『主イエスに従う』

<2002年8月4日 主日礼拝>
「ルカによる福音書」5章27節〜32節



・主イエスの弟子は12人いると聖書から教えられています。その中のレビという徴税人のお話です。

・ルカによる福音書では“彼は何もかも捨てて”イエスに従った、と記されております。同じルカによる福音書の5章において、主イエスによって「あなたたちは人間をとる漁師になる」、と言われた、シモン・ペテロやヤコブとヨハネたちと同様にまさしく、“何もかも捨てて”主イエスに従っていったのです。

・さて何もかも捨てて主イエスに従い、貧しい人々のために捧げたひとりの女性がいます。彼女は、自分の命をなげうって、その生涯を信仰のために捧げたのです。生きているときにこう言っています、
・『カルカッタの聖女』と呼ばれた修道女、今は亡きマザー・テレサという人がいました。第二次大戦中にカルカッタを襲い多数の餓死者を出し たききんに、深い精神的衝撃を受けたと言われています。ある日、汽車の中で「貧しきものたちと共にあれ。貧しいもののために働け」という神様の声を聞き、貧しい者への奉仕を決意したそうです。

・そのマザー・テレサが語っている言葉に次のような言葉があります。「まことのキリスト者であるとは、キリストを本当に受け入れること。そして、次々にもうひとりのキリストとされていくこと。私たちが愛されたように、十字架上からキリストがわたしたちを愛してくださっているように愛すること。わたしたちはお互いに愛し合い、人々を愛さなければなりません。」

・キリストが愛されたように、私たちも愛さなければならないと述べています。飢え、かわき、病んでいる人々のために、一生を捧げた彼女は、主イエスが病を癒され、貧しい人々に与え、愛されたように、主イエスに従って歩まれたのです。

・レビも同じように主イエスに従っていったひとりの弟子です。主イエスの言葉がレビ収税所に座っているレビに語りかけられました。
「わたしに従いなさい。」
こう言われると、座っていたレビはなにもかも捨てて立ち上がったというのです。

・当時、徴税人とは、罪人と同じく汚れたものとされていたのです。また、階級は低く彼らはローマ政府に収める金額よりも多く、お金を取り立てて余ったお金を自分のもうけとすることが多かったようです。

・主イエスは“わたしがきた”のは「正しいものを招くためでなく、罪人を悔い改めさせるためである」と言われています。主イエスはいつも、社会において軽蔑されたもの、弱いもの、貧しいもの、病んでいるもの、そばに同じ目線で歩んでくださるのです。




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日本基督教団 羽咋教会
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