日通信 の 下請け7件してもね、なかなか 採算がとれないのです。
実際赤字なのです。でもね、みんな 明るいのです。

 雪のふる季節には、社長に断って12メートルのバケット車を借りて 電飾を飾るのです。
ぼらんてあー なのです。本当にそのことを話す時の彼は生き生きしていますよ。

 息子は やくざの 会社だと 言います。よくアメリカが税金でやったことはね、国民に無料で
提供している。と言います。日本もそうすべきだと、言います。

 私は、反論は出来ません。しかし゜、現実を見極めて欲しいのです。まだまだ日本は、
ぼらんてあー 後進国なのです。

 ぼらんてあー では、給料が支払い出来ないのです、。そこが つらいとこなのですね、所長
 


葬儀 投稿者:松田 幸造  投稿日:11月 6日(月)05時02分06秒

 お参り する。だれにも遠慮せず出来ます。会えなかった人にも会えます。
そんな機会を与えてでも、聞いて欲しいのです。

 宜しく、宜しく、よろしく、 御願いします。  
                        念仏販売 担当 より


質問。 投稿者:Jun  投稿日:11月 6日(月)00時46分53秒

「連れあい」って意図的なのですか?

女性差別の問題なのでしたら、不勉強ですみません。

正史二十四史では、異端ですよね>三国志。


今日、青木悦さんが来ました 投稿者:らくりん  投稿日:11月 5日(日)20時54分39秒

今日、連れあいの呼びかけで青木悦さんを囲む会がありました。
(知る人ぞ知る、知らない人は知らない)
最近『アスファルトのたんぽぽ』(坂本鉄兵事務所)の続編で
『孤独な、なかよし』―あいつぐ「事件」に思うこと―
という新刊が出ました。
ただ、どちらも自費出版に近いような形での発刊なので。
出版ルートに載っておらず、直接の取り寄せになります。
『孤独な……』は、5冊ほど在庫がありますので、メールいただければ送ります。
もしくは、取り扱いの連絡先をお知らせします。

『真宗』誌上の連れあいとの対談とか、
2年ほど前に教区主催の講演会にお願いした頃時からのご縁です。
昨日、近くで講演会があったので、今日うちに寄ってもらうことになりました。

20人ほどの30代から50代ぐらいの女の人たちが集まって、
話し合っていたようです。
「ようです」というのは、男が一人でも交じると
話し合いの雰囲気や内容が変わってしまうかもしれないということで、
青木さんの連れあいさんが遠慮するとのことでしたので、
私も出席を、見合わせました。

駅まで送っていく車の中で、ちょっと聞いただけでも、
いろんな話が出たようでした。

他に
『人間をさがす旅』(民衆社)
『「子どものために」というまえに』(けやき出版)
この2冊は書店から取り寄せることができるはずです。
『いま、子どもたちのいるところ』(東本願寺出版部)

大悲さん、ご存知かも知れませんが、
もし存じなければ、いずれもお薦めです。


子煩悩具足<Maroさんより拝借 投稿者:大悲  投稿日:11月 5日(日)15時24分31秒

観経序分を「現代の聖典」と選んだ流れは全くわかりませんが、虐待がクローズアップされている今、決して別世界の問題ではなくなっていると思います。
一昔前の世代だと、母性は本能で、子供を可愛く思わない親がどこにいる。と思うかもしれませんが、本当に大事な問題です。
私は、イダイケとビンバシャラが「お人よしの善人」だとは思っていません。
民生委員とか、児童相談所あたりで話をすると、かなり現実問題として聞いてくださるのではないかとも思ったりして、
少なくとも、話を聞いてみると、子供を可愛く思えないお母さんは、子供を可愛く思えない事に傷ついている、あるいは子供も可愛いんだけれど遊びたい自分の気持ちを抑える事ができない。
それでもね、子供に「未生怨」なんて名前をつけるのって凄く象徴的に感じるんです。
子供に「悪魔」って名前をつけた人が話題になった事がありましたね。
その人も、決して子供を憎んで「悪魔」ってつけたんじゃないとは言ってましたが、本当のところはわかりません。
今「ハッピーバースデー」というアニメ映画の上映会の実行委員になって、HPを作成しようとしています。お母さんに否定されて声が出なくなってしまう女の子のお話です。


美川の会 投稿者:らくりん  投稿日:11月 5日(日)11時14分07秒

「信巻」に入って、3か4回目でした。
これまで題号、『教行信証』の中における位置づけ、信巻の構成と
(3回やったということですね)
中身に入る前の話でしたが、
今回から「別序」に入りました。

その前に、坂東本にだけある「悉知義の文」について考える上で、
〈さんぽみち:http://www.tcup4.com/439/m38miharu.html〉での大悲さんと
『観経』を読む上でのイダイケの人間像をどうみるかというやりとりしたから
触発された問題を導入的に考えてみました。
「悉知義の文」は、親鸞が意図的にあそこに置いたのか、たまたま偶然にあそこに
あの文が残ってしまったのか。それはわかりませんが、
親鸞があの文言に注目して抜き書きしたことはまちがいありません。
あの文言は阿闍世の罪意識がどこから出て来たかということをおさえている
内容ですから、やはり罪の意識と救いを求める心との問題に大きな関心を
寄せていたことは間違いないだろうと思います。

善導が、お人好しの善人が、息子から反抗されて初めて苦悩に直面したという
イダイケ像で『観経』を読んだとしたら、
「自身はこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没室寝に流転して、
出離の縁あることなし」というような
「機の深信」なんてこと言い出しますかね?

やはり、善導の「序分義」は、『観経』の経文からは窺い知れないイダイケ像を
描いてたことにどういう意図があったのか。
あれは悪く言えば、イダイケの過去を暴いているわけですからね。
その因縁をふまえない限り、
イダイケがすくいを求めたことの意味がはっきりしない、
つまり『観経』を仏説として読むことはできない、ということなんじゃないかなぁ。

父親を殺したアジャセと、我が子を手にかけようとしたイダイケです。


馬脚 投稿者:らくりん  投稿日:11月 5日(日)00時21分31秒

三国志:教養のなさがすぐに現われてしまいますね。
これで、道教とか儒教とか、古代中国思想の問題に立ち入った
本を出そうというのだから、苦労するのは当たり前ですね。
第五巻はそんな話がけっこう出て来ます。


ぶつぶつ愚痴です 投稿者:毛坊主  投稿日:11月 4日(土)21時53分39秒

ご無沙汰している間に、ふと見れば10000カウント超えてます。正直驚いています。
掲示板の書き手の自己責任が問われる気がします。心しなければ、と言いながら又又・・

今年が、我が組、名古屋教区指定の『推進員養成講座』の本校座の年で、年6回
『現代の聖典』をテキストに、講座を開催してます。以前にも書いたかも知れません
が、安易に現代のマスコミ報道の興味本意の事件や事象に結びつけられ、語られる
気がしてなりません。まあその方が分かり易いかも知れませんが?。王舎城の悲劇
が、あまりにも全面に出て、韋提希の深層心理と言うか心の葛藤と悩みそれが多く
語られない気がしてます。

推進員養成講座に参加されている、ご門徒さんも、多分『王舎城の悲劇』は物語り
としては、それなりに興味を持たれるかも知れませんが。・・・何か満たされない
虚無感、消化不良。そんな思いをもたれたのでは、2回ほど『推進員養成講座』を
開催した感想です。なかなか上手く表現できませんが、小生の率直な感想では、
『王舎城の悲劇』は、こうした講座のテキストには、良いのかも知れませんが、
これを、大上段に掲げて『現代の聖典』そこまで言う必要があるのか?。そんな
疑問を持ちます。語る僧侶とお聞きになる、ご門徒に、何か溝がある様で・・・

数1000年前お釋迦さまの時代の国王と妃の物語、現実離れした世界の出来事と
しか受け止められていないのでは・・・そんな気がしてなりません・・・

数千年前に、蜂蜜なんど手に入れる事ができたのはほんの一握りの特権階級
の人に限られるのでは?。あるは現代に置き換えれば昭和天皇が、一番印象
に残った事は?。そんな記者会見で「英国に行き、自分でお金を出してキップ
を買って、地下鉄に乗車した事」そんな記事を読ん時、小生など「???」
と絶句しました。世離れした、雲の上の世界。多くの国民のそれが第一印象では
ないのか?。そんな事を無意識に、この物語を聞かれたご門徒の方は、思って
おられる気がしてなりません。あるは、この「現代の聖典」と宗門の靖国・天皇
問題をどう位置づけ、語るのか?。そこがまだ小生には、解らないのだが・・

特にご門徒と共に寺を開くそんな主旨の「推進員養成講座」では、どう納得して
もらうのか?。あるは深読みしすぎかも知れませんが、僧侶自ら、本音では、
国王&王妃の物語を話す(テキスト)事に、無意識に特別な人そんな潜在意識が
あるのかも知れません。何か小生なども、この物語を語る時には、何となく白々
しさと虚しさを感じるのだが・・・・

30数年僧侶も語り、門徒も聞き続けてきたのだが、某地方では、上寺・下寺と
着席場所まで決まっているとか。折りにつれて、名古屋でも新寺・旧寺。そんな話
しが聞こえて来る現実。どうしても、その事が小生には、大きくのしかかっています。
あせらずに、目に見えない歩みでも、自分のできるところで、少しづつ行くしか
ないかも知れませまん。どんな『観経』のビデオになるのか?、楽しみな気がします。

フレッッINSDに入りました。これで幾分通信料が助かります。家内に文句を言われなくて
済みそうですが・・・寺の電話て業務用で基本料金徴収されている様ですが、これはNTTの
判断で決まると聞きましたが、2回(本)線の場合1回線(別電話)は、住宅(個人)用
として認知されているのかな?。。別棟の庫裏(住宅)に電話を引く場合には?どうか?
使っない電話(権利)があるのだが、住宅用の基本料金だったら、もう1本自分専用回線
が欲しい。考えてみれば業務用・住宅(個人)と基本料金が異なるのも、おかしな事なの
だが・・・・携帯電話は、そんな区別はないのだが・・どうなっているの


三国志 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月 4日(土)19時09分45秒

『三国志』は歴史書で、『三国志演義』は小説ですが、
「志」を記すという意味合いからか『三国史』ではなくて、
『三国志』と表記されています。
読者は劉備の志と重ね合わせて書名を受けとって読んでいたのではないでしょうか。
前に柴田錬三郎さんのは読みましたし、ファミコンでもやっているのですけど、
吉川先生のは遠慮していたのです。
今回読んでみて、やはり面白いのですけど、背中がこそばゆくなるところがあって、
よりリアルな北方さんのを読んでいるというわけです。


お留守居役様さん 投稿者:らくりん  投稿日:11月 4日(土)13時27分39秒

『三国史』ですか。
いつかは読んでみたいとは思っていますが、いつになることやら。


いろいろです 投稿者:らくりん  投稿日:11月 4日(土)13時25分32秒

毛坊主さん
お久しぶりです。
報恩講がこのシーズンに行なわれるのは、やっぱり秋の収穫が終わって
一息ついた時期だからだったのでしょう。だから、時間的な余裕もたっぷり
あった。そんなゆったりした時に、じっくりと三昼夜とか五昼夜、七昼夜
という報恩講ができたんだろうと思います。
ところが今はみんなあまりにも忙しすぎるのと、繁・閑のメリハリがなくいつでも
だらだらと忙しい。
そんな状況で三日も四日もお寺の本堂に座っておれる人は少ない。
どうかすると、午前・午後報恩講のために時間を使おうとする人さえいるかどうか
ただでさえ少なくなった、おまいりの人が何日にも分散されて、
よけいにさびくしているようなものではないでしょうか。
報恩講は、短期間でもわっと集まって、非日常的なちょっと賑やかしい
雰囲気の中で法話を聞かせていただくのがいいように思います。
私のところは、お寺が移転したので、門徒さんがバラバラになってしまいました。
年に一度、報恩講前の、おみがき&大掃除&総会と報恩講の時だけ
離れ離れになった人が大集合するので、みなさんそれなりに楽しみにして
下さっているように思います。
ただ、代替りしてしまうと、昔の村の共同体意識のようなものは
薄れてしまいます。
その代わり、現在地で新たなお付き合いも始まっています。
ですから、けっこういろいろな人が来て下さいます。

もれ聞こえるところでは、『観経』のビデオは、業者の選定も終わったようです
話が進んでいるようです。
ただ、やはり『現代の聖典』がベースになっていて、
序分の王舎城の悲劇の部分だけがクローズアップされたものになるようです。
『読み解く』第四巻にも書いたように、
私は、それでは『観経』を読んだことにならないと思っているんですがね。

Vitaさん、
お説教は、聞いて下さる人の聞く力を信頼するんです。
と、他人のことは気楽に言えます。
どんなに「りっぱな」「けっこうな」「むずかしい」話をしても
聞く人は、自分の器に合わせて聞くということがあります。
本当は、その器を一度壊してしまえるような出会いになるといいんですがね。
一方的な語りかけでは、なかなかそこまでは。
いずれにしても、
私たちは、できるだけのことをした上で、
あとは
阿弥陀さんのお仕事が実を結ぶのを待つのが仕事なのですから、
あせらず、あわてず、あきらめず。


報恩講 投稿者:大悲  投稿日:11月 4日(土)10時14分09秒

>毛坊主さん
坊守さまが、お一人で準備とか、うちもご門徒のお手伝いはありません。住職と坊守と、私の3人で準備します。お斎は、私が来る以前から仕出屋の弁当になっていました。昔は脇寺でお皿、お膳を共同にしていたので、そのたびに借りに行っていたそうです。
10年前からお逮夜を始めました。こっちは、ご門徒ではなくて、ずっと聞いていてくださる方が中心です。
やっぱり三明先生で持ってるんだなあ、と無力感をかんじてしまいます


欠席届 投稿者:Vita  投稿日:11月 4日(土)07時32分27秒

美川の会。法話の前日は、プレッシャーに押しつぶされそう。m(__ )m


報恩講絵解と節談説教 投稿者:毛坊主  投稿日:11月 3日(金)23時24分07秒

報恩講たけなわの季節です。自坊の報恩講を半日だけに短縮してもう10年近く
になります。住職の怠慢かも知れませんがそれまでは、少なかった参拝の方も、
短縮したおかげで、少しずつ増えてきました。あまり増えると、おときを作る
のが大変で、昔ながらの、お膳を出してきて、門徒さんのお手伝い無く、寺族
(家内)がほぼ一人で、準備や、おみがきをしています。その意味では大変です。

毎年、つたない報恩講の法話(?)を、小生がしてます。最近小生は、やはり
自坊の報恩講では、あまり普通の法話でなくて、何かイベント的なものが、良い
のではないか?。そんな気がしてきました。

年に一度『伝絵』を出すのだが、何が描かれているのか、多く門徒の方は、多分
ご存知ない。そんな気がして、今年は、絵解でも。来年は、21世紀の最初の
報恩講で節談説教を!!。そんな事思ってますが。

でも、我が宗門、正式には、『絵解』も『節談説教』も御法度(禁止)。そのお触れが
生きているのではなかろうか?。宗派で、絵解や節談のVTRなんか作ればいいのだが
某メーカーのVTRしかない。そう言えば、『王舎城の悲劇』のVTRも、お西を使った。
教研で作る話を聞いていましたが、どうなったの?。蓮如物語の件もあるし・・・

絵解や節談説教が、認知される日が来るのかな?。高木さんに『ごめんなさい』を
言うに100年かかった教団。多分200年後には、認知されるかも知れない??。
もうその時には、伝承し語る真宗僧侶は一人もいないのかも知れない。そんな危惧
をふと思う報恩講のシーズンです。


http://www.jiin.or.jp/


近況 投稿者:お留守居役様  投稿日:11月 3日(金)13時42分02秒

『三国志』
しかも吉川英治先生の全8巻と北方謙三さんの全13巻を同時に読んでいます。
合間に哲学関係の本を読んだりしながら、
頼まれた小雑文を執筆したりもしています。
そんなわけで、『読み解く4』の後半部分を読めない状態です。
精神状態の良いときに集中して、
大切に読みたいと思っています。
こんな状態なので『読み解く5』の出版の遅れを
歓迎?しています。
ともかく梅原猛さんが新刊の「法然の哀しみ」で、
親鸞に言及している部分だけでも
早く読んでしまいたいと思っている今日この頃です。


久しぶりに芝居を見た。 投稿者:くまごろう  投稿日:10月31日(火)17時55分13秒

芝居の実行委員会みなさん、ご苦労様でした。
そして、よくぞ、この芝居を金沢までもってきてくれました。ありがとうございます。
私は、自宅を6時過ぎに出たもんですから、開演には絶対に間に合わないと思って
車を飛ばしたのですが、何とか開演直後にはいることができました。
少し気になったことがあります。芝居の性質上、資料として写真を撮られるのはしかたが
ないと思いますが、ストロボなどを極力やめてほしかった。集中力がそこでとぎれます。
劇団側が許可しているのかと思いますが、どうでしょうか。

芝居を見てから、車に乗って帰っていく私、芝居の中のことはそうだそうだと共感したつ
もり、しかし、現代社会にはまりこんでしまっていて、いろんなことを忘れてしまって
いることに気がつかされたとき、愕然としてなにもいえなくなりました。
救われない、私がここにいました。


ライブ 投稿者:らくりん  投稿日:10月31日(火)10時48分39秒

JUNさん
ほんとうによかったですね。ご苦労様でした。

かなりシリアスな内容の芝居だったので
券が売れるか、観に来てくれる人がいるかとずっと心配でしたが、
当日受付で、前売券の精算の仕事をしながら、
関わってくれた多くの人が、
苦労しながら一枚とか二枚の券を売ってくださったこと、
一人、二人と誘って来て下さった感じが伝わって来ました。

打ち上げも盛り上がったし、
とてもいい感じの実行委員会になったと思います。

何よりも、
主演の横井さんがおっしゃっていたように、
開演早々、会場が水を打ったような緊張感に包まれて、
それが最後まで途切れなかったのがよかった。
(心配した携帯も鳴らなかったし)
内容云々以前の問題として、そういう雰囲気の中に身を置けることが、
生の芝居やコンサートの醍醐味じゃないかと思います。
もちろんそのためには芝居の中身も大切です。
(生物だから、同じ芝居でも、そんな感じになることは少ないかも知れません)

私は、去年もこの芝居を観ていたので、
内容が重い、いろんな問題が盛り沢山すぎる、
それから、演技や台詞にちょっとこなれがよくないかなと気になる点があるなど、
正直言って今回は芝居自体には、それほど期待していませんでした。
でも、それはよい意味で裏切られました。
まあ、スタッフとして関わったのと、観客として足を運んだだけという、
関わりの度合いの差かも知れませんが……


楽しかったです『再会』金沢公演終了。 投稿者:Jun  投稿日:10月31日(火)04時51分12秒

 本当に最初は軽く考えてた『再会』ですが、たくさんの人が来てくれて本当に
嬉しかったです。私自身は何もできませんでしたが、今までの浄土真宗大谷派の
集まりだけでなく、他の学校の先生方や、障害を持った施設の方、色んな人との
新しいつながりができて、嬉しかったです。

 これからも、色んな集まりの人たちとコラボレーションしていけたらと思いま
す。そう言った垣根を越えたお付き合いをよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございます。


念仏販売 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月31日(火)04時43分25秒

 らくりんさん、私も生きたかった。お念仏が
全国の人に こおーり かついでの 販売
 
 全然売れません。やはり、岐阜と、青森、山口、九州、北海道、でも行かないと売れないですね。


「再会」金沢公演終了 投稿者:らくりん  投稿日:10月31日(火)00時52分25秒

ただ今懇親会を終えて帰ってきました。
雰囲気的にはほぼ満席という感じでした。
空席がちらほらでした。
それでも、
きちんと数えると、客席数の7割5分の入りですが、これだけは入ると
だいたい、印象としてはほぼ満席に近い感じになるということです。
いろいろとご協力ありがとうございました。


らくりん さんへ 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月28日(土)16時38分38秒

 涙は人をだまくらかす、道具にもなります。

解っていても女にはだまくらかされるのです。
日立の営業の人が言っていました。交換機ヵって貰うときは、今月売り上げないと、一家ろとう
に迷うです。と涙流すのだと聞きました。


“Sting” 投稿者:らくりん  投稿日:10月22日(日)09時21分04秒

どれも相当キザな言い回しだとは思ったんですが、
歌の題名か歌詞だったんですか。納得です。

下の説明でだいたい飲み込めました。

こんな時、日本語だと「目」が奪われるようですが、
英語だと「息(breath)」がとられちゃうんですね。
でも、
Every little thing she does is magic.の方は目が釘付けって感じですか。

もっとも、日本語にも「息が苦しくなるほどせつない」なんてなこともありますから、
なんとかの病いは、いずこも同じってとこですか。

“Sting”(詐欺,詐取,ぺてん)で私が思い出すのは映画です。
ラストで大どんでん返しがあったことが印象的です。

よくわからなかったのですが、
ちょっと洒落た文句だと思ったので尋ねてみたかったまでです。


ごめんなさい。 投稿者:Zazie  投稿日:10月22日(日)02時27分53秒

 ちょっと、荒らしと取られかねない表現でしたね。
なんか、最近自分の、誰にも言えない事を、ここで吐露してるような。そんなつもりで。
”王様の耳はロバの耳ーっ”て感じで、ご迷惑をかけて本当にごめんなさい。

STINGはTHE POLICEという80年代イギリスを代表するバンドのヴォーカルでした。その代表曲
がEVERY BREATH YOU TAKEという曲で、あなたの全てを見つめていたい、という内容でした。

そして1984年THE POLICEが解散して、STINGがソロで発表した曲がIF YOU LOVE SOMEBODY S
ET THEM FREEというジャジーな曲でした。好きになった人を自由にしてあげなさい、という内
容が、それまでの曲と正反対であったので、私は混乱しました。高校生の時です。

好きな人に対する束縛と寛容、最近自分の周囲に起こった事を、誰にも言えないところで、書
いてしまいました。今後気をつけます。


10000 投稿者:お留守居役様  投稿日:10月21日(土)11時31分14秒

すいません(._.)ペコリ
σ(^^)でした


もうすぐ大台 投稿者:らくりん  投稿日:10月21日(土)11時24分52秒

あと2人で、1万ヒットの大台です。

記念品はありません。


それならそれで 投稿者:らくりん  投稿日:10月21日(土)08時49分15秒

もう少し「どう読まれるか」ということを意識してお書きになっては、
と思います。

誤字、脱字、誤変換が目に余る書き込みもまだまだ目につきます。
わざとそのようにされているのかも知れませんが、
読む方としてはあまり気持ちのいいものではありません。

「投稿」をクリックする前に、1度、いや3度ぐらい読みなおして下さったらと思います。


念仏相続 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月21日(土)07時29分30秒

 念仏相続
 救われた自分の喜びを聞いて欲しいのです。如来の呼び声を共に聞いて欲しいのです。
他はなにもありません。


悪しからず 投稿者:らくりん  投稿日:10月20日(金)20時20分51秒

松田幸造さん、
貴方が、近ごろここやその他一部の掲示板で書かれていることは、
単なるマザコンのすけべおやじの戯れ言の類いが目につきます。

崖に立ったぐらいで自分が磨けて、違う人間になれるんなら、
ちょっくら東尋坊の崖っぷちでも覗いて来られたらいかがですか。
そんなことをしても、
マザコンも、すけべも、暴力も、これっぽっちも退散しないのでは?

そんな人間を、漏らさないというところに浄土教の一番の眼目があるのでは
ないでしょうか。

ですから私は、
松田幸造さんが言うような形での
「母の涙」や「崖っぷちでの自己研磨」なんかを、もちろん「天国からのお使い」も
必要としないのが、浄土の教えであると、私は受け止めています。


映画の台詞? 投稿者:らくりん  投稿日:10月20日(金)13時48分57秒

Zazie さん、
どれも映画の台詞か何かのような
ちょっと、すてきな言葉ですが、
意味不明でもありあります。


小道具 投稿者:らくりん  投稿日:10月20日(金)13時45分48秒

松田幸造さん
私は、
危険な崖に立って磨いたような自分とか、
涙を流したぐらいでわかりあえる
というような話は、あまり信用していません。

「天国」の母上の代わりとして「仏の使い」というのも、ちょっといただけませんね。

「涙」は人をだまくらかす時の一番の「小道具」にもなり得ます。

それに、私は、親鸞聖人に「涙、涙、のお誘い」というようなものは微塵も感じません。


万人を救う涙 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月20日(金)06時17分43秒

 涙を流した人ほど分かり合えるのですよね。子供が悪い道にそれたとき教え悟らせるときは、
母親は、涙 出しながら、言い聞かせるのですよね。母のいない子に、私が貴方の母の代わりに
仏の使いなんですよね。天国の母の使いなんですよね。 涙、涙、のお誘いなんですよね。


Every little thing she does is magic. 投稿者:Zazie  投稿日:10月19日(木)00時20分31秒

”Every breath you take.”

”If you love somebody, set them free.”

「Sting」はどっちが本当の気持ちなんだろう。


人妻との不倫?るね。 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月17日(火)06時35分31秒

 間違えました。でも 人
愛することと 、救うとは、いつも、女人に引きずり込まれ、助けられている自分です。

 危険な がけ に立たないと 自分は、磨けないのかなー。 

 やはり、らくりんさん、女が好きです。 多津湖の葬儀でも、旦那さんの前で多津湖が好きだったと言ってしまいました。 子供の頃多津湖はね、よく 女のこと教えてくれました。


ときめき 投稿者:らくりん  投稿日:10月14日(土)21時38分20秒

そんな感覚、このところはずいぶんごぶさたしている感じです。

うらやましい限りです。大切に味わって下さい。


ちょっと、嬉しい。 投稿者:Zazie  投稿日:10月14日(土)01時18分32秒

 でも、またちょっとした事で舞い上がっちゃうんですよね。

そういう時は、人を好きになる事がとても楽しいです。

なんか、宗教的な話じゃなくてごめんなさい。


恥ずかしながら 投稿者:大悲  投稿日:10月12日(木)09時37分14秒

充分です。有難うございます。
チベット訳は、始め坂東先生と白舘先生がやってらして、坂東先生が退職されてからは、アイカタがいっしょでした。でも、聞けないの、


残念ながら、 投稿者:らくりん  投稿日:10月12日(木)00時38分29秒

あまり詳しいことは知りません。
私の書棚にあるのは、英語訳が二種類だけです。

ドイツ語、フランス語訳はあったと思います。
フランス語は、ジャクリーンさんが読んだのは英訳ではなく
確かフランス語訳だったと思います。

大谷大学の白館先生が、チベット語の翻訳を始めたというのを、
かなり前に聞いたことがあります。

中国語訳をしたいと言っている人の記事を仏教タイムスで見たような記憶がありますが、
それがどうなったかは知りません。。

ボルトガル語は、南米開教との関連であるのではないかという気がします。

エスペラントはどうかな。ちらっと聞いたような聞かないような。

これ以外の世界の言語で思いつくのは、スペイン語、ロシア語、アラビア語
イタリア語、ギリシャ語、トルコ語、タイ語、ベトナム語、マレー語、ポルトガル語
……、
これらの言語に歎異抄が訳されたという話は聞いたことがありません。

あまり、はっきりしたことが言えなくて申し訳ありませんが、
私が言えるのはこの程度です。

この手の話に詳しいのはきっと、教研の西田所長だろうと思います。
西田さんの、
歎異抄に関する文献のコレクションと文献目録はかなりのものだそうです。
正確な情報が必要ならば、そちらに問い合わせるのがいいのではないかと思います。


実は 投稿者:大悲  投稿日:10月11日(水)20時40分53秒

あるところでお話をさせていただくことになったのですが、主催者が、主催者系列の他所でやった講座案内をコピーして配っちゃった(・・;)、もちろんOKしたのは私です。
OKした以上知らん振りできませんから・・・。
おお情けなーーい、


いまさら聞くのもなんですが 投稿者:大悲  投稿日:10月11日(水)20時37分10秒

質問です。外国語に翻訳された『歎異抄』は、何ヶ国語有りますか。
本になってるのと、例えば機関誌などに掲載されたものなどがあると思うのですが、
手に入れられる物をご紹介ください


ニューフェイス 投稿者:らくりん  投稿日:10月10日(火)09時12分06秒

Junさん、初登場ですね。
くまごろうさんとJunさんと、続けて、ニューフェイスが登場して下さいました。

二人ともROMしてくれていたみたいですが、恥ずかしがり屋でなかなか姿を
現しませんでしたね。

まあ、これに懲りずにちょくちょく書いて下さい。

Junさん今日の、『再会』事務局会、お待ちしています。


ごかやまの合掌つくり 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月10日(火)06時04分03秒

 妻と久々にドライブです。高速道路ですぐつきます。富山から高速代金2000円はいたいが。
こちらは、9日は、県知事の選挙で、自民党の圧勝です。しかし74歳とゆう高齢が気になります。
 だれか、若い後継者いないもんですかね。む。
五ヶ山は、天気雨でもたくさんの観光客がきていました。山菜うどんを食べてふと見ると、日立の柿もとさんの現場事務所がありました。思わず車を止めて中へ、あ、妻が角が生える くわばら々
 
 農協の事務所も あすふあると 前とゆうのにね、まだ穴掘りしていました。た。インターホンはね、ついては、、えーてーえむ は、これからかんかな、政府のご命令でケーブルテレビの引き込み工事はね、−−−−−******。

 周りにはねスーパー スタンドが、あり、****事務所が、ありますね。
私には、川沿いの一本道がありがたいですね。なびわね。周りの施設を調べるのに便利ですよ。

 森林浴もいいですね。きこ さん も 一度お多津ねください。亡くなった多津湖 さんも喜ぶと思います。


14日は 投稿者:keko  投稿日:10月10日(火)01時39分19秒

報恩講前ですから無理ですね。
またの機会に伺いたいと思います。

講師の件はちょっと言ってみただけです。
お願するときは住職と伺います。
そのときはよろしく。


あー、残念。 投稿者:Jun  投稿日:10月10日(火)00時06分09秒

 報恩講行けませんでした。せっかく奥様からお誘いのメールまでいただいたのに...。
阿満先生のお話も楽しみにしていたのですが、これだけで終わらないと信じてお付き合いを
お願いします。

 「おやまごぼう」にちゃんと『再会』の記事が載りました。紙面の都合でひょっとしたら
載らないかもと、編集委員のくせに不安でした。明日の事務局会議には出れそうです。よろ
しくお願いします。

 あー、はやくビデオみなくちゃ。

それでは、おやすみなさい。


くまごろうさん 投稿者:らくりん  投稿日:10月 9日(月)20時23分09秒

ここでは、はじめましてですね。
ようこそ。

お参り下さいましてありがとうございました。

こんごともよろしく。

ついでに、お知らせですが、今月の三川の会の日程が、前にお知らせしたのとは
変更になりました。
今月は10月22日(日)です。


おじゃまいたしました。 投稿者:くまごろう  投稿日:10月 9日(月)11時59分19秒

らくりんさん、昨日はありがとうございました。
阿満先生の話は、心地よく耳に入ってきまして、その心地よさが眠気を誘ってくる
というような感じです。その時に先生から「眠い方は寝てください」というようなことを
いわれまして、びっくりしてしまいました。
本当に、ますます阿満先生のファンになってしまいそうです。

え、お前は誰だ、ということですが。松任に生息する、私です。


kekoさん 投稿者:らくりん  投稿日:10月 9日(月)09時34分06秒

ネットの上で、法話とか講義の受け付けを始めると
どういうことになるかちょっと想像がつかないので、
そういうお話しは個別にお願いします。
悪しからず。。

今月の18日は、仙台へ行くことになっています。

京都へは、14日朝、専修学院岡崎学舎の、同朋講座にお邪魔することになっています
山科学舎で9:30分からです。


報恩講 投稿者:keko  投稿日:10月 9日(月)01時18分50秒

18日、お逮夜一座だけです。
>とにかく、住職と坊守が、お寺のおもてなしは「お説教」が何よりの「ご馳走」
というのを方針にして、簡単にできるところはかなり思い切って簡単にして
きたようです。

なんか簡単にだけしているようで恥ずかしい。
法話、らくりんさんにお願いできないかしら。


Vitaさん残念でした 投稿者:らくりん  投稿日:10月 8日(日)18時00分47秒

一年で最も重要で、最も大きな行事が終わりました。
Vitaさんがお見えになるかと、入り口のほうが気になりましたが、
お見えにならないので、急用か、法事でお酒を呑まれたのかな、などと
思っておりましたが、残念でした。

先ほど、阿満さんを小松空港まで送って帰ってきました。

あちこちからたくさんお参りくださり満堂になりました。

熱心に聞法されている方々が元気をいただくようなお話しでした。


(無題) 投稿者:Vita  投稿日:10月 8日(日)08時04分46秒

己の予定さえ、ままならぬ身分かあ。。。
折角、Yさんに地図まで送っていただいたのに、うかがえなくなりました。
非常に残念です。


阿満利麿先生 投稿者:お留守居役様  投稿日:10月 7日(土)22時24分58秒

「法然の衝撃−日本仏教のラディカル」
を読んで衝撃を受けました。
日本仏教の歴史は、一続きのものと思っていましたが、
法然による旧仏教の否定があり、断絶している、と。

「宗教の力」
を読んで、平成6年12月に、
質問の手紙を明治学院大学気付で出しました。
日本人の他界観念を破壊したのは、中国文明か、仏教かというような内容でした。
それに対して
固有の他界観念を破壊したのは中国文明の政治思想が中心であり、
とくに現世の帝王の観念と考えています。
仏教は、むしろ妥協する道をえらんだように思います。
親鸞・道元らはインドというよりは
仏教の根本思想に直参したというべきように存じます。
というお返事をいただいて感激しました。

阿満先生によろしくお伝えくだされば嬉しいです。


報恩講 投稿者:大悲  投稿日:10月 7日(土)22時03分29秒

>京都にいる間に付き合った連中に鍛えられて、少しは呑めるようになりました。という程度です。
私のよく存知あげているお方もその一人に入っているのではなかろうか、と思うと申し訳ありません。私が、習慣的に飲むようになったのは、ココ2年くらい、それまでは、たまにしか飲んでいませんでした。子どもも小さかったですから。

>とにかく、住職と坊守が、お寺のおもてなしは「お説教」が何よりの「ご馳走」というのを方針にして、簡単にできるところはかなり思い切って簡単にしてきたようです。

いいですねえ、何よりと思います。うちは、もともと、下寺なので、今の住職が入寺した頃は、報恩講の導師も自分ではできなかった。と聞いております。登高座も御伝鈔もありません。
午前中だけでおしまいだったのを、私が来てから、お逮夜をお勤めするようになりました。うちのご門徒はお逮夜には、殆どおいでにならないので、午前中の1時間半だけでは勿体無いなあ、という気がしています。うん、お昼はお出しするんだから、酒を出さないで、午後もお話するようにしたらいいんだ。ちょっとそうだんしてみようっと、いそいそ


拙寺の報恩講 投稿者:らくりん  投稿日:10月 7日(土)17時56分38秒

逮夜が終わりました。今日は住職がお説教です。

そうですか、阿満さんはあまりお酒は召し上がらないのですか。
私も、大酒呑みというほどではありませんが、京都にいる間に付き合った連中に
鍛えられて、少しは呑めるようになりました。という程度です。

私の寺は、元あった村がダムで水没したために、
20数年前に現在の地に移転してきました。
門徒さんもバラバラです。
現在でこそ、近所に団地ができて、人の気配があるようになりましたが、当寺は
本当に田んぼの中にポツンと建っているような寺でした。

移転というようなことがあると、昔からやっていたことが、
一旦ほとんど途切れてしまいます。
両親がまだ現役ですが、この20年ほどの間に、当地に根づいてきました。
そして、いろいろと変えるこについても、かなり思い切ってできたようです。

儀式はみんなで一緒にが基本にしています。
最初は、登高座をやめ、
次に逮夜だけ法中も外陣で勤行するようになり、
勤行を、草四句目下げ、淘三にし、
そのうちに、満日中もすべて、全員外陣で、
同朋唱和するようになりました。

うちが、「よそもん」であったために、あまりまわりからとやかく言われても
あまり、気にしなくてもよかったのが幸いしたのかもしれません。

こういうやり方には、いろいろとご批判もあるかもしれませんが……
また、手抜きと言われても仕方がない部分もたくさんあります。

とにかく、住職と坊守が、お寺のおもてなしは「お説教」が何よりの「ご馳走」
というのを方針にして、簡単にできるところはかなり思い切って簡単にして
きたようです。


阿満さんは 投稿者:大悲  投稿日:10月 7日(土)09時32分28秒

酒もたばこも口になさらない、ビールをコップに3分の1ほどで充分というお方です。
最近深酒をしていないので、夜早く休みます。その分早起きできるかというとそうではないところが、だらしないのか、思い通りに行かないところなのか。
一献交わすのを楽しみには出来ませんが、語りあかしてくださいまし。(どっかーーん)


しかし。 投稿者:三吉  投稿日:10月 7日(土)08時17分33秒

こちらを紹介しておいた久留米の某氏は・・まだ出られないな。
待っているのに・・・。


想像(笑) 投稿者:三吉  投稿日:10月 7日(土)08時16分18秒

>どんな想像していたんでしょうかね。

なんとなく、わかるような気がする(笑)。


Vitaさん、大悲さん 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(金)18時46分27秒

当寺の報恩講は、午前中に同朋唱和で勤行してから、
8日は、午前・午後通しでみっちり法話です。
午後は1時30分からです。

8日は、午後だけでもどうぞ。

「南御堂」に写真が載ってしまったのを阿満さんに見られてしまい、
「想像とはちがっていた」というメールをいただきました。
どんな想像していたんでしょうかね。

7日の夕方からお越しになるので、一献酌み交わす予定です。


阿満さんから 投稿者:大悲  投稿日:10月 6日(金)18時02分49秒

先日おはがきを頂きました。夏に津軽においでになった時の写真の御礼。らくりん夫人からとっても刺激的なメールをもらって力づけられました。とか。うーーん、興味有りますねぇ、阿満さんもらくりんさんの所へ行くのを楽しみにされているご様子でした。いいなあ、


(無題) 投稿者:Vita  投稿日:10月 6日(金)15時35分49秒

午前中に法要があり、そちらにはお参りできないのが残念です。
八日の午後も、阿満さんのお話、ありますか?


そうですか 投稿者:らくりん  投稿日:10月 6日(金)08時58分09秒

……。
南無阿弥陀仏

明日、明後日は報恩講
8日には、阿満利麿さんがお越し下さいます。
楽しみにしています。


妻 への 暴力 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月 6日(金)04時14分13秒

  やはり、私が 悪いと思います。
でも、妻の過去の歴史を考えると、なんとなく、自分の母のことを
考える訳です。

 今日 6日は、母の命日です。なんで 左目から涙が出て、右目から 涙がでるんですかねー。


秘匿性ゆえの愚痴かな。 投稿者:Zazie  投稿日:10月 4日(水)01時07分27秒

 泣くという事を他人(ひと)に見せないと決めてこれまで生きてきました。

 自分が泣いてる姿を見せられる人がいるという事は幸せな事ですね。

レス不用です。


気になさらないで 投稿者:らくりん  投稿日:10月 2日(月)08時46分23秒

Zazie さん、
ぜんぜん、不愉快なんてことはありませんので、お好きにして下さい。
いろんな、出会い方があるのが、この世界なんですから。


どーしましょ。 投稿者:Zazie  投稿日:10月 2日(月)00時49分03秒

 別に私の素性がバレても、いっこうにかまいません。以前に「らくりんさんの知ってる人」
と書きましたが、厳密には「あーっ、あの人ね」というくらいの知人ですので。

 まっ、今の状況も結構楽しいので、それも良いかな、とも思います。

不快でしたらいつでも正体を明かしますよ。


kekoさん 投稿者:大悲  投稿日:10月 1日(日)14時29分22秒

掲示板だけ出没して、オフではお姿をお見せになりませんのですか、それはなかなか奥ゆかしい方ではありませんか。
七味の件ではお世話になりありがとうございました。
おかげさまで、美味しく頂戴しております。

ウチのプリンターが危篤状態です。
報恩講のご案内を兼ねた『願生』を印刷しなければならないのに!!


読み解くを読破 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月 1日(日)13時41分24秒

 真宗BOARDで、勉強しています。あまりお金かからなくて、
助かります。関係の方々に感謝申しあげます。


人には、解って貰えない事情 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月 1日(日)13時15分56秒

 私は、あきがらすさん の 

 10億に10億の母あれど 我が母に勝る母なし。
とゆう言葉をかみしめています。

 妻に暴力をふるっても、ぶった瞬間、のことは覚えていません。
手の痛みは、ありません。

 ただ自己流の自慢でも、ありません。
なにか、目に見えない力によって、やらされているよぅな気がします。


ネッ友 投稿者:らくりん  投稿日:10月 1日(日)11時53分14秒

kekoさん
きっといらしているのだろうと思い、
「この方かな」などと気になり、
会場を見回して話していたのですが、わかりませんでした。
お目にかかったことがないのですから、当然ですが。

やはり、おみえだったんですね。

kekoさんも一方的に面が割れている「ネッ友」の一人ですね。


私の場合 投稿者:らくりん  投稿日:10月 1日(日)11時47分41秒

妻に手を上げたことは一度もありません。

子どもに対しては、小さい時、
お尻ぶったり、手のひらをピシャリとやってしまったことは何度かあります。
激しい言葉で叱ったこともあります。(鬼のような形相だったかも知れません)
トイレなどに閉じ込めてしまったこともあります。
そうした時には、私もかなり感情的になっていました。
「しつけとして必要だった」などとは言い逃れできません。
そういうことは、三人の娘それぞれに対して何度かありました。
その点では、私は、松田さんを非難できません。

ただ、
松田さんの書き込みで、私が気になったのは、
奥様に手を出したことを、
お子さんの問題を持ち出したり、「憎いと思って殴ったことはない」というように、
どこか「いいわけがましく」正当化しようとしている
ような印象を受けたからです。

>私は、妻には口より手の方が早い暴力亭主です。
>会社だったら、セクシー ハラスメントで、解雇されると思います。
>しかし、妻を一度もにくいと思ってぶったことは、一度もありません。
という言葉を見ると、私には、
「これが妻に対する、私流のいつものやり方だ」とでも言わんばかりに聞こえます。
ついつい「思い余って、手が出てしまった」とか「申し訳ないことをした」
というようなニュアンスではなく、
むしろ「自慢げ」にさえ見えてしまいかねません。
私には、その辺がとても気になりました。

家族に、暴力を振るったことを、公開の場である掲示板に書くとしたら、
書くにしても、もう少し書きようがあるのじゃないかと思います。

やっぱり、このような問題は
掲示板の読者に披露したり理解してもらうより先に、
奥様や、お子様に向き合うことが先決問題なのではないかという気がします。
  ――きっと、難しい事情がおありなのだろうとは思いますが――

掲示板の読者というのは、同情したり、反感を持ったりしても、
どこまでいっても結局「見知らぬどこか他人事」ですから、無責任です。


話しはそれますが 投稿者:三吉  投稿日:10月 1日(日)07時09分19秒

O・ヘンリーの短編集に二組の夫婦の話しがありました。高校の時に読んだのでうろ覚えですが、
一組のカップルは、暴力亭主で妻の方は、いつも痣だらけ。しかし殴った翌日には、いつも素敵なプレゼントでご機嫌を取るのです。そして殴られる妻の方はいつも明るく元気。もう一方の亭主は、紳士的で、暴力など振るいません。紳士的な方の妻は、「暴力がないのを何かしら不安に、物足りなく感じます」。そしていつも怒らそうとしてちょっかいを出すのですが、成功はしません。つまり暴力は味わえないのです。この妻の方は沈みがちな性格。
そして・・ある時、絶対に怒るような決定的なことを妻はするのですが・・。
そこまでしか覚えてないなぁ・・続きはどーなったんだっけ。

さて・・・言葉の暴力もあるんでしょうね。
だからと言って、阿弥陀さんは暴力を振るわれたから振るい返せとは言わないでしょうけど。
なにせ、凡夫同志が一つ屋根の下で、日暮らししている。色々ありますわな。
ドメスティックバイオレンスという難しい横文字は最近威勢がよいが、
暴力振るった方が悪いのに決まっている。
O・ヘンリーの暴力亭主ですら、次の日の行動をみると自分が悪いと言うことをしっている。
たぶん、弱いから殴ってしまうのではないかと思う。心に自信があれば暴力などいらない。
殴られる被害者のことも十分考えなくてはいけないが、真宗ならば、「殴ってしまう」弱さもまた
ケアすべきなのでは・・とふと感じました。よくわかりませんが。

教育で、暴力を振るってしまうのは、それも「教育力不足」からくる「弱さ」なのでは?
あるいは・・・。
そーいえば私の妹は高校の時テニスでインターハイに行きましたが、凄く厳しく、先生はラケットで殴ったりもしてました。妹は高校卒業後、テニス止めたな・・・。


手をあげる 投稿者:松田 幸造  投稿日:10月 1日(日)05時50分32秒

 私も基本的には、暴力反対です。しかし 大学生にも、なって 生まなければ良かったと言われて、あんたの性だと、言われたら どう 思いますか。

 女(妻)のことは解りません。教えてください。

 私は 亞ピア スポーツ クラブ で子供を叱るとき、手を頭を殴りつける、一歩手前でパット
止めている、女性のコーチを見ました。子供は、一心眼を閉じました。 きこ さんは、子供を一度もぶっていませんか。お聞きします。

 妻をただいたのは、26年間で、これで2度目です。
宜しくお指導願います。


いかなる理由があろうとも・・・ 投稿者:MANU.  投稿日:10月 1日(日)00時34分29秒

お久しぶりでございます。
私の妹は、配偶者の暴力に苦しんでいました。
耐え切れず、母と私と配偶者の姉が同席した上で話し合いをしました。
最終的に暴力行為はやめるということで落ち着きましたが、
まだ形だけで、何故いけないかが伝わりきっていないようです。

口で言ってできないことがあると手を上げてわからせる・・・
その背景には
「俺はそうやって(親に暴力を振るわれて)育てられてきた。
それ以外の育て方がわからない。
そうやって育てるしかできない!」
心の底からの叫びでした。言い返せませんでした。

彼自身の問題は(彼が問題だと思っているかはわかりませんが)
解決できていません。
「いかなる理由があろうとも、暴力行為は認められない」
このことを伝えるので精一杯でした。

つい一月前のことです。
いまのところ、2度と手はあげていないようです。

皆さんの書き込みで、ふと思い出したことです。

          MANU.(from KYOTO)

http://homepage1.nifty.com/MANU/index.htm


昨日は 投稿者:keko  投稿日: 9月30日(土)22時45分09秒

ありがとうございました。

長男が来年就職してしまい、しばらく帰ってこないようです。
本人は帰るつもりはないようだけれど。
無理に帰って来いとは思はないけれど、さて息子に何を伝えられるのか。
私には何もないけれど、でも何かがある。
寺に何があるのか、南無阿弥陀仏とは何か。

>松田さん
>しかし、妻を一度もにくいと思ってぶったことは、一度もありません。
それなら暴力をふるってもいいとお思いですか。
夫に殴られる妻は、いつも恐怖感に捕われているのです。
そこにどんな愛情を感じろというんでしょう。
他人を殴れば犯罪でしょう。妻だけ例外、ではないと思いますよ。


痛み 投稿者:らくりん  投稿日: 9月30日(土)08時56分19秒

画びょうを踏んだら、とても痛い。
画びょうは、私のことをちっとも憎んでいないはずなのに、とっても痛い。

肉体的な痛みは、相手がどう思っているかとは関係なく、痛い。

圧倒的な力の差があるある相手に対して、暴力を用いることは
ちょっと、いや、とってもいただけません。

あいてが暴力を快感に感ずるような嗜好を持っていて、
それを望んでいる場合以外は、夫婦間であってもそれは暴力です。

セクシャルハラスメントではなく、ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)
と言います。


次男 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月30日(土)04時01分44秒

 看護学校を卒業した子が、ちょうど次男と同じ年だったもんで、猿年なんです。
妙なもんですね、なんでこんなに力が入るのでしょうか。親ばかなんですかね。


人の心の痛みの解る人 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月30日(土)03時54分40秒

 朝早くごめんなさい。子供のことで、妻と喧嘩しました。
 私は、妻には口より手の方が早い暴力亭主です。 会社だったら、セクシー ハラスメントで、解雇されると思います。

 しかし、妻を一度もにくいと思ってぶったことは、一度もありません。
私の母は、子供のことになると、弱い身体を張って育てて くれました。
 そして、子供のことになると、近所に自慢話ばかりする母でした。

 私はふたりの母に、本当の親孝行できたのか、今でも、疑問です。

 さして、実母が無くなり、育ての母が亡くなりました。どちらにも、孝行しなければならない
自分の立場で、悩みそして、生きる勇気を持たして貰いました。

 そう考える と なんと、幸せ者かと思わずにはおれません。


あ そうそう 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月28日(木)12時00分29秒

 彼女に職業は、100種類の職をやるも、一つの職もやるも、
一緒なんだよ、と言いました。


選択、岐路 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月28日(木)11時57分36秒

 有り難うございます。やはり 陰で見守るしかないのかとも思います。
でも私は、どんな道でも、心の持ち方一つで、自分の理想の道を 進めるのでは、
と 最近思えるようになりました。


人生の選択 投稿者:らくりん  投稿日: 9月28日(木)11時41分01秒

振られちゃいましたので

私も、転職組みでして、
寺に生まれましたが、坊主をやることなんか毛頭考えていませんでした。
28歳になろうとする年に、サラリーマンを辞めました。

その時も、今のようなことになるとはまったく展望しておりませんでした。
どう転ぶかわからんです。

ただ、落ち込んでいる最中の人には
他人のそんな話はあまり耳に入らないかも、です。

1日留守します。


回り道 投稿者:大悲  投稿日: 9月28日(木)09時26分07秒

>松田さん
よく法話に使わせて頂いているフレーズなんですが
「回り道に見えるかもしれませんが、それはそういう一本道なんですよ」
選択肢はあるように見えても本当に選択するという事は大変なことですね。
わたしは、小さい時から「滑り止め」がないと不安で選択できない、という性分なのですが、滑り止めなんてあるように見えても、やっぱり選ぶという一点においては、あらゆるご縁の中で、自分自身の身の置き所を確認するに過ぎない。
自分の憧れの職場につけないということもやはり尊いご縁なのですね。
就職も一生一度ってわけじゃないし。
ねえ、らくりんさん<と、振る


微妙 投稿者:大悲  投稿日: 9月28日(木)09時14分20秒

びみょうだべ、んだっきゃ、たんげびみょうだの。
わらはんどでねぇんだはんで、おどなのこいもしでみてぇだばて
ながながびみょうなもんだでばのーー
(津軽弁の通訳が必要な方はこっそりメールください)


魔法の言葉 投稿者:らくりん  投稿日: 9月28日(木)09時11分53秒

松田 幸造さん
高い本ですみません。もっとたくさん発行できれば、単価は下がるのですが、
爆発的に売れる本ではありませんので、いたしかたないところです。

>ある看護学校の卒業して、あこがれの、介護に進めない人に会いました。
>どういって、慰め励ましたら良いか教えてください。
こういう場合の「魔法の言葉」があるならば、私も教えてもらいたいところですが、
そんな特効薬のような言葉はないのだと思っています。

言葉が必要なら、その言葉が出てくるまで待つしかないのではないかと思います。

時間をかけてじっくり向き合って、その中で模索することができたらと思います。

ただ、一つ思いますのは、
月並みですが
人生の選択肢はそれほど狭いものではない
ということが伝わるならば少しは楽になるじゃないかという気がします。
「あこがれ」が強ければ強いほど、それは難しいかも知れませんが……


恋い 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月28日(木)04時10分45秒

 らくりん さん、
金沢の本屋で本みさして貰いました。

 今の私には、子供の大学2人にかかる費用を考えると高値の花です。
右手の親指に怪我で力が入りません。

 鉛筆に力が入らないのです。

 ある看護学校の卒業して、あこがれの、介護に進めない人に会いました。
どういって、慰め励ましたら良いか教えてください。


大悲さんお久しぶり 投稿者:らくりん  投稿日: 9月27日(水)11時30分02秒

Zazieさんへのレスだけとも思われぬ、
微妙なニュアンスがディスプレイからにじみ出てきています。

実名とほとんど変わらないバレバレのハンドルネームだけじゃなくて、
もう一つ作ろうかな、
でも、うそが下手なもんで、きっとすぐにばれてしまうだろうな。

それとも、Vitaさんのように〈本物〉のゲームの世界に参入しようかなぁ〜。
ちょっと時間がねぇ〜。


恋に身を焦がす 投稿者:大悲  投稿日: 9月27日(水)09時39分08秒

うはははは、
私のようにらくりんさんに面はわれていないものの、かなりばれてしまっている者には、
ばれているのは分っているが、あえて「秘匿性」を遊んでいるフシがあります。
Zazieさんは、
>でも、女の子を好きになるのに理由はないんです。
>だから、辛いです。
とおっしゃるが、何の何のきっといっぱい好きなところ(理由)を見つけていらっしゃると思う。
(思うだけですが)で、好きになってはいけない理由で、ごまかそうとしても
やっぱり好きは好きな訳です。
辛いからこそまた恋は甘美なわけで、幸せでもやっぱり甘美なわけで、
人目を忍ぼうが、忍ぶまいが、本人たちは幸せなわけで、
ああ、私何言ってるんだか。
私は好きだけど、相手はそれほど想っていないってこともあるわねぇ
いくつになっても、恋に身を焦がす事が出来たらなんて幸せなんだろ。


「便所の落書き」 投稿者:らくりん  投稿日: 9月26日(火)10時00分58秒

Zazieさん、お知り合いかもしれないのですか。
思わず、知り合いの中から恋に身を焦がす人を思い浮かべてみましたが
心当たりがありませんでした。

電網世界に足を踏み入れてから「秘匿性」については、かなり戸惑ったり楽しんだり
しています。

今朝(9月26日)の毎日新聞に、脚本家の大石静さんのエッセイの中に、
上記題名の表現を見つけました。
誤解なきよう、その部分を転記します。
  >セリフで物語をつづることを生業としている私にとって、日々激烈に変化して
  >行くしゃべり言葉に敏感であることは、大切なことだ。
  >……
  >  他者への敬意欠き
  >パソコンも、コトバと同じように急速に進化しているが、パソコンを操れると
  >いうだけで、操れない人より上に自分を位置づけている人が多い。いろいろな
  >サイトに顔を出し、自分は身を隠したまま発言を続ける人の言葉は、多くの場
  >合、どこか奇妙なニュアンスだ。見知らぬ人の、見知らぬ部分への配慮や敬意
  >に欠けた精神が、パソコンのキーボードから打ち出す言葉に、私はいつも抵抗
  >を持つ。
  >敬語や丁寧語の乱れと消失――これも言葉の進化の重要な一面であろう。他者
  >との距離感や、敬意が薄れたことが、敬語や丁寧語の消失を招いたことは明ら
  >かだ。
  >誰でも対等、誰に何を言っても平気。表現することの恐ろしさも知らず何か語
  >っていれば、黙っていることより価値があるという風潮も危険だ。過激な言い
  >方だが、我が身をさらした発言以外は、便所の落書きに等しい。そのことを認
  >識すべきだろう。そうすればあえて発言する時の言葉の重さ、言葉の選択の仕
  >方は、自ずと変わって来ると、私は思う。
  >最初に例をあげたような若者言葉を、若者同士で使うのは、それはそれでステ
  >キなことである。しかし、何か気に入らないことが全て「超MM(マジ・ムカ
  >ツク)」で片づけられてしまうとすると、それは精神を貧しくする。……

「やっぱりそうだよね」とうなづける部分と、「そうは言っても、バーチャルコミュ
ニケーションの世界は、すでにしてそこに存在しているじゃないか」ないかという部
分と、私自身は揺れ動いてしまいます。

私にとって、「匿名のやりとり」という電網コミュニケーションの問題は
どうもとても気になる問題の一つになっているようです。

電網上でも
会ったことがある人と面識のない人とのやり取りでは、感じ方が違ってくるのは
当然だと思います。

今回の、Zazieさんのように一方的に面が割れている、つまり、相手はこちらを
知っていて、こちらはそれが誰だかわからないという現われ方もおもしろいバリエー
ションです。それはそれで、また、それなりにおもしろい。

面識がない人でも、
ディスプレイから飛び出してくる言葉というのは、どいうも本で出会う言葉と
違う感じがします。
会ったことがない人からの文字情報という点では同じなのですが……。
もしかしたら、これはゲームの一種なのか。

私には、これからも、この問題は気になっていきそうです。


はじめまして。 投稿者:Zazie  投稿日: 9月26日(火)01時06分51秒

>らくりんさん。 

 挨拶も無く失礼いたしました。久しぶりにのぞいたらレスがついてて驚きました。
個人的な話で失礼いたしました。私は多分らくりんさんの知っている人です。ネット
の秘匿性を思わず体験してドキドキです。

それではまた、ご縁がありましたならば。失礼します。


Re:林遊さんお久しぶり  投稿者:林遊  投稿日: 9月23日(土)12時50分20秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

ええ、そうです。実はこんなことしてたんですね(笑)。

根が不器用なものですから一点集中しか出来なくて、ややこしい事が重なると、
どうもいけませんです。その点、口に称えられる(だけ)のお念仏はありがた
いことです。

ちゅうわけで、機械相手のプログラムの方も一段落したので、人間に分かる言
語環境へ復帰したいと思ってます。

なお、電脳林遊のBBSはいくつでも開設が可能で、ある程度の外観カスタマ
イズも可能ですから、らくりんさん専用のボードをつくることも可能ですよん。

わしゃあ、こんな事が言いたいという方はお気軽にどうぞ。

   なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


林遊さんお久しぶり 投稿者:らくりん  投稿日: 9月23日(土)08時46分30秒

新規開設おめでとうございます。

最近、とんとおみかけしないと思っていたら、
こんな事をしていたんですか。

時々よらせてもらいます。


ごめん。訂正です ↓ 投稿者:林遊  投稿日: 9月23日(土)01時27分51秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

もしもし、林遊さん。CGIって、そんなとこで動かしていいんですか?。

すんません、早速の失敗です。URLの訂正です。

  なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://access-jp.net/cgi-bin/login


おひさしぶりです。 投稿者:林遊  投稿日: 9月23日(土)01時23分29秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

Vitaさんのような間違いってよくあるものですね。小生もHTTP:の
コロンとセミコロンを間違えて長らくシグネチャに使っていたものです。
なにせ、林遊はもはや老眼ですので細かい字はかなわんですね。

で、何の関係もないんですけど久しぶりに「Cしちゃった」という訳で
下記URLでツリーBBSプログラムなんぞ走らせていますので、お近
くをお通りの際は(笑)是非、デバッグの協力がてら評価してやってく
ださいまし。小生の知人はじいさま、ばあさまばかりでこんな時は困っ
たものです(笑)。

  なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続

http://www.access-jp.net/login


(無題) 投稿者:石川正穂  投稿日: 9月22日(金)11時44分01秒

 突然の書き込み、恐れ入ります。
 大谷派の公報誌「真宗」九月号「この本との出会い」(p56)に拙文を掲載していただいたのですが、文中にありました、当方の掲示板「真宗ボード」のURLが間違っておりました。校正の段階で見落とした、私の不手際です。申し訳ない事をしてしまいました。
 もしも、有縁の方で当惑していらっしゃる方がいらっしゃいましたら、正しいURLをお伝えいただければ、幸いです。
 はなはだ身勝手な書き込みをお許し下さい。ありがとうございました。

〔誤〕  http://menber.nifty.ne.jp/vita/zen.html
〔正〕  http://member.nifty.ne.jp/vita/zen.html


Zazieさん、ようこそ 投稿者:らくりん  投稿日: 9月20日(水)09時02分16秒

どこかでお名前を見たような気がしますが、ここでは初めまして、ですよね。

簡潔にして、伝達力のあるショートメッセージです。
切ない思いが聞こえてくるようです。


あぁっ。 投稿者:Zazie  投稿日: 9月20日(水)00時27分45秒

でも、女の子を好きになるのに理由はないんです。

だから、辛いです。


確かに 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月19日(火)19時37分53秒

 談合の時 とかく女の人は、とか 発言したら、私も女ですと、鋭くつき込まれました。
研究されている人は、やはり深くいろんな観点から、表現するのですね。

 でも単純に、おんながいて、おとこがいて、世の中楽しいのでは、
女の人の、洞察力って、すごいと思います。注意力が深いとでも 申しましょうか。


Re:人生観 投稿者:らくりん  投稿日: 9月19日(火)09時29分03秒

松田 幸造 さん、

「性」の問題提起ありがとうございます。
私が巡回している掲示板ではあまり出て来なかったテーマです。
この問題は、私も関心があります。
ただ、松田 幸造さんが書かれたような、「母親的母性愛」とか「男の尋常・
男のロマン」というような論点だけからはこの問題をとらえることは難しいの
ではないかと思います。
いわゆる「男性的・女性的」という括りの中にもいろいろな観点があります。
ですから
「性差」といっても、その境界は、それほど明確ではないということがあります。

この問題を考える上では、
少なくとも次の4つの点からおさえていく視点が必要なのではないかと思います。

(1)肉体的な性(雄・雌・両性具有)
(2)ジェンダー(文化的に作られた性。すりこまれた性意識)
 「男らしさ・女らしさ」「男の仕事・女の仕事」「○○本能」「生まれつき〜」
(3)性自認(自分が男性であると意識を持っているか、女性であるという意識を
 持っているか)、例:肉体的には男性であるのに、自分は女性だという意識を持つ
(4)性指向(恋愛やセックスの対象として異性に対する指向があるか、同性に対する
 指向があるか。両性に対する指向があるか)

(1)の生理的・肉体的な性差と、(2)文化的に作られた性差(ジェンダー)を
ごっちゃにしてしまうだけでも、かなり話がややこしくなってしまいます。
この二つの「性差」を意図的に使い分けて、
「性差別」を正当化してしまう理屈を作りだしてしまうこともあります。

いずれにしても、「大多数の」とか「一般的に」とか「通常は」というような、
マジョリティとされる者の発想だけで考えようとすることには、かなりの問題が
あるのではないかという気がしております。


人生観 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月19日(火)04時36分27秒

 大衆性 
 寺に集まるのは、女性のかたが多い事実をみても、母親的母性愛の力が
私の場合は、たまたま強かったとゆうだけだと思います。

 自分の弱さを隠してくれて、慰めてくれる人。

 やはり清沢先生のような、聖者の道とでも言いますか あこがれますか゛、
やはり情に流される自分流されまいとすればするほどどんとどん流される。

 そこに、観音様の慈悲にふれて救われるのではないでしょうか。
私にとって、男と女のテーマも大きい位置にしめております。

 性にふれて救いがたい自分を発見するのでは、ないでしょうか。
しかし私にとっては、人生の妙味て゛もあります。

 好きな女性を思い浮かべ恋い思う、男の尋常。 女のほうは、全然思ってもいない。
妻のことを考えるとぴったりです。男のロマンを語っても、ロマンで めし 食えるの。

 この一言で目が覚めます。

 確かに一般に女の方が現実的です。やはり、妻のしっかり現実をとらえた考えで
日暮らしさせていただいて いるような 気がします。

 それと 富山県では、5万人ほど、女性が多いそうですが、近くの中学校の 1.2.3.年
の比率をみると、プロント マークになっていて、パソコンの普及が影響しているのかなと、思う
今日この頃です。


最初の出会い 投稿者:らくりん  投稿日: 9月18日(月)09時15分37秒

私は、暁烏敏のものはあまり読んではおりません。

北安田の明達寺までは車で20分もかかりません。
もっとも、このあたりは拙寺から20分の圏内には大谷派の寺は何十箇寺、
いや三桁を越えるかも知れません。
私にとっては、その中の一つということで、特別な思い入れはありません。

それでも、このあたりでは暁烏敏の影響は非常に大きいです。
これまでに出会った人で年配の人は、暁烏敏、高光大船、藤原鉄乗に出会ったような
人たちです。法縁を得た人のつながりを少したどっていけば、ほとんどこの三人のど
れかにたどりつきます。

私自身の置かれている状況を見れば、少なからず影響を受けていることは否定できま
せん。

しかし、私が真宗に触れ始めたころに聞いた暁烏敏評は決して、肯定的なものではあ
りませんでした。そのせいか、人となりとか足跡には関心や興味はあるのですが、彼
の浄土真宗観にはあまり魅力を感じません。最初の出会い方というのは大事ですね。

いずれにしても、大谷派の近代史の中で極めて大きな影響を残した人の一人であるこ
とは間違いないと思います。


あけ がらす はや 先生の本 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月18日(月)05時46分45秒

 わたしは、あけ がらす 先生のふあんです。
北安田へは、何回も行っていますよ。    

 そちらからは、近くでしょうか。法話の時は、御堂が人であふれたと聞いております。


第5巻ですね 投稿者:Maro  投稿日: 9月15日(金)00時09分14秒

「弁証論」ありがとうございます。
とても歯が立ちません。
第5巻が発刊されてから併せて読ませていただきます。
おおそれまでに4巻を読破せねば(おいおい)


ありがとうございます 投稿者:らくりん  投稿日: 9月14日(木)20時13分06秒

松田さん
これだけを通して読んでも、あまり何のことかわからないかも知れません。
『読み解く』の第五巻が出ました時に、併せて読んでいただくと、
少しはわかりやすいかも知れません。

第五巻、いましばらくお待ち下さい。


弁正論 の 本の件 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月14日(木)17時30分48秒

 早速のお手配有り難うございます。

謹んで読ませて貰います。

早速舟橋の郵便局で振り込みました。


独り言 投稿者:らくりん  投稿日: 9月13日(水)08時49分47秒

そうか、掲示板が書きやすいのは、会話の延長だからなんだ。
言葉遣いもそうだもんね。


この本は 投稿者:らくりん  投稿日: 9月10日(日)16時38分56秒

最初の1章はともかく、それ以降はいわゆる「読む」本ではなく、
資料の様なものですから、あまり頑張らない方がいいかもしれませんが。

そんなことは、眺めていればいやでもわかることで、私が言う必要もないことですが……


到着 投稿者:大悲  投稿日: 9月10日(日)12時19分12秒

「弁正論」到着しました。
骨のありそうな本なので頑張って読ませて頂きます。
楽しみ


『弁正論』の申し込み 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 9日(土)23時34分06秒

お知らせしました、
拙著『顕浄土方便化身土文類の研究 ―弁正論―』(増補版)
ぼちぼちご注文メールが届いています。ありがとうございます。

ご注文のメールを下さる時は、
  ・ご住所
  ・お名前
  ・電話番号
  ・希望冊数
を書いておいて下さい。
頒布価格は、送料等・振り込み手数料などすべて込みで4500円(=本体価格)です。


夜はね、めっぽう 弱い 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月 8日(金)08時07分14秒

 夜長ですが、10時前には、寝ますよ。
なにか、簡単な、本無いですか?。

 わが、嘆異妙 とか、ご紹介ください。
宜しく御願いします。


お待たせしました。 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 7日(木)11時07分42秒

誰も待っていないか。

以前お知らせしました、
拙著『顕浄土方便化身土文類の研究 ―弁正論―』(増補版)ができあがりました。
私の方でも取り扱いますので、ご希望の方はメールを下さい。


いちがい 者 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月 6日(水)05時40分49秒

 き ちがい です。木です。

 そのほかに だら いちがいもん
とか 言います。なにか ことを やるときに、遠くの一点だけ
を見て、まっすぐ進む            制止運動月間


ありがたいです 投稿者:松田 幸造  投稿日: 9月 5日(火)08時37分05秒

 いつも あたかかいことば 有り難うございます。
ちょと、秋の刈り入れ磁気なので、晩にでも、書き込みます。


松田 幸Eさん  の発言について 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(月)19時22分21秒

「きちがい」という語の使用については、私自身は非常に慎重にしています。
この言葉は、精神障害者差別運動に取り組む人たちから厳しい指摘を受けています。
この言葉によって、本人もその家族も深く傷つけられます。

9月 4日(月)13時05分38秒の「変人」の投稿は必ずしもこの語を使わなければ
ニュアンスが伝わらないということはないと思います。
発言を削除はしませんが、管理人としてのこの発言に対する見解を記して
問題提起したいと思います。

松田 幸Eさんの発言は、
美川の会は 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(月)09時03分49秒の
私の書き込みに対するリアクションであると思われます。
私のこの発言は、排除されることが多い「変人」「変わり者」呼ばわりされて
いる人たちにとって、居心地がよい場であることを強調するために、
あえてあのような書き方をしました。
つまり、「他の人とは違っている」ことが、受け入れられるってことがとっても
すてきなことなんだと言いたかったのです。

ところが松田 幸Eさんの、書き込みは、
常識人は「変わり者」をバカにし排除するものだという考え方を前提にして、
話が展開しているように思います。

私は薪の風呂に入ることは何もおかしいことだとは思いません。
ただ息子さんはそれをおかしいと思っている。
松田幸Eさんは、自分の側におかしいと言われる理由や問題がないのに、
息子さんの価値観をおしつけられるような形で、「おかしい」と言われることに
納得が行かないと。
つまり「薪の風呂に入ること」ぐらいで「きちがい」扱いするのはけしからんと。
この考え方を進めていくと、「薪の風呂に入ること」よりももっとおかしなことを
している人、つまりだれもがおかしいと思うことをしているならば、
そのひとは「きちがい」扱いされても当然だということになってしまいかねません。

「自分には変人扱いされる理由がないのに仲間外れされるのは納得がいかない」
と言う人は、
「変人扱いされても当然の理由があるならば、仲間外れにされても仕方がない」
ということを暗に認めてしまうことになると思います。

「変わり者」扱いをする側の人の考えを問題にせずに、
「変人扱い」「仲間外れ」にされる側に、その扱いをされるだけの理由が否かという
問題の枠組みにしてしまうことは、私は何も問題解決の糸口にならないのではないか
と思います。


変わり者 大好きです。 投稿者:松田 幸E  投稿日: 9月 4日(月)13時07分28秒

 世の中 狂っているのに、まともの 人間 て
いるんですか。


変人 投稿者:松田 幸E  投稿日: 9月 4日(月)13時05分38秒

 子供から きちがい扱い されています。眞紀 無 の 風呂 へ
入ることが、きちがいでしょうか。

 とても 暖まって酔いと思いますが。
                  意見お聞かせください。


美川の会は 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 4日(月)09時03分49秒

私にとっても、もっとも大切な場所の一つです。
もう8年ぐらいになりますが、
ほんとうに次から次へと、いろいろな人が出入りしてきます。

おそらく、世の中の人から「変人」扱いされているだろうなと思われる人も
ずいぶんいましたし、
某農事団体のY会のオルグや、某浄土真宗S会の専任講師なんかも来ましたが、
けっこうやりたい放題言いたい放題にさせたりして、
相手を観察するというか、相手になって楽しんでいる。
相手の方があいそをつかすか、根負けして来なくなるまで、構っています。

その人たちを見ているだけでも飽きません。

そんな中にいると、私自身もそこに出入りしている
世の人が「変わり者」と呼ぶ人間の一人にすぎないということが
よくわかります。


有り難うございました。 投稿者:yoshi  投稿日: 9月 3日(日)21時17分16秒

美川の会、有り難うございました。
教行信証の構造、対応する願、それぞれの意味
についてわかり易く説明して頂きました。
有り難うございます。

当日は少し早く到着したので町中を歩いて
みました。静かで、昔ながらの町並みが美しいところですね。
久しぶりにゆっくりできました。
主催されている方や、周りの方々も親切で楽しかったです。
一昔はああいう雰囲気で当たり前に真宗の教えが聞けたの
でしょうね。

安田先生の御著書、お人柄等についても色々聞けて為に
なりました。相応学舎へは是非連絡をさせて頂きたいと
思って おります。

夏の疲れが出てくる頃だと思います。お体にお気を付けつつ
「読み解くX」の執筆を頑張って下さい。


ごめんなさい 投稿者:松田 幸e  投稿日: 9月 3日(日)05時32分42秒

なかなか、良い説教でしたよ。
大阪特有の雰囲気がありました。


美川の会、行って来ました 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 3日(日)00時28分53秒

yoshiさん、本当に来ましたね。ようこそでした。
1年に一度の「珍客」に、少々面食らったかも知れませんが、
ちょっと変わったところでしたでしょう。
と言っても、比較の対象がなければわからないかも知れませんが……
これに懲りずにまたどうぞ。


松田さん 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 2日(土)18時44分40秒

尋ねる掲示板を間違えちゃったみたいですね。

宗林寺さんは、YASUさんのところじゃないですか?


テレビ番組のお知らせ 投稿者:大願  投稿日: 9月 2日(土)09時17分01秒

テレビ番組のお知らせ
下記の番組がオンエアされますので、
ご覧頂きたく、お知らせいたします

       (記)
@番組名:NHK教育TV「こころの時代」
A日時:9月10日(日) 午前5:00〜6:00
         (早朝です。ご注意!!)
B講題:『臨終と信心』
   ――― 主体的な生き方 ――――
C 講師:元龍谷大学学長 しがらきたかまろ信楽峻麿師
D 講師紹介:1926年 広島県に生まれる
      1955年 龍谷大学文学部研究科卒
           (真宗学専攻)
       1958年 龍谷大学へ奉職
       1970年 龍谷大学教授
       1989年 龍谷大学学長
       1995年 退任。同名誉教授
E 主要著書紹介:「浄土教における信の研究」
        「親鸞における信の研究(上・下)」
         「真宗教団論」
          「親鸞の道 」――(まことの自立をめざして)
         「宗教と現代社会」 ――(親鸞思想の可能性)
          「仏教の生命観」
          「親鸞思想を生きる」
           その他多数。


宗林寺 へ 訪問 投稿者:松田 幸d  投稿日: 9月 2日(土)04時09分08秒

らくりん さんへ   

 9月2日 (土)午前 午後 どちらの 法が いいと 思いますか。


ちょっと一息 投稿者:らくりん  投稿日: 9月 1日(金)09時03分17秒

某別院の機関紙の原稿の前半を仕上げたので、ちょっと気分が楽になりました。
一応後半も通して書いてみたのですが、もう少し手直しが必要かも知れません。

締め切りがある原稿はどうも苦手です。
最後に苦しむことはわかっているので、できれば引き受けたくないのですが……。

掲示板に書く時は結構気楽になんでも書けるのですが、
掲示板に書くのと、どうしてこんなに違うのでしょうか。

どちらも、不特定多数に対して発信するということでは同じはずなんですがね。

こんなことは私だけなのかも知れませんが、
書き手としてのこの気分の違いはいったい何なんだろう。

今晩は、金沢の六道会
明日は、美川の会です。yoshiさんが見えるそうです。


早いもので 投稿者:らくりん  投稿日: 8月31日(木)21時06分08秒

8月ももう終わりますね。
それにしても今年は暑かった。身体が融けだしてしまいそうでした。
日中の暑さはもうしばらく続きそうです。

あまり精を出さずに、看板にいつわりありで、ボチボチいこうかと思います。


お返事有り難うございます。 投稿者:yoshi  投稿日: 8月29日(火)23時35分14秒

らくりん様、お返事有り難うございました。
御教え頂いた内容に就いてはよくよく熟慮した上で再度御質問させていただきます。
9月2日楽しみにしております。



「方便」について 投稿者:らくりん  投稿日: 8月29日(火)10時37分23秒

@ー1「方便」について
「ご期待」に沿いたいところですが、私の考えているところでは
「本来因果律として成立している法を象徴的に表現したもの」とyoshiさんがおっし
ゃっている方です。
ただし、「“形無き”真実の化身」という表現は、今のご質問のような問題を考えて
いく場合には、適切ではないように感じます。この言い方では「阿弥陀仏」と名付け
られる真理存在が実体的に存在しているかのようなニュアンスを持ってしまう可能性
があるからです。
(私は、場合によっては「形のないものをが知覚可能な形をとる」というような言い
方をする場合もありますが、時と場合を選びます。その場合でもなるべく「化身」と
いう聞いた側にいろいろな意味付けで受け取られる可能性があるやっかいな用語は使
わないようにしています。)

「後者]の、「特殊な(神秘的)作用を持つ物」という見方をすべきではないという
考え方を、私はしております。

といいましても何の「作用(はたらき)」もないという意味ではありません。
どのように言い表したらいいのかちょっと悩むところですが、

 [方便である名号を口に称えることによって何かの「効果(功徳)」が生じる]
のではなく、
 [自分が出遇うことができた“はたらき”が南無阿弥陀仏として表現されている。
そのはたらきを、南無阿弥陀仏という名号で受け継いできた人々の歴史がある]

私が、物をかいたり話したりする時に、最も気を付けて避けようとしているのは、
「私と無関係に、阿弥陀仏なる実体的な如来が存在している」という意味になってし
まう言い方です。おそらくyoshiさんが「汎心論」とおっしゃっていることと重なっ
てくるのではないかと思います。この掲示板や〈『読み解く』読書会〉などの掲示板
では、そのことを「実体化」という言い方で言われています。

@ー2何故”浄土真宗”を選択すべきなのか
という問いに対しては、
一旦、それを受け入れた人には、明確な必然性があります。
しかし、第三者にとって、客観的な「選択すべき必然性」、つまり打ち出の小槌のよ
うな便利な「理由」はないと思っています。その辺に「他力」などというやっかいな
概念が必要になってくる理由があります。
もし「何かを選択すべき」絶対的理由があったとしたら、それは絶対的独裁集団を作
り上げる根拠になってしまうだろうと思います。

私は、あらゆる人に浄土真宗をお勧めしています。
その時に、「こうこうこうだから、あなたは絶対に浄土真宗を信じるべきである」と、
誰もが納得せざるを得ない「理由」や「証明」があったら、どれほど楽だろうか、と
思います。
しかし、こればかりはどれだけ苦心して思いや道理を言葉に託して伝えようとしても、
なかなか思うようにはいきません。
善くも悪くも〈誤解〉されることばかりです。もちろん私も誤解の名人です。
コミュニケーションというのは誤解と誤解の応酬のようなものかも知れません。
私は、それを「聞く側、読む側には誤解する自由がある」と言っております。
「誤解する自由」を奪ってしまうことは誰にもできません。

「選ぶべき」理由がもしあったとしたら、
その「誤解する自由」を奪うことになるのではないかと思います。
その意味では、親鸞が「よきひとのおおせを」選びとった理由である
「だまされて、地獄におちてもこうかいしない」(歎異抄二条)というのが、
もっともすぐれた「選ぶ理由」であるのではないかと思います。

ちょっとわかりにくい変な書き込みになりましたが、
なるべく「好意的に誤解」して下さい。


yoshiさんはじめまして、 投稿者:らくりん  投稿日: 8月29日(火)10時36分47秒

初登場早々「難題」を頂戴いたしました。

ご質問についてですが、最初に簡単な方から、
A9月2日 美川の会は
最寄り駅は美川駅です。JR北陸線の金沢と小松の間にあります。
各駅停車か快速しか止まりません。
会場は、駅のホームから見えるぐらいのところです。
ホームに立って線路の方向に金沢方面を見ると、7〜80メートル先に、
三角の屋根に小さな窓に明かりがついている建物が見えるはずです。そこです。

行き方は、美川駅を出るとすぐに、田舎の町のメインストリート風の道があります。
それを右側の方に進みます。
100メートルも行かないうちに、右側に「昔は洋品屋」だった外観の建物で、
中をのぞくと大工さんの仕事場になっている建物があります。
横には、車が4、5台置ける空き地があり、その奥に陸橋があります。
陸橋の横にもう一つ、大工さんの作業場があります。その二階が会場です。
たぶんその日はシャッターが開いていると思いますので、
そこに誰も見当たらなくても、遠慮なく中に入って奥の階段を上がって下さい。

しかし、本当に東京からお越しになるのですか。歓迎いたします。
たぶん、Vitaさんも参加されるのではないかと思います。
 そこの電話番号をメールでお知らせします。


続き 投稿者:yoshi  投稿日: 8月29日(火)02時31分46秒

 先ほどは偉そうなことを申し上げてしまいましたが、実はとても確信などは持てていません。
勉強不足でして色々勘違いしている点や間違っている点あると思いますので、ご指導頂ければ
と思います。
以下は御質問をさせていただきます。

@ 先述した「本願が我々の宿業を背負う、転ずる」という安田先生のおっしゃったお言葉です
  が、これは方便であるのか。つまり阿弥陀仏というのは"形無き"真実の化身であり、本来
  因果律として成立している法を象徴的に表現したものなのか、それとも何か特殊な作用を持つ
  物なのか。教えからすると、前者であると思われるのですが、どうしても後者であることを
  期待してしまいます。前者の場合、単なる汎神論とどのように違うのか、何故”浄土真宗”
  を選択すべきなのか、ということが時折疑問になってしまいます。この理由が、藤場先生の
  おっしゃる”方便”の持つ作用ということになるのでしょうか。この辺りが実はまだはっきり
  と認識できておりません。勉強不足で恐縮です。
  ひょっとしたら単なる理屈を弄り回した自己満足になっていないかと心配しております。
  ご意見頂ければ幸いです。
A 9月2日の美川『教行信証』の会に参加して頂ければ幸いです。
  無知で恐縮ですが、美川というのは石川県の美川なのでしょうか。
  申し訳ございませんが、最寄りの駅と駅からの交通手段や場所等
  を御教え頂けませんでしょうか。

  よろしくお願い致します。


はじめまして 投稿者:yoshi  投稿日: 8月29日(火)02時11分22秒

はじめまして。
私は、現在東京に住んでおります24歳の会社員です。ご縁がございまして1年ほど前より
浄土真宗の関連の本を読ませて頂いております。
Vitaさんに、らくりんさんの御予定を問い合わせたのは私でした。御本人に問い合わせるべき
処を大変失礼致しました。 また、Vitaさんお返事有り難うございました。
ここからは雑然とした感想を書かせて下さい。
御著書「読み解くT」の第五講のp249に「自己の虚偽性をあらわにみせつける、逃れようの無いよう突きつける」ということが如来のはたらきである、と書かれております。この如来のはたらきというのが、本願=宿業ということなのでしょうか。

表現するのは難しいのですが、自己の虚偽性というのは自己の心では認識できない。認識する、あるいは認識せざるを得ないのは心ではなく、自己の身、即ち宿業においてだと思います。
宿業というのは紛れも無く私の行為が因である。それは、衆生の側からすると罪とそれに対する罰という関係になる。宿業が我が身に働くことは、皮相な認識では苦である。しかし、その苦があればこそ私は自己の虚偽性、我執というものを自覚せざるを得なくなる。ここに、曽我先生のおっしゃる「この世の苦労は弥陀からの励ましである。」というお言葉が成立するのでは、と思います。私の欲望や我執は、本願が縁となり私の身に宿業として働くときには、私を召喚する如来のお声となる。つまり、本願は私の業を背負う、若しくは転ずる場であるのでしょうか。
また、名号とはこの声無き声が顕現されたものであり、如来のお声の具現化と思っております。

安田先生もおっしゃっていますが、真宗の信心とは地獄に喜んでいける身になることで
あるということだと思います。苦しみは如来からの恵みであり励ましであり、それに感謝で
きる身にさせて頂くということが信心を頂くということだと思います。
けれども、我執というのは抜き難く、とても感謝などできない、感謝しようとすればするほど
余計に我執ということを認識せざるを得なくなってしまいます。まだとても読み切れていませんが、ここに二十願の目的があるのでは、と思っております。



9/10月の予定 投稿者:らくりん  投稿日: 8月28日(月)15時47分23秒

定例の行事がほとんどです。

9月1日 午後7時半 六道会(化身土巻学習会)
  2日 午後8時  美川『教行信証』の会(信巻講義)
  13日 午後2時半/午後7時 上越市普等学舎(化身土巻講義)
  17日 午前10時 常讃寺化身土の会(化身土巻講義)
  23日 午後2時 常讃寺彼岸会 聞法会
  24日 午後8時 小松市聞響の会(小松教区の若手僧侶の法話と座談会)
  29日 午前10時/午後1時 京都教区坊守会1日研修会

10月8日 午前10時/午後1時半 常讃寺報恩講 阿満利麿さん法話
   14日 午前9時半 大谷専修学院(京都)同朋講座
   15日 午前10時 常讃寺化身土の会(化身土巻講義)
   18〜19日 仙台教区研修会(尊号真像銘文学習会+講義)
   21日 午後7時 聞響の集い 小松教区の僧侶+梶原敬一さん法話
    [21日 午後8時 美川『教行信証』の会(信巻講義)]
     上の「聞響の集い」と重なるので美川の会の日程は変更するかもしれません。
   30日 午後6時半『再会』金沢講演(金沢市文教会館)
   六道会:未定

一応、誰が参加してもさしつかえなさそうなものだけにしました。
9月29日京都教区の坊守会と、10月18日仙台教区の研修会は、
公開的な行事なのかどうかわかりませんので、
事前に各教務所に問い合せしてみて下さい。


9月の予定表をリクエスト 投稿者:Vita  投稿日: 8月28日(月)08時21分53秒

いつも、お世話になっています。

なぜか、私の方に、ナマらくりんさんの九月の予定をお聞きしたいとのメールが届いています。
真宗BOARDSじゃ、私、らくりんさんのマネージャーみたいな分際、ということでしょう(笑)。

一つ、ここに、毎月書いていただければ、幸いなんですけど。

美川の会を楽しみにしています。ではでは。


らくりん さんの 住まいは 投稿者:松田 幸b  投稿日: 8月28日(月)03時54分16秒

 金沢ですか?。 教えてください。 
金沢の重いでは、自伝 オンぐ の 新曲出たとき に レコード購入いったと機かな。

 仕事で3ヶげつほど 滞在して、朝飯を金沢の駅まで買い出しにいったのと、会社の車で
いろんな所を走っていると、袋工事で、行き止まりで、バックしたことぐらいですね。

 当時は、今みたいに、コンビニは、無かったからね。30年前のお話です。


re Re2:聴聞に極まる 投稿者:ootubo  投稿日: 8月26日(土)04時56分24秒

林遊さん、わかりやすく、味わい深いご説明ありがとうございました。


Re2:聴聞に極まる 投稿者:林遊  投稿日: 8月25日(金)11時39分17秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。

こちらこそ質問して下さって有り難うです。どうも小生は、田舎門徒の小生が
知っている程度のことは、皆さん知っているはずだと、いう前提で発言するの
で困ったものです。

 >何かに至る過程を仰有っているのではありませんですね。

手段と目的という事を想定して書きました。手段ほどつまらないものは
ありませんね。目的が手に入れば捨ててしまうのが手段というものの性
格でありましょう。

時々、聴聞を、目的へ至る手段、のように言われる方がいますが、はた
して聴聞は信心への階梯なのでしょうか。もし階梯、手段であるならば
先人はこの御法義を「聴聞に極まる」などと仰らなかったでしょうね。
聴聞が目的であるからこそ、浄土真宗という宗教は「聴聞に極まる」の
です、と表現して下さったのでしょう。

古来、「聞即信」といわれますが、「聞」いていること、聴聞している
内容そのものが、そのままこちら側の「信」です。

「若不生者 不取正覚」(もし生まれなければ正覚を取らじ)という呼
び声を、ある時は下手な布教師を仕立てて、ある時はなんまんだぶつと
声になり、またある時はオブッタンの中にぶら下がってまで、「聞」こ
えて下さるのでしょう。

如来の「たすかってくれよ」という「目的」が、小生達にはどう考えて
も「手段」としか思えない「聴聞」という可聞の法となって届いて下さ
るのですから面白いですね。

 >聴いた私には用事がないですよ。聞こえたみのりに用事があるんでしょ。
 >確認とか信心とかいう下らないものに固執し、信仰を固定化するならば、
 >もはや、浄土真宗という御法義ではありません。

表土真宗に入る道はありません。何故か?回向法だからです。私が解ろ
うが解るまいが何の関係もありません。向こうが私を目的として、私の
分かるとか解らないとかいう、煩悩を材料として仕上がったのが、本願
でした。

如来の、これで間違いないという金剛堅固の信心の内容として、もう既
に取り込まれているのがこちら側でしたね。聴いた私の理解(たすかり
方)や確認ではなく、阿弥陀となった如来の本願(たすけぶり)を、ぼ
んやり聴聞するのでしょう。

間違いない、という如来の領域からの言葉を、間違いないと聞いていく
のが回向された「ご信心」でありましたね。如来の信心であると同時に
私のご信心でありのが、この御法義のご信心というものですね。

 >阿弥陀さまを「我」とする秩序の中に、「汝」としての自己を発見するのが
 >御開山が仰る「有情をよばうて」ではありませんでしょうかね。

自己中心的世界観からの脱却です。自己を中心として妄想している世界
から、他を中心とした世界観へ、すこ〜しだけ見方を変えてみると、面
白い世界が見えるかもしれませんね。

下手くそな説明ですけど、阿弥陀さまのうわさ話をするのが林遊は大好
きだったりしますので、またともに味わっていきましょうね。

いつでも、どこでも、だれにでも、阿弥陀さまがご一緒でしたね。

     なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


re聴聞に極まる 投稿者:ootubo  投稿日: 8月25日(金)07時20分41秒

 林遊さん、お言葉ありがとうございます。
 「聴聞に極まる」とうけとめています。

 しかし、以下のことは実感としてわかりませんので、聴聞させていただきます。
 >何かに至る過程を仰有っているのではありませんですね。
 >聴いた私には用事がないですよ。聞こえたみのりに用事があるんでしょ。
 >確認とか信心とかいう下らないものに固執し、信仰を固定化するならば、
 >もはや、浄土真宗という御法義ではありません。
 >阿弥陀さまを「我」とする秩序の中に、「汝」としての自己を発見するのが
 >御開山が仰る「有情をよばうて」ではありませんでしょうかね。


reすでにこの道あり 投稿者:ootubo  投稿日: 8月25日(金)07時13分34秒

 どうも丁寧なお言葉ありがとうございます。
 私の書き方が悪かったのですが、
 >「ただ念仏すべし」となかなかいただけません。
 というのは、いただけないのではなく、いただけるときもあるが、
 ときにはいただけないときもあるという意味です。
 そして、これにアドバイスが欲しいということで書いたのではありません。
 以下らくりんさんとはかみあわないかもしれませんが、

 >>「たすかるはずがない自身の現実を深く信じる」ことができればそれがたすかるこ
 >>とではないでしょうか。
 >これは、単なるOotuboさんの想像、または期待にすぎません。
 想像ではなく実感です。期待ではなく歩みの第一歩です。

 >>ただなにもかもおまかせで自分は何もしなくてもたすけられているわけなら、聴聞
 >>したり聖典を読む必要がないのではないでしょうか。
 > これは「因」と「縁」の混乱です。
 > 聴聞や聖教を読むことは、「縁」になることがあるかも知れないけれども、
 > 決して「因」ではありません。
 > しかも、「聴聞や聖教を読むこと」自体も、縁にもよおされてすることですから、
 > それをしたからどうなる、しなかったらどうなるというものではありません。
 「因」と「縁」の混乱してはいません。
 しなかったら、歩みの停滞、眠り、方向違いを生じる可能性があります。

 >「ただなにもかもおまかせで自分は何もしなくても」とおっしゃいますが、
 >Ootuboさんは何をすれば「いい」と考えていらっしゃるのですか。
 >「確認」ですか、「信心」ですか、「信じること」ですか……、
 >Ootuboさんが想像しているような「確認」とか「たすかる」ことが必要だとするならば、
 >その確認ができなければいつまでも、歩みなんか始まらないのではないですか。
 >確認ができるまでいつまでもたちどまって、確認できる時を待ち続けることに
 >なりはしないでしょうか。
 >まかせなければ、一歩も踏み出せない
 「信心」や「信じること」は私が起こすことではなく、いただくものです。
 「たすかる」ことが必要でなく、すでにこの道を歩んだ
 >親鸞の歩みを自分も決意して歩むことが、私にはたすかっていることです。


聴聞に極まる 投稿者:林遊  投稿日: 8月24日(木)11時00分13秒

ども、林遊@なんまんだぶつです。


 ただなにもかもおまかせで自分は何もしなくてもたすけられているわけなら、
聴聞したり聖典を読む必要がないのではないでしょうか
>(改行位置変更)

このご法義ではご存じのように、聴聞に「極まる」とは言いますが、聴聞を
「究める」とは言いませんね。
 
極ということは「極致」という極限概念で、もうその先がないという意味で
あり、過程やプロセスや手段を表す言葉ではありません。
 
御開山親鸞聖人が御消息の中で「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(東601
/西737)と仰有っているのも、最高、最上の意(こころ)であり何かに 至
る過程を仰有っているのではありませんですね。

「聴」けば、必ず汝をすくうと「聞」こえるのが当流のお聴聞であり、阿弥
陀さまの「仏願の生起本末」でありましょうや。

聴いた私には用事がないですよ。聞こえたみのりに用事があるんでしょ。確
認とか信心とかいう下らないものに固執し、信仰を固定化するならば、もは
や、浄土真宗という御法義ではありません。

死ぬまで、もっともっととお聴聞し、お聖教を読ませていただき、お念仏を
相続し慶ばせて下さるのが、浄土を真実とする御法義です。

死ぬまで煩悩具足の身ではありますが、信を仏辺に仰ぎ、慈悲を罪悪機中に
味あわせてくださるダイナミックな御法義が、浄土が真実の御法義でしたね。

阿弥陀さまを「我」とする秩序の中に、「汝」としての自己を発見するのが
御開山が仰る「有情をよばうて」ではありませんでしょうかね。

     なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・・・・称名相続


すでにこの道あり 投稿者:らくりん  投稿日: 8月24日(木)09時02分39秒

>「たすかるはずがない自身の現実を深く信じる」ことができればそれがたすかるこ
>とではないでしょうか。
これは、単なるOotuboさんの想像、または期待にすぎません。

>ただなにもかもおまかせで自分は何もしなくてもたすけられているわけなら、聴聞
>したり聖典を読む必要がないのではないでしょうか。
これは「因」と「縁」の混乱です。

聴聞や聖教を読むことは、「縁」になることがあるかも知れないけれども、
決して「因」ではありません。

しかも、「聴聞や聖教を読むこと」自体も、縁にもよおされてすることですから、
それをしたからどうなる、しなかったらどうなるというものではありません。

「ただなにもかもおまかせで自分は何もしなくても」とおっしゃいますが、
Ootuboさんは何をすれば「いい」と考えていらっしゃるのですか。
「確認」ですか、「信心」ですか、「信じること」ですか……、

Ootuboさんが想像しているような「確認」とか「たすかる」ことが必要だとするならば、
その確認ができなければいつまでも、歩みなんか始まらないのではないですか。
確認ができるまでいつまでもたちどまって、確認できる時を待ち続けることに
なりはしないでしょうか。
まかせなければ、一歩も踏み出せない

「我今回らばまた死せん、住まらばま死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉
れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度す
べし」(東219/西224)
この言葉は何かの確認ができたから一歩踏み出したわけではないでしょう。

このような形で、Ootuboさんのおっしゃっていることは、
ご自分が歩み出さない言い訳を書き連ねているだけのような気がします。

〈すでにこの道あり〉


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