説教ノートより〜「となりびと 隣人」について〜






  • 「わたしの隣人とは誰ですか?」(ルカによる福音書10章29節)

  • 旧約聖書の書かれた言語、ヘブル語には「隣人」を意味する語が多く、パレスチナに定着したイスラエル人にとって,生活共同体を形成するいわゆる「隣人」は,重要な意味を持っていたそうです。

  • 広い地域に散在して農業を営んだり,あるいは移住して生活する民とは異なっており、狭い地域に集まって生活する彼らにとって、隣人は家族に次いで重要な存在であったからです。

  • そのため旧約律法においては,隣人に対する倫理的,社会的な義務が強く打ち出されているのはそのせいです。しかし、イスラエルの民にとって,隣人とはあくまで同国民に限られ,外国人に対しては、たとい近くに住んでいようとも、区別されていました。

  • 「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ19:18)という律法も同国民であるイスラエル人に対するものであったのです。そのような中にあって、新約聖書において、主イエスは、隣人に関して新しい光を投げかけてくれました。

  • 「永遠の命を得るためには何をすればよいのか?」という言い得て妙な質問を主イエスにしたある金持ちの青年。そんな質問に今度は律法学者に対して丁寧に返された答えは、こうでした。「律法をどう読むか」。この律法の専門家は、「律法とは神と隣人に対する愛である」こう答えました。彼にはその通りに実行する意志が全くないにもかかわらず。

  • そこで金持ちの青年は、言いました「わたしの隣人とは誰ですか?」その質問に主イエスは「善いサマリヤ人」のたとえをもって民族的な区別を解き放った愛の大きさを示されたのです。

  • 更に、律法はみな守っていると主張し、多くの財産を持っていた青年に対しては、「隣人」を自分自身のように愛する方法を示されました。この場合の隣人とは,自分の近くにいる者や共同体などの構成員としてではありません。人間としての助けを必要とする、弱く貧しい者を指しています。

  • 主イエスこそ私たちのように罪深く、弱い人間の「真の隣人」となって、傍らにいていつも愛をお与えくださり、そして、律法を成就されたお方である、と思います。






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日本基督教団 羽咋教会
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