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  新教団構想研究集会パート 4 報告書 所収
   ―新たなる「伝道の宣言」のために―
                               1998年6月3〜4日 於:京都教務所



 未校正WEB版 「私」の『教行信証』

  こんばんわ。この集会も今回でパート四ということになります。私は四回のうち三回話をさせられ
たので、そろそろお役御免かなと思ったのですが、五月に明石書店から本を出版しましたもので、
その宣伝と販売をさせていただければと思って、今回ものこのこと出て来ました。『親鸞の教行信証
を読み解く』という大層な名前ですが、受け付けにたくさん積んでありますので、是非お買い求めい
ただくだけではなく、お読みいただければと思います。

  私は、自分の書いたものを読むのはあまり好きではないのですが、この本については自分自身
でも何度も読み返しています。蓮如さんは「わがつくりたる物なれども、殊勝なるよ」と、こういうこと
をおっしゃったそうですが、蓮如さんと比べるのは僭越ですが、この本については、私も何かそうい
うような感じが持てます。自分でも読み返して「いい本になったな」と思っています。全部で五巻まで
ありまして、『教行信証』の最初から最後まで通して講義しました。ぜひとも五巻全部をお読みいた
だければと思います。

  これで今回、本当に言いたかったことは終わりです。あとは付録のつもりで聞いて下さい。

  実は今第二巻目の原稿の仕上の作業をしておりまして、朝から晩までというほどではありません
が、ほとんどそのことが頭から離れません。今回の発題のテーマも何か決めろ言われたのですが、
『教行信証』のことしか頭の中にない状態で、ちょっと思い浮かばないので、電話をしてきた方に「そ
ちらで勝手に決めてくれ」と、決めてくれたら、それに基づいて何かお話しいたしますとお返事しまし
た。それで〈「私」の『教行信証』〉という、どうにでも展開できる題を頂戴しました。あまり考えがまと
まっていないのですけれども、思いつくままに話していきたいと思います。

  ※    ※    ※

  本題に入る前に、先週ちょっとした事件が私の身辺でありました。まあ「事件」というよりも、私が
事を荒立てようとして、さざ波程度にしかならなかったという話ですが、そのことを簡単にお話しして
おきたいと思います。

  実は今月、六月二十日に、「大谷大学in金沢」ということで大谷大学と大学同窓会の金沢支部の
主催で公開セミナーが開催されます。香山リカさんという精神科医の講演と、その後彼女と、名前
は思い出せませんが金沢大学の教授と、それと大谷大学の助教授の延塚知道さんの三人でシン
ポジウムをやる予定です。それは私は参加するつもりがなかったので、あまり日程のことは意識は
していなかったのですが、たまたまいろいろなチラシとか集会のご案内を整理していたら、この公開
セミナーがある金沢教区の同朋大会とまったく同じ日の同じ時間帯に重なっていることに気がつき
ました。そちらの方は阿満利麿さんが来ることになっています。どちらのあつまりも、いわば宗門外
のタレントを呼んで盛大にやる集まりです。それでこれはいくらなんでもちょっと具合が悪いのでは
ないかということで、あちこちに連絡を取って事情を確認すると同時に苦情を言いました。

  まず一番最初に連絡ついたのが、大谷大学の同窓会本部です。こういうことをしてもらっては困
ると。何が困るかといいますと、大谷大学というのは、こういう行事の組み方をする坊さんを輩出し
ているのかということになってしまうわけですね。門徒さんには「同朋大会に出ろ!」と言いながら、
自分っちは目と鼻の先の別の会場で同窓会をやっていると。こういう構図は問題が多いのではない
かと苦言を呈しました。まあ一応丁寧に応対をしていただきましたが、最後は「検討させいただきま
す」という、想像通りの応えが出てきて終わりです。

  その後、教区会の議長さんが、この方は谷大の同窓生ではないのですが、驚いたことに「実は
それは分かっていてそういう日程にした」と言うのです。同朋大会の日程を組む時に、教務所の職
員から指摘があってその日に谷大の同窓会があるということは分かっておったのだけれども、その
時は同窓会がこういう大々的なイベントだということは知らなかったので、まあどうせ同窓会は集ま
ってもせいぜいで十人か二十人程だろう、という判断で同朋大会の日程をぶつけたそうです。後で
セミナーの中身が分かって、ちょっと困っておるのだという話をしておりました。それでどういう事情
でこういう日程になったのか分かりました。

  その後、金沢の同窓会支部の世話人に連絡がつきまして、これがどういう意味になるのかという
ことについて、私なりの思いを話しました。結局谷大出身の住職や、お坊さんがどっちを向いている
かということを公言するようなものなんですね。本音のところでは同朋大会なんかあまり関心なくて、
どうでもいいと思っているかも知れませんけれども、そう思いながらそれを心の中に留めておくことと
、こういう日程がぶつかるという形ではっきり目の前に出してみせるようなことは全然別の話ではな
いかと。内心ではどう思っていても、それは他人がとやかく言う筋合いはないけれども、そういうこと
を「かたち」として目に見えるようにしてしまうのは、それはあまりにもまずいんじゃないか。こんなこ
とをしてもらったら、そういう連中の同じ仲間の同窓生であると言われることが恥ずかしい。同窓会
を抜けさせてもらいたいくらいですと言ったのですけれども、なかなか理解してもらえなかったみたい
です。これは日程が決まる経緯や、主催者の意図がどうであれ、大谷大学同窓生は同朋大会を無
視していると見なされてもしかたがないわけです。

  どうしても対外的な大スターを呼んでいることもありますし、他の行事との関係もあったりして、ど
っちも日程的に動かせないということはわかりましたので。それ以上あまり追及しなかったのですが

最後に同窓会の支部世話人宛てに手紙を書きました。私がなぜこのことを問題にするのかを簡単
に説明したあと、二つのことを要望しました。一つは、「同窓会の事務局として会員に対してこの事
態について経緯を説明し、どのように考えるかを示してほしい」ということと、もう一つは「経緯はどう
あれ、同朋教団という本姿から考えて同窓会としては、大会の成功を投げうってでも、同朋大会を
優先するという姿勢を表明した方がよいと思うので、支部の同窓生僧侶に対して、同窓会への出席
よりも、同朋大会への出席を優先するように呼びかけるご案内を同窓生宛てに出してはどうか」とい
う趣旨です。最後に「こうした行き違いが起こったことをきっかけとして同窓会事務局が、そういう姿
勢を示せば、私たちが忘れかけている同朋教団の本姿を思い出す機縁となるかもしれない。そうな
れば、同窓会大会を成功させることよりも、はるかに大きな働きになるのではないか」というようなこ
とを言い添えて手紙を結びました。

  私としてもそれ以上親切にはなれませんでしたので、その手紙を出して、この問題を自分の中で
打ち切りました。あと開催までに二十日程ありますから、これからご案内が来るかどうか分かりませ
んが、あまり期待せずに待っています。

  同窓会と同朋大会の日程が重なったとしても、おそらくどちらかの参加者が大幅に減るというよ
うな実質的な影響はほとんどなかったと思います。香山さんの話を聞きたかったけれども同朋大会
にでなければならないから聞けなかったとか、その逆のケースもほとんどなかっただろうと私も思い
ます。だから電話で問い合せしている時にも、言葉の端々に実質的に問題が起こらないだろうから、
何もそう事を荒立てる必要はないではないかと、こういう意識で相手の方が対応されているようなも
の感じて、非常に気になりました。

  問題はぜんぜんそういうことではありません。私がやはり一番そこで思っているのは、象徴的に
大きな意味が生じるのではないかということを申し上げたかったわけですね。実際に人がそれによ
って動かないということはあるとは思うのですけれども。日頃私たち僧侶がどういう意識を持ってい
るのかということを「かたち」にしてみせるということが非常に大きな問題があるような気がするので
す。

  些細と言えばたしかに些細なことですが、極めて象徴的な出来事なんです。この象徴という問題
は儀式論にもつながる大切な問題であるにもかかわらず、私たちの教団では象徴という問題がちょ
っと軽視されすぎているのではないかと思います。

  今の話は、これから話すこととどういう関係があるのか、もしかしたらわかっていただけないかも
知れませんが、私の中では一応前フリとなっているつもりです。

  ※    ※    ※

  私は真宗の教えに出遇ってから、十数年間『教行信証』をずっと読んできましたが、最近非常に
思うことは、『教行信証』という書物を著わすことによって、親鸞が一体何を私たちに伝えたかった
のかということです。私たちは、「浄土真宗は真実の教えである」というようなことを常々聞かされて
いるわけですけれども、実は私は親鸞が『教行信証』の中で一番大事にしていることは「方便」とい
う問題ではないかという気がするのです。

  つまり具体性を持った、形を持った表現があるということが実は浄土教の一番大きな本質といい
ますか、大事な要(かなめ)なのではないかと思います。方便が明らかになったということが仏教史
の中における、浄土教の一番大きな意味なのではないかなという気持ちが最近、特に強くなってき
ました。

  「方便」という場合、これは安田先生が時々おっしゃっているのですが、「善巧方便」と「権化方便」
という、こういう方便の二つの意味がると言っておられます。私は、善巧方便というのは弥陀の方便
で、権仮方便というのは釈迦の方便という、こういう具合に受けとめておるのですが、善巧方便とい
うのは、本来色も形もない「如」が名号という表現の形を持ったという意味での方便です。その名号
を私たちは本尊としているわけです。「如」が如のままでは私たちは取りつく術がない。「如が来る」、
形をとって我々の目の前に現れるということによって、はたらきを持つ。如が如のままではたらくの
でなしに、方便のかたちをとって我々の前に立ち現われるという意味で善巧方便と、安田先生はお
っしゃっているのだろうと思います。こういう問題は『教行信証』では行巻の名号論、あるいは証巻
の法性法身と方便法身というようなところで中心的な問題になっています。

  権化方便は、そのことを釈尊は、説き伝えるためにあらゆる手立てを尽くしていることを指してい
ます。それは『教行信証』の中では十九願・二十願、あるいは要門と真門といわれる、方便化身土
巻の前半の主要課題になっています。別の言い方をすればなぜ釈尊は『観経』や『阿弥陀経』であ
のような説法をされたのかという問題になっていくと思っています。

  私自身も少し前まではほとんど意識していなかったのですが、『観経』の説法にしても『阿弥陀経』
の説法にしても、善導の影響を受けた浄土教徒の立場からこれらの経典を見ると、実はこれは非
常に変な経典なんです。

  『観経』の説法がなぜ変かといいますと、その前に、ご存知だとは思いますが念の為に確認して
おきますと、『観経』の説法というのは王舎城の悲劇の部分ではありませんね。『観経』というとあま
りにも王舎城の悲劇のことばかりが取り上げられますので、どうかするとあれが『観経』の主要な内
容であるような錯覚に陥ってしまいそうなのですが、『観経』における仏の説法というのは定散十六
観です。これは善導によって明確にされた確認の一つです。王舎城の悲劇はその説法がなされる
に至る状況を説明している序分です。

  王舎城の悲劇のような話は、いろいろな経緯(いきさつ)や因縁話がありますけれど、簡単にいっ
てしまえば、刀を抜いた息子に追いかけられて、やっとのことで命拾いして、「助けてくれ!」といって
釈尊に泣きついた。韋提希はこういう非常にせっぱ詰まった状況の中で釈尊に向かっているわけで
すね。そのような取り乱した状況から落ち着きを取り戻して、弥陀の浄土に往生したいと言って「教
我思惟 教我正受」、浄土を思惟し正しく受けとめる方法を教えてくださいと、こういう願いを持って、
釈尊にたのんだわけです。その時釈尊は「微笑して」、そこから釈尊の定善十三観・散善三観の説
法が始まります。

  これおかしいと思いませんか。とても変なのにもかかわらず、私はつい最近まで全然変だと思っ
ていませんでした。というよりも何も考えていなかったのです。ところがよくよく考えると、「偏(ひとえ)
に善導一師に依る」と言った法然を「よき人」と呼ぶ親鸞の教えを聞いた私たちとしては、そこのとこ
ろに来なければならない説法というのは決まっているはずなのです。それは「ただ念仏しなさい」と
いう、こういう一言でなければならないはずなのです。それが善導の流れを汲む浄土教徒としての
当然の反応であるはずなのです。ところが釈尊はそんなことは知らん顔で日想観・水想観というよう
な話をし始めた。これは乱暴に言ってしまったら座禅して暝想しなさいということでしょう。そういう修
行の仕方をレクチャーし始めたわけですね。なぜあそこで「座禅を組め。暝想しなさい」という説法を
されたのかということが、私達には一つの大きな疑問にならなければならないはずなのです。

  皆さんの中にそういう疑問を持たれた方がいらっしゃいますか。王舎城の悲劇こそが『観経』の
メインテーマだと見られてきた中では、そういうことは問いにもなってこなかった。善導は「ただ念仏」
というこを最もはっきりとした形で明らかにした人です、その善導が定散十六観こそがまぎれもなく
釈尊の説法の本体であると言い切っています。ちょっと考えたらおかしいでしょう。

  一方『阿弥陀経』というのは、非常に単純な内容です。正直に言いますと、私は『阿弥陀経』とい
う経典をずっと馬鹿にしていました。というのは、読めば分かるわけです。後に何も出てきそうにもな
いというか、とても奥が深そうな経典には見えない。ご飯の種にさせていただいておりながら、ぜん
ぜん敬意を払ってこなかったというのが正直なところです。

  だって「極楽」というのがあって、そこに鳥が飛んでおって樹があって花があって池があってと。
そこに生まれたかったら念仏しなさいと。それは六方の諸仏が長い舌をだして、口をそろえて誉め
称えていると。ただしこれは世間甚難の法であると、いってしまえば、これだけの経典ですね。他に
何もでてこない。そういう非常に単純な説法です。内容的には、これは浄土を願った韋提希にしなけ
ればいけない話なんです。韋提希にするべき話を『阿弥陀経』の中では、誰を相手に話しているか
というと、舎利弗にしているわけです。智慧第一の舎利弗。舎利弗・目蓮という並び称せられた、い
わば釈尊の弟子の中でも最も皆の尊敬を集めている仏弟子です。釈尊が後事を託したいとさえ思っ
ていたと言われている舎利弗です。舎利弗にしてみれば、言わずもがなのことを熱心に語っている
わけですね。それに対して舎利弗は一言も言葉を発さずに最後まで黙って聞いています。おかしい
と思いませんか。

  『観経』にしても『阿弥陀経』にしても、説法の内容と対告衆がどうも不釣り合いなんですね。私た
ちは、いや少なくとも私は、この不釣り合いにあまり疑問や違和感を感じてこなかったわけです。今
私が『観経』と『阿弥陀経』をどのように見ているかという問題については、それを話しているといた
だいた時間では足りませんので、『親鸞の教行信証を読み解く』の第四巻に出てきますから、そちら
を読んで下さい。

  ※    ※    ※

  これまで『教行信証』の中で、方便化身土巻が伝統的にどのように位置付けられてきたかという
と、真実五巻に対する方便の巻であると見られてきました。いわば付録扱いされてきたと言ってもい
いかと思います。

  この真実五巻と方便一巻という見方は、『教行信証樹心録』という講録を残した本派の智暹(ち
せん)という人が最初に言い始めたそうです。真実に対して方便というのは、よくても付録扱い、ひど
い場合は前五巻で真実が明らかになれば、方便の巻は必要ないという扱いをされる場合もありま
す。実際に「方便化身土文類」は要らないということで、真仏土巻で講義を打ち切っているような例
まであります。これは今日でも私たちが『教行信証』を見る時に非常に大きな影響を受けてる見方
です。 例えば去年(1997年)の安居の際に、大谷大学の安富先生が次講として総序の講義をしま
したが、その講義概要を見ると、曽我先生の『行信の道』や安田先生の総序の講義について言及し
ているにもかかわらず、『教行信証』全体を、

  『教行信証』の中で、〈顕浄土真実教行証〉は、他力真宗の大綱を顕す前五巻を
  指し示し、聖道門自力の要門を顕す第六化身土巻の〈顕浄土方便〉に対応する。
                            (『平成九年 安居講義概要二三頁』)

という具合に見ていますから、基本的には智暹の見方を踏襲しているわけです。

  今年の安居は柏原祐泉先生が化身土巻について講義をされるそうですが、どのような見方をさ
れるでしょうか。
  注:『平成十年 安居講義概要』によれば、開講の辞には〈宗祖親鸞聖人の畢生
   の大著『教行信証』の前五巻では真実教としての浄土真宗が、精緻かつ感動的
   に開顕されているが、それに対し終巻の第六巻「顕浄土方便化身土文類」では
   本末二巻に分けて、『観経』・『小経』両経の方便経としての意義や、仏道以
   外の外教の役割などについて詳述される。〉とある。

  私たちの先輩の中には、この前五後一という見方に対して、いろいろな見方が提起されていま
す。
  まず忘れてはならないのは曽我先生の見方です。曽我先生の教行信証観は、「伝承と己証」と
いう表現で明らかにされています。教・行の前二巻と、信・証・真仏土・化身土の後四巻です。伝承と
いうのは本願の歴史が親鸞のところまで伝わってくる歩みですね、それを『大無量寿経』と七人の祖
師に代表される方々の書物によって確かめています。そして己証というのは、親鸞が自分自身でそ
の教えの意味を確かめた、それが信巻以降の問題である。と

  もう一人、曽我先生の提起を受けた形で金子先生が独特な見方を提起されています。金子先生
は正説四巻と補説二巻という言い方をしていますが、前四巻と後二巻に分けて見ているわけです。
金子先生自身がそういう言い方をしていたのかどうか記憶が定かではないのですが、四法の巻四
巻と仏身仏土の巻二巻という具合に言うことができると思います。

  二つに分けた見方では、あともう一つ重要な見方があります。六巻を分ける形ではありませんが、
往相の回向と還相の回向という証巻の途中で二つに分ける見方です。私は、この見方を誰が最初
に言ったかというのは知りませんでした。たまたまわかったことですが、『相伝義書』がその見方で
科文を切っているのを見て驚きました。

  『教行信証』を二つに分けてみる見方は主なものとして、この四つがあるわけです。私の考えで
は一番駄目なのが、根強い影響を残している前五後一の見方です。方便化身土を付録と見るよう
な意識が元にあるような見方では『教行信証』全体の見方を誤ってしまうように思います。他の三つ
は、それぞれにやはり理由があると私は思っています。

  曽我先生と金子先生と『相伝義書』の見方にはそれぞれ重要な視点が含まれていて、それを三
つをトータルして見ていく必要があると思うのですが、あえてどれか一つということになると、私の『教
行信証』の領解と一番近いのは金子先生の前四後二の見方です。

  私は化身土巻は『教行信証』の結論だと思っています。それほど重要な巻です。どうしてそうな
のかということをお話しして、今日の私の問題提起にしたいと思います。

  この四法の巻四巻というのは、親鸞が法然から受け継いだ、いわゆる「よきひとのおおせ」とい
われているその中身はどんなものかと。親鸞が「私が受け止めた浄土の教えとは、こういう内容の
教えである」と、それを明らかに著わしたのが前の四巻です。この点はそれほど厄介な問題ではな
いだろうと思います。

  問題は仏身仏土の二巻、「真仏土巻」と「化身土巻」はどういう意味あるいは役割を持っている
巻であるかという点です。

  この問題を考える上で重要なことは、仏教史の大きな流れの中で浄土教がどのように位置付け
られてきたかということです。今日浄土教と言えば、伝統教団として、日本の仏教界の中において一
大勢力として大きな位置を占めていますが、最初からそのような位置が用意されていたわけではあ
りません。事実はその逆で、実は浄土教というのは仏教の大きな流れの中でずっと異端扱いといい
ますか、仏教からの逸脱の系譜と看做されてきました。そのことは浄土教の先達たちが直面した論
争を少しでも繙(ひもと)けばすぐにわかります。

  たとえば道綽・善導と聖道諸師との間の議論を見ましても、日本における『興福寺奏状』や明恵
の『摧邪輪』の批判を見ても、浄土教を正統的な仏教の流れを受け継いでいるとは評価していませ
ん。法然に対する明恵の批判を見ると、「菩提心を否定するものは仏教にあらず」と言っているわけ
ですから、法然の専修念仏を仏教とは認めていないわけです。この批判は明恵だけが特別なことを
言っているわけではありません。浄土教に対する批判は本来的にそれが仏教であるか否かという
質を含んでいたのです。そのことが法然によって極めて簡潔な形で浄土教の本質が明らかにされ
たために、批判の論点もそれに応じて明確になっただけです。

  私は七祖の中で、この問題に一番悩んだのが曇鸞だったのではないかと思います。浄土教の
本尊について「方便法身」という問題を立てて一番最初に言及しているのが曇鸞だからです。なぜ
曇鸞にそういう問題意識が起こったかといいますと、曇鸞は四論の学匠ですね。四論というのは、
三論宗の学問に智度論を加えた学問だそうですが、その三論とは、龍樹の『中論』『十二門論』とそ
の弟子提婆の『百論』とをいい、『般若経』の空の思想を論じる学問です。つまり「空の思想」をベー
スにして、あらゆるもの実体化を否定する学問です。

  そういう学問的背景を持つ人が浄土教を見ますと、本尊に対して絶対的な帰依を求めるような
教えというのは、真如を実体化しているとしか見えないわけです。「空の思想」とは完全に相反する。
最もあってはならない〈執着〉を要求する教義であるということになってしまうのです。ところが曇鸞に
おいては、浄土教に出遇うということが事実として起こってしまった。その辺から彼の思想的な苦労
が始まったのではないかと思います。法性法身と方便法身の問題が『浄土論註』で中心になってい
るのは、ここから出てくる問題意識であるわけです。そこから曇鸞は、浄土教の本尊が方便法身で
あることの意味を明らかにしています。つまり実体ではなく象徴が持っていることの意味です。この
辺を履き違えると、曇鸞は真如を実体的に考えているのではないかという勘違いをしてしまいます。

  その議論は、その後浄土教をめぐって、ずっと続いていきます。だから弥陀一仏ということなら
帰依三宝の否定になるではないかとか、本尊を立ててそれに帰命せよというのは偶像崇拝に他な
らないではないかと、こういう議論は出て来て当然の問題なのです。だから法然と明恵のやり取りを
見た親鸞も、当然その問題を意識していたはずです。

  私は、「浄土教は仏教ではない」という批判に応えることが『教行信証』のもっとも大きな役割の
一つであるのではないかと考えています。私には、『教行信証』六巻の構成がそのようになっている
と見えます。

  「浄土教は仏教ではない」という批判に応えるためには、いくつかの段階が必要ですが、まず最
初に必要なのは浄土教とはどのような内容の教えであるかということを明らかにすることです。私が
「よきひとのおおせ」として受け止めた浄土を教えとは、このような内容を持つ教えであるということ
を明確にしているのが教・行・信・証の四法の巻です。本願の歴史の伝承と、自らの問答を通した
確かめと、その証果の在り方、これが教えのすべてです。

  次に必要なのは、そこで確かめられた教えがはたして仏教と言い得るのかどうかという問題です。
それが真仏土巻です。仏身仏土というのは、願心が荘厳する世界です。つまり、どういう世界が実
現するかということが、逆に願の質を顕(あらわ)にするわけです。本願が成就する仏身仏土として
象徴的に表わされる浄土教の教えが、仏教の理念を具現するものであるかどうかということを確か
める必要があるわけです。ですからここでは当然、仏教とはどういう教えであらねばならないのかと
いうことがはっきりして、初めて浄土教は間違いなく仏教であると、こういうことが明らかになってくる。
そこまでくると普通はこれで充分だと考える。『教行信証』を前五後一と見る意識は、思考の進行が
ここで止っているわけです。

  ところが正論を筋道を立てて説明しただけではまったく不充分なのです。どうしてももう一つ、反
対側からの確かめが必要なのです。つまり仏教と呼んではならないもの、すなわち仏教からの逸脱
とはどういうものかということを明らかにしなければ、事は何もはっきりしないのです。これが真実で
あるということをいくら力説してもその中身というのは確定してこないのですね。

  私が、この視点を私が教えてもらったのは靖国問題の違憲訴訟裁判です。例えば「信教の自由
」とか「政教分離」ということは憲法で保障されています。だから「政治による宗教介入はやってはな
らないことである」と、こういうことは一般論としては誰も否定しないわけです。本当にこの規定が機
能するかどうかということはどういう時にはっきりするかと言ったら、何が違反行為かということが明
確になった時です。四国の安西さんが闘った愛媛玉串料訴訟を例にとれば、県知事が県費から玉
串料を出し続けた、この行為がいわゆる憲法の政教分離規程に違反するかしないか。この判断が
原告側と被告の県側では真っ向から対立したわけです。

  その白黒をはっきりさせないまま「日本の憲法は政教分離を明確に規定しているから安心だ」と
言っておっても何にもならない。そういう一般論なら県側も否定しないのです。では具体的に県費か
ら玉串料を出すことは、それに違反するのかしないのかとなると、そこで違ってくる。だからここの境
目がはっきりしないと、どんなりっぱな規程でも、中身がぐちゃぐちゃになってしまう。解釈次第でど
んなことでも通ってしまうことになる。そうなると話は強い者の解釈が勝つ。力関係で事が決まってし
まう。それならばりっぱな理屈は何一つ必要ありません。

  何が逸脱であるかということをはっきりさせないことには、仏教にしても憲法にしても本当の中身
が確定してこないということがあります。逸脱を明らかにすることこそが、物事の境目を具体的にす
る唯一の手立てなのです。私はそれが化身土巻の役割だと考えています。

  税金から玉串料を出しても問題ではなというような政教分離規程なら必要ない。それと同じで、
味噌でも糞でも、何でもかんでも同じ仏教だから仲良くしましょうというのなら、そんな仏教はほとん
ど意味がない。だから化身土巻がなかったら、いくら「浄土真宗こそが真実の教えだ」と力んでみて
も、解釈次第でその中身がどのようにでも空洞化してしまう可能性がある。まったく空疎なものに入
れ替わっていても誰も気がつかないかも知れない。だから化身土巻の中で確かめられていることが、
実は『教行信証』全体の質を決定していくような役目を担っているわけです。そういう意味で、私は、
化身土巻は『教行信証』の結論であると言いたいのです。

  ※    ※    ※


  化身土巻は大きく二つの部分に分れています。坂東本では化身土巻は二冊に分けて綴じられ
ています。従来それを本巻・末巻と呼んできましたが、私が二つに分れると言っているのは、あまり
その本・末二巻とは関係がありません。私の考えでは、化身土巻は前半が問答、後半が教誡という
語が中心になって展開しています。

  前半の問答というのは、先ほど『観経』と『阿弥陀経』のことを話しましたが、親鸞はこれらの経
典は、それぞれ第十九願と第二十願の精神に基づいて説かれた説法であると位置付けています。
今、化身土巻は逸脱を明らかにする巻であるといいましたが、この逸脱は逸脱であっても阿弥陀の
本願の中にはっきりと位置付けられている逸脱であるわけです。

  第十九願というのは、これは従来から言われてきた説明では自力聖道門の在り方である。だか
ら真宗に至るための方便にすぎない。こういう形で非常に貶められてきた願です。浄土真宗から見
れば問題外の外であるというような感じでいわれています。そのように言いながら、ではなんでそん
な不用なことが本願の中に説かれているのかと、この点については誰もはっきりと説明していない
のですね。親鸞以前も親鸞以降も、なぜ第十九願などという願が四十八願の中に位置を占めてい
るのかということは、疑問にもならなかった。この問題は、親鸞以降の真宗の教学の中でもはっきり
と位置付けられていたとは、私は思いません。

  本当につまらないものだったら、要らなかったはずです。それをなぜ「願」と称したのか。親鸞は
それを「観経の意(こころ)である」と、こういったわけですね。『観経』で仏が韋提希に説いた説法は、
簡単に言ってしまえば精神を集中して暝想せよと、こういうところから始まります。なぜ釈尊が、韋提
希に対して、「ただ念仏せよ」と言わずに、「座禅せよ」というような説法をしたのか。こういう問題で
す。

  それから第二十願の問題は、信心に中途半端な信心と本物の信心があるかという問題です。
私らのところでは「二十の願」という言葉があります。これはその人の信心は本物の他力の信心で
はないという意味の悪口です。あるいは「半自力半他力」というような言葉もあります。これらは信仰
が閉塞化している在り方に対する悪口として使われるのですが、第二十願的な信仰の在り方には、
たしかにいろいろと問題があることはよくわかります。しかしそんなにひどいものだったら、なぜそう
いうことが第二十願として願われているのか、ということも考えなければならない。問題だけを挙げ
つらって一方的に否定してしまうわけにはいかないだろうと思います。ここでも第二十願は逸脱であ
るかもしれないけれども、それが本願の中にきちんと位置付けられているという意味があることを同
時に考える必要があるわけです。だから問答無用ではなく、問答必要である。

  『大無量寿経』は宗祖が真実教であるといったら大切にするけれども、『観経』と『阿弥陀経』は
方便の教であるからと、一段低いものと見てしまう意識がなかったか。『観経』における説法、『阿弥
陀経』における説法は、これまでその問題性ばかりが強調されてきましたけれども、仏がその説法
をせずにおれなかったその意味は何なのかということを考えなければならない。なぜ釈尊がそういう
説法をされたのか、少なくとも親鸞は化身土巻でそういうことを問題にしているのです。ところがせっ
かく親鸞がそういうことを書き記しておいてくれたにもかかわらず、親鸞以降は、そういうことをほと
んど顧みようとしてこなかった。そういう問題が方便化身土文類の読み方、ないしは『観経』『阿弥陀
経』に対する「不当、と私は思いますが、評価として現われてきたのではないかと思います。「不当な
」というのは、釈尊の説法、仏説をまったく「仏説」として、その意義を見い出そうとしてこなかった歴
史があるのではないかという気がします。仏教徒でありながら、まったく仏説を信用していない。

  こういう問題が、方便の教えである浄土真宗の具体性を非常に曖昧にしてしまう。象徴としての
本尊に絶対的な態度で向き合う、そこに浄土教が方便としての本尊を持っていることの重要な意味
があります。本尊が実体ではなく象徴であることが大事なのです。そしてそれを伝えるための説法
においても方便が駆使されている。『観経』『阿弥陀経』のような手法をとる以外に浄土の教えを伝
える方法はない。そういう意味でこれらの説法は方便である。

  ですから親鸞が明らかにする必要があったことは、浄土教が方便を持ったことの意義なのです。
ところがその方便の意義が誤解され、混乱すると仏教からの逸脱としか見えない。浄土の教えとい
うのは、常に仏教から逸脱と位置付けされてきた、その辺の問題を「方便」ということをモチーフにす
ることによって、重要なことを明らかにしてこようとしているわけです。

  私たちは「方便」とか「象徴」ということが持っている意味を軽視してきたのではないかと。つまり
本尊が方便法身であるということによって、それは仮のものであるとか、真実そのものではないとい
うようなところで、自信喪失をしていってるのではないかと。方便である本尊をまったく信用すること
ができない。なぜそういうことになってしまったのか。それは本尊が方便であるということを忘れて、
本尊を実体としてきたことの反動ではないかと思います。長い間、浄土真宗の信仰は、死後の世界
としての地獄・極楽ということに現実味(リアリティ)を感ずる意識の上に続いてきたのではないかと
思います。念仏には、地獄ではなく極楽に生まれさせる〈力〉があると思えた。それが本尊の実体化
ということです。だからそういう観念が影響力を持ち得た頃は、念仏が元気の素になったわけです
が。ところが近代になって、そういう死後観、浄土とか極楽というのは死後観といってもいいわけで
すが、そういうものがまったくリアリティーを失ってきた。人間は死んだらおしまいだ。死んだらその
先は何もないという考え方が主流になった。こういう具合に死後を考えるのも、仏教的に言えば〈無
い〉ということを実体的に考えるいわゆる「無見」の一つなのですが、私たちはその考え方に圧倒的
に支配されてしまったのです。それと同時に死後世界が〈有る〉と考える、いわゆる「有見」の上に成
り立っていたような浄土教信仰はまったく力を失ってしまった。本尊に対する信頼といいますか、自

  それはなぜかというと、浄土とか極楽ということがリアリティーを持てるような歴史の中でその念
仏を実体化してしまった〈つけ〉だと思うのです。本尊が方便であることの重要性を忘れてしまった
〈つけ〉が今、私たちのところにまわって来ているのではないかと思います。だから実体的な死後観、
すなわち地獄や極楽がリアリティーを失うと同時に、本尊に対する信頼も力を失ってしまう。実は死
後を実体化し、本尊を実体化してきたこと自体が本当は問題のある在り方であったということをもう
一度確認しなおさなければならにのです。それと同時に、曇鸞が明らかにした方便としてのご本尊
を持ったことが、浄土教にとって非常に大事な意味があるのだということを私たち自身がはっきりさ
せなければならないだろうと思います。

  話は変わりますが、最後に浄土教が伝わる時の形について少し話したいと思います。先頃蓮如
聖人の五百回忌の法要が盛大に執り行なわれましたが、蓮如上人という方は、本願寺教団の中に
誕生した一人のスターだろうと思います。そういうカリスマ的なスターを持つ時に、宗教教団というの
は爆発的に勢力が拡大する。それが良いとか悪いとかいう評価をここでするつもりはないのですが、
事実として彼の時代に本願寺教団はそうなりました。浄土教の伝わり方ということを考えると、私は、
基本的にはスターを頂点とする求心力で伝わる伝わり方というのは、本来的な浄土教の伝わり方で
はないのではないかと思います。

  カリスマ的な人物を頂点としてねずみ講式に縦社会を形成して行くような伝わり方ではなく、浄土
教はやはり横に平面的に広がっていく、いわば核分裂のような伝わり方をしていくのではないかと
思うのです。

  法然が「七箇条の制誡」という誓約書のようなものを天台座主に対して出しますけれども。あれ
を見ていると、法然のまわりにどんな念仏者が誕生したかがよくわかります。法然の弟子だと自称
する人たちが、どんどん「これが法然上人の教えだ」といって、勝手に念仏の教えを広めていったの
でしょう。法然自身の手が届かないところでそういうことが自然発生的に起こっていったのではない
かと思います。みんながそれぞれ自分勝手に布教活動を始めているわけです。

  それは師匠の説に合うか合わないかというようなことを誰も気にとめない。みんな自分が出遇っ
た教え、自分を活かした教えを自主的に人に伝えることが始まった。感動を人に伝えずにはおれな
かた。だから法然自身の手にも負えなくなってしまっている状況が、たった七つの禁止事項を通して
見えてくるわけです。

  一人ひとりが自分の聞いたこと、受けとめたことに対して責任を負うていく。そうなると、あちこち
に無数の伝播拠点が誕生し始める。どこか一ケ所を取り締まっても潰れない。一人のスターを求心
力とした伝わり方の場合は、そのスターがいなくなれば、急速にその求心力が弱まって萎んでしまう。
そして勢力を維持するための自己目的的な体制を作り出す中で、変質していく。

  中心人物がいなくなった時に集まりが勢いを失うというのは、ある意味で僧伽の宿命だと思うの
ですね。中心になる人物を失っていけば、その集いが力を失って、やがて消えていくということは、こ
れは仕方のないことだと思うのですけれども。しかし核分裂型の形というのは、あちこちで生まれて
は消え、消えては生まれる。一つが消えたらまた別のものが生まれてくる。その一つひとつが浄土
の精神が生きる場なのです。そういう場の広がりが連続無窮につながっていく。

  ここにいる人が、ここから核分裂をしてそれぞれの場に帰る。そしてそこで一つの集まりができ
て、またそれが分裂していって、それでまた新しい核ができて、最初の中心がどこにあったか分から
なくなってしまう。こういう形は一人のスターに依らない。それぞれのところに求心力がある。そういう
無数の核が生まれ続けることが、浄土教が伝わる形なのではないかと思います。

  「どうしたらそうなるのか」ということになりますが、それは方程式がない。正解としての方程式の
ようなものがあったら楽ですが、それでは結局均質的な集合体にしかならなくなるだろうと思います。
だから一人ひとりが自分の受けとめた浄土の教えを表現していく場といいますか、試行錯誤を重ね
て持ち場を作っていくということ以外にないような気がします。

  どうも今日の発題は、これから出版される『親鸞の教行信証を読み解く』第三巻、第四巻、第五
巻の予告篇のような話になりました。興味を持っていただけた方はぜひそちらの方もお読み下さい。

  時間も来ましたし、充分に本の宣伝にもなりましたので、これで終わります。ありがとうございまし
た。

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