教会音楽と教会暦

〜リードオルガンについてのミニコラム(1) 〜





<「日本における最初のリードオルガン」>

■日本におけるオルガンの歴史は古く、16世紀後半にさかのぼります。日本にキリスト教を伝えたカトリックの宣教師、フランシスコ・ザビエルも
讃美歌の伴奏に、すすんでヴァイオリンとオルガンを用いたそうです。

■しかし、音楽史上、リードオルガンが考案されたのは19世紀であるといわれています。19世紀中頃、フランスで実用化され、その後、度々改良を重ねて欧州から新大陸へ渡り、明治時代に日本へ・・・というルートをたどっています。ある史料によればこの時用いられたオルガンは今のものとは様相を異にした「小型オルガン」であったそうです。


■また、日本から渡欧していたイエスズ会宣教師ヴァリニャーノと、4人の天正少年使節団が1590年に帰国した際、ローマからパイプオルガンを持ちかえって豊臣秀吉の前で演奏したという記録も残っています。しかし、秀吉による激しいキリスト教弾圧、さらには江戸時代の鎖国によって、国内でのキリスト教宣教活動が著しく制限され、オルガンは一時期、日本史の表舞台からその姿を消すことになります。そして、再びその名を目に留めることができるようになるのは、明治に入ってからのことでした。




<「オルガンが導入されるまで」>

■明治時代、オルガンを盛んに導入したのは、教会や、海外からの援助によって日本各地に創立された私学のミッションスクールでした。そのことは同時に、日本に派遣されていた外国人宣教師らによる、独自な音楽教育の発展にも大きく寄与することになりました。

日本基督教団 羽咋教会と富来伝道所の歩み

■また教育史上においても、明治5年の学制発布にあわせ「唱歌」は正式科目となり、明治20年頃には公立学校にもリードオルガンが盛んに導入されるようになります。最初の音楽の教材として知られる『小学唱歌集』全91曲のうち、実に15曲以上が讃美歌であったことは、公立学校におけるオルガン受容と同じく、大変興味深い点です。教育の現場における主役の座はほどなくしてピアノに譲ることになりますが、オルガンはこのようにして次第に身近な楽器として広く知られるようになったのです。




<「賛美の器として」>

■オルガンは礼拝に用いられる代表的な楽器として今なお親しまれています。私達の前に賛美の音色を響かせる、いわば教会における「賛美の器」です。羽咋教会では、2004年のアドヴェントを迎えるにあたり、オルガニストの谷内江潤子さんをお招きして、リードオルガンの演奏による「アドヴェント 賛美礼拝」を行いました。リードオルガンの演奏をお聴きし、リードオルガンと一緒に讃美歌を歌い、共に賛美しました。


■そこで演奏された曲で、バルバストルという人の「この羊飼い達は楽しそうにどこへ行く」という曲が奏でられました。どこか懐かしい、リードオルガン独特の「素朴さ」「純粋さ」のある音色が、羊飼いたちの素朴で純粋な、「喜び」「嬉しさ」を、とてもよく表現していました。

■救い主がお生まれになる、天使によって告げられたその知らせを聞き、是非、拝みに行こうではないか!羊飼いたちの飾り気のない、無邪気な笑い声と喜びが、私達にも染み渡るような、そんなリードオルガンの響きを、心から大切に思いました。

■教会には宝物のような音楽があります。救い主がお生まれになったという喜びを表すため、あるいは私達が神様の栄光を現すため、用いるオルガンと私達の声による讃美歌の歌声です。この大いなる「宝物」の最高のものを、いつまでも神様に捧げることのできる、賛美に満たされた、喜びの教会にしていきたいと思います。






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