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home  > MYTOWN  > 石川  >  2001年10月1日 更新


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[「聖戦とは」]

「聖戦とは」 (4)


県が管理する「本多の森公園」内にたつ「大東亜聖戦大碑」=金沢市石引4丁目の石川護国神社境内で
 先の戦争を「聖戦」とうたった石川護国神社(金沢市)に立つ「大東亜聖戦大碑」は、様々な波紋を投げかけている。

 大碑建立委員会の実行委員長だった会社役員中田清康さん(78)=金沢市=と、市民団体「大東亜聖戦大碑の撤去を求め、戦争の美化を許さない県民の会設立準備会」会員で元小松市長竹内伊知さん(75)に、歴史観とその原点、大碑に対する思いをそれぞれ聞いた。

       ◆       ◆       ◆

「大碑建立委員会」実行委員長 中田 清康さん(78)
 
 ――なぜ大碑を建てたのですか。
 
 正しい歴史を知らない人たちを啓蒙(けいもう)し、日本人に誇りを持たせるため、国と英霊の名誉のために建てた。日本は侵略国家ではなく、欧米の侵略からアジアを救うために戦った。

 朝鮮や台湾でも、鉄道を敷き学校を建てるなどばく大な投資をして社会資本を増強した。

 私たちは実際にその現場を見てきた。今の若い世代は学校でそうした歴史観を教えてもらえなかった被害者だ。
 
 ――自身の戦争体験は。

 19歳で軍属の技術学生として旧満州に渡った。その後、召集を受け、終戦後は3年間、シベリアに抑留された。

 旧満州では現地の人々から「ロシアはだめだ。日本に救われた」という声をたくさん聞いた。

 貨車に何日も押し込まれて着いたシベリアでは、栄養失調や寒さ、作業中の事故で仲間がたくさん死んだ。
 
 共産主義がいかにひどいか味わわされた。ところが、復員して日本に戻ると、至るところに赤旗がはためいて革命前夜のよう。これはいかんと反共運動を始めた。
 
 ――「聖戦」との表現に、戦時中の軍国主義の復活をみる人もいます。
 
 誤った先入観だ。我々のように戦争をした世代は、もう2度としたくない。

 あの戦争も日本は仕方なく参戦した。仮に今後、日本が再軍備をしたとしても、すぐ戦争をしかけるに違いないと考えるのは飛躍しすぎ。あの戦争を侵略だと言うから、そんな考え方になる。

――大碑の撤去を求めている人たちもいます。 
 
 彼らは日本という国をおとしめようとしているのか。確かに戦時中なのだから、小さな虐殺や暴行もあったかもしれない。

 だが、なぜ原爆投下やシベリア抑留など中米ソの行為を残虐非道と言わないのか。
 
 自分の家族を「泥棒だ」「殺人者だ」と言うだろうか。日本人として真実の歴史をつかむ努力をしてほしい。

 ――今後の活動は。
 
 大碑は未来永劫(えいごう)護っていく。

 毎年、大碑が完成した8月4日に大東亜聖戦祭を予定している。

 大碑の中に、祖国の繁栄を願う私たちの遺言や正しい歴史出版物などを入れたタイムカプセルを納めており、39年後の「皇紀2700年」に開封する。     (聞き手・中山 彰仁)


「県民の会設立準備会」会員 竹内 伊知さん(75)

 ――なぜ大碑に反対するのですか。
 
 人間に魂があるとすれば、「聖戦」という表現はあの戦争で亡くなった人への冒とくだ。

 1000万、2000万人という罪のない人を殺したことに対する反省、侵略を受けて苦しみを味わった人たちへの配慮もなく、日本の国益にとっても将来マイナスになる。

――戦時中は「聖戦」と考える人も多かった。 
 
 私も軍国少年だった。小学校で神話を教わった時には子ども心に変だと思っていたが、やがて日中戦争が始まると日本軍の連戦連勝。

 「やっぱり神の国だ」「八紘一宇(はっこういちう)は本当だ」と思い込んでいった。

 1944年末に自らすすんで陸軍の特別幹部候補生として小豆島で訓練を受け、予科士官学校に入学したが、疎開先で敗戦を迎えた。

――敗戦後に戦争観はどう変わりましたか。
 
 実家に帰ると親友が特攻(特別攻撃隊)で死んだことを知った。

 「親が反対してもかまわない」と一緒に志願した同級生だった。「死なせてしまったのは自分だ」と罪を感じた。

 もう1つのきっかけは、戦争放棄をうたった新憲法。

 敗戦直後は「今回は負けたのなら次の戦争で勝てばいいじゃないか」と考えていた。

 そこへ「殺されても殺すな」という全く逆の考え方が飛び込んできた。「この生き方があるな」と思った。

――なぜ大碑は建てられたと思いますか。
 
 戦後50年近くたって、政府がアジア諸国の人々へ苦しみを与えたことへの反省や謝罪を表明し、戦争を知る世代は徐々に少なくなっていく。

 自分たちが少数派になって、追い込まれていくことへの焦燥感があったのではないか。

 だから大碑が悪いというより、それを県の行政が認めたということが問題だ。

 まさか県の歴史認識がこのままというわけではあるまい。

――県民の会は県の設置許可の取り消しを求めていますが……。
 
 設置許可は県の「未必の故意」。

 「慎重に審議した」というが、法の文面の解釈をしただけで、波紋を広げるとは思っていなかったのだろう。国際的にも重要な問題だと認識できた今、知事の政治的判断が求められている。    (聞き手・駒井 匠)

=おわり=
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