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  (1) 往生浄土の道  (2) 自分色の輝き へ  (3) 闇の中の光



真宗大谷派金沢別院[御山御坊(おやまごぼう)143号]掲載 1993年12月1日

未校正WEB版
  往生浄土の道


  親鸞聖人はたくさんの書き物を残されています。中でももっとも大部なのが『教行信
証』と呼ばれる書物です。この書物は親鸞聖人の自筆のものが現在でも残っており、
写真版の本で親鸞聖人がどのようにしてこの書物を書かれていかれたかをうかがい知
ることができます。

  親鸞聖人は五十代のころから『教行信証』を書き始め、八十才を過ぎても見直して
筆を入れておられた跡が見受けられます。三十年ほども心血を注ぎ続けていたというこ
とです。ですから『教行信証』は、親鸞聖人がどのように仏の教えを受けとめておられて
いたか、そしてそれをどのように伝え残そうとされていたのかを知ることができる大切な
書物です。

  その中で龍樹菩薩の書物の中から次のような〈たとえ〉が引いてあります。それは仏
道を歩み始めた時の最初の「喜び」(歓喜)がどれほどのものかを表わそうとするもの
です。

  龍樹菩薩の書物に書かれているもともとの内容はおおむね次のような意味です。
  「仏道を歩み始めた最初の喜びとは、髪の毛を百等分して、その一本で大海の水を
  二・三滴ずつくみ取っていく作業が、すでにほとんど終って、あとわずか二・三滴しか
  残っていないところまで進んだ時、そのくみ終った大海の水ほど大きなものである」。

  仏道を歩み始めた喜びは、大きな海の水を髪の毛ですくい終ろうとしているような、
はかり知れないほど大きなものであるという、非常にわかりやすい〈たとえ〉です。

  ところが親鸞聖人は、もともとはとてもわかりやすいこの〈たとえ〉を次のような意味
になるように読み方をわざわざ変えてご自分の書物に引用しています。
  「仏道を歩み始めた最初の喜びとは、髪の毛を百等分して、その一本で大海の水を
  二、三滴ずつくみ取っていく作業が、ほんの二・三滴終って、あと大海の水がほとん
  ど残っている、その二・三滴ほどの心がおおいに喜ぶのである」。

  傍点の部分が逆の意味になっていることがおわかりになるでしょうか。

  この〈たとえ〉で大海の水というのは仏道を歩む者(菩薩)が滅しなければならない煩
悩の苦しみをたとえているのですが、龍樹菩薩の〈たとえ〉では煩悩はもうほとんど無く
なりかけているのに対して、親鸞聖人の方は二・三滴ほどがやっとなくなっただけで、苦
しみはほとんど残っているわけです。親鸞聖人の読み方では、喜びの大きさをたとえる
〈たとえ〉としては反対の意味になってしまいます。

  親鸞聖人はどういうお考えで、このようにわかりにくくなるように読み方を変えてしま
われたのでしょうか。

  このすぐ後には、この〈たとえ〉の意味の解説が続いています。そこには、
  「まだ大海の水ほどの煩悩の苦しみが残っているとしても、それは無始生死の苦し
  みに比べればほんの二・三滴ほどにしかすぎない」。
というような意味のことが書かれています。

  「無始生死の苦」とは、自分がどこから来てどこへ行くのかわからない生のあり方、
進むべき方向がわからないという〈迷い〉を人間の苦の本質としてとらえている言葉です。
迷いの苦しみに比べれば煩悩がたくさん残っていることなどはものの数ではないという
ことです。

  親鸞聖人は次のように考えられたのではないかと思います、「高い山に登ろうとして、
あと二・三歩で頂上に着くというとき、私たちは大きな喜びを感じる。たしかにそれは喜
びには違いない。しかし、山の中で道に迷い三日三晩飲まず食わずでさまよい歩いて
いた時に、ふもとの村を指し示す道しるべを見つけ、その道を一歩二歩と歩き始めたな
らば、その喜びはどれほどのものであろうか。どれほど遠いかわからなくても、いつ村
に着けるかわからなくても喜びは大きいはずである。その喜びは、山の頂上に到着す
る喜びとはまったく質が違うもので、比べものにならないであろう」と。

  親鸞聖人は、龍樹菩薩の〈大海の水をくみ取るたとえ〉をわざわざ書き換えることに
よって、浄土真宗における喜びとは、浄土に着いてしまうことによって得られるのではな
く、浄土に往生するという方向が定まること、その歩みが始まるところにこそあるという
ことを説き示されようとなっさったのではないかと思います。
                                 (一九九三年一〇月二七日)




真宗大谷派金沢別院[御山御坊(おやまごぼう)144号]掲載 1994年1月1日

未校正WEB版
  自分色の輝き


  釈尊が説き残された教えは経典として二千年以上の時を経て今日まで伝わってい
ます。数多くある経典の中で、日頃私たちが最も親しんでいる経典は『阿弥陀経』です。

  この経典は、浄土の相を荘厳(すがたを示し現わし讃嘆)し、阿弥陀仏の徳を讃嘆
し、さらに東方・南方・西方・北方・下方・上方の六方の諸仏が阿弥陀仏の功徳を讃嘆し、
そして念仏によって浄土へ往生することを勧めるというのが主な内容です。

  浄土の荘厳は、多くの経典に様々に描かれています。私たちが日頃礼拝している、
お内仏や、お寺の内陣も『阿弥陀経』や『観無量寿経』に描かれている内容を形に現わ
そうとしたものです。またお葬式の荘厳も同じです。ですからそれらの中心には必ず浄
土の主・阿弥陀仏からの「帰命せよ」という呼びかけである〈南無阿弥陀仏〉が本尊とし
て安置されています。

  灯明に照されて輝く金箔や、花や鳥が華麗に彫刻されたお内仏やお寺の内陣のき
らびやかな形に慣れてしまった私たちは、いつの間にか浄土を非現実的なお伽話のよ
うなイメージでしかとらえられなくなってきているように思われます。

  浄土の荘厳については、天親菩薩や曇鸞大師の教えに詳しく説き示されています。
その中には浄土の荘厳が成就するいきさつについて次のように説かれています。「仏
がある国土をご覧になった時、苦悩の原因となる様々な問題を見い出されて、私の世
界にはそのようなことが決してないようにしたいという誓いを建てられて、その〈願〉がす
べて成就した世界が浄土である」と。浄土の荘厳は好ましくない世界とは反対の姿を描
くことによって成り立っているというわけです。ですから浄土の荘厳というのは、浄土で
はない私たちが生きているこの現実の世界が苦悩の原因となる事柄に満ち満ちている
醜い有り様を際立たせて浮び上がらせる〈鏡〉のような役割を果たしています。

  このような意味を持つ浄土の荘厳が描かれている『阿弥陀経』の中で、私は次の言
葉に特に心をひかれます。それは「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」です。日
本語にして訓むと「青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白
き色には白き光あり」となります。「青い色が青く光る」というのは何の変哲もないことで
当たり前といえば当たり前のことのようです。けれども浄土の荘厳は、問題の尽きない
現実世界の有り様を浮び上がらせる〈鏡〉であるということからこの言葉を考えてみま
すと、思い当たることが少なくありません。

  一つだけ例をあげてみます。世界中で大きな問題になってきている「エイズ」という
病気があります。厚生省が把握しているだけでも、現在日本には二千五百人以上の感
染者がいますが、その中で「自分がエイズに感染している」ということを公表している人
はたった二人しかいません。理由は、公表したら周囲の人からどういう扱いを受け、そ
れによってこうむる不利益が量り知れないほど大きいことが容易に予想できるからです。
隠しているということは、たとえ目の前で友人が「エイズ」についての誤った考え方や感
染者や患者のことを軽蔑しバカにするような言葉を並べていても、それを正すこともで
きずにただ黙ってがまんしているしか方法がないということです。自分自身に関する事
実を隠して生きなければならない、自分の本当の色に輝くことができないということはど
れほどつらく悲しいことか想像もつきません。

  「エイズ」の問題については予防するにはどうしたらいいかとか、感染者が何人にな
ったというようなことが新聞やテレビでさかんに言われています。そうしたことも大切なこ
とには違いありませんが、感染した人たちがどのような生き方をせざるを得なくなってい
るかに思いを馳ることはもっともっと真剣に考えられなければならないことのように思い
ます。自分自身に関する事実を隠さなければ生きにくいのは何も「エイズ」感染者に限
られたことではありません。一々あげませんが、ほんの少し気をつけて世の中を見れば
あちこちにいるように思います。

  『阿弥陀経』のこの言葉は、一人ひとりが〈自分色に輝く〉ことをとても難しくしている
私たちの世界の様を映し出しているように思えてなりません。

  親鸞聖人ご命日に寄せて。             (一九九三年十一月二十八日)




真宗大谷派金沢別院[御山御坊(おやまごぼう)145号]掲載 1994年2月1日

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  闇の中の光

  親鸞聖人が書き残されたものには大きく分けて二つの種類があります。一つは『教
行信証』のように漢文で書かれたもので、非常に難解でかなり学識の豊な人が読むこ
とを念頭に置いて作られたものだと思います。もう一つは和讃や手紙(御消息)をはじ
めとする仮名で書かれたもので、聖人自身が『唯信鈔文意』や『一念多念文意』に「いな
かのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき、愚痴きわまりなきゆえに、やすくこ
ころえさせんとて、おなじことをとりかえしとりかえしかきつけたり」と書き添えられている
ように、ごく普通の人びとのために心を尽くしておられるものです。おそらく親鸞聖人は
ものを書かれる場合、いつも頭の中にそれを読む人を想い浮べて書かれていたことと
思います。

  私たちが日頃の勤行に『正信偈』とともに唱和する和讃は、いつでもどこでも口ずさ
むことができるように、語調を整えた〈うた〉として暗唱しやすく作られています。しかもや
さしくわかりやすいだけではなく、阿弥陀仏の讃嘆・『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥
陀経』の意(浄土和讃)、七人の高僧が示し残された教えの要点(高僧和讃)、歴史的
現実の中に現われる仏教の相(正像末和讃)というように幅広くなおかつ密度の濃い内
容が込められています。

  多くの和讃の中でも特に親しまれているのは「弥陀成仏のこのかたは」以下六首の
です。これらの〈うた〉の中で親鸞聖人は阿弥陀仏を光あるいは光明としてその徳を讃
嘆しています。法身の光輪きわもなく/智慧の光明はかりなし/解脱の光輪きわもなし
/光雲無碍如虚空/清浄光明ならびなし/仏光照曜最大一、というように数えあげれ
ばきりがありません。

  光は闇を照し明るくすることから、無明の闇に覆われて流転する衆生に進むべき方
向を指し示す智慧にたとえられます。また光は一瞬のうちにあらゆる所に届きすべてを
照し出すことから、どこでも・だれでもその恩恵をこうむることができるという意味で平等
と普遍性を現わしています。

  光というのは実に不思議なもので、いつもあふれるほど光をあびていながら、私た
ちは光とはどういうものなのかまったく知りません。ところが光が何であるか知らなくても、
また光がどこから来るのかわからなくても、「光がある」ということを簡単に知っています。
夜空の月は太陽の光を受けているだけで月は自分で光を放っているわけではありませ
んが、私たちは月が見えることによって、夜でも光の源である太陽の存在をはっきりと
知ることができます。太陽はまぶし過ぎて直視できませんが、物が見えるという形で光
の存在は確認できます。普段は誰もそんなことを意識することもないほど光の存在は
身近で当たり前のことになっています。

  子どもの頃不思議に思ったことが一つあります。太陽の光は何も月だけを選んで照
しているわけではないはずなのに、太陽の光を受けて夜空に光っているのは月だけな
のはなぜなかということです。月の回りには真っ黒な空があるだけですが、月の回りに
は光は届いていないのでしょうか。太陽の光は四方八方あらゆる所に向っているはず
なのですが、月と金星や火星などの惑星があるところしか光りません。つまり月や惑星
が太陽の光を反射して光っているということは、それらは太陽の光から見れば行く手を
さえぎる障害物・邪魔物に他なりません。反射するものがないところは真っ暗で、光をさ
えぎる障害物だけが光るのです。

  『正信偈』には「不断煩悩得涅槃」という句がありますが、如来の光明を受けて煩悩
が光り輝く様を言い当てている言葉ではないかと思います。煩悩が無くなって救われる
ということではなく、如来の光明に照されて「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界」という
月がはっきりと見定められるところに如来の大悲が証明されるということです。

  月は光がなければ大きな黒いかたまりにすぎませんが、太陽の光を受ければ星を
圧倒して夜空に輝きます。煩悩や無常は苦悩の原因として邪魔者扱いされますが、実
はそれこそが如来の光明を受けて無明の闇の中に光り輝くのではないでしょうか。邪
魔者どころか、煩悩こそが輝いて見えるのであって、煩悩から眼をそむければ輝きを
見失うことになります。              (一九九三年一二月三〇日)
   
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