主日礼拝 説教断片  イースター墓前祈祷会 『キリストによって生きる』




2005年3月27日 イースター墓前祈祷会
聖書箇所 「コリントの信徒への手紙一」 15章20節〜28節


  • 「コリントの信徒への手紙一」15章には、キリストは死者の中から復活したこと、それだけではなく、眠りについた人たちの初穂となられたということ、すべての人がキリストによって生かされることになるということ、が述べられています。

  • 眠りについた人たちとは、いわば、天国に召された人々のことを指しています。その人たちの初穂となる、とはどのようなことを言っているのでしょうか?この「初穂」というのは、ローマの信徒への手紙8章にも書かれていますが、「眠った人たちの最初の者」とする説があるそうです。眠った人たちの最初というのは、キリストの復活と、私達人間の復活とに、時間をおいているからです。キリストにならって、キリストの命に生かされるためです。

  • 更にこう述べています。「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(15章22節)

  • アダムというのは、私達人間の最初のひとです。旧約聖書の創世記に描かれている天地創造のとき、神様が最初に作られた人間、アダムです。そのアダムが犯した罪によって、死ぬべき者となった私達は、キリストの到来によって、再び生かされるようになる、ということです。

  • 今朝はイースターの礼拝を喜びのうちに守りました。イースターに墓前祈祷会を守るのは、主イエス・キリストのよみがりの命を特に覚えるということと、よみがえりの命を信じて、兄弟姉妹を覚えて祈るためであります。復活の喜びは、キリスト者に与えられている信仰の賜物であり、恵みです。そこには、希望と賛美があります。

  • 教会において、春になると毎年やってくるこのイースターは、迎えるたびに新しい命に生かされる、復活の恵みです。パウロによって、こう告げられています。「キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。」(15章25節〜26節)

  • 最後の敵である死をも滅ぼされる、そのようなキリストの力は、十字架にかかられ、復活されるほどの大きな神の力を与えられているのです。旧約聖書の詩編23篇にはこう書かれています。

  • 「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴われる。主は私の魂を生き返らせてくださる。」 (「詩編」23篇1節〜3節)

  • 主は私達を憩いの水のほとりに導いて下さり、疲れた魂を生き返らせて下さいます。そして青草の原っぱに休ませて下さいます。こうしてキリストの復活を信じるもののみが、魂を再び生き返らせる、復活の力を与えられるのです。その力を、多くの人々が共に分かち合うことができるよう、宣べ伝えていきたいと思います。



  










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