レプトン銅貨(Lepton) 表面

<2004年5月30日 ペンテコステ礼拝>
「詩編」51篇3節〜14節 「ルカによる福音書」21章1節〜6節


  • 新約聖書のルカによる福音書において、多くの登場人物のうちでも、特に謙遜な人物の出来事が記されています。生活費の全部を捧げた、あるやもめの献金です。ある貧しいやめもがひとり、神様からの恵みに感謝しなにもない自分から捧げるものはないかと、本当に悩んでいました。

  • すると、やもめは自分のもっている生活費のなかから、全てを献金したのです。ルカによる福音書ではレプトン銅貨2枚、とあります。当時、このレプトン銅貨というのはギリシャの最小単位の青銅貨でした。重量が1.7グラムほどしかない、1デナリオンのおよそ百二十八分の一に相当する小さなお金でした。主イエスは、このひとりの貧しいやもめの捧げられたレプトン銅貨に深く心を留められたのです。

  • 私達は、持っている者、家や家族や生活費、あるいは大切なものすべてを神様に捧げることができるでしょうか。明日からの生活に関わるものまでも全て捧げるということは、簡単にできることではない、と思います。

  • 持っていた生活費の全て、レプトン銅貨の二枚を捧げたそのやもめは神様によって、明日からの生活は新しくされました。やもめは全てを捧げて、明日からの全てを神様の御手にゆだねたのです。

  • こういう言葉があります。ボーヴォワールという小説家の言葉です。「男は、その全てを捧げることを女に求める。女がその通り生涯をかけて尽くすと、男はその重荷に苦しむ。」「全てを捧げる」という言葉はこのように、後ろ向きな言葉として遣われることがあります。

  • しかし、神様から聖霊を受けている教会で御霊を注がれ恵みを賜っている私達はそうではありません。「全てを捧げる」ことができます。

  • 神様の御前で、神様に従っていくことで、「神様に」全てを捧げていくのです。神様はその全てを新しくして下さるからです。私達の教会にはこの世の終わりまで、主が共にいて下さいます。それが聖霊降臨日です。聖霊が私達に降ってくるということは、この後ずっと、主が共にいて下さる、ということです。この聖霊降臨日に、神様に信頼して、全てを捧げ、新しく、明日からの歩みを、主と共に歩んでいきたいと思います。






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日本基督教団 羽咋教会
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