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  新教団構想研究集会パート 2 報告書 所収
    ―門首制を問う―       1996年11月6〜7日 於:京都 和敬精舎


 未校正WEB版
 大谷暢顕氏門首継承に当たって
      教団・門首制度について考える


当日配布したレジメ
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[“門首制を問う”研究集会]新しい教団構想を創出する集会・PARTU
大谷暢顕氏門首継承に当たって                 1996.11.6〜7
      教団・門首制度について考える           藤場 俊基

☆最近の教団広報のキーワード
教団観:教団の危機/僧侶組合の内輪もめ/教団の本旨(本姿)/同朋会運動
門首観:宗門の象徴/聞法の先頭/勤行儀式の司式/「以前は貴族的な傾向が」
個人評:聴覚障害/福祉活動/親近感/庶民的/社会経験/大谷家の者
試練の時を越えて:宗憲に悖る事態が次々と惹起/紆余曲折/長いトンネル・
「宗憲に立脚し、御同朋と共に教法を聞信する門首」

☆議論を始める前に
 注意:門首制の本質論と現門首個人に対する評価の混同
  ―“よい人”が就任すれば門首制の問題は解決するか―
 ・制度批判と個人批判の混同・すり替え(意図的、無自覚的)
  制度問題の議論がやりにくくなる可能性
 ・これまでの議論の中で、光暢門首批判(人格、資質、言動)と制度批判が渾然と
  していた。光暢氏(大谷家)批判者と門首制度批判者が暗黙のうちにお互いが味
  方であると錯覚(利用)していた面がある。
   暢顕氏就任で“光暢氏およびその周辺人物”を批判していた人たちは門首制
  の議論の輪からおそらく離脱・沈黙するか、門首制批判者を反批判する立場を
  取り始める。「こんなりっぱなご門首にけちをつけるのか」「いつまでそんな
  青くさいことを」「ようやく教団問題が決着したのにごちゃごちゃ言うな」
 ・今後「皇室アルバム」風の“人格者”キャンペーンが展開される可能性
 ・いわゆる“よい人”が門首就任したことで、本質的なレベルで制度としての門
  首制についての議論ができる段階になった。
   ――教団の混乱状況と、議論の混乱状況の交通整理が可能

☆問題の領域
1、信仰共有体としての〈□□〉の危機
 ○私たちの信仰は何を共有しているか:三宝
  (1)本尊(本願名号)=仏
  (2)宗祖親鸞(三部経、聖教、教義)=法
  (3)真宗門徒の名告り(信心:自覚的選択・宗教精神)=僧
 [(4)門首]
 ※上の〈□□〉に入るべき適切な語が思いつかない(適語がないということは
  明確に自覚化されていなかったということを意味する)。
 ※もし(4)として「門首」が並べられると考えれば、〈□□〉には「宗門」という語
  が入るが、私は並べて考えない。もし並べてしまえば、浄土真宗の信仰の問題
  ではなく真宗大谷派の問題に限定されてしまう。だから「門首」は3の宗教組織
  体の領域の問題として考えるべきだと思う。
 ?私たちは本当に(1) (2) (3) を共有しているか

2、信仰共同体としての僧伽の危機
 ○僧伽に共有されるもの
  (1)信仰
  (2)会合(講)お互いが見通せる集団
  (3)利害関係:信仰以外の要素の(日常的・恒常的)交流(生活、仕事、学校etc.)
 ・生活共同体との遊離←人口移動
   ―農村型定着共同体の激減/都市型共同体への未対応
 ・濃密共同体の中心変化(地域共同体→学校共同体、職場共同体、行政共同体)
 ・あらゆる共同体の広域化←交通手段の発達
 ・僧伽の広域化:自覚的門徒の密度の希薄化(近隣だけでは集団形成できない)
 ・信仰共同体の中心としての道場(寺)の運営・継承の困難さ

3、宗教組織体としての教団の弱体化
 ●宗教組織体の存在意義:[信仰共有体と信仰共同体への奉仕]
 ○宗教組織体の構成員が共有するもの
  (1)意志決定機能とその効力が及ぶ枠組み:宗教法人格、教団名称、教団組織
   体(運営制度・情報網etc.)
  (2)組織・制度上の中心(象徴/代表):門首(法主、門主)/宗務総長
  (3)儀式(儀式が違えば所属体が違う)
  (4)経済的・物質的・文化的 財産

 ※これまで教団問題を語る時の私たちの意識は、無自覚のうちにあるいは意図的
  にかも知れないが、信仰共有体と宗教組織体としての教団とを重ね合わせて考
  えてきたのではないか(そういう時に「宗門」という語が使われたのでは)。そ
  うすることによって、「宗門」は全国に散在する信仰共同体の包括体・上部体とし
  ての管理機能を果す(果たさせようとする)ものであるということを暗黙のう
  ちに承認してきたのではなかろうか。

☆信仰共有体の継承原理/信仰共同体の継承原理/宗教組織体の維持機能
☆提言を込めた発信を!
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(司会)年の若い順で藤場さんから「発題」をしていただきたいと思います。

《発題》
  レジュメを用意しました。これは、今回発題せよということで、発言の準備のために
自分用のメモを作りながら問題を整理していたら、結果的に、見ながら聞いていただく
のにちょうどいいようなものになりましたのでコピーしてきました。

  このレジュメは大きく大きく三つに分れています。それぞれ「最近の教団広報のキー
ワード」「議論を始める前に」「問題の領域」という小題をつけてあります。

  最初のキーワードというのは、どういう視点からこの問題を考えていけばいいのか
わからなかったので、何かインスピレーションがわかないかなと思い、最近の『真宗』
とか月刊『同朋』等の宗門広報誌をめくりながら目についた言葉を並べてみてたのが
そこに言葉です。

  「議論を始める前に」というのは、本題に入っていく前に、最近の状況を見ていて
気になることを少し書き出してみました。

  「問題の領域」というのが今日の発題の中心になりますが、これは私が問題点を整
理している中で、教団ということを考える時に区別して考えなければならない三つの概
念が、あまり区別されないままが混然一体となって使われているのではないかというこ
とを思ったので、それを整理してみました。三つの概念というのは、「宗門」と「教団」と
「僧伽」です。その辺の言葉が意味している中身が何か非常に錯綜しているようで、そ
のことが議論をややこしくしている大きな問題の一つではないかということです。その時
々で適当に都合のいい言葉を使い分けて論点を横滑りさせているような気がすること
があります。その辺を整理しないときちんと議論が進まないのではないかと思います。

  このメモ全体がまだほんの入り口のようなもので、具体的に門首制の問題に踏み込
んだところまで、このレジュメでは進んでいません。そのあたりのことは後に控えておら
れる方がきちんと展開して下さることと思いますので、私は前座をつとめさせていただ
きます。

  ここに書いてあることは、昨日から議論の中でかなり出てきているような問題ばかり
なので、今さらあらためて私が言わなければならないことはほとんどないような感じを持
ちながら、昨日からのお話を聞いておったのですが、とりあえずもう一回確認の意味で、
このレジュメに沿ってお話をさせていただきたいと思います。

  キーワードについてはそれこそ本当に、考え始める手がかりを探し出すための、私
自身のためのメモのようなものですから、特にそれについてお話しすることはありませ
ん。ですから二番目の「議論を始める前に」というところから見て下さい。

  まず今回の暢顕さんの「門首継承式」は、宗門を挙げて非常に歓迎されている雰囲
気があるわけですね。そのことにケチをつけることは絶対に許されないような雰囲気で
ありまして、今「ご門首」について何か問題を提起するようなことは非常に話をしづらい。

  少なくとも教団広報誌等で見ている限りは、人格的に問題があるとか、そういうこと
は見受けられないですし、私にはあの方自身についてどうこう言うような気持ちはまっ
たくありません。現状の制度を前提とするならば私もあの方は適任だろうと思います。
ただそういういわば「好ましい」人物が門首に就任したということで、門首制の問題につ
いての議論をこれで打ち切りにしていいのかということになると、それは問題が全然別
のことです。これと似たような議論は「天皇制」の問題の時も出てくるのですが、個人の
問題と制度上の問題とはやはりきちんと区別して考えていく必要があるだろうということ
が一つあります。

  私は新しいご門首に面識はありませんし、あの人が書いた文章も読んだことがあり
ませんから、広報の中に出てくる情報しか知りませんが、きっとそこに描かれているよう
な人なのだろうと思います。「よい方がご門首に就任してくださって非常にめでたい」と、
「これで我が宗門も長い試練の時を越えて、ようやく正常化の道が開けてくる」というよ
うな感じの言葉がいたるところで目につきます。そういうのを見ておりますと、やはり門
首制という制度を問題にするようなことまでも指摘しにくくなるような傾向というか、雰囲
気を作り出してしまいます。一言口を開けば「お前は、あんな素晴らしいご門首にケチ
をつけるのか」という声がすぐに飛んできそうです。どんなに「よい方」が就任しようが、
制度の問題というのはそれとは無関係に議論が必要なことです。

  今まで私たちが「教団問題」ということで話し合った時に、どうも前門首、光暢さんの
時というのは、ご本人や大谷家の人々あるいはその取り巻きに対する、いわば人格攻
撃と言いますか、個人の資質とか、言動ないしは財産問題等についての批判と、門首
制という制度に対する問題提起、あるいは善知識論という信仰上の指導者の問題など、
そういうあらゆる問題がが全部錯綜した形で同じ土俵の上に噴出した。そして結局門
首個人や大谷家に対する批判、あるいは教団執行部に対する批判の声が渾然一体と
なって全部光暢氏を中心とした大谷家に集中していく中で、何か「大谷家を批判してい
る者はみんな味方だ」というような連体感、そんな仲間意識がどこかにあったのではな
いかと思います。

  その時に、光暢氏やその周辺の人々の言動や人格を批判した人たちは、今こうし
て「よい方」が就任されると、今度は逆に「もうごちゃごちゃ言うな」と、こういうことをいい
始める可能性があるのではないかと思います。今の段階でもすでに、非常にソフトな形
でありますけれども、そういうことが出始めたなと感じることがいくつかありました。

  今後『同朋』紙などを通じて、門首を持ち上げていく文章や、お二人の写真が出て来
て、ほとんど皇室アルバムと変わらないような形でのキャンペーンが出てくることはまず
間違いないと思います。そういう雰囲気の中では、個人の資質をとやかく言う内容では
なくても、門首制について話すことはやりにくいムードになることは間違いないと思いま
す。

  ところが私としては、そういう形で、人格についてはことさら取り沙汰する必要もない
ような「よい方」が就任されたことで、逆に制度の問題としての「門首制」ということを議
論しやすくなるのではないかという思いも一面では持っています。つまり、光暢さんや大
谷家の人々の個人の人格とか言動がけしからんというような、議論をややこしくするよ
うな発言が出てこなくなることによって、制度の問題という観点にしぼって話ができるよ
うになるのではないかということです。本質的なレベルで話し合う上で障害になっていた
混乱の要因がなくなって、ようやく事を冷静に整理しながら話を進めていくことができる
ようになるのではないかなという具合に逆に思っています。だから門首制の問題につい
ての議論はこれからやっとスタートにつくのではないかということです。実際に問題にし
続けていくことは難しいかも知れないけれども、話の筋道は非常に整理しやすくなった
のではないかと思います。

  次に、今日の私の発題の本題である「問題の領域」というところに入ります。
  まず問題の領域を整理しようとして考え始めて、私たちが話し合いをする時に教団
とか宗門の話をする時に、集合体を表わす言葉としていくつかの言い方が無意識のう
ちに使い分けられているのではないかということを思いました。ある時は宗門と言い、あ
る時は教団と言ってみたり、教団は僧伽たれだとか、信仰共同体と組織体とを重ねて
みたり離してみたり、それぞれの言葉に様々な思い入れがあるために議論が混乱して
噛み合わない。昨日のお話の中で言ったら、組織論と善知識論の混乱と言いますか、
そういうことがあるのではないかと思います。そういったことを整理しようとしているうち
に、そこに書いた三つの表現が見つかったわけです。

  これは私自身が感じていることを表現しようとしたら、今の時点では、こういう言葉に
なるのかなという程度で、これを言葉の定義として使おうと提唱するつもりではありませ
ん。

  実際問題として、信仰を基盤として作られる集合体にはおそらく 1:信仰共有体、
2:信仰共同体、3:宗教組織体という三つの要素があってそれを、場合によってそれを
使い分けているのではないかと思います。こう言っただけでは何が違うのかわからない
かと思いますが、私がそこに見ている違いについて今日はお話ししようと思っています


  最初の「信仰共有体」というのは、集団としてあまり明確に特定できないようなものな
のですが、事実としては、浄土教の信仰を共有するような「体」と言えるようなものという
のはやはり何かあるのだろうと思うのですね。日本の現状では宗派の壁によってずた
ずたにされていますが、信仰を共にする〈つながり〉といってもいいかも知れません。

  それはすぐに仏教界という大枠にまでは広げられないとしても、私たちにとっては、
どれだけ狭く考えても浄土の教えを共有する、つまり弥陀の本願に帰命するという信仰
を持つというところまでは、この範囲に含めて考えられるのではないかと思っています。

  その信仰の中身は、「本尊」と「宗祖」と、それから「門徒の名告り」ですね。自覚的
な選択をした者としての門徒集団、信徒集団と言っても構いません。こうしてみると、実
はこれは帰依三宝の「三宝」になっているんですね。今日皆さんにお配りしたレジュメに
はまだ書いていないのですけれども、これを書いてそれを見ながら考えをまとめようと
思って、後で見直している時にこれが、仏・法・僧の三宝になっていることに気がつきま
した。

  真宗の場合、仏宝といったら阿弥陀仏のことです。それが本尊です。法宝といった
ら、教えないしは教義、こういう場合には、照れないで「教義」とはっきり言った方がいい
と僕は思うのですけれども、「親鸞によって明らかにされた仏教」によって弥陀仏に帰依
する、これが浄土真宗です。そしてその教法に触れて自分もその精神の歴史に〈参画〉
していこうという、そういう選びをした人の集まりが僧宝になるのだと思うのです。

  (2)の「宗祖」というのは、私たち真宗門徒にとっては親鸞ということで間違いはない
のですが、私はこれは、日本では、場合によっては法然上人にまで溯らせていくことが
できると思います。浄土教ということであれば、道綽と善導までだったら私は異論はあり
ません。善導大師と道綽禅師までだったら、浄土教の祖師として共有できるのではない
かなと思います。つまりこの二人の出現によって、仏教が浄土教という形で質的転換を
成し遂げたという具合に僕は考えています。まあ今そこまでいっぺんに間口を広げない
にしても、少なくとも真宗の信仰を共有するということで言えば、親鸞聖人を宗祖として
共有するということは言えると思います。

  [(4)門首]として、そこに「門首」ということを括弧付きで入れたのですが、私たちが
「宗門」という場合には、無意識のうちに信仰共有体の意味で「宗門」という言葉を使い

そしてそこに共有される信仰の指導者として「門首」を前提していたのではないかと思い
ます。昔の言い方で言えば「法主」ですね。けれどここの信仰共有体というところには
「門首」を入れて考えてはいけないと思います。なぜなら、もし信仰共有体というものが、
「門首」を共有するものという意味で言った場合には、そこの時点でそこでいう「信仰」と
いうものが「真宗大谷派」という宗派に限定されたものになってしまうからです。だから
本願の名号を共有する信仰共有体として考えていく場合には、「門首」はここに入れて
ならない、と僕は思います。

  これはやはり同じ信仰を共有する者としてつながっているという感覚ですね、それは
組織とか集団というような、そういう実体的なものとしてはどこにも存在しないのですが、
やはり私は、「南無阿弥陀仏」を「本尊」とする信仰が共有されているという〈つながり〉
があって欲しいなという気持ちがあります。

  ところが、そういうことに対して僕らは今まで非常に無自覚であったと言いますか、
無頓着であったのではないかと思います。そういうことを思いもしなかったからだと思い
ますが、そこの「信仰共有対としての〈□□〉」というここの〈 〉の中の四角に当てはめる
べき言葉が見つからなかったわけです。そういう意識が全然無かったから言葉も生ま
れてこなかった。「東・西両本願寺」とか高田派を加えたり、あるいは「真宗十派」とした
としても、そういうような言葉では、とてもそこには入りません。そういう本当は枠を作っ
て閉じ込めてしまってはならないような広がりをもった共有性のようなものに対して、暗
黙のうちに「宗門」とか「教団」というような限定されたものとして考えるベースしか僕らは
持っていなかったということが、ここに入るべき言葉を持ち得てこなかったという事実な
んだろうと思います。

  だからそういう信仰を共有する〈つながり〉の総体を指す表現がないということから、
そういうことがほとんど僕たちの視野に入っていなかったということが一つ大きな問題に
なるのではないかと思います。

  それからもう一つそういう信仰を共有するということが実際に私たちの中に何処まで
きちんと確認できているのかどうか、ということですね。私はやはり、すべての議論のベ
ースに「信仰の共有」ということが無ければ始まらない。仮に大谷派という非常に小さな
枠の中だけの問題に限定したとしても、そういう信仰の共有がベースになるのだという
ことが本当に共有されているのか、あるいは共有しようという意志があるか、これが非
常に曖昧というか、心許ない現状ではないかと思います。まあ表現形式としても、意識
内容としても、あまりにも「信仰の共有」ということがないがしろにされ過ぎているのでは
ないかということが、全ての問題の根本にあるような気がしております。

  レジュメの2番の「信仰共同体としての僧伽の危機」というこれは、「僧伽」という言葉
を今から私が言うような意味内容で使うのが嫌だというなら、古い言葉で「講」と言って
もいいのですけれども。僧伽という言葉を、具体的な実体的イメージを伴った言葉として
限定的に使ってもいいのではないかという思いがありまして、あえてこの言葉を使いま
した。

  僧伽の中で共有されるものは、一つは信仰です。1番で言いました「信仰の共有」、
これがまずベースになります。「信仰共有体」という時には集団とか組織というような限
定された枠を持たないと言いましたが、「僧伽」という場合には、逆に非常にはっきりと
した枠組みを持つものとして限定して考えた方がいいのではないかと、こう思います。

  具体的な形というのは、一つは「会合」ですね、集まり。定期的で恒常的な集まりで
すね。それともう一つは、これが案外大事な要素ではないかと思うのですが、信仰以外
の要素での交流です。日常的・恒常的な交流ということが「僧伽」ということの中には非
常に大事な要素としてあるのではないかと思います。つまり顔の見えるつながりの範囲、
学校とか職場、地域とか生活圏、何でもいいのですが、狭い意味での共業、業を共に
する集団ということがやはり「僧伽」ということの中にあるのではないかと思います。

  僕は、僧伽の枠をあまり大きくとらえようとすると、信仰共同体という問題を見失って
しまう可能性があるのではないかと思います。だから僧伽というのはもっと狭いものとし
てとらえていって、その中心に道場があった、という具合に見ていってもいいのではない
ですかね。そういう意味を「共同体」という言葉の中に込めています。

  信仰共有体の具体的な表現の形は、一つ一つの僧伽として存在する、とこう言いた
いわけです。まあ「講」といってもいいのですけれども、そういう抜き差しならないような
状態で付き合わなければならざるを得ない〈つながり〉の中に一つの信仰が共有されて
いると。

  ところが今日、そういう「共同体」と言えるようなものが、私たちの周りでは、ほとんど
壊滅しつつあるのではないかと思うのです。だから業を共有しながら、なおかつ定期的
に会合を保ち続けているような、こういうものがいろんな意味で維持できなくなっている
のが、現代なのではないかと思います。

  定期的な会合というだけなら、趣味のサークルとか、何でもいいですが山ほどありま
す。ところがそういうのは、集っている時だけの関係で、あとはつながっていない、共有
されている業が少ない。だからいやだったらその会合を離れてしまえば終りです。好む
と好まざるとに関わらず顔を突き合せなければならないような関係でできるような〈つな
がり〉ですね、ある意味では息が詰まるような、そういう関係はどんどん希薄になってし
まいました。

  生活レベルの直接体験、直接的な交流交渉を基礎にした小集団、そこに信仰が共
有されているというものとしての「僧伽」という具合に、私は僧伽の意味をとらえようとし
てみているのですが、ところが生活共同体の在り方そのものが変わってしまった。信仰
と生活が遊離して、かけ離れてしまって。従来からの信仰様式が入り込む余地がどん
どん小さくなってしまった。

  これは元々あった共同体が非常に変容してしまったことがまず挙げられます。人口
そのものが都市に移動してしまったことと、人口が減っていない所でも、農村型の土地
定着共同体がほとんど維持できていない。つまり農村の中での跡継ぎの問題が出てく
るように、結局そこの地域に「帰属している」という、そういう言い方はあまり好きではな
いのですが、そういう帰属意識はほとんどなくなってしまった。

  土地との関係ですね。生活圏に自分が属しているのだという意識が、どこの場所で
もでもほとんど消えつつあると。それがつまり日本国内でいえば、全部その都市型の非
常に流動的な、なおかつ多重、いろんな要素がお互いに絡み合っている。ある時には
職域の共同体に属し、あるいは地域に属し、ある時は何かのサークルの共同体、そう
いうかたちで非常に多重的になっている。いろんなものに顔を突っ込み、首を突っ込ん
で忙しがっている。しかもその中でもいつもいつも動いていて、三年たったら、ほとんど
メンバーが変わっているというような、そういうような流動的で多重的な集合体が増えつ
つある。そういう傾向の中で、「宗教組織体としての教団」としての真宗大谷派は全然対
応できていない、未対応であると。対応し切れていないといいますか、あえて「まだ」と言
いますが、まだ対応していない。

  共同体の「場」そのものが崩れてしまっている。従来、真宗が基盤としてきたのは地
域を基盤とする共同体を大体ベースにしてきたわけですが。そういうものが無くなってき
て、現在は経済的な利害関係を共同するようになっているといいますか、共業的な、業
を共有しているような共同体というのは、学校とか職場とかになっています。それともう
一つは行政を軸とするような共同体に変わってしまった。お祭をやるにしてもイベントを
やるにしても行政が音頭をとらないと動けない、行政によってしっかりとつながれている
共同体ですね。その末端組織としての町内会がある。それは何もその地域性によって
成立するのではなくて、行政を核とするような共同性、そういう学校、職場、行政という
ものに共同体の「核」といいますか、中心が移行していっているのではないか。そういう
ところに信仰の共同体というのは入れない、相性がよくありません。

  私たちを取り巻く状況が完全に変わってしまって、地域共同体をベースにしたような
僧伽の成立基盤がないのにもかかわらず、あたかもそれがまだあるような顔をしてず
っと知らん顔をしてあぐらをかいているわけです。

  そういう状況変化にも関わらず、それでもなお信仰の集いが完全に消えてしまって
はいない。全国を見渡せばまだあちこちに残っている。それを可能にしているのが、移
動手段の発達です。歩いたり、自転車で行ける程度の範囲ではなくて、非常に広い範
囲から人が集る聞法会も少なくありません。車や電車を使ってでも会合に参加する。
僧伽の会合に参加できる人の住んでいる範囲は非常に広くなっていいます。ところが
それは日常的には、ちょっと戸を開けて「おはよう、こんにちは」という言葉を言い合え
るような仲ではなくて、その特定の時間だけを共に過ごすというような関係です。そうい
う関係で聞法会というような信仰共同体の基本的な会合が維持されている。

  僧伽自体が広域化・多重化している。そうなったのは、一つには遠くからでも会合に
集まることができるようになったということもありますけれども、もう一つは真宗門徒がい
なくなったということがあるのだろうと思います。僧伽の周辺だけの人たちだけでは、集
団といいますか、会合を持てなくなってしまっている、一方で僧伽を求めながら近くにそ
ういう集りが見当たらないから遠くにまで出かける。門徒密度の希薄化と移動手段の発
達という、両方の意味が相い俟って「僧伽」が非常に広域化しつつある。進行の度合い
は地域にによって大きな差があると思いますが、全体としては確実にそっちの方向に
動いています。

  その信仰共同体の中心的な役割を果たしていたはずの「道場」が、後継者の問題と
か、財政基盤の問題などで、運営ないしは継承していくことの困難さということが出てき
た。それでますます僧伽の「核」としての機能を果たし得なくなっている。そういう一番小
さな「単位」といいますか、これが私は教団の実質を最も担っている部分だと思います
けれども、そういうものが崩壊しつつあるということを「信仰共同体としての僧伽の危機」
ということで言おうとしているわけです。信仰そのものが非常に不明確になってきている
と同時に、それを共有している人々の集まりもほとんどなくなりつつある、そして残って
いるのは利益追求単位としてのお寺ばかりになりつつあるのではないかということへの
危機感です。

  「教団」とか「宗門」とかいうことを考える時に、この1番の「信仰の共有」と2番の「信
仰の共同」ということが大前提としてあるのにもかかわらず、その二つともが壊滅しつつ
あることを無視しながら、3番だけの問題として教団問題とか宗門問題を考えていると
ころに、今の行き詰まりといいますか、先が見えない状況があるのではないかと思いま
す。

  3番目に「宗教組織体としての教団」ということで書いたのですが、もしそういう組織
体としての教団が存在する必要があるとするならば、1の「信仰共有体」、ないしは2の
「信仰共同体」をサポートするといいますか、そういうものを支える存在としての教団と
いうものがあるならば、その存在意義はあると言えると思います。私たちの大谷派では、
過去に教団がそういう役割を果たしたということはなかったのではないかと思います
が。もし今後そういうものが要るのだということであれば、そういう形で教団という組織
体が存続するということは、あってもいいのではないかと思います。

  信仰共同体としての「僧伽」というのは、必ずしも大谷派の教団という枠にはまって
いないくてもいいわけです。実際に教団の枠にはまっていない共同体、僧伽もあります
し、「私は真宗の信仰を持つけれども」、そこまでいかなくても「親鸞に興味を持つ」とい
う程度でもいいのですけれども、そういう人の中には、現にある教団に対する拒否反応
が非常に強い場合があります。何かのきっかけで『歎異抄』などに触れて、「親鸞いう人
はそんなことを言っておったのか」と、深く共鳴していく、信仰を持つにいたる一つの過
程と言えるのではないかと思いますが、それをあえて信仰と言わなくてもいいのですが

教団組織とは全然別のところでいろんな芽がたくさんあるのではないかと思いますが、
ところが教団という組織体はなかなかそういう芽とはつながりを持てていない。その芽
は一つひとつの僧伽とはつながることはあります。ところが教団という組織となると拒絶
するわけです。「そんなものと関わったらろくなことがない」ということがはっきり見えてい
るのだと思います。

  話を進めますが、宗教組織体としての教団というからには、その構成員がはっきり
しているはずなのですが、その「構成員の間で共有されているもの」ということで拾い出
してみました。

  まず(1)として「意志決定機能とその効力が及ぶ範囲」です。その細目として最初に
「宗教法人格」と書いたのですけれども、ちょっと適切な表現を思いつかなかったもので、
こういう具合にしたのですが、実質的には教団の名称と、教団の組織体、運営制度と
か情報網ですね。「法人格」ということで何を言いたかったかといいますと、独立した意
志決定機能と、その効力が及ぶ枠組みと、それから責任能力がそれに加わります。何
か団体として意志決定する能力と仕組み、そしてその効力がきちんと及ぶ範囲ないし
は手段がまず共有されます。今の僕らの教団では、お金を集める機能とその配分機能、
そのための伝達経路、それから広報誌、それだけは最低限共有されているかなとい
うことは思います。あとのことについてはクエスチョンマークです。

  それから次に門首制の問題になりますが、このレジュメでは「組織・制度上の中心」
と私は書きましたけれども、「象徴/代表」と言ってもいいのですが、どういう言葉がそ
れにうまく当てはまるのかよく分からないのですけれども、組織体を持つ以上、やはり
その構成員の求心力になるような存在が必要になるのではないかと思います。組織が
大きくなればなるほどそういう存在の占める役割は重要です。それが個人であるのか、
あるいは人間でなくても何か別の物であるというケースもあるかもしれませんが、何か
それに当たるかということは別にして、組織体を持つ以上、やはり何か組織上の役職な

  問題はその決め方です。そこのところが今の私たちの組織の場合は「門首」というこ
とで血筋が大きく物を言っているわけです。

  宗務総長がその役割をになうことは充分可能であると思います。実際に私たちは事
実上「門首不在」という経験を持っているわけですから、門首がいなくても、不都合は多
々あったかもしれませんが、それでも教団運営ができるということは実証してきたわけ
です。

  血筋の問題にしても、大谷家の人、親鸞の血筋を引いているが故に尊敬すべき存
在であるのではないということも一連の紛争の中で実演して見せてくれました。大谷家
の人を次々と放り出したわけですから、血筋などというものはそこでは実は何の足しに
もなっていないということがはっきりしたわけです。つまり「貴種幻想」の少なくとも半分
は完全に否定することに成功したわけです。その後の人を決めるのに、なんとしても大
谷家の血筋の中から探そうとしたわけですから、まだ半分は残っていると言わざるを得
ません。でも都合の悪い人間は大谷家の人間だろうと何だろうと追放するということを、
実際にやって見せたということは、これは、私が想像している以上に、本当はすごいこ
とでなのではないかと思います。

  次は(3)の儀式ですが、組織体を持つ場合に、何らかの形で儀式様式が共有される
ということが必要になると思います。儀式が違うとやはり帰属意識の違いということがは
っきりします。儀式というのは表現様式です。何かを表現するということは、その表現様
式が共有される枠組みは必ず限定性を持ってしまいます、ですから儀式というのは組
織体に所属するものだろうと思います。これはまあ異論があるかも知れませんけれども、
私はそのように「儀式」というものをとらえています。

  もう一つは、これは目に見える形での財産です。経済基盤、物質的財産、文化的価
値も含めて寺院伽藍、それから土地等、そういうものを含めて、経済的・物質的な財産、
それから文化的な財産、まだ抜け落ちているかも知れませんけれども、そういうものの
すべてを共有しているというのが「組織体としての教団」という言葉の意味です。

  今いったような三つのレベルと言いますか、範疇が、僕らが漠然と宗門とか教団と
か言って話をする時に、最低でもこれぐらいの要素があるだろうという具合に思うので
すが、こういうような内容が混然一体となって話されてしまって、話があっちこっちにいっ
てしまっているではないかということを思います。

  僕らが教団問題を語る時に、少なくとも私は無自覚的にしゃべっていたのですが、
大谷派教団を信仰共有体として意識した時に「宗門」という言葉を使っていたのではな
いかと思います。だから「法主」と言いえば信仰的な意味での指導者、呼び方を門首に
変えたから今は指導者ではなくて首座ですね、呼び方をいくら変えても僕たちの意識に
はまだそういうような執われがついてまわっているように思います。信仰の共有体と組
織体との位置を分離して考えている意識は、私にはあまりありませんでした。

  「信仰の共有」ということが、非常に大きな広がりと深い質を持ったものとしてあるは
ずであるにもかかわらず、そういうものはないかのように無視して、いつの間にか3の
宗教組織体とそれを合体させてしか考えられなかったように思うのですね。つまり「浄土
の教え」、「弥陀の本願」ということではなく、「大谷派の信心では」「本派の信心は」みた
いな感じで、暗黙のうちに考えてしまっていたような気がしてなりません。そういうように
前提してしまっていたのではないかということが、一番目の「信仰共有体としての〈□□〉
の危機」というところの(4)に「門首」を入れてしまいたいという意識ではないかと思いま
す。

  1の(4)として[門首]を入れてしまうと、僕が「信仰共有体」という言葉で言おうとして
いることと宗教組織体としての教団との区別がつかなくなってしまいます。そういう具合
にして、混同したものを「宗門」と呼んで議論をしてしまっていたのではないかと思いま
す。法主に「善知識」という信仰上の絶対的指導者の役割を担わせることによって、絶
対的な信仰組織体を維持してきたわけです。

  そういう絶対的権限を背景にして、「信仰共同体としての僧伽」を包括する、あるい
は上部団体としての管理機能を果たす教団を運営してきたと言えるのではないかと思
います。僧伽というのは、一つひとつが別々に成り立っているものです。だから、本当は、
宗門はそういう僧伽を束ねて管理する必要はないのです。信仰の原理と組織の原理
が法主という人格の上に重なってしまったところに、絶対的な管理と従属の関係が成立
してしまったのだと思います。

  そのことを僕らは1の「信仰共有体」というのは、限定された枠組みを超えてはるか
に広く深いものとしてあるのだということをきちんと整理できないままに来たものだから、
1と3を合体させてしまっている状態を暗黙のうちに認めてきた。それでそこの管理する
組織体の中心、実際の権力者としての機能と、それから信仰の中心としての権威機能
の両方を法主に担わせて、その権威と権限を利用してきたのではないかということです。

  「善知識論」ということでいえば、信仰上の「指導者」、こういう言い方が適切かどうか
は今は問題にしませんが、一応「指導者」ということにしますが、そういう信仰に目覚め
るきっかけとなるような存在は本当に個々バラバラな出会いの中で出現してくるもので
あって、そういうことが起こるすれば、それは「僧伽」の中でしかありえないのではない
かと思うのですね。

  昨日の話で言えば、「私は金子先生に出会った」とか、「曽我先生に出会った」という
ようなレベルでの一人と一人の出会いの中でしか成り立たない。そういうことが起こって
いく場、そこに一つの会合、小さい集団が成り立っていくということがあるのだということ
です。具体的な信仰運動の形というのはそれしかないのではないでしょうか。ところがど
うかすると、教団全体でそういうことが成り立つというような錯覚をしてしまうわけですね。
そうすると見たことも話をしたこともない人を「善知識様」と呼ばなければならないような
ことが起こる。

  だから僧伽というのはあくまでも、一人ひとりの顔がつながっているということと、そ
して信仰以外の業縁、個人の好き嫌いだけでは簡単には抜け出せないものを共有して
いる中で、いやな奴でもつきあわねばならないというような関係、そういう要素が僧伽と
いうことの中にはあるのではないかという気がするのです。

  信仰だけが基になっているのではなくて、切っても切り離せないものを抱えながら、
そこの中で「ああでもない、こうでもない」と言いながら、問題と格闘いかざるを得ない小
集団というようなものが僧伽の原形なのではないかなという気がしております。

  ちょうど時間となりましたので、これで終わらせていただきます。

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