説教ノートより〜北陸学院短大礼拝説教「感謝の喜び」
「詩篇」92編2節〜4節/「テモテへの手紙一」4章4節〜5





・さて、今月の北陸学院短大の礼拝におけるテーマは「感謝」であるとお聞きいたしました。私たちは果たして、普段の生活の中で、「感謝」をしているでしょうか?キリスト教で、感謝といいますと、神さまに感謝をする、という意味になります。聖書には、神様に感謝するという言葉や内容が本当にたくさん記されています。中でも、旧約聖書の詩篇には、「主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」や、「主に感謝を捧げること」など、さまざまな表現をされています。

・感謝を捧げるとは、一体どのようなことなのでしょうか。詩篇92編には、主をほめたたえる歌を、十弦の琴に合わせて、歌い、賛美することが、主に感謝を捧げることであり、同時に、主のまことを述べ伝えること、そのことがいかに楽しいことか、ということが記されています。

・神様の業を喜び、感謝するということです。旧約聖書の創世記には、「神様はすべてのものをお造りになられた」、とあります。また、今日お読みしました、新約聖書のテモテへの手紙には、「神さまがお造り下さったものはすべて良いものである」、とされています。感謝を捧げ喜んで受けることによって、それが神の言葉となり、祈りとなっていくのです。

・皆さんの中に、クリスチャンの家庭に生まれた人は、いるでしょうか。クリスチャンの家庭では、食事をする前に必ず食前の感謝の祈りを捧げます。神様が与えてくださったものに対しての感謝の祈りです。何事も感謝をして受けるならば、神さまによって聖なるものとされ、祝福された人生を歩むことができるのです。感謝することは喜びであるのです。

・あるタレントさんの言葉で次のようなものがあります。「しあわせとは充足感であり、これ以上何も望むものはないとしみじみ思う気持ちなのです。しかし、一度手に入れたからといって、永久不変に維持できる固形物ではないのです。永遠に幸せでいる方法はたったひとつ。感謝の心を忘れないことです。」

・人生において、感謝を忘れてはならないと思います。誰に感謝するか分からなければ、神様に感謝をするのです。今の自分があること、今日受けた恵み、そしてこれからのことをすべて感謝するならば、私たちは祝福され、真に幸福となることができるのではないでしょうか。





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日本基督教団 羽咋教会
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