- 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。」(「ルカによる福音書」8章16節〜17節)
- 聖書において「ともし火」という言葉がしばしば登場します。とても意味深い言葉に用いられています。ヨハネは燃えて輝くともし火であったとか、ほの暗い灯心を消すことなく、傷ついた葦を折ることなく・・・などです。また、クリスマスには、4本のともし火をアドベントクランツに灯します。
- 【ともし火】
(1)ヘブライ語でニールといい、ダビデ王朝の持続についての形容に用いています。(「列王記上」11章36節など)
(2)ヘブライ語、ネールは「ともし火」の意味を表す語として旧約聖書で一番多く用いられています。(「出エジプト記」27章20節)また、繁栄の形容として比喩的に用いられています。(「サムエル記上」21章17節など)
(3)新約聖書では「ともし火」に“ラムパス”(「マタイによる福音書」25章1節など)「たいまつ」)と“リュクノス”(「ヨハネによる福音書」5章35節など)、“ファノス”(「ヨハによる福音書」18章3節など)が用いられています。
- ともし火で、一番簡単なものは粘土で作られた小さな素焼の平皿のもの。安定させるつまみをつけたものが「ともし火皿」に用いられました。灯油にはオリーブ油が用いられ、灯心には多く亜麻糸が使われていたそうです。また、ともし火皿は小さいものだったので、少量の灯油しか入らなったゆえに、照明として長時間保つには、別に油用の容器を常備しなければなりませんでした。
- ともし火は当時の生活・家庭用品として、欠かせないものでした。当時の暗い屋内の照明だけでなく、容易に得ることのできない火種の確保のために灯油を常に、絶えないように、「ともし続ける」のが習慣であったからです。
- そのような生活背景から、「ともし火が消える」とは、その家が滅びたことを意味するようになりました。(「箴言」13章9節)燭台の上に置かれたあかりは「家にいる人々全部を照らす」ことができ、光であるキリストについてあかしをするために遣わされたバプテスマのヨハネは「燃えて輝くともし火」として記されています(「ヨハネによる福音書」1章7節、5章35節)
- 主イエスに従うものとして、ともし火、信仰のともし火を絶やさないよう、常にともし続けてこの世において世の光として、どんなにほの暗い灯心であっても、永遠に灯し続けていきたい、と思うものです。私たちは、主イエスの愛の炎によって照らされ、この世の光とされ、信じ、従うものすべての内なる心が、輝きに満ちています。「永遠に消えない」ともし火です。
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