説教ノートより〜北陸学院短期大学 グッドサマリタンセミナー朝礼拝
「コリントの信徒への手紙一」15章35節〜41節





・今年の修養会のテーマは、愛されている「いのち」です。先ほど読んでいただきました聖書の箇所において、「死者の復活」という言葉が出てきました。最初に、復活について、「どんなふうに復活するのか」、という議論が投げかけられています。それに対して、パウロという人はこう答えます。「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。」

・命を与えられていることを神様に感謝して、ひとりひとり、命を与えられているということに価値を見出すことができるならば、本当に素晴らしいことであると思います。死があるからこそ、命があるのです。死ななければ命を得ることができない、それが死者の復活であるというのです。

・さて、新約聖書には、ある種まきの譬えというお話があるのをご存知でしょうか?ある種まきが、種を蒔いたところ、一つは道端に落ち、鳥が食べて人が踏みつけ、芽が出ませんでした。あるものは、岩の上に、そしてあるものは茨のうえに落ち、それぞれ、水気がない岩と、茨が覆いふさがってしまうという理由で、種はだめになってしまいました。

・この譬えの最後には良い土地に落ちた種が、百倍もの実を結んだ、ということで閉じられています。今日の箇所においても、あなたが蒔くものはただの種粒であるが、それが神様によって、体を与えられると記されています。「神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。」
  
・これらの聖書の箇所は、私たちにいのちの大切さを教えてくれていると思います。死を通らなけらば復活はありえないということ、主イエスは一度死なれ、復活されましたが、命の輝きをもって復活されたのです。「天上の体の輝きと地上の体の輝き」とあるように、私たちの外見的なことではなく、内面であるいのちの輝きを神様が愛され、大切にして下さるのです。

・神様によって与えられている命は、ひとりひとりがその価値を見出し、輝くことができるのです。 この修養会では、「いのち」について、共に考え、分かち合うことがことができたと思います。いのちがいかに大切で、自分が思う以上に価値のある、愛されている命であるか、そのことを神様に感謝し、真の意味での命の尊さを大切にしたいと思います。





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日本基督教団 羽咋教会
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