『ぺトロの信仰告白』

<2003年2月9日 主日礼拝>
「ルカによる福音書」9章18節〜22節




  • ぺトロは、十二人の弟子達の中では、代表格として、常に筆頭に名前を記されています。のちに初代教会の指導者として名をあげます。ガリラヤ湖北岸のベトサイダで、シモンと呼ばれていました。また、彼は、この箇所ののちに、復活した主イエスに最初に出会います。また、ケファと呼ばれ、エルサレム教会の柱として重んじられ、初代教会の指導者として活躍をします。しかし、主イエスを裏切らないという約束を破り、三度、主イエスを知らないと否認する出来事も、印象的です。

  • このようなぺトロの生涯の中で、主イエスは本当に大きな位置を占めていたと思うのです。主イエスを本当に心から愛し、慕っていたのもまた、ぺトロなのです。そして、誰よりも主イエスを尊敬していたことでしょう。

  • 主イエスはここで、弟子達に問い掛けられました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(「ルカによる福音書」9章20節)

  • 主イエスは、弟子達に対して、洗礼者ヨハネだ、とかエリヤだ、あるいは預言者だ、と評価する他の人々の信仰と区別して、弟子達にとって主イエスが誰であるのか、正しく認識できるかどうかを試されたのです。

  • 私達はこの問いかけにどのように答えるでしょうか?恐らく、「救い主メシア、キリストです」と力強く答えることでしょう。それは、聖書に記されている、多くの事柄をよく知り、聖書の御言葉から、聖書に記されている人物の信仰から、教えられているからだと思うのです。

  • すると十二人のうちのひとり、ぺトロが、答えました。「神からのメシアです。」(「ルカによる福音書」9章20節)

  • 「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちより甦り、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。」私たちは使徒信条で、このように告白しています。すなわち、主イエスが復活されたという信仰が、今の私達には受け継がれているのです。

  • ある人はこう述べています。「新約聖書は人生の恐ろしい、底知れない深みを、イエス・キリストの光のもとに明らかにしています。しかし、わたしたちはそのときもはや深みを見てはいないのです。私達は、罪の力の脇を通り過ぎているにすぎないのです。それはあまりにも強すぎて私達には克服することができないからです。この罪の力は、十字架につけられ、復活し、再び来られるキリストによってのみ克服されうるのです。」(ファン・リューラー)

  • 私達は復活のキリスト、十字架におかかりになられたキリストを、ぺトロの告白の言葉と同じく、「神からのメシア」として信じ、希望の光を与えられているのです。世界で最初の信仰告白をした、ぺトロの言葉は、私達がキリストを信じるずっと以前、復活のキリストを思いもしないでなされた、純粋な信仰告白です。また、主イエスの問いかけへの素直な答えであり、真の告白でもあるのです。

  • 「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」主イエスの言葉に、私達は、「主イエス・キリストを信ず。」と告白をし、これからもそのように、堂々と答え、その信仰を後の世代にも、しっかりと伝えていきたいと思うのです。






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