主日礼拝説教 『人間の心の中』




2004年12月26日 歳末礼拝説教
聖書箇所 「ヨハネによる福音書」 2章23節〜25節


  • 私達はお互いを信頼しあって生きています。しかし、ひとたび社会にでると、そういうわけにもゆきません。さまざまな考えをもった人たちがこの世の中には生きているからです。そのような社会において、
    私達は他人を信用できない、ということもあるかと思います。けれども、それは、人間であるがゆえに、信用できるかできないか、ということで判断せざるを得ないのです。

  • 信用するに足るものかどうか、判断する私達は、神様にとっては本当に浅はかです。人間の考えることは、人間には計り知れないということです。ところが、主イエスがここで、彼らを完全には信用されなかった、というのは、ただ単に信用や信頼のことを意味しているのではありません。「完全に信用されなかった」、というのは主イエスが人々に対して、「不完全な信仰」を現す言葉のはじめとなっています。不完全な意味での信仰、このことを、この福音書では幾度も言及されています。この箇所は、その最初の箇所でもあります。

  • 私達は信仰をもっています。それは完全な信仰でしょうか?完全な信仰を持つことは、私達には不可能に近いのではないかと思います。なぜならば私達は、単なる人間であるからです。

  • では、ここで、主イエスご自身はなぜ彼らを信用しなかった、と書かれてあるのでしょうか。その直前を見てみますと、イエス・キリストを信じたことがこう書かれています。「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」(「ヨハネによる福音書」2章23節)

  • 「そのなさったしるしを見て」、多くの人がイエス・キリストの名を信じるに至ったのです。そのような信仰は、しるしがなければ信仰ではないので、主イエスに否定的な表現である、ということになります。ユダヤ人であるエルサレムの人々は、当時、非常にあやふやな信仰を持っていたのだそうです。彼らの信仰は、主イエスの御心にかなうものではなかった、ということです。それはいわば、「不完全な信仰」です。

  • 多くの人がイエスの名を信じたが、イエスご自身は彼らを信用されなかった・・・ということが明確にはっきりと書かれているのは、主イエスは何が人間の心の中にあるかを、よく知っておられたからです。

  • では、私達の心の中には、一体何があるのでしょうか。心の中にあることは、私達には見ることができず、人の表情や言葉やしぐさで察知するしかありません。古代の人々は、心に関して2つの体験と結びつけて考えていました。自然の体験と、罪の体験です。この罪の体験に関して言えば、現代に生きる私達の間では、罪をリアルなものとして感じることが、できなくなりました。罪は現代人にとって、抽象的で、単なる記号でしか、なくなってしまったからです。

  • 自然の関してはどうでしょうか。彼らは、自然の恵みのなかに、あらゆる恵みを感じ、心を感じていたのです。聖書の時代に生きる人々もそうであったと思います。自然の恵みを感じながら天地を造られた神様を賛美し、太陽の光のなかに輝く叡智を見ていました。

  • 私達はそのような事を忘れてしまったのでしょうか?忘れてしまったのではなく、そのことに耳をふさいでいるだけなのです。ある本に、「人間は忘れる動物である」、と言う言葉がありました。
    その言葉の通りふたたび、聖書の御言葉からそのことを聴いていかないと、私達は神様を忘れてしまうのです。それが人間の心の中です。「人間は、忘れる動物である、忘れる以上に覚えることである」。これがその言葉の全貌です。

  • 主イエスが「人間の心の中にあることを知っておられた」というのは、主イエスは、人間がどれほど罪深いものであるかを、知っておられたということなのです。人間の心の中がいかに、罪深く愚かなものであるかをすでに、よく知っておられたのです。

  • 私達の周りに取り巻くさまざまな出来事にかかわらず、私達の罪は深くなるばかりです。主イエスは私達の罪深さを知っておられたがゆえに、十字架に掛かられ、罪を贖われたのです。

  • 人間の心には意識と感情と要求がある、とある人が言われました。意識と感情と要求、この中に罪があるのです。罪の意識、感情からくる罪、要求する罪、・・・です。私達の心の中を罪から解放して下さる主イエスに信頼して、新しい歩みをはじめていきたいと思います。どこかで誰かが教会に来ようと救いを求めておられるならば、その方に導きと福音の恵みがありますように。

  • 私達の心を清め、すべての罪の縄目から魂を解放して下さる主に、この年もつながっていることのできた恵みに、心からの感謝を捧げたいと思います。







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