『敵をも愛する愛』

<2002年9月15日 主日礼拝>
「ルカによる福音書」6章27節〜36節



・私たちは、それぞれの人生において、敵をもっているでしょうか。あるいは、敵と味方という人種の分け方は、あまりなさらないでしょうか。 主イエスは言われました。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」

・このような敵への愛は、旧約聖書でもユダヤ教でも見られます。しかし、単なる倫理的な事を主イエスが言われているのではありません。そのように行うことによって、神の国が実現するということです。

・「敵を愛する」ということを、教会において、また社会において実践したひとりの人物について、取り上げたいと思います。「汝の敵を愛せよ」という事をかかげて、果敢に黒人差別と闘った一人の牧師がいました。アメリカの南部バプテストの牧師である、有名なマルティン・ルーサー・キング牧師です。彼は、1929年、ジョージア州アトランタの黒人牧師の家に生まれました。もの静かで聡明な青年でしたが、25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になります。26歳になったときのある日、彼は、市バスでの差別に抗議した主婦が逮捕されたのをきっかけに、公民権運動に加わりました。以来、反対派や警察から何度も暴行を受け、投獄されたりもしたのです。危険な目に幾度もしました。しかし、キング牧師は「 暴力には魂の力で応えるのだ」
と訴え、暴力をつかわない運動を指導し、その先頭にたって、リーダーシップをとりました。

・「 白人に対する黒人の勝利でなく、すべての人の自由と平等という勝利を白人と黒人がともに見るアメリカの夢」を説き続けたのです。彼の行った勇敢な戦いは、特に多くの黒人たちに大きな影響を与えました。そして、彼はノーベル平和賞とケネディ平和賞を授かりました。彼の演説に、とても印象的な言葉があります。

「私には夢がある。いつの日にか、
 ジョージアの赤土の丘の上で、
 かつて奴隷であった者たちの子孫と、
 かつて奴隷主であった者たちの子孫が、
 兄弟として同じテーブルに向かい
 腰掛ける時がくるという夢を。」

・このように、差別を受けている黒人たちへの夢を、訴え、励まし続けました。キング牧師は、人々に望まれていたことを、したといえるでしょう。その結果、彼は殺されてしまいました。それでも、「憎しみには憎しみで返さずに、愛することで答える」ということを全うしたのです。彼は、主イエスの教えられた、「汝の敵を愛せよ」という言葉を自ら実践し、自由な、差別のない、「神の国」の実現を望んでいたのではないでしょうか?

・主イエスは、その愛をどのような形で私たちにしめされたでしょうか。それは、十字架の愛によって、またその後、復活されるということによって、愛の真の姿を私たちに示されたのです。それは、「敵をも愛する」という、聖書での教えの究極の、そして真実の、愛の姿なのではないかと思うのです。

・愛は、忍耐強く、また、情け深いものであり、そして真実であることを喜ぶ(コリントの信徒への手紙一15章)これこそが神様の愛であるからです。敵を愛する愛と同じ、神様の愛です。




前のページに戻る

日本基督教団 羽咋教会
e-mail