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真宗大谷派難波別院 [南御堂 458号] 2000年10月号 掲載
未校正WEB版
末法の灯明(ともしび)上 【末法の灯明(下)】へ
藤場 俊基 真宗大谷派
金沢教区 常讃寺 衆徒
予測がもたらす不安
遠い昔のことのように感じますが、昨年の今頃は、世界中どこもかしこもいわゆる
「コンピューターの二〇〇〇年問題」で大騒ぎでした。私も、少しの不安とこわいもの見
たさが入り交じった、何かが起こるのを待つような気持ちで新年を迎えました。結局、大
山鳴動してねずみ一匹で、今となっては笑い話のようです。
仏教の歴史の中で、それと似た大きな転機であったのは末法当来ではないかと思
います。
日本では一〇五二(永承七)年から末法に入るとする説が広く信じられていました。
ちょうどそのころ火災や自然災害、あるいは疫病の流行が続くなど、社会不安が蔓延し、
末法の当来がかなり現実味のあることとして深刻に受けとめられていました。
人間という生き物を不安に陥れるには、何か悪いことが起こるかもしれないという予
測や想定だけで充分です。どんな大きな出来事でも、すでに起こってしまったならば、そ
れに苦しんだり困ったりすることはあっても、不安をいだくことはありません。なぜなら、
不安とは、いつも不確実な未来からもたらされるからです。
「コンピューターの二〇〇〇年問題」でも、結果的には大きな事故は起こりませんで
したが、その対策に投じられた肉体的・精神的・物質的エネルギーは膨大なものになり
ました。たった一つの予測が人間をあれほどまでに奔走させたのです。それほどの大
事件ではなくても、過去や未来への不安をかきたてて入信を促す宗教団体や詐欺的商
法は跡を絶ちません。ですから、今日の私たちは末法当来におびえた平安時代の人々
を嗤うことはできません。
衰退史観としての末法思想
当時広く信じられていた末法観とは、釈尊の入滅後、仏教は正法・像法・末法という
三つの段階を経て次第に衰退していくという考え方です。正法とは、教(教え)と行(教え
の実践)と証(得られる証し)の三つがすべてそろっていること、像法とは、教・行はある
が証を得る者がいなくなること、つまり形式的に仏教が継承されているということです。
そして末法は、教だけ、つまり抜け殻だけしか残っていないという意味です。釈尊の入
滅から時代を経るにしたがって、仏教が衰退し、出家者も堕落していくとする考え方で
す。
末法を思わせる出来事や頽廃的な社会風潮の中で、無常観や厭世観が広まり、い
よいよ仏法が滅びる時がやってきたという危機感が強まりました。日本において浄土教
が受け入れられ、盛んになったのはちょうどそのころのことです。それ以来、浄土教は
末法思想と深く関わる教えであると考えられてきました。親鸞聖人が残された著作の中
にも末法に言及する文言はたくさんあります。
私たちの中にも、浄土真宗は末法相応(末法にふさわしい)の教えであるという意識
が少なからずあるのではないかと思います。ただ、私たちが末法相応という時、その言
葉はどのような意味で考えられているでしょうか。もしそれが先に述べた、時代とともに
衰退し堕落していくという、衰退史観といわなければならないこととして考えられていると
したら、まともな教えがなくなったからこれで我慢しておこうというような、浄土の教えは
いわば「仏教の残りカス」であるということになってしまいます。浄土真宗はそんなに情
けない教えなのでしょうか。
親鸞聖人の仏教史観
親鸞聖人は、『教行信証』の中で、「聖道の諸教は、在世正法のためにして、まった
く像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正
法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや」と述べています。
衰退史観的な仏教の歴史観は、聖道の教えを拠り所にしている場合に当てはまる
ことであって、浄土真宗に基づく場合にはその見方は当てはまらないと言っているわけ
です。つまり、聖道の教えに基づく仏教は仏が生きておられる時と正法の時代において
はその役割が充分に機能しているが、像法以降は、そのような仏教観は充分に機能し
ない。しかし浄土真宗はいつの時代においても、「群萌を同じくひとしくすくう」というその
役割は色あせるものではないということでしょう。
このように言い切ることができる親鸞聖人の仏教史観とはどのようなものなのでしょ
うか。もし、衰退史観的な立場が正しいとするならば、末法の世を生きる衆生は、逆立
ちしても「やせ衰えた残りカスの仏教」にしかめぐりりあえないことになります。親鸞聖人
は、法然上人との出遇いを通してめぐりあった教えを、「親鸞におきては、ただ念仏して
、弥陀にたすけられまいらすべし、とよきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の
子細なきなり」と言い表わしています。決して「やせ衰えた残りカスの仏教」などとは思っ
ていないはずです。「仏教は一点の狂いもなく、私のところにまで届いてくださった」とい
う感動と確信が、親鸞聖人の仏弟子の名告りではないかと思います。
末法という時を、仏教が衰退してしまう時と嘆き悲しんだということは、その人たちは、
残りカスのような仏教しか知らなかったということを自ら告白しているようなものではな
いでしょうか。残りカスのような仏教しか知らない人たちの言葉と「ここに仏教あり」と言
い切った人の言葉のどちらを信頼すべきであるか、それは言うまでもないことだろうと
思います。 (二〇〇〇年八月三一日)
真宗大谷派難波別院[南御堂 459号]2000年11月号 掲載
未校正WEB版
末法の灯明(ともしび)下
藤場
俊基 金沢教区 常讃寺 衆徒
道綽禅師による末法観の逆転――濁世を照す/悲引の一道
家から車で四〇分ほどのところに、ホタルがたくさんいる田んぼがあります。無数の
光の点が飛び回る様は、まるで星が空から舞いおりてきたかのようです。
昼間、そのあたりを通っても、何の変哲もないただの田んぼです。ホタルたちは葉
陰で休んでいるのでしょう。仮に夜と同じように光を発しながら飛び回っていたとしても、
きっと他の虫たちと見分けがつかないだろうと思います。昼間、ホタルの光や空の星を
見ることができないように、小さく微かな光は、大きく強い光の中では、その輝きに気付
くことはできません。闇が深ければ深いほど、ホタルの輝きは存在感を増します。
釈尊は、仏教においては、強い輝きを発する太陽のような存在でした。釈尊の人格
が発する輝きはあまりにも偉大で、釈尊の入滅後も永く仏弟子を照し続けました。その
仏道は、ある意味で釈尊の人格を理想とする考え方に基づいていたと言えます。末法
とは、釈尊の人格が発し続けた輝きが消え去ってしまう時ということなのではないかと
思います。その時、仏弟子たちは、世を照す灯明がなくなること嘆かざるをえなかった
わけです。
しかし、仏教の輝きは、釈尊の人格が放つ光だけによるものではありませんでした。
「大聖を去ること遥遠なり」と、肉身の仏陀がはるか彼方の存在になってしまったという
事実に立って仏道を求めようとされたのが道綽禅師です。肉身の仏陀の存在を近くに
感ずることができない時と場、すなわち末法において、なお仏教が人間にとって意味が
あるとしたら、それはどのような教えでなければならないか、と求めたのです。そして、
末法において仏教が明らかになる道があるとすれば、それは「ただ浄土の一門である」
と見定めました。釈尊の人格への憧憬が断ち切られた末法という時でなければ、本当
に目を向けるべき教えに目を向けることができない、という視座の転換が成り立ったの
です。
その視点に立つならば、末法とは、決して仏教が衰え滅んでしまう時ではなく、むし
ろ本当に明らかになるべきことが明らかになる時という意味になります。像法という形
式性を重んじるあり方の中で、明らかにされなければならない仏教の精神を見失ってい
たことに気がついたわけです。それまであてになるように思われていた教えが、実はあ
てにならないものであることが明らかになる時、言い換えれば、時と相手が限定されて
いる教えがすべて輝きを失って、一切の形式性が意味を持たなくなった時に、それでも
なお仏教の精神が生き続けるということが明らかになる時が末法である。その末法に
生きてはたらく仏教こそが、本当の意味で仏教と呼ぶに相応しいということです。
そして、道綽禅師は、「浄土の一門には、間違いなく仏教の精神が生きてはたらい
ている。私は、その生きた仏道を歩もう」という態度決定をされたのです。「末法には残
りカスのような仏教しか残っていない」という程度の仏教観しか持てなくなっていた聖道
門と訣別したのです。
「ただ浄土の一門あり」と明らかにされた教えは、釈尊の人格に対する帰依を勧め
ていません。釈尊が、「彼の阿弥陀如来に帰命せよ」と差し示す教えです。それは、釈
尊という偉大な人格に対する思慕や依存心を断ち切って、一人ひとりの仏弟子が釈尊
が指し示す「南無阿弥陀仏」のみを灯明として歩み続ける道です。
親鸞聖人が、「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したま
うをや」と述べられたことは、道綽禅師が明らかにされたこの仏教史観が元になってい
ます。この言葉はしばしば次のように理解されることがあります。末法になると、人間の
能力や資質が劣悪になり、世の中の濁りや悪も増してきて、仏教のすばらしい教えの
通りに実践することは難しくなる。だから、末法を生きなければならない濁悪の衆生の
ために浄土教が用意されているのだ、と。
人間や世の中が濁悪であるのは末法になったからなのでしょうか。仏が生きておら
れた世は濁悪ではなかったのか、その時代の人々は煩悩を持っていなかったのか。そ
んなことはないはずです。仏教は、人間が煩悩に苦しむ存在であることを原点としてい
る教えです。
仏在世の時代であろうと末法の世であろうと、人間の本質はそれほど異なりません。
人間とは、いつでも同じくひとしく「濁悪存在」であるのでしょう。例外はありません。どれ
だけ修行をしても、かたく戒律をまもったとしても、その本質は少しも変りません。これ
が浄土教を成り立たせている人間観です。
この人間観が、親鸞聖人をして、浄土の教えは、仏在世の時から一貫して濁悪の
群萌を同じくひとしく救い続けてきた輝きであると言い切らせているのです。なぜなら人
間は、いつの時代にも欠け目なく煩悩を成就している生き物であるからです。
世の中の乱れや仏弟子の堕落を「嘆かわしい」と語る者のところに仏教が伝わって
いるのではなく、むしろ救いの可能性がすべて××生××→消滅してしまった真っ暗闇
の中においてなお確かな光を放つ小さな輝きの中に仏教は間違いなく息づいているの
です。
私たちの生きる現代は、道綽禅師や親鸞聖人が生きられた時代より以上にその教
えを必要とする時なのではないでしょうか。
(二〇〇〇年十月十日 筆了)
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