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[解放真宗研究会通信 第1号]掲載 1992年6月

「専修念仏停止」考

  浄土真宗の原点は、法然によって「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本と為す」と
宣言された浄土宗の独立にある。

  このように言い切るところから一度考え直してみたい。近年、「教学」をめぐる様々な
論説が錯綜する中で、私自身が考えていく上での軸を模索するうちに、ここに行き着い
た。当たり前といえば当たり前であるし、何を今さらといえばまさに何を今さらである。

  往生・浄土・念仏という言葉が、閉鎖社会の専有物としてとじ込められてしまい、私た
ちの日常生活から消えていこうとしている。それらの言葉が歴史的社会的変動の中に
役割を失ったというのなら消え去るにまかせるしかない。その意味が見えなくなってしま
ったというのなら、その意味を再び明らかにし回復することは可能かもしれない。


  浄土宗の独立は、その直後から弾圧の始まりでもあった。一二〇七年のいわゆる承
元の弾圧をはじめとして、法然没後も専修念仏禁止の令は繰り返し発せられた。

  弾圧が、たまたま一部の不届き者の行状が時の権力者の逆鱗に触れたということだ
けならば、それだけのことであって、現代の私たちはそれ以上何も考える必要はない。
しかし専修念仏に対するたび重なる弾圧は、専修念仏に弾圧を必然する論理が不可
分のものとして含まれていることを示唆しており、また今日私たちが安穏として念仏を
口にしていることに対する問い掛けをも発している。

  専修念仏禁止を歴史的事実として知ってはいても、今日にの私たちにとって、念仏と
弾圧は密接なつながりをもつ事柄として受け入れることはそれほど容易ではない。にも
かかわらず私自身はあまり深く考えることもなく、弾圧は念仏に対するもの、つまり「念
仏弾圧」だと考えて疑うことがなかった。しかし歴史の事実を冷静に見るならば、仏道
の行法の一つとしての念仏が禁止されたことはない。事はそれが「専修を宗とする」が
故に起こったと言ってよい。古来紛争が絶えなかった仏教界において「八宗同心の訴
訟、前代未聞なり」という、「専修念仏の宗義の糾改」を訴える『興福寺奏状』においても、
「新宗を立つる失」から「国土を乱る失」まで九箇条の理由を挙げて論難しているが、
奏状の「諸宗は皆念仏を信じて異心なし」という言葉に明らかなように、念仏自体を難じ
ている文言はない。九箇条の理由はそれぞれ力点が異なるが、つまるところ「念仏を専
修することを宗」とする点に帰着する。逆に言えば、専修を宗としなければ許されたので
ある。

  専修とは、一見敬虔な宗教的心情を表現する言葉であるかのように思われるが、法
然が「諸行は廃の為にしかも説く、念仏は立の為にしかも説く」と言うように、一つを選
び取ることであると同時にそれ以外を選び捨てるということである。その具体的かつ実
質的な意味は、厳しい批判に裏付けられた妥協を許さない否定によってしか成り立た
ない。そうであるからこそ専修念仏が現実の社会において具現していった時に、既存の
体制にとって座視できない脅威となったのである。

  『観無量寿経』の中で最下位に位置付けられた下品下生に唯一与えられた方法が
称名念仏である。善導以前は、このことが、最下位に位置付けられる衆生に与えられ
たものであるが故に行法としても最も低位に位置付けられたものである、と解釈された。
しかし、善導は、最下位に位置付けられた衆生に与えられる唯一の方法であるから、
それのみが積み残しのない方法である、と解釈をまったく逆転させ、自らもそれを選び
取った。仏教が一切衆生の救いを課題とする以上、積み残しがないということにこそ仏
道の行法として最高の価値付けが与えられなければならないということである。それは
さらに当然の帰結として、積み残しがないということのみが仏道の名に値するというとこ
ろに行き着く。積み残しを前提とするような方法は、仏道の方法としては不要であり、さ
らにそれが仏道であるかのような様相をとる場合は有害でさえあるということである。

  この意味で、唯一のものを選び取り、それ以外のものを不必要、さらには有害な事と
して選び捨てるという専修とは非妥協的で極端な排除の論理である。もし選び取られる
事柄が一切衆生に開かれ、誰一人積み残さないという実質を失うならば、選び捨てるこ
とは恣意的選択に過ぎず、それは仏道とは何の関係もない、むしろこのほうがよほど
有害で危険である。専修は、誰一人積み残すことを許さない「排除の論理を排除する」
という一点において徹底的に非妥協的なのである。専修念仏は諸行(排除を容認する
方法)に対する否定の上にのみ成り立つ。この非妥協性の故に「排除の論理」によって
成り立つ社会から弾圧されるのである。排除を容認する非専修であるならば念仏が弾
圧の対象になることはない。


  「なぜ、念仏を称えたために死刑にされるほど恐ろしい念仏を、ご開山が敢えて称え
られたか。そうして私ども被差別民に念仏を教えられたか。それ、何です?」という米田
富さんの糾弾会での問い掛けは、「往生浄土=共に解き放たれていく歩み」の回復の
願いであり、その道筋に「差別」・「弾圧」という大きな課題を投げかけるものであった。

  それから20年以上が経過した。現在の大谷派教団をとりまく状況とそれを支えるは
ずの「教学」はその問い掛けに応えられるような足跡を残してきたか。問い掛けに応答
しようとするよりも、その問い掛け自体が忘れさられてしまったかのように管理の強化と
排除の徹底ばかりが目につく。

  「同朋社会の顕現」というスローガンが、「解き放たれていく歩みを共に」という呼びか
けではなく、「仲良しこよしこの指とまれ」としか聞こえてこないのは、私がひねくれてい
るせいだろうか。                       (一九九二年六月一七日筆了)

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