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原作 『絵で読む 阿弥陀経』西山浄土宗 東部第一宗務支所 発行 文 稲葉是邦
翻案 藤場 俊基 [2003年2月8日版]

  お釈迦さまが説かれた、阿弥陀仏の教え
   
 わたくし、阿難あなんは、このように聞きました。
 それは、お釈迦
しゃかさまが祇園精舎ぎおんしょうじゃにおられた時のことです。お釈迦さまの前には大比丘びくと称される千二百五十人の修行者が座っておられました。みな、阿羅漢あらかんの境地に達しておられ、人びとによく知られた方がたです。智慧第一の舎利弗しゃりほつさま、神通力第一の目連もくれんさま、清貧生活に徹したマカカショウさま、討論の上手なマカカセンネンさま、お話し上手なマカクチラさま、ほこらの中で因縁を悟ったリハダさま、掃除に徹したシュリハンダカさま、お釈迦さまにうり二つのナンダさま、いつもお釈迦さまのお話を聞いているアナンダさま、お釈迦さまの子のラゴラさま、牛の姿に似ているキョウボンハダイさま、お説教の上手なビンヅルハラダさま、陽気で機知に富んだカルダイさま、星に詳しいマカコウヒンナさま、長寿第一のハックラさま、心の眼を開いたアドロダさまなどの大弟子です。また、智慧深い文殊もんじゅ菩薩ぼさつ、思慮深い弥勒みろく菩薩、清らかなケンダカダイ菩薩、いつも修行されている常精進じょうしょうじん菩薩、お弟子や菩薩の他にも、悪をこらしめる帝釈天たいしゃくてんをはじめとした仏法を護まもる神々もおられました。ほかにも、お釈迦さまの説法を聞くために集まってこられた人々が大勢その場におられました。
   
 その時、お釈迦さまは、いつもとは違って、どなたのお尋ねもないのに、ご自身から口を開かれ、長老の舎利弗
しゃりほつさまに問いかけられました。そして、舎利弗さまの答えを待たずに語りはじめられました。
 舎利弗よ、これより西方のはるか遠くに、世界があり極楽と名づけられている。そこには仏さまがおられ、阿弥陀仏
あみだぶつと呼ばれている。今現にそこにおられて、仏法を説かれている。
 舎利弗よ、なぜその国を極楽というのか知っているか。その国の人は、苦しみがなく、ただあらゆる楽しみを受けるからである。
 舎利弗よ、極楽の世界は、七重の欄楯
らんじゅん(柵)に囲まれ、七重の薄網におおわれ、七重の並木がある。これらは、すべて、金・銀・青い宝石・水晶などの宝石に飾られている。
 舎利弗よ、極楽には宝の池があり、八つの功徳がある水があふれている。池の底には、金の砂がしきつめられ、四方の水ぎわには、金・銀・青い宝石・水晶などの宝石でできた階段がある。そばには高い建物があり、金・銀・青い宝石・水晶・シャコ・赤い宝石・メノウなどの七宝で飾られている。池の中には、車輪のような大きい蓮華が咲いている。青い華からは青色の光が、黄色の華からは黄色の光が、赤い華からは赤色の光が、白い華からは白色の光が発せられ、それぞれ美しく清らかな香を漂わせている。舎利弗よ、極楽世界は、このように美しく飾られているのである。
 舎利弗よ、そこはいつも優雅な音楽が天から奏
かなでられ、大地は黄金色に輝き、一日に六回、曼陀羅まんだらの華が降りそそいでくる。その国の人びとは、清らかな朝をむかえると、花かごに花を盛り、あちこちの仏の国にでかけてゆき、そこで多くの仏を供養する。昼になると、自分の国に帰り、食事をすませて散策する。舎利弗よ、極楽世界は、このように美しく飾られているのである。
 舎利弗よ、その世界にはさまざまな形や色の鳥が飛びかっている。清楚な白鵠
びゃっこう、華麗なクジャク、可愛いオウム、おしゃべり上手なシャリ、声の美しいカリョウビンガ、珍しい姿の共命鳥ぐみょうちょうなどである。これらの鳥は、一日に六回、おだやかな声で鳴く。そして、その音こえは、仏の教えとなって聞こえてくる。その国の人びとは、その音を聞いた後、仏・法・僧の三宝を念ずる気持ちが自然にわいてくるのである。
 舎利弗よ、これらの鳥は、罪の報いによって畜生
ちくしょうに生まれたわけではない。極楽世界には、もともと地獄じごくの苦しみも、餓鬼がきの悲しみも、畜生の迷いもないからである。舎利弗よ、その世界には、地獄・餓鬼・畜生という言葉すらない。ましてや、罪の報いとして畜生道におちた鳥がいるはずはない。これらの鳥は、すべて阿弥陀仏が、教えを勧め説こうとして、創り出した仮の姿なのである。
 舎利弗よ、その世界には、ここちよい風がそよいでいる。その風に吹かれて、宝の樹や宝の網はゆれ動き、百千の楽器が同時にかなでるように、妙たえなる音が出ている。この調べを聞くものは、みな、自然に仏・法・僧の三宝を念ずる心がわき起こってくる。舎利弗よ、極楽世界は、このように美しく飾られているのである。
 舎利弗よ、その仏は、なぜ阿弥陀と名づけられるのか知っているか。舎利弗よ、その仏から発せられる光明は量り知れず、すべての国々を照らし、さまたげるものはない。このことから、阿弥陀(アミターバ=無量光)と名づけれられるのである。舎利弗よ、その世界の人びとの寿命は仏と同じである。どのような単位を使っても量りつくすことはできない。このことから、阿弥陀(アミターユス=無量寿)とも名づけられるのである。
 舎利弗よ、阿弥陀仏は、仏の悟りを得てから、もうすでにはかり知れない長い時間が経っている。舎利弗よ、阿羅漢の境地に達している仏弟子は数えきれないほどいる。仏になろうと修行している菩薩も大勢いる。舎利弗よ、極楽世界は、このように美しく飾られているのである。舎利弗よ、極楽世界に生まれている人びとは、みな悟りの道に達している。中にはまもなく仏となられる菩薩もたくさんおられる。その数は、はなはだ多く、無量無辺としかいいようがない。
 舎利弗よ、今まで説いてきた極楽世界と、阿弥陀仏、あるいは菩薩や聖者たちのことを聞いた人びとは、だれもがみなその世界に生まれたいという願いを発おこすにちがいない。なぜなら、このような素晴らしい仏弟子や菩薩がたと共に同じ場にいることができるからである。
 舎利弗よ、多少の善行や、功徳を積み重ねたとしても、それによって極楽世界に生まれることができるわけではない。極楽に生まれるためには人間が行なう善行や功徳は何の役にも立たない。ではどうしたら極楽に生まれることができると思うか。舎利弗よ、老若男女を問わず、いかなる人でも、極楽と阿弥陀仏の話しを聞いて、たとい一日でも二日でも、ないしは六日でも七日でも、迷うことなく一心に阿弥陀仏の名を称えるならば、命終わるときに、阿弥陀仏は菩薩がたや聖者らとともに、必ず目の前に現われてお迎えしてくださるのである。それゆえ、恐怖で心が乱れることなく安らかに、そしてすみやかに阿弥陀仏の極楽世界に往生するのである。
 舎利弗よ、わたしがこのような説法をするのは、この念仏の教えにはすばらしい利点があることをよく知っているからである。この念仏の教えを聞けば、だれもがきっと極楽世界に生まれたいと願うようになるであろう。そして、だれ一人ももれることなくその世界に生まれるのである。
 舎利弗よ、わたしは、阿弥陀仏の不可思議な慈悲と智慧の功徳をほめたたえてきた。これと同じように、 東方の、阿シュクビ
あしゅくび仏、須弥相しゅみそう仏、大須弥だいしゅみ仏、須弥光しゅみこう仏、妙音みょうおん仏、 南方の、日月燈にちがつとう仏、名聞光みょうもんこう仏、大焔肩だいえんけん仏、須弥燈しゅみとう仏、無量精進むりょうしょうじん仏、 西方の、無量寿むりょうじゅ仏、無量相むりょうそう仏、無量幢むりょうどう仏、大明だいみょう仏、宝相ほうそう仏、浄光じょうこう仏、 北方の、焔肩えんけん仏、最勝音さいしょうおん仏、難沮なんそ仏、日生にっしょう仏、網明もうみょう仏、 下方の、師子しし仏、名聞みょうもん仏、名光みょうこう仏、達摩だつま仏、宝幢ほうどう仏、持法じほう仏、 上方の、梵音ぼんおん仏、宿王しゅくおう仏、香上こうじょう仏、大焔肩だいえんけん仏、雑色宝華厳身ざっしきほうけごんしん仏、娑羅樹王しゃらじゅおう仏、宝華徳ほうけとく仏、見一切義けんいっさいぎ仏、如須弥山しゅみせん仏、など、六方世界のガンジス河の砂の数ほどの諸仏がたが、うそ偽りがない証拠である広く長い舌を出して世界を覆いつくして、真実の言葉を説き広めるのである。そして人びとはきっとこの〔阿弥陀仏の不可思議な慈悲と智慧をたたえ、一切の仏に護まもられる経〕を信ずるであろう。
 舎利弗よ、なぜこの教えが〔一切の仏に護られる経〕と名づけられるのだと思う。舎利弗よ、老若男女を問わず、どんな人でも、阿弥陀仏の名前と、この経の名を聞けば、その人は一切の諸仏に護られ、二度と迷いの苦しみの中にさまようことがなくなるからである。舎利弗よ、そしてこの場にいるすべての者たちよ、わたしがここまで意を尽くして語り、六方の多くの諸仏が口をそろえてほめたたえ、説き広めようとするこの教えを信ずることにもはや戸惑うことはないであろう。
 舎利弗よ、阿弥陀仏の世界に生まれたいとの願いを、すでに発
こした人、あるいは今その思いが発こっている人、さらにはこれから発こすであろう人は、だれもがみな二度と迷いの苦しみの中にさまようことはない、その世界に、すでに生まれており、今生まれつつあり、必ず生まれることになるのである。舎利弗よ、老若男女を問わず、わたしの言葉を信ずる者はだれでも、願いが発こり必ずその世界に生まれるであろう。
 舎利弗よ、わたしが阿弥陀仏をたたえる諸仏がたの功徳くどくを称讃したのと同じように、諸仏がたもわたしの功徳
をたたえて言うであろう。「釈迦牟尼しゃかむに仏よ、あなたはだれもがなしえない困難な仕事を成しとげられました。それは、時代が作り出す濁り、自分の考えに固執する濁り、煩悩ぼんのうにふりまわされる濁り、人と人とのつながりの濁り、命をまっとうできなくなる濁り、この五つの濁りが渦巻く現実の世の中で、迷いを離れる道を明らかにされたことです。そしてすべての人びとのために、世間の人にはとても信じられない教えを説かれました。それが念仏往生の道です」と。
 舎利弗よ、これではっきりしたであろう。わたしは、五つの濁りが渦巻くこの世の中において、困難な歩みを通して、ようやく迷いを離れる道を明らかにしたのである。そして今、その歩みの結晶ともいえるこの信じ難い教えを、一切の世間の人のために説いた。この教えを自分自身に引き当てて受けとめることははなはだ難しい。これほど難しいことはない。
   
 お釈迦さまが、このように説きおわると、舎利弗さまをはじめとするお弟子がたや、天の神々、そして聞いていた人びととアシュラは、その説法を心から喜び、そしてしっかりと胸に刻み込んで、礼拝して、その場を立ち去りました。

   
  お釈迦さまが説かれた、阿弥陀仏の教え


【資 料】


 [祇園精舎 ぎおんしょうじゃ]
 『阿弥陀経』説法の舞台である祇園精舎は、釈尊の時代、コーサラ国の首都舎衛城しゃえじょう(シュラーヴァスティ)の町外れでした。
 舎衛城に住む須達多
スダッタという大商人は、常に孤独な者や貧しい者に慈善を施すので給孤独ぎっこどく(孤独な者に食を供給する者)長者と呼ばれていました。彼はマガダ国でたまたま出会った釈尊に深く帰依し、何とか舎衛城に釈尊を招こうと、精舎の建設を思い立ちました。
 その最適な場所として選んだのは、国王波斯匿王はしのくおうの王子祇陀
ギダ(ジェータ)の所有するマンゴー樹園でした。スダッタの懇願にもかかわらず、王子は頑として買収に応じませんでした。しかしその交渉の中で王子は、金貨を庭園に敷き詰めることができたら、その広さだけ譲ってもよいと、約束しました。そこでスダッタは家屋を売り払い、全財産を金貨に代えて、一枚一枚、樹園に敷き始めました。このスダッタの尋常でない行為をみたギダ王子は、彼の誠意にいたく感動し、とうとう樹園を寄付し、広大な精舎が完成したということです。『阿弥陀経』にみえる「祇樹給孤独園」は、祇陀王子の樹園(祇樹)・給孤独長者の園(給孤独園)という2人の名を冠した名称です。それを略して「祇園精舎」と呼ばれるのです。



 [智慧第一の舎利弗 しゃりほつ]  
         出典:宮城  『仏弟子群像』P41 (真宗大谷派名古屋別院発行)

 あるとき釈尊に「神通第一の目連より智慧第一の舎利弗のほうが勝っているのでしょうか」と尋ねました。このいい方からしますと、あるいは、人々の目には目連よりも舎利弗のほうが智慧において優れているということに疑いをもっていたのかもしれません。その疑問に答えて釈尊は、二人の過去世での話を語ってきかせられます。
 ある町で、二人の画家がたがいに技を競いあっていました。あるとき、国王が二人の優劣を決めようと、それぞれ得意の絵を描くように命じられました。一人の画家は直ちに製作にとりかかり、6ヶ月後みごとな絵を描きあげました。ところがもう一人の画家は少しも絵を描かず、ひたすら壁をみがいてばかりいました。やがて見にこられた王は、はじめの画家の絵のみごとさにふかく感服されました。ついで、反対側に描かれてあるもう一人の画家の絵をご覧になりました。それは最初の画家の絵よりももっとふかみのある、すばらしい絵でした。王が感嘆しておられると、その画家が静かにすすみでて申しました。
 「これは私が描いたものではありません。わたしはただ壁をみがきあげただけなのです。その壁にあの画家の描かれた絵がうつっているのです。ですから、これが美しいとしたら、それは向い側の絵がすばらしいからです」 その言葉に王はいよいよ感服されたということです。
 その話をされた釈尊は、絵を描いたのが目連、ひたすら壁をみがいていたのが舎利弗であった、とつけ加えられています。……
 つまり舎利弗の智慧は、あらゆるものの美しさをひきだし、うつしだすまでに、その壁(心)をみがきつくされたものであったのです。わが才能を表にあらわし、誇るものではなく、逆に一人一人の才能をほめたたえ、その尊さを一人ひとりに気づかせる力であったのです。