『必要なことはただ一つ』

<2003年6月8日 ペンテコステ礼拝>
「ヨエル書」3章1節〜4節 「ルカによる福音書」10:38-42



・聖霊降臨節、ペンテコステのこの日は、聖霊が降って、教会が誕生した日として記念されています。聖書では、五旬祭と言われる日です。もともとはイスラエルの三大祭りのひとつである七週祭、あるいは刈り入れの祭りと呼ばれるものです。私たちのキリスト教会では、過越祭と同じ時期にあたる、キリストの復活された日から50日目に聖霊が降ったとされ、聖霊降臨日を記念するようになりました。

・聖霊とは、「聖なる霊」です。聖書には、しばしば、「霊」や、「神の霊」という言葉で表されています。この「神の霊」について、旧約聖書の「ヨエル書」の3章において記されています。ヨエル書の「わが霊」というのは、神の霊のことを指しています。すべての人に神の霊が注がれ、やがて、教会を建て、宣教する力を聖霊によって与えられたのです。

・ルカによる福音書10章の物語には、二人の女性が登場します。主イエスと弟子達の一行は、ある村に入りました。そこで出会う二人の姉妹、マルタとマリアです。

・主イエスの足下に座って話を聞いていたマリア。お客様である主イエスと一行にふさわしいもてなしをしたい、ふさわしいほどの敬意を示そう、ということにのみ心を注いでいたマルタ・・・。

・「いろいろともてなしをする」ため、つまり、「多くの奉仕」をするために、「仕える」ために、心をかき乱していたマルタは、台所にいる自分だけがいわゆる「奉仕」をしている、主イエスに、「仕えている」と思っていたようです。

・言い換えるならば、マルタのほうは、そのときに多くの「この世」のこと、今ここにある「台所のもてなし」のことに心をかき乱していたのです。一方で、マリアのほうは主イエスの語られる話を一心に聞いていました。御言葉を聞くためだけに、心を尽くしていたのです。

・主イエスは言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(「ルカによる福音書」10章41節〜42節)
     
・私達は日常の多くのことに思い患い、多くのことに心を奪われて、何が必要なことであるかということを、忘れてはいないでしょうか?多くのことに心を乱していては、神様の御言葉を聞き分けることが、困難になってしまうものです。
 
・必要なことはただ一つ、そしてマリアはその良いほうを選んだ、と言います。良い方とはつまり、御言葉に耳を傾けることです。この世の多くのことに心を思い巡らせている代わりに、ペンテコステのこの聖日、聖霊を豊かに注がれ、新たな力を受けて教会を建てていくために私たちにとって必要なこと、それはただ一つ、聖霊に満たされた「神様の御言葉」のみで十分であるのです。




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