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新しい教団構想を創出する集会 パート5 報告書 所収
―いま、五濁悪事悪世界群生の責任と使命を問う―
1999年6月16〜17日 於:京都教務所
未校正WEB版
〈摂取不捨の論理〉と〈選別・排除・強制の論理〉
発題者からの弁明
録音テープから文章化された原稿に目を通しましたところ、文章として
読んでいただくにはあまりにも散漫で粗雑な表現になっておりましたので、
大幅に手を加えました。当日の発題をお聞きいただいた方は、こんな話
ではなかったと思われるかも知れませんが、悪しからずご了承下さい。
今日の発題のためにあれこれ考えたのですが、なかなか考えがまとまらないままこの場に座っています。
今回お話ししようと思っていることの一番根っこにありますのは「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」ということです。浄土真宗にはやはりこれしかない。そういう教えであることは間違いないと思います。それは本願の「念仏の衆生を摂取して捨てず」という無排除の原理、誰も除かない。名号を称するという意思表示に対して浄土は無条件で完全に開かれている。浄土真宗とはその一点の上に成り立っていると思います。
浄土真宗の教えに触れて以来、私がずっと考えていることは、「なぜ浄土真宗の教えは〈南無阿弥陀仏せよ〉という一点にすべてが収斂していくか」ということです。私にとっては、それがずっと大きな課題となっています。
そのことは、『教行信証』の行巻の一番最初に「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」と、こういう文言で現されています。「大いなる行とは、無碍光如来の名を称することである」と。この短い文言の中には三つの問題が含まれています。一つは「なぜ〈無碍光如来〉なのか」ということです。二つ目は、「なぜそれが特に〈名〉であるのか」という問題で、そして三つ目は、「なぜその名を〈称する〉ことであるのか」と、こういう三つの問題が中に含まれています。
私がこれまでこだわっていたのは、この三つの中で特に「なぜ名なのか」ということが中心であったように思いますが、このごろになって、「なぜ〈称する〉のか」ということに関心が向いてきています。「称名」ですね。「称」の意味ついてはいろいろと述べられていますが、しかし何と言ってもこれは、「口に出してとなえる」ということが最も素直な受けとめでしょう。他にどんな領解がなされたとしても、それによって「称名とは、口に出してとなえることとはまったく無関係である」ということにはなりません。「名を称する」という具合に表されていることが気になっています。
「一心帰命」ということを明らかにしたのは天親ですが、口称としての「称名」と
いうことをはっきりと言ったのは善導ですね。口に南無阿弥陀仏を称するということを『観経』の下品上生や下品下生の文言から読み取ったわけです。しかも善導の場合は、ただ称名念仏一行だけで充分であって、それ以外の行は補助的な意味しかないと、「一行三昧」というところまで突き詰めていきました。その行の限定性が非常に重要な意味を持っています。ここで浄土教、専修念仏という明確な形を持つものとして成立したと言ってもいいと思います。法然のところへいきますと、それがもう一つ踏み込んで、称名念仏以外の諸行を捨てるということをはっきりと言いました。
浄土教の一般民衆への浸透が日本で大きな社会現象となって、次第に排除や弾圧の対象にされて行くことになったのは、法然が諸行を捨てるということをきわめて明確に言い切ってしまったためだと言ってもいいと思います。その法然の主張を知った明恵が、許し難い問題であるとして批判するようになったわけです。
ここで一つ大きな問題が出てきます。それはなぜ浄土教の専修念仏という、これは行の選びですね、その選びが諸行を捨てるという排他的選択と同時的に成り立つのかという問題です。弥陀の本願は摂取不捨、すなわち無排除ということを根本的な原理としておりながら、なぜ一つの行を取ってそれ以外のものを捨てるという非常に排他的な選択を要求する形になっていくのかと。先ほど、梶原さんは寛容と非寛容という言い方で言っておりましたけれども、一行に対して絶対的に帰依するということを強調していく形になっているわけですね。
興福寺奏状などを読んでみますと、結局のところこの諸行を捨てるというところが一番大きな問題になっているということがあるわけです。念仏は大切な教えであることはあの奏状を書いた人たちも否定はしません。だから念仏は大事にすると。しかしながら、なぜ念仏をしながら法華の行など、その他の行を一緒にすることが駄目なのかという問題ですね。功徳がある行が二つあったら二つともやれば、相乗効果が出てもっといいじゃないかという発想に対してどうやって答えられるかという問題です。このことは今日の私たちでも案外はっきりしていないような気がするのです。
これは〈選択の思想〉と〈比較の思想〉の違いがはっきりしていないということです。〈選択の思想〉というのは、自分自身の選びの問題です。〈比較の思想〉というのは、〈評価の思想〉と言ってもいいかも知れませんが、これはたくさんの選択肢を並べて、優劣を評価する。Aにはこういう利点があるが一方でこういう欠点もある、Bには云々と講釈していく。この場合は、自分自身の選びということは一旦棚上げにして、相手にその選択の責任を委ねる形になってしまいます。自分自身も、一般化された選択者としてしか意識されていないようなことになってしまいます。ですから自分自身の現実が抜け落ちた話にしかなっていかない。
法然が出した結論は、選びということを論理的に考えればきわめて当然なものです。A・B・Cという三つの選択肢からAを選べばBとCは選ばない、つまり捨てるということですから。しかし、浄土教の一行の選びは他の仏教者の琴線を揺るがすような大問題になったわけです。善導は、「Aは必要にしてかつ充分である」と、なぜ自分がAを選ぶのかということを明らかにした。法然はそれだけにとどまらず、BやCを選ばない理由をはっきりと言った。しかもBやCは選ぶべきではない、つまり捨てるべきであると言ったのです。
Aを選ぶというだけならば、BやCは選択肢としての意味を失うことはありません。だから、「あなたはAを選ぶのか、だが私はBを選ぶ」ということがあり得ます。しかし法然が言ったことは「A以外の選択肢は、すべて不必要にしてかつ不充分である」ということであったのです。
「なぜ念仏なのか」という問いに対しては、法然は「本願であるから」としか答えません。これは常識的な発想では簡単には「うんそうか」とは言えません。しかし諸行を選ばない理由は、「その方法では抜け落ちてしまう者が出てしまう」ということですから、ある意味で誰が見ても明快です。それに同意するかしないかは別として、論理的にはすっきりしています。
今日は、「落ちこぼれは切り捨ててしまえ」という風潮がどんどん強くなって、時代の雰囲気にまでなってきていますが、そういう強者の論理は、はたして人間を本当に幸せにするのだろうか。私は法然の「選ばない理由」をもう一度私たち自身のものとして取り戻すことが、今の私たちにとって非常に大切になってきているのではないかという気がするのです。その裏返しとして選ぶ理由が明確になってくるわけです。
こういうことをもう少し具体的にはどういう具合に考えればいいかということが今私にとって問題になっています。ここに書いた「選別」と「排除」と「強制」という語をその手がかりとしてと考えています。
一つを選び取って他のすべてを棄てるという選択は、そこで選ぶものに対する絶対的な信頼性が成立していなければなりません。親鸞はその信頼の根拠を「海」を譬喩にして表現しています。それはあらゆるものを拒絶しないということを言おうとしているわけです。何も除かないということが完全に保証される場合のみ「一」を取って「他」を捨てよということが言える。無排除である海のような精神を根拠とする方法であるからこそ、それ一つで充分なのです。これは「選びの理由(選択)」です。
法然や親鸞の場合、これに加えてさらに「選ばない理由(廃捨)」をはっきりさせています。捨てよといったものがどういう質をもっているのかということになっていきます。一つの方法を容認した時に、そこで容認したものが無排除の精神と並び立たないような場合ですね。その方法を認めることが同時に排除の思想を容認してしまうことになる。こういう問題ですね。だから少しでも排除を容認する思想を許容してしまったら、それは無排除の精神そのものが台無しになってしまう。そういう相反性があることに気付いていない限り「他のすべてを捨てよ」ということは言えないと思います。これは一つひとつの方法がどれが優れているかというような優劣の問題ではなく、それらを並べて比較しようとする基準自体を、あるいはその意識そのものを問題にしているのです。
思想の枠組み自体の衝突なのです。〈選択・廃捨の論理〉と〈選別・排除・強制の論理〉という相容れない二つの枠組みです。
選別・排除・強制の論理が一番鮮明に現れてくるのは、靖国神社の信仰のような形ではないかと思います。恣意的な基準を立てて、適格者には強制し、不適格者は完全に排除する。
靖国神社の場合は、「公務として国のために役に立つ死に方をしたかどうか」という一つの明確な基準があって、それを満たすのであれば、強制的に祭神にされてしまう。嫌だと言ってて取り下げようとしても決して認めません。一方、その基準を満たしていなければどれだけ頼んでも祀ってくれません。こういう形を取るのですね。勝手に立てた恣意的な基準によって選別し、満たせば強制し、満たさなければ排除する。こういう形が極端に出てくるのが靖国思想です。
選別の基準は何でもいい。男か女か、成人か未成年か、「健常」者か「障害」者か、あるいは尊師への帰依の有無とか、寄付金の額とか、とにかく恣意的な基準を立てて、それを満たす者は正当として認める。ただ単に認めるだけではなく仲間であることを強要する。そして満たさない者は徹底的に排除してしまう。法然、親鸞が対決しようとしたものはこういう形を取る考え方だったのではないかと思います。
このようなことを考えている時に、ちょっとおもしろい文章に出会いました。長くなりますが読ませて下さい。
親がつけてくれた名まえを「純子」、自分で自分につけた名まえを「遊歩」という。自由に、誇りたかく「遊び歩く」。また遊歩には「UFO]ということばもかけている。未確認だけれども、科学のこころがわかって、かつ夢のある人なら、こころおどらせて待っているUFO、そんな気持ちをこめて。
寝たきりにちかかった幼き日、遊び歩くという、子どもにとっては生来の権利・自由も、私にとっては夢のまた夢だった。兄が私に見せようとオタマジャクシやトンボを取ってきてくれると、その目のまえで、オタマジャクシの缶詰めを作ったり、トンボの足をむしって糸をつけ、永久に飛びつづけさせようとしたり。また、あるときは、妹の人形を取りあげて、自分がされたとおなじ手術をその人形に施したりもした。「やめて!」と泣きながら頼む妹の声を聞きながら、メスにみたてたナイフを人形の足に入れたのだった。小さな純子の閉ざされた自由への激しい渇望は、いくえにも屈折して表現されつづけた。
歩けないことが悲しいのではない。車椅子で動くことがつらいのではない。私の絶望と無力感は、障害を持つ女性にたいするさまざまな思いこみと、その思いこみのうえにつくりあげられた社会システム、そうしたものがもたらす抑圧からきているのだ。
ならば、絶望と無力感から立ちあがる最初のステップは、自分の名まえに最高の自由と誇りを取りもどしてやることだ。もちろん、親がつけてくれた純子という名まえもきらいではない。しかし、「純子」と呼ばれるたびにハッシとにらみつけ(実際、子どものころの写真を見ると、ほとんどいつも私はそんな顔をしている)、闘って闘ってしか生きのびてこられなかった小さな自分の姿が頭をかすめてしまうのだ。
これから、どんな人生になるだろう。一方的に何かを押しつけられ、さまざまなものをになわされる人生なんて、もうごめんだ。私がいま、反原発の運動や環境問題にかかわっているのも、死や病気にたいする恐れからではない。原発や環境汚染が、自由を希求するこころ、生きようとする意志にたいする妨害であるからこそ、闘うのだ。たとえ苦しみでさえ、いや、とくに苦しみであるからこそ、自分で選び、チャレンジしていきたい。
これは太郎次郎社から出ている、安積遊歩さんの『癒しのセクシー・トリップ』という本の「まえがき」です。この文章は、名告りという問題についても、とても大事なことを提起していますが、最後の「原発や環境汚染が、自由を希求するこころ、生きようとする意志にたいする妨害であるからこそ、闘うのだ」というところの論理が、今の私の話との関連でおもしろいと思います。いろいろな社会問題に関わる中で、「浄土に往生せんとする願いに対する妨害であるから闘うのだ」と、こいう発想は私たちの中にはあまり明確に意識されていなかったのではないかと思います。いや、振り返ってみれば、たしかに同じようなことは言われていました。ですから発想がまったくなかったとは言いませんが、少なくとも私の中では「本願に対する妨害だから闘う」と、これほど簡潔な表現になるまでには明確に意識化されていませんでした。法然にしても、本願に対する否定である妨害であると、そういう確認がなかったら「捨てよ」ということが言えないはずなんですね。
安積さんの話を持ち出したのにはもう一つ理由があります。それは彼女の講演会で聞いた話ですが、彼女は、最初地域の学校に入ることができずに施設に入れられたのですが、そこでの生活に馴染むことができず、所長に直談判して自主的に退所しました。そして、いろいろと手を尽くして、ようやく地域の「普通」学校に入学できたのですが、しばらく通うとあれほど入りたかった学校がつまらない。その時、何の問題もなくすっと入れたのだったら、おそらく彼女は学校に行かなくなっただろうと言います。でも彼女はそうしなかった。自分が行かなくなることで、教育委員会や先生たちから「やはり無理だった」とか「これで楽になる」と思われるのが癪だったのですね。だから無理してでも学校に通い続けたと。そのことについて彼女はこういう風なことを言うんです。障害を持たない子どもが学校に行かなくなると、先生や友だちが毎朝呼びにきてくれて、無理にでも学校に来させようとする、逆に障害を持つ者は、頼んでもなかなか入れてくれないし、行きたくないと言えば、どうぞご自由にと厄介払いされたようなことになると。条件に合う子どもは学校に行くことを強要され、そこからはみでる子どもは排除される。こんなところにもしっかりと〈選別・排除・強制の論理〉が幅をきかせているわけです。
法然が明らかにしたのは、専修とは「選ばない理由」を明らかにすることによってのみ成り立つということです。ただ単に無意味だとか不必要だということも「選ばない理由」にはなりますが、最も重要な点は、「選ぶ理由」に対する妨げになる要素を容認しないということであったのではないかと思うのです。つまり専修とは選別・排除・強制とは相容れないこととしてしか成り立たないということです。
私たち真宗門徒というのは摂取不捨の本願、すなわち無排除の精神を根本理念とする専修念仏を中心にすえて生きることを選び取る者であるはずなのですが、その裏返しであるところの選別・排除・強制ということにちょっと鈍感過ぎるのではないかと思います。選別・排除・強制ということに対してどこまで敏感であり続けることができるかということが、専修念仏の専修ということの質を決定するのではないか。そこが徹底しなかったら「ただ念仏」ということを言い切っていけないのではないかと思うのです。
今ここにいる私たち自身が、自分たちこそは真宗門徒であるという顔をしていながら、何か非常に「ただ念仏」ということに萎縮していると言いますが、ただ念仏ということが恥ずかしくて言えないような気持ちがあるのではないですか。もちろん「念仏ができない」とか「口に出すか出さないかが問題ではない」というようなこだわりは大切にしなければならないのですが、一方でそういう言い方が萎縮や気はずかしさの裏返しの言い訳に聞こえてしまうのです。特に寺に暮らしている者の中に、そういう様子が目についてしょうがない。
正直に言いますが、実は私自身がそうなんです。心の底からお念仏が湧き出てくるというような感覚は、私にはまったくありません。以前は真宗門徒というのはそういう風にならなければ一人前でないというような、ある種の劣等感のようなものを持っていましたが、今はそういうことは思わなくなりました。なぜその劣等感が消えたかと言いますと、どういう気持ちで念仏するかというようなことによって念仏の意味にはまったく違いがないということが自分の中ではっきりしたからです。念仏は、それを称するという私たちの行為によって意味が生じるのではないからです。こちら側の条件にはまったく左右されない。
そういうことが自分なりに整理がついてから、逆に私はお念仏をしようと努力するようになった。こだわりなくお念仏ができるようになったと言った方がいいかもしれません。本尊を見たら意識的にお念仏をしようとしています。意識してしようとしないと念仏ができないですよね。自然には出てこない。だから逆に本尊という条件反射に近いような状態で、せめてご本尊がある所くらいはお念仏させてもらうぐらいの感じでしています。昔はそういう念仏の仕方を一番バカにしていたんですけれどもね、おもしろいものです。
こういうことを思いますのは、「念仏者がいなくなった」ということが、この頃とても気になり出したからです。昔はよく見かけたんです、口を開けばお念仏しているというような人を。もうあたり構わずという感じです。先日メダカが絶滅危惧種に指定されたというニュースがありましたが、どこにでも群をなしていたはずのメダカが探しても見つからなくなった。念仏者というのも「群萌」とか「群生」というように、群であったはずなのです。それが探さないと見かけなくなった。保護の対象とか、博物館入りになってしまったのではないか。
そういう念仏者の中に時々すごい人がいるんですね。別に口が達者なわけでもないし、筆がたつわけでもないのでいけれども、何と言いますか、生きているということにおいて全然軸がぶれない。ただ念仏ということによって、そういう念仏者がたくさん生まれてきたんです。今でもお念仏する人はたくさんお見かけしますが、安心して見ておれる人は多くありません。だれが何を言おうが我関せずというような雰囲気を持っている、ほれぼれと見とれてしまうような念仏者にはなかなか出会えません。
私たちの真宗教団は、そういう人たちを大切にしてこなかった。それどころか、逆にそういう素朴さを食い物にしてぬくぬくと肥え太ってきたのではないか。そして今、その念仏者のつながりと広がりという貴重な財産を食い潰そうとしている。
そういう念仏者が生まれてきた。その人が特別に『教行信証』を読んで勉強したというわけではありません。やっていることは「ただ念仏」です。そこだけがずれていない。そのことが持った力と言いますか、智慧と言いますか、そういうものがどんどんどんどん失われつつある。それは無くなりかけているのに気が付いてみたら、そういうことの素晴らしさが逆にはっきりしてきた。
今、あらゆる場面で共同体が消滅しつつある。特に家とか村といった生活共同体が成り立たなくなってきている。「家の宗教から個の自覚の宗教へ」というスローガンがありましたけれども、浄土真宗というのは、善し悪しとは別に、事実としてやはり家の中で伝わってきた宗教だということは確認しておく必要があると思います。これは信仰もそうですし、教団も、家とか村落共同体のような濃密なつながりを基盤にして生きながらえてきた。そんな教団であったと言っていいと思います。ところが日本社会全体の大きな流れとして、もはや濃密な共同体関係が持てなくなってきてしまった。共同体なき時代に、どのようにして念仏の僧伽というようなものが成り立っていくのか。
浄土真宗というのは、信頼関係の上に成り立つ密度の濃いコミニケーションを通して伝わってきた教えです。だから五分間立ち話して、パッと「はい、分かりました」という伝わり方はちょっと考えにくい。
釈尊もそのことをよくよくご承知だったと思います。短い時間で詳しくは言えませんが、『観無量寿経』で韋提希が錯乱状態とも言える中から、平静さを取り戻し、最終的に阿弥陀の浄土を願いますね。その時に、善導が明らかにした浄土教の流れを汲む私たちは、あの場面で期待しなければならないのは、当然「ただ念仏すべし」という説法であるはずなのです。そういうことは誰もおっしゃりませんが、ごく素直に考えればあそこに、『阿弥陀経』のような説法がなされていれば、『観経』は非常に「めでたしめでたし」のお経様になる。でも実際は釈尊は、韋提希に定善・散善を説いた。簡単に言ってしまえば、暝想しなさい、修行しなさいと言ったわけでしょう。だから私たちの先輩は困ったのでしょう。「極楽に往生したかったら、座禅して暝想しなさい」では、いかにも都合が悪いのです。だから無視してしまった。同朋会運動のテキスト『現代の聖典』も、仏の説法が始まる前で切ってしまっています。なぜ仏があの場面で定善・散善という説法をしたのか、その真意を知ろうともしてこなかったのではないですか。
その理由は、結論だけ言いますと、あの場面で韋提希に「ただ念仏しなさい」と言ったら、韋提希が釈尊を拒絶すると、仏が判断されたからだと思います。
あそこでもし釈尊が「ただ念仏しなさい」と言ったら、韋提希は「はいわかりました」と言ってお念仏し始めると思いますか。そういう人物だと思いますか、韋提希は。私はまったく逆になっただろうと思います。自分が見下げられたと思い、釈尊との対話を拒絶してしまうのではないかと。釈尊はそれを見抜き、そうならないように韋提希の求めにそのまま応じて定善から語りはじめた。そうすることによって韋提希との間に対話の関係が成立する。そして韋提希の意識が自分の言葉に向くようにしたのではないかと思うのです。化身土巻を読んでいると、親鸞は『観経』をそのように領解していることは、おそらく間違いありません。詳しいことは、まだ出ていませんが、『親鸞の教行信証を読み解く』の第W巻をお読み下さい。
そこで今の時代にですね、私たちが「ただ念仏すべし」ということは伝えていく意味があるのか、あるいはその必要があるのか。仮に意味や必要があるとして、どのようにして「ただ念仏すべし」ということを伝えていけるのか。釈尊ではない私たちが、非常に薄くなってしまったコミュニケーション状況、友だち同士や家族の間でも濃密な会話が成り立たない。家庭が生活共同体と言えるかどうかわからないような感じになっている。そうでなくても親子などというのは、子どもが成人してしまえば、ある意味で他人よりもコミュニケーションを取りにくい関係ではないですか。しかも「ただ念仏すべし」というのは、いかにも筋が通らない。理性のレベルで考えたら拒絶するのが当然じゃないですかね。
私自身も、浄土真宗の教えを聞きはじめたころ、「形だけでもいいから合掌して南無阿弥陀仏と称えてみなさい」と言われて、非常に反発した経験があります。真宗の教えに魅かれるものを感じながらも、「念仏だけは勘弁してくれ」という気持ちが強くありました。真宗の勉強を始めたのも、理屈のレベルで納得して念仏にはこういう根拠があって、こうこうこういう理由ですばらしい、「だから念仏なんだよ」と、こう言えるような理屈をはっきりさせたいという思いが強くあったからだったように思います。それで結局たどりついたところは、「それが本願だからである」と言う以外にはありません。それはそれで一つの納得の仕方なんですけども、それを聞いて誰もが「うん、そうか」と納得できるような理由とは程遠いですね。
私自身のことを言えば、今は、それで納得できています。しかし、だからと言って自分が、具体的に念仏者になっているかというと、そうとは言えません。先ほども言いましたように、自然にお念仏が出てくるようなことはありません。意識しないと念仏できません。
以前は、回心をしたら誰でも湧き出るように自然に念仏が出てくるはずだという思い込みが強かったので、意識しないとできないような念仏の仕方ではだめだと思っていたのですが、最近はそれでもいいのではないかと思っています。
同朋会運動の中で〈信心〉ということが非常に強調されてきたわけですけども、どうもそこで言われてきた〈信心〉は、あまりにも「回心の体験」の有無にこだわり過ぎていたのではないかと思います。〈回心=信心〉という観念に自縛されていたと言いますかね。
「信心がなかったら、すなわち回心していなかったら、念仏しても無意味か」と、この問いをどう思いますか。私たちは、この問いに対して当然のごとく「イエス」と考えていたのではないかと思います。ただ念仏だけでは駄目なんで信心が伴っていないのは、自力の念仏だからダメだと。というような意識で〈信心〉ということを考えてきたのではないか。
〈信心〉を獲得した人が念仏した時には、その念仏には利益があって、〈信心〉を獲得しない人がいくら念仏してもあまり意味もないんだというような形で〈信心〉ということを考えているわけです。以前は私自身も、はっきりとそういう意識を持っていました。今ここにおれれる方の中でも、おそらく多くの人がそういう風な意識を持っておられるのではないかと思います。
こうなってくると〈信心〉が選別の基準になっていく。選別と排除ですね。〈信心〉があるかないかによって浄土の往生が選別されることになる。本願は「念仏衆生 摂取不捨」とは言いますが、「〈信心〉の衆生 摂取不捨」とか「〈信心〉の念仏衆生 摂取不捨」とは言っていません。信心を得た人の念仏と、信心を得ない人の念仏は同じか異なるか。私自身は、なかなか納得がいかなかったんですけども、今は私たちがそれを違うと言ってはならないと思います。〈信心〉が伴う念仏と〈信心〉が伴わない念仏というような、ようするに本物の念仏と偽物の念仏があるというようなことでは、「念仏衆生 摂取不捨」ということが成り立たない。
その辺の問題は化身土巻の「真門」と言われるところの主題です。願で言えば第二十願、経典では『阿弥陀経』ですね。
この問題を考えていく上で鍵になったような語や文言はいくつかあるのですが、その一つは「信不具足」と「聞不具足」という語です。これらは『教行信証』の中では信巻と化身土巻に出てきます。「不具足」は「不完全」とか「不充分」という意味です。親鸞が「聞」を「信」と同義語の意味に見ていると考えていましたから、私は、この二つの不具足の意味を区別する意識はほとんどありませんでした。
しかし、信巻を注意深く読むと、親鸞は、
欣求浄刹の道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を
離るべきなり。 (真宗聖典二三七頁)
と言っています。
同じように不具足という語を使っていながら、一方は金の言葉として了知せよ、もう一方は邪心であるから永久に離れよと、こう言っているのですね。まったく正反対の扱いです。しかし一般的な参考書などは、その違いにあまり深く注意していません。今にして思えば、何人かの方がこの違いを指摘しているのを聞いたことはあるのですが、その時は私の印象の中に強く残らなかったようです。これだけはっきりと書いてあるのに、ただなんの気なしに、どちらも信心が不充分であることに対するいましめとか批判であるという風に考えていました。
化身土巻には、この二つの不具足について次のように述べられています。まず信不具足とは、
@(信不具足の)人、また信ありといえども、推求にあたわざる
Aこの人の信心、聞より生じて、思より生ぜず
Bこの人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず
Cこの人、仏・法・僧宝を信ずといえども、三宝の同一性相を信ぜず。因果を信 ずといえども得者を信ぜず。
(真宗聖典三五二頁)
とあります。そして聞不具足とは、
@如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じて未だ六部を信ぜず
Aまたこの六部の経を受持すといえども、読誦にあたわずして他のために解説する
Bまたこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、 利養のためのゆえに、持読誦説せん
(真宗聖典三五三頁)
と、こういうことが書いてあります。この二つの不具足の違いは、その当人が不充分であることに対して自覚的であるか否かの違いではないかと思います。信不具足というのは、自分の信心はまだ不充分であるという意識を持っている。不具足に対して自覚的である。よく薄紙一枚はっきりしないとか、まだ私の念仏ではまだダメだというような形で、自分で自分のことを決めつけてしまうような在り方ですね。
ところが聞不具足の場合は、十二部経のうち六部だけを信じて、残りの六部は信じない。「信ぜす」というのは無視するか捨ててしまうということでしょう。つまり六部しか読誦していないのに関わらず、それだけで仏教とはこういうものだという形で、自分は仏教を完全に理解した修得したという確信を持ってしまう。自分が不充分であることについてまったく自覚的でない。だからこそ人に対して、付け焼き刃の知識で解説をし始めるわけです。「仏教とはこんなものだ」ということを自分の中で納得してしまって、相手を言い負かすためとか、地位や身分を獲得するために、あるいは飯の種にするためにその不充分な知識を利用するあり方ですね。自分が不充分であるということに対してまったく無自覚である。これが聞不具足でないかなと思います。
「聞」は具足成就すれば「信」とほぼ同義と考えてもいいけれども、それが不具足である場合は全然違った意味になるわけです。信不具足の場合は、不充分であるという意識を持っているわけですから、道を求める歩みは終わらないですね。求め続けるということが止まってしまわない。停滞しない。ところが聞不具足の場合は、「これでわかった」という信念を持ってしまうわけですから、当人の中ではさらなる求道の歩みということは必要性がなくなってしまう。
信不具足も聞不具足も、どちらも不具足であることには変わりがないけれども、そのことに対して自覚的であるか無自覚であるか、そこでやはり大きな違いが出てくるだろうと思います。
つまり、ある種の確信を持ってしまった状態が一番やっかいなのではないか。そうなると自分が一番偉くなって裁判官のようなことをし始める。自分が了解した不完全な仏教の知識だかで、あらゆること判定したり、選別したりする。「あなたは正しい、あなたは正しくない」という形で選別し、排除と強制をやり始めるわけです。そういうあり方に対して、親鸞は非常に厳しい目を注いでいます。
このことから思いますと、今日の私たち真宗門徒の中で、〈信心〉の有無ということがそれと近いような機能を果たしてしまっているのではないかという気がするのです。〈信心〉ということを実体化してしまったというか、私たちにおけるある種の状態のような形で考えてしまうことによって、真偽とか正邪の判定基準のような役割をはたすことになる。「信心を獲た」ことによって「自分はもう大丈夫だ」と安心する。つまりその瞬間に自分自身の不充分さについての自覚を見失う。そして「あなたはまだ信心を獲ていないからまだダメだ」などと言い始めるわけです。〈信心〉を回心の体験の有無や、私たちの精神の状態であると言う具合に考えてしまうと、「念仏衆生摂取不捨」が「〈信心〉衆生 摂取不捨」にすり替わってしまう。
そういう中で私は「ただ念仏」、本当に「ただ」の念仏ですね、そういうことが非常に大事になってくるのではないかと思います。「ただ」にも二つの意味があります。「二でない一」すなわち「唯一」という意味の「だた」と、「意味のない」すなわち「無義の義」という意味の「ただ」です。「唯一」のというのはそれ以外に往生の道はないということで、「無義」というのは如来の本願に根拠があるということです。つまり衆生にその根拠があるのではない。「なぜか念仏なのか」という問いに対して「それが本願だから」という答えしかないということです。これは「念仏の衆生を摂取して捨てず」ということを明確にした善導の本願領解に基づいています。だから「念仏衆生 摂取不捨」を信頼したら、私たちは、そのことに対して素直にうなづくか否かという以外に選択の余地がない。それ以外に「信」の中身はありません。つまり念仏することによって阿弥陀の浄土に摂取されることに対する素朴な信頼ですね。
信心とは親鸞の思想に感服するとか傾倒するというようなことではなく、「念仏する者となる」かどうか、それが信心の中身なのです。誰がどんな理屈をこねようが、それ以外に信心の成就の姿はないのです。
こういうことを言うと、すぐに「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」(真宗聖典二三六頁)を引き合いに出して「ただ念仏しとればいいというものではないだろう」としたり顔で言う人が出てきます。そういう人は「念仏ではダメだ」という証拠を探すことに生きがいを感じているのではないかと勘繰りたくなります。しかしそういうことを言う人に限って、その前の「真実の信心は必ず名号を具す」という言葉を読んでいない。いや読めていない、あるいは読みたくないのでしょう。「念仏をしない信心」もあるはずだとでも考えているのでしょうかね。自分が念仏したくないことを棚に上げて、念仏を軽んじ、念仏者を見下げている。まさに都合の悪い半分を信じないまま、論議のため勝他のために講釈を垂れるというあり様です。「念仏してもムダではないか」と勝手に判断してしまう前に、まず「念仏せよ」という本願からの呼び掛けに対して「念仏する者となる」という形で応答して、それからじっくりその問題を考えればいいのです。
主体的〈選び〉を抜きにして考えていたら、どこまでいっても〈比較と評価〉しかない。それは他人事ですね。〈選び〉とは、「ただ念仏すべし」という呼びかけに応じるか否かです。浄土真宗は、最初から最後まで、どこまでいっても「南無阿弥陀仏」の名号を中心にして成り立っている教えです。他者との関係もすべて名号を通して成り立つ。主体的な〈選び〉が他者との関係を関係を開いていくのです。
ここまで話がくると還相回向の問題になってきます。それについて証巻の中に重要な文言があります。
『浄土論』に曰わく、「荘厳妙声功徳成就」は、「偈」に「梵声悟深遠 微妙聞十方」のゆえにと言えりと。これいかんぞ不思議なるや。『経』に言わく、「もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなわち正定聚に入る。」これはこれ国土の名字仏事をなす、いずくんぞ思議すべきは、と。
(真宗聖典二八一頁)
「国土の名字が仏事をなす」、浄土の名前がはたらくと、こういうことが言ってあります。利益がもたらされるのは、その人の中に根拠があるのではなくて国土の名字のはたらきとして成就するということを、このようにおさえています。
この文言は往相回向のところにありますが、浄土の名前が仕事をするということはそのまま証巻全体を通しての基本的な確かめの軸になっています。還相回向のところでは、これが菩薩を生み出して、濁世において「仏事を作」さしめる根拠となります。ただ念仏する衆生の姿が、そのまま「梵声悟深遠 微妙聞十方」の仏事をはたらく菩薩という意味を持ち始める。それは念仏の衆生にそのような意思や能力があることによって起こる出来事ではありません。名が仏事をなす。仏事とは仏の仕事、衆生をして浄土に生まれさせる、仏道を成就せしめる仕事です。
私たちは、ともすると浄土に入ることばかり考えていますけど、浄土の門に入ると浄土の利益を身に受けることになる。少しでも浄土の精神に触れると、すぐにその精神の影響を受け始めるわけです。そうするとどうなるか。法蔵菩薩が名として我々衆生の前に現れたように、浄土に往生しようとする者に対して同じはたらきをさせることになる。浄土の門に入る者は、同時にその門を出る存在となる。浄土へ往生したら楽させてもらえると思ったけれども、浄土を成り立たせている精神はそこに腰を落ち着けてしまうことを許さない精神であるわけです。門に入る者はその精神に触れる。つまり本願に触れると、娑婆にもどって苦労せいという話しになってくるわけです。私にはそんな能力も資格もありませんと、謙遜する人がいるかもしれませんが、その人の意思や能力とは無関係に、浄土の功徳の〈現われ〉として成就する。根拠は、衆生の中にあるのではなく浄土にあるのです。
そういうはたらきをなす存在を、証巻後半の還相回向のところでは『浄土論註』によって「未証浄心の菩薩」と言っています。これは『教行信証』の文脈では間違いなく念仏往生人を指していると思います。「未証浄心の菩薩」とは、「いまだ浄心を証せざる菩薩」ですね。「浄心を証した菩薩」とは、八地以上の、いわゆる「七地沈空の難」と言われる、菩薩の最大の難関を乗り越えた菩薩です。それ以上が、いわば一人前の菩薩であると言うことができる。「未証」は、その難関をまだ乗り越えていない。未熟な菩薩ですね。
ところが、証巻に引かれている引文を読むと、その未熟な菩薩が、いろいろと問題はあるけれども、「仏事を作す」と言っているのです。最初に、
すなわちかの仏を見れば、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を得証す。
(真宗聖典二八五頁)
とあって、その菩薩が、
「未証浄心の菩薩」とは、初地已上七地以還のもろもろの菩薩なり。この菩薩、また身を現ずること、もしは百、もしは千、もしは万、もしは億、もしは百千万億、無仏の国土にして仏事を施作す。
(真宗聖典二八五頁)
と、未熟ながらにして仏事をはたらくのです。私は、これが還相回向の確かめの中に描かれる〈菩薩〉という存在の定義になっていると考えています。
「未証浄心の菩薩」に仏事を成し遂げる能力があということではありません。菩薩としての資質や能力が問題にされるならば、明らかに失格です。菩薩の中にその根拠はまったくない。なぜ未熟な菩薩にそれが可能なのかと言ったら、それは菩薩自身の力ではなくて、浄土のはたらきが名に託されて現われてくる。根拠は浄土、国土の名字が仏事をはたらくのです。
還相回向の確かめの最初にこのような「未証浄心の菩薩」の仏事という提起があって、それがずっと還相回向の確かめの最後まで続いていきます。最後にそのような形ではたらく仏事を「阿修羅の琴」の譬喩で表わして、証巻の引文群を結びます。
本願力と言うは、大菩薩、法身の中において、常に三昧にましまして、種種の身、種種の神通、種種の説法を現ずることを示すこと、みな本願力より起これるをもってなり。譬えば阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし。これを教化地の第五の功徳相と名づくとのたまえり。
(真宗聖典二九八頁)
菩薩のはたらきはみな本願力から起こってくるものである。阿修羅の琴は演奏する者がいなくても、独りでに音楽を奏でる。自分で意識してそうするのではなく、自ずと仏事をはたらく存在となっている。それが利他教化地の功徳の現われ方であるわけです。
『論註』の原文では、この後もう少し文章が続いていますが、証巻の引用はここまでで結ばれています。親鸞はその続きを行巻に引いています。真宗聖典の一九三頁、他力釈のところに、今読んだ「本願力と言うは、大菩薩」云々のところから、『論註』のほとんど最後までを引いています。還相回向の菩薩の教化地のところから、行巻の他力の確かめのところに戻ってつながって、[行→信→証→行]という具合に確かめが循環する形になっているわけです。念仏の教えが伝わっていく「連続無窮」の循環の輪ができるのです。
それから証巻の最後の御自釈で「他利利他の深義」ということを言っていますが、その問題はどこから出てくるかというと、これもやはり行巻の他力釈の確かめとの関係から出てくる問題です。
真宗聖典の一九四頁の後ろから五行目に、
問うて曰わく、何の因縁ありてか「速得成就阿耨多羅三藐三菩提」と言えるや。答えて曰わく、『論』に「五門の行を修して、もって自利利他成就したまえるがゆえに」と言えり。しかるに、覈にその本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁とするなり。他利と利他と、談ずるに左右あり。もしおのずから仏をして言わば、宜しく利他と言うべし。おのずから衆生をして言わば、宜しく利他と言うべし。いま将に仏力を談ぜんとす、このゆえに利他をもってこれを言う。当に知るべし、この意なり。
(真宗聖典一九四頁)
とあります。私は、なんで曇鸞が「利他」と「他利」をこういう具合に区別したのかずっとよく分かりませんでした。最近になってようやく「こういうことかな」という程度まで整理できてきました。
曇鸞が「衆生をして言わば、宜しく他利と言うべし」と言う場合、これは私たちが日常的に円満な関係というような意味ではないかと思います。このような場合、「利他」というのは、相手の喜ぶ顔を見て自分も嬉しい、相手の喜びが自分の喜びになるというような関係ではないかと思います。それが一番イメージにぴったりくる関係は相思相愛状態の恋愛関係です。あるいは一方通行的になりますが子を思う親の心などもそうかも知れません。相手が喜ぶことが自分の喜びになる。相手の喜ぶ顔を見たいがためにプレゼントをするというような気持ちですね。
『釣りバカ日誌』で西田敏之が演っている主人公の浜崎伝助、通称ハマちゃんが妻のみち子さんにプロポーズしたときの言葉って知ってますか。正確ではありませんが「僕と結婚して下さい。僕はあなたを幸せにする自信はないけれども、あなたと結婚したら、絶対に僕が幸せになる自信がある」というのです。これは非常に自己中心的な告白です。でも二人に恋愛関係が成立していれば、これほど抜群のくどき文句はないんじゃないですか。心憎からず思っている人からこういうことを言われたらグラッとくると思います。「私があなたを幸せにしてあげるわ」とね。
私たちの間において成立する最も好ましい関係というのは基本的にはこのようなものになるのではないかと思います。これは相手の喜びと自分の喜びとが一致する。これは双方の利害が一致している関係であると言えるのではないかと思います。それが「自利・他利の関係」、「自分の利(自利)」と「他人の利(他利)」が一致する関係ですね。だからその利害が一致しなくなったら「顔をみるのも嫌だ」ということになる。私たちは「あなたが好きです」という言い方で愛情を表現しますけれども、これは実は「あなたがそばにいる時、自分はとても心が和み安らかな気分でいることができる。その状態の自分が好きなんだ」ということを表わしているのではないか。「あなたがそばいると私が気持ちいいから一緒にいてくれ」ということを「あなたが好きだ」と表現している。だから一緒にいる時に自分が不愉快になり始めたら嫌いになるわけです。私の状態と無関係に対象が好きだということなら、それは一方的な愛玩の対象です。意思を持つ人間を相手にする場合はそれは無理な相談です。だから自分の利益と、他人の利益が一致するということが、「衆生をして言わば、宜しく他利と言うべし」という言葉の中に言われている意味ではないかと思います。
けれどももう一つの、曇鸞が言うところの「自利・利他」がそれとどこがどう違うのかわからない。なぜわからなかったかというと、それは他力ということがよくわかっていなかったからなのです。そのことに気がついたのは、あるところでお説教していた時のことです。
その時私は、話の最初に皆さんに質問しました。「念仏したら、その功徳によって浄土に往生できると思ってませんか」と。私は、浄土に往生するために念仏を利用するという具合に考えてはいないかということを尋ねて、それを導入として、話を組み立てようと考えていたわけです。すると、ある年配のご婦人が「そんなことありません。ただ私の口から念仏が出て下さることがありがたいんです」と、こう応えて下さいました。これは、表現はともかく、その日私が結論として言おうとしていたことでした。難しいことを言えば「従果向因」と「従因向因」の違いです。ある行為をすることによって、その効能として望む結果が得られる、つまり念仏をすることによって往生という望むべき結果が得られるという発想でとらえているのでないか。そうではなくて「念仏衆生 摂取不捨」という精神が自分のところまで届いた時に念仏者となる。それが本願の成就である。念仏は、それによってその先に何かの利益を求めるための手段ではないということを話そうとしたのです。結局私はそのご婦人にお説教の結論を先取りされてしまった形になったわけです。それでどういう具合に話をまとめていこうかと考えながらあれこれ話を進めていきました。その人はずっと、胸張って私の目を見ながら聞いて下さっていました。
話しながら、ふと思いついてことがあってそのご婦人に「あなた、自分の息子さんやお孫さんにお念仏を勧めていますか?」と尋ねたんです。そうしたらその人は、目を逸せて下を向いてしまいました。
その方は、ご自分はたしかに念仏の教えに出遇われて、何らかの意味で「すくわれた」という感覚をお持ちであることは間違いないと思います。ところがその喜びが自分だけの喜びになっているのではないか。自分にとって一番大事なことであるはずにもかかわらず、その大事なことを一番身近にいる息子や孫に対して勧められていない。信心の喜びが、そういう形で閉塞したものになってしまっている。今、北陸の念仏者の家で念仏者が孤立している。家の中を全部一々のぞいてきたわけじゃないですが、おじいさん・おばあさんが一人で朝起きて、お仏飯あげて、勤行している、そういう姿が目に浮かびます。それは独り住まいだからという意味ではない。家族が一緒に暮していてもそうなっている。どうしてそういう風になってしまったのかという問題です。
お念仏を喜んでいる人々にはある種の救済の感覚、「救われた」という感じがあることは間違いない。「私は本願念仏の教えに救われた」と。ところがそれがその人個人のだけの喜びであって、他の人と共有できるようなものだとは思えなくなっている。なぜか?自分を救ったものが何なのかはっきりしないと、そういうことが起こってくるんでしょう。つまり私の救いを実現したのは百パーセント本願であるということがはっきりした時に、「私を救った本願は、必ずあなたを救う本願である」ということになってくるんです。「私を救った本願は、必ずあなたも救う」という本願のはたらきに対する信頼ですね。これが他力ということではないんですか。
もし私自身の中に私が救われる理由や根拠がほんの一部でもあるとしたら、そうはなりません。「私は三十年聞法してきた。そのおかげでようやく救われた」ということであるならば、「お前のような聞き方ではあかん」ということになる。こちら側の条件によって救いが左右されるわけですから、それは他力ではない。本願によって救われたのではなく、聞法という努力が報われたことになるわけですからね。
本当に自分に出会ったものが素晴らしいものなら、人に教えたくて仕方がなくなるのが人情ではありませんか。たとえば私はラーメンが好きなんですが、美味いラーメン屋を見つけると黙っていられない。人に言わずにいられない「だまされたと思って一度食いに行ってみろ」と言いたくなります。本当に美味いものなら言わずにおれない。
私たちが一人ひとりが出遇った本願というものはどうなんですかね。美味いラーメン一杯の値打ちもないようなものを喜んでおるというようなことにはなっていないか。それほどの値打ちもないものとしてしか出遇ってなければ、人には勧められないわけです。厳しい言い方になりますが「萎縮した、孤独な念仏者が出会った本願は、それほどの値打ちしかないものだったのではないか」ということになってしまう。念仏者一人ひとりの生きる姿が、その人が出遇った本願を映し出している。それは本人が誤魔化そうとしても、如実に現われてしまう。
「事実として、私の中には救いを成り立たせる根拠は一切ない」、にもかかわらず、私においてすくいが実現したとするならば、それは他力という以外にない。私の側の条件とは無関係に本願がはたらいた。まったくの他力が根拠になっているということは、私において実現したすくいは、その事実が本願がうそではないことを証明することになる。私には何の根拠もないのにかかわらず、本願にすくわれるということが起こるならば、息子や孫にも何の根拠もなくても、彼らの上にも本願ははたらくんだということを信頼できる。私自身が本願の真実性を証明する存在となる。つまり自分の上に成立した本願の救済というのは、その本願は必ずあなた達をもすくう。同じ根拠がそれを可能にする。これは利害の一致ではありませんから何も競合しない。曇鸞が他利と利他ということで区別しようとしているのは、こういうことではないかと思います。
そこのところが今日一番最初に言った「ただ念仏」という言葉が持っている説得力のなさということにつながってくる。そういう言葉を伝える時に最も重要なのはお互いの信頼関係です。そういうある意味で客観的な説得力のない言葉を平気で語ることができる関係というものが消えてしまった。私たちの身近でそういう関係が維持されてきたのは、三世代の関係、つまり爺ちゃん婆ちゃんと孫の関係だったのではないかという気がしまる。親と子の関係では歳が近すぎたり、子どもにかける期待が大き過ぎたりで、なかなかそういうファンタジー的な話は成り立たないのではないですかね。特に今日のように世知辛い世の中ではそんな悠長なことは言っておれない。
しかしながら浄土真宗は、信頼関係があって濃厚なコミュニケーションが成り立つ関係でないと伝わりにくい教えだと思います。ところが真宗が伝わってきた土壌と言えるような基本的な人間関係は確実に消滅しつつある。昔を懐かしんでばかりいるわけにもいきませんから、現になくなってしまった状況の中でどうするか。家族や村落共同体のような濃厚な関係をもう一回取り戻そうとするのか、それともぜんぜん別の形でそういう関係を築いていくのか。あるいは真宗の教えの伝達形態そのものを、これまでとは違った形のものとして再構築しようとするのか。いずれにしても〈本願のはたらき〉ということが基本軸である以上、私たちの考えや試みがうまくいくという保証はどこにもありません。無駄な努力と知りながら、試行錯誤を続けていく以外に方法はないのかも知れません。しかしながら、その無駄かも知れない試行錯誤の中に、私たち自身が出遇った本願が紛れもなく映し出されてしまうのです。それを見た人が「だまされたと思って食べてみよう」と思ってくれるかどうかですね。
それともう一つ、これも先ほど梶原さんがおっしゃったことですが、今は、寺が最悪の場所です。まず信頼してもらえない。寺の坊主が「ナンマンダブツ」言っても、誰も驚いてもくれない。仕事としてのセールストークとしか見てもらえない。そういう意味ではお寺というのは、「浄土真宗」とか、「念仏」とか、「本願」ということを言っていくのに、最悪の場になってはいるのではないですか。
じゃあ、寺を出ればいいのかとそうでもない。やりやすい場所へ移って行って環境を整えてから何事かを始めようとするのは、出家主義と言いますか、いわゆる聖道門的発想だと思います。つまり釈迦牟尼仏が濁世を自分の仕事の場所とした、あるいは法蔵菩薩が濁世の衆生をこそ救済の対象として選んだ、ということを考えれば一番やりにくい所に留まるのは、ある意味で積極的な選択であると言えるのではないかと思います。我田引水的に自分の現状を自己肯定しようという意味に受け取られるかも知れませんが、そのつもりはありません。個人的な心情を正直に言えば、やはり寺とは無縁な世界で〈純粋〉に浄土真宗の教えを聞いていきたいという願望は今でも強くあります。寺がなければどれほど身軽でせいせいするだろうかと。
たしかに親鸞は比叡山を出ました。しかし親鸞は出たところで本願の教えに出遇った。すでにしてそれは外なる場であった。比叡山では出遇えなかったのでしょう。私たちはどうなのでしょう。善くも悪くも、この教団の中において、もう少し抵抗が少ない言い方をすればこの教団との関係のある位置で出遇ってしまったのではないですか。どれほど腐り切っていたとしても、何らかの形でそれに出遇った場に留らなければならないのではないかと思います。そこに責任を持つといいますかね。だからと言って教団べったりになる必要は毛頭ない。
浄土の教えを明らかにするという意味では、最も困難な場が今の寺です。誰も、坊主や寺を信用しない。その状況の中で「ただ念仏」ということを言い続けていくということがとても大事なことなのではないか。それは何も難しいことを言おうとしているのではくて、ある種の形式的なこととしてやるということも大事なのではないかという気がこのごろしているんです。
そういうことを思い始めたのは、ある法事の時に、法中の控室の床の間にお名号が掛かっていたんですが、次々と部屋に入ってくるお坊さんが誰もそれに合掌しなかったのを見てからです。掛けられているのが床の間だったからかも知れませんが、「これは誰が書いた字や」というような話は出ても、誰もそれをご本尊とは見ていないわけです。そういうことを経験してから、本尊ということが非常に気になり始めたんです。
それ以来私自身は、どういう場所であっても、お名号を見たら意識して合掌してお念仏するようにしています。意識するというのは、私はとても自然にお念仏が湧いて出てくるような殊勝なことはないからです。でも私はそれでもいいと思っているのです。「念仏衆生 摂取不捨」の本願のはたらきにおいては、私がどういう気持ちでお念仏しているかということは何も問題にならないはずなのです。何を思っているか思っていないか、何をなしたかなさなかったか、そういうこちら側の条件を一切不問に伏すのが本願であるはずなのです。
しかし自分の心の中だけで思っているという意業だけではだめなのです。他の人にはっきりとわかるような身業と口業の表現ということが大事なのではないかと思うのです。合掌してお念仏するというのは、私らみたいに若い者にはどうもカッコ悪いんですね。しかしお名号の前に出たら恥ずかしがらずにお念仏すると、いや恥かしいと思いながらでもいいんですけれどもね、とにかくそうやって習慣的にでも条件反射的にでもお念仏していくしかないんじゃないか。そういうことを私たちはどこかで毛嫌いしたりバカにし過ぎてきたのではないかと思います。
最後にご本尊という問題について一つだけ、ごく最近考え始めたことをお話しして終わりたいと思います。今お名号ということを言いましたけれども、それは文字として書かれている「物」です。ご本尊というのは象徴ですから「物」でもいいのですが、「物」というのはどうしても物象としての限定性がある。つまり実体的な執着の対象となるという問題があるわけです。名号を回向するという表現を選んだ法蔵菩薩の方法論の中には、もう一つその物質性を超えていくような形があると思うのです。最初に言いました「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」という、その中の「称する」というのは、絶対に「声に出して言う」ということが含まれる。大谷派ではどうも口称ということをあまり重視してこなかったのではないかという気がします。たしかに親鸞も、行巻の頭注や『一念多念文意』などで「称は秤なり」という註釈をしています。しかし「称する」の領解から「口称」の意味を完全に否定してしまうわけにはいかない。『一念多念文意』でも、
「称」は、御なをとなうるとなり。また、称は、はかりというこころなり。
(真宗聖典五四五頁)
と、「はかり」の意味の前にはっきりと「御名をとなうる」ことであるといっています。また、『唯信鈔文意』でも、
「十念」というは、ただくちに十返をとなうべしとなり。しかれば、選択本願には、「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」ともうすは、弥陀の本願は、とこえ(十声)までの衆生、みな往生すとしらせんとおぼして、十声とのたまえるなり。念と声とは、ひとつこころなりとしるべしとなり。
(真宗聖典五五九頁)
というように、「声」ということをはっきりと言っています。「念と声は一である」、「念声是一」ですね。このことは善導と法然が非常に強調していることです。親鸞も間違いなくその領解を受け継いでいると思います。このことをおし進めて考えていくと、本尊というのは文字である必要もなくなってくるような気がするのです。こんなことはあまりどなたもおっしゃってはいないのですが「音声本尊」ということが言えるのではないか。「おんせいほんぞん」か「おんじょうほんぞん」か、どのように発音するかはまだ迷っているんですが、いずれにしても音ですね、それが本尊になる。そいうことを意識的に考えてみようと思っています。
それは第十七願に「諸仏称名」が願われ、それに応ずる第十八願が「聞其名号 信心歓喜」という形で成就する。「称名」と「聞名」、これは音を媒介として成り立つコミュニケーションの形式をとって本願が建てられている。内容についてはまだ煮詰まっておりませんが、「称」と「聞」の呼応として表わされている二つの願を考えていくと、「音」の問題をもっともっと大事に考えていく必要があるのでないかと思います。
何かまとまりのない感じになって、今日のテーマとして書いた「〈摂取不捨の論理〉と〈選別・排除・強制の論理〉」ということと結びついていないように思われるかも知れませんが、私の中ではこれらのことがあれこれとつながっています。
(一九九九年十月十四日 加筆訂正)
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