ここには過去に発表した文章で、現在では入手が困難になっているものを掲載して
います。ただし、これは原稿段階のテキストで、校正段階で加筆訂正した部分がありま
すので実際に公表された内容とは異なっている場合があります。
もし、転載・引用される場合は、できるだけ実際に公表されたものを御利用下さい。
それができない場合には、「未校正WEB版」原稿である旨を明記して下さい。
▼ 住職・副住職就任奉告法要表白(2013年3月20日)
▼年頭のご挨拶集
年賀状の文章をまとめてみました。
▼「ただ信心を要とす・としる・べし」 (PDF版:AcrobatReaderが必要です)
真宗大谷派教学研究所 『ともしび』2004年12月号 掲載
同年9月 高倉会館日曜講演の抄録です。
▼「教巻」と『大経』発起序 (PDF版:AcrobatReaderが必要です)
仙台教区教学研究所 『聞』 8 (2003年6月30日発行)
同研究所の講義録に加筆訂正したものです。
▼Making of 『読み解く』
『親鸞の教行信証を読み解く』の読書会の掲示板に投稿したものです。
▼未校正WEB版 末法の灯明(ともしび)上・下
真宗大谷派難波別院 [南御堂 458・459号] 2000年10・11月号 掲載
浄土の教えを伝えた七人の高僧の中で、道綽禅師は、どちらかといえば注目されること
が少ない人です。しかし、仏教が浄土教へと展開する中で、画期的と言うべき枠組みの転換
を提起した人をあげるならば、龍樹と道綽の二人ではないかと思います。末法を目前にして
いるという時代認識に立って、その中で生きてはたらく仏道を模索し、「浄土の一門あり」とい
結論に達した道綽の仕事の意義について書いてみました。
紙面レイアウトの都合上、「上」の小見出しが大幅に変更されてしまいました。そのため
「下」では、原稿段階では小見出しを付けませんでした。
▼未校正WEB版[今日のことば]2001年 真宗大谷派出版部 2000年9月
真宗教団連合発行の2001年版『法語カレンダー』の法語が語りかけてくる課題について、
13人の執筆者による随想をまとめて小冊子に編んだものです。「生かされて生きる」という言
葉がもてはやされていることについて苦言を呈した内容であるために、多少物議を醸した小文
です。
▼未校正WEB版 光を求めて影を見い出した人
月刊『同朋』〈私の親鸞〉 真宗大谷派出版部 1999年9月号掲載
ある人から「不思議な文章」と評された短文。編集者からは、「私の親鸞」というコーナーな
のに 「宗祖」とか「親鸞聖人」とか「浄土真宗」と いう言葉が一度も出てこないのは初め
てかもと言われました。ちょっとファンタジックな感じがあるので、教団の広報誌の巻頭に載る
文章としては異色かも。
▼未校正WEB版 〈摂取不捨の論理〉と〈選別・排除・強制の論理〉
新しい教団構想を創出する集会 パート5 ―いま、五濁悪事悪世界群生の責任と使命を問う― 1999年6月16〜17日
▼未校正WEB版 真宗門徒の名告り
真宗大谷派名古屋別院[名古屋御坊 395号]1999年4月号 掲載
「親鸞聖人の前で胸をはって〈私は真宗門徒です〉と名告れますか」という、挑発的な問い
かけから始ります。
▼未校正WEB版 「私」の『教行信証』
新しい教団構想を考える研究集会パート 4 ―新たなる「伝道の宣言」のために―
1998年6月3〜4日
▼未校正WEB版 大谷暢顕氏門首継承に当たって教団・門首制度について考える
新しい教団構想を考える研究集会パート 2 ―門首制を問う― 1996年11月6〜7日
▼ 「とにかく自分の目で確かめに」 1995年2月
1995年2月15日、阪神・淡路大地震からほぼ1ヶ月後、知人Mさんの、「とにかく自分の
目で見に来なさい」の一言で、神戸へ行くことになった。そのレポート。何のために書いたのか、
何かに掲載されたのか、それさえも思い出せない。大震災1ヶ月後現地を歩いて、見た様子
が細々と。
▼未校正WEB版(1)「往生浄土の道」 (2)「自分色の輝き」 (3)「闇の中の光」
真宗大谷派金沢別院[尾山御坊]143〜145号(1993年12月〜’94年2月)掲載
当時の問題意識をモチーフとして書いた小篇三つです。こうして、これまでに書いた物を並
べてみると、私の中では「方向の発見」「選び・名告り」「光と影」ということが持続的に基軸となっ
ていることがはっきりしてきます。その三つが取り上げられているシリーズです。
▼未校正WEB版 「専修念仏停止」考 [解放真宗研究会通信 第1号]掲載 1992年6月
弾圧されたのは「念仏」ではなく「専修」であった、という視点を簡単にまとめた、書いた当人
としては、けっこうお気に入りの文章の一つです。
▼大谷大学自灯学寮 寮監在任中 短文集 1991〜'92年
未校正WEB 「他者との出会い」 「実 態」 「悲喜こもごも」 「エピローグ」
2年間、大谷大学の女子寮の「寮監」という仕事をしていた。それは、大学に入学したばかり
の女子学生20人のいわば「お目付役」のようなものである。卒寮アルバムとか文集などに寄稿し
た短文4篇。今だから明かせる(すでに書いてしまっているのだが)女子寮の「実態」が、電網に
乗って世界に公開されてしまう。寮生たちよゴメン。
▼未校正WEB版機の深信の射程 ―差別の顕在化の範疇―
[大谷大学大学院 研究紀要 第4号]所収 1987年12月
大谷大学差別ビラ事件のただ中で、博士課程在学中提出した、真宗学専攻としては異色の
論文。学生時代の論文にはありがちなことですが、提出期限と枚数制限の関係で、最後はちょ
っと収まりが悪く、「えっこれでおしまい?」という感じです。悪しからず。この論文の問題意識は
今日まで継続しています。掲載された紀要では表が二つあるが、テキストスタイルでは表わせな
かったのでその部分は箇条書きにしました。
▼未校正WEB版「クリスマスツリーがやってきた」 「美穂との対話」 「共命鳥」3〜4号(1987年9〜10月)掲載
ある日我が家に出現したクリスマスツリーをめぐって、二転三転する心中と、中曽根首相
の靖国神社公式参拝にとのかかわりを描く。今日まで続く問題意識の原点でもあり、自分の
原稿が初めて刊行物に掲載されたということもあり、私にとっての記念碑的な原稿です。今読
み返すと随分気負った部分もあり恥ずかしい感じがしますが、二篇とも初稿はかなり高揚した
気分の中、短時間で一気に書きあげた文章です。
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