能登圏信徒修養会礼拝説教より〜「家族の祈り」



<2003年11月3日 於:七尾教会>
「テモテへの手紙一」2章1節〜7節



・パウロという人は、聖書の中で、「まず第一に」祈ることを、勧めています。願うこと、執り成しと感謝をすることと共に、すべての人のために祈りを捧げることを勧めています。そして更に、支配者のために、王たちや高官たちのためにも捧げることを勧めています。

・この信徒修養会において、講師を務めてくださいます、トマス・ジョン・ヘイスティングス先生によって、感謝すべきひとつのテーマが与えられました。

「福音における家庭を築くこと」です。この素晴らしいテーマを耳にしたとき私は、「福音における家庭」というのは、家族で共に祈ることのできる家庭ではないか、と思いをめぐらせました。家族の祈り、ということを考えたのです。

・しかし、家族が教会に来られていない、クリスチャンでない場合もあるのではないか。そう思いました。そのあとすぐに、次のような考えが浮かび上がりました。家族の祈りができるというのは、とても素晴らしいけれど、恵まれすぎている、贅沢なことなのではないか、ということを思ったのです。「家族で祈る」祈りとは、食卓における食前の祈り、あるいは「家庭礼拝」を行うなかで共に祈ることなど、さまざまです。

・そこで、パウロの祈りに関する教えをひもといてみました。すると、こう記されているのです。

・「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。」

・誰と、どこで祈るかということは書かれていません。パウロはしかし、この祈りに関する教えを、教会の制度や秩序を語る際に、記しているのです。異端に直面した教会を破滅から救うために、教会の制度の確立として指導的な面から、述べる必要があったようです。この箇所は最初の教会指導の手引きであるともいえるそうです。

・私たちのその他の多くの教会がそうであるように、羽咋教会では毎週水曜日に、祈祷会を行っています。祈祷会とは、教会において、ともに祈りを合わせるときです。祈祷会を大切にし、共に祈ること、重んじたいと思います。家族で祈ることのなくなった私にとって、教会において祈ることが「神の家族の祈り」であるからです。このように私たちは祈りの共同体として、歩んでいきたいと思うのです。

・能登圏ではこの信徒修養会が、能登圏の兄弟姉妹と教職が一同に会して共に祈りを合わせることの赦される唯一の日です。能登圏の歩みのなかで、信仰を深められ、共に学び、交わりを共にすることができるこの信徒修養会を、神様に感謝したいと思います。






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