〈Making of 『読み解く』〉

※これは2000年1月20日から4月2日にかけて、『親鸞の教行信証を読み解く』読書会の掲示板に投稿したものです。
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Makingof『読み解く』1投稿者:著者投稿日:01月20日(木)00時19分29秒kanazawas1004.incl.ne.jp

手慰みに、この本ができるまでの苦労話的なものを思い出して書いてみます。

◆まず、私の講義は非常に早口で、まとまりがなく、最初のテープ起こしを見るとあの
本とは似ても似つかないような代物です。
◆元来早口なのですが、菱木さんの「まえがき」にもあるように、あの講義は最初から
20回で『教行信証』を読み切れという、とんでもない注文が出されており、私もな
んとかその枠組みの中でやってみようと応じて始まりました。
◆講義時間は約2時間足らず。したがって、毎回時間との競争でした。予定範囲をカバ
ーしていくために、毎回B5紙4頁程度のレジメを用意し、ひどい時には、後半は目
次のような話だけをしておいて、後述する講義録でその不足を補っていきました。慣
れてくると、ずるいものであらかじめそのこと計算して話すようにさえなりました。
◆講義が終わると、すぐそれが北海道のN君の元に送られ、途中から加勢したS君と二
人の手で約2週間で文章化されて、私のところに送られてきました。最初はワープロ
専用機のフロッピーできましたが、途中からパソ通に変わりました。N君たちはこの
仕事で、度素人から、パソコンの達人?に進化しました。
◆それを私は3日から1週間で手直しして、講義録の版下原稿までに仕上げて、菱木さ
んに送り、菱木さんはそれを印刷機にかけて、次回の講義までに講義録ができあがっ
ていきました。ちなみに私のハンドルネームは、その講義録の題名が元になっていま
す。
◆手直しというのは名ばかりで、言い回しはおろか、内容もぐんと付け加えて、分量的
には1.2倍から1.5倍程度に膨れ上がるのが常でした。私としては、このシステ
ムを利用して、限られた時間の中で予定の範囲をどうにかこなしていこうとしたわけ
です。
◆その講義録の段階で、すでに最初のテープ起こしとは似ても似つかないものになって
いました。N君たちはそれを見て「自分たちの作業はいったい何なんだ」とぼやいて
いたほど、跡形もありません。N君とS君がこのサイトを見ておられたらその辺の補
足をよろしく。
◆本書巻末の講義記録のところに「第1回加筆訂正終了日」を記載してあるのは、この
本の内容が確定していく課程で、その日付はかなり重い意味を持っていたからです。
講義の日と加筆終了日は、ほとんど1ヵ月から2ヵ月の範囲になっているはずです。
◆いくつかの定例の学習会の準備と、時たまの法務の手伝い(父が現役住職なのでたい
したことはないのですが)と、講義録の作成と、次回の講義の準備を1ヵ月のサイク
ルで繰り返して、全力疾走で走り続けたような3年間でした。しんどかったけれど、
緊張感のある充実した日々でした。




Makingof『読み解く』2投稿者:著者投稿日:01月20日(木)22時40分29秒kanazawam1059.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

◆20回で『教行信証』の全体を読み通すという、意欲的な、ある意味で無謀な注文を
引き受けた時は、しっかりとした目算があったわけではありません。その時だいたい
なんとかなるだろうと思っていたのは、教巻・行巻・化身土巻の前半の二つの問答、
そして後半の第一の教誡すなわち『末法灯明記』まで、そして『弁正論』でした。信
巻はやりながら読み込んでいけば、それなりにこなせるだろうとは思えました。
◆まったく自信が無かったのは、証巻、特に後半の『論註』が中心になる還相回向、真
仏土巻、そして化身土巻第二の教誡の『大集経』、これらについてはまったく自信も
見通しもありませんでした。
◆結果的には、自身が無かった部分も、1ヵ月から2ヵ月の準備期間の間に集中的に読
み込んで、あの形になりました。できあがったものを、自分で振り返ってその辺の違
いがどういうところに現れているかと言いますと、始めからだいたいの大枠がつかめ
ていた行巻や化身土巻の前半の『観経』と『阿弥陀経』の説法の意味とか第一の教誡
のところなどは、アウトラインを大づかみできている展開になっていますし、自転車
操業になったところは、けっこう細かい引文にこだわっているような形になってしま
ったかなと思っています。
◆大づかみできているところは、細かなチェックは以前からある程度できており、それ
をどういう意味連関でつないで見ればいいのかということが見えていたから、大胆に
言い切れましたが、細かなことにこだわってしまったところは、そこまで読みがこな
れていないわけです。でも、できあがったものを他の人が読んでも、区別がつかない
かも知れません。
◆それでも、証巻・真仏土巻・『大集経』などもこの講義を通じて、大きな構成のなか
での役割や位置付けが、私なりにはっきりしてきたことは、大きな成果でした。
◆また、以前から着想だけはあったけれど、きちんと詰め切れていなかった問題、たと
えば『摧邪輪』と『興福寺奏状』の問題、本願成就論としての信巻の構成把握、信巻
の問答、特に『大経』の欲生心の問題などについて、集中的に考え整理する機会が持
てたこともありがたかったです。
◆最終的に20回の予定は、26回になりました。それでも、我ながらすごいと思いま
す。少なくとも、大谷大学の院生時代に、こういう講義を聞きたかったと思えるよう
なもの程度にはなったと思っています。






Makingof『読み解く』3投稿者:著者投稿日:01月26日(水)23時56分24秒kanazawam3049.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

2日留守にしたら、管理人さんは帰ってきているし、いろいろ書いてあって、やっぱり、
にぎやかな方がいいですね。
お説教とか講義だと、聞いてくださる人の表情が見えますから、自分が発した言葉に対
するリアクションがわかりますから、一方的に話しているようですが、やはり対話にな
っていると思えます。
しかし、ネット上のやり取りは、書かなければまったく何もわからないので、独り言を
いっているみたいなって、とっても疎外感を感じてしまいました。でも、いくつかの掲
示板を覗いてきましたが、ここはとっても盛んな方じゃないかなと思います。書いたこ
とに一々リアクションがないのはのは、当たり前のことなんでしょうね。これも書き込
み初心者が、潜らなければならない登竜門かな、と思ってはおりますが……。今後とも
よろしく。

つぶやきを続けます。

◆『読み解く』の講義は、専求舎(せんぐしゃ)という学習会が元になっています。私
も京都時代には、欠かさず参加していました。その会の呼びかけで、この講義が始ま
りました。
◆講義が行われた部屋は、京都教務所の3階の小さな会議室で、参加者は10人から1
5人程度でした。最初から最胡までほとんど参加してくださったのは2〜3人。当初
からのメンバーで時たまのお休みをはさんでずっと続けて来くださった人が4〜5人、
途中からの参加で以後ほぼ毎回参加の人が3〜4人ぐらいかな。あと2〜3回から4
〜5回で顔を見なくなった人、1度だけの人など、正確なことはわかりませんが、だ
いたいの印象ではのべ40人ぐらい出入りがあったのではないでしょうか。
◆いずれにしても、そう多くはないメンバーの参加費だけで運営されていましたので、
財政的にはかなりきびしかったはずです。講義録が毎回30〜50部作成され、参加
者の他、有縁の人に販売され、私の交通費とか謝礼の足しにされていました。
◆メンバーは教学研究所のスタッフ、宗務所の職員、専修学院の卒業生、谷大の卒業生、
現役学生、院生など、菱木さんのように大学で宗教学を教えまた真宗に関する知識も
プロ並の人から、まったくの『教行信証』初心者まで、非常に多彩でした。
◆京都大阪の人が大半でしたが、神戸、三重、泉大津から通ってくる人もいましたし、
中には、後半だけでしたが、このサイトに自己紹介があった「しん」さんのように、
わざわざ島根県から何度も参加して下さった人もいました。そういう人たちを前にす
ると、やっぱ手抜きはできんでしょう。そういう意味で私は、自分では、その場の参
加者の雰囲気に影響を受けやすい、敏感な話し手であると思っています。ですから、
話している時に、話についてこれていない表情の人を見かけると、そのまま置き去り
にして話を進めていくことを心苦しく思ってしまいます。
◆しかし、その場で要求されていたことは、かなり高いレベルをキープしていかないと
達成できないように思いました。ちょっと目をつぶって、やってしまいました。だか
ら一度だけで来なくなった人は、その辺に嫌気がさしたのではないかと思います。ど
れだけ心を砕いても、来なくなる人は来なくなるのですが。まぁ、そういうわけで、
講義をどのレベルに焦点を合わせていくかで、いつも苦労しました。
◆ですから、広瀬先生が「まえがき」で『教行信証総説』としての質を落とすことなく、
従来に類を見ない『教行信証入門書』であると言ってくださったことは、私には非常
にうれしい言葉でした。
◆講義のあとには、毎回、飲み会が待っていました。気のおけない人たちと飲み交わし
話すのは楽しみの一つでした





Makingof『読み解く』4投稿者:著者投稿日:01月30日(日)22時31分15秒kanazawam4169.incl.ne.jp
昨日、第W巻の原稿、稿了しました。明石書店宛て発送しました。
これで、しばし、息を抜けます。
スキーでも行って、足を折ってくるか。映画にしようか、それとも……
いずれにしても、すぐに第X巻をはじめなくっちゃ。

Makingは現在9まで書いています。
お題も出てきたことですし、
あまり立て続けに、こればかりでも何ですから、
適当に間を置いて小出しにしていきます。

―『読み解く』の裏側で―
◆私は現在、定期的な『教行信証』の講義・学習会を4箇所でおこなっています。月例
が、自坊と、第一巻に出てくる大工さんの会。金沢・小松の若手僧侶たちと月1弱の
ペースでゼミの真似事のような会、そして年5回上越市での講義です。
◆自坊の会は、化身土巻の講義です。'93年6月から毎月第3日曜日の午前10時から
12時まで。日程を変更したことはありますが、欠かしたことはありません。現在
『末法灯明記』のあたりにさしかかっています。
◆参加者は近所の人たちが3分の2、30分ほどかかる周辺の町から6〜7人いて、コ
ンスタントに20名ほどの参加者があります。大半が、聞法歴は長くても、この講義
のために真宗聖典を買い求めて下さったような人たちで、『教行信証』についてはま
ったくの素人でした。そうした人々に化身土巻を語ることは、私にとっては〈試練〉
と言ってもいいほどの作業で、非常に鍛えられました。
◆この会の実質的な主宰者は、私の母です。身内という甘えを持ち込んでほしくなかっ
たので、最初から主宰者と講師という関係で一線を引いています。それでも時々勤行
の調声をする人がいないから、「今日はお前がやってくれ」などと言ってくることが
ありますが、断わります。そうした身内の馴れ合いが入り込んでしまうと、会に臨む
私の緊張感が維持できなくなってしまいそうな気がするのです。やりやすい場である
だけに、テンションの維持が難しい会です。
◆多少の出入りはありますが、核になる20人ほどはほとんど変動しません。そんな形
で7年も続けていますと、皆さんとてもしっかりした、〈手ごわい〉聞き手になって
きたような手ごたえを感じています。
◆ほぼ全部のテープが残っており、後に登場する谷大に在籍する学生など数名でテープ
起こしの計画が企画されているようです。でもこんなものが、ぜんぶ起こされて、チ
ェックせよと、私のところにまわってきたら、死んでしまいます。
◆しかし、とてもありがたいことで、頭が下がります。手伝ってもいいとおっしゃる方
は、このサイトに名乗り出ていただければ、連絡先をお知らせします。






Makingof『読み解く』号外投稿者:著者投稿日:02月01日(火)21時25分03秒kanazawam4141.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

なんか、私の「独り言」ばかりのサイトになりつつあることを懸念しています。

◆昨年暮、ある読者の方から手紙が届き、第Vの内容で大きなミスを指摘されまし
た。その件につきまして、第W巻に「訂正とお詫び」を挟むことになりました。
このサイト読者には、一足先にその内容をご報告いたします。

訂正とお詫び

第V巻第十四講で、〈『涅槃経』の対告衆が「摩訶迦葉」であると〉述べたことに
つきまして読者の方からご指摘を受けました。『涅槃経』序品やその他の記述から、
摩訶迦葉は仏の入涅槃には立合っていないことは明らかで、本書の「摩訶迦葉」は
「迦葉菩薩」の誤りではないかとのことでした。
ご指摘の通り、私の錯誤です。ここに読者の皆さまにお詫びいたしますとともに、
第V巻を以下の通り訂正いたします。
@一六一頁七行目、一六二頁一一行目、一七九頁五行目の「摩訶迦葉」を「迦
葉菩薩」とする。
A本文中の「迦葉」はすべて「迦葉菩薩」の意とする。
B一八八頁五行目から同頁第一三行十字目までを、以下の文と差し替える。

差し替え文
『涅槃経』において、最も重要な対告衆の一人が迦葉菩薩ですが、私は最初これを
摩訶迦葉だと勘違いしておりました。ある方から指摘されて知ったのですが、実は
『涅槃経』の冒頭の寿命品には、摩訶迦葉と阿難は説法の場にいなかったというこ
とがはっきりと記されています。おそらくそれが史実なのでしょう。摩訶迦葉は仏
の入滅後正法を付属された人ですし、阿難は仏典結集(ルビ:ぶってんけつじゅ
う)の中心を担いました。その、釈尊なきあとの仏弟子集団においてもっとも重要
な役割を果たすことになった二人がこの説法に立合っていないわけです。おそらく
『涅槃経』の原作者は、『涅槃経』の説法の相手として、どうしても摩訶迦葉を想
定したかったのではないかと思います。それで迦葉菩薩と、菩薩という形で登場させ
て、摩訶迦葉の担った役割を仮托(ルビ:けたく)したのではないかと思います。
だから摩訶迦葉の役割を托された迦葉菩薩が、釈尊に執拗に

ご指摘ありがとうございました。
二〇〇〇年一月著者




Makingof『読み解く』5投稿者:著者投稿日:02月06日(日)10時09分40秒kanazawam4134.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―
◆美川町(車で20分ぐらいの町)の大工さんの会も、'93年から始まりました。ここ
では『教行信証』を最初からじっくり読んでいます。現在は、「正信偈」の前あた
りにきています。「正信偈」自体については、飛ばすかも知れません。この会は年
に1〜2度お休みがありますが、ずっと続いています。参加者は5〜12人ぐらい
で非常に変動がありますが、核になる聞き手の数人は変わらないし、大工さんは、
決してインテリではありませんが、しっかりした耳をもった手ごわい人です。
◆彼は坊さん批判が趣味のような人で「最後の真宗門徒」を自称しています。表現は
「稚拙」と言った方がいいですが、事柄の核心をとらえる嗅覚は抜群で、「生半
可」な坊さんではとうてい太刀打ちできないと思います。だから北陸近辺の坊さん
たちは彼を敬遠しますが、今まで私が出遇った人の中でも、私の言いたいことの核
心を非常に的確に受けとめてもらっているという手ごたえを感じることができる人
の一人です。これは相手の理解の正確さとか知識がどうこうということではなく、
あくまでこちら側の手ごたえの問題です。そういう具合に思える人って少ないんで
す。私の場合、遠近あわせて、10人もいるかなぁ。
◆この会にはもう一人重要な聞き手がいます。生まじめな学生で、素朴な疑問をどん
どんぶつけてきます。以前は金沢に住んでいて、途中からこの会に参加してきたの
ですが、現在谷大に在籍しており、毎回京都から通ってきます。京都から石川まで
帰ってこれる日は限られているので、ここ数年は彼の都合に合わせて会の日程を調
整しています。彼は、自分が参加できない時に、なんと「今日のところは、聞き逃
したくないので、先に進まないでくれ」とファックスを送ってきたこともあります。
そして私たちはそれに応じてしまうのです。ですから実質的には、大工さんが彼一人
のために開いている会に、他の人がお相伴しているような会です。
◆彼は、先述の、自坊での化身土巻の講義の現存テープのコピーをすべて揃えており、
テープ起こしを目論んでいるようです。しかし現在すでに120分テープが80本
以上あるはずですから、どうなることやら?私の話は早口でボリュームは普通の人
の2割から3割増し、それに話があちこちとびますから大変です。それを覚悟の上
で、我と思わん人は、ご協力を……。
◆以上の二つの会は、継続的で安定した、そして熱心でしっかりした聞き手の参加者
がいて下さるので、いろいろなアイディアを実験的に提起して見ることができます。
ですから近年の、私の『教行信証』についての、新しい着想の多くはこの二つの会
の中から出てきました。それに近い感覚で話せるのは、ちょっと雰囲気は違います
が、自坊の春秋のお彼岸と永代祠堂経の聞法会ぐらいです。いわばそれらが、私の
ホームグラウンドです。やはり「ご講師」としてお客様扱いで招かれるような場で
は、実験的な話はできませんからね。そういうところではどうしても自分の中であ
る程度こなれている、無難なところで話してしまいます。
◆この2箇所での蓄積を一気に吐き出すように話したのが、『読み解く』の講義だっ
たように思います。やはりじっと机の前で考えているだけでは、頭の中が沈殿して
きて、たいした仕事はできないのでは。しんどいですけれども、責任を負わされた
場で、しっかりじっくりと自分の考えを聞いてもらえることは、何物にも替え難い
機会です。




Makingof『読み解く』6
―『読み解く』の裏側で―
◆上越の会は、冬の1月以外を除く、奇数の月に開かれています。午後と夜それぞれ
2時間以上話しています。発声が悪いのだと思いますが、非常に喉に負担がかかる
話し方をする私にとっては、かなりハードな日程です。日はそのつど決めています。
テキストは化身土巻で、現在は、三願回転入の前、真門の『涅槃経』のあたりです。
◆この会は、元谷大の先生だったIさんが主宰して下さっています。私と同世代で
すが、私は遠回りして谷大に入ったので、私が修士課程に入った頃は博士過程の終
わり頃でした。非常な勉強家で、真宗学に関する専門的な知識や造詣では、私は彼
の足元にも及ばないと思います。また広瀬先生の秘蔵っ子で、私は一目も二目も置
いています。こういう人も大谷大学にはおれなくなってしまうんですよね。ったく。
◆参加者は、大谷派三条教区内の僧侶が中心で、10人前後ぐらいですかね。尊敬す
べき先輩方もおられ、けっこう緊張します。皆さん私のような若僧に対して、講師
としての礼を尽くしていただくので、かえって恐縮してしまいます。またIさんも
目を光らせているので、ありきたりの内容では勘弁してもらえないかと思ってしま
い、気の抜けない会です。
◆と言っても特別なことが話せるわけでもなく、内容はどこの会でもそんなに違いま
せん。ただ、テキストの文言へのこだわり方の細かさとか、資料の使い方とか、用
語の説明がどの程度必要かというようなことを、聞き手に応じてちょっと工夫する
ぐらいです。
◆するどい目で間違い探しをしてくれるIさんのところで、私の読み方で、明らかな
る誤読とか見落としとがないかを確認してもらいに行っているようなものです。




Makingof『読み解く』7投稿者:著者投稿日:02月15日(火)22時59分21秒kanazawam3005.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―
◆金沢の会は、京都の会が終わりかけたころに始まった若手僧侶が中心の会です。ぜひ
化身土巻を」と注文された時には、内心「また化身土巻かよ〜」と思ってしまいまし
た。待ち受けている『読み解く』の出版作業のことなどで頭が一杯だったこともあ
り、「だいたい、君たちは化身土巻、化身土巻と言うけれども、真仏土巻まではち
ゃんと読んでいるんでしょうね」と、冗談半分、本音半分で言ってしまいました。と
にかくそんなこんなで、勘弁してくれと言ったのですが、自宅まで入れ替わり依頼
に来られて、渋々ながら引き受けた会です。
◆私の方からは、自分たちが勉強するという意味で、一方的な講義ではなくゼミ形式
を取るならばやってみてもいいかなと注文しました。その方が私の準備の負担も軽
くなるだろうということもありました。昔から「お相伴の聞法は身につかん」と言
われているように、ただ聞いているだけの勉強会だけではなかなか読んでいるこ
とにはならないような気がしたのです。やはり少しは自分でしんどい思いをしない
とね。
◆毎回担当者を決めて、発表してもらい、それを受けてしばらく参加者の話し合い、
それらを受けて私が問題点を整理するというような形が定着しています。現在要
門の引文群の終わりあたりにさしかかっています。
◆人数は、2〜3人の時から、多くても7〜8人というところです。お世話して下さ
る人たちちゃんともいますし、出席者の熱意もそれなりに感じるのですが、どうも
参加者が安定せず、もう一つピリッとした感じが出てきません。『教行信証』のよ
うな息の長い構成を持った書物を、本気で読もうとする時には、話が断片化してし
まうと、流れを把握していくのはちょっとしんどいのではないかと思います。
◆その辺の足りない部分は今後の『読み解く』で補ってもらえばいいのですが、どう
もまだ誰が核になっているのかはっきりしない感じがします。核というのは、「この
会は自分のためにある。他の人がいなくても自分だけは」というような気持ちで参加
している人です。「自分の都合が悪ければ、日程変更を画策してでも参加したい」、
「万やむを得ず欠席する場合は、録音テープを頼んででも聞き逃したくない」そうい
う意気込みというか、我が侭な聞き手というか、〈菩提心の気迫〉とでもしか言いよ
うがないようなものが今一感じられないかな。
◆決して「やる気満々の顔をしろ」と言いたいわけではありません。むしろそういう
のは空回りしてしまいがち。菩提心の奥底から滲み出てくるような、静かな熱意で
すかね。会の参加人数が少なくても、一人で二人でもそんな人がいる聞法会は、や
はりひきしまった印象を受けます。逆に、一人もそういう人がいないと……、「や
めてしまえ」とまでは言いませんが、テンションの維持がしんどいですね。
◆それでも最近ちょっといい感じになってき始めてきました。基本的に私は短気な方
ですが、長い目で見て、できるだけ気長に、じっくり若い人たちとつきあってみよ
うかという感じの会です。
◆以上が、現在私が関わっている『教行信証』をテキストとした学習会です。お近く
の人で、参加希望の方は、このサイトに書込んで下さい。世話人の連絡先をお知ら
せします。






Makingof『読み解く』8投稿者:著者投稿日:02月22日(火)17時51分09秒kanazawas1014.incl.ne.jp

先ほど、第W巻の初校刷り(いわゆるゲラ刷り)が届きました。
これからしばらく、校正の作業に入りますので、
しばらくはあまり書けないかも知れません。
しかし、机に向かっている時間が長くなるために、かえって気晴らしにと、
電網世界への誘惑に負けてしまうかも知れません。
仕上げ目標は3月17日です。
以上、では。

ついでに

―『読み解く』の裏側で―
◆出版社の候補は、法蔵館・文栄堂・明石書店でした、法蔵館はどうしても単価が高く
なりそうな感じがあるので、私としては避けたい選択でした。文栄堂は、『弁正論』
でもお世話になっていましたし、お願いすればいつでも引き受けていただけるのでは
ないかと思っていました。しかし、いかんせん販路が限定されてしまいます。
もうちょっと広くいろんな人の目にとまる出版社に、という気持ちがありました。
◆結局、河田光夫さんの選集の出版で、菱木さんを通じてコネクションが持てた明石
書店に決まりました。
◆最初の講義録『落鱗記』は、講義から1〜2ヶ月後にはできあがっていたわけですか
ら、出版の話が持ち上がった時には、ちょっと手直しして、誤字脱字をチェックすれ
ばいけるだろうと、けっこう気楽に考えていました。
◆ところがどっこい、事はそんな簡単ではありませんでした。まず講義録は、参加者
と、特に関心を寄せてくれる人を意識して加筆されていましたので、かなり内輪受
け的な仕上りになっていました。最終的な『読み解く』でもかなりその傾向が残っ
ていますが、講義録ではもっと激しく、真宗聖典を頻繁にあっちこっちかけめぐり、
とても一般書店の店先に並べられるようなものではありませんでした。
◆最初、講義録のファイルを画面上で、1日B5換算で3〜5頁ほどずつ修正してい
きました。その作業だけで第1巻では3、4ヶ月以上もかかってしまいました。
◆それをプリントアウトして、重複した内容や、説明の順序を入れ替えるなど、構成
的な問題を考慮しながら、大きな枠組みの決定。
◆次にまた、画面で、今度は小見出しを考えながら、最初からまた見直し、これも1
日5頁からよくて10頁。並行して、ルビつけ作業(ルビの要不要は私が決めまし
た)など、編集上の問題も考えていきます。
◆それが終わると、大分のEさんと、前出のIさんにプリントアウトを送って、校正
兼、内容的なチェックをしてもらいます。V巻目の時からはもう一人、京都のHさ
んに引用部分だけを抜き出したプリントアウトを送り、引用文に集中した校正を頼
みました。その間並行して、私ももう一度見直しです。
◆それらが仕上がってきた段階で、プリントアウトして最終チェックして、それをそ
のまま最終稿として、出版社に送りました。はっきり記憶していませんが、T巻の
場合それは9ヶ月くらいかかったのではないかと思います。U巻で7ヶ月、V巻で
6ヶ月ぐらいでしたかね。W巻目は2000年1月29日稿了ですから6ヶ月ぐら
いです。





Makingof『読み解く』9投稿者:著者投稿日:02月26日(土)09時31分53秒kanazawam4158.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―
◆校正刷りは、印刷会社の仕事の段取りや連休などの絡みで変わるようですが、早け
れば入稿から1ヶ月ほどで送り返されてきます。同じものを、大分のEさんと京都
のMさんにも送ってもらい、3人同時進行で校正します。
◆Eさんには、最初の講義録の頃にすでに2度目を通してもらっていますし、入稿前
の下読み、そして初稿校正と、合計4度も読んでもらっています。毎回厳しいチェ
ックが入り、何度か大きなミスを発見してくれました。
◆Mさんには、特に引用文献のチェックを重点的に、合わせて校正と内容的な問題の
チェックと、非常に欲張ったことを頼みましたが、快く引き受けてくれました。現
在大谷大学の教員となって非常に多忙な日々を送っていますのでV巻目からは、細
かなことまで見てもらうのは難しくなったので、引用だけに絞ってHさんに見ても
らうことになりました。
◆この三人に、原稿段階の下読みをしてもらったIさんを合わせて、4人の全面的な
バックアップは私にとって非常に心強いものがあります。Hさんはこれからを期待
していますが、Iさん、Eさん、Mさんは、現在の大谷派で、『教行信証』に関す
る限り私が最も信頼できるメンバーです。彼らが目を通してくれれば、まず致命的
な見落しはないだろうと思えますし、かりに見落としがあったとしても、もうそれ
はしょうがないことと、あきらめがつきます。本当に頼りになる面々です。
◆初校を入れてから二週間ほどで二校刷りが送り返されてきます。私一人でやってい
ます。初校の訂正箇所が正確に直されているか、見落としがないか、そして引用文
の間違いがないか、もう一度確認しています。原稿が私の手を離れる直前に、最後
の最後のチェックとして、私のつれあいに、校正ということではなく、読者の一人
として、注意深く読んでもらっています。
◆二校を入れたら、あとは編集者からEメールやファックスでの問い合せがある程度
で、私は待つだけです。1ヶ月程で本が仕上がります。その間に、各地で取りまと
めをお願いしている人や、私から直送している人に発送するための準備、リスト整
理や宛名書き、封筒の準備、納品書作成などの作業をしています。ほとんど家内手
工業です。
◆それと並行して、続巻の原稿整理を始めます。



Makingof『読み解く』10投稿者:落鱗投稿日:03月04日(土)09時05分20秒kanazawam2206.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

◆T・Uは、読んでくださった人は、いろいろと目先の変わった提起があるように思
ってくださるかもしれませんが、私の意識のなかではそれほど目新しいことを言っ
ているつもりはありません。基本的には従来から言われれてきていたことを、私な
りに整理し、再表現したというような感覚があります。
◆読み方とか、読む視点などについては、試行錯誤の結果ですが、その結果わかったこ
となどを見てみると、けっこう曽我先生や安田先生がそれらしきことを言っておられ
たというようなことがあります。
◆Tについては、教巻の「関係における意味としての仏」とか、回向論、第十七・十
八願の関係など、基本的な筋道は、大谷大学の院生時代にだいたいのところは押さ
えていましたので、それを全体として、整理しなおす程度でした。
◆ただ、最初の『興福寺奏状』と明恵の『摧邪輪』の問題は、それまでずっと気にな
っていながら、充分に煮詰め切れていなかった課題だったので、今回の講義を機に、
整理がついてきた問題です。Tが出版された直後に、袴谷さんの『法然と明恵』が
出て、正直言って、自分の本が先に出てよかったと思いました。しかし、同じよう
な見方は、平雅行さんや、阿満利麿さんなどもすでに提起していました。ただ私は、
平さんの本はよんでいましたが、阿満さんのものは状態で、あとからよみました。
◆Uについては、事前に曽我先生の『信巻聴記』を読み直した程度で、あとは、本願
成就論としてどこまで読み込めるかという点に集中して、考えて問題を整理するよ
うに努めました。信巻から真仏土巻までは、読み込んできながら講義していった巻
です。
◆V・W、つまり「三願回転入」のところまでについては、あまり参考になる先行者
がいなかった。信頼できる人は安田先生しかいなかった。しかし、安田先生の『証
巻・真仏土巻聴記』の出版は、V巻第十三講の部分以外は、数箇月ずつ私の講義の
方が先行していたために、参考にすることができませんでした。特に証・真仏土巻
は最も苦手意識が強いところなので、当時は、事前に目を通しておきたいという気
持ちが強くありました。
◆講義が終わってから、その内容を安田先生の『聴記』によって検証できたことは、
とてもありがたかった。今となって、結果的に振り返ってみると、事前に先生の
『聴記』を読んでいなかったことは、かえってよかったかもしれないと思っていま
す。
◆W巻、化身土巻の「三願回転入」のあたりまでのところは、V巻冒頭に書いたよう
に、安田先生の『化身土巻』、平野修さんの『生命の足音』に連載されていた『講
義』をいつも手元において、問題の焦点の当て方などを参考にしていました。特に
第十九願第二十願の問題の設定や視点の整理については、安田先生に負うところ大
です。
◆平野修さんの講義は、安田先生やその他の近年の問題提起などを踏まえて、丁寧に
話しておられたようなので、安心して読めました。しかし、私にとっては、あまり
目新しい提起がなく、読みながら「なるほどそういうことだったのか」と、眼から
鱗が落ちて、膝をたたくようなことはあまりありませんでした。それよりも感じと
しては「そうそう、そうなんだよね。平野さんもそう考えていたんだな」という具
合に、納得しながら読んでいけるような感じでした。




Makingof『読み解く』11投稿者:著者投稿日:03月10日(金)23時53分07秒kanazawam3069.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

◆X巻の部分は、参考になる資料や先行研究があまりありませんでした。
◆『末法灯明記』への関心は、博士課程の頃、広瀬先生がそのあたりについて2年ほ
どでしたか、ぐるぐる同じところを回っているような、苦汁が滲み出て来るような
講義をしておられました。ちょうどそのころ博士課程のゼミでもその辺をやってお
りましたので、目が向いていたように思います。それで「おもしろい。これは性根
を入れて読んでみなければ」と思い始めました。
◆そのころは、真宗大谷派の教学研究所で、非常勤嘱託の仕事をしていましたので、
所員の研究会での発表で『末法灯明記』を取り上げたり、伝道講究所でそれをテキ
ストに使ったりしておりました。それは1986〜87年頃のことですから、ちょうど大
谷大学では差別ビラ事件で、すったもんだしていた時代でもありました。そんなこ
んなで私の周りにはいろいろな形で『末法灯明記』に対する関心が深まっていく状
況がありました。
◆『末法灯明記』をめぐる問題が、整理がついて、初めて人目につくような形の文章
になったのが、1995年に東本願寺の真宗ブックレットの『エイズという時代』に載
った「病気以上の〈病気〉」でした。ブックレットへの執筆は、たまたまこの編集
に携わっていた人から、「何かおもしろいテーマはないか」と尋ねられ「今はエイ
ズ問題ですよ」と答えたのがキッカケで、自分も書かざるを得ないはめになりまし
た。
◆その後、広瀬先生の喜寿の記念論集を出そうという企画が持ち上がり、そのために
書いた論文が1997年『親鸞教学』70・71号に載った「『末法灯明記』の引用と親
鸞」です。これは、私の『末法灯明記』の引用をめぐる問題についての集大成のよ
うな論文です。
◆論文末尾の筆了年月日は94年9月30日になっっています。それは広瀬先生の論集が、
執筆予定者の論文が揃わなかったので、話が立ち消えてしまいました。その結果こ
の論文は発表の場所を求めて宙に浮いてしまった格好になりました。すでに故人と
なっってしまわれた、大谷大学の講師をしていた安藤文雄さんが、真宗総合研究所
の研究報告のような形で『摧邪輪』の書き下しを出版された時に、一部贈呈して下
さいました。当時広瀬先生のもとで共に学んだ心ある学友たちが、何らかの形で、
『摧邪輪』のようなものに関心が向かっていたんだなと、その出版をとても嬉しく
思いました。そのお返しに件の論文のコピーを送ったのが安藤さん目にとまり、
『親鸞教学』への掲載を取り計らってくれて、ようやく日の目をを見ることになり
ました。執筆から3年を経過しての発表です。菱木さんの「まえがき」に「〈無
戒〉に関する論文の執筆はあったが、発表は遅れた」(TーP11)と書いてあるのは、
この論文のことです。
◆大谷大学が安藤さんのような、決して派手ではないし話を聞いてもあまりおもしろ
くはありませんでしたけれども、堅実で、見るべきことをきちんと見ようとする姿
勢を持っていた、信頼に足る教員を失ったことは、今さらながら残念でしかたがあ
りません。
◆あのメンツで、大谷大学の真宗学はこれからどうなるのでしょうね。他人事ながら
心配になってしまいます。あの人と、あの人と、あの……(そんなにたくさんいる
かなぁ)が柱になるまで、あと10年から20年ぐらいはどう考えても、う〜ん、
あまり明るい材料は……、そんな気がするのは私一人でしょうか。みんながみんな
『教行信証』をとは言いませんが、龍樹なら彼の論文か本を読めばだいたいいいだ
ろうか、『論註』については解釈を異にするけれど彼のものはきちんと読んでおく
必要はあるとか、善導ならまずこの人の考えを読んでからでないと始まらない、と
いう具合に具体的に思い浮かぶ程度に、せめて一人がひとつでもいいから七祖の聖
教をそれなりに、きちんと読んで欲しいと思います。気付いてみたら、自分の前後
10年ずつ年代の人で、そんな人がほとんど見当たらないのです。たまに居ても、
大学アカデミズムの世界とは距離を置いたところにいたりして。
◆このサイトに来てくれる人にもお願いしたいと思います。何か一つでいいですから、
七祖の聖教を、これだけは自分に任せておけと言えるぐらいに〈モノ〉にして下さ
い。そんな人たちが、このサイトで行き交うようになったらおもしろいだろうな。



Makingof『読み解く』12投稿者:著者投稿日:03月19日(日)20時46分05秒kanazawam2158.incl.ne.jp

―『読み解く』の裏側で―

◆X巻の後半、いわゆる「末巻」と呼ばれている部分は、それこそほとんど手掛かり
なしの状態から始めなければなりませんでした。
◆いわゆる「末巻」に関する先行研究としては、真宗大谷派教学研究所の東京分室が解
読を手掛けていまして、『現代教学』第10・11号合併号(1985年)「教行信証化身
土巻末解読」として発表されています。これはほぼ直訳に近い現代語と、かなり詳し
い語注、特に仏典以外の漢籍の出典が出ていますので、『弁正論』をまとめる時には
参考になりましたし、かなりお世話になったような記憶があります。こういう先行研
究があることは後発の者には非常に助かります。しかし、『教行信証』の文脈で引文
の意味を読み解くということにおいては、……?
◆しかし、今これを書いていて思うのですが、専求舎の講義の時には、この『現代教
学』を引っ張り出した記憶がありません。つまりほとんど忘れてしまっていたようで
す。『弁正論』は自分でまとめたものがありましたから、それを使わなくても不思議
ではないのですが、『大集経』の準備の時にも思い出さなかったということは、私に
とっては、あまりインパクトがなかったということなのかも知れません。
◆そういうことですから、『大集経』はほとんど、講義の準備のために本格的に取り組
んだ次第です。と言いましても、『教行信証』の本文は何度も読んでいましたから、
どんなことが書いてあるかということはだいたい頭に入っていました。問題は、それ
がどんな意図で何を私たちに伝えようとしているのかということがさっぱりわからな
かったことです。
◆『弁正論』の先行研究としては、先の『現代教学』の他に、1931(S6)年武内義雄さん
の「教行信証所引弁正論に就いて」(『大谷学報』12−1号)がある程度でした。こ
の論文は、『弁正論』のテキストの問題に着目した詳細な検討が加えられており、私
の問題関心と似通った視点があり、非常に大切なものです。『弁正論』に注目した人
としては、もう一人道端某という中国思想研究者がいるのですが、私に関心からはあ
まり参考になりませんでした。
◆講義を始める段階では、自分でまとめた『弁正論』(1991年)があったので、それ以外
はほとんど開くことはありませんでした。あれは私の評価とか見解を極力抑えて、議
論のベースを提起するということを目的としまとめたものです。だから、あの本をど
う使えばいいかについては自分が一番よくわかっているつもりです。また、苦労して
まとめ上げた本であるだけに、自分自身で、限界もわかっているつもりです。





making of『読み解く』13投稿者:著者投稿日:04月02日(日)08時48分11秒kanazawam1014.incl.ne.jp
―『読み解く』の裏側で―
◆『読み解く』が公刊されて、いろいろな反響がありました。と言っても私の耳に入
って来るのはほとんどがお誉めの言葉でしたが、もう少しネガティブな反響がある
かと思いました。もちろの私の耳に入らないだけで、いろいろと言われているとは
思います。
◆以下、ちょっと小耳にはさんだことを、2〜3ご紹介します。
◆ある学生さんから聞いたことですが、大谷大学の学生の間では、非常に関心を持っ
て読んでいる学生と、まったく無視する学生に二分されているそうです。寺川先生
を名指で批判していますから、「さもありなん」という感じです。
◆また、「広瀬(杲)さんの話なんかを聞くから、こんな風になってしまうんだ」と言っ
た先生がいるとかいないとか。その先生は、学生にこの本を読むなとも言ったそうで
す。
◆それから「何も本の中で実名を挙げて批判しなくてもよいではないか。著者が個人的
に直接言うなり手紙を書けばすむ話ではないか」とおっしゃっている人がいたようで
す。しかし、私は相手を説得しようとするつもりで書いたわけではありません。また
私が取り上げている問題はすでに著書として公開されている事柄ですから、それを取
り上げる際に出典と著者を明記するのは当然のことだと思うのですが。むしろ個人的
に手紙でやり取りするほうが、私憤とか私闘になってしまうのではないかと思います。
この業界では、まだまだ論文や書物で議論するということが難しいのかな。
◆公の場でなされた論議ではない場合には、それなりに配慮する必要があるとは思い
ます。
◆大谷派でどのように読まれるかということはある程度、予想はついていましたが、予
想外だったのは、広島別院の件の時にも書きましたが、本願寺派の方からいろいろな
形で思いがけない反響があったことです。面識のない方から直接連絡があって本の注
文をいただいたり、感想の手紙をいただいたり、あるいは法話や講義の依頼を受けた
りです。島根のSさんや、京都のNさんのように、何度か専求舎の講義に参加して下
さった方のつながりで、チラシや注文用の葉書や口コミ情報が流れていったのではな
いかと思います。
◆「仏教タイムス」紙に、尾畑さんの書評が載ったのですがそれを見たという反響はあ
まりありませんでしたが、宮城先生が『同朋紙』の記事で取り上げて下さったのは、
門徒さんたちからかなり反響がありました。
◆どうしたわけか、『真宗』、月刊『同朋』、『同朋紙』、『サンガ』、『南御堂』、
『名古屋御坊』などの宗門関係のメジャー広報紙の書籍案内欄では、ほとんど取り上
げて頂けませんでした。たまたまそうなっただけなのでしょうが、これほどシカトさ
れるといろいろと勘繰ってしまいたくなります。ちょっとは宗門批判めいたことは書
いてありますが、三吉さんじゃないけれど、そんなことは誰でも言っているような内
容ではないと思うのですがね。
◆先日連絡があり、第T巻は、この4月に第3刷りが出ることになりました。第U巻は
2刷りまで出ています。と言っても、発行部数は初刷りが数千の、増刷が数百の単位
ですから高は知れています。しかし、内容が堅く、高単価のシリーズ物、しかも知名
度が低い、という売れない悪条件がすべて揃っている、この手の本としては、かなり
出ている方ではないかと思います。