説教ノートより〜マルティン・ルーサー・キング牧師の言葉集

キング牧師リンカーン記念堂演説(抜粋)1963年8月28日
マルティン・ルーサー・キング牧師(1929〜1968)



「暴力の最大の弱点は、それが破壊しようとしているまさにそのものを、かえって増幅し、それがどんどんと連鎖して拡大するということだ。悪を消すのではなく悪を増産してしまう。暴力で嘘つきな人間を殺すことはできても、嘘そのものは消し去れない。真実を実現することもない。暴力で憎む人を殺すことはできても、憎しみそのものを消し去ることはできない。逆に暴力は憎しみを生み出すだけだ。そしてそれは増産される。報復の暴力は暴力を増産し、すでに星を失ってしまった夜にさらに暗闇を増し加える。暗闇を暗闇が消し去ることはできない。暗闇を消し去ることができるのは光だけである。憎しみが憎しみを消し去ることはできない。憎しみを消し去ることができるのは、愛だけである。」

・キング・ジュニア、マーチン・ルーサー
(King Jr., Martin Luther)
生:1929年、ジョージア州アトランタ
没:1968年、テネシー州メンフィスで暗殺

・パブティスト派牧師の子。アトランタのモアハウス・カレッジ、ペンシルベニア州クローザー神学校、ボストン大で学ぶ。黒人の公民権獲得運動に従事し、64年ケネディ平和賞、ノーベル平和賞受賞。68年暗殺。
「私には夢がある」の演説は有名。

・メキシコ1929年、ジョージア州アトランタの黒人牧師の家に生まれた、もの静かで聡明な青年は25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になる。市バスでの差別に抗議した主婦が逮捕されたのをきっかけに、公民権運動に加わったのは26歳。以来、反対派や警察からなんど度も暴行を受け、投獄された。胸を刺されて命を落としかけたこともあった。家に爆弾を仕掛けられたりもしたが、キング牧師は「 暴力には魂の力で応えるのだ」と訴え、暴力をつかわない運動を指導。「白人に対する黒人の勝利でなく、すべての人の自由と平等という勝利が白人と黒人がともに見るアメリカの夢」と説き続けた。

・「私には夢がある。いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。私には夢がある。いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。私の父が死んだ土地で、メイフラワーの清教徒達が誇りとした土地で、すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら、これは実現されなければならない。」

・「ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から、自由の鐘を鳴らそうではないか。ニューヨークの稜々たる山やまから、自由の鐘を鐘を鳴らそうではないか。ペンシルベニアのアルゲニー高原から、自由の鐘を鳴らそうではないか。コロラドの雪を頂いたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴らそうではないか。カリフォルニアの曲線の美しい丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか。それらばかりではない。ジョージアの石ころだらけの山、テネシーの望楼のような山、そして、ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか!すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか! そして私たちが自由の鐘を鳴らす時、私たちがアメリカの全ての村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすその時、全ての神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、新教徒もカソリック教徒も、皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。「自由だ、ついに自由だ、全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ」と。」




前のページに戻る

日本基督教団 羽咋教会
e-mail