説教ノートより〜北陸学院高校イースター礼拝説教「復活の希望に生きる」〜
ルカによる福音書24章1節〜11節






・イースターというのは、主イエス・キリストが十字架に掛かられて三日目によみがえられた日のことです。主イエス・キリストの復活日のことをプロテスタントの教会では、イースターといいます。

・今朝はイースターの礼拝を、北陸学院の生徒の皆さんとご一緒に、北陸学院のチャペルで守ることができ、心から感謝致します。イースターという日は、喜びの日です。それは、イースターが、復活の希望という喜びによって、神様から与えられている愛の証しの日であるからです。

・イースターは毎年違う日に祝われます。教会の暦では、イースターが毎年、違う日曜日になっているのです。それは、イースターが、春分の日を迎えてから最初の満月の日の次の日曜日、と定められているからです。ですから、春の芽生えや花のさく輝かしい季節がいつでもイースター、となるのです。命の息吹を感じるころに、復活日のイースターが毎年やってくるということになります。

・私たちは、イエス様がなぜ死んで、よみがえられたのか、ということを考えさせられることと思います。よみがえられるのならば、はじめから死ななければいいのに、とか、死んでよみがえるのならば、十字架での無惨な死の意味がなくなるのではないか、などと考える人もいるでしょう。しかし復活にはちゃんとした意味があるのです。

・十字架で無惨にも苦しまれたイエス様は、私たちの罪をすべて引き受けて、人間の汚れた罪をすべて背負って死んで下さったのです。しかし苦しみのなかにあってもそのあとには、復活の喜びが待っていました。復活の喜びをこの世にお与え下さったのです。

・私たちが、死のような悲しみや苦しみにあっても、耐えられないような試練のときにあっても、必ずイエス様が復活される、イースターの復活の希望と喜びに生きることができるためです。

・イースターのこの日、信仰者は、生まれ変わって新しいいのちに生きる恵みを与えられます。クリスチャンでないものも、世界中が喜びにあふれて新たな希望に生きることができるのがイースターです。だから、イースターは春にあるのです。





前のページに戻る

日本基督教団 羽咋教会
e-mail